« 2006年12月 | トップページ | 2007年2月 »

2007年1月31日 (水)

バロック ロココ ロマネスク・・・

07syougatu_071

 旅に出たい・・・ヨーロッパがいいなあ。申し込んでいたパックツア-「キプロスとマルタ」は中止ですって。老後の生活は確実に苦しくなっていっていますよねえ。なんてったって、税金が・・・応えます。パック旅行の参加者って年寄りばっかり。若い人たちが身をすり減らすようにして働いているのに・・・申し訳ないとは、いつも、思っていますけど・・・ 
 と言うわけで、結局、又、本の中で夢を見ましょう。マリー・アントワネットの夢のようなトリアノン宮殿。「マリー・アントワネット」の映画は、結局、今は無いトリアノン宮殿を見に行ったようなもんでした。本当に夢だったけど・・・その宮殿を飾ったインテリアがロココ様式。ルイ15世の愛人、ポンパドール夫人やマリー・アントワネットが作り上げた様式です。ルイ14世時代がバロック。バロックとは「歪んだ真珠」という意味ですって。権力を誇張するように、ごつくいかめしく、人を威圧します。それに代わったのが女達が作ったロココ。「変な装飾」と言う意味の「ロカイユ」っていう言葉が元々の意味らしいです。でも、古代風の様式も取り入れ、軽妙、洒脱、日常性をテーマに持ち、今でも女達は大好きです。大学時代、センド習った建築史はちっとも頭に入らなかったけど、本物見たら、もう、アッと言う間にわかります。だからぁ・・・旅をしたい。
 というわけで、ももりがハンガリー、センテンドレのアンティークショップで見つけたコーヒーカップ。これって、ロココじゃあない???お友達にこのカップでお茶するのがももりの最高のハッピータイム・・・(No509)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年1月30日 (火)

それでも、セーヌはながれる

07syougatu_060
 映画[マリー・アントワネット」は、突然フッツリと無責任に終わったけれど、歴史は続きます。映画化するなら、その後のフランスの方がよっぽど、深刻で、人間ってものの正体をえぐるまともな映画になるでしょうに。
 王夫妻がとらわれの身になった1791年9月、議会は憲法を制定。国王はこれを承認します。海外逃亡に成功した国王の弟が暗躍し、フランス国内は王党派と革命派の内乱状態。スペイン、オーストリアの力を借りた王党派が起こしたツーロンの暴動に出現したのが、砲術の天才ナポレオンです。若干24才。なにしろ、出来たばっかりの革命政府の志願兵は、訓練もされず弱い。根っから弱いくせに1792年にはオーストリアに戦線布告します。敵国オーストリアの人間マリー。アントワネットの進退はこれで極まりました。1789年のヴァスチーユの牢獄襲撃から4年。国王、王妃、王妹処刑。革命政府は過激な内部闘争で、パリでは、「9月の虐殺」が行なわれます。革命に反対した貴族や僧侶が革命政府の手で裁判にもかけられず1000人以上が殺されました。普通選挙が行なわれ、国民公会が開かれました。議会の右側には穏健派、左側には進歩派。ここから左翼、右翼という呼び名が生まれます。革命政府は王政廃止、共和政を宣言します。しかし、かっては革命を共に叫んだ仲間たちは、狂ったよう政敵を殺し始める。「人民の敵は殺されなくてはならない」というわけだ。ダントン、マラー、ロベスピエール・・・全部、ギロチンの餌になりました。「セーヌ河は血を流している。もうたくさんだ」恐怖政治の火中にいたダントン・・・彼も逃げずに殺されました。
 国民が血に飽きたころ、国民公会を襲撃した王党派を鎮圧したのがナポレオン。パリは砲弾の煙で先も見えなかったといいます。ナポレオンについては、又、いろんな映画がいくつもありますよね。オーストリアとプロシャの連合軍が国境を越えて攻め込んだ時、議会は祖国の危機を訴え、義勇兵を集めました。マルセイユから、歩いて参加した義勇兵たちが歌った「ラ・マルセイエーズ」が今のフランス国歌です。過激ですよ・・・
  立て 祖国の子らよ
  栄えある日は 今 やってきた。
  我らに対して 暴君の 血に染まった旗は掲げられ
  暴虐な兵士達の叫び声が 広野に轟くのを聞け
  彼らは迫っているのだ
  我らの妻や子を殺そうと  
  武器を取れ 市民よ
  隊を組め 進め 進め
  我らの畑を汚れた血でみたすすまで
どうですか???「君が世」なんて・・・スケッチはナポレオンがの遺体が安置されている「アン、ヴァリッド」(No508)
 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年1月29日 (月)

マリー・アントワネットの首飾り

07syougatu_062
 昨日の続きです。どうしようもない禁治産者みたいな王族、ヴァロワ家の家系の端ッコにぶら下がった貴族と女中の間にできた乞食娘は、町で物乞いをしていた。「ヴァロワ家の血を受けました哀れなみなし児におめぐみを」・・・ある公爵夫人が哀れに思い引き取って修道院へ入れたが、自堕落、破滅的な父親譲りの血のせいか、修道院を脱出。後はお決まりの歓楽街で女を磨く。そこで、貴族の片割れのニコラス・ド・ラモットという仕官を射止め、やがてお世話になった公爵夫人によってヴェルサイユへ入り込んだ。
 一方の喜劇役者がローアン大司教。彼はは若い日にウイーンで大使であった。軽薄で女性にもだらしなく、厳格、禁欲的な女帝、マリア・テレジアはハプスブルグ家に放蕩の気分を持ち込むと、常に立腹。フランスへ嫁入りした末娘、マリーアントワネットにも、いつも手紙で「あの男は最低。近づいてはなりません」と言っていた。当然、マリー・アントワンエットも彼がダイッ嫌い。軽薄ではあっても、立身出世欲はしっかりしていたローアン大司教、何とか、マリー・アントワネットに近づきたいと常々思っていた。折りしも・・・亡きルイ15世が愛人、デュ・バリュー夫人の為に買うであろうと2人の宝石商がもくろんで作ったダイヤモンドの首飾り・・・160万ルーブル。これが、買い手を見失って、宝石商は、必死で売り込みをしていた。そこへ、登場したかのヴァロワ・ド・ラモット婦人、
「王妃様は、本当は、買いたがってらっしゃいますが、皆様の手前・・・遠慮していらっしゃいます。だから、ローアン大司教様、あなたがお買い上げになったことにして、王妃様にお渡しなさったら王妃様はお喜びになるでしょう。お金は王妃様が後からお払いになりますのよ。」
 ローアン大司教は王妃からの偽の手紙にもう、有頂天。4回の分割払いということで、首飾りはローアン大司教の手に渡った。間発をい入れず早速、ヴァロワ・ド・ラモットが現れ「王妃様にお渡しいたしましょう」と持ち去ったが・・・もちろん、バラバラにして、ダイヤモンドは売り払われ、ラ・モット夫妻は一躍、大金持ち。今までの借金づけの贅沢なんか・・・古いヴァロワ家の領地を買取り、金ピカに磨きたて、豪勢に召使を雇い入れ、大判振る舞いの連日連夜のパーティー三昧。
 一方、支払い期限を過ぎても、王妃からはなんの金も入ってこない宝石商は王宮へ駆け込んだ。露見した悪事・・・しかし、ことは以外な方向へ発展する。カンカンになった王妃は「裁判、大陪審にかけてください」と叫ぶ。この大陪審に持ち込んだことこそが間違いであった、と、かの、ナポレオンも言ったそうです。大陪審は結局、フランス中に根を張った古い大貴族の家柄のローアン大司教には、裁判官である貴族達も重罪にはしたがらなかった。ヴァチカンも動いた。むしろ、詐欺事件の被害者として、大したおとがめなし。一方、この裁判で露見したのが、国家財政の悪化、ヴェルサイユ王宮内部の自堕落な生活、王妃の借金・・・などなど、全て明るみに出てしまったのだ。勿論、ラ・モット婦人は罪を一身にかぶって、鞭打ちと焼ゴテの刑を公開処刑されて国外追放。行った先がロンドン。これに、又々、出版屋が飛びついた。ラ・モット婦人の暴露本はありとあらゆる性悪なデマをデッチあげ、全てはベストセラーになった・・・というのです。なんだか、ダイアナ妃を思い出すなあ。
 イギリスは100年以上も前に産業革命を達成し、アメリカは1776年に独立。フランス革命の1789年には、ワシントンを初代大統領にしています。モンテスキューはイギリスの議会政治を宣伝し、ルソーは民主主義を唱えている時代。まさに動乱の時代の王と王妃としては・・・やっぱりアマちゃんでした。(No507)

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007年1月28日 (日)

ヴァロワ・ドゥ・ラモット-1  

617
 映画「マリー・アントワネット」は甚だ評判はよろしくない。ももりも、まああ、60才以上割引で1000円で見たから大人しくしてるってとこで、決してお勧めしてるわけではありませんよ。でも、フランス革命前後のフランスの歴史は、本当に面白い読み物です。読み物って断っておきたいのは、常々、悲惨な戦争のことをぬくぬくとコタツにくるまって読んで楽しむのは犯罪に近いと感じているからです。でも、面白いものは面白い。
 1993年6月、フランスのブロワで行なわれたグループ展に参加しました。ブロワの貴族、ラモット家の令嬢イレーヌ嬢の25才のお誕生日に合わせて、日本文化を紹介すると言う催しがあったのです。2日間でしたが、当日は200人ほどのラモット家ゆかりの方々が集まりました。フランスは王制は廃してしまったけど、貴族は広大な敷地を所有して今も健在です。ラモット嬢のお屋敷は・・・そう、周囲は東西20キロ以上はあったでしょうか。大きな河が3本も流れボートも繋がれています。農場も果樹園もあり、お館はお城というほどには大きくはなかったけれどじつに可愛く魅力的でした。
 わたしが、この「ラモット」という名前に過敏に反応したのは、マリー・アントワネットの不幸を加速させる大変な謀略事件があったのです。「マリー・アントワネットの首飾り」事件。映画にもなったらしいけど、それは見ていません。その実に巧妙な詐欺事件を仕組んだのが「ヴァロワ・ド・ラモット」。王妃の名をかたってルイ15世が愛人の為に作った150万ルーブルとかいう、ダイヤの首飾りをまんまとせしめて、ロンドンへドロン。ローアン大司教を喜劇役者にしたてた、その詐欺事件は、小説以上に面白い。そのことは明日お話するとして、ヴァロワ家は古い王朝の家柄です。ユーグ・カペーが始めたカペー朝の次がヴァロワ朝??たしか・・・??そうだったと・・・??
 「お・お・お・あの稀代の詐欺師ラモットの末裔がここに!!」と感激したのです。でも、後からフランス人に聞いたら「ウン、ラモットってアッチコッチにあるよ。古い家柄だけど」ということで、ついに、このラモット家が、あの、詐欺師のラモットの末裔かと言うことは聞けませんでした。スケッチはラモットさんの館(No506)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年1月27日 (土)

またまたマリー・アントワネット

07syougatu_064_1
 京都の記事を書くよりも、フランス革命を書くほうが、いきいきするなんて・・・日本人としては・・・申し訳ないデス。でも、あの革命は、いろんな人が書いているものを読めば読むほど面白い。例えば、マリー・アントワネットを中傷する記事、淫乱、姦通、売国奴・・あること無いこと、面白おかしく書きたてたジャーナリストは一杯いたんですが、では、誰がその悪徳ジャーナリストに金を渡していたか???ツヴァイクは、ルイ16世の弟、プロヴァンス伯だと言います。あの有名な「パンをくれ」って言った、バスティーユ牢獄への女たちの行進。でも、あの中には多くの、女装した男が混じっていた・・そう、仕掛けられた革命であったとツヴァイクは言っています。王夫妻の次男、健康できかん気だった次男ルイは、革命派の靴屋の手元から、いつの間にか消えた・・・王位継承者であるゆえに・・・ 
 歴史を大きなスパンで眺めると、大戦争は、ほんのちょっとしたきっかけで起こります。うれきった腫れ物が、針の1刺しで、タラタラと膿が流れ出すように。
 第1次世界大戦の時、サラエボで皇太子夫妻が殺されたのが6月。イギリスが参戦したのが8月。兵士たちは「クリスマスには家に帰れる」と言って出て行きましたが、戦争は4年続き、多くの若者がじめじめした塹壕の中で死にました。
 日中戦争、盧溝橋でどこから飛んできたかわからない一発の銃弾から戦争は一気に拡大しそれから8年。満州事変から数えると14年。アメリカがイラクを攻めて・・・さあ・・・この戦争は終われるでしょうか。??中国は宇宙衛星を撃ち落とせるとか??そう、情報衛星はいつ切断されるかわからないのです。いつ、誰の身の上に、マリー・アントワネットのような不幸が襲いかかるか・・・それは、誰にもわからない。スケッチはパレ・ロワイヤル パリ(No506)

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2007年1月26日 (金)

フランス革命は、暴露本の産物 

07syougatu_066
 映画「マリー・アントワネットの続きです。王妃マリー・アントワネットは確かにあんまりお利口ではなかったかもしれない。でも、彼女を、これでもか、これでもかと貶めたのは、当時、自由に出版されていたマスコミ。実に酷い中傷を書いていたといいます。「コキユ」ってフランス語では「寝盗られ男」ですって。コキユとからかわれていたルイ16世は、そんなにバカとは思えません。彼は当時はやりの、モンテスキューやジャン・ジャック・ルソー等の啓蒙思想の持ち主で、人民を搾取する絶対王制の支配者ではありませんでした。フランス一の航海者、ラペルーズを太平洋探検の旅に出した時、ルイ16世は自らの手で、指示書を起草し、「現地民の人間性をくれぐれも尊重して、流血を避け・・・」ハワイ諸島を領有宣言をしなかった先例のないこの処置のおかげで、ハワイ諸島は、ルイ諸島と言うフランス領土になりませんでした。アメリカがハワイを統治するようになったのは、時代が大分下ります。映画、「マリー・アントワネット」では、彼は性的不能、夜のお世話をしなかったとなっていますが実際は包皮だったんですって。だから、それがちゃんと解決してからは4人の子供を生みました。最初の娘は昨日書いたマリア・テレジア。この名前は母のオーストリア女傑女帝の名前をもらっています。2番目の王太子ルイは、革命寸前に死にました。脊椎カリエスだったとか???次男の王子がルイ17世。革命派の靴屋に育てられたようですが、死因ははっきりしません。それにしても、女の欲求不満は怖ろしい。でも、このももりまでが、国王が包皮だったって知ってるなんて・・・これじゃあ・・・ホント、暴露本ほど怖ろしいものはない!!!(No505)

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2007年1月25日 (木)

映画「マリー・アントワネット」見て来ました

07syougatu_054
 女の子なら誰だって、世界史への入り口は、フランス革命と、マリー・アントワネット。わたしも、何冊かを読みました。ツヴァイクや、遠藤周作から藤本ひとみさんまで、細かいのを入れたらちょっと・・数は・・・と言うくらい。大体の状況は知っているつもりです。でも、ヴェルサイユ宮殿の内部とか、今はもう無いトリアノン宮殿とか、とも角、好奇心のかたまりのももりが見逃がすわけにはいきません。あんまりウソは描かれてないみたい。でも、フランス革命には触れていません。
 私が心引かれたのは、長女のマリア・テレジア。天使もかくやと思うほどの愛らしさです。映画は、もう、彼女には触れないけれど、その天使のような娘のその後は、母、マリー・アントワネットにもまして悲劇的でした。1789年(これは覚えやすいからゼヒ覚えてください。その時ナポレオンが20才)バスチーユ牢獄襲撃から始まったフランス革命、その時テレジア10才。革命は1792年12月、国王をギロチンにかけました。翌年7月、弟ルイが革命派によって連れ去られ、タンプル搭牢獄の別の階に移されます。8月、母、マリー・アントワネットはシテ島の牢獄に移され、やがて処刑。最後に残った叔母エリザベートも同じ運命をたどりました。靴職人の手にゆだねられた、幼い弟のルイが、教えられるままに「あの、バイタ」とか、「売国奴」とか母のことを大声でののしるのを聞く日々であったといいます。たった一人、タンプル搭に閉じ込められたまま、忘れ去られた弧児が救い出されたのは、1795年12月。16才の陰気な少女は、言葉も忘れかけていたといいます。(マリー・アントワネットの娘  藤本ひとみ 中公文書)その後、革命は、血で血を洗う様相を見せ、やがてナポレオンが皇帝に、そして失脚とともに、再び、王室にみんなの関心がもどるのですが・・・絵はルーブルの裏(No504)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年1月23日 (火)

コートな服着て・・・???

199
 中京の古い家は本当に寒くて、どうしようもないんですけど、京都の古い?人は「冷たい・・・つめたい」って言いません。「ちべたい」って言います。洋服やコートなんかが地味なことを「こーとやなあ」って言います。
 ご近所の洋服屋さんの若奥さんは、新潟出身、銀座で働いていたっていう人だったけど、その人が言うことが面白い。お客さんがスカートを見て言います。
「このスカート、こーとやろか」
「?・?・?・・・誰が見たって、これはコートじゃなくってスカートじゃないの」心の中で「この人、バカに違いない」って思ったって言います。
「このスカート、地味やろか??」っていうことなんです。実は・・・足のことを「おみや」なんていう人は、もう、いないなあ。「おみあし」の略なんでしょうね。こーとがどこからきた言葉かは、ちょっと・・・・わかりません(No503)

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2007年1月22日 (月)

いやしんぼ

07syougatu_042
 お正月以来、TVを見て、「なあんて食べる番組みの多いこと」と思います。アッチの番組でも、コッチの番組でも同じようなタレントが、凝ったお料理を「おいしい!!!」とか「サイッコー」とか、言って食べてる。日本人って、こんなに食べることに執着してるのかしら。ももりだって食いしんぼだし、お腹がすいたのはイヤだけど、こんなに食べることばっかりに拘泥してるってのはいやらしい。異常じゃないかしら???子供の頃、つまみ食いすると「いやしんぼするんやない」って言われたもんです。「武士は食わねど高ようじ」とまでは言わないけど、あまりにも食べ物のことをあれこれ言うのはどうも???いやですねえ。世界中には餓えている子供達がいっぱいいることでもあるし・・・と、何を食べてもおいしいし、もっぱら残りもので満足している、要求度の低いももりです。(No502)

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007年1月21日 (日)

そばかす美人

07syougatu_040
 あれあれ??ももりとしてはこれが一番可愛いかなとか思ったお雛様。よく見たら目のとこにそばかすが3つ。絵の具が飛んだらしい。消せないけど・・・マッ・・いいっか。そばかす美人と言っとこう。もう、ここいらで表具屋さんに持って行かなくっちゃ間に合わない。ももりの色紙は和紙に描いて、色紙に仕立てます。こんな簡単な絵なんて、なんでもないって思われるでしょうけれど、決め手は和紙。まず、お店で一番高い雁皮紙か、楮紙の素紙を買います。混じりっけのない雁皮か楮。高価ですけど美しいにじみを作ってくれます。和紙は同じ人が漉いても季節によって出来が微妙に違います。ももりの好きなのは、静岡県富士群上柚野の内藤恒雄氏の漉かれた柚野紙。このお方の紙は美智子皇后様がお買い上げになってから、すっかりお高くなりました。でも、既製品の色紙では、ももりの好きなボヤーンとした雰囲気が出ないんです。(No501)

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2007年1月19日 (金)

やっぱり絵を描かないと

07syougatu_035
外は木枯らし 北の風
さあさ 皆さん なつかいしい
おとぎ話の冬が来た
 家人たちが寒い中、一人、又、一人と、着膨れて仕事に出かけます。それを見送って、暖かいお部屋に戻る時、ホント、ちょっぴり心が痛い。でも、家族から開放されて、ホッとするうれしいももりのゴールデンアワーです。この寒い冬の日、ストーブを背中に、ガラス絵を描くっていうのがずーっと続いていたももりの冬でした。今年、何やかやとバタバタ忙しで、ガラス絵も描いていません。何となく、もの寂しく、ウツロなんです。3月の展覧会の絵も、中途半端。やっぱり描くことが、わたしの喜びなんかしら。さああ、今年も、そろそろパワー全開!!!そういえば、記事も500回!!(No500)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年1月18日 (木)

お茶漬けなら、やっぱり京都

07syougatu_038
 この本、面白いんですよ。あれって思うような京都の知識の隙間を鋭く取りあげて、京都の歴史や人情を描いています。ももりは京都に生まれ、京都の田舎で青春前期を過し、中京に嫁いで、今では京都ほど住みやすいところはないと思っていまが、それでも、京都には京都独特のクセがあるとは思います。そのクセさえ呑み込めば、京都はとっても住みやすい。いい意味でドライ、適当に距離を置きながら、波風たてずに助け合います。長い間、都びとで、権力者の目に留まらないように助け合ってきた土地柄なのかもしれません。
京都が多分に誤解されているのは、あの、「お茶漬け」の落語。京都の人が
「まあ、上がってお茶漬けでも」って言ってくれても、それを真に受けてはダメ。おあいそを言ってるだけで、心の中では、「はよ帰ってえな」って思ってる・・・とか???そんな事はありませんよ。お茶漬けがないのに「まあ、お茶漬けでも」とは言いません。どうぞ、喜んで食べてあげてください。
 でも、こんなももりでも、せんど、腹を立てた京都のあいさつ言葉を一つ二つをここでバラしましょう。中京の真ん中の、古い家に、たった一つ粒落ちた異人種みたいなケッタイな嫁だった頃のこと、まあ、例えば・・・ちょっとお出かけ・・ご近所のちょいウルサオバサンが「どこ行きえ??」って聞いてきます。この言葉にどんなに腹を立てたことでしょう。
「ええとぉ・・・ちょっと大阪行って、そこから神戸へ・・・」なあんて、答えながら心の中で「なんで、こんなプライヴェートなこと、聞かれなあかんのん???」ってプリプリ。でも、それは、ほんのあいさつの言葉なのです。「こんにちわ」の代わりなんです。。「ちょっと。そこまで」って答えれば良いだけなんですよ。それに気がついたのは、大分たってからでした。そう、どこへ行くときだって「ちょっとそこまで・・・」。相手はそれ以上は聞きません。「あ・あ・あ・聞かれたくないんやな」って感じなんです。そこのニュアンスは、ちょっと説明がむつかしいかもしれへんなあ。つまりぃ、やんわり取材拒否してる。
又々、姑が寝込んだ時、「おばあちゃん、どうえ??」って・・・・・「昨日からちょっと熱があって・・・ご飯が・・・」なあんて・・・ある日、気がつきました。相手は別に何も知りたがってない。「こんにちわ」の代わりなんだって。「機嫌ようしたはります」って言っとけば良いだけなんです。相手に意地悪を言っているという意識がないのに、こちらだけが腹を立てているってのは、エネルギーのムダ使い。という風にすっかり京都の風になじんだももりです。写真は、黒田正子著「京都の不思議」光村推古書院 
黒田正子氏に触発されて今年は、ももりも京都について書いていてみようと思っています。せっかく京都に住んでいるんですもの。ナマ情報もできるだけ取材しましょう。(No499)

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007年1月17日 (水)

プロとアマと・・・ボロ

07syougatu_033
 今、ちょっと頼まれてお雛様の色紙描いています。最近、こういう手合いの絵を描いてないので、調子が上がりません。静岡の亀山画廊にて、「おひなさま」展。2月1日(木)~16日(金)
人に頼まれて描くというのは、本当に難しい。描きたいものだけ描いて、個展や展覧会で発表しているのは気楽なものです。「売れなかった」とガックリくるくらいが関の山。でも、画廊は違います。はっきりと”売る”という目的を持っています。売れる絵と描きたい絵はまるで違います。ちょっと壁に掛けていやされたいっていうのが売れるんでしょうね。描きたい絵は自分を吐き出す・・・排泄物???ちょっとそこまでは・・・ご免・・・オナラかしゃっくりみたいなもの。でも、・・・ももりのしゃっくりはいつもイマイチ。売る絵も描けず、売れない絵もイマイチで・・・プロとも言えずアマとも言えない・・・ボロってとこか??(No498)

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年1月15日 (月)

冬の星座

23kyousui_005
 風もなく穏やかな冬の1日、丹波のお山で笹刈り。すぐ隣まで迫っているススキの根を、つるはし振り回して起こしました。でも、ゾロ目を過ぎた身であれば・・・腰が痛い。夜、近くの銭湯でゆっくりサウナを楽しんできました。帰り道、冬の星空を見て・・・もし、星座の知識があったらなあ・・・あれが冬の大三角形かしら。それとも火星??土星も見えるとか言ってたなあ・・・中京の夜空は星座がわかるほどには見えません。古代フェニキア人は星座を頼りに航海したんでしょう???砂漠を旅する羊飼いたちは、星座に導かれて、目的地を目指したのでしょう。星を見ながら眠りたいって、丹波の、どうしようもない山の中の土地を買ったんじゃなかった???子供達が小さかった頃、何度もプラネタリウムに入ったのに、いつだって寝てしまったよなあ。トワイライトソナタのBGMが鳴り始めると意識が遠ざかり、「コケコッコー」って鶏の鳴き声でパッと目が覚めたもんです。ぐっすり眠った後みたいな快感があって、あれって、催眠術じゃなかったんでしょうか??丹波の土地では、お隣が山羊を放し飼いにするもんだから、水仙も、チューリップも、つつじも、さざんかまでボロンボロンです。山羊が届かないくらい大きくなったのだけが無事・・・あ・あ・あ・・・小屋を建てるのは止めました。(No497)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年1月13日 (土)

60代ゾロ目の誕生日

07syougatu_027
 このおっそろしく出来の悪い写真は、なんと、まああ・・・どうやら、パソコンは順調に動きだしたんですが、今度はデジカメのヤツが・・・持ち主に似て老化してきたのでしょうか??1月9日はももりのお誕生日。ゾロ目です。みんなが集まって賑やかに新年会。可愛らしい苺が一杯乗ったケーキにろうそくを立ててもらって「ハッピバースデー トゥ ユー ハッピバースデー トゥー ユー」って歌ってもらって、拍手も一杯してもらって、何てうれしいことでしょう。ももりは息子を3人も育てたのですが、誰も誕生日なんか思い出してもくれないなあ。尤も、大きなおっさんになってしまっている息子の誕生日なんか、いえいえ、亭主の誕生日だって、ちっとも思い出したりはしないももりなんですが・・・ももりの小さな書道教室は、もう、35年以上続いていて、幼稚園児だった生徒さんが今では、2児の母、とか、立派な学校の先生とかになってらして、それでも、お教室には来てくれているのです。ももりの一番うれしい友人達、この若い人達は新しい話題の本や映画、流行など、ともすれば遁世的になりがちな引きこもりおばさん???誰ですか???モうチット引ッコンどれ・・・って言ってるのは???に今の世の風を吹き込んでくれるのです。みんなで読んだ本の情報を交換したり、映画に共感したり・・・本当にア・リ・ガ・ト・ね。(No496)

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2007年1月12日 (金)

この世の無駄

07syougatu_007_1
スーパーがポリ袋を5円にしたそうです。ももりはもう早くから買い物袋を持って行っていますので、これは良いことと思います。世の中にもったいないと思うこと、2つ・・3つ・・・
その1  痩せるために飲むとか食べる・・・これは全くインチキ。食べないのが一番確実で、手っ取り早くて安上がり。
その2  優秀なDNA・・・せっかく授かった子供を殺すどうしようもない親がいる一方、優秀なDNAが生かされること無く、涸れていっています。あ・あ・あ・・・・優秀な人たち、せっせとDNAを生かしてください。
その3  何でもあるお宅へのお返し・・・頂いたお祝いとかにする「おため」って京都では言っているお返しの慣例。あちらさんはなんでもある、古くからのお金持ち・・・・花瓶とか・・・鍋なんか、もらったら困るやろしなあ・・・・
それにしても、地球規模ともなると、武器や戦争ほど壮大、きてれつな無駄は無い。我が家のムダと言えば、ひょっとして、いやいや確実に、一番無駄なのはももりのデッカイ絵達・・・ム・ム・ム
 写真は我が家の釣りキチのお正月釣行の獲物。まだまだ他にもありましたよ。それに、釣りキチは最近では、おつくりや鍋、手こね寿司なんか、勿論オチャノコで、さつま揚げ、生ぶし、粕漬けにみそ漬け・・・干物・・・今年一番のメッケものはメ鯛やブリの燻製でした。ホント、おいしい!!!07syougatu_015
ダンボール箱の上の温度計の温度を60度Cに保つとかで、一生懸命な釣りキチ。釣り上げた獲物はムダなく完食するんだと、我が家の冷凍庫は満杯で、当分食料には困りません(No495)
釣りキチのHPは http://hetareebimakishi.hp.infoseek.co.jp/index.html お料理方も載せていますよ。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2007年1月 9日 (火)

パソコン不調です。もうしばらくお待ちください

07syougatu_019_1
先日からパソコン絶不調。困り果てています。11日にはモデムが新しくなるそうです。前途多難???な年なのかなあ??

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2007年1月 7日 (日)

六波羅密寺と平清盛  京都から

Rokuhara002
東山から鴨川まで、北は松原通りから南は七条の国立博物館あたりまでが、清盛一族の屋敷町であったといいます。六波羅密寺のあたりが清盛の屋敷跡ですって。平家がいくさに負け、都落ちする時、一族は忠盛、清盛、重盛のお墓から遺骸を掘り出し、屋敷には、自ら火をかけたといいます。その後、頼朝もここに館を建てたといいますが火災で焼失。承久の乱の後、鎌倉幕府の探題が、やはり、ここに置かれ、この地を取り締まっっていましたが、後醍醐天皇の時に攻められ、探題は自ら火を放って滅んだ・・・とか・・・誠に、有為転変、栄枯盛衰、亡者たちの怨念の地です。スケッチはちょっと変だけど六波羅密寺。境内が狭すぎて絵が描けません。天暦5年(951) 都に悪疫がはやり死屍累々。この地に草堂を営んでいた空也上人は、ただ歓喜踊躍しながら「なもーだ なもーだ」と念仏を唱え、病魔を鎮められたといいます。盆踊りはここから起こったそうです。口から南・無・阿・弥・陀・仏と、小さな仏様が出ています。作者は康慶。空也上人は昨日のページに載せました。
015_1
この像は平清盛と伝えられています。やはり、宝物館に安置されています。(No493)

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007年1月 6日 (土)

鳥辺野から清水寺へ  京都から

07syougatu_019
清水寺へは五条通りと東山通りの交差点から、清水坂を上がりますが、すぐ横に西大谷に沿って小さな道があります。その昔は鳥辺野と言った道。平安時代から墓地でした。「鳥辺野の煙は絶えず・・・」焼きもしない仏が打ち捨てられてもいたでしょう。空也上人は遺体を見ると必ず葬られたと言います。
 なき跡を 誰と知らねど 鳥辺山 をのをのすごき 塚の夕暮れ・・・・・西行法師
016
 清水寺はお正月の観光客で身動きもできないほど賑わっていますが、この小道はひっそり。スケッチの空也上人像は、清水寺からすぐ近く、六波羅密寺にあります。六波羅は平清盛の屋敷があったところ。清盛は六波羅殿と呼ばれて、全盛を誇っていました。でも、そのすぐそばに、こんな所もあったのですね。六波羅密寺は、どことなくすさんだ感じがします。全盛を誇った面影はなく、民家にはさまれて、今風に修復されてどこかスレた感じ。でも、幾度もの大火を経て、よくぞ残してくれましたという宝物が、殺風景なコンクリートの宝物館にあります。スケッチは六波羅密寺の空也上人(No492)

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007年1月 4日 (木)

初詣で 初歩き 伏見稲荷から蓮華王院まで

07syougatu_003
 3日、伏見稲荷さんにお参りして、ももりのおみくじは「末大吉」ですって。大吉にも、最近はいろいろ出てきたらしい。亭主のは「向大吉」とか・・・こんなの、前からあったの??とりあえず、末に向かって吉??と解釈しましょう。お稲荷さんの奥の宮から四辻へ、京都の町を眺めながら白滝山道を東福寺へ・・・そのまま、結局、蓮華王院、つまり、三十三間堂まで歩きました。6キロくらい???山道は穏やかで汗ばむほど・・・お餅大好きで重くなったお腹には良かったでしょう。07syougatu_002
「こいつは春から縁起がいいわい」って言いたいところだけど、パソコンの調子がよくありません。接続しない時が多い。yahooに電話を掛けると繋がるみたい。お返事遅れて、新年早々失礼しているお方がいらっしゃるかもしれません。お許しください。さあぁて・・・どうしたらええんやろ???(No491)

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2007年1月 1日 (月)

明けましておめでとうございます

Marason_001_2
 明けましておめでとうございます。旧年中はパソコンでお世話に成り本当に嬉しく楽しく過しました。猪突猛進は、もうちょっとしんどいから、ちょっとずつ、盲進を楽しみましょう。2年前のお正月からHPのカウントが今、18118.間もなく20000。皆様の幸多きに新年を祈ります(No490)

| | コメント (16) | トラックバック (0)

« 2006年12月 | トップページ | 2007年2月 »