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2007年6月30日 (土)

生きながら器に撒きついた藤の花

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 昨日、友人がお茶に呼んでくれました。茶道は、4回習い始めて、4回止めたっていう根気ナシのももりでしたが、「気軽に来てね」っていうことで、お呼ばれを楽しみました。
 もう、ズーッと古いことになりますが、焼き物に興味を持っていた時期がありました。骨董も多少は買いました。絵や書をやっていて、陶芸家とお知り合いになることも、よくあったものですから。その中で、全く惚れこんで買った、ある作家の水差しがありました。
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 お茶をやるという事もなく、ただ、その藤の絵に、ゾッコン惚れて買い求めたのです。当時は、今よりは、フトコロ具合も楽だったようで・・・
 ある時、友人に連れられて行った岐阜県の「掌一行」と言う人の釜場。かれは、織部を焼いている作家ですが、その1000坪以上はあるというお屋敷。そのお屋敷は、もう、荒れ放題で、藪には竹が密生し、垣根の椿が巨大な城砦のように屋敷を囲んでいました。その一隅に大きな杉の木があって、なんと、その高いテッペンまで、藤が撒きついていたのです。「これが、咲いたら凄いでしょうね」って、お話した後、工房で見たのがこの藤の絵の水差し。この絵は、この藤の木と生活してる人にしか描けない、と思ったのです。
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ずーっと,時に、お花を入れるくらいで、棚で干物になっていました。自分では使えないのですから。そこで、お茶をやっている友人に進呈しました。そしたら、その水差しのお披露目をしてくれたのです。心尽くしの蕎麦会席、そして、お濃茶、そのあとお薄をいただきました。美しくも可憐なアジサイのお菓子も素晴らしかったですよ。どうやら、あの水差しは、本当に心地の良いお茶室を見つけたようで、本当にうれしかったです。後日聞いたのですが、あの、荒れ放題のお庭は作家さんが有名になられて、すっかりきれいにされてしまったそうです。あの、荒んだお庭・・・なんとも、野趣溢れた豪放なお庭が好きやったなあ。(No610)

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2007年6月28日 (木)

アトリエ桃源展のお知らせ

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 いよいよ、アトリエ桃源展が近づきました。ももりメが軸になって、楽しんでいる会のグループ展です。絵を描くことも楽しいですけど、お茶もおしゃべりも・・・ホント仲良しのグループです。それに、みんな中々活躍しています。大きな公募展に出品したり、幼稚園に絵が飾られるようになった方、個展をされた方もいらっしゃいますよ。ゼヒゼヒ・・・
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 この絵は丁度同じ時期に京都府立文化芸術会館であります「日本水彩京都支部展」に出品します40号「楽園追放」です。理屈っぽい絵ですけど・・・旧約聖書のアダムとイヴは、神の教えに背いた罪で楽園を追放されます。現代人も、余りにも好き勝手してたら、楽園を追放されるのではないか・・・と???エッ・・・もう、追放された???ももりは、木曜日と土曜日以外はどちらかにいるでしょう。おついでがあればゼヒゼヒ・・(No609)

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2007年6月27日 (水)

イギリス議会のまね事は

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 SUKIPIOさんから、詳細なイギリス議会の記事をいただきました。ももり一人が読むのはもったいない。ちょっと難しいですが・・・ももり風、ごく大雑把なイギリス議会のあらましをその前にお読みください。
 イギリスは北から襲いかかったノルマン人に圧倒されて、サクソン人は、すっかり力を弱めました。貴族が姿を消し、ノルマンの王家に力が集中しましたが、スコットランドやウェールズ、フランスなどと常に戦っていて、国庫は常に火の車。そこで、税を取り立てようとしましたが、貴族たちは当然猛反対します。

  1215年  マグナ・カルタ  王家が勝手に税を取り立てられないように、貴族たちの権利を確認。  
  1295年  模範議会   ちっとも模範的ではなかったらしいけど、貴族、州、都市代表者、聖職者代表と議会を開く
 先日来、ズーッとクダクダ言ってきました、スコットランドのメアリ。そのメアリの生んだ息子がジェームズ1世。エリザベス1世の後を継ぎました。彼は、「王権神授説」を打ち出し、議会と対立しました。その息子チャールズ 1世が、どうしても、戦費の調達が必要と、再び議会を召集しました。同じ頃、アイルランドやスコットランドで、相次ぐカトリックの反乱。やがて、国王の軍は反乱鎮圧に名をかりて、議会を制圧するのでは???と恐れた議会は国王派と、反国王派に分裂。イングランドは内乱になります。それをおさめたのが、オリヴァー・クロムウエル。
  1649年  クロムウエルは、チャールズ1世を、斬首
 どうですか???イギリス議会って、全く甘くない、シビアで長い歴史を持っているのです。

 結局、クロムウエルの共和制政府、実態はクロムウエルの軍事的独裁ですが、彼の死によって終わり、フランスへ逃れていたチャールズ2世が戻ってきて、議会の承認を得て王位につきました。クロムウエルの遺体は堀り起こされ、辱められたといいます。
 日本の議会政治って、野党なんか、ちっとも、存在価値が無いのは、イギリス議会のような激しい歴史が無いからか???スケッチはシェークスピアの生家

SUKIPIOさんのコメントが、議会制度をしっかり解説して下さっていますので、ゼヒゼヒお読みください。下に貼り付けさせていただきました。

 1640年、チャールズ1世は議会(長期議会)を召集したものの、90名の兵士と共に庶民院(下院)に乗込み反対派を逮捕しようとした事から清教徒革命が始まりますが、以来、国王といえども下院には足を踏み入れない事が慣例となっており、議会の開会宣言は下院議員も上院会場に集まって行なわれています。
日本と同じく立憲君主制ですが成文憲法はなく、制定法より上位の憲法がない為、議会の優位が確立されている国家で、英国の議院内閣制では閣僚は全員が国会議員から選ばれるしくみであり、日本より数段強い権限を議会が有しており、通常の立法手続によって憲法的要素をもつ法律を改正する事ができます。そして司法に「違憲審査権」はありません。英国上院は世襲の貴族院であり、従って政権は下院選挙で決まります。

英国が階級社会であることは周知の通りですが、熟成された民主政治への参加はあらゆる階層の人々に開かれています。そこを基本として、以下資料参照。
おおまかに云いますと、政治が常に人々の身近にあり日常的な存在である英国と、選挙のときだけ話題になる日本の違いは、政治家の前職が、日本の様に、ほぼ決まった前職ではなく、あらゆる分野からの人材が候補となります。
また、英国の下院議員候補者になるのに、日本でいう地盤やカバン(候補者本人が拠出する莫大な政治資金)は必要なく、選挙を戦うための資源は政党がすべて用意される。必要なのは国を導く能力、リーダーとしての資質だけであって、立候補を目指す者は、まず党本部の選考会に応募する。そこで書類審査、面接、合宿選考を経て、「候補者の候補」リスト(=候補者の人材プール)に登録される。
政党は、自党のセーフシートを党首・閣僚など党の中心メンバーにあて、選挙の労力を軽減する一方で、マージナルシート、つまり相手方のセーフシートを新人候補にあて、彼らのトレーニングの場とする。そして、ここで新人の能力を査定し、有能だと判断した人物を次の選挙でより当選確実な選挙区へ移す。従って、ほとんど全ての下院議員がマージナルシートを経験しています。
このような仕組みを可能にしているのは、有権者と政党の強い結びつきであり、また、英国では、政治家は選挙区へ利益誘導できないので、日本のような地縁による有権者と候補者個人の密接な関係はない。それ故、候補者の選挙区替えが頻繁に行われ、候補者はどこへ行っても変わらぬ支援を受けられる。ちなみにチャーチルは選挙区を5回変わっているそうです。これは、政党の支部が有権者の政治意識の受け皿として機能していることに因るとされてます。
こうして選挙は、政党と政党の戦いになり、マニフェスト(政策要綱)と党首の二つの要素が重要になる。選挙で勝った党の党首はそのまま首相に、内閣または影の内閣のメンバーはほぼそのまま内閣のメンバーとなります。
基本的には、政治家とは、主権者たる国民が民主主義選挙によって選出した「国民の代表」です。その意味する事は「主権者たる国民の代表たる政治家の失政 = 国民の責任」という事です。それが「議会制民主主義」であり「主権在民」なので、その意味では英国は、ハッキリしており、解り易いのではないでしょうか(No608)

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2007年6月26日 (火)

民主党議員も・・・

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 阿部首相始め、内閣では、給料の一部を自主返還。社保庁でも、村瀬長官が職員に返還を求めました。「戻せ。戻せ」・・・って、ももりは応援します。でも、民主党だって、戻してよ。だって、厚かましい、分に過ぎた昇給を求めてのサボタージュが自治労主導で、行なわれていたっていうじゃありませんか。自治労なら、民主党って、短絡すぎるんでしょうか。
 
 イギリスは、2院制が機能しているようです。「ゆりかごから墓場まで」と、社会福祉を掲げた結果、困難な「英国病」を病んで、深刻な不況に陥ります。倒産、失業、貧富の差の拡大、労組との関係も常に険悪でした。労働党から保守党へ、又、労働党へ・・・そして、保守党のサッチャー政権。福祉政策が労働意欲を抑え、経済の低迷を招いたとして、弱者救済より、経済優先・・・労働組合が一層激しく反発する中、サッチャーも危ういという、まさにその時、、フォークランド紛争が勃発。断固とした処置は国民のナショナリスムに火をつけました。しかしサッチャーも、「人頭税」で失速、労働党のブレア政権が誕生。・・・日本の野党って???「口から出まかせの文句はつけるけど・・・何の役にも立ってない!!!」スケッチはシェークスピアの奥さん、アン・ハザウェイの家(No607)
 

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2007年6月22日 (金)

不動産屋と土建屋に乗っとられた???日本

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 スケッチはチャーチルの生まれた、ブレナム宮殿。チャーチルは大貴族の家に生まれ、根っからの軍人でしたが、新聞記者、政治家として、特に第一次、第2次世界大戦に活躍したバリバリの硬派です。広大な宮殿は、バッキンガム宮殿とは、又、趣が違うけれどその規模においては、勝るとも劣らないでしょう。
 イギリスは今も300家族の貴族が国土の25パーセントを占めているとか???未だに、ジェントリって言う地主階級も健在で50パーセントは彼らが所有していると聞きました。ブレアさんが、世襲議員の世襲の資格を大幅に制限、やっと、92名にできたって言いますから、貴族っていう古典的な存在が、今も営々と国土を守っています。
 日本が戦後、「農地解放」とて、土地を小作民に分けた、そして、今では、土建屋に仕事を与えるための、列島改造???全く・・・改悪!!!税金をガッポリ注ぎ込んで、国土はガレた地肌が至るところでむき出しになっています。今も、営々と作り上げた宝物のような農地を、平然と潰して、ヤニコイ、ケッタイな小さな家を建てて、切り売り。本当にこんなことで良いはずがありません。大きく、日本という国土としてとらえること無く、小まぎれにして、不動産屋が利権アサリ・・・
 以前、親戚のおじいちゃんが言ってたなあ。
「さっさと土地を手放したんは、戦後、ただで土地をもろた小作人ばっかりや」って。(No606)

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2007年6月21日 (木)

ロンドンデリーの歌 アイルランド民謡

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 昨日書きました「ロンドンデリーの歌」アイルランド民謡です。

わが子よ いとしの汝を 
父君の形見とし
心して いつくしみつ 
今日まで 育て上げぬ
古き家を巣立ちして 
今はた 汝は何処
弱き母の 影さえも、
雄々しき 汝には 見えず

2番目の歌詞をどうしても書きたくなりました

はてしもなき 彼の路の
あなたに 汝は行きぬ
むなしき わが家を見れば
亡き父君 おもわる
足元の草むらより
立つは さえずる雲雀
ああ我も 強く立ちて
わが家の 栄誉(ほまれ)を守らん
 
戦さに旅立った息子、きっと父も戦で死んだ・・・しかし、母は、形見として慈しんで成長した息子を再び戦場へ・・・雄々しく巣立った息子を誇りとし、そして、母自らも、我が家のほまれを守る・・・・
「ジョンブル精神」っていう言葉を何度か、コメントに書き込んで下さいましたミーシャさん、kjuさん・・・騎士道精神とでもいうのでしょうか・今の日本からはすっかり消えてしまった・・・そう、今、戦さに出かけたら、ミサイルや機関銃で一斉射撃・・・ロマンとはおよそ縁の無いヒドイ時代になりました。スケッチは湖水地方(No605)Ingland055_1


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2007年6月20日 (水)

「美しき」・・・スコットランドの釣り鐘草

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 美しき 吾が子や何処
 美しき 我が上の子は
 弓とりて 君のみ先に 
 勇みたちて 別れゆきにけり
「美しき」は「スコットランドの釣り鐘草」ともいいます。とてもよく歌われる歌ですね。息子が、一人ずつ、3人とも、君のために、お国のためにと出征してしまった、残された母親を歌っています。スコットランドの民謡って本当に心に沁み入ります。
余りにも有名な「蛍の光」や「アニー・ローリー」「ロッホ・ローモンド」「夕空晴れて」など・・・日本の旋律と共通するんですって。

 わが子よ いとしの汝を 父君の形見とし
 心して いつくしみつ 
 今日まで 育て上げぬ
 古き家を巣立ちして 
 今はた 汝は何処
 弱き母の 影さえも、
 雄々しき 汝には 見えず

・・・・・・どうですか???もぉお・・・この歌はアイルランド民謡で、「ロンドンデリーの歌」です。「庭の千草」を知らない人はいないでしょう。これも、アイルランド民謡です。
 アイルランドとスコットランドがイングランドの連合国になったのは、ほんの300年ほど前。イングランドに比べると、山野は野生的で、国民性も剛直なのでしょうか。もう一度、行けるものなら、今度はスコットランドとアイルランドへ・・・・あ・あ・あ・命ある間に・・・

 先日来、ずーっとクダクダ書いていました、イングランドのエリザベス1世女王と、スコットランドのメアリ女王。この2人の女王の戦いはエリザベスの父、ヘンリー8世が、エリザベスの身分を庶子にしたまま死んだため、メアリの方が王位継承権には近かった、ということでした。念のため・・・
 結局、エリザベスは海賊「キャプテン・ドレイク」に、兵や船を与えて、スペイン船を攻撃。南米から、金や銀を運んで、本国スペインへ帰る途中のスペイン船を襲わせました。キャプテン・ドレイクは、やがて「サー」になります。怒ったスペインの無敵艦隊を壊滅的にやっつけて、大英帝国の礎えを築いたことは、もう、皆様、ご存知のとおりです。スケッチ、上は、エジンバラにて、ホテルの前の教会 朝4時50分・・・朝日にバラ色に輝いた「St MARY]
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スケッチはリンギスゴー宮殿。エジンバラとスターリングを結ぶ高速道路沿いに、チラッと見えただけ。メアリが生まれ、歴代の王に愛された離宮でしたが、メアリの息子、ジェームス1世は早くからイングランドに育ち、スコットランドを恋しがる事はなく、今では廃墟だと言うじゃありませんか・・・・幽霊だって出るっていうし・・・やっぱり・・・こんなのこそ、見たいのよねえ。(No604)

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2007年6月18日 (月)

文学ばあちゃん イギリスへ行く

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 久しぶりに胸をときめかせて・・・離れがたい思いで、「嵐が丘」の本から離れ、パソコンに向かっています。高校生の頃のような気分。文学少女って言うような繊細な響きにはホド遠かったけど、子供の時から本は大好き、詩や小説らしきものを書いていた高校時代。友人に読んでもらったら「何を言いたいのかわからへん」ですって。もう、それっきり・・・それっきり・・・たった1篇のももり処女作はこの世から消滅しました。 
 先のイギリスの旅でシャルロッテ、エミリー、アン姉妹の住んだという小さな村ハワースを訪れました。父親が牧師として赴任していた教会、神経衰弱になった父親が、毎夜、教会に撃ち込んだという銃痕も残っていました。教会の敷地にはお墓が一杯。本当に幽霊が歩き回っているような・・・森閑とした・・・イエイエ、観光客も結構いて・・でも、ドラマを生みそうな、中世のままみたいな田舎でした。
 昨日から、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」を読み始めました。映画では、確かに見たけど・・・ 先のイギリスの旅で、その舞台、「嵐が丘」を歩いてきましたので、もう一度、読み返してみようと本を買ってきました。ヒース以外は生えないと言う嵐が丘を、ももりが歩いた日は、雲足の速い晴れたり曇ったりの日でしたけれど、この小説のように、雪が降ったらすぐに道はわからなくなるでしょう。そんな、小高いのっぺりした丘でした。実際、降りる道を間違えて、男性が二人、40分ほど遅れて合流しました。スケッチは嵐が丘・・・この丘に怪しげな真っ黒な雲が湧き上がり、雪になるって想像すると・・・やっぱり気分はロマンチックな文学少女・・・うれしいじゃあないですか。この年で文学少女の気分なんて・・・
 文学ばあちゃんって言葉があってもいいじゃない???このところ、エリザベス1世前後のややこしい本を系図とメモ用紙を片手に、ウンウン言いながら読んでたんですもの。(No603)
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ヒースは赤茶けた、海草の「あらめ」みたいな色の潅木。間もなくピンクの花が咲くそうな・・・そういえば、サンチアゴ巡礼道にも一杯咲いてたあの花らしい・・・

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2007年6月17日 (日)

古代人は宇宙人 イギリス便り

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 ご存知ストーン・ヘンジ・・・真ったいらなソールズベリーの平原を走り続け、忽然と目の前の現れる不思議な構築物。ストーン・ヘンジ。さあ、飛鳥石舞台と比べて???  古代の人々は、どうして、どのようにして??こんなものを造ったのか???丁度、影が放射状に180度に広がるところもあって、「これはきっと、このポイントが宇宙との交信にピッタリだったのか???」なあんて、科学にはサッパリの、ももりの頭は幼稚です。古代人はこのサークルの周辺を、ハッシシなんか飲んで、狂ったように踊った???なあんて、まあ・・難しいことはかしこい学者サマにまかせて・・(No602)Ingland090

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2007年6月16日 (土)

宗教は人を救うか・・イギリス便り

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 イングランドとスコトットランド・・・ずーっと、イライラと、戦ってばかりいましたが、背景に宗教の違いがありました。カトリックとプロテスタント・・・イギリスのヘンリー8世が離婚のためとて、ローマから離れ、イギリス国教会を建てたことはお話しました。スコットランドはカトリック、お互いに信じる宗教のためと、戦っていますが、実は、領土的野心や、まいないを貰って従っているのです。
 1547年、ヘンリー8世の死後、王位を継いだ王子エドワ-ドは、15歳で死にます。後を継いだのが「ブラッディーメアリ」と呼ばれる、最初の妻とのあいだに生まれた娘・・・この辺り、スコットランドのメアリとか、ややこしいけど別人です。彼女は長く弾圧されていたカトリックに戻そうと、激しくプロテスタントを弾圧しました。そして、カトリック国、スペイン皇太子のフェリーペとロンドンで結婚。スケッチは、結婚したウエストミンスター大寺院
 「ブラッディーメアリ」って甘いカクテルがあるって、コメントを頂ました。「真っ赤なのかな」って想像しますが、メアリのやったことを思い出したら、ちょっと飲めそうにありません。民衆の不満の視線は、当然、母違いのエリザベスの下に集まります。反乱も起こり、エリザベスはロンドン塔に・・ 
 小雨の降りしきる、霧の中の3月のロンドン、テームズ川を運ばれ「反逆者の門」からロンドン塔へ。「ワイアットの反乱」は結局、証拠無しとのことで、中庭に引きずり出される事はありませんでした。後日、スコットランドのメアリのどこか、ノー天気な、思慮を欠くヘタな世渡りに比べ、エリザベスの、苛酷な経験の数々・・・幼い日に母は刑死、家庭教師の城で育ち、裁判では、身の潔白を主張し続けた・・・その人生の知恵は、おのずから2人の運命を分けたのでした。Ingland093
 スケッチはバッキンガム宮殿。現代も、どうやらキリスト教とイスラム教が大きく対立しそうな不安で一杯です。宗教の違いで人間が不幸になってはいけないと信じます。(NO601)

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2007年6月15日 (金)

スコットランドとイングランド

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 話が長くなるし、うまく説明できそうにない位ややこしいけど、ちょっとお話したい。1543年、スコットランドの女王メアリは、生後1週間で、父王ジェームス5世の死により、女王として即位した。彼女の祖母がイングランド王ヘンリー7世の娘であったから、イングランドの王位継承権がある。当時イングランとスコットランドは別の国で、常に戦っていた。スコットランドはイングランドと対抗する為、フランスと結び、メアリの父はフランスから王妃マリー・ド・ギーズを迎えていた。そのフランスから来た王妃のために建てたのがスターリング城(スケッチ 上)
 ジェームス5世は、イングランドとの絶え間ない戦いに疲れ果て、壊滅的な痛手をうけて、やっと、エディンバラ城にたどり着いたものの2週間後に死んだ。12月14日のこと。メアリが生まれたのは12月8日。 こうして、ゆりかごに眠る女王が誕生した。
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 一方、お隣のイングランドのヘンリー8世、このしたたかな王は、あわよくば「スコットランドの地を」と、メアリを息子エドワードの嫁にと画策する。二人の婚約が、脅迫的に決められた時、メアリーはまだ生後5ヶ月。エドワードは5才。しかし、イングランド大嫌いのメアリの母、マリーはその申し出から逃れ、スターリング城へ逃れる。ヘンリーは、後ろから手を回して買収しているスコットランド貴族を引き込んで「スコットランド人への制裁」「聖なる戦い」をしかけた。エディンバラ城(スケッチ 中)はなんとか持ちこたえたものの、ホリルード宮殿(スケッチ 下)は略奪、エディンバラの町は2日2晩燃えた。気丈な母、マリーはメアリを密かにダンケルトの城に移す。母は強し。この時代、女性たちは実に強い。男達の強さは、力に訴えるばかりだけど、女たちの、権力と、その術策や駆け引きの凄さは、男の比ではない。結局、マリーの故国、フランス王家の王子と婚約。そして、5才にして渡仏。ヘンリーの魔手から逃れたことをも意味した。金の馬車に乗って、4人の、同じメアリという名の侍女を連れて、フランスへ、それは、表向き、夢のようなお輿入れだった。そ・し・て・・・・美貌の、生まれついての女王は、イングランドのエリザベス1世との運命的とも言えるドラマティックな対決をする・・・どうです???おしゃべりしてる方だって、ややこしくって、目がグルグルするのに・・・スミマセン。スケッチは上から、スターリング城、エディンバラ城、ホリルード城(No600)
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2007年6月14日 (木)

スコットランドのメアリ女王がジェームスを生んだ産室

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 エジンバラ城、メアリ女王が難産の末、ジェームスを生んだ部屋は、思いがけないほど小さな、そう、4畳半くらいしかない小部屋でした。小さな窓が高いところに一つ。暖炉と椅子が1脚。そのお隣がメアリの居室です。メアリが、華やかなフランスでの宮廷生活から一転、未亡人となってスコットランドに戻ったのは、やっぱり、故国の女王としての、誇り・・・とでも、いうものでしょうか。当時のスコットランドは後進国で、寒々とした本国の海岸にたどり着いた時のメアリの心持ちが忍ばれます。やがて、結婚。お相手はエリザベス女王のお気に入りであった、どうやら、お古であった??見掛け倒しのノータリン、ダーンリー。彼は、すぐに馬脚を現し、国王ツラして威張りちらし、酒でみだれ、夜には女を・・・と荒れ、二人は決定的に破局状態になります。でも、その、どうしようも無い男、ダーンリーとの間の子供、ジェームスが結局、エリザベスの後を継いでイングランドのジェームズ1世。スコットランドではジェームス6世・・っていうんだから・・・もう・・・ややこしい。。
 寒々しい産室のお隣がメアリの居室。ここは華やかな部屋ですが、この部屋でその後のドラマは進んでいきます。
Ingland054スケッチはエジンバラ城。右から2つ目の入り口を入った右側に、メアリの産室がありました(No599)
メアリが、皇太子フランソワとの婚約期間をすごしていたころの、フランス宮廷って??姑、カトリーヌ・ド・メディチの居城、シュノンソー城についてはHPへどうぞ
  http://www.geocities.jp/wgwxw444/104rowa-ru.html

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2007年6月13日 (水)

ブログって面白い!!!

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 今頃、改めて、ブログの面白さに目を見開いています。コメントを書き込んでくださる方々の見識の高さが、ももりの拙ないブログを補って余りあるのです。皆様ゼヒゼヒ、コメントの方々のブログへお出ましください。

 スケッチは、スコットランドのスターリング城。メアリ女王の父がフランスから迎えた王妃、マリー ド ギーズのために建てたフランス風の宮殿。フランスから建築家も呼び寄せたとのこと。石材は長年の煙で、真っ黒くすすけて黒ずんでいますけど、完成した頃は、どんなに華やかだったことでしょう。でも、左下の赤い出入り口の奥には、ライオンを飼っていたという、鉄格子の小部屋がいくつかあり、当時の時代精神をかいま見せています。この、崖っぷちの石の城で、真っ暗な夜にライオンの吼え声が響き渡ったかと思うと、ちょっとゾーッとします。城はまだまだ砦で、後世のベルサイユやシェーンブルン宮殿など、豪華な生活や文化を誇る生活空間とはまるで違って、野生的です。この城で育ったメアリがフランス宮廷にお嫁入りした事は、以前にお話しました。フランスの大勢力、ギーズ家が後ろに控えて、メアリは、チヤホヤと育てられます。このときの姑が、カトリーヌ・ド・メディチ・・・・
 もう、こんな事、お喋りしだしたら、止まらない・・・メアリの夫となる王子フランソワは、生まれついての虚弱体質・・・母親、カトリーヌ・ド・メディチが、何とか妊娠したいと、いろんな薬を飲んだからだ・・・とか???メディチ家は、もともとフィレンツェの薬屋。タップリの持参金を目当にフランス王家に迎えられた花嫁は空閨に悩んでいました。といのも、自分の亭主、つまりフランス国王、アンリ2世は自分の母親ほども年上のディアヌ・ド・ポアティエにすっかり心を奪われていたんです・・・つまりぃ・・・・後々、エリザベスとメアリ、2人の、イングランドとスコットランドの王冠をめぐっての、様々なドラマは2人の幼少時代、一方は、2歳で母親をロンドン塔で斬首され、一方は何不自由なくみんなの宝物として、育てられた人間性の違いが、結局2人のその後を決めた・・・と思うのです。エリザベスは大英帝国の不動の基礎を固め、スコットランド女王のメアリは、スコットランドの王冠もイングランドの王冠も、自らのヘタな世渡りのために捨ててしまった・・・でも、・・・だからこそ、人間臭いっていうか・・・女だ・・・っていうか・・・???Ingland003_1

見苦しい顔が邪魔になって申し訳ない・・・エリザベス1世・・・マダム・タッソー蝋人形館で(No598)

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2007年6月11日 (月)

ヘンリー8世の7人目の妃は??

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 昨日の続きです。ヘンリー8世はエリザベス1世女王の父です。この青ひげは6回結婚しました。カトリックでは離婚は認められていなかった時代。ドエライ独裁者でしたけど、イングランドの基礎を固めた人物として、本国では人気があるそうですよ。
先ず最初のお妃キャサリンは、兄アーサーのもとへスペイン王家から輿入りした女性で、宗教はカトリック。もちろん、当時、スペインからお輿入れというのは、対フランスやスコットランドへの戦略的な強化のためのもの。兄が死んで6才年上の彼女と結婚、メアリが生まれます。他にも生まれたらしいけど、早世しました。彼女の死も毒殺説が巷では有力です。この、メアリ、後に女王になって、「血みどろメアリ」と呼ばれる人物ですが、それは後ほど・・・
2番目が、アン・ブーリン  キャサリンがもう年齢的に世継ぎの王子を生めないと、ヘンリー8世の関心は侍女のアン・ブーリンに移りました。カトリックでは離婚できなかったので、ローマ法王と別れて、独立。イギリス国教会を設立しました。これは、当時、力を持ちすぎていた修道院から、財産を没収する狙いもあったといいますから、全く、油断もなにもあったもんじゃない。彼女の絶頂期は短く、生んだ子供が女の子であったと知って、密通罪でロンドン塔送り、そして無罪を叫ぶ、若い、元妻を斬首って言うんだから、ヒ・ド・イ!!!この女の子が後、大英帝国の基礎をガッチリ固めるエリザベス1世。
3番目のお妃がジェーン・シーモア 彼女はうまく王子エドワードを生みましたが産後間もなく死にました。エドワードは9才で王になりますが・・・・
4番目は、アン・オブ・クリーブス  彼女は「器量が悪い」って数ヶ月で見下り半・・・でもそれでよかったよ。ブスのほうがしあわせってことは、結構よくある・・・
5番目は、キャサリン・ハワード  王は49才、痛風病みの巨漢で、一人では歩けなかったっていうから、老人のお守りはつらかったらしい。本当に姦通で・・・処刑
6番目は、キャサリン・パー 良くできたガマン強い看護人で教養人、彼女がエドワードとエリザベスを育てました。
7番目が???写真の???なあんて???(No597)スケッチはロンドン塔
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2007年6月10日 (日)

キャーッ 首切り役人の手は血だらけ

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 ロンドン塔にあった首切り役人の斧で、今、まさに首を切られようとするももりメ。笑ってる場合じゃあないよねえ。ひょっと見上げたら、手は血だらけ・・・エ・エ・エ・???ももりの手じゃあないよ。首切り役人の手が・・・
 粗い時代だったとは言え、ロンドン塔に命を奪われた王や王妃は数しれない。エリザベス1世も、一時期はここ、ロンドン塔に幽閉されました。エリザベス1世の父、ヘンリー8世・・・これがとてつもない人物で、6人の妃のうち2人を姦通罪として斬首。もう一人は毒殺というのがもっぱらのうわさ・・・カトリックをイギリス国教会として独立させ、離婚を強行。修道院財産を没収しての戦費創り。やがて、財政破綻から土地を売りにだして、「ジェントリ」という地主階級が力をつけ、議会政治が世界で一番早く発達するもとになりました。明日から、ヘンリー8世やその妃たち、スコットランド女王メアリについて少しずつ書きたいと思います。全く、スコットランドのメアリ女王ほど興味深いヒロインは他にはありません。エリザベス1世と、イングランドの王冠をめくっての確執は映画にも小説にもいっぱいかかれています(No596)

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2007年6月 9日 (土)

泥棒稼業 

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 今回、相棒がロンドンの地下鉄の中で、サイフをすられました。「ガタン」と揺れて「ソリー」とか、相棒が言ってると思った次の瞬間「すられたっ」と大声を上げました。とっさに、ももりもキッツーイ目で、精一杯にらみを利かして周囲を見回したのですが、2~3人は目が合ったものの、誰がやったかはわかりません。もっとも、すった財布は、もう別のヤツの手に回ってるでしょうし、騒ぎ立てても、証拠も無い。次の駅で、周囲は何人も降りて・・・でも、まあ・・・サイフにはその日の昼飯代くらいしか入っていなかったし、カードは「使われた形跡は無い」とのこと・・・ヤレヤレ・・・
 以前、マドリッドでは、一緒に歩いていた友人がバッグをすっかりひったくられました。あっという間もない、見事というほどの早業です。前から若い男性が2人、楽しそうにジェスチャータップリに話しながら歩いてきます。すれ違いザマ、パッと手が・・・横に歩いていたももりにも、「キャアーッ!!」と彼女が叫んだ以外、何が起こったかも分かりませんでした。かわいそうに友人は、パスポートから、カード、現金、一番どうしようも無かったのはトランクのキー・・・あの時は、パスポートの再発行で、彼女は丸1日つぶれました。ホント、泥棒稼業はレッキとした古典的な商売です。いつ、誰にでも、起こることです。皆様、お気をお付けアソバセ。スケッチはホースガード、ここからバッキンガム宮殿の衛兵が出発します。
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スケッチは「自然史博物館」ここも、入場は無料・・・大したもんです。(No595)

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2007年6月 8日 (金)

英国へ行って来ました

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 イギリスから帰国しました。美しい新緑一杯の自然。高速道路には、一枚の看板もありません。下卑たパチンコ屋も無いし、好き放題のチャチな今風レストランもありません。日本にも、ホンの少し前までは確かにあった奥ゆかしきもの、守るべきものはしっかりと守っている国、という印象です。
 15年前、大英博物館で「THE KAMAKURA]という展覧会がありました。日本で開催された「大英博物館展」のお返しにと、文化庁が企画した催しです。その時、メインになった鎌倉仏が、若狭、中山寺の阿吽のお仁王様、快慶作と伝えられる逸品です。中山寺の法院様が「わしゃ、どうしても、うちのお仁王様をイギリスで見たい」とおっしゃいました。法印様は84才、誰jか付き人が必要です。そこで、好奇心の塊りのももりが手を上げました。
 その時のお金の残り、イギリスの紙幣、20ポンド1枚、10ポンド5枚、引き出しにズーッと眠っていましたのを、もし使えたら、と持って行きました。法院様との旅は大英博物館とパリのギメー博物館を表敬訪問するというものでしたので、フランスのフラン紙幣も、持っていたのですが、日本の銀行でも、ユーロに替わったから、換金できないと断られていましたし、何年か前、フランスを旅した時、「これは、もう使えない」と断られ、バスの運転手さんに「あげる」って言ったら「アルバムにおでも張っとけ」って感じでしたので、もうあきらめていたのですが、でも、ものはためし・・・見つけた郵便局で、オズオズと出してみると、ナント、ナント・・・今の紙幣に交換してくれました。さあ、今、1ポンド265円くらい??計算にはトント弱いももりですが、2万円ほどお小遣いが増えて・・・嬉しかったなあ。15年前は、ズーッと、お安く買ったことでしょう。スケッチはすっかり表情を一新した大英博物館の前室
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「ゆりかごから墓場まで」と、社会保障を約束し、結局、「社会保障は人間を堕落させる」と???サッチャーが言ったと記憶していますが・・・今、ウロ覚えですので、又、調べて書きましょう。長いあいだ、「英国病」と言われた不況を脱出して、今、イギリスは好調な景気です。しかし、消費税は15パーセント。ケッタイなラーメンを食べたら、2000円ほど、「マダム・タッソー」という蝋人形館は7000円ほど、ロンドン塔の入場料は4500円ほど・・でも、大英博物館、自然史博物館などは無料・・・どうですか、この余裕・・・やっぱり、大したもんでした。スケッチは一度は行ってみたかった蝋人形館「マダム・タッソー」(No594)
 「THE KAMAKURA]展と、若狭、中山寺の法院様との事はHPに書いています。魯迅を通してお知り合いになった、ももりの人生で出会えた最も魅力的な巨人のお一人でした。お時間あれば、ゼヒゼヒ・・・・
 
  http://www.geocities.jp/wgwxw444/rojin/000newpage/index.html

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