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2006年11月30日 (木)

騒人にひたと閉ざして・・・た、嵯峨の寺

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京都の秋はやっぱり嵯峨野。ももりの家からは至って行きやすいから、又、フラフラと歩きに行きます。毎年、桜の頃と紅葉の頃、「来年は来れへんかも知れんから」なんて言ってフラフラ。もう、どの道も知っているかと思うくらい・・・でも、やっぱり迷子になるんです。そう、嵯峨野ではゼヒ、迷子になってみてください。人混みからそっと外れて、どこを歩いても、「へえ、こんなきれいな紅葉が」っていう所へ出るのです。先日は厭離庵へ。ここはいつも、ひっそりと閉ざしているんですが、今回、開いていました。もう5~6年も前でしょうか。夕方になって、前を通ったら開いていたのです。「松原千恵子さんが来はるんやけど・・・時間が遅れてる・・」って言うんです。「入ってもええんでしょうか」って聞きますと「500円」ということで入りました。真っ赤な紅葉が地面一面を覆って、それはきれい、燃えるようでした。今回、紅葉の見ごろだけ開けてるんですって。前の時は、全く無愛想な庵主さんで、「早く帰ってくれ」と言わんばかりに雨戸を閉め始めたものでした。「コワーイ尼さんやったでえ」って言いますと、「ああ、あの庵主さんは亡くならはって」ということでした。前庭や茶室の待合まで入れてくれましたから、話に聞くお茶室も間もなく公開になるかもしれません。
 騒人にひたと閉ざして嵯峨の寺  ってだれの句やったかなあ。(No472)005

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2006年11月29日 (水)

映画「ブーベの恋人」 アスニーシネマ

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京都に住んでうれしいものの一つに無料名画鑑賞会が月イチであること。先日は「ブーベの恋人」
音楽を聴かれたら「ああ、あの曲の・・・」って思われるでしょう。甘く切ないメロディーはポピュラーです。1963年の製作といいますから、青春真っ盛りで、盛んに映画を見ていた頃ですのに、見逃していた映画でした。ジョージ・チャキリスとクラウディア・カルディナーレと言えば、もう「あ・あ・あ・」ってうっとり・・・ロマンティックで、甘美な恋物語ですが、時代は深刻です。第2次世界大戦で、イタリアは敗け続けです。国王と結びついた、ファシスト、ムッソリーニは、早々と手を上げました。ムッソリーニの背信に怒ったヒットラーはイタリアを爆撃しています。国内はバラバラで思想信条のために憎みあっています。その中、パルチザンの一員として、民衆のためと信じてファッショと戦っていたブーベ・・ジョージ・チャキリス・・は、追い詰められて殺人。仲間の死を知らせにやってきたブーベは、仲間の妹マーラと恋に落ちますが追われる身。国外逃亡をすすめられて、彼女を残して逃亡。そして、舞台は暗転。国王は追放され、共和制の時代になった。地下組織であったパルチザンにも、陽が当たる時代が来たのです。しかし、彼には国外逃亡と殺人の罪が・・・純情で一途で不器用な・・・今でも、こんな純粋な愛があるのでしょうか。 
 ムッソリーニは民衆に虐殺されて、3日間公園の木に逆さ吊りされ、石を投げられたのが1945年4月。エマヌエレ イタリア国王は追放。ヒットラーも同年4月に自殺。日本だけが希望のない戦いを続けていたのです。いつの世も、犠牲になるのは純情素朴、名もない民衆なんです。(No471)
 次回12月16日(土)アスニーシネマは「キリマンジャロの雪」グレゴリー・ペックとスーザン・ヘイワードというから・・・もう・・逃げられない!!スケッチは紅葉の京都南禅寺水路閣

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2006年11月28日 (火)

秋の精 名前は「アケビコノハ」ですって

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先日の「秋の精」の蛾の名前が判明しました。栗岩様からのメールを紹介します。パソコンってやっぱり凄いなあ。

メールでお問い合わせ頂きました写真はヤガ科の「アケビコノハ」と言うガです。
幼虫の食草がアケビやムベなのでこの名があります。成虫はブドウやモモ、ナシなどに穴をあけて汁を吸います。他のガに比べて口器が強大で、かたい果実の皮もやぶってしまうのです。果樹農家にとっては厄介な
存在です。成虫で越冬します・・・  ということでした。栗岩様ありがとうございました。
ところで、ももりたちの丹波の農園では、毎春、見事に桃の花が咲き、小さな実をいっぱいつけますが、農薬をまかず消毒しないと、素人では、まず全滅です。袋かけをしても、袋の上から長い針を突き刺して、悠々と汁を吸っています。こんな見事な美しい秋の精「アケビコノハ」があの、憎むことしきりの害虫なんですって。あまりにも美しいものにはトゲがあるって???ひょっとして、世紀の新種発見!!!なんって・・・ンなことあるはずなかったよなあ・・・それにしても、なんとも美しい栗岩氏のHPへ、ゼヒゼヒ(No470)

…―…―…―…―…―…―…―…―…
 栗岩様のアドレスは   mail teftef@h2.dion.ne.jp
 URL http://www.h2.dion.ne.jp/~lev.1000
―…―…―…―…―…―…―…―…―
 

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2006年11月27日 (月)

東京へ 「叡展」から

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昨日東京へ。「叡展」でブログ友が3人もいらしてくださいましてなんともうれしいことでした。山桜さん、とっても美しい女性。ほんと、ブログのイメージと同じ方です。茶道のこといつも書いてらっしゃいます。むろぴーさん、この方にはびっくり。女性と思い込んでいましたのに男性でした。変なことこめんとしてきたんじゃないかと赤面しました。本当に失礼を致しました。この方は金沢の旧家「めぼそ八兵衛商店」の末裔のお方でいらした。「めぼそ八兵衛商店」は安土桃山時代創業以来続いている名家で、前田利家公ご用達であったと言います。ももりメも「目細針」を頂戴しまして、又々感激!!前田利家といえば大徳寺芳春院は前田利家の正室、まつが利家の菩提を弔うために建てたお寺です。京都にいったん事あれば、加賀藩の住まいになったとのこと。たまたま、先日スケッチしてきた呑湖閣は頂上からは比叡山を望み、琵琶湖を思い起こさせるという意味だそうです。(No469)

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2006年11月25日 (土)

ひっそりと 秋の精

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風の強い日でした。落ち葉をはいていたのです。ヒラヒラと舞う落ち葉の中に、ヒラヒラと・・・ヒラヒラと・・・ちょっとちがう動きをする一葉が・・・ア・ラ・ラ・・・こんな模様が見え隠れ・・・
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ア・ラ・・ラ・・・動きを止めると・・・こんな・・・まるで、落ち葉・・・
ひっそりと こんな風に 秋の精はこの世から消えるのでしょうか。わたしも、いつか、だれの手も借りずに・・・・こんなに静かに・・・次の日、ア・ラ・ラ・・・どこにもいない  
そして、その次の日、コンクリートの上に・・・(No468)

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2006年11月24日 (金)

叡展 東京近代美術クラブ1F

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 11月26日(日)~12月2日(土) 「叡展」  東京近代美術クラブ1F  11:00~6:30(初日4:30  最終日3:00まで)
 11月25日(土)~12月1日(金)  「新芸術展」 東京都美術館
2つの展覧会に出品しています。新芸術展に出す絵は先日アップした「ソドムの街」100F 2点。叡展の方が右のコワーい顔の女性でガラス絵です。ももりはテレーッとしたしどけない女の人が嫌いで、いつも、キッと見つめてるんです。これは、さああ、縦40センチくらい??他に2点、12号くらいのテンペラと墨彩のポピーを出したんだっけ??・・・・写真を撮らずに運送屋に渡してしまって・・・
26日にはおっかなビックリで東京へ出かけます。京都に生まれ、京都しか住んだことがないももりは、東京は何だか怖い。一杯人がいて、方向感覚がゼロ。でも、次の地図で、「近代美術クラブ」とやらへ行きましょう。「叡」展は京都工芸繊維大学OBの会で、もう40回展ですって。ももりは初出品です。東京で個展をしたこともあったのが、もう20年ほど前。若かったなあ。今では、京都はこれ以上ない住みよさで、六本木ヒルズもディズニーランドもちっとも知らないカッペです。東京都美術館には出品者が休めるスペースもないので、そちらは顔を出すくらいで、ほとんどは「叡」展のほうにいるでしょう。おついでがあればゼヒゼヒ。お目にかかるのを心より楽しみにしています。当日、「叡展」は4時半で終わります。あと、懇親会。先輩、後輩に会えるでしょう。2時頃からは「叡」展にいると思います。
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2006年11月23日 (木)

湖東三山  百済寺(ひゃくさい寺)から

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 実に大きなお寺です。聖徳太子により、百済人のために創建されたそうで、やがて、平安京に都が移って、比叡山に天台宗ができると、このお寺も、天台宗となった、とあります。いく度もの火災や信長の焼き討ちにもあい、有為変転があったようです。山の斜面を大きく取り入れて、琵琶湖も見張らせます。イエ、正直言って、琵琶湖はわからなかったけど・・・湖東の平野が見事な紅葉の彼方に見渡せます。山門の大わらじは「さすが百済からやってきたんだから」と一人、納得!!Nisikamo_011_1
今建っている本堂、山門、仁王門は、寛永年間に、井伊家、土井利勝、酒井忠勝、春日局なんかの喜捨で再建されたものなんですって。何だか、大河ドラマでお目に掛かったことがあるメンバーですよね。こんないいこともしてたんや・・・(No466)

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2006年11月22日 (水)

琵琶湖、湖東の三名山 西明寺から

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湖東三山へ行って来ました。琵琶湖の東側、湖東町の近くにある天台宗の名刹、西明寺、百済寺、金剛輪寺と近江八幡の水郷めぐりのパックツアーです。今、まさに紅葉の真っ盛り。京都の紅葉とは又違う、一段と澄み切った赤、黄色が見事でした。お堂の大屋根の裏側に、紅葉の朱色が照り映えているようですし、足元の鮮やかな苔の緑との対比が鮮やかで、しばし、息をのみました。3山とも、山裾を大きく取り込んだアプローチの長いお寺ですので、お足元はどうぞ、楽な靴で・・本堂内部の秘仏のいますお厨子は閉まっていて、住職さんも一生に一度しか見られないとか・・・平安時代の2天王、鎌倉時代の日光、月光両菩薩は、未だキンキラと輝いていましたたよ。(No465)
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2006年11月19日 (日)

我が家の釣りキチ君の楽しい冬

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我が家の釣りキチ君が加茂川上流の高野川で釣ってきたハエを、釣りキチ君が手づから5時間ほどもかけて煮込んだ甘露煮。ホロリと口の中で溶けて、これが絶品。家に一人のお昼ごはんに1つ2つ・・・ちょっと1杯頂いて、1つ2つ。これが、もう、サイコーッというわけで、もう大分減っています。釣りキチ君のHPへ、ゼヒゼヒ・・・http://hetareebimakishi.hp.infoseek.co.jp/(No464)

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2006年11月17日 (金)

どうする??教育改革

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中国は日本の旧悪を叫びますが、「眠れる獅子」と恐れられていた大国、中国が、易々と溶けるようにイギリスの植民地となっていったのに、日本がその轍を踏まなかったのは何故でしょう。何といっても、清朝末期の為政者の無力、無知蒙昧があったと思われます。第1次アヘン戦争、第2次アヘン戦争が決定的な原因と思いますが、時の権力者、西太后は踊り子出身だったとか、何だか、江青と文革を思い出します。一方、日本にも、同じ危機が迫っていました。でも、この危機を乗り越えられたのは何故だったのでしょう。日本が独立国として、近代に立ち向かえたのは偶然だったのでしょうか。高島秋帆が軍隊を近代化したこともあるでしょう。生麦事件で、大名行列の前を横切ったイギリス人を「無礼」と切り捨てた、武士の気概に恐れをなしたとも聞いています。礼節を重んじ、貧しさに耐え、「恥を知れ」と言った文化。このあたりは、平成の教育改革のありようを示唆しないでしょうか。外ばっかりにモデルを探していますが、案外、日本のこの時期にこそ、求めるべき精神風土があるのではないでしょうか。絵は南禅寺塔頭、金地院の八窓の茶室。小堀遠州作ですって。昨日の建物の絵は、金地院の中の東照宮、家康を祀っています。下級武士達が明治維新を成し遂げたと言われていますが、江戸から明治の精神風土って??もう一度振り返ってみたいものです。(No463)
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ももりの古い年賀状です。金地院には長谷川等白の「猿公捉月」という襖絵の名品があります。これならアップしてもいいでしょう。オ・ソ・マ・ツ・・・お猿が池に映る月を捉えようと手を伸ばしています。身の程を知らぬ大望を抱くって、当時のももりなのでしょうか。

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2006年11月16日 (木)

巨星墜つ

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東儀一氏が亡くなられました。謹んでお悔やみ申しあげます。画壇の巨星が、又、一つ墜ちました。世界的な音楽家、東儀秀樹氏を知らないという人はいないと思いますが、東儀家は宮中の雅楽を司ってきたお家柄です。東京へ都が移った明治維新、天皇と共に東京へ去った東儀家、しかし、京都に残った東儀家も京都有数の名家で、一氏は画壇の重鎮でした。ももりは師事したとは言えないでしょうが、新芸術展では、京都支部をまとめられていましたので、研究会では親しくご指導を受けていました。常に、ももりの気づかない新たなポイントを指摘してくださっていましたことを、心から感謝します。東儀エコバさんというのは、一氏の奥様、彼女も、個性の強い女流画家で、ももりも「女街道展」というにご一緒させてもらっていました。一氏を中心に男性たちが「街道展」というのをやっていまして、参加したいと申し出たエコバさんに「女はあかん」と拒否され、それならばと「女街道展」というのを立ち上げたのが彼女です。どちらも、超個性的な芸術家夫婦、本当に素晴らしいカップルだったと思います。ご冥福をお祈りいたします。(No463)スケッチは関係ない南禅寺の塔頭、金地院の東照宮、金地院については明日・・・

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2006年11月15日 (水)

ひっそりと・・・粟田神社 蹴上発電所

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京都に住んで、なんといっても嬉しいのは自転車で秋を訪ねられること。観光客の喧騒のすぐ横に実に可愛らしい神社やお寺、古い建物があるのです。昨日、ちょっと肌寒い霜月の風の中、チョコッとスケッチをしてきました。まだ、紅葉は真っ赤に燃えるっていうほどには今一歩。何か、ふっくらと穏やかで、明るい気分です。もう、これで、他には何にもいらない。いやいや・・・でも・・・ちょっとおいしいコーヒーが・・・そして・・・小さなケーキとか・・・スケッチは粟田神社。永観堂の裏手にあります。京都の町の眺めが美しいですよ。
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蹴上発電所は絶好の絵になるスポット。でも、発電所の中は立ち入り禁止。道路から下をのぞき込んで描きました。琵琶湖の水が蹴上の地まで運河で運ばれ、飲み水や発電にも使われたって、これを設計したのはホンの若造、田辺朔郎。彼も偉いけど、信頼して任せた市長、北垣国造も、え・ら・い!!偉大な明治の先人でした。(No462)

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2006年11月14日 (火)

映画 父親たちの星条旗 見てきました

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 硫黄島、この小さな島で、アメリカ兵戦死5885、戦傷19000 日本兵23000が玉砕。「小説太平洋戦争-7」山岡荘八歴史文庫 講談社。  山岡荘八は第二次世界大戦時、従軍作家として各戦線を転戦していた。昭和20年3月、山岡は大本営より、硫黄島で司令官として玉砕した栗林忠道中将の伝記を掲載するように命じられる。沖縄の特攻隊に海軍兵として従軍する直前だった山岡はあわただしく資料を集めたが、どうしてこの小さな島がそんな価値を持つのか、最初わからなかったと書いている。耕地は無く、水がない。薬草取りしかいない荒びた、この、硫黄臭のカタマリにすぎない碧海の孤島。しかし、日本にとって、実に背筋の寒くなる戦略の地であったのだ。つまり、B29が日本本土を攻撃するための最も安全な、勿論アメリカ側にとっての、出撃起点だったのである。中国大陸から撃ち込むには危険が大きく、輸送にもリスクが伴う。サイパンからでは飛行距離が長くなりすぎる。「東京を殺せ」と進撃してきたアメリカ軍が狙ったのが、小笠原列島の尖端の硫黄島であった。さしたる防備も無いこの島に狙いを定めたアメリカ軍の占領時期設定は昭和19年11月。ここでは、日本軍は「生きて虜囚の辱めを受けず」という自決は選ばず、本土への進撃を一刻でも遅らせる為に、最後の1兵まで抗戦した。洞穴を固め、トーチカを築き、銃眼からピタリと狙われたアメリカ兵の犠牲は甚大であった。しかし、海を埋め尽くすような補給艦艇の前に日本兵の銃眼は36日後に沈黙。洞穴に入った米兵の見たものは日本兵の自爆地獄の相であった。島でたッた一つの、山ともいえないような高地、すり鉢山に立った星条旗は、昭和43年6月26日、日本に返還されている。第2次世界大戦での戦死、戦傷者は日本、646万人、ドイツ、950万人、ソ連、2060万人アメリカ、318万人、イギリス98万人。この凄まじい事実を教えていない日本の教育って何だろう。たかが、受験のためにこのことを教えなくって、若い世代に次の世を託すことができますか。後編に「硫黄島からの手紙」という映画があるそうだ。でも、もう切なくて見たくない。全く、知恵の無い無責任な戦争指導者によって無駄に消耗させられた戦時の若人たち。そんな戦争指導者を祀っている靖国なんて、欺瞞の塊です。「生きて虜囚の辱めを受けず」なんて自殺の強要じゃないですか。犯罪です。スケッチはポツダム宮殿。ここで日本の無条件降伏が決められました。映画でも小説でも、漫画でも良い。若い人に考えてもらいたい、知ってもらいたい、これは、ついこの間あった、ももりが、もう、生まれていた時代の事実です。(No461) 

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2006年11月13日 (月)

恐れていたことが

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 又々つらい自殺のニュース。ももりは以前からマスコミの取り上げ方に大きな問題があると思っていました。自殺した人に一方的な同情を寄せる一方、教育関係者を、魔女狩りのように犯人扱いしています。でも、いじめた生徒は一体どこにいるの??イジメには大概中心になっている元凶がいると思います。いじめる方への対処は先生だけの手に負えるでしょうか。程度のひどいイジメッ子の親は、もしかしたら、飲んだくれかもしれないし、やくざかもしれません。先生たちにばかり対処と責任を押し付けるのは許せません。あと何年かで穏やかに停年を向かえ退職金をもらって、悠々自適の生活が待っていたでしょう校長先生の自殺は切ないです。両親が教育者であったももりはついつい先生の味方になってしまうのです。
 大好きなページに、ドイツの民話や、音楽、絵画などのことを書いてらっしゃる方がいます。昨日のブログにも、歴史上で子供がそんなに大切に扱われてこなかったということが書いてありました。歴史のページをめくると、そこはおよそ、現代の犯罪の全てが、小説よりも迫力を持って登場しています。子殺し、夫殺し、兄弟はおろか、忠実な部下をも・・・人間ほど酷薄で怖ろしい生き物は無い。でも、自殺って歴史の時代にも、こんなにあったのでしょうか。特に子供達の自殺は、これはやっぱり現代の病です。スケッチは初冬のパリ(No460)
http://blog.goo.ne.jp/amsel8/

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2006年11月12日 (日)

手作りケーキ屋さん オープン

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友人の娘さん夫婦が念願の手作りケーキ屋さんをオープンしました。心配顔のお母さん。でも、とってもおしゃれでおいしいケーキのお店が昨日からオープンしています。お池通り堺町をほんの少し下がった新築ビルの横丁です。この周辺は「堺町画廊」「わく傳」「縁」などしっとりと落ち着いた、京都らしい古いお店が軒を連ねている所。騒がしい繁華街からもちょっとはずれ、一服にはもってこいです。三条通りはいつも、ぶらぶら、のんびりの観光客の人気スポットですが、歩き疲れたら、ゼヒ、「森の小枝」へ。コーヒーとケーキがお待ちしています。そしてその壁面には11月14日~12月26日まで、ももりのガラス絵がかかるでしょう。(No459)

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2006年11月11日 (土)

ウツが、もお・お・おっ  感激!!

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 こんなことがあるんですね。昨日、ウツになりそうな陰気な絵のこと書きましたら、沢山のコメントいただき、驚き、喜び、感謝で一杯です。ついでにもう1点も・・というアタリが、ももりのあつかましいところです。グルグル回るブランコ。止まらなかったら・・・なあんて、なんか、不安定な感じを出したくて。でも、本当は、昨日の1点と似たような連作を描いていたんですが、、、2点、そんなのを並べると、もう、お先真っ暗・・・というわけで、ブランコは以前の絵のリメイク。これはちょっとナイショです。売れるわけでもない絵をずーっと描き続けるって、これは一体なんでしょう???まあ、修行か???(No458)

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2006年11月10日 (金)

絵でウツになることも

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11月25日(土)~12月1日(金) 新芸術展 東京都美術館に出品予定の絵を額に入れました。もお・・お・・ガックリ。なんとも暗い。絵は心の裏返し。今、ももりの心はこんなに暗いのかしらって、ガックリ。出来上がった絵を見て、一層落ち込んでしまいました。最近、ももりがウツなのはきっとこの絵のせいです。絵って、描き始める時は、真っ白。頭の中にはモヤモヤとイメージだけがあるのですが、そのイメージを自分でも捉えきれない。描き進んでいくと、「あ、この色は、モウ、絶対イヤ!!」とか、「これは邪魔になるだけ」とか、どんどんイメージは変わってしまいます。最初のイメージなんかスッカリ忘れて出て来るものが、もう期限切れで出品ということになる次第。今回、100号2点。明日は運送屋さんが取りに来てくれるでしょう。題名は、いつものとおり「ソドムの街」
 「ソドムの街ってどこの国の街ですか」ってよく聞かれます。ソドムは旧約聖書の中の街。人間があまりにも思い上がって、神への懼れを忘れ、悪徳の限りを尽くし、そして・・・ある日神の怒りが・・・町は破壊されます。そう・・・近代文明の底知れぬ恐ろしさ、破壊の日が近いかもしれないという恐怖。惻々と迫りくる老いの日への不安・・・など、・・・そんなもの描こうとするから、やっぱり、又、暗くなってしまうんだ。(No457)

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2006年11月 9日 (木)

深泥池から圓通寺へ・・・

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 ももりが通った大学はこの近くでしたが、もう40年以上前で、今ではすっかり様変りしています。公達が横笛を吹きながらヒューと現れそうな・・・みぞろが池から圓通寺へ、そんな昔のままのイメージを抱いての再訪でした。お寺からの眺めはちっとも変わってはいませんが・・・圓通寺は江戸時代初期の幡枝離宮の跡と言います。もう少し、紅葉が進んで、比叡山が、白雪に輝いたら、もうそれはサイコーッ!!圓通寺は、苔むした枯山水で、額縁の中に比叡山が収まります。後日、又、尋ねましょう。ここから、岩倉実相院へ・・・(No456)詳しくは

http://park16.wakwak.com/~maepi3/sub507.htm

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2006年11月 8日 (水)

ひっそりと・・正伝寺 西賀茂

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ここ、正伝寺、こんなに大きな美しいお寺なのにあまり知られていないのは、一重にその足場が悪いせいでしょう。かく申すももりも、行きたい、行きたいと思いながら、やっと昨日初めて尋ねました。比叡山を借景にして、さつきで形づくられた「獅子の子渡し」が有名です。獅子が子獅子をくわえて、渡しているように形つくられた枯山水です。このお寺は伏見城の遺構と伝えられ、徳川氏によって南禅寺から移されたという方丈は、誠に格調高いです。何より、静かで、亭主と2人っきりでその静寂を味わうなんて贅沢すぎ・・・詳しくは下のページへ。(No455)
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http://homepage1.nifty.com/hon/2/2-067/2-067.html

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2006年11月 7日 (火)

ゆく秋・・・

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 このところ続いていたさわやかな秋晴れ。でも、ウツウツと家に閉じこもりがちだったので・・・昨日、ドライブ。西加茂の正伝寺から深泥池、円通寺、岩倉実相院を経て、八瀬、大原を通り抜け滋賀県へ。安曇川のテントサイトに水車小屋があって、以前、そこで食べた蕎麦や鮎や草餅がおいしかったからって、ずーっと比良山中を北へ北へ・・・花折峠、坊村、朽木村と、行くこと、行くこと・・・結局、どうやら、水車小屋は無くなったらしく、そのまま、小浜方向へ。運転する亭主はこうなったら、もう、ガンコで「引返したら??」って言っても、口を真一文字に結んで、ただただ前進。未だ3時半なのに、キツネの嫁入りから、段々まっ暗くなり、そのうちに稲妻が光り、激しい雨が降り出しました。なんだか、狐に化かされてるんじゃないかしらって心細い。結局、比良山脈を北の端まで行き、大回りして、高島町から琵琶湖へ出て、今度は右手に比良山を、左手に琵琶湖を見ながら帰京しました。あ・あ・あ、大ドライブになってしまって・・・ご苦労様でした。でも、ずーっと行ってみたかったちょっとマイナーなお寺も、気味悪かった比良山中のドライブも、帰り道の、夕明かりした琵琶湖もことのほか、美しかったですよ。絵は深泥池・・・地元では”みぞろが池”っていいます。(No454)

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2006年11月 6日 (月)

書のこと

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「あかひと」さんがももりの絵を取り上げてくれました。いつも、文語調でコメントいただいておりまして、書の研究の奥深いお方です。ももリも書にのめり込んでいた時期が、さあ、30年くらい。未だ20才をちょっと過ぎた頃、当時ももりは絵を描いておりましたが、抽象画全盛に向かう頃で、ホラ、天井からぶら下がって、バケツに入った絵の具を引っくり返したり、真っ白なキャンバスにドカンとぶつかって開いた穴を「おお、芸術的!!」とか、変な時代でした。今から思い出しても、あの頃の人はどうしてるのかしらって思います。でも、ご本人たちは大真面目。上手な絵なんか「フン」って感じ。新しい試みを持ちこまないと、というのが命題でした。真っ白な紙を100枚、前にして、現実にないものを描く画面を作れっていわれると、これはしんどいことです。結局、突然の父の死を前に、改めて「書」っていうものを眺めてみると、「これは、全く白黒のコンポジション!!」って、感動しました。多分に「父恋し」という思いがあったでしょう。初めてみると、学ぶことは一杯あり、若かったし、ひたむきでした。息子たちが寝しずまるのを待って、ひたすら臨書しました。当時は臨書っていって、そっくりに平安朝のものを復元するような作業も展覧会に応募できたのです。ももりにとっては、それは、「書」というより「文化」の勉強でしたね。若かりし・・・絵のホトトギスの花、ダーイ好きです(No453)
あかひとさんのブログは http://blog.goo.ne.jp/tan230/

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2006年11月 4日 (土)

秋深し・・・

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 昨夜、NHK教育TV「夜回り先生ーいいもんだよ、生きるって」を見ました。あんなお方もいらっしゃるんですねえ。深夜の繁華街で、たむろする少年少女、そして、薬物中毒・・どうして、こんな世の中になってしまったんでしょう。ひとりずつに声をかける。できないことです。
 ももりは、もうずーっと小さな書道教室をやっていまして、小さな小さな子供達が教室にやってきて、大きくなって若者になり大人になっていく。学校の先生よりはるかにスパンの長いお付き合いがあります。初めての習い事がお習字っていう、小っちゃな子は必ず「天才かしら」って思わせてくれます。興味深々、パンパンに張り切っています。そんなある日、ハラリと興味が薄れたのがわかる気がする時があります。それは、新しい習い事が増えた時。人間って、大人でも、同時にいくつものことに興味は持てないんです。沢山の習い事を強いることは、集中的な取り組み方を覚えることを阻害すると思います。いやいやでも、親の言うことを聞いている時期に無理をしていませんか。あれもこれもと欲張ってはいけません。その時期、格好だけつけて、無気力にお付き合いすることを覚えると、間もなく、どのお勉強とも、じょうずにお付き合いするってことになるのではないでしょうか。お付き合いするのと、取り組むのとは、全く違います。親の言うことはいずれ、聞かなくなるので、その時ではもう、遅いのでは??先日いただいたからすうり、こんなに色付きました。(No452)

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2006年11月 3日 (金)

子育て自慢は絶対しないつもりのももりですが

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ももりにも、今でも大ッ嫌いな同級生がいます。小学校、中学校、高校も一緒でしたが、何で、嫌いだったかというと、彼女は常に人を巻き込んで、攻撃したからです。1対1なら負けませんよ。ももりは、わりと、「我関せず」って自足してるタイプだったと思いますが、いろんな嫌がらせをされました。ある日、「ちょっと、みんなお座りよ」って、5~6人「何が文句あるのん。はっきり言いよ」って・・・どんな結果になったかは記憶していませんが・・・それ以来、誰も、何にも言わなくなって、それはそれでOK.ほっとかれて幸せって感じでした。彼女は今も地域のボスで、人を巻き込んでいろいろ画策しているらしいです。小学校の校長だったというからびっくり。
 親になって、子供を3人も育てると、そりゃあ、いろんな場面に遭遇しました。夏休みに入ったある日「もう、学校へ行かへん。殺される」ってすごっく興奮しています。「どないしたん??」「プールでみんなよって沈めるんや。あんなトコ行ったら殺される」「先生はいはらへんの??」「見たあらへんとこでやる」と言います。イロイロ聞いて「お前がよう戦わんのやったらお母さんが戦ってやるっ!!」と勇ましく飛び出しました。そして、相手の親にイロイロ、グタグタ言って「うちの息子だって、大人しいだけじゃあないからね。おおごとになったらお互いに不幸ですから」って言ったら、向こうの親も、「ナイフでも、振り回されたら、かなんしなあ」って。先生には言いませんでした。先生に言うのは、かえって逆効果な場合も多いと思ったからです。見えないところでやられるようになられても一層困ります。ある日、又、めがねが曲がって、キーッとなって帰ってきた別の子、「みんなで、背負い投げする。鉛筆もドッカいってしもた」っていうんです。聞いてみると、その相手の親は空手道場を経営しているということ。でっぷりと太った、見るからに怖い女の子です。これでは、息子は敵いっこない。でも、その時は、怖くてようネジ込みませんでした。意気地がないなあ。でも今回の自殺、遺族の親があまりにも、学校の先生を攻めたてているのを見て、「これでいいのかしら」と思っってしまったのが、ブログにいろいろ書いたきっかけです。若い親さんたち、どうか、子供を守るのは自分達だけなんだと、覚悟のホゾを決めてください。どんな時だって、親しか子供の味方はいない。子育て自慢だけはするまい、出来ないと思っているくらい、我関せずの放任、無責任親だったももりですが、どうやら、無事に育ってくれたらしいのは、息子たちがよっぽどエラかったんでしょう。(No451)

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2006年11月 2日 (木)

穏やかな秋晴れ

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 最近、TVをあまり見なくなりました。もうイヤになったからです。コメンテーターのわがもの顔のエラそうな言い分に耐えられないからです。イジメの問題。誰だって、知らずに人を傷つけるし、又、こちらが傷ついていても相手はそのことに気づかないっていうことすらあります。あんまり神経質に「ああ言った」「こう言った」って言わないように、そして、じいっと我慢する事だって大切なんです。とも角陰気に抱え込まないで・・・長かった嫁姑同居生活。頭を振って「忘れようっ」って自分に言い聞かせて、嫌なことから話題をそらすように努力しました。おかげで、すっかり、鈍感に??鈍感で、悪意を持たないようって自分に言い聞かせるって事は、少しは努力で出来るようになりますよ。(No450)

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2006年11月 1日 (水)

園部町 文化祭

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11月3日、4日、園部町国際交流会館で文化祭があり、ももりたちの絵画教室グループも、出品します。ももりたちのガラス絵教室は月2回、原則として第1、第2金曜日、1時から「女性の館」というきれいな会館を借りてやっています。皆さん、本当に気持ちの良い、楽しい人ばかり。笑い声が絶えません。3時にはお茶も。これが又うれしいんです。園部は城下町。小出公というお殿様がいらした。4才から結婚するまでのほとんどを園部で過した、ももりのふるさとです。本当に鄙びた美しい町です。スケッチは園部の生身天満宮。このお宮さんには由緒があります。菅原道真公がお亡くなりになる時、忠実な部下、武部宿禰守が、その身を生きたまま、ここ、園部のこの地に葬ったとか・・・(No449)

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