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2006年2月28日 (火)

千利休遺跡 不審庵

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春先って京都に住むことが本当にうれしい季節です。中京のガサガサしたところに住むももりですので、うぐいすのささなきっていうのはちょっと無理。でも、自転車でほんの10~20分も無目的に走れば、どこか必ず新しい、感動が見つかります。ホント無尽蔵にネ。ところで、とんでもない悪意の中傷「京都ではお茶漬けを食べておいきやす」っていわれても、食べたらダメ。あつかましいと思われるっていう世迷いごと。決してそんなことはありませんよ。誰が一体そんなこと言い出したんやろ??お茶漬けが無いのに「食べておいきやす」とは言わないし、「お上がりやす」っていわれたらどうぞ食べてあげてください。京都はナッガーイこと、とてもリッチでお金があったのに、今はセチガライっていう世情はあるでしょう。だから、多少、苦しいところを見せたくないっていう脅迫観念があるのかもしれません。でも、良い意味で近代的なドライさがあります。世慣れたお互いの距離を保つのが上手なんでしょう。京都で生まれ、京都しか住んだことがないももりには、ここほど住みやすいところは、ちょっと外にありそうに無いなあ・・・絵は千利休の不審庵。昨日のは、千宗旦の今日庵でタイトルと絵がクロスしてました。お許しホドを・・・(No262)

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2006年2月27日 (月)

千宗旦遺跡 今日庵

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宝鏡寺の北東には、利休居士遺跡、不審庵と、千宗旦居士遺跡、今日庵が隣り合っていますので、軽くスケッチをしてきました。千利休といえば、井上靖「利休の死」がとても印象強く残っています。キンキラキンのおごり高ぶった金の茶室を建てた秀吉の感性を峻拒、いえ、むしろ軽蔑した利休に秀吉からの自刃の使者が・・・利休の孫,元伯宗旦は、千家再興を許されましたが乞食宗旦と呼ばれたくらい、名利を捨て侘びに徹しました。茶碗についた口紅で茶巾が汚れるのをきらい紅茶巾を考案したのが彼なんですって。その後、三家に別れ、次男宗守は武者小路家、三男宗左が裏千家、四男宗室が表千家を興したそうです。この際、ブログのためにももりもお勉強。この日はお茶事があるらしく、TVで見たことのある当主も見かけました。ももり自身といえば4度もお茶を止めた、つまり、4回もお稽古を始め、続かなかったというていたらく。でも、この年になってやっぱりお茶って習いたい。だって、おいしいお茶がのみたい・・・やっぱり、お茶って、立てる人次第でおいしくもなり、イマイチにもなるんですもの。スケッチは今日庵(No261)

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2006年2月26日 (日)

疱瘡除けの御所人形

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 京都、百々町にある「とどの御所」と呼ばれる宝鏡寺にある「さんまじさん」は、明治天皇のおじい様にあたられる光格天皇の娘、三摩地院(さんまじいん)といわれる尼が、疱瘡になられました時、御所から魔除けの猩猩人形をいただかれました。髪の毛も、眉も真っ赤なお人形で、赤は魔除けの色とされていたのでした。このお寺は門跡寺院、つまり皇室の方が代々門主になられる格式高いお寺ですので、御所で使われたお人形がたくさん保存されていて、いつのころからか人形寺と呼ばれるようになりました。すぐ裏手が千利休の不審庵、つまり表千家があり、お隣には千宗丹の今日庵、つまり裏千家があります。日蓮総本山の本法寺もあり、そのお庭の「三つ巴の庭」と呼ばれる石組みは本阿弥光悦作として有名です。ともかく西陣の中心で、もうお話しし始めたらきりがありません。あすも又々・・・・(No260)

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2006年2月25日 (土)

京都 宝鏡寺は人形寺

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暖かい春風に、ついふらふらと迷子になりに出ていきました。京都の長い冬、ホンの一日の暖かい日があると、ももりは当てもなくママチャリで出かけます。京都は迷子になるのが楽しい町。「あれ、あの森は一体どこの??」「あれ、この道、車が少なくて走りやすそう」とか、目的もなく先へ先へ。するとかならず、新しい出会いがあるのです。「わあ、こんな有名なお寺、こんな道から来れるんや」とか、「へえ、いいお店があるんや」とか・・・やっぱりこれが文化っていうもんでしょう。昨日、宝鏡寺へ行きました。人形寺と言われて知られています。門跡寺院で、御所の古いお人形がたくさんありますし、捨てたいお人形の供養もしてくれます。昨日は、そこの「疱瘡除けのさんまじさん」っていうのを見たかったのですが会えませんでした。真っ赤な髪の毛で、真っ赤な衣装のちょっとこわいお人形さんです。疱瘡の神さんは赤が嫌いなんですって。「あの、真っ赤な髪の毛が伸びるっていうお人形さんは??」ってお寺の方に聞きましたら「今では、もう伸びません」っていうおヘンジ・・・そりゃあ・・・でも、展示されていません。絵は宝鏡寺(No259)

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2006年2月24日 (金)

荒川静香選手 金メダル  ス・バ・ラ・シ・イ!!

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もう、人の悪口ばっかりの政界のニュースにうんざりしていたところへ、パッと咲いた大輪の花の映像。なんて美しいんでしょう。でも、何度も転んだって必死に滑った安藤美姫選手も可愛いじゃありませんか。まだ18歳なんでしょう??よく逃げないで勝負にいどみましたよね。ほんと・エ・ラ・イ。あの、屁みたいな政治家どもに爪のあかでも、呑ませてやれっつうの!!(No259)

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2006年2月23日 (木)

それなことでいいんかい??民主党

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昨日のももりのブログを取り消したくなる党首対決。まるで、子供がダダこねてるって感じ。イヤ、もう、それ以下。勿体ぶってる分だけ余計見苦しい。あんな感性で外国との交渉に当たられるかと思うと寒くなる。自衛隊の機密フロッピーも流出だって。あな、おそろしや。写真は、急に話が変わるけど、我が家のツリキチ君が、加茂川で釣ったハエを2日かけて煮た甘露煮。釣ったハエを1度焼いて一晩置き、番茶とお酒で4時間ゆっくり煮て、又、1晩おいて、やおら煮詰める。主婦、ももりの手抜き料理では考えられない根気良さです。これが、又、お酒に・・・そりゃあ・・・もう・・・オ・イ・シ・イ(No258)

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2006年2月22日 (水)

クサい紙切れ

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ももりはノンポリ。自民党にも民主党にも肩入れはしない。でも今回、国政調査権ってのをあんなクサイ紙切れ1枚で発動するってことになると、力のある議員なら、みんな首を洗っとかないといけないんじゃないの??ツマリー・・・首を落とされる前に首を洗っておけってこと。そんなことより、あのトロいババつかみ議員のせいで、みんなで寄ってたかって若い党首を首にするってのは良くないと思うヨ。理想を持った若手は育てなくちゃ。そして、もっと大きな局面から日本の将来を見据えた話はできないのかネ??ももりはノンポリ。でも、ウソはいやだネ。「戦力を持たなかったら外からも攻められない」とか確かに言ってた党とか、以前はたしか、憲法を認めないって言ってたのに、いつの間にか「平和憲法こそは守らなくっちゃ」なんてちゃっかり変わっているなあんて・・・お・お・お ヤダ ヤダ 絵はガラス絵(No257)

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2006年2月21日 (火)

映画 ミュンヘン 見てきました

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 しんどい映画やなああ・・・どうも、ももりは撃たれて血がピュっと吹き出たり、息がゼロゼロしたりするのを見るのは苦手です。これでもかこれでもかっていう残酷シーンをリアリズムで追求するって・・・そんな、大事なことなんかな??夜、BSで「禁じられた遊び」・・・これこれ、こっちのほうが、ももりめには、はるかにジーンときます。ミュンヘンオリンピックっていうと1972年、東京オリンピックの8年後。オリンピック村でイスラエルの選手11人が射殺されました。その報復に、犯人のゲリラを極秘裡に一人ずつ殺していくっていう暗い話。不覚にも、ももりは「血ぬられた祭典」って歴史年表にもでているこんな大事件を知りませんでした。イスラエルの首脳、「メーヤー」って言う呼び名が一度だけ出てきて、そういえば怖い顔をした、そんな名前の首相がいたって言う程度の知識しかなかったのです。会話の随所にイスラエルの建国にいたる歴史背景がでてきます。でも、OH!!!人間って怖い。「人をのろわば穴二つ」って言いますよね。人をのろうんだったら、自分の墓穴も用意しろっていう意味でしょうか。任務として、殺人にはまり込んでいく若者。何にも知らない身重の妻。生まれた赤ん坊の声を、受話器から聞いて慟哭する、殺人者。疑心暗鬼になって誰もが信じられない。追い詰められていく・・・あ・あ・あ・書いていくだけでしんどくなる映画でした。絵はガラス絵「祈り」(No256)

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2006年2月20日 (月)

ガセネタ

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これは、全くももりのガセネタですが・・・ホリエモンって3000万もプロデュース料なんて払うタマかいな??だって、ヤツは、人のHP作ったり・・・ホラ「回転・・カイテン」とか言って回ってたよね・・・自分の売り出しくらい人の世話になんかなるかい、ってヤツじゃないかい??そんな、たかが3000万のホリエモンのフトコロ金よりもっと大きな税金の使い道、談合とか、天下りとか・・・違法建築とか・・・もっともっと大きなことが目の前にあるのに、民主党は見えないのかい??あのトロイ議員は、ババ(ゴメン トランプ用語の)つかまされちゃったんだよ。郵貯のときも、ラブレターをどうのとか、今時は携帯でとか言って、片山さつき姉御に鼻でせせら笑われていたヤツじゃなかったかい???絵はガラス絵(No255)

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2006年2月19日 (日)

もう1度だけ魯迅 「薬」

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スケッチは1982年9月のもの。中国、蘭州、朝7時、杖をつきつつ、てんそくの老婆が、コトンコトンと歩いている・・・とか、道端でトウモロコシを干しているとか、木にも、屋根の上にも、トウモロコシを干す、とか書いています。シルクロードへ行った時のもの。てんそくって言っても、もう知らない人が多いでしょう。成長期に足を縛って小さな足のままでお嫁入りするのが良家の娘のしるしでした。大足は労働者階級のもので、下賎のしるしだったのです。魯迅の姉が、痛くて夜も寝られず泣いていたと書いています。魯迅は難解で・・・とコメント下さったかたもいらっしゃいます。ここで一つ、「薬」という短篇を紹介します。この、短編の主人公、老栓は、いくばくかの銀貨を手に、真っ暗闇の夜に、こっそり周囲の目を恐れながら出かけます。後ろには肺を病った幼い息子、小栓の咳き込む声。真っ暗な中にポッと明かりが見え、怪しげな人影、やがて数人の兵士のすがたもうごめいています。そこで彼は、金と引き換えに小さな真っ赤な饅頭をもらいます。ポタポタ赤いものがしたたった饅頭です。家に帰って待ち構えていた妻と、真っ赤な饅頭をはすの葉にくるんでかまどに押し込みます。パッと赤い炎が、黒い煙に混じって出て、家中に一種異様なにおいが立ち込めます。「おあがり。病気が治るから」肺病病みの子供はおそるおそる二つに割ると、焦げたはすの葉の中からパッと湯気が上がり・・・それは、二つ割りの小麦粉の饅頭でした。間もなくすっかり腹におさまって、彼は、又、胸を押さえてひとしきり咳き込んだ。この短編の中には、その饅頭が処刑された罪人の肺の血をしみこませた饅頭とはどこにも書いていません。肺病に効くという迷信を、医学を学んだ魯迅は否定しています。しかし、日記には、魯迅を慕う若い学生達が反政府運動をしたとの罪で処刑されていたとあります。魯迅は官憲に追われながら執筆していますので、ストレートに物を言っていません。中国が中国人の手で有為な若い力をそいでいくことに対しての、非常な悲しみと憤りが彼に書かせているのです。民衆は、まだ、頑迷に迷信にとらわれています。結局、小栓も死んでしまいます。短編ですのでお時間あれば、お読みください。(No254)

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2006年2月18日 (土)

上海の法印様

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昨日の続きです。法印様が23才のとき、はたちの美しい娘と恋に落ちました。陸上の中距離選手であった法印様は毎日、上海の海岸道を走ってらした。アジア大会に出場。3位入賞だったか??ちょっとももりの記憶がはっきりしません。その、選手の打ち上げパーティーが「ライオン」という当時、上海で一番のフランス料理店であり、その店の養女であった薫子さんと、たちまち熱い恋におちたのです。将来を誓い合いましたが、法印様は修行の身、家庭をもつわけにはまいりません。「4年待ってほしい」と、娘に言い残して去った法印様が、4年後、約束の場に現れた時、娘は幼い2人の子供の手を引いていました。これでは、もう、どうしようもないと、2人は全く別の人生を歩むかに見えました。日中戦争はいよいよ激化、法印様は帰国。すすめる人もあり妻帯。そして、40年近くたち、奥様が亡くなられた一年の法要の日、ホロリと寺に現れた女性がありました。それが、あの、上海で別れたきりの娘だったのです。こちらもご主人に死なれ、身寄りの少ない寂しい身の上でありました。「お母さんの一周期に来てくださるなんて、きっと死んだお母さんの引き合わせよ」という娘のすすめで2人は再婚。奥様は当時80才を過ぎたとはとても思えぬ可愛らしさで、なんとも、うれしくなるカップルでした。「生き形見よ」と頂いた、すばらしいカメオのブローチは、ももりのたった一つの宝石です。この絵のお人形さんは薫子さんに似ています(No253)

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2006年2月17日 (金)

魯迅と法印様

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昨日のブログ、法印様の帰国を昭和23年としていましたのは8年の間違いでした。申し訳ありません。昭和8年(1932年)というと、1月、上海事変おこり、満州国成立。共和政府が対日戦線布告をした年に当たります。そんな時、法印様は上海別院の若い修行僧でいらした。ある日、租界の中の電車の停留所に、魯迅が薬びんを持って立っているのに出会いましたので「どうかなさいましたか」と聞きますと「子供が病気でネ」という返事。当時の官憲、中国の国民党に、つまり同朋に追われていた魯迅は、中国人の医者にかかれず、日本人の医者にかかっていたのです。そこで、法印様はお見舞いにと、木で作った鉄砲のおもちゃと汽車をさし上げられました。ホラ、押すとポンと飛び出すあのおもちゃです。すると、魯迅は、じいっと法印様の顔を見て、「あなたは、坊さんだけど、やっぱり日本人ですね。鉄砲と機関車を持ってきた」なんとも皮肉・・・さすが・・魯迅の日記によれば、1月28日の上海事変では、流れ玉が家に飛び込む始末。内山書店の店員、鎌田誠一に守られて、英国租界の内山書店に避難しています。2月13日、息子、海嬰にはしかがでて大江南飯店に移るとあります。同朋に追われ、敵国日本人にかくまわれている中、子供は高熱で、彼の心中は察するに痛ましい限りです。まさに、このとき、わが法印様が登場なさるのです。同年12月21日、法印様のために、扇面一筆書す、の記述があります。法印様が帰国なさる翌年3月には、日本軍は満州から長城線に進出。5月には、北京へあと3キロとせまり、その後は引くにひけない泥沼へとのめりこんで言ったのは周知のところです。この機関車と鉄砲のおもちゃは、今、魯迅記念館にあるんですって。絵はショーモナイももりメの長城・・・ハ・ズ・カ・シ・・・(No252)

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2006年2月16日 (木)

法印様

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若狭、高浜の青葉山の中腹にある中山寺の、あうんのお仁王さまが、大英博物館に華々しくお目見えすることになり、杉本勇乗様は「わしゃ、うちのお仁王様がどうしておられるか、どうしてもロンドンで見たい」とおっしゃり、荷物持ちに力自慢のももりが同行しました。高名な法印様と、ももりが知り合ったのは、1冊の「風」っていう短歌の同人誌でした。編集後記に「昭和8年、上海高野山別院から、帰国するにあたり、魯迅先生が、扇面を揮毫してくださった」という1文があったのです。当時、わたしは魯迅を読み込んでいました。そこで、早速手紙を書いたのです。分厚い丁寧な返書が届き、お会いすることになりました。それ以来京都へ出ていらっしゃるたびにお会いするようになりました。法印様のお話に登場する人物は、みな、ももりなんかとは別世界のお方々。五島慶太や近衛文麿公、川端康成、佐々木野信綱、釈超空・・・当時、周令飛氏の「北京よさらば」という本が出ていまして、法印様もそれを読んでくださいました。周令飛は魯迅の孫。父親の周海嬰は上海で生まれたみどり児という意味でいかにも魯迅らしく、人を食った名前です。続きは又、あすにでも・・・写真はちょっと不鮮明で申し訳ありませんが魯迅が揮毫した扇面です(No251)

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2006年2月15日 (水)

ロンドンお仁王さま

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ももりがこのところエラーく、ロンドンにこだわっていたのには、ちょっとした思い入れがあるからなのです。この写真のパンフレットは、イギリス大英博物舘で1991年に行われた「THE KAMAKURA」という展覧会のものですが、この展覧会に、ももりもホンの少し関わりました。その1年前、「大英博物館展」というのが文化庁、外務省、英国大使館などなどによって大々的に行われ、関西は、茨城の国立国際美術館でした。そして、英国へのお礼にと、日本の鎌倉時代の彫刻を大英博物館に展示することになったのです。メーンのお仁王さまは、若狭、中山寺の阿吽の2体。快慶作と伝えられるたっぷりとしたお仁王さまです。その中山寺の法印様、杉本雄乗と申されるお方が、当時、ももりの最年長のボーイフレンドだったのです。えらいお方ですので、ももりごときが、ボーイフレンドなどと軽々しく口にしては、多くの権威主義的な方々からは、しかめっ面をされるでしょうが、なんとも、大きな人物で、84才でしたが、美しく素晴らしいお方でした。歌人としても、一家をなしてらしたかたです。後日、ももりがNYで個展をするっていう運びになったのも、この法印様のおかげです。法印様には、誰か荷物持ちが必要ということで、ももりが手をあげたのです。大英博物館では、副館長の女性に案内してもらい、あの立派なド-ムの図書館や、館長室にもおじゃましました。この法印様は、大分な小説になりそうなスケールの大きな経歴の持ち主でしたので、明日から、少しずつお話しましょう(No250)

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2006年2月14日 (火)

毎日新聞 毛利甚八 さかさメガネ子ども論を読んで

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へええ。そうなんだ、って思って読んだ今朝の朝刊のコラム。雑多な日常の音を全く取り除くと、シーンという音が耳の底から聞こえる。それって耳の奥にある、音を感じ取るための細かな毛が震える音なんですって。ある。ある。そんな経験。深夜、シーンと静まり返ったら、なんか耳鳴りみたいな、ちょっとイヤーな音が気になるってことありますよネ??寝入りばなから目覚めまでぜーんぜん意識がないような深い眠りは、脳の情報を整頓するんですって。だから、子供達には静かな眠りが必要で、それによって、もっと勇気や好奇心を更新できるんじゃないかっていうお話でした。ないか??って言う疑問形が気になるけど、そんなもんかなあ??ももりは眠れないっていう悩みをあまり知りません。でも、あんまり脳の情報はよく更新されないなあ。安らかな深い眠りには横にいる家族達の安らかな眠りが何より・・・です。絵は三方五湖の冬(No249)

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2006年2月13日 (月)

ロンドンのユダヤ人

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たまたま手元にあった「ロスチャイルド家」ユダヤ国際財閥の興亡 講談社現代新書、横山三四郎著を読んでいて、面白いなあと思ったことがあります。それは、「オリヴァー・ツイスト」の中で、チャールス・ディケンズは、盛んにユダヤ人っていう憎々しげな蔑称を撒きちらしています。でも、横山三四郎氏のこの本によると、当時、もう、ロンドンのピカデリー通り一帯は、ロスチャイルド通りと呼ばれるくらい、一族は居館を連ね繁栄を謳歌していたとあります。フランクフルトのユダヤ人古物商、初代マイヤー・アムシェルが5人のすばしっこい息子を、フランクフルト、ウイーン、ロンドン、パリ、ナポリへやって支店を開設し、世界規模の金融資本を動かします。ナポレオンに戦費を貸し、敵対するイギリスにも貸すってんだから・・・商売ってのはスゴい。チャールズ・ディケンズの生きた1812年~70年っていう時期は、もう3代目にあたり、息子は4人いて、彼らはオックスフォード大学のトリニティー・カレッジに学んで、スマートな英国紳士になっていたとあります。屋敷には英国皇太子エドワードだって遊びにくるっていう状態で、皇太子が階段から落っこちて足を折ったというおまけまでついてたそうな。チャールズ・ディケンズが使っているユダヤ人って言う言葉は、これは、一体どういうことなんでしょう??やっかみ半分のビンボウタレの恨みぶし??それとも、それほど根は深い???解説によるとユダヤ人に対するこのディケンズの立場は「オリヴァー」が上梓された当時でも、問題になったとあります。絵はロンドン ビッグベン(No248)

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2006年2月12日 (日)

あれじゃあ、しんどい着物姿

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昨日は結婚式。若い人らしい元気なお式でした。ところが、ももりメは着物がきつくってもうお式の前からしんどいばっかり。どうして、あんなにきっちりと着物を着なければいけないんでしょう。京都なんかでは、特にお年を召したお方なんか、実に楽にざくーっと着てらっしゃる。ももりメはもう6?才。あれでいいのよ。グサーッと着る年齢なんだから。お式が終わったら、一目散に脱衣室へ。博多帯に替えてくるくるっと文庫結びにして、コートを着て帰途に着きました。ホント、着物を愛するんだったら、いつのまにか定着したこの、ガンジガラメの人工的な着せ方はもう、絶対止めるべきですッ!!!絵は関係ないガラス絵(No247)

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2006年2月11日 (土)

あかさたな・・の続き・・・

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「創作イチオシ」っていうブログに、うれしいコメントが入りました。亭主と大笑い。未来の希望と夢をくれたなんとも楽しいコメントです。つまりってェと「あかさたな・・・で順番につけた息子たちの名前、あきこ、かずお、さとお、たけお、なお・・・ももりは「な」で終わってしまって残念っていうこと。そしたら、これを孫につないだら???って、遠大なたくらみを吹き込んで下さったんです。ももりは、小さな書道教室を、もう35年ほど、この京都の壬生でやっています。先日、小学4年生のしゅん君に聞かれました。「先生の将来の夢ってなあに??」ウッとつまってしまったももりです。6?才にもなったこのももりの将来の夢ってなああ??[痛い、痛い言わんと死ぬことやろか??」ってソッと心に・・・でも、これで夢ができました。ア・リ・ガ・ト  絵はガラス絵で文とは関係なし(No246)

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2006年2月10日 (金)

オリヴァー・ツイストは誰の子??

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映画「オリヴァー・ツイスト」を見てから、白黒の旧作、デヴィット・リーン監督の「オリヴァー・ツイスト」も見て、やっと、その2つの映画の助けを借りて、原作を読み終えました。なにしろ、回りっくどくて、皮肉な文体。逆説でいっぱいで、真意が取りにくい。「なんで、これが英国一の文豪なんやろ」ってぶつぶつ言いながら何とか読み終えました。オリヴァーっていう子は一体誰の子???映画では、その問題は見る人の想像におまかせっていう終わり方をしていますので、どうも納得できなかったのです。きっと、皆様も同じでしょう。ここで、皆様の悩みを一つ減らします。オリヴァーの父、貴族リーフォードは若くして、無理やり結婚させられます。10歳も年上のその妻は大陸へ(この大陸ってのが、パリってんだからやっぱりイギリスの作家ですよネ)、自堕落な生活の果てに、出来の悪い息子を残して死にます。一方、不埒な妻に去られたリーフォードは、退役海軍将校の19歳の娘と恋をしますが、前の妻が見つからず離婚できないまま、さりとて結婚もできないという宙ぶらりんで死んでしまいます。かれの遺書は、手紙であの、オリヴァーが泥棒たちに強要されて押し込みに入った、あのブラウンロー氏の元にあるか??原作を読んだかぎりでははっきりしませんが、ブラウンロー氏は遺産を分ける故人、親友リーフォードの意思を知っています。ブラウンロー氏がオリヴァーの顔を見て、ひどく心を打たれたのは、死んだ親友リーフォードにそっくりだったからなのでした。絶望した娘は、リーフォードの墓の前で死のうと長い道のりを歩きつづけ、行き倒れます。そして生まれたのがわれらがオリヴァー君なのでした。彼女の秘密はあの産婆の老婆に握りつぶされるのは、映画のとおりです。絵はロンドン オックスフォードサーカス。ロンドンのピカデリーサーカスっていうのは小説にでてきますが、オックスフォードサーカスは出てきません。どちらも交通の要所で、ももりもかつて2階バスの乗り降りを何度もした所です。それにしても、原作は連載ものとして執筆されたらしく、始めからしっかり、構築されていないとおもわれる筋立てが登場人物の関係をわかりにくくさせています。ももりの頭にはネ??英国人ってのはよっぽど頭がいいんでしょうねえ。(No245)

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2006年2月 9日 (木)

創作イチオシ

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売れもしない絵を描いて面白がっているけど、ももりの一生のイチバンの創作っていうのは、やっぱり子供達でしょう。もうとっくにとうのたった大人ですが・・・我が家は、あかさたな順に名前をつけました。ももりメは実は、あき子。亭主は実はかずお、息子がさとお、たけお、なおです。わかりますか?あかさたな・・なんです。4番目の子は「は」ですから男の子だったら「はやお」女の子「はな」5番目は「ま」で、女だったら「まりあ」男だったら「又男」・・・又、又、男の子・・・これホントです。誰かが、「わからウンまでいくの???」って聞いたから、もうあきらめたけど、もしももりメが、お金になんの不自由も無く、子守っ子もいたら、1ダースくらいは生みたかったなあ。絵なんかよりよっぽど創造的。仕事なんて子育てに比べたらどれほどのもんか・・・て言ったら怒られるでしょうネエ。でも、若いお嬢さん方、子育ってホント大変だけど、育て終わったあとは幸せですよ。学校の成績なんか、ゼーンゼン関係ない!!(244)

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2006年2月 8日 (水)

紀子さまおめでた なんてうれしい

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 紀子様おめでた。なんてうれしいニュースでしょう。男だって女だって元気なお子様をって、みんな思っているでしょう。このブログの11月22日に「青い目のプリンスを??」っていうタイトルで書いたんですけど、将来、愛子様のだんな様が青い目のお方だってこともありうるっていう世状ですよ。もし、紀子さまにお生まれになったのが王子様なら、愛子さまだって、雅子さまだって、かえって気が楽になるってモンだと思うのは下賎だけでしょうか?? 
イヤイヤって言っていた方をお妃にしたのは、可愛そうなことだったと思います。かのオーストリアの女帝マリア・テレジアは、忙しい政務の中16人も子供を生んだんですってよ。子供って、たくさんいたほうがいいと思うんですけど・・・お守りは誰かがしてくれるんでしょうし・・・(No143)

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2006年2月 7日 (火)

オリヴァー・ツイストとレ・ミゼラブル

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「オリヴァー・ツイスト」1巻は、ずーっと以前から本箱にありました。2巻がないってことは、途中で投げ出してしまったということです。今回、映画も見ましたし、また、白黒のデヴィット・リーン監督のDVDも見たので、今回こそはと読み始めました。今、3分の1くらい。やっぱり、読み終われる自信はありません。回りくどく皮肉一杯の文章に、早々とウンザリしています。でも、しっかりわかったことが一つ。それは、あの醜悪な、子供達を使っての窃盗団の親分はユダヤ人。やがて、オリヴァーが保護された時、着ていた服を女中が売り払った先も、ユダヤ商人。あの、社会悪を取り上げたはずのデッケンズ卿も、ユダヤ人への偏見は相当なもので、当時はそんな風潮だったのでしょう。ディケンズは1812年~70年の人。ヴィクトリア女王が、1837年に王位につき、フランスでは、ナポレオンの死後、又、王政復古。荒々しく近代へと変わっていった時代でしょう。当時の貧民窟って、そりゃあ、もうヒドイものだったでしょうネ。あの、ヴィクトール・ユゴーの名作「レ・ミゼラブル」の舞台となる7月革命が1830年で、モーパッサンが同時期です。下層階級は虫ケラ以下、富裕層はぜいたく三昧っていう時代だったのでしょう。白黒のデヴィット・リーン監督のオリヴァーもぜひ見てください。オリヴァーを演じる少年はこちらのほうがはるかに上。デヴィット・リーンは「アラビアのロレンス」を撮った巨匠です。(No243)

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2006年2月 6日 (月)

どなたが来ても欠け茶碗

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梅が香や どなたが来ても 欠け茶碗  一茶
いいなあ・あ・・・まるで、我が家のことみたい。この絵は古い。もうこの頃、この手の絵を描いていない。一生懸命書に取り組んだ30年以上の月日。今ではもう絵が、創作活動のほとんどになってしまったけれど、師匠とか書道会から離れ、自分ひとりで考えるこの頃になって、やっと、書っていうものの見方が少しづつわかってきた気がするし、それは確信に近くなってきている。60をいくつも過ぎて・・・ネ。いかにも、鈍いももりです。(No242)

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2006年2月 5日 (日)

映画 ギャング オブ ニューヨーク

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アメリカ産牛肉が問題になっています。この問題を聞くたびに思い出す映画があります。今まで見た映画の中で最も不愉快だった映画「ギャング オブ ニューヨーク」おすぎさんが、TVで「素晴らしい映画で必見」とか叫んでいて、100年前のNYっていいうことだったので、歴史大好きももりとしては、「いっちょう見てやんなくちゃ」って出かけたんだけど、5分もしないうちに「金かえせーー」って叫びだしたくなった。毎日、3000人ほども、アイルランドから食いはぐれが、NYの港に降り立つ。このところの大飢饉から逃れ、新天地を求める流民、一発あてようというならず者たちもごった煮のまま下船する。そのNYを支配していたのが、牛肉解体業者の、ナンテッタッケああ・・あんまりイヤな映画だったのでパンフも買わなかったし、ブラッド・ピット以外覚えてないんだけど・・・・ともかく、あの、不潔な血のシミだらけのエプロンをかけ、ギトギトの牛刀を振り回して凄惨な勢力争いをするNYのギャング達と今のアメリカ人がダブって見えてしまうんだよなあ。ももりは焼肉なんか、もう10年以上も食べてないし、牛肉は買えなくっても平気なんだけど・・・あの、神経の粗雑な野蛮な血みどろのギャングたちが・・・どうも・・・ 断っておきますが、「大草原の小さな家」シリーズは15冊はももりの最も好きな世界。寝る前の聖書のように毎晩、原文を少しずつ繰り返しくり返し読んでましたよ。静かで、誠実な、しかしタフな開拓精神。だから、あの映画のアメリカは、アメリカの1面であるっていうことです。絵はNYにて(NO241)

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2006年2月 4日 (土)

子供は大人の20倍笑う

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以前、「徹子の部屋」で」黒柳徹子さんが言ってらした。「子供って大人の20倍も笑うんですって」ひょっとして、30倍かも、100倍だったかもしれない。銭湯に子供達が一杯来る日がある。お正月、お祭り、お盆・・・夏休み、おばあちゃんの家へ里帰りした孫たちの賑やかな歓声があふれかえる。おどけた子が一人、洗い場と脱衣場のガラスに顔をこすりつけて、鼻や口をペッチャーっと変形させてる。それっと、もうこっちからもたちまちいろんな顔が並んで、大人たち大爆笑。水を口にふくんでガラス越しにかけあって又キャッキャッと笑っている。ホント、子供達って笑いの天才。大人ではこうはいかない。子供達が走り回っていたころ・・・ひょっとして、ももりの子育ての時期って1番シアワセな環境だった稀有の世代かもしれない。(No240)

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2006年2月 3日 (金)

子供達の笑い声

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最近、チョコチョコ銭湯に行きます。我が家の近くにある「夷湯」っていうのが、ももりのお気に入り。中でも、洗い場の真ん中の深くてあっつーい正方形の湯船がイチオシ。そのなかで「うーん・ん・ん・・」って、ゆで豚か、煮豚状になるまで茹で上げる。体の中を血が駆け足でめぐり、老廃物がザッザッと出ていきそうな・・・わが家は商店街のすぐ近く、5分以内に3軒いじょうの銭湯があったので、お風呂洗いもイヤだからって、ずーっと銭湯できたんですが、今は内風呂です。最近思うこと、銭湯で子供を見かけないって。ももりも、毎日3人の息子を連れて、大きな湯船で遊ばせ半分、母親達は、幼い子連れでままならない中、得がたい社交場で、裸のお付き合いの場でもありました。子供がいっぱいいて、キャーキャー騒ぎまわっていたのはほんのついこの間のように思うけど、銭湯はもう年寄りばっかり。当世浮世風呂を明日も、少し・・・絵は関係ないガラス絵(No239)

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2006年2月 2日 (木)

冬の雨が激しくふる夜は

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この前の絵の研究会で「ももりさん もうこれ以上描いたらあかんで」って言われた絵。3月の展覧会に向けての絵はもう完成。突然、ふっつりと空いてしまった時間。さっそく、どうしても見たくなっていた旧作映画「オリヴァー・ツイスト」をヴィデオ屋に借りに行ったのに、なんと、あの名作がナ・イ・!!ウロ覚えなんだけど、確か、旧作では、真っ暗な嵐の前の低い低い空の下、行き倒れた娘。その娘が激しい嵐の音の中,あやしげな老婆の手で生み落とした男の子がオリヴァー。そして・・・うろ覚えなんだけど・・・どうしても、あの旧作、確か白黒だった・・っけ??と、こちらもはげしい雨の中、ヴィデオ屋に行った。ところが、無い!!残念!!!こんなに話題になってんだから置いとけよ。ということで「市民ケーン」を借りて帰った。「ばらの蕾」って一体何??って、コメントがあって気になってたから。「市民ケーン」もいい映画やったなあ。あのころってこんな青臭いほどの、まじめな哲学的な??映画を作ってたんやなあ!!幸せとは??何もかも手に入れたケーンに欠けていたもの、それは・・・バラの蕾・・・バラの蕾は人によって違うんでしょう。幸せになるためにはなくてはならない、けれどもちっとも目立たない何か・・・ももりにとってのばらの蕾って???暗い冬の雨は人をロマンティックにさせてくれます。下のページに旧作の紹介がありました。お気に入りからどうぞ(No238)
http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/OliverTwist.htm

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2006年2月 1日 (水)

HPヴィジター10000名を超えた日

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1月30日、やっと10000人を越えました。去年の元旦、1250あたりからスタート、何とか続けられました。コメント下さった方々に励ましていただいてこそ続いたと、ただただ感謝です。毎日1枚絵を入れるって、これが結構シンドイ。話題もネタきれ。そうそう絵ばっかり描いていられないし、ネ・・・でも、パソコンに手慣れたことは確実。機械オンチの縄文時代人の生き残りみたいなおばさんでも、コケの1念ってのは通じるみたい。いったん覚えてしまったらもうこっちのもの。生きている間、楽しみましょう。それにしても、冬の風景ってむつかしい。ユトリロのあの、冷たく暗い空の色なんか、やっぱり手が届かないなあ。絵は昔、鬼がいた大江山あたり(No237)

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