« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »

2007年8月31日 (金)

井上靖 狼災記-2

07062

 今でも、羊料理は食べられない。もう、20年ほども前になるでしょうか。トルファン、ウルムチ、敦煌など旅した時以来です。当時、出された料理の強烈な臭い。かの地には鳥も牛も豚もおらず、毎日毎日、羊、羊、羊・・・・どうやら朝食のおかゆも羊のスープからとるらしく、いきなり、ムッとくる。カアアッと照るつける強烈な日差しの下、自分の皮膚の毛穴一つ一つから、むかつくような羊臭がする。いつの間にか、自分の体に細長い灰色のうぶ毛が生え始め、目までが青光りしそうな・・・夜の漆黒の闇の中、月に向かって「フォーーオーー」と吠えそうな・・・・・羊ばっかり食べて、狼になる実感を体験したからです。
 先日の続き・・・ですが・・・ほとんど「京都エッセー」に掲載のままです・・・
陸にとって、「生きる」ということは食べ、排泄し、戦うということの積み重ねに過ぎない。何かを待ち、何かを喜び、何かを讃えるという事がない。骨と皮に干からびて、塩を吹く大地の一握りのオアシスにしがみついて、人間が営々と生きるという事が、この地の羊たちの生と重なる。終日倦むことなく、地面に口をつけ、あるかなきかの草を食み、抵抗することなく、強者に食われる生の終焉。
 陸にとって、蒙恬は、強い光を放つまぶしい光体であった。蒙恬の一言で、陸は喜んで命を捨てる。不思議な従順、あどけないまでの一途な思慕。戦時の男達にとっては、生の執着が、淡白というより、むしろ、命をすら代償にさせるほどの、純情を美学とするのだろうか。どうして、殺される時すら、夢を見る???子供を残す宿命的な女たちの生への執着とは明らかに異質である。
 その蒙恬も、主である秦の始皇帝の死の知らせと共に届いた遺詔に、毒をあおいで死んだ。遺詔は、実は、真っ赤な偽り、始皇帝の死後、権力簒奪を企てる宦官、超高の陰謀であった。始皇帝には二十数人の子がいたらしいが、長子、扶蘇は仁慈深く正義感であった。焚書をいさめて、父王の怒りをかい、北方に追放され、老将、蒙恬と共に異域にあって長年を匈奴の侵攻に耐えていた。長城を補強、つなぎ合わせ、幾多の命を束ね、死地に投じ、為に秦帝国は歴史に冠たる強烈で華やかな名を遺した。秦は、現代中国と、ほぼ一致すると言われる。古代の理想君主、三皇五帝を全部、己が身にあてはめようと「皇帝」という尊称を考えだしたのも、始皇帝なれば、数年後、項羽によって火をかけられるや、三ヶ月間、燃え続けたという大阿房宮を建造したのも彼で、現代の私達にまで、兵馬坑を馳走してくれている。China488
 
 人の命など、ちりあくたの如く捨ててかえり見ることのなかった彼だが、たった一つ、自分の命にだけは執着した。不老不死の願いにとりつかれ、死後の大宮殿を造営しつつ、一方で不老不死の仙薬を捜し求めた。日本にまで、やってきたともいう。それほど、執着した始皇帝の命を奪ったのは、怪しげな道師のすすめた赤い丸薬、水銀であった。水銀というのは、ももりの空想ですが・・・もはや、天下を盗ったつもりの超高は、扶蘇に偽りの遺詔を発する。偽りと疑いつつも、父皇帝の命に殉ずる扶蘇も憐れ、共に毒を仰ぐ蒙恬も憐れ、一途に蒙恬を恋うた陸も憐れである。余りにも、楽しみを貪った始皇帝の死も・・・憐れ・・・というべきか・・・??スケッチ、上はトルファン 
ベゼクリク千仏洞、下は兵馬坑(No641)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年8月30日 (木)

それでもチンギス・ハンの末裔か???

Mongoru1
 朝青龍は一体どうしたんでしょう。自ら墓穴を掘った???彼は、モンゴルへ帰って、親や親戚一同から安らぎをえているでしょうか。彼が金満日本でトテツもないお金を稼いだこと、これは、今では、もはや、彼を自由人にはしてくれないでしょう。きっと父親からは「どうして、金になる相撲を投げ出して帰って来たんだ」って言われてるでしょうし、母親からは「お前、何とか頑張っておくれよ。弟だって、兄だって???兄弟がいるとかいないとか知りませんが・・・彼は、金づるを、自ら手放してしまったのです。一族全部を養うに十分な金づるをね????
 チンギスハンの末裔としての彼は????ウ・ウーン・・・・やっぱり・・・・甘ちゃん???モンゴルのウランバートルの空港に、ももりが降り立ったのは、もう、20年ほど前・・・あの、なだらかな起伏の大草原を思い出して・・・朝青龍さん・・・・あなたはチンギスハンの末裔・・・・ではないの???(No640)
モンゴル、ウランバートルへの旅はHPへどうぞ
http://www.geocities.jp/wgwxw444/119mongolu/118sib.html

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007年8月29日 (水)

井上靖 狼災記-1

07061

 井上靖を熱く読んでいた頃、所属していた同人誌「京都エッセー」に、1998年9月号に掲載した、井上靖「狼災記」についての文をそのまま、ここに書くことにします。お時間あれば、どうぞ・・・
 陸という、社会の底辺にカビの如くに生きている主人公。彼は親を知らず、人に愛されたことも人を愛したこともない。楽しみも希望も、この世にそんなものがあることすら知りはしない塞外の老兵である。毎日毎日、吹きすさぶ吹雪の中を戦いに明け暮れているが、そんな陸にも、一度けチカと光った瞬間があった。時の将軍、蒙恬が一言「汝の名は勇者の名である」と、声をかけたのである。彼の容貌が余りにも魁偉であったと言うほかに理由はない。
07069
 動く事のなかった彼の心に、その一瞬だけが、ポッチリと灯をともし、彼は軍務に励む。五百の長となり、千の長となり、今日も部隊を連れて吹雪の中、一つの村へ駐屯する。そこへ、蒙恬将軍の死の知らせが入り、彼のたった一つの灯は消えた。
 真っ暗な部屋、誰も怖れて近づきもしないやみの中に、ふと、動くけはい。陸は、一人の若い女を引きずり出し、犯す。生まれて初めて陸は女を知った。剣に守られた夜ごとの営み、異様な臭気の満ちる中に、ふと、彼は女に愛を感じるのだ。生まれて初めての愛を。6日目の朝、女は言う。
「私は夫に死なれた女で、七度男と交わると狼になると聞いている。どうぞ、もう、戻らないでほしい」
 陸は部隊を連れて吹雪の中へ。吹きすさぶ嵐の中を、陸は狼の遠吠えにおびえる部下と進む。彼には、狼の鳴き声が女の泣き声にきこえてならぬ。断ち切れぬ執着。夜、彼は部隊を捨てて、遂に奔った。女の元へ。
 翌朝、目が覚めた陸は、刀を取ろうとして、自分の手が動かず口が前に出た事に驚く。彼も、女も、狼になっていた。銀色に輝く無彩色の世界、月光を浴びて戯れる2匹の狼。狼は交わりを見られることを拒む。見られたと知るや、どこまでも追って行き、見たものを咬み殺さずにはおかぬとか。・・・以下・・・のゴタクは明日・・・アス(No639)
 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年8月28日 (火)

井上靖と司馬遼太郎

07117
 本大好きのももりでしたが、少女趣味って言うのか、どちらかと言うと外国文学のほうが好きでした。少年少女世界文学全集の世界です。司馬遼太郎や吉川英次を読んだのは、結婚して次々と子供が生まれ、自由に家から出られなくなった時期、ムコ殿の本棚にあったのを引っ張り出して読み始めものです。次々と「竜馬が行く」「坂の上の雲」「城塞」・・・・・など、司馬作品。「新平家物語」「宮元武蔵」・・・など、吉川英次。お乳の時間になると、デンと本を置き、読み始める。赤ちゃんはそっちのけで、もう、とっくにおっぱいを飲み終わってるのに、まだ夢中で読み続けてるといった、ケシカラン母親でした。そのとき思ったものです。「へええ・・・男ってこういう本で、いかに戦うかって研究するんや」って。
 後日、井上靖に夢中になった時期があります。司馬遼太郎ほどの華やかさはない。けれども、その渋い、いぶし銀のような作品の数々・・・「西域物語」「敦煌」・・・「天目山の雲」「利休と秀吉」・・・・井上靖については、明日・・・アス(No639)

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2007年8月27日 (月)

生きるということ

07062
 我が家の釣りキチ・・・暑さあたりか、バテて、お腹をこわし、熱も少しある・・・日曜日、1日中寝ていましたが、月曜日、朝になると「寝てもいられん・・・」と仕事へ出かけていきました。この、連日の猛暑の中、建築現場で働いている彼は、安月給でも、大して文句も言わず、黙々と働いています。尊い事だと思います。世の中、楽にカッコ良くお金を稼ぐ人ばっかりを、もてはやしていますけど、このいじらしい、マジメで素朴な責任感こそが、日本の社会の根幹を支えて来たのではなかったでしょうか。ワーキングプアーっていう言葉も嫌いです。世の中の半分以上は、名もなく、貧しく・・・美しく・・・以前、そんな映画があった・・・・やっぱり、ももりはそんな若者の味方です。スケッチは高山植物(No638)07064

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年8月26日 (日)

健康すぎる食欲

07054
 先日、TVを見ていましたら「拒食症」と、「太っているのが美人の条件のアフリカの???国」というのと「満腹感のない過食症」と言うのをレポートしていて、久々にとても面白く見ました。
 拒食症というのは、健康すぎる旺盛な食欲をもてあまし気味のももりには理解できない病気でしたが、あれは、単なる「イヤシンボ」の息を域えて、しっかり、もう病気なのですって。一方、満腹中枢にDNAの異常からくる過食症というのも、見ていて気分が悪くなるほどショッキングでした。大体、わたしの年代くらいまでは「食べる事やお金のことに、あまりに拘泥するのは見苦しい、卑しい」という風に教え込まれてきていまして、武士でなくとも、食べ物の話ばっかりしていたり、ましてや、お金の話ばっかりするなんてのは、どこか、身分卑しいものという感覚が残っていました。決して、ホンネではありません。ぉ金だって、食べ物だって、嫌いでないどころか、もっともっと欲しいものなんですけれども・・・
 一方、若い時より5キロ以上太っている人は成人病予備軍だとか・・・・ももりは、若い時から、どちらかというと、ドテンとしていて、一度もスラリとなった時がありません。そう言えば胃潰瘍になった時は細かった・・・この、鈍いももりメだって、神経を病んで胃潰瘍になった事があるんですよ・・・若い時から5キロ増えているももりメも少しはマジメにダイエットしましょうか。でも、本当のところ、日本の若いお嬢さん方は瘠せすぎのように思えてなりません。外国へ行くと、特に、若い女性の立派な腰やお尻を拝見???して、「まあ、ポンッと赤ちゃんを生めそうな」とか思ってしまうのです。絵画や彫刻の世界だって、大変なお尻ですよ。ミロのヴィーナスを御覧なさい(No637)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年8月23日 (木)

律儀なお付き合い

07042
 この暑い中、律儀にお付き合いしている展覧会。いろいろ行きました。「西洋の青」神戸市立博物館。日本人が古くから使ってきたブルー。藍から取る染料、露草の青、アズライトという鉱石からとる顔料、それが江戸時代、プルッシャン・ブルーが日本へ入って、すっかり日本に定着した・・・というちょっと学術的な展示でした。絵の具の原材料には、大いに関心がありますが、恥ずかしながら余り知りません。頑張って、見入ったのですが・・・・ももりの粗雑な頭脳では、余り理解できなかったです。
 「画業70年  自然と共に生きて  堀文子展」・・・ウ・ウーン・・・86歳、現役。心臓を患ってからは顕微鏡の世界を絵に・・・80歳近くなっても、ヒマラヤやペルーのプレインカ遺跡を探訪・・・か・・・・すっごい画家がいるもんです。ももりはちょっとおとなしすぎるようやな???42歳で、ご主人を亡くして・・・・ウ・ウーン 自由では・・・あった・・・の・か・も??絵よりも大事なものを持たなかったってことか・・・・??(No636)

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年8月22日 (水)

焼き豚になっても

07068
 スケッチは八方尾根・・・いいなあ!!!雲の切れ間から白馬三山や雪渓が見え隠れ・・・・ジリジリ照らされて、焼き豚になりながら歩くってのも実につらい。だから、山が全景見えなくっても、今日の曇り空に感謝、感謝!!時折、お陽さんがサッと差して、雪渓が真っ白に輝く!!!!日の当たった緑の美しさって言ったら・・・・こういうのって、到底、絵にはできません(No635)
07072

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007年8月21日 (火)

木曾山脈

07063_2
 スケッチは木曾の千畳敷カール・・・木曾御嶽山の頂上は踏んでいません。でも、木曽山脈を縦走したことはあって、その時の山行きが、私の最後の山行になりました。勿論、40ン年か前の事ですけれど・・・  
 就職して2年目の夏、所属していた山のクラブのメンバーと一緒に、いきなり、何の訓練も無く重装備で、険しい山へ。木曾山脈はおっそろしい山でした。それぞれが独立峰みたいで、手を伸ばせば、すぐそこに次の尾根が見えています。なのに、見下ろせば深い谷底に道は続いているのです。この旅の途中から、横腹がしくしく痛み始め、帰宅した途端に、顔に吹き出物がでました。「これは、きっと肝臓が悪いに違いない」とか・・・売薬を買って済ませてしまいました。親元から離れていた事もあり、今から考えると、ちょっと怖い。でも、さすが・・・若さ・・・バカさ・・・間もなく治りましたが、顔の吹き出物は半年くらい続き、ももりは限界をさとりました。間もなく、次々と子育て・・・そして・・・今年・・・木曾御嶽山の麓のお花畑を、風に吹かれてノーンビリと散策・・・40ン年前の写真は白黒で、日に焼けて真っ黒・・・こんな日々もあったのですねえ。後ろは穂高らしいなあ(No634)07_2

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年8月20日 (月)

あまりにも美しすぎる花

07065
高山植物を幾つかスケッチしてきました。「トリカブト」も見ましたよ。下の濃い紫の花がそうです。「トリカブト」はやっぱりちょっと美しすぎる。それに、形もちょっと尋常ではないなあ。密閉した花の中で、おしべ、めしべが受粉するのかしら???070746月頃まで雪の下に押しひしがれて、10月には、もう、雪の下になってしまう花々が、今、懸命に咲いていました。八方池も栂池も、木曾の千畳敷も実に、懇切に守られていて嬉しかったです。(No633)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年8月18日 (土)

古い日記・・・白馬三山

07999
 「いつか ある日 山で死んだら 古い山の友よ 伝えてくれ・・・・母親には、安らかだったと、・・男らしく死んだと父親には・・・」今でも、若ぃ山男達はあんな歌を歌うのでしょうか。もう、すっかり色の変わった小さな山日記を読むともなく眺めていますと、なんだか不思議な感じです。
 46年前の8月26日、矢も盾もたまらなくなって・・・チクマに乗った・・・・8月28日、冷た池の小屋から鹿島槍へ、南峰、北峰を越えて五竜へ・・・八峰キレットを越えて・・・・キレットはきつかった、ですって・・・・小雨の中を歩いて3時30分、五竜小屋着。ガスが切れてきたので、服を着替えて小屋から出てブロッケン現象を見たと書いています。霧の中を1日中歩いてた、その深い真っ白な霧に後ろから太陽の光を浴びて、自分の影が写る。その自分の頭に、キリストのように虹の輪ができるのです。・・・白馬の小屋では、同宿はアベックと女性一人、と書いています。静かなもんやったんやなあ!!!8月31日、小蓮華岳で、トカゲを決め込む・・・つまり昼寝をしています。パーティーが一つ通りすぎて行っただけ・・・とある。白馬大池へ9時55分に着き、一人でボートに乗っています。あ・あ・あ・・・やっぱり日記も書いとくもんですねえ。
07066
 古い日記には、360度の眺望が望めたようです。今回、霧の中に見え隠れしていたあの鹿島槍、五竜、白馬も、頂上まで上がったら雲の上に出て、こんなに素晴らしく見えたのかもしれません。(No632)

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007年8月17日 (金)

46年ぶりのアルプス

07071
 この、ももりメ、実は若い娘時代、ドテドテの山女でした。この夏、46年ぶりに、北アルプス、白馬山麓の八方尾根と栂池のハイキングツアーに行ってきました。かつて、20才の山女は、おっぱいみたいな突起が二つあってすぐわかる鹿島槍、大きな大きな五竜嶽、帰らずの剣をこえて、白馬槍、杓子、白馬の三山を越えて白馬大池まで、単独行で歩いたのでした。素晴らしい山行でしたが、山のことは、もう、思い出だけの世界、と、いうより、わざと、避けてきたかもしれません。あの美しかった山々が、人の手に触られまくって変わり果てた・・・昔の恋人を見たくない・・・みたいな気持ちでした。今回の旅は、その山々の、ホンの麓の散策です。当時のももりにとって、北アルプス後立山、白馬三山とはいえ、小屋がけの山行きは楽なものだったのです。なにしろ、ワンゲルでの山行といえば、20キロ以上のキスリングを背負い、水も飲ませてもらえず、「歩け、歩け」と追い立てられて歩いてたんですもの。水持ち、燃料持ち、食料持ち、テント持ち・・・テントや寝袋ったって進駐軍の放出品・・・今の若い人には分らないでしょうけれど・・・・つまり・・・アメリカ軍が手放した軍隊用の物品です。寝袋なんか、一晩寝て、朝、起きたら鳥小屋から鳥を盗んで出てきたみたい・・・羽だらけ・・・、テントもグランドシートも雨でも降れば、そりゃあ、もう、重くって・・・それに比べたら、小屋泊まりは、まあ、手ぶらみたいなもんだから・・・その当時は山のてっぺんしか、興味は無かったみたいだけど、麓には、こんな素晴らしいロマンチックなお花畑があったんですねえ。
07075
 八方池のお花畑も、栂池のお花畑も、沸きあがる霧の中に見え隠れする白馬も、霧の間にのぞく太陽に輝く雪渓も・・・・やっぱり、山は・・山は・・・昔のまんま、この老いた山女をやさしく迎えてくれました。(No631)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年8月11日 (土)

世界でたった一つの本物

07036_2

kjyuさんのコメントから

「ニューヨークの倉庫群に日本村を作るような文化の心を持った人物・財界人がいればいいのにと思います。」
 本当にすばらしい着眼ですね。アンディー・ウオーホールなんか、3億円も出して買い取るくらいならすぐ出来そうですが・・・本当にプロデュース、プレゼンテ-ションが、下手な日本人です。
 以前、ガラにもなく、京都で、講演を引き受けた事がありました。お相手は、事業で成功した社長さん達・・・まあ、超一流の人はいなかったのかもしれませんが・・・そこで、クダクダとしゃべった・・・結局、日本の芸術は、決してレベルは低くない。しかし、海外へ売り込む人間がいないだけだ。海外の「評価の決まった作品を、世界の顰蹙をかうほどの高価で買い取るう人はいるのに、自国の作品、作家を紹介しようとする人がいない・・・あなた方、成功なさった方々は、どうぞ、若い、日本のアーティストの作品を買ってあげてください」って1時間ほどもしゃべったのですが、その後、出た質問は、「リトグラフとかレプリカは価値が無いか??」というようなことでした。考えても、見て下さい。100枚ほども刷るリトグラフを買うんだったら、画家の肉声を聞くような、本物のほうが、遥かに良いと思うのですが・・・それに、そっちの方がはるかにお安い!!!!
 絵を見るときは、どうぞ、自分の目だけを信じて・・・描く方も、どうぞ、自分の感性だけを信じて・・・・
エ?誰ですか、その感性が、そのくらいだから・・・・その程度???ですって????それは、まあ、まああ、しょーないなあ。(No630)

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年8月10日 (金)

NYで個展ですって???

07068_3
 kjyuさんが、NYで個展を、と薦めてくださいますが・・・・ウーン・ウ・ウーン・・・・・
実は、ももりメはもう20年ほど前、NYで個展をした事があるのです。一躍有名にもならなかったし、お金持ちにもならなかった。NYに限らず、海外での個展っていうのは、恋の炎に身を焼くようなエネルギーが要ります。ももりには、もう・・・ちょっと・・・それにしても、自分から動いては、うまく商売人のカモにされかねませんし、誰か、しっかりした人の紹介がないと、展示はしてくれても、誰も見に来ないって言う事になりかねません。
 そう、NYに限らず、銀座だって、(???ももりは銀座で個展をしたことはない・・・実は・・・)先ず1階の良い場所は、もうほとんど画商が占領していますし、2階、3階、まして、10階なんて・・・DMを持った人しか見に入ってはくれません。なにしろ、見ず知らずの土地で、お客に見てもらうのは、何かコネがないと徒労に終わります。つまり、マネージャーの腕次第なんです。そういう意味ではマドリッドの個展は大成功だったのですが・・・・
07069
 ももりがNYで、個展をしたのは、丁度、バブル全盛期、NYの有名なビルを日本企業が次々と買い取って、NYがジャパン・マネーに乗っ取られるのではないかと危惧されていた頃でした。日本式養鶏をアメリカで展開して大成功し、「イセのたまご王」と呼ばれた日本人が買い取ったソーホの555ビル、当時は周辺で一番美しいといわれたビルでした。ブロードウエイの、プリンスとスプリングの間だったか???もう、ちょっと忘れました。「全館、アートに」という、壮大な計画で買い取られたビルの2人目の個展です。全く立地条件は素晴らしく、2階でした。費用200万円だって、当時は作れた。みんなで、頑張って学芸会気分でやり終えましたが・・・まあ・・・素晴らしい思い出です。あの時、「ぜひ、ここでやれ」と言ってくれたお坊様がいらした。以前、書いたことがあるんですけど・・・・
 今、そういう状況にありません。それに、絵って、描く人間は、売ることは下手と決まったもんです。だって、自分の絵は常に気に入らない。「こんなもんで、良いはずがない」って心の中で叫んでいるわけです。商売人じゃなし、「これは、素晴らしい作品で、作家はそのうちに有名に・・・」なんて言えたもんじゃありません。
 と、いうわけで、NYの個展はもう、思い出の世界。現実は???、・・・いつも、ブログでバクロしています。(NO629)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年8月 9日 (木)

アメリカという未知の国

07033
 ブログに書き込んでくださった、kjuさんのコメントから知った「ターシャ・デューダー」・・・ちっとも知らなかったのですけれど、ブログを渡り歩いてみると 「引き出しの沢山あるターシャは、高齢化となっても、年を取っていく事へ夢や希望、美しさを思い描く事が難しい私達に、「今が一番幸せ」という生き方を見せてくれます」っていう文章を見つけました。これは、これは・・・・早速、図書館へ行かなくっちゃ。
 考えてみれば、アメリカ人作家という意識を余り持たずに、結構、色んな文学に接しています。マーク・トウェイン、マーガレット・ミッチェル・・・ヘミングウエイ、スタインベック・・・・モンゴメリ・・・それに「大地」のパール・バックも確か、アメリカ人だったような・・・・
 絵描きにも、いるいる!!!・・・1950年代くらいからの、熱い抽象といわれた、既存の価値観を破壊したようなものや、ジャンクアートと呼ばれる、くずものをヒラヒラ貼り付けたような、マユツバもの・・は、まあ、NY的っていうことで知られています。あれ程、世間を騒がせておいて、今じゃ、「どうしてくれんの??」って感じですけれど、アンドリュー・ワイエス、グランマ・モーゼス、ジョージア・オキーフなんか、ステレオタイプのアメリカ的では全くない作家も、まだまだ知ってみる必要がありそうです。それにしても、ブログは、本当にお勉強をさせてくれて、うれしいことです。 (No268)

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年8月 8日 (水)

朝青龍さん・・・モンゴルへ帰してあげて

07034
 朝青龍さん・・・どうぞ、もう、ゆっくり、モンゴルへ・・・彼については、亭主とひどく意見が違います。ももりは・・・「もう、いいじゃないの」 そりゃあ、過去にも、色々問題はあったでしょう。でも・・・サッカーを遊び半分でするのと、相撲をとるのは全く違いますよ。というよりも、日本人が寄ってたかって、弱みを見せた人を攻撃するのを見たくない。モンゴルのウランバートル、行ったことがありますよ。もう20年ほども前ですが・・・何にも無い翡翠色の緑の草原に、土煙を上げて、軍用機が5分おきくらいに、飛び立っていました。空港と草原の堺もない・・・あの茫漠とした空間から、東京の相撲部屋へというのでは・・・閉所恐怖症かもしれませんよ。
 お話代わって・・・・阿部さんだって・・・・ まあ、可哀そうに、内側からまで攻め立てられてる。首相って地位は、たとえ、サッチャーだって、ブレアだって、チャーチルだって・・・辞める時は散々でした。惜しまれながら去った人なんていないんですから。イエ、小泉はんは別やったんかいな???でも、阿部さんを止めさせて、一体誰がやるの???もっとモット酷いザマになりますよ(No627)

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年8月 7日 (火)

ひまわり

07027
 今年はひまわりが手元にありません。亭主が仕事で、畑が放ぉったらかしだから・・・・花屋で買うひまわりは、絵を描く気にはなりません。野生のひまわりこそ命そのもの。まっすぐ伸びて、カッーッと口を開けて笑った堂々としたヤツ、折れ曲がって、ひねくれて、でも、頭をもたげたクセの強いヤツ、まだ、開ききらないオボコ娘、それに、モットモット魅力的と思うのは、思いっきり咲いて枯れかかった年増・・・グターッと重たげに首を垂れて、もう色も変わってるのに、凝縮したような黄色の花びらが縮れてチリチリ・・・・あ・あ・あ・・・・植物園にでも行って来ようかなあ???熱中症にでもなりそうな・・・ウ・ウーン・・・安易な所で涼しい映画館!!!「ハリー・ポッター」にしとこうか???(No626)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年8月 4日 (土)

旧約聖書

07068_2
「旧約聖書」ほど、面白い文学はないと思っています。あえて、文学と言っていますがお許しください。ももりはクリスチャンでも、ユダヤ教でもありませんし、難解な「聖書」は、ももりの頭では読めないので、旧約聖書の周辺の歴史解説とか、子供向きの聖書の絵本とか、一時は集めていました。子供向きの聖書は、特にヨーロッパの絵本は、さし絵が、決まって素晴らしいのです。日本のは残念ながら・・・ヘタウマ調です・・・イマイチ・・・
 ロンドンのセント・ポール寺院で買った分厚い絵本の聖書は、ももりの宝物です。アッシリアの残酷な王が、ヘブライ民族を征服したくだりは、その中でも、一番ドラマチックです。それにしても、聖書に繰り返し語られるのは、思い上がった、贅沢な人間に神の鉄槌が下るということ・・・私達日本人も今こそ、悔い改めよ・・・って、状態に違いないと思います。
 それにしても、「エデンの園」を追い出された人間たち。エデンってシュメール語だとか???今、現在の日本がきっと、エデンの園・・・あまりにも、思い上がり、モットモットと貪欲な日本人よ・・・やがて追放されるのではないか・・・と、とても、不安なのです。
 
http://www.geocities.jp/wgwxw444/701rekisi/index.html
 
 昨日に引き続きSUKIPIOさんの貴重なコメントを下にアップしましたのでゼヒゼヒ・・・

 古アッシリア時代の紀元前14世紀にヒッタイトと手を結び、1350年以降ミタンニを攻撃してミタンニ王国の属国の立場から独立し、北部メソポタミアを回復、富強な王国を復活させる事になり、アッシリア帝国(後期アッシリア)時代に入りますと、イスラエル王国を紀元前722年に滅ぼします。
現在のイラクから発掘された王碑文では、サルゴン2世がイスラエルから大勢の捕囚を強制連行したことが誇らしげに記されていました。
そのイスラエル王国を滅ぼしたサルゴン2世のカラクの北西宮殿の主要出入り口に置かれたいたものから発掘された大理石のアラバスター製の守護神獣像(ももりさんの、スケッチ)が、浮彫などの平面的な美術において優れた遺品とされ、イギリスのロンドンにある大英博物館にあります。(No625)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年8月 3日 (金)

大英帝国の泥棒博物館

Ingland103
 スケッチは大英博物館に展示されている、アッシリアの巨大な人面有翼獅子像。今回の、「ペルシャ文明展」の入り口には1/4の同じような像のレプリカが作られていたけど、顔は壊されていてありません。大体、イスラムでは偶像を禁止しているとかで、イスラム教徒に、顔を壊された神像や彫刻はヨーロッパでは、実によく見かけます。有名な、カイロのスフィンクスだって、顔が無い。タリバンが石仏を壊したのも記憶に新しい蛮行でした。
 この、世界4大文明の地、チグリス・ユーフラテス両河の間、メソポタミアから、地中海西海岸のシリア、パレスチナを経てエジプトへ、このルートは黄金の三日月型地帯と呼ばれる肥沃な土地です。周囲の砂漠の中に際立つ緑は、周辺に住む遊牧民の垂涎の土地だった事は、ももりにも痛いようにわかります。フェニキア、シュメール、アッシリア、ヒッタイト・・・・砂漠の民は好戦的です。入り乱れて興亡しました。でも、・・・現在、大英博物館やルーブル、NYのメトロポリタンなどに展示されている、この地の出来の良い逸品たち。これらは、先進国が、どれほど、これらの国々から収奪したかの証拠のように、見えてなりません。(No624)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年8月 2日 (木)

ペルシャの歴史・・ペルシャ文明展3

Isyutaru461
 美術の分野から見る限り、芸術は古くなるほど面白いと常々思っています。この地に、実に魅力的な、残酷な、芸術が残されている事は知っていました。でも、さあ、順序だてて追ってみようと思うと、もう・・・とても、とても・・・呆然と、ただ呆然と眺めるばかり、ため息ばかり。そこへ、SUKIPIO さんが、実に、手際よくまとめたペルシャという国の歴史をコメントして下さいましたので、ここに拝借させていただきました。以下・・・SUKIPIOさんのコメントより・・・
 
 ペルシャの歴史は、先史時代を含めるとおよそ7000年前にさかのぼります。メソポタミア文明と表裏一体でありながら独自の都市文明を開花させました。文明の初期の中心となったのは民族系統が不明であるシュメール人である。北部がアッシリア、南部がバビロニアで、バビロニアのうち北部バビロニアがアッカド、下流地域の南部バビロニアがシュメールとさらに分けられます。
紀元前2000年ごろには、遊牧民族アーリア人がイラン高原に移住し、彼らの住みついた土地が「パールサ(辺境)」と呼ばれたことが「ペルシャ」の呼び名の由来となりました。
よって、ペルシャ文明の発祥は、イラン高原から始まります。
そこでは、農耕・牧畜・狩猟などの生活形態が主で、スサの町を中心にエラム人による国家形成も始まりました。
彼らは、メソポタミアとイラン高原との間の交易を仲介する立場にあり、楔形文字を借用して、錫、原鉱石などを持ち込みます。

BC1450年、アッシリアがバビロンを征服してオリエントを統一する。アッシリア勢力を増してくると、次第にエラム人の勢力が衰えてきます。
BC700年、新バビロニア (カルディア)がアッシリアを滅ぼし、BC612ニネベ陥落。
ネブカドネザル王(BC605~562)バビロンの繁栄。
BC1300頃、アッシリアとは別に、アーリア人(ペルシャ人と同じ)が、イラン高原を目指して南下する。このアーリア人の部族がイラン発祥の地はファールス(古代名パーサル地方)に定着したので、ペルシアと呼ばれるようになった様です。
BC522年、このアーリア人がイラン高原からエジプトにまで侵略していき、やがて登場するダリウス一世が、アケメネス朝ペルシャ(イラン初の統一国家)を確立する事になります。
BC334~330年、マケドニアの大王アレクサンドロスの東方遠征により、イッソスの戦い、そしてアルベラの戦いで大敗します。
BC330年、ダリウス三世はアケメネス朝最後の王となり、アケメネス朝ペルシャは滅ぼされます。
しかし、アレクサンドロス大王(大王の統治BC330~323)は、東方遠征の途中バビロンで33歳という短い生涯を終えてしまう事で、後継者争いの末、帝国は、いくつかに分断される事となります。
その内のシリア・バビロニア・イラン高原の地は、バビロニアのセレウコスが譲り受け、BC301年、セレウコス朝シリアが誕生します。
BC141年、セレウコス朝は、ローマの将軍ポンペイウスによって滅ぼされます。
セレウコス朝の滅亡以前のBC248年、パルティアという(スキタイの子孫の一派の遊牧民による)国が独立をしていました。
BC141年、アルサケス朝パルティア(首都クテシフォン)がイランに侵入し・・・西のセレウコス朝と東のバクトリアを遮断した。
AD224年、内乱によって衰え、イラン南部より興ったササン朝によって完全に滅びてしまいます。
AD226年、ササン朝ペルシャは、アルデシール一世(226~241)によって開かれます。
でも、この王朝の起源については、まだ不明な点が多い様です。
ササン朝は、アケメネス朝ペルシャの復興を目標とし、ゾロアスター教を国教とした王朝です。
636年、カーディシーアの戦いで、ウマイヤ朝に敗れ、642年、ネハーバンドの戦いにも敗れ、事実上の滅亡となり、イラン人がアラビア人の支配を受け、イスラム化された最初の非アラブ国が造られる事になります。
651年、30代続いた、ササン朝ペルシャは滅亡となります。
745~750年、アッパーズ朝の支配。
875~999年、サーマン朝の治下 首都ブハラ。
10Cガズニ朝→セルジュク朝→イルハン国(フラグ 1218~1265)→チムール(モンゴル)
スーフィが起源 1252~1334年、サーフィ(イスラム神秘主義サファビー教団が元祖)
1501~1736年、サファビー朝シーア派ペルシャを統一する王朝 。800年ぶりに出現したイラン的王朝。
1722年、アフガニスタンの進攻 アフガン族マファームドに降伏。
1736年、アフシャール朝 アフガニスタン (カンダハル中心)の進攻で王朝崩壊。
ナーデルシャーの治世・・1736王位につくアジアに於ける最後の征服王朝アフガン族を破り、イスファファンを奪回する。1747年、暗殺される。
1757~94年、ザンド朝、遊牧民の一部族サンド゙族。
カリムハーン(1750~79)イラン全土を支配し、シラーズを都とするも、わずか29年の平和と繁栄に終る。
1796~97年、ロシア、ペルシャ戦争。
1796~1925年、カジャール朝、カジャール族(サファビー朝のシャーイスマーイエルの軍事力の中核をなしたキジルバーシをつくる7つのトルコ部族のひとつで、オスマントルコがスルタンカリフの権力をもっている)
その後、トルコ等の異民族支配を受けつつもペルシャ人としてのアイデンティティーを保持し、第1次大戦後イギリスが占領後、1921年、コサック旅団(2,500)の大佐だったアリーレザーでクーデター。
1925年にパフラヴィ(パーレビ)朝が成立。
1979年、ホメイニ師の指導のもと成就したイスラム革命により現体制となる。イラン・イラク紛争(1980年~1990年)及びホメイニ師逝去後、1989年にハメネイ大統領が最高指導者に選出され、ラフサンジャニ政権(2期8年)。ハタミ政権(2期8年)を経ます。
2005年8月に、アフマディネジャード政権が発足する事になります。

 ももりには、とても手の出ない領域ですので、拝借させていただきました。ちょっと、この頭には入りきらないなあ。ペルシャの宗教は、イスラム以前は、ゾロアスター教で、つまり、拝火教です。地下の石油の油田から漏れ出す天然ガスが、その消える事のない火だったんですって。スケッチがドイツのペルガモン博物館の復元(No623)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年8月 1日 (水)

イランとペルシャ  ペルシャ文明展-2

Greec003
 ペルシャと言う国が一体、何時、どのようにして、イランに代わったのか???イランっていうと「ホメイニ師」を思い出して、「イスラム原理主義」を連想してしまいます。もし、「イラン文明展」だったら、ももりは、わざわざ大阪まで行かなかったかもしれません。
 ペルシャっていうと、もっともっと大きな国だったような????一昨日書いた「アラビアンナイト」のお話。 あれは、ふと、頭の中を流れた美しい「シェラザード」の曲から書いたのですけれど、でも、あのお話はアラビアのお話だったよね。つまり、バクダッドが舞台っていうから、今はイラクっていうことか??今のイランとペルシャってどう違うの???およそ、とんでもない初歩的疑問を感じて、昨日は本を渡り歩いていました。いいのよねえ。この、何にも、強制されない、自分の無知素朴な疑問に、時間なんか関係なくアッチの本を見たり、こっちの本へ寄り道したり・・・・そして、結局・・・・イランっていつ出来た国なの???
  昨日1日、グダグダして、やっとわかったことは、ペルシャ最後のカジャール王朝は、1923年に廃止されたとのこと。1905年~11年にイラン立憲革命が成ったということでした。でも、面白い記事を見つけましたよ。

以下、横山三四郎「ペルシャ湾」より

 真珠採りたちの静かな海だったペルシャ湾は、石油採取の始まりとともに新しい魅力を加え、・・・緊張をはらむようになる。戦争を通じて石油の貴重さ、重要さを知った欧米諸国は、ペルシャ湾とその周辺に貪欲な目を向けた。もはや、草木に生えない不毛の地と見られた砂漠さえもが、怪しい輝きを放っているように見えた。・・・・中略・・・石油価格が高騰して・・・・中略・・・湾岸の国々は、それぞれが突然、世界有数の金持国へと変わっていった。真珠採りや密輸業者たち、海族の子孫たちは、降ってわいたような富の分け前を受け、らくだの代わりにアメリカ製の高級車に乗り、フランスの香水や日本の電気製品など、あらゆる世界の文明の成果がペルシャ湾に殺到した。・・・・ですって・・・横山氏はイラン・イラク戦争の時、サンケイ新聞海外特派員としてテヘランにいた人、さすが・・・この「ペルシャ湾」っていう本は読ませます。スケッチはアラブ首長国連盟のドバイ空港にて(No622)
 
 ペルシャ文明展へは
http://www.mus-his.city.osaka.jp/

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2007年7月 | トップページ | 2007年9月 »