« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2006年10月31日 (火)

イエメンからのメール

Kure_012
Hello! This is BON racoon at sanaa, Yemmen. Sending from business centor of the hotel. Now its 4:30 Oclock at sanaa. Arabic keybord avoids inputting in Japanese, so Im writting this mail by this miserable English.
 イエメンってどこだったっけ??って改めて探すほど、ペルシャ湾や、アラブ諸国のことを知らないももりですが、先日の新婚さんからのメールです。サヌアのホテルのビジネスセンターから送っているんですって。勿論日本語は無いから、このミゼラーブルな英語で・・ですって。いいなあ!!。時代は変わっているんですねえ。あ・あ・あ・ももりも、もうちょっと遅く生まれてきたかったなあ。(No448)

| | コメント (4)

2006年10月30日 (月)

鈍感さこそ大切

Kure_005
イジメ自殺についてTVがかしましい。このニュースを聞きたくありません。耳を覆いたくなります。槍玉はいつも教育者。これでいいんでしょうか。どうして、マスコミがテープを用意してるの??マスコミは神の代弁者なの??これでは、まるで、自殺した本人や家族だけの言い分を「私たちは被害者です」って宣伝してるようじゃないの。又、「自分たちは被害者です」って言う視点が問題です。日本人はいつから、こんなになったのでしょう。みんなもっと大らかに憎まれ口をききあい、大らかに受け入れあい、鈍感になるべきです。「差別」「イジメ」って言葉で、他者の口を封じてはなりません。いじめられても、つらくっても、死なないって言うことが大切なのです。自殺することによって、相手に勝とうなんて、絶対にいけない!!キリスト教は自殺を認めませんね。(No447)

| | コメント (6)

2006年10月29日 (日)

新しい結婚のかたち

Greec_002
 とりわけさわやかな秋空が広がった昨日は結婚式。神父さんも神主さんもなし。ご両親のサインをもらって、指輪の交換の後は家族で歓談。さわやかで本来の結婚式ってこんなんじゃなかったのかしらって、うれしく帰途につきました。新郎新婦はどちらもバリバリのキャリア。新婚旅行も、ドバイ、マスカット、サナア、アルブスタン・・・と、ももりには手の届かないところです。祇園の古い格式を誇る料亭の心尽くしのお料理は、若いお二人のご招待っていうことでした。日本っていう殻からは、もうとっくに抜け出している現代のキャリアの心意気と実行力に乾パアーイ!!なんぼなんでも、結婚式場でスケッチはできなかったのが・・・そう、やっぱり古いももりかも??(No446)

| | コメント (7)

2006年10月27日 (金)

まったけ 300グラム 10万円

Greec_005
ちょっとお遣い物にしようと、なじみの八百屋さんへ。「まったけ、2~3万円くらいで、用意してくれへんやろか」「ああ、ええよ。中国もんやで」「エエ??中国もん??丹波まったけは無いのん??」「そうやなあ、300グラムで、10万円」「300グラムって何本入ってんのん??」「まああ、2~3本やなあ」「ちょっと待ってよ。中国モンやったらいくらやノン」「1キロで3万ちゅうとこかいなあ」
今年、韓国産のまったけは大不作。北朝鮮からは入荷なし。中国産以外の、まして丹波まったけは時々ホロッと出て、ワアッとたかるから・・・値はあってないようなもん・・・なんですって・・・もちろん、「まったけは・・もお・・・ええわ」(No445)

| | コメント (7)

2006年10月26日 (木)

四明展 ギャラリー「カト」-2

Kure_014
 「四明展」という名は、比叡山の四明嶽からきています。工芸繊維大学は比叡山の麓にあります。今では、校舎から比叡山を見ることは出来なくなっていますが、私が在学していた頃はグランウドの背景には比叡山の全景が横たわっていました。当時、学生たちは、みんな、結構遠い所から通ってきていましたね。在籍した「意匠科」はクラスメートはたった25人でしたが、神戸、芦屋、奈良、大津などから通学していました。ももりも、丹波の山奥、園部から汽車で通っていましね。もっとも、下宿したり、通ったり・・・フラフラと・・下宿っていうのも寂しくて・・・アカンタレやったんかなあ。山陰線の、今はトロッコ列車になって、毎日、観光客をいっぱい乗せている線を通ったのですが、山陰線周辺って言うのは四季を通じて、実に美しいのです。桜、新緑、紅葉、それにもまして、美しく幻想的なのが冬景色。丹波は霧が深く、お日様は、お昼頃にやっと、ニヤーッと浮かび上がるくらいです。一面の田んぼに稲木がおぼろげに遠ざかっていく様は、このももりをも詩人にしてくれたものでした。絵はガラス絵「黒姫山」(No444)

| | コメント (3)

2006年10月25日 (水)

四明展 ギャラリー「カト」

Kure_013
 この展覧会は旧高等工芸学校と京都工芸繊維大学のOB有志のグループ展です。今、京都市美術館で、「浅井忠と関西美術院展」が開かれておりますけど、高等工芸学校の意匠科は浅井忠が創設者と聞いています。京都は伝統の着物や工芸の町、京大とは一味ちがう美術学校ができました。国立なんですよ。今回24回目です。
ずーっと参加者の内、女一人だったのですが、やっと、今年から2人になりました。私の頃は、国立2期学校で、1期を受験して落とした??失礼!!方が多く、真面目でおっとりした学校でした。あの頃、女子はホンの少人数しいかいなくって、女子トイレもない学校でした。卒業してからはや、23年。あ・あ・あ 絵は「宇宙たち」 聞いたタイトルですって??このタイトルは好きでズーッと使っています。一木一草、小さな種から、天体の運行まで全ては「宇宙たち」なんですもの。(No443)

| | コメント (3)

2006年10月24日 (火)

日本水彩京都支部 小品展

Kure_015
今日から「日本水彩京都支部 小品展」 木屋町四条上がる 木屋町画廊
に出品しています。お時間とごついでおありの方はゼヒゼヒ。同時に、
「四明展」 ギャラリー「カト」 寺町三条上がる
にも、出品しています。こちらは、旧高等工芸学校、京都工芸繊維大学OB有志のグループ展です。昨日はかけもちで両方の会場作り。どうして、こうカブるんでしょう。まあ、一時に済むってことはいいのかも???未だ11月26日から始まる「新芸術展」の出品作も40パーセントくらいしか出来てない!!!100号2点・・何とかなるって???「新芸術展」は東京都美術館です。その時も、「叡展」というのとカブる。ツマリィ 重なります。「叡展」は
東京近代美術クラブ新館1Fにて。この絵は小品展の方の「宇宙たち」。もう枯れたひまわり・・・でもマダマダーッと、歯をむいてチロチローッと、花びらが燃えてる・・・絵ってやっぱり作者の心象世界??(No442)

| | コメント (4)

2006年10月22日 (日)

吉村作治の「早大エジプト発掘40年展」見てきました

_309
 2002年11月26日、早朝、カイロのラムセス美術館で撮った写真です。ちょうど、このまま、この場所で発見されたとのことです。吉村作治さんは本でいろいろ読んでいて、ももりはファンです。早大古代オリエント調査隊が発掘した200点あまりを展示しています。会場で「ミイラの謎」という本を買いました。吉村作治監修 創元社  
 ミイラって日本人はあまり目にしませんが、海外では、エジプト以外でも、結構よく目にします。最初、大英博物館で見たときは、クニャリと腰を曲げてかがんでうずくまっているミイラにギョッとなりした。でも、ペルーでは、至る所にミイラがありますし、ヨーロッパでもシシリー島の修道院にはミイラがズラリと並んだ地下通路を見学します。今では、もう、この人間の干物をじっくり観察するのにあんまり抵抗はありません。ミイラって表情たっぷりなんです。見るからに凶悪な罪人だったに違いないと思わせるミイラもありますし、寂しげに微笑んでいるミイラもあり、哲学的な思惟にふけっているようなミイラもあります。エジプトのミイラは乾燥が完璧で、むしろ、面白くないくらいです。この本があんまり面白くって、夢中になって電車の中で読んでいたら、終点になって電車を降りる時、お隣の席のお嬢さんが、おっそろしい顔でももりをにらみつけました。どうも、ミイラの本は人前で読んでは誤解を招く・・・ら・し・い(No441)

| | コメント (3)

2006年10月21日 (土)

トーべ トーベエ とんび 空高く

Greec_006
 「トーベ トーベエ とんび 空たーかーく   泣け 泣け とんび 青空に・・・ピーヒョロ ピーヒョロ・・・」
小学唱歌です。ももりが子供のころ、近所のとしえちゃんといつも遊んでいました。ある日、面白半分でこの歌を歌ってからかったら、としえちゃんが泣き出したんです。そう、ももりはいじめたんです。でも、勿論、ももりはいじめっ子ではなかったですよ。
 薫ちゃんっていう子もいて「カオルー カオルー  若葉が香る」ってからかったこともありました。薫ちゃんはケラケラ笑って自分も一緒に唄ってた。としえちゃんのお母さんには「いじめんといて」って叱られましたけど・・・
今、イジメの問題が、毎日、TVで言われています。でも、私は、あまりにいきすぎだと思って心配しています。これ以上犠牲者が出ないかとすら心配です。イジメは常にある。世の中へ出たらもっともっと激しいかもしれません。でも、それで自殺って言うのが問題です。一番効果的な抗議だとTVがあおっているようにすら見えるんです。いっせいにターゲットにされ、うなだれて謝っているのはいつも教育者。魔女狩りを連想します。これでは、だれも、教師を尊敬しないでしょう。教育の荒廃が言われています。教育者の尊厳が守られなくて、良い教育ができるはずはありません。こんなことを書いたら、ももりがターゲットに?????(No440)

| | コメント (7)

2006年10月20日 (金)

呉市 わたくし美術館に参加して

 呉市では、今、「わたくし美術館」という町をあげてのイヴェントが行なわれています。商店街の店主さんたちがいろんな分野の作家たちと手を結んで、お店に作品を展示しています。絵画、陶芸、木工、染色、写真、刺繍、書、人形、オブジェまで巾広い分野の手作り作品が、展示販売されています。また、手作り体験コーナーもあるそうで、お茶席まで出るんですって。ももりのガラス絵や墨彩、テンペラ絵画などは、河野家具店さんが飾ってくださっています。お時間、おついでのおありのお方はゼヒゼヒ・・・
 ももりは1泊して、スケッチブックを手に呉の町を歩き回りました。呉市は、入り江を抱いて、三方を山に囲まれた静かな美しい町でした。スケッチは入船山記念館と、急峻な200階段で有名な両城という所。
Kure_002_1

 呉は軍港として発展した町。今も海上自衛隊が駐屯しているそうです。でも、もう、水兵さんの制服で町を闊歩することはないそうで、私服なんですって。残念!!入船山記念館は、旧海軍司令官長官の官舎を復元したもの。Kure_006
スペインのクエンカに、「宙吊りの家」って言うのがあったけど、ここも負けない。どうしてこんな急峻な崖っぷちに家を建てたのかしらと思います。実際、先立っての地震では、倒壊の危険もあり、過疎化で高齢の住人も多いとかで、階段の上り下りはしんどくって危険ということで、立ち退きが薦められているそうです。(No439)
   http://www.mitekure.com/watakushi/index.html

| | コメント (4)

2006年10月18日 (水)

映画 「太陽」 天皇ヒロヒト を見てきました

Greec_004
「太陽」という映画、天皇ヒロヒト・・・彼は悲劇に傷ついた一人の人間・・・という映画を見てきました。監督はロシア人、ソクーロフ。日本人監督の天皇を描いた映画ってあったのでょうか。映画は史実というより心理劇で、登場人物は、殆どはヒロヒトの一人芝居。演じるのはイッセー緒方。あとは侍従、マッカーサー、終わり近くになって皇后。桃井かおりの皇后は、品位という点ではクエッションマークだけど、ふんわりと面白かった。天皇のしぐさを必死で真似るイッセー緒方にはドッチラケてしまいましたけど。ももりは、丁度、ヒロヒト天皇が輸血で命ながらえておられる頃、児島襄「天皇」「日中戦争」いずれも文春文庫・・を読んでおり、所属していました「京都エッセー」に、「天皇のひとりごと」という小文を載せています。(1989 京都エッセーの会)まあ、こんな調子です。
 「先日のザマはなんであるか。朝は6時半から正午まで、東京の空は敵機に蹂躙された。爆弾を雨のように降らしておるのに、迎撃するわが方の機は一機もなかったではないか。これは、更なる大規模の上陸作戦の前触れにちがいない。ああ、今に、連合軍は東京湾に上陸してくる。日本は滅ぶのだ。ヒットラーも、ムッソリーニも死んだ。エンギでもない。ヒットラーが死んだのは、朕の誕生日だぞ。朕も又、死ぬのだ。潔く死のう。
ああ、皇祖皇宗よ、三種の神器を守りえぬ不肖をお許しください。しかし、国滅びて何の神器であるか。明日からポツダムで米、英、ソが寄るという。日本と朕の料理方法を考えておるのだ。沖縄も堕ちたというではないか。牛島も自決したと言うではないか。・・・・・中略・・・・大失策であった。大東亜共栄圏、国家総動員法・・・今になって「お上におすがりして何とかならぬものかとの気持ち横溢せり。又、お上をお恨み申すと言うがごとき言説すら散見する状態」だと・・・お読みになって下さるご奇特な方には下に載せましょう。(No438)

・・・牛島も自決下というではないか。とも角、とも角止めてくれ。今すぐ。何もかも。朕は始めから嫌だったのだ。怖かったのだ」
広田を呼べ。イヤイヤ呼んでも無駄なことだ。ソ連がこの際、満州を我が物にしようとするくらい、子供でもわかりそうなものだ。それを、マリクに調停だと?今さら、何のメンツであるか。しかも、近衛を特使にだと?
近衛なんぞに何ができる。見よ。キャツの時に中国戦線は拡大し、米国とも開線を避けえなかったのだ。何たる優柔不断、何たる無責任、今にして思えば、近衛の時の仏印進駐こそ、一大失策であった。大東亜共栄圏、国家総動員法、皆、ルーズベルトにしてやられたのだ。フン、ルーズなベルトか。ユルフン野郎の方が、ウワ手であったのだ。それなにのに、今頃になってイケシャーシャーとヌカしおった。「お上におすがりして何とかならぬものかとの気持ち横溢せり。又、お上をぉ恨み申すと言うが如き言説すら散見する状態」だと。
 いやいや。しかし、近衛にはソ連に行かせねば。他に何も手はないのだ。思えばなんと朕の素直だったことよ。誰の言うことも信じるべきではなかった。
 木戸を呼べ。ア、ソー。木戸は下痢をしておるのであったか。無理もない。どんぐりの粉とやらを食したそうな。おすべり(食事の下賜)も、近頃はやっておらぬと皇后が申しておった。それにしても、皇后に泣かれるのは一番こたえるワイ。
 アナン(阿南)はどうした。いやいや、呼ぶまい。あれは、本土決戦を主張しておる。今、あれを呼んでは話はこじれるばかりだ。最後の一人まで、戦うなんぞ、お話にならん。九十九里浜の防備は半分も出来ておらぬというではないか。
 ああ、どうして、こんな戦さを始めてしまったのだ。満州事変か、石油禁輸か、「断固よう懲」なんぞと、野党も新聞もいっせいに勇ましく叫んでおったが、あ奴らに罪無しと言えるか。
 東条を呼べ。奴は天皇親政なんぞ口にしおった。ことここに及んで輔弼の責任を回避するか。自存自衛、一億鉄石の団結、フン、あ奴なら陸軍を押えられると長老たちが言いおったがアマかった。立憲とは何だ。国会の定めた法律を朕は裁可する。朕は法律を作らないんだぞ。若者を戦場へ送り出したのは誰?独裁ならば、もっと早期に停戦できたかもしれぬ。玉璽を押すことを拒否することが民意を拒否することと思えばこそ・・・
 あ、あ、あ、開戦せずば無傷で生き残れたか。座して死を待つよりはと立ち上がったはずであった。ウ、ウ、ウ陸軍と海軍は協力し合おうとはしない。
 ああ、皇祖皇宗よ。明治の御世の満州の利権こそ、今日を招いたのではないでしょうか。日本に残る生命線とて、無辜の民くさを送りこみながら、放っおけたか。オヤ、いつの間にこんな勿体無くも畏れ多いことを思っておるのだ。
 どうして、朕が神なんかであるものか。天皇なんて・・・ああ、こんなに苦しむくらいなら死ぬ方が楽だ。
 鈴木を呼べ。いや、もう、よい。
 止めるのだ。すぐにでも止めるのだ。止めてくれ。無条件降伏でも完全敗北でもよい。
 朕は敗れた。日本は負けた。誇るべき日本民族の昭和の偉業はこの、瞬間から侵略といういまわしい汚名を蒙るのだ。そして、全ては朕の罪となる・・・ウ・ウ・ウ」
 

| | コメント (3)

2006年10月17日 (火)

ヴィーナスのへそ ギリシャ便り

Greec045
「ヴィーナスの製作年代が古いか新しいかはおヘソの刳りを見たらすぐわかる」って大学時代に教わりました。フラチ、フソンだった学生時代、西洋美術史の授業ですが、これくらいしか覚えてないんです。勿体ないことしたなあ。今なら一生懸命勉強するのに。日本で有名な「ミロのヴィーナス」はミロ島で発見されたヴィーナスという意味で、他にも、ルーブルには「うずくまるアフロディテ」と呼ばれるヴィーナスもあります。アフロディテとヴィーナスは同じ女神です。他にも、「シラクサのアフロディテ」とか、ローマには「キュレネのアフロディテ」、フィレンツェには「メディチのアフロディテ」など、ヴィーナス像は至る所にいっぱいあります。作者がプラクシテレスってわかっている「クニドスのアフロディテ」っていうのもあって、これには面白い逸話があります。最初、全裸だったのですが、クニドスが購入に際し、衣装をつけて欲しいと依頼し、仕方なく、脱いだ衣を傍らに置いたと言います。裸身が開放されるのは、神から人間に近づいたからなのでしょう。BC370年頃から330年頃の人らしいです。ところで、面白いのは年代が新しくなるほど、女体が熟れていくこと。ミロのヴィーナスの、まだ固そうな乳房、それに安産型の実に太い腰、まだ、乙女でしょう。一方、「うずくまるアフロディテ」になると、4本のしわがお腹に入っていて、はちきれそうに官能的な像で、思わず人々が手を触れるものだから、手垢に汚れてしまったとか・・・(世界文化史大系 角川書店)・・・以来、ヌードを見るとおヘソを見るクセがついてしまったももりです。スケッチはミコノス島の船着き場(No437)

| | コメント (3)

2006年10月14日 (土)

ウソとメチャクチャ・・・ギリシャ便り

Greec0061
ギリシャのことばっかり書いていい加減ウンザリしてらっしゃるでしょう。ごめんなさい。でも、自分のための復習なんです。お許し下さい。ももりはどこの国へ行っても、その国の有名なお酒をスーパーで買って帰ります。今回、ギリシャでは、「ウゾ」と、「メタクサ」っていうお酒を買いました。ちょっと覚えられないので、「ウソとメチャクチャ」って覚えて、お店の人に言ったら、目の前を指で示してくれました。高いのから安いのまでズラーッと並んでいます。赤ワインも一本。それは、もう飲んじゃった。お値段は決して高くはなかったけど、ちょっと忘れました。スーパーで地元の人のお勧めを買うってのが一番安くて、ハズレがない。もっとも、欲深くカートン買いして冷蔵庫に入れてそのまま置き忘れて出発しちゃったなんてこともありました。もお・・グ・ヤ・ジ・イ・・・!!ワインは、そりゃあ、もう、当然・・・おいしかったデス。トランクの中に下着なんかをグルグル撒きして、その上をビニールパックで巻つけて・・・いつも、密輸してるけど、割れたことはありません。これは、ナイショ。買ってきたブルーチーズとオリーブがあると・・・あ・あ・あ。今夜もまだまだギリシャ気分(No436)

| | コメント (9)

2006年10月13日 (金)

ギリシャの国旗が風にはためく

Greec003
旅に出る前には、ちょっと予習をします。大抵は図書館で、子供向きの本を拾い読みする程度ですが、今回のギリシャ、面白いことが書かれていました。ギリシャがトルコから独立して(1832年ロンドン協定)ドイツ、バイエルンから王さまを招きます。この王さまはうまくやれず、デンマークから、次の王さまがきます。この王さま、ゲオルギウス1世は立憲君主製を敷き、この王さまの時に、テッサリア平原、クレタ島、テッサロニキ、イオニア諸島を得たそうです。ギリシャって、この王さまの時、ほとんどトルコの近くまでの領土を確保したんです。でも、この王さまは暗殺され、次の王さまは、第1次世界大戦に不参加を表明して、連合国により退位・・・次のアレクサンドロス1世はサルに噛まれて死に・・・・もうこのアタリで止めますが・・・結局現在は共和政。ロンドンに亡命していたかつての王さまは事業を起こして財をなし、先だってのオリンピックの時には委員の一員として帰国したけれども、国民は冷淡なもので、そっぽを向いていたということです。ギリシャ、至る所にあの美しいブルーの国旗が掲げられています。ももりはちっとも国粋的ではありませんけれども、ずーっと、天皇家があり、安定した歴史があったのではないかと思います。国旗だって、もっと大切にしなくっちゃ・・・スケッチはアラブ首長国連盟のドバイ空港。さすがに、人種の坩堝って感じ(No435)

| | コメント (4)

2006年10月12日 (木)

ヌードこそ最も美しい  ギリシャ便り

Greec029
ギリシャで素晴らしいのは何といっても彫刻。とりわけ、白眉なのがヌードの運動選手たちです。日ごろは角突き合わせているポリス(都市国家)同士も、オリンピアの祭典には、「オリンピアの平和」と呼ばれる休戦協定を結んで、国の代表を送り込みました。第1回が行なわれたのはBC776年といいますから古い。56年後の第14回オリンピアの祭典でのこと、キトンという短い布切れをまとっていた選手たちの一人が「エイッ」と素っ裸になり、見事に優勝。オリーブ油を塗ってピカピカ光る裸身があまりにも美しく、バカ受け。スパルタ選手だったそうです。それ以来、もう、誰も、布を着けなかった、というのです。でも、これは、女子の場合はお話の外、女子は特別の人しか試合を見ることすら許されず、勿論、競技なんか無かったんですって。それに、異民族との競技のときにもヌードにはならなかったそうです。(物語世界史・・・学研)まあ、女性の彫刻も上半身はヌードですけれどネ。この島にも、サントリーニ島にもヌーディストの海水浴場があるそうです。自信とその趣味のあるお方はゼヒゼヒ・・・スケッチは迷路のような小道をうろついたパロス島(No434)

| | コメント (4)

2006年10月11日 (水)

アテネから将軍さまへ

Greec054_1
 まさに「百聞は一見にしかず」本では何度も見ていたパルテノン神殿は、実にどっしりと荘重で、朝日を浴びて、アクロポリスの丘にバラ色に染まって鎮座ましましていました。その傍らには可愛らしい、小さなエレクテイヨン神殿が控えています。そう、6対の乙女の彫像に飾られている有名な神殿です。大国ペルシャの侵攻を恐れた沿岸のポリス(都市国家)やエーゲ海に島々との、海上防衛同盟の盟主となッたアテネは、同盟の基金を集めました。その国の数200以上だったといいます。最初は、デロス島のアポロン神殿の金庫に納められていましたが、攻められ易い土地だとの懸念で、とアテネに移されたんですって。デロス島にも渡ったももりには、その事情は納得できるのがうれしい。そして、アテネは繁栄を極め、パルテノンが建てられました。・・・BC443~429年・・・神殿の中には黄金と象牙で作られたアテナ女神像が飾られていたと言います。さしもの、アテネの繁栄も、やがてスパルタとの対立を呼び、戦いに敗れて歴史の主役を降ります。権力って永遠ではありえない。どこかの将軍様にも・・・そう、言いたい(No433)Greec055_3

| | コメント (3)

2006年10月10日 (火)

ある日、・・・国が溶けるように・・・

Greec021
北朝鮮が核実験。ある日、天から何かが降ってくるっていうことが現実の恐れとなりました。のんびりとギリシャのお話どころではないけれど・・・
 歴史を読んでいると、繁栄を極めた国がある日忽然と消える、ということはしばしばあるようです。ローマは、贅沢に慣れて、市民が自国を守らなくなり、外国人の軍隊を雇い入れたことにより乗っ取られました。傭兵隊長オドアケルはゲルマン系でしょう。あれほどの大帝国、チンギス・ハンのモンゴル帝国も分裂して、急に力を失いました。ここギリシャにも、地中海を船で走り回って繁栄を極めていたカルタゴの支配があったでしょう。カルタゴは、今のアフリカ、チュニジアに本拠があり、この地中海の商業覇権をめぐってローマと戦いました。第1次、第2次、第3次ポエニ戦争です。「カルタゴのハンニバル」っていう忘れられ映画があります。カルタゴの名将、ハンニバルは雪のアルプスを象にのって超え、いきなり背後からローマに攻めかかります。地中海の方ばかり、守りを固めていたローマ軍は壊滅。しかし、ハンニバルには、後方支援が続かず、ローマのスキピオに降伏し、カルタゴは溶けるように壊滅。さしもの栄華を誇ったカルタゴは跡無きほどに略奪、破壊されて歴史から消えたといいます。
 絵を描けなくなったら、もう意味無いなあ。旅が出来なかったら別に生きてても・・・なあんて、まだ、平和の夢の中、自分の国を命がけで守るっていう教育は・・・それが、軍国主義なんでしょうか????スケッチはサントリーニ島、イアの教会・・・人間ってこんなに美しい物を造り出すのに・・・(432)

| | コメント (1)

2006年10月 8日 (日)

世界のへそ‐2  ギリシャ・デルフィー

Greec1001
デルフィー博物館からです。昨日書きました世界のへそなるものは、左下の出ベソ「オンパレス」。これは、アチコチに似たものがあるんですって。そういえば、ペルーの「クスコ」もヘソっていう意味でした。さあ60センチもあったでしょうか。おへそでも、世界のヘソとなると、さすがにでっかい。バラ色の美しい大理石です。
 昨日書いたソクラテス”ギリシャの叡知”は処刑されました。BC399年。正しいことを言い続けたからです。ソクラテスの救出を画策したプラトンは追求を恐れ、エジプト、キュレネと言った国々を放浪した後ギリシャに帰って大成しました。そのプラトンが最晩年に書いた未完の本に「クリアティス」と言うのがあり、そこに「幻のアトランティス」のことが書かれているそうです。つまり、・・・「旧約聖書」 (地球物理学者、竹内均 同文書院)によると、エジプトの神官がソロンに伝えた古い話として、アテネと戦ったアトランティスという、とても栄えていた国があった、というのです。しかし、このアトランティスは地震と洪水のため、一夜にして沈んだ。リビヤやアジアよりも大きい島であったが・・・アトランティスは大変富んでいた。島をめぐる3重の運河があり、神殿には金、銀、宝飾の飾りつけがなされ、温水、冷水のプールがあり、周囲を豊かな平野の囲まれていた・・・2日前にブログに書いていたサントリーニ島こそがアトランテイスであろうと竹内氏は言っています。Greec023_1
サントリーニ島はちょうど、ドーナツを一部食いちぎった形をしていて、真ん中は火山の噴火で吹っ飛んだそうで、その後、陥没して真ん中には海水が流れこんだ、というのです。三日月形をしています。荒々しい断崖絶壁は、黒い海岸、赤い海岸と呼ばれ、そりゃあ魅力的です.スケッチではイマイチ描けていませんが、周囲の断崖絶壁は300メートル以上、ケーブルカーで、下の漁村まで降りました。この火山の爆発で、大津波が起き、クレタ島のラビリンスは壊れたんではないか(BC1450年頃)って・・・東大教授、地球物理学者ともなると、こんな夢想にふけって一生を送れるんですね。なんて幸福な人でしょう。まあ、この、夢想にうっとりしてこの島を観光してるももりもシアワセってことでは負けない??(No431)
スケッチはHPに、今、載せて言っています。http://www.geocities.jp/wgwxw444/

| | コメント (6)

2006年10月 7日 (土)

世界のへそ  ギリシャ・デルフィー

Greec006
ここ、ギリシャのデルフィーこそはギリシャ世界のへそであったといいます。後に訪れるデロス島で生まれたアポロンはゼウスの子。太陽神にして、芸術、医学、哲学、牧畜まで司る美々しい青年神で、おっさんのゼウスよりははるかに魅力的です。ここ、デルフィーのアポロン神殿はアポロンを称えた神殿です。この神殿の巫女の神託は全てを押える力を持っていたといいます。神託に従って戦い、神託に従って物事を決定しました。深い山中に屹立していたでしょう神殿群はもう無く、廃墟です。アテネが勝つにつけ、負けるにつけ、宝物を献上した宝物蔵が一杯並んでいたそうです。アレクサンダー大王も、ソクラテスもここの神託には従いました。哲学はチンプンカンプンのももりですが、ソクラテスやプラトンって名前くらいは知っています。かの、ソクラテスは処刑されて死にました。死を前に沐浴し、毒ニンジンの汁を飲んだ、と、ももりの本にはあります。(物語世界史2 学研)。デルフィーの巫女が、ソクラテスの言うことは世界で一番正しいと言ったらしく、彼は、街角に立ち、誰に対しても遠慮なく批判し、論破したから、結局、政敵の毒牙にかかったのです。アテネの民主主義は陶辺追放や、衆愚政治へと堕落し、やがてアテネは凋落していきます。日本の民主主義も、なにやら衆愚政治になりつつある???デルフィーを去る頃、雲足早く、深山から流れ出す黒雲は、古代人ならぬももりにも、ここが神の居ます所と敬虔な気持ちになりました。この後、デルフィー博物館でヘソなるものを見ます(No430)

| | コメント (2)

2006年10月 6日 (金)

サントリーニ島便り Ⅱ

Greec025
昨日のお話には続きがあります。・・・クレタ島の迷宮、ラビリンスに閉じ込められたミノタウロスのために、毎年犠牲になる7人の乙女と青年。その話を聞いたアテネの英雄テセウスは、青年に混じって迷宮に入り、ミノタウロスと対決すべくクレタ島に渡る。クレタ島で、美しい乙女アリアドネの愛を得たテセウスは、アリアドネから糸と武器を渡される。迷宮の奥底から戻ったものがいないと言われていたが、テセウスは戻った。迷宮の入り口にくくりつけておいた糸をたぐって。一方、迷宮を設計した大工ダイダロスは、手伝った息子イカロスとともに秘密保持のために、迷宮に閉じ込められてしまう。しかし、そこは天才大工、ダイダロス、空とぶ翼を考案する。イカロスが翼を背中にくくりつけた時、父ダイダロスは、息子を案じて言った。「決して、高く飛んではいけない」しかし、イカロスは迷宮の中から、大空へ飛び出せたうれしさに思わずわれを忘れ、太陽の方へと飛んでしまう。そして、翼を取り付けていた蝋は融けだし、イカロスは海へ真っ逆さまに・・・・落ちていった。イカロスの落ちた海をイカリア海という。・・・どうですか、このロマンチックなお話。4000年ほども前の遺物は、勿論遺跡現場にはないのだから、今回のツアーでは、時間の許す限り博物館を回りました。そして、それがとても良かったです。スケッチはサントリーニ島博物館の若き乙女のフレスコ画と壷など(No429)

| | コメント (6)

2006年10月 5日 (木)

迷宮ラビリンスのお話 サントリーニ島便り

Greec
とてつもなく面白いお話を一つ。地球物理学者、竹内均の「旧約聖書」 同文書院 から ・・・ オリンポス山の頂きにある宮殿から地上を見下ろしていたゼウスの目に、地中海の東岸、フェニキアにいる美しい少女エウロペが目に入った。嫉妬深い后、ヘラの目を逃れるためにゼウスは雄牛に化けてエウロペに近づいた。美しい雄牛に興味をもって近づいたエウロペを引っさらって、ゼウスは海へ泳ぎだし、クレタ島に上陸。そして、そこで二人はことをなし、二人の間にミノス王が生まれた。この、ミノス王は善政を敷き、クレタ島は富み盛えたが、ある年、ミノス王は祭祀用に美しい雄牛を海神ポセイドンから借りた。その雄牛を大変気に入ったミノスは、自分の牛とすりかえて別の牛をポセイドンに返したため、怒ったポセイドンは、ミノスの后、バシパエがその雄牛に恋い焦がれるように仕向けた。雄牛への恋に身を焦がしたバシパエは、大工ダイダロスにたのんで、雄牛の模型を作ってもらい、その中に身をを潜ませてことをなし、思いをとげた。そして、上半身は牛、下半身は人間と言う怪物ミノタウロスを生んだ、というのです。この事実に驚愕したミノス王は、迷宮を作って、怪物ミノタウロスを地下深く閉じ込めた。しかし、ミノタウロスは、毎年、アテネの少年少女7人をいけにえに差し出さないと暴れる・・・クレタ島の伝説です。

「乙女を陵辱するミノタウロス」はピカソが凄い版画を残していますし、エウロペを誘拐する場面はたしか、ルーベンスだったかが描いた有名な大作があります。こういうお話が、もう、大ッ好きなももりは、ながあくクレタ島にあこがれています。未だ、そこまでは行ってないんですけど、すぐその島の北にあるサントリーニ島へは行ってきました。ミノス王の繁栄を裏付けるミノア文明の地です。BC3000年~1400年といいますからギリシャ文明よりも、はるかに古いミノア文明は、実に大らかで明るく愉快です。絵はサントリーニ島の博物館で見た壷。鳥なのにおっぱいがあって、ネックレスをしています。どうですか、これが、4000年ほども前の人間たちの創作物なのです。アクロティリ出土ですって。(No428)

| | コメント (7)

« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »