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2007年5月27日 (日)

ブログ しばらくお休みしまぁす。

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 昨日、ちょっと本棚の整理。アルバムの中の子供達が嬉しそうに笑っている。
「こんなに可愛かったのに、なんで、怒ってばっかりいたんやろ」
今、人生の静かな静かな昼下がり。たそがれ???って感じは、未だちょっと・・・子育ても、嫁姑も自慢できたようなもんじゃなかってけど、まあ、終わったし・・・(No593)

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2007年5月25日 (金)

絵ってだんだん良くなっていくってもんじゃあない

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 年のせいか???あんまり弱音は吐きたくない方なんですけど、製作意欲が衰えています。一番怖れていることですが・・・ももりメは悪い癖があって、「あああ、どうしても、うまくいかない。こんな事でよいはずがない」って思ってないとダメなんです。出来たと思うと、もう意欲を無くすんです。この茄子、どうしても描けないと思った時期が確かにあった。でも、簡単に描けると思ったら、もう、描く気が失せるんです。あ、あ、あ・・・これだから画商とは付き合えない。売れるとなったら同じものだって、なんだって平気で描かせるってのが画商なんだから・・・・負け惜しみ???ダー・カー・ラー・・・エネルギーを仕入れに・・・イザ・・・イザ・・・
「あ、あ、あ、あさっての今頃は~~~♪♪♪・・・」(No592)

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2007年5月23日 (水)

ブルーっていう色は・・・

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 絵を描いているももりですが、今、ブログを見渡してみると美しい花の写真が一杯です。その中でも、この季節は青い花。このブルーって言う色、この色は、絵では、本当に苦労する出しにくい色です。きっと、一番難しい色でしょう。写真のブルーは実に美しく透明感もあるのですが。青い空なんて・・・ホント、空を青くしたら絵にはならないくらいです。まああ・・・試しに、ヨーロッパの絵を見てごらんなさい!!!美しい空色の空の絵なんて、あんまり無い!!!それに絵の具もお高いんですよ。赤なんかは比較的簡単・・・なんちゃって・・・それでその程度か??って言われそう・・・(NO591)

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2007年5月20日 (日)

元祇園なぎ神社のお祭り

美空ひばりも歌ってました。「祭りだ 祭りだ・・・ワッショイ ワッショイ!!!」今日は、ももりの町の氏神様の祭礼です。少年の鼓笛隊にはご近所のマーくん。八乙女さんには、よっちゃん・・・ネッ!!!楽しいでしょう??
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 スケッチは???あんまりご近所すぎて・・・できませんでした(No590)

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2007年5月19日 (土)

最近TVを見なくなって

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 最近、もう、TV がいやになってほとんど見なくなりました。その中で好きなのは「徹子の部屋」と「二角の生活小百科」くらい。 エ・エ・エ・二角って、こんな字じゃなかったなあ。
 「赤ちゃんポスト」の問題。3歳児の捨て子。あ・あ・あ・あんな親なら、もう絶対に親と関係修復させてはダメ.
大体、ロシアの女帝、エカテリーナや、光明皇后・・・たしか、マリア・テレジアだって、捨て子の養育施設は作ってたはずです。でも、一旦捨てておいて、育ち上がった頃に現れて、又、親子だと主張するなんてのがやりきれない。そんなことだと、育ての親は救われませんよね。
 友人がカナダで養子をもらいました。カナダでは、成人してから、本当の親子関係にするかどうか決められるそうで、彼女は結局、取り止めたそうです。誰が生んだのかわからない、どんな遺伝子かもわからないって言う事に不安があるのは当然でしょう。ホント、切ないお話はありますが・・・スケッチはハンガリーのお人形(No589)
 パソコンの調子が狂って見苦しいままアップしてしまっていました。又、ちょっと、パソコン、スネています。

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2007年5月18日 (金)

当世祭り事情  葵祭り

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 昨日の葵祭りの記事にコメント下さった酒徒善人さん、「息子がアルバイトで行列にいるかもしれない」ですって。そりゃあ、大変。あの行列は重労働ですよ。なんてったって、歩く距離が長い。御所から下賀茂神社まで・・・ウ・ウーン。歩いたことがないし、ちょっと歩こうという気になりませんが、2時間はかかるでしょう。そこから更に、上加茂神社まで歩くんですよ。これは、もっと、ナッガーーイ。我が家から上加茂神社までは、自転車で直行してかっきり1時間。御所まではさあぁ・・・25分くらいでしょうか。あの、炎天下、まあ、結構さわやかな風はあったけど・・・着慣れない衣装に、重い、日傘や箱や輿なんかを担いだり・・・ちなみに、あの輿を御所言葉では「オヨヨ」っていうそうですヨ。ももりは御所で見たのですが、「あの、おじいちゃん、大丈夫、最後まで歩けるんやろか」って心配なようなお年寄りもたくさんいました。でも、若い人は、アルバイトが多いんじゃないかと思います。
 わが家の氏神様である元祇園なぎ神社のお祭りは次の日曜日ですが、行列は、毎年、隣組のお役をしている家の者が参加する事になっています。裃を着て、結構カッコ良くて、ご近所のおっちゃんも今日ばかりは、ちょっとモテモテ。でも、出られないとアルバイト料として6000円払う事になっています。我が家では、いつも釣りキチが出てくれます。重たいのぼりを持って、お腹に乗せて歩いている有様は・・・ほんと、ご苦労さまです。伝統行事って、みんなで守っているんです。スケッチは御所(No588)
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2007年5月17日 (木)

昔はもっと近かった京都御所

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 葵祭りで、公開していた閑院宮家と茶室「拾翠亭」を見てきました。
ももりは壬生の住人ですが、この辺りは朱雀学区で、朱一、朱二・・・朱・・・いくつまで続くんでしょう???ちょっと知りませんが、ももりの子供達は朱三小学校に通いました。現在の京都御所は、東西は烏丸から寺町、南北は丸太町から今出川までですが、平安時代は、もっと西、大宮通りに中心があったそうです。朱雀大路は今の、JR丹波口の辺り・・・なんか言ってるももりもあまり知らないし、聞くほうはもっと面倒くさいでしょう。とも角、以前、ももりの家はもっと御所に近かったっていうこと!!!です。公開されていた閑院宮亭も、ひっそりとしたつくりで、ヨーロッパの貴族の豪壮なお城とは全然違います。と、言う事は、つまりぃ・・・あんまり、人民を搾取してなかったっていうことじゃあない???(No587)
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2007年5月16日 (水)

葵祭り 見てきました

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 京都に生まれ、京都以外では住んだ事のないももり。今回、ブログのネタ探しとて葵祭りに行ってきました。ゆったりと平安装束の男女が歩く・・・それだけで、ちょっと頼りなかったなあ。次の日曜日は、ももりの家の氏神様、「元祇園なぎ神社」の祭礼です。こっちの方は、新撰組の子供壬生隊士が「ピーヒャラヒャー」と笛も吹くし、おみこしだってある。ご近所のマーくんも行列に出るって言ってたし・・・あの、酒飲みの神主だって、真っ赤な衣装で、馬に乗る・・・・こっちの方がヨッポド面白い。「元祇園なぎ神社」は八坂の祇園さんより古いそうです。「祇園は色町で病気が多かったから、厄除けにここから八坂へ出張しはったんやでぇ」って聞いた事があります。ヤッパ、3大祭りで、面白いのは祇園祭と時代祭り。独断と偏見で申せば・・・ネ(No586)Burogu045

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2007年5月15日 (火)

映画「Queen」見てきました

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 葵祭りをスケッチしようと自転車で御所へ・・・ナ・ナ・ナント・・・それは明日。つまりぃ、今日ってことでしたので、エイッと映画「Queen]を見てきました。
 強烈なサイゴッペをかまして死んだダプリンセス・ダイアナ(失礼!!)かまされた英王室の対応は??「家を出て行った民間人として」というエリザベス女王と、息子チャールスの「将来の国王の母なのだから、王室専用機でパリへ」、という対立。ダイアナの種々の皇室批判に神経を逆なでされていたエリザベス女王は、ロンドンから遠く離れたスコットランドのバルモラル城から出ようとはしない。
 パパラッチ行為への批判から、目を背けさせるためもあって、マスコミは一斉に「エリザベスが冷たい」と批判をかしましく書きたてる。孤立感を深めていく女王。王室の存在を否定するという動きへと発展しかねない。そこへ、新米首相、若きブレアの登場となる。
 イギリスは、かって、英国議会によって国王が処刑されています。オリヴァー・クロムウエルが国王チャールズを「国民の敵」として処刑しました。1949年のことでした。エリザベス1世により処刑された、スコットランド女王、メアリの愚かともいえる結婚相手との子供の子、つまりぃ、孫。ホント、世界史の上で、このメアリほどドラマティックなヒロインはいないと思うんですけど・・・又、書きたいですが・・・少々難しい。それにしても、神との約束「英国王として、この身を投げ出してつとめます」と誓ったエリザベスのいじらしさに比べ、卑怯なのはマスコミ。頼りにならんヘッポコ息子。マタマタ失礼・い・た・し・ま・し・た。スケッチはロンドン(No585)
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2007年5月11日 (金)

ルパン3世からリチャード3世へ

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 間もなくイギリスへ行けそうなので、又イギリス関係の本を読み始めました。もう、自分の本棚の古い本で我慢しましょう。新しい本を読むにはエネルギーがちょっと・・・・
 先ずはシェークスピア「リチャード3世」
 1461年、幼い王子2人を残して死んだエドワード4世。ヨーク家の出です。王位を継いだ幼い王子、エドワード5世と、その弟、リチャードを、ロンド塔に押し込め、殺害し、王位を奪ったのがこの悪名高い「リチャード3世」その時の内乱が、名付けて、ロマンチックな「バラ戦争」です。ランカスター家が赤バラ、ヨーク家が白バラ、1455年から1485年まで続く内乱で国は疲弊しました。
  「ヘンリー6世」と言うのがシェークスピアが著わしたの最初の本らしいですが、この「ヘンリー6世」が「リチャード3世」の前半です。ヘンリー5世が死んだのが1422年。息子の王位継承者、ヘンリー6世は生後9か月でした。ランカスター家です。長じて、ヘンリー6世は精神を病んでいることもわかり、フランス王をも兼ねていましたので、乗っ取りに動いたのがヨーク家のエドワード。自分の方こそ正当な王位継承権を持つと主張して、内乱となります。もともと、ヨーク家もランカスター家も同じ父から・・・と言うから、まったく、ややこしい。エドワード4世となって、奪った王位は彼の死の1483年まではもちこたえました。しかし彼にも同じ運命が・・・、幼い2人の息子を残して死にます。王位は2人のがんぜない王子に・・・そこへ、叔父、リチャード3世が動きす。
 しかし、リチャード3世が簒奪した王位はたった2年。リチャード3世も、ヘンリー7世に敗れ死にます。王位はランカスター家に戻りました。まこと、イギリス王家の歴史は、血まみれです。シェークスピアに書いてもらわなかったら、歴史の中には残らなかったと思うほど、惨劇は日常茶飯のように見えます。ずーっと後になって、1760年、治世に秀でたジョージ3世が60年間、その後を継いだ、ヴィクトリア女王が63年間、その間に、大英帝国は最盛期を迎えましたが、その二人以前、、ロンドン塔は多くの王達の恨みと涙と血を吸い込みました。あのエリザベス1世も、スコットランドのメアリだって・・・  それにしても、同じ名前ばっかりでわかりにくい・・・ルパン3世なら、わかりやすくて、好きなんだけど・・・スケッチは1991年に描いたロンドン塔Burogu_036
(No584)


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2007年5月10日 (木)

イギリスのヴァルール

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 間もなくイギリスへ・・・・待ち遠しいです。イギリスについては結構予備知識があるほうかもしれませんが・・・ホント、面白いんやから・・・ヘンリー8世、スコットランドのメアリ、我が敬愛するチャーチル・・・そうそう、間もなく「Queen」っていう映画も来ますよね。ロンドンにだけは5日間だったか、いた事があります。なんてったて、旅ほど素適なものはありません。放浪したいなあ・・・でも、ある時、友人に言われました。「帰る生活があってこそ、旅は楽しい」んですって。帰る生活ってのは現実そのもの。その生活がないと、先ず費用が不如意になるし・・・いろんな国へ行ってそのたびに思うんですけど、その国独自の色ってあるんですよね。色には明度、彩度、ヴァルール・・・色価っていうんでしょうか。イタリアにはイタリアの、スペインにはスペインの、フランスにはフランスの、明度、彩度、ヴァルール・・・イギリスのヴァルールは???又、一杯スケッチをしてきましょう。そして、ちょっとした知識ともいえない程度の、面白いお話をつまんで、自分の復習を兼ねて、ブログでお話しましょう。スケッチは竹生島(No583)

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2007年5月 9日 (水)

ある日、ジェトコースターのように

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 ある日、プッツンと車軸が折れて、急な坂を真っ逆さまに・・・ブレーキの掛けようもなく転がり落ちていく。これって、ジェットコースターの話じゃなく現代文明そのものに見えます。当然、起こりうる危険を、予知できる危険を考えようとしない。安易な「今」の逸楽が永遠の続くものではないことは知っていながら・・・きわどいレールの極端な曲がり角が、すぐ、その内に、やってくることを知りながら・・・
 ここンとこ、ズーッと「ソドムの街」というタイトルで公募展に出品してきました。、あまりにも人工的な都会・・・人がいない巨大なビルの谷間・・・いっぱい人がいるはずなのに孤独で・・・そんな不安定な空間を描こうと思ってやってきましたけれど、もうエエ加減、その暗さが嫌になってきていました。
 もう、このあたりで、明るい楽園に戻りたいと思って、タイトルは「エデンの園」。エデンの楽園から追放される現代のアダムとイヴ・・・そう言ったらとたんに、横から、ある人が言いました。「そのタイトル、あかん。「エデンの園」っていう全国展開してる大きな老人ホームがあるでえ」
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 やっぱり、又、「ソドムの街」でいくとするか・・・???スケッチは連休に、フラリと行った竹生島(No582)

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2007年5月 8日 (火)

家でかしこくお絵描きなんて・・・

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赤ん坊がひっきりなしに体を動かしているのは、心臓の働きがまだ十分でないから、手足を動かすことによって心臓を活発に動かしている・・・とか、どこかで聞いたことがあります。ももり66才。どうしてなんだか、家にジーッと閉じこもっているとヤンナルほど草臥れます。展覧会の出品間近ですので、なんとか、おっつけようとグズグズ描いてる・・・・これが、又、しんどいんですよねえ。売れもしない絵・・・いえいえい、それは良いでしょう。売れなければこそ、誰に気兼ねすることなくケッタイな絵が描けるんですから。これは、負け惜しみではありませんよ。個展なんかで、ちょっとは会場費???とか思って売ろうとすると、途端に絵っていやらしくなるような気がする・・・
 海外旅行なんかに行くと、自分でも信じられないくらいアドレナリンが出まくるらしく、元気バリバリです。だって、昼間観光して、歩きながらでもスケッチをして、夜なべ仕事に色付けをするんです。10日も行ったら、100枚のクロッキー帖が足りないくらいです。スケッチブックでなく、クロッキー帳なのは乾くのが速いから。それで帰国してから展覧会のために描いたり売ったり・・・という事はまるで無し。自分の楽しみだけの日記なんです。クロッキー帳なんか止めて、スケッチブックにって助言もよくいただくんですけれど・・・勿論、発色は良くなる・・でもぉぉ・・
 さっさと展覧会なんか片付けて・・・ドッカ、行きた・・・あ・あ・い!!!家でかしこくお絵かきなんて・・・・もう・・ム・リ・・・・スケッチは上賀茂神社 ももりの家から自転車で1時間(No581)Burogu_017

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2007年5月 6日 (日)

映画「ルワンダの涙」 そのⅡ

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 いつも、ブログでお話し、啓発されているミーシャさんから貴重なコメントをいただきました。

ももりさん、こんにちは。
「農耕業が主だった多数派民族フツ族」による「遊牧業が主な生業であった少数派民族ツチ族」の大量虐殺が始まり、一説には約100日間で国民の10人に1人、少なくとも50万人が虐殺されたとも言われてますね。フツ族もツチ族も同じ言語を話し、農耕か遊牧かの差だけですよね。土地が農耕に適さないため、少数派のツチ族の方がリッチになってしまった。
ドイツやベルギーは、イギリスが考案し世界各地で実践していた植民地経営の常套手段を使いました。植民地化後に両民族間の対立を煽るんですね。少数の白人は自分たちで統治するのは困難だから、その手段を用いる。今もなお続くアフリカの不孝は、欧米諸国の責任であると思っています。日本にも、幕末に英仏がそのような手段をとりましたね。帝国主義の最も卑怯な手段です。・・・中略・・・
 
先日旅してのぞいてきたクロアチアもセルビア人を追い出しました。「民族認識カード」による民族浄化です。見当違いかもしれないけど「民族自立」を打ち出したアメリカ大統領ウイルソン、第一次大戦後のことですが、彼が恨めしくなります。映画のパンフレットによると
 
1926年 ベルギー統治下、「民族認識カード」を義務化
1962年 ベルギーより独立
1989年 コーヒー豆の価格暴落  各地に暴動が頻発・・・ベルギー、フランス、イタリア、アメリカ・・・適当に介入し、危なくなるとご都合主義で逃げています。

「多分、国際機関が紛争国の仲裁に乗り出すには2つの明確なルールがあるのだろう。その一つは当事者たちが白人である事、二つ目は当事者たちが西側の求める何かを持っていて、それが、安全保障理事会の利益になるものであること、の二つだ。しかし、当事者が黒人で、貧しい国であった場合には関係ない。自分たち同志で勝手にやってくれ、となるのだ」この映画の製作者、デヴィッド・ベルトンは言っています。こんな酷い行為の裏には、必ずマスコミが手を貸しています。ラジオによるアジプロパガンダを聞きながら、加害者民兵は、酒と殺戮に酔っ払っているんですから。

 どうですか???金花玉条のように「国連が・・・国連が・・・」って言っていた政治家や政党がいますよね。イラクだって、ポルポトだって・・・・北朝鮮だって・・・・絵は昨日と同じ、「日本水彩展」に出品するためにももりが描いている「ソドムの街」。どちらを出しましょうか??(No580)

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2007年5月 5日 (土)

映画「ルワンダの涙」見てきました

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 今、憲法問題で、かしましいですが、国連軍がいかに無能で卑怯であるかを、この映画は告発しています。ももりは毎日新聞が取りあげた映画を見るようにしているんですが、先日見た「ラスト キング オブ スコットランド」といい今回の「ルワンダの涙」といい、アフリカのジェノサイドの現実。政治の怖さ、大衆となった時の人間の本性のおぞましさを見つめる映画です。「ラスト・・・」は、ザイール。今回のルワンダ。両国は、ほとんど隣り合ったアフリカのへそみたいな土地です。
 舞台は1994年4月。ツチ族を殲滅しようというフツ族の過激派民兵から逃げ込んできたツチ族の民衆。民衆が逃げ込んできた学校には国連軍が駐屯していました。金網に守られた空間の中のツチ族。学校を包囲して挑発するフツ族の民兵。内部の扇動に乗った一部のツチ族が、金網の中から逃げていきます。一斉に襲い掛かったフツ。目の前の虐殺を目にしても、国連軍は発砲しません。自衛の為のみの武器なんです。本部からの命令もない。
 緊張の日々が続く中、トラックが2台。フランス軍です。ツチ族と一緒に逃げこんでいた外国人の民間人。その中のフランス人のみを救出するというので、大騒ぎになります。結局、外国人のみを乗せて脱出。理想に燃えた海外青年協力隊の青年は逃げ、キリスト教精神の権化のような校長は残りました。正義感は暴力の前には無力でした。国連軍という組織・・・銃で武装していても、結局は民衆を見捨てて撤退・・・・崇高なキリスト者の校長も・・・・
 しんどい映画ですがルワンダのジェノサイドのあった学校で撮られた映画で、ドキュメンタリーです。
 絵は今回、東京都美術館で「日本水彩展」の出品しようと描いている絵「ソドムの街」人工的な都会の孤独を描きたいと、ずーっとこのタイトルです。(No579)

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2007年5月 3日 (木)

サンチアゴ巡礼道

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 日本の巡礼道にはまだ興味がないのですが、スペインの巡礼道は何度でも、行ってみたいです。ホントならピレネー山脈を越えてみたいです。先日、ある方から面白いコメントを戴きましたので、その時のときのももりとのやり取りをここに書いておきましょう。

<パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・バラ・ホアン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアノ・デ・ラ・サンディシマ・トリニダード・ルイス・ブランスコ・ピカソ>

すみません。ピカソのフルネームを記載しました。

長い本名と女性遍歴には因果関係があるんでしょうかね?玉井人さんからのコメントです。

とても、面白いご指摘ですね。聞きかじりのももりの返答も書いておきましょう。

私は5年ほど、カンカンになっテスペイン語をやっていたことがありました。その時、スペイン人の先生に教わったことが、その名前。スペイン人は大体4つの名前を使います。つまり普通は
パブロ・ディエゴ・ホセ・ピカソ
これは、パブロは自分の名前、ディエゴは洗礼名、ホセは父の名前、ピカソは母の名前・・・ということらしいです。スペイン語は名前が少なくて、つまり、ホセのトッツァンとピカソのオッカアの子供のパブロ・ディエゴということらしいんです。そのトッツァンとオッカアはバラ・ホアンとネポムセノ・マリアその又トッツァンとオッカアがロス・レメディオとクリスピン・クリスピアノ・・・と延々と100人くらいは言えるんだと、習ったと記憶しています。スペイン語の「デ」は「なにないの」ということで英語の「of]だそうです。3
写真は、サンチアゴ巡礼道、あとの写真はももりがまぎれ込んでしまった牛の群れ(No587)


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2007年5月 2日 (水)

加藤力之輔展   そのⅡ

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 昨日のブログの続きです。加藤力之輔氏の個展が間もなく、京都「同時代ギャラリー」にて行なわれます。絵は出品作。彼のメッセージをお届けしましょう。
 「デッサンの修練ーー常にそこから出発し、そこに立ち帰る。それは私の画業として展開する尽きることのない源泉である。 対象を観、美を感じ、神秘を想い、その感動を心に刻み、描き留める・・・・中略・・・
 昨日の泉湧寺での加藤氏とのお話・・・遠い、真っ白いな深い霧の中みたいに、おぼろげになってしまっていた名前、ガリシア・ロルカ・・・ルイス・ブニュエル・・・・・そう・・・ガリシア・ロルカはスペイン内戦で死んだ詩人。ルイス・ブニュエルは「悲しみのトリスターナ」なんかを撮った映画監督。主演はカトリーヌ・ドヌーブ・・・・でしたね。からくも思い出せたけど・・・・霧の中。一時、すっかりはまって夢中になってた世界・・・・スペインの狂気を含む明暗の暗の部分・・・スペインでは、ももりもマドリッドで個展をしたこともありますし、スペイン語にカンカンになって取り組んで、弁論大会まで出た事もあった・・・あの熱さは・・・どこへ???ももりも年とったよぉ。
 「同時代ギャラリー」は三条御幸町角1928ビル1F  展覧会は5月8日(火)~5月13日(日)まで(No586)

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2007年5月 1日 (火)

個展 加藤力之輔展  泉湧寺塔頭 新善光寺

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 加藤力之輔氏と知り合ったのは、2000年。キリスト生誕2000年ということで、毎日新聞で取り上げられていたサンチアゴ・デ・コンポステラへの「歩き巡礼」の記事。そこにあった小さなコラムに旅行企画中とありました。早速、連絡すると、まだ半年くらいは準備に時間がかかるということ。待つ事しばし、早速ツアーに参加しました。その時、ガイドをしてくださったのが、スペイン在住の画家、加藤力之輔氏でした。今回、京都の泉湧寺で個展とのこと、自転車で行ってきました。泉湧寺は菊の御紋章のある皇室のお寺で、新善光寺は普段は公開していないそうです。
 加藤氏には、すっかりご迷惑をかけました。巡礼の3日目だったか、ももりは迷子になったのです。巡礼道は、中世のままみたいな小さな村をいくつも通り抜けていくのですが、とある小さな村で、ももりは牛の群れに紛れ込んでしまったのです。だって、牛も人間も同じ細い道を歩くんですもの。牛って好奇心が強く、フーッと息を吹きかけながら寄ってきます。側へ来るとすっごくでっかい。もう、怖くて・・・でも、走って逃げたら追いかける習性でしょうから・・・「No hase dano  悪い事しないよ]って農夫のおじいちゃんが笑っていますが、もう、必死で、わき目もふらず、前を向いて歩きます。足の草臥れなんか、吹っ飛んで・・・やっと牛の群れから離れたと思ったら、周囲には誰もいません。「オヤオヤ・・・こんな所で迷子になったぞ」多少はスペイン語もしゃべりますので、村人に「サンチアゴへの道はこの道一本だけか???」ときくと「他には道は無い」と言います。村人は盛んに指をさして、何だか言ってくれるのですが、どうも、スペインゴも英語も東北なまりで聞き取れない。まああ・・・こうなったらジタバタしたって仕方が無い。
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 道端にしゃがみこんで、待つ事1時間半。加藤氏が見つけ出してくれました。ツアーの他のメンバーは、途中の小さな教会へ、スタンプをもらいに寄っていたんですって。道すがらの教会やホテルでのスタンプが「歩き巡礼」の証拠で、サンチアゴ・デ・コンポステラまで着いたら、それを見て、バチカンが「歩き巡礼」の証明書をくれるのです。その時もらった証明書は、ももりの宝ものです。全く・・・1日に34キロ近くも歩くのに、ももりを探して余計に歩かせてしまって、お気の毒でした。個展は5月6日まで JR,京阪 東福寺より徒歩12分  ゼヒゼヒ(No585)

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