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2007年6月13日 (水)

ブログって面白い!!!

Ingland048

 今頃、改めて、ブログの面白さに目を見開いています。コメントを書き込んでくださる方々の見識の高さが、ももりの拙ないブログを補って余りあるのです。皆様ゼヒゼヒ、コメントの方々のブログへお出ましください。

 スケッチは、スコットランドのスターリング城。メアリ女王の父がフランスから迎えた王妃、マリー ド ギーズのために建てたフランス風の宮殿。フランスから建築家も呼び寄せたとのこと。石材は長年の煙で、真っ黒くすすけて黒ずんでいますけど、完成した頃は、どんなに華やかだったことでしょう。でも、左下の赤い出入り口の奥には、ライオンを飼っていたという、鉄格子の小部屋がいくつかあり、当時の時代精神をかいま見せています。この、崖っぷちの石の城で、真っ暗な夜にライオンの吼え声が響き渡ったかと思うと、ちょっとゾーッとします。城はまだまだ砦で、後世のベルサイユやシェーンブルン宮殿など、豪華な生活や文化を誇る生活空間とはまるで違って、野生的です。この城で育ったメアリがフランス宮廷にお嫁入りした事は、以前にお話しました。フランスの大勢力、ギーズ家が後ろに控えて、メアリは、チヤホヤと育てられます。このときの姑が、カトリーヌ・ド・メディチ・・・・
 もう、こんな事、お喋りしだしたら、止まらない・・・メアリの夫となる王子フランソワは、生まれついての虚弱体質・・・母親、カトリーヌ・ド・メディチが、何とか妊娠したいと、いろんな薬を飲んだからだ・・・とか???メディチ家は、もともとフィレンツェの薬屋。タップリの持参金を目当にフランス王家に迎えられた花嫁は空閨に悩んでいました。といのも、自分の亭主、つまりフランス国王、アンリ2世は自分の母親ほども年上のディアヌ・ド・ポアティエにすっかり心を奪われていたんです・・・つまりぃ・・・・後々、エリザベスとメアリ、2人の、イングランドとスコットランドの王冠をめぐっての、様々なドラマは2人の幼少時代、一方は、2歳で母親をロンドン塔で斬首され、一方は何不自由なくみんなの宝物として、育てられた人間性の違いが、結局2人のその後を決めた・・・と思うのです。エリザベスは大英帝国の不動の基礎を固め、スコットランド女王のメアリは、スコットランドの王冠もイングランドの王冠も、自らのヘタな世渡りのために捨ててしまった・・・でも、・・・だからこそ、人間臭いっていうか・・・女だ・・・っていうか・・・???Ingland003_1

見苦しい顔が邪魔になって申し訳ない・・・エリザベス1世・・・マダム・タッソー蝋人形館で(No598)

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コメント

今の記事はkju96でした。

投稿: kju96 | 2007年6月13日 (水) 21時46分

こんばんわ
ももりワールド炸裂ですね。
エリザベスとメアリ・・・そしてマリー ド ギーズに
カトリーヌ・ド・メディチ。
ヨーロッパは女で作られたのですね。
女性にスポットを宛て、ヨーロッパの王朝を調べてみようかなと
ももりさんに刺激されています。
カトリーヌ・ド・メディチと言えばフランス料理の原型を作った人
彼女がイタリアから連れてきた料理人たち・・・でしょうか。
彼女は・・・魅力的ですね。
これを機会にスコットランドとイギリスも勉強します。
ももりさんが行かれたスターリング城は、後ろの方に軍隊があったのでは
なかったかと・・・スコットランドも似たところが多いので間違いかも知れません。20年前ですから。

投稿: | 2007年6月13日 (水) 21時44分

いえいえ少しも見劣りなんかしていませんよ。絵の一部かと思いましたから。王室を私物化した典型ですね、ライオン 私も飼いたいと思っています、出来る事なら!

投稿: nyar-nyar | 2007年6月13日 (水) 21時23分

調子に乗って、またコメントをさせて頂きました。

マダム・タッソー蝋人形館では、こんなに人形に接近できるのですね。
ももりさんも、笑顔が明るく表情も輝いておられて、この館の主達に決して負けていませんよ。

フリードリヒ・フォン・シラーは、戯曲・「マリア・ストゥアルト」(また、メアリ・スチュアート)を1799年からほぼまる一年をかけて執筆し、1800年6月14日のワイマール(ドイツ) で発行されており、出来あっがてみると「マリア・ストゥアルト」は、全5幕、52場からなる大作悲劇となっていました。
1834年ガエターノ・ドニゼッティは、題材をこのシラーの戯曲「マリア・ストゥアルト」とし、ジュゼッペ・バルダーリという、まだ17歳の法律を学ぶ学生に台本を手掛けさせ、7月の半ばにはその台本も完成し、前後してドニゼッティも10月のナポリ上演を目標に急ぎ作曲をしたのですが、直前に禁止となり、結局改編を受けた上で初演は35年12月30日ミラノとなった様です。
上演は大評判となり、シラーの代表作の一つとなったのですが、禁止の通達は、両シチリア王国の国王フェルディナンド2世からもたらされていた様で、理由は定かではないのですが、マリア・スチュアートの時代もそうでした様に複雑に入り組んだヨーロッパの王室の血統を考えれば、クレームも何処からか出てきた様にも考えられますね。
また、ヘンリー8世が、アンの不貞のうわさによって1536年、アンを処刑したとされる悲劇をモデルにした、やはりドニゼッティの「アンナ・ボレーナ」があります。

投稿: SUKIPIO | 2007年6月13日 (水) 18時03分

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