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2007年3月25日 (日)

異次元空間に身を潜める時

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 人間って、歴史って、これ以上ないほど素晴らしく、時には、これ以上ないほど残酷。文化って多様で、芸術は変幻極まりない。夢を見に・・・・そして、全ての日常煩瑣から開放されたい・・・ホンノ10年ほども前まで、残酷に殺しあっていた土地の人々は、今は???どのように???しばらくブログ、お休みします。お人形はギリシャ民族衣装(No573)

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2007年3月24日 (土)

近日発売「日本を描く」京都 角川マガジンズ

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角川マガジンズから、間もなく発売になるスケッチの本。京都の絵になるポイントや世界遺産、描き方のノウハウ・・・行きかたのマップまで入った、親切なスケッチの本。主人公は榎木孝明氏で、ももりは脇役・・・いえいえ、その他大勢のエキストラ??クシュン・・・榎木氏以外の作家も何人か参加しています。いろんなスタイルで描かれている対象。絵って、ホント、自由に描くけばいいんです。
昨日、刷り上った本が送られてきました。とても良い仕上がりでうれしくなりました。店頭でゼヒゼヒ。ももりからも買えます。送料込み1300円。本が着いてから、80円や50円切手でお払いください。
絵の具、筆など一式付いた付録つきもあって、そちらは2520円です。そうそう、しばらくは、ちょっと旅・・・(No572)

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2007年3月23日 (金)

はみ出たアンコ

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間もなく旅。ときめいています。でも、踏んづけたアンパンの、はみ出たアンコみたいな細かい用事を片付けるのが結構タイヘン!!それなのに!!、あ・あ・あ、それなのに、あ・あ・それなのに・・・明日は京都アスニーの無料名画鑑賞会。明日は「雨の朝パリに死す」ですって。この映画、確かに見た記憶があります。年老いた芸術家が、少年に恋をするってお話じゃあなかったっけ???ひょっとして違うかも???ホラ、やっぱり行かなきゃ・・・ってことになるんです。そんなこと考えてあわてふためいてたら、ホラ、絵にコーヒーをこぼしちゃった。落ち着け!!!ももり(No571)

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2007年3月21日 (水)

ソ連時代のシベリア紀行-7

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 ももりは66才。第2次大戦は、まだ人ごとではない世代です。いろんなお話も聞いています。「ノモンハン」もその一つ。若い方は、聞いたこともないでしょうね。だからこそ、書いています。酷い負け戦であったと言います。たしか、ハバロフスクから、車で大草原に連れて行かれ、「このあたり、ノモンハンの戦場でした」と聞いたと記憶しているのですが、今回、スケッチブックを隅から隅まで見ましたが、メモ魔のももりが何も書いていません。ノモンハンはソ連、満州の国境です。記憶がオボロゲな上、20年も前のことですから、ひょっとして思い違いかもしれません。写真も無い。大体、国境地帯で写真なんか撮ろうとしたら大変な剣幕で、フィルムを抜き取られかねかせん。昨日アップした、伊藤桂一「静かなノモンハン」の他に、五味川純平「ノモンハン 上・下」文春文庫を、今回、読み直しました。18000余人が無駄に死んだというこの戦争は寸土を争って、得たものは何も無かった。五味川純平は書いています「戦争を科学的に構想し得る参謀が育っていなかった。彼らは野心を抱くこと、功を焦ることでは人後に落ちなかったが、国の運命を先見する能力には全く欠けていた」この戦争は1939年。ももりが生まれる2年前です。五味川は言っています。「この戦争は2年後に始まった太平洋戦争と全く同じ」と。それに、この事件は徹底的に隠された。軍部の拙劣な作戦の結果の敗戦、作戦参謀の責任を隠しました。ガダルカナルの無惨な敗戦も同じ参謀の作戦指導によったといいます。恥部であったのでしょう。生き残った兵士達はその後も危険な戦地へ送られ、死んでいったといいます。「硫黄島からの手紙」の映画、見られた方は多いでしょう。死んでいった兵士たちは「祖国の為に」と信じてた・・・申し訳ない、平和な今の日本です。(No570)

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2007年3月20日 (火)

映画「蒼き狼」見てきました

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 たまたまモンゴルのこと書いたもんですから、フラッとその気になって、映画「蒼き狼」を見てきました。モンゴルの大草原は、20年前、ももりが見たとおりでした。でも、日本人俳優達のヒンソなこと、あ・あ・あ・・・あんな、ヘボイ男が、あの苛酷な草原で生き残れるかい!!って、一人暗闇で怒っていました。ホサカ???なんとか言う役者、あの、・・ホラ,名前を思い出せない影の薄い日本人役者が立ち回りをやってっています。"モー・見てられん!!"
 チンギス・ハンはどんな本を見ても出てるようなポピュラーな絵が残っており、堂々とした偉丈夫です。朝青龍がよく似ています。大体に、ニッポン人はこの頃、軟弱なんじゃないかい??外国で,まず、目を見張るのが、若い娘達の立派な腰、子供なんか「ウンッ」と頑張れば「ポンッ」と生めそうな、実にしっかりしたお尻をしていて、いつの間にかうっとりと眺めてしまっています。大体「痩せる」ってことを言い過ぎます。ヨーロッパの古典絵画やギリシャ彫刻の娘たち、ドーンとしっかり肉が付いて頑丈です。子育てだって、イジメ問題だって、真綿でくるんで、くるんで、ひ弱く育てすぎてるんじゃないの???ももりが太ってるから言うんじゃあないよ(No569)07syougatu_130_1明日は、ハバロフスクから出かけたノモンハンを書いておきたいと思います。

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2007年3月19日 (月)

釣りキチの挑戦

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 釣りキチが作った鯉のうま煮です。鯉は水のきれいな神林川で釣ってきました。この川は、由良川の支流で、綾部まで足を伸ばしたというんですから、病こうもうっていうところでしょうか。鯉はサイズを選んで釣るのが、難しいらしく、「何や、これ、くじらやん」っていうサイズばかりが掛かるそうです。大きなのが、小さいのを押えてしまうんでしょうか??釣りキチは「釣った魚は完食しなきゃ」って言うのが持論ですので、くじらみたいなのはちょっと・・・見るだけで降参!!!でも、なかなかおいしいんですよ(No539)

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2007年3月17日 (土)

ソ連時代のシベリア紀行-6

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 今では高層ビルが立ち並んでいるんでしょう。ウランバートルの20年前の風景です。軍人が目立ちます。朝早くから豪音を響かせて、5分おきくらいに軍用機が飛び立ちます。当時、共産圏では、カメラには非常に神経質で、駅、空港、橋、特に航空写真は厳禁でした。ところがアウトローな創業社長さんの中に、当時流行りだしたばかりのソニーのビデオカメラを持つ人がいて、盛んにシャッターを押しまくっています。注意しても、聞かないんです。その結果、又々ハプニング。
 モンゴル出国の時、「英語できるかた来て下さい」ももりがうまいわけじゃないけど、何しろ、物見高いもんですから駆けつけますと、くだんの社長さん、荷物を盛大に広げて足止めされています。何しろお付きの重役は荷物持ちで、大きなトランクが二つ。ぎっしり一杯詰まっています。あ・あ・あ・やっちゃった!!湯沸しポットから、メガネケース、一杯調べていますが、空港係官は肝心のビデオカメラのフィルムの出し方がわかりません。最新式のを東京銀座のソニーで買ったというしろものです。
「あなた達の中に禁じられている写真を撮った人がいます」「OH・・・NO!!私たちは何でも自由に撮影できる国から来ました。最初は撮りましたけど、禁止されてるって言われてからは撮ってイマセンッ!!」しっかり撮りまくっていたのは知っていましたが、「NO!!NEVAR]で突っ張りました。個人的なうそは嫌いだけど、国と国なるとウソは正義です。飛行機が中国に向かってフワッと浮き上がった時は心底ホッとしました。
 この話には後日談があります。1ヶ月ほど後、ある日、会社で、亭主が社長に言われました。「君ントコの奥さん、勇敢やってえらい評判やでええ」社長さん達が集まる会で、あのシーンが話題になったというのです。「あんまり、ハデなことせんといてくれよ」ですって・・・・やれやれ・・・その創業社長さんは、今、滋賀県のある町の町起しに大成功されて、大変お元気です。もう、100才くらいでしょうね。(No539)

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2007年3月16日 (金)

ソ連時代のシベリア紀行-5

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 ももりはメモ魔で、何だって書き留めます。真夜中の国境のナオーシキに着いたのが、21時45分。発ったのが1時15分。イルクーツクに戻ったのが14時15分です。インツーリストホテルへ戻り、パスポートを受け取りました。やれやれ・・・何と、ホテルのカウンターの中に置いてあったんです。ちょっと見てくれたら、すぐわかったのに、誰も、知らん顔。これこそが共産圏。スケッチブックには、「残念だが、最もソ連的なところを見て面白かった」って書いてます。ヤレヤレ・・・17時50分に飛行機・・・これが又、ツギハギだらけで乗るのを遠慮したくなるような小さなイリューシン。ヤレヤレ・・・モンゴルのウランバートルに着いたのは19時22分でした。さああ・・・これが又、難問。誰も知った者のいない空港・・・モンゴル語は誰も知らない・・・うろうろするうちにロシア語をしゃべる女性が来てくれて、市内のホテルに電話をかけてくれた。当時、外国人を止めるホテルは3軒しかなく、すぐわかりました。「予定通りに現れない馬鹿な日本人団体さん」ってなもんです。ホテルに着いたのが20時40分。もう、食事はないといいます。ホテルで、ゆっくりと椅子に腰かけたら、強烈な空腹を感じました。なにしろ、帰途のシベリア鉄道の中では、もう、なんにも食べなかった。往路の油まみれの、目玉焼き、充分に太るだけ太らせた、固いキューリ。黒パン・・・もう、ウ・ン・ザ・リ・・・・食べたくもなかったから。お湯ならある、と出してくれて、そこで、インスタントのワカメスープ・・・・・・・世の中にこんなおいしい物があったんだ!!!ビールとシャンペンで、お腹一杯にしてぐっすり眠ったモンゴルの夜でした。ここのお風呂は初めてタブがある、と書き留めています。スケッチはウランバートルの空港とズルチンホテルの朝(No539)
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2007年3月15日 (木)

ソ連時代のシベリア紀行-4

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このブログは共産圏っていうのを覗いた印象を書いているのですが、ホント、共産圏では監視されていたんだと思います。朝スケッチをしていると、必ず子供達が寄ってくる。ボールペンなど欲しがるんです。そしたら、すぐ誰かがやってきて、子供達は消える・・・バイカル湖遊覧といえば何故か、5~6人の少年たちが付いてくる。ソ連に抑留されていた経験のある村地さんは「スパイや。監視してるんやでぇ」って吐き出すように言っていました。中国で、万里の長城をスケッチしていて人民軍兵士みたいなのに囲まれたこともあります。尤も、それは、別の旅でしたけど。とも角、おっそろしく、旅行者に不親切。ホテルだって、まああ、ガイドは笑っていますが、他には笑顔って見ません。私たちのパスポートだって誰も調べようとはしてくれなかったんです。自由な世界の競争原理ってものがない。全員国家公務員です。頑張ったらソンするって思ってる。07syougatu_128
13時間半の楽しい旅は間もなくモンゴル国境のナオーシキという駅に着くという頃に終わりました。屈強で背の高い軍人たちがドカドカと乗り込んできて「降りろ」という身振りをします。腰には大きなピストルをつけて、たすきがけに銃もつけています。でも・・・ももりはどこかお芝居を見ているような気がして恐怖感はありません。真夜中の国境の駅は真っ暗で、大柄な軍人ばかりがたくさんいた駅でした。案内された部屋はだだっ広い部屋です。「オシッコ行きたい」と医師が言いました。黙って首をふります。駆け出したら、後ろからポンと、かるーっくやられそうで、さすがにちょっと怖くなりました。こちらへ、こちらへと案内される度に小さな、一層暗い部屋になります。そこへ英語をしゃべる女性が通訳として現れました。その時は、心底、ホッとしました。もう、あんまり記憶していないんですが、宿直の駅員を起こしに、真っ暗な駅舎のハズレまで走り、電話をかけるのに小銭も無いということで、又、郵便局へと走り回りました。ももりが一番若く、元気だったからです。まああ、事態の深刻さが理解できてなかったということも、幸いしました。結局、3時間待って、又、イルクーツクへ戻ることになりました。今度の列車は、一般乗客と同じ列車で、三段ベッドの一番上です。「シベリア送りの囚人やなあ」って歌人が言いました。薄暗く、汗のしみが一杯付いたシーツはなんだか、やたら、かゆい。頭がぶつかりそうな狭い空間に横になりました。若かったし、すぐ眠ってしまって、朝には、又、美しいバイカル湖のほとりを走っていました。(No538)

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2007年3月14日 (水)

ソ連時代のシベリア紀行-3

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 この美少女ミーシャも、もう、30才くらいでしょうか。利発そうな少年ワーリャは、もう、恋人もいるでしょう。20年前のシベリア鉄道のコンパートメントで一緒でした。イルクーツクからモンゴルのウランバートルへ13時間半。シベリア鉄道でバイカル湖のほとりを行きます。8月のシベリアのタイガはどこかはかなげな明るさに満ちた原生林で、どこまでも、どこまでも続きます。でも、この列車はウランバートルへは着けませんでした。当時、共産圏はどこでもだったらしいんですが、現地ガイドは「パスポートを預かります」と言って、取りあげてしますのです。
 イルクーツクの朝、出発しようというときになってパスポートが無いということがわかりました。昨日のガイドが取りあげたままだというのです。ソ連には、まだ、ツーリストを受け入れる態勢は無く、ハバロフスクのガイドはその日1日、イルクーツクでは別のガイドが、という具合で、前日と当日の連絡がゼロ。全員国家公務員のこの国は不親切なことおびただしい。さああ!!!大変!!!シベリア鉄道に乗車する時刻は決まっています。ももりたちのツアーは、何たって社長さんばかり。なあんにもももりが心配することはない・・・とのんびりしていましたが・・・ホテルのバスは時間が来たら駅へ、そして、パスポートを持たない私たちも駅へ。その日、現地ガイドは来ません。ソ連に抑留体験を持つ村地さんが、ロシア語を少し話せるだけ、どの列車がどこへ行くのかも、わかりません。駅では、カートに乗った荷物について、列車に乗り込みました。13時間半のシベリア鉄道の窓外は変化に飛んで見事です。サーッと霧の中に入るかと思えば、冷たく蒼い空が広がります。列車の中では子供達とお絵描きをして遊びました。13時間半って、お友達になるには充分の時間です。
07syougatu_116ちょっとピンボケで申し訳ない・・(No537)

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2007年3月13日 (火)

映画「ラスト キング オブ スコットランド」見て来ました

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 重いしんどい映画でした。でも、名作として残る映画であるとは確信します。ウガンダの大統領、アミン、30万とも、50万とも言われる自国民殺害の実態。どうして?誰が?スコットランド最後の王なんだろうって疑問に思いながら映画館の暗闇に身をひそめました。
 アフリカのギトギトするような朱色の草原と、呪術的な旋律の中、映画は始まります。スコットランドの医学校を卒業した無鉄砲な青年、ニコラス・ギャリガン。げんこつで地球儀を一発、カナダに当たります。「カナダなんか刺激的でない」・・と2発目。ニコラスはアフリカ内陸ウガンダの寒村へやって来ます。その時、民衆の熱狂に包まれて登場するアミン新大統領。人心を強くつかむ巧みなアジ演説に、まだ、ホンの、ボンボン医師は心酔します。新しい国創りへの期待と幼い正義感と共に。そして、小さなきっかけから大統領の専属医師に、そして、政治顧問ともなります。しかし、アミンの実態は、政敵と民衆の区別も無く殺戮するという醜悪なものでした。独裁者は誰をも信じられないのです。世界もアミンの悪業に注目し始め、イギリスは離れていきます。イギリスと敵対したスコットランドの王とも自らを例えたアミン、彼の病的な人間不信は嵩じていき、やがてはニコラス自身も危険に。アミン大統領も、エール・フランス機のハイジャック事件も本当に存在しましたが、ニコラスは創られた人物だそうです。気楽に楽しむ、というには相当重い。でも、映画好きなら必見。アミンを演じるフォレスト・ウイテカー・・・さすが賞ばっかりもらっている名優です。絵は関係ないももりのガラス絵(No536)

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2007年3月12日 (月)

ソ連時代のシベリア紀行-2

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 この写真は20年前、当然若い。今よりは・・・イルクーツクのホテルでの夜、ぐっすり眠り込んでいた私の耳にま近にささやく声が聞こえたようで眼が覚めた。電気を消した室内は真っ暗で、鼻をつままれてもわからない。どうやら、廊下から聞こえるらしいと、しっかり眼が覚めた。ソーッと扉の鍵穴から覗いてみたら、若い男が2人立ってる。髪の毛が総毛立つっていうんだろうか。一瞬で、自分の置かれた状態がわかった。軽くノックして、執拗にささやいている。鍵穴をガチャガチャやっているが開きそうにはない。さああ・・・どうしよう。山女で一人山を歩き回っていたももりだけど・・・ピッケルは手元に無い。とりあえずは無視。昼間に、この部屋が女の一人部屋だと観察していたんだ。うかつなことに友人の部屋への電話NoやフロントNoも聞いていない。扉の外からは、執拗にささやき、鍵をガチャガチャ鳴らし続ける。「もし、押し込んできたら・・・・もう、大声でわめきちらしてやるっ」と、決めてジーッと物音もたてないように身を潜めていた。眠るどころではない。2時間くらいは続いただろうか。やっと声が聞こえなくなり、足音も無く人影が消えた。ももりがツアーなんかで、添乗員の部屋Noなんかを控えるようになったのはそれ以来です。写真はイルクーツクのソ連無名戦士の墓。少年少女が捧げ銃をして立っています。スケッチはハバロフスクの郷土史博物館。ここで、朝、出発前にスケッチをしてたら・・・・日本語をかなり話す、若いカッコイイ男性が出てきた。その青年とは10年以上も手紙のやりとりが続きましたが・・・続く(No535)
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2007年3月11日 (日)

ソ連時代のシベリア紀行

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 ソ連への旅は1986年8月でした。当時、旅行者のパックツアーなんか無かったと思います。京都商工会議所の社長さん連中の視察旅行に飛び入り参加させてもらいました。社長さん連中はみんなお年寄り、医者が必要ということで、ゴルフ仲間の医師夫妻が同道することになったのです。奥様の歌人がももりの友人でした。
「シベリア鉄道に乗って、バイカル湖の岸辺を走るんやて」って言うじゃありませんか。「連れてって」ということで、一介の貧乏主婦がまぎれ込めたのでした。社長さん連中は公費、貧乏主婦は自費です。新潟空港からハバロフスクへ。ハバロフスクでは、激しいスコールに会い、道路が川のようになっていました。シベリア開拓のハバロフの像なんかを見ましたね。当時、共産圏は写真が自由でない。橋、ダメ、空港や駅、ダメ、空中写真ダメ・・・もう宇宙衛星は飛んでいて、なんで、こんな物まで禁止するのかなあって思いました。スケッチだって、調べるように1枚1枚見るんです。ソ連に抑留された経験がある社長さんもいて「あいつらはなあ、監視してるんや」って言います。「まさか」と思っていましたけれど、今から思えば全ては監視されていたんです。何にも知らないももりは「共産圏には犯罪は無い」なんて聞かされてたので呑気なものでした。
 イルクーツクはハバロフスクよりはずっと都会でした。「あの、ビルもこのビルも日本人が建てたんや。毎日、木を切り出しにいかされたんやでえ。いっつも歌を歌いながら歩いたもんやった」「空腹でなあ・・・・ジャガイモを盗むんや。じゃがいもっていうのは、軸の下に大きな芋ができるねん。回りの芋は小さい。そやから、真ん中だけ掘りおこすんや。夜中にな。それを茹でて食った、そらあもう、うまいんや。紫色の芋でなあ」少年みたいな笑顔の社長さんは得意顔。共産圏に犯罪は無い???その夜、一人部屋のももりの部屋に起こったことは・・・(No534)
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2007年3月10日 (土)

映画「善き人のためのソナタ」-2

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ベルリンの壁が壊れたのは1989年。ももりがシベリア鉄道で、ハバロフスク、イルクーツクからモンゴルのウランバートルへの旅をしたのが1986年・共産主義政権下のソ連の旅はハプニングの連続でした。もう、20年も前になるんですね。若かったし、今ほど、共産主義社会なるものの実態もオープンではなかったから、「ハプニングこそ旅の醍醐味」とか、ヌカして喜んだくらいだったけど、その旅は散々でした。明日から、その旅について思い出して書いてみようと思います。
 共産主義なるものが理想的な社会だ、というような口ぶりで、盛んに宣伝していた政党、進歩的文化人、マスコミが、未だに「あの当時の言ったことは間違いだった」なんて言ってないようなのは、これで良いのでしょうか。特に学者さん達、まず一番に共産主義が苛酷な独裁政権に変貌してしまう理論上の欠点を論証すべきでしょう。作家や映画人たちのほうが、先行するなんて、学者としては怠慢です。カビ臭い本に埋もれて権威にしがみついてきた学者達さん!!恥ずかしがらないで大いに大衆にもわかりやすく説明して下さい。スケッチは、イルクーツク(No53307syougatu_110_1

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2007年3月 9日 (金)

映画「善き人のためのソナタ」見てきました

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このスケッチはシベリア鉄道で13時間半、乗り合わせたソ連の姉弟が、言葉を教えてくれた時のスケッチブックの1ページです。ソ連、共産主義政権下の国民を監視し、密告を奨励した暗い時代。1986年にシベリア鉄道に乗ってイルクーツカからモンゴルへ、国境のナオーシキという駅を通過して、ウエランバートルへ行くはずでした。「はずでした」というのは、後ほどお話するとして・・・この映画、「善き人のためのソナタ」は、そんな共産主義政権下の東ドイツが舞台です。監視、密告、盗聴・・・の実態は???人々の自由な言論を封じる卑怯な国家。こんなにも、酷いものだったのですね。以前、「プラハの春」 春江一也  集英社文庫・・を読みました。何となく似た雰囲気のストーリー・・・映画の筋立ては、少々甘いかもしれないけれど、盗聴という恐るべき人権侵害が、国家の手によって堂々と行なわれていたという事実。一見の必要ありと思う映画です。ゼヒゼヒ・・・・ちょっと時間に余裕がありませんので・・・後ほど・・・ノ・チ・ホ・ド・・・07syougatu_102(No532)

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2007年3月 7日 (水)

おいかわのじゃこ寿司でござーい!!

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釣りキチのお料理にたくさんのコメント頂き、釣りキチ、ももりともども、ありがたくお礼申し上げます。釣りキチの申すところによりますと、ハエというのはオイカワのこと、ヤマベともいうそうです。じゃこ寿司も、ホント、ホッペが落ちるほどおいしかったですよ。
 お話変わってワーキングプアーって言葉、ももりは嫌いです。啄木じゃないけど、働けど働けどわが暮らし 楽にならざる・・・じっと、手を見つめて思います。プアーって、今さら何を・・・人間の営みって大抵はそんなものです。でも、働くことこそは尊い。世の中の片隅で、ひっそりと自分の口すすぎをして生きること、そんなに尊敬されもせず、目立ちもしない市井の生、それこそが過去から営々といとなんできた人の営みです。働かないのに、働いているものよりもたくさん生活保護費がもらえるなんて・・・それは、おかしい。払えるのに給食費を払わないなんて・・・恥知らず・・・じっと手を見て思います。(No531)

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2007年3月 5日 (月)

我が家の釣りキチ君の川魚料理

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 水ぬるむ春・・・ちょっと早くぬるみ過ぎみたいなのも、気になるけど・・・・上桂川の周山周辺で釣ってきたハエとウグイ。お料理の腕もグッと上がりました。お味をパソコンで試してもらえないのが残念ですが・・・ウグイの塩焼き、ハエの天ぷらと甘露煮、蕗の薹も添えて・・・南蛮漬け・・・これが、ホント、おいしいんですよぉ。これからジャコ寿司も作ってくれるっていうから・・・うれしい・・・けど、若いカワイ子ちゃんで食べてくれる人があったら・・・オ・モ・イ・マ・ス(No530)

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2007年3月 4日 (日)

「ある日、村は戦場になった」 山崎佳代子 集英社

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 「ある日、村は戦場になった」・・・この本はユーゴスラビアが解体して、民族国家に分裂するまでに理不尽に流されたおびただしい血と、その中に生きた子供達の描いた絵。その絵を通して、日本の子供達との交流がありました。児童書です。
「そこから青い闇がささやき」・・・「解体ユーゴスラビア」を、噛み砕いたような本です。どちらも、読みやすい本ですが「解体ユーゴスラビア」を読み込んだから読みやすかっただけかもしれません。本って読めば読むほど読みたくなる。旅って、行けば行くほど、もっともっと行きたくなるんですねえ。(No529)

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2007年3月 3日 (土)

新芸術展 京都展

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2つの展覧会に同時に出品しています。
3月6日(火)~11日(日)  京都市美術館別館  岡崎公園内
この展覧会は、昨年11月、東京都美術館・・・12月、愛知県美術館・・と巡回して今回、京都です。東京、愛知の展覧会をご覧頂いた方は、同じ絵が並んでおりますのでご了承ください。
 もう一つ、「京都水彩展」は、京都市美術館本館2Fで、絵は2月20日「ソドムの街を出てエデンの園へ」というブログに載せています。京都市美術館に3点も絵が展示されるなんて・・・こういうことは・・・もう、とっても喜ぶことにしているももりです。ももりが会場に居ますのは3月6日11時から1時まで、「京都水彩展」会場。そのあと、1時から5時まで「新芸術展」会場におります。どうぞ、お時間、おついでがあればお越しくださいませ。新芸術展の切符、500円、パソコンで遅れないのは残念です。(No528)
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2007年3月 2日 (金)

傍観者・・・「解体ユーゴスラビア」  山崎佳代子 朝日選書

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 クロアチア・スロベニアのパックツアーに申し込んでから、何冊か本を読みました。一番ショックを受けたのがこの本。世界のことなんか、なあんにも知らないってこと・・・ホント、ユーゴスラヴィアって言う国のことなんか全く知りませんでした。ボスニア・ヘルツェゴヴィナとか、セルビアやクロアチアでの戦争のことって、TVで、ドラマみたいにチラチラと目にはしていました。これから、一旅人として、傍観者として、悲劇の後を見物に行くのかと、ちょっと忸怩たる想いではあります。でも・・・勿論、行きますよ。スケッチだって一杯してきます。
 ユーゴって言う国、ナチスの傀儡政権下、クロアチア王国のやったホロコースト。ヤセノヴァッツ収容所のことは世界にもほとんど知られていないそうです。ナチスドイツが負け、共産主義に対抗したパルチザンのチトーは多民族の民族意識を抑えたようで、ヤセノヴァッツ収容所は一度も訪れなかったと言います。チトーが死に、一部の野心家に牛耳られたマスコミの扇動で、偏狭な民族主義が澎湃として沸き起こります。ユ-ゴスラビアから、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、セルビア・・・7つの国と自治州に分かれる段階の民族同士の利害関係の対立。ウーン・・・・人間って卑劣、傲慢、残酷、うそつき・・・犠牲者は、常に、本当に、何の罪も無い善意の民衆・・・この本はルポルタージュです。クロアチアの内戦が始まった1991年1月から、国連平和維持軍が入った11月までを現地に住んだ日本人音楽家が、隣人や、各地から流れてきた難民を、ベオグラードで取材しています。350万の民衆が難民となった・・・1993年・・・と言われる旧ユーゴスラビアの内戦・・・凄い本でした。続編があれば・・・図書館で調べてみます。それから・・・今忙しくってコメントをいただきながらお返事も書かずに申し訳ありません。(No527)
 

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