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2005年12月23日 (金)

今、パソコンとももりは家庭内別居

しばらくご無沙汰しています。ももりのパソコン、ストライキ。NWじゃないけど、早く回復したい!!何故か突然プッツン。画面が真っ暗になったままです。でも、Bunちゃん先生のパソコン教室にお願いして、間もなく、新しいヤツがやってくるはず。無くなって改めて、家族全員がヤツを愛していたってわかりました。デハデハ・・・

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2005年12月20日 (火)

「阿吽」の”あ”のまま死にそうな・・・

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[忙しい、忙しい」と言いながら仕事を増やしているのが、探し物。なんとか治したいと思い続けて60年。これがなんとも口惜しいけど、どうやらDNAに問題があるような気がするこの頃だ。Bunちゃん先生いわく、机の周辺は、持主の頭の中と同じだそうで、散らかっている人には仕事を頼めないそうだ。ももりには仕事が回ってこないなあ。特にしょちゅう探しているのがお財布。泥棒なんかより、自分の方がよっぽど怖い。それに、持ち主がわからないくらいだから泥棒だって、盗りにくかろうと密かに思っている。お仁王様って「阿吽」の形態で、一体は「オギャア」と口を開けて生まれ、もう一体は「ウン」と死ぬのを口を閉じて表しているそうだけど、ももりメは「あ」のまま死にそうだ。スケッチは興福寺、奈良(No195)

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2005年12月19日 (月)

ザルツブルグ ミラベル宮殿

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絵では描けない風景。少なくともももりの技量では描けない風景に出会いました。ウイーンの朝、木々がすっかり凍り付いて、サクラの花が満開のように輝いています。霧氷っていうんでしょうか。少なくとも、京都に住んだももりには初めての美しい光景でした。もう、枯葉になっていた葉っぱが、サクラのピンクよりほんのり紫がかってなんとも優雅です。ザルツブルグのミラベル宮殿は、映画、サウンド・オブ・ミュージックの舞台になったそうですが・・・ももりはもう忘れた・・・そこもすっかり霧の中。やがて、霧が晴れて・・・もう、そりゃあ・・・後はHPで・・(No194)

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2005年12月18日 (日)

奈良 春日大社 若宮おん祭り  Ⅱ

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昨日の続きです。12月17日の真夜中の秘儀、春日大社若宮おん祭りについて、春日大社のHPから抜粋しました。詳しくお知りになりたい方は
  http://www.kasugataisya.or.jp/index.html

午前0時 遷幸の儀(せんこうのぎ)
●若宮本殿よりお旅所へ
若宮様をお旅所へお遷し申しあげる神秘の行事。写真撮影は禁止です。
 若宮神を本殿よりお旅所の行宮(あんぐう)へと深夜お遷しする行事であり、古来より神秘とされている。現在も参道は皆灯火を滅して謹慎し、参列する者も写真はもちろん、懐中電灯を点すことすら許されない。これらはすべて浄闇の中で執り行われることとなっている。神霊をお遷しするには、当祭においては大変古式の作法が伝えられ、榊の枝を以て神霊を十重二十重にお囲みして、お遷しするという他に例を見ないものである。全員が口々に間断なく「ヲー、ヲー」という警蹕(みさき)の声を発する。又、楽人たちが道楽(みちがく)の慶雲楽(きょううんらく)を奏で、お供をする。
ももりが見た夜は煌々と月が輝いて、夜ってこんなに明かるいものだったのかって思ったものでしたが、今夜は雪景色でしょうね。足元が冷えますのでくれぐれもご注意を!!(No193)

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2005年12月17日 (土)

奈良 春日大社若宮おん祭りの夜

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 絵では何がなんやらわからないかもしれません。実は、まっくら闇の中で行われる神事があるのです。春日若宮おん祭り。TVでも言っていましたが、今夜、神様がお旅所から出て、又、若宮にお戻りのなる神事が夜10時過ぎから行われます。もう10年以上も前に見たのでちょっと正確さには欠くかもしれませんが・・・真っ暗な奈良の夜、月は煌々と輝いています。ふと、かたわらに物の動く気配。ボーッと鹿の目が暗闇に光ってこちらを凝視しています。半時間おきだったでしょうか?神様に神官が声を掛けます。が、お答えがありません。やっと、4度目くらいに、「オーッ」とお旅所の奥の真っ暗闇から声があり、神様がお旅所を出てこられるのです。たいまつは一瞬のうちに全て消され、真っ暗闇のなかを青光りするような、白装束の神官たちによって太鼓の音と共に行列は目の前を通り過ぎて闇に消える・・・
何とも異様なお香の香りが漂う。見上げるといつの間にか月はすっかり西の方へ・・・万葉集に「月かたぶきぬ」と現代文では読んでいるところを「月西渡る」と原文ではありますが、なんとも粋な神事でした。(No192)  

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2005年12月16日 (金)

佐伯悠三とモディリアーニ

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huneさんからのコメント、「モディリアーニと佐伯祐三は似ている。どちらも同年代でインパクトが強い絵を描き、極貧のうちに死んだ」っていうこと。ももりは大学時代、山田新一先生に油絵をお習したのですが、山田新一先生と佐伯悠三は、パリで親しく学ばれたようです。わたしの手元にある本によると1925年(大正14年)11月末に佐伯が山田新一に手紙を出しています。「コノ間モドイグリアニ(モディリアーニ)の個人展覧会を見マシタ。中々ヨイ。近来のヨイテンランカイでした」とあって、佐伯が、よほど感銘を受けた様子が「MODIGRIANI 大分コウ かくのでせう。イタリア人です。中略・・・非常ニビンボーしてゐてキタナイキモノをきてゐたがよーぼーは中々シャルマンでカタチモヨカツたそうです。モデルに恋人ができて2人目の子供が生まれた冬、・・・中略・・・死シマシタ。肺病をやんで其日ぐらしだったが今は彼の画は、ボエシーの大画商のショーウインドーをにぎあわしています。君にみせたい展覧会でした」大体こんな内容です。古い漢字やカタカナも混じり読みにくいですが。佐伯がモディリアーニの深さ、シャガールの色彩、ユトリロのシユミ、ブラマンクの物質描写法に感心したとも別に述べています。あなたの御指摘はとても鋭いと思います。絵はグッと格調が下がるのが悲しいももりのガラス絵  パリ娘(No191)

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2005年12月15日 (木)

エトルリア世界展 イタリア

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旅の楽しさはもう言葉ではあらわせない。昨日、ブログを旅していたら「エトルリアの世界展」というページに迷い込みました。エトルリア、この聞き慣れない言葉に、例によって耳がピーンと立ったものだから本棚を調べてみたら、大阪市立東洋陶磁美術館で「エトルリア文明展」を1990年に見ていました。ローマ帝国がガーンと周辺諸国を押さえる以前、地中海には活発な商業活動があり、いろんな人種や勢力も拮抗していたらしい。その中の一つの国がエトルリア。尤もイタリアと言う概念自体、ついこの間まで無かった、なんていったらイタリア人に怒られるか??大ローマ帝国崩壊後、サヴォイア家の統一を経験するものの、再び、群雄割拠の小国に分裂していたのを再統一して今の国になったのは1861年とももりの本には書いてある。歴史って、美術って古いほど面白い。古拙っていう言葉があるけど、バランスのちょっとおかしい硬い形態がなんとも可愛らしく愛嬌がある。スケッチはトスカーナ地方の夕暮れ、エトルリア文明を育んだ土地。この旅ではトスカーナ地方をひたすら北上。トンネルを抜ける度に秋の色が、バーントアンバー(こげ茶)に、次第にチャコールグレーから、霧の立ち込めた冬景色に変わっていったことを覚えている。絵の人物はまっ平らな夕暮れの田園風景の中に小さくうごめく農婦達を見て「あ・あ・あ・小人っていう発想はこういう風景から生まれたんだ」って思ったものでした「エトルリアの世界展」に関してはももりの当ブログ12月10日「これは不思議 ハルシュタット湖」のページにも入れてくださっていますのでどうぞ。。(No190)

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2005年12月14日 (水)

旅とスケッチ

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旅で忙しくスケッチをしていると、よく「絵を描くスケッチ旅行ってのもあるでしょう」って言われます。でもももりは格安のパックツアーで、目一杯に忙しい欲張り旅行を選びます。特に、歴史に興味を持っているポイントとなると、もう何だって見たい。好奇心が強いもんだから1ヶ所に何時間もとか、何日もとか、そんな勿体ないことはしていられない。というわけで、歩きながら、鉛筆でスケッチをする。ちょっと、赤とか黄色っぽいレンガ色とか、書きこんでおいて、さあ、ホテルへ帰ってからが本領発揮、夜なべ仕事で色付けをします。今回、100枚のクロッキー帳を持って行って10日間で99枚。3日間は移動で消えるとして、1日、12~3枚は描きました。尤も、日記なので、乱雑なことこの上ない。この絵で個展をするっていうつもりもないし・・・大学時代の山日記から考えると、もう40年やっている。その日記がわたしの宝物で、火事になったらこれを抱えて逃げる。これで、人の2倍は楽しむとして、最近はこれを、パソコンで人様に見せるようになった。3倍の楽しみになってホント、ももりメはシアワセ・デ・ス。でも、夜なべはハードですヨ。絵はハルシュタット湖畔の村。それにしても、雪景色ってまだまだ描けない(No189)
お時間あればホームページへどうぞ。左下のお気に入り「山口ももりのホームページ」から入れます。

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2005年12月13日 (火)

京都 ロームのイルミネーション

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どうですか。この見事なイルミネーション!!!京都のももりの家のすぐ近く、西王路五条を少し西へ行ったところににロームという会社があります。メカに全く弱いももりにはよくわかりませんが、ハイテクの集積回路とかいう事業で一代で急成長した会社です。この会社が12月に入るといっせいに敷地にイルミネーションをつけます。発光ダイオードとかいう熱くならない豆電球なんだとか???ともかく、この会社は四季を通じて、五条通りを美しく花や木々で飾ってくれていて、何にも知らないももりもこの会社のファンです。それに、この会社が年々大きくなっていくのが、イルミネーションの規模の成長でわかり、株でも買いたいくらい。尤も、株はチンプンカンプンですが・・・ぜひぜひいらして見てください(No188)

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2005年12月12日 (月)

ドレスデン  ドイツの広島と言われた町

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ドイツの広島と言われ第2次世界大戦で徹底的に破壊された町。ホントにこんな美しい街に爆弾落とすなんて恥ずべきで、無教養で、文化の程度が低い。ドイツの歴史って、ちょっとやそっと本を読んだくらいでは理解できないみたい。もうわかることをあきらめたというのが正直なところだけれど、ともかく群雄割拠みたいな状態だったようです。ローマ帝国が、476年(死なんと覚える)に滅び、東ローマ帝国だけが残った。それを何とか取り戻そうと神聖ローマ帝国を作ったのが800年。7人の選帝侯と呼ばれる実力者による選挙でドイツ王が選ばれ、法皇に戴冠してもらって神聖ローマ帝国皇帝になったというのが、やっとわたしの理解したところです。ドレスデンはザクセン選帝侯がエルベ河のほとりに居城を建て、1400年頃から栄えた町らしい。夏なら6時、7時になってもウロウロできるのに、12月の今はもう4時には真っ暗です。でも、ここのクリスマス市は有名だそうでホットワインを飲みました。(No187)
   

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2005年12月11日 (日)

夢の続きを・・・ポツダムにて

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絵はポツダム、ツェツィ-リエンホーフ宮殿。ベルリンから南へ1時間。あのポツダム会談の行われたお城です。日本敗戦の1ヶ月前の1945年7月17日から8月2日まで、ここで、トルーマン、チャーチル、スターリンが談合。フランスは数日遅れて「留保あるも同意」したそうだ。種々協定を守らず、ドイツは東西に分断され数十年・・・右の部屋はスターリンの、左の部屋はチャーチルのってガイドが説明してくれていたけど絵を描くのに忙しくって、反対だったかな??外には美しい湖もあって広大な、でも権威を誇示するような宮殿ではない。皇子の住いだったそうな、こんな穏やかな所で、日本をどう料理しようかって談合してたんだと思ったものでした。(186)

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2005年12月10日 (土)

これは不思議?ハルシュタット湖

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上はももりのスケッチ。下はももりが邪魔になりますがハルシュタット湖です。ふしぎな風景に出会いました。ももりをどけて想像してください。山の雪が真っ白に輝いているところが、水面では、金色に輝いているのです。これは一体どういう現象なのでしょう。水面の山の陰が黒々と、その周囲が金色に輝いているのです。山の雪は、あくまで真っ白なのに。それに、添乗員さんがとても面白い話をしてくれました。この辺り、ブラーセン塩山はとてもおいしい岩塩の取れる所。そこに働く工夫たちが時々美しい石を見つけて、首飾りなんかにしていました。工事監督官のラムサウアーが素人画家のイシドール・エンゲルと協力して正確な記録に残しました。19497点に及ぶその記録に、考古学者は見向きもしませんでしたが、かれの死後、再度検査がなされ、それは先史時代のケルト人の文明であることが判明したのです。ハルシュタット文化と呼ばれるこの古代文明は、2万5000年も前のものとわかり、ウイーン自然史博物館に展示されているそうです。又、行きたいところが増えました。たしか、クロマニヨン人ってのもドイツかどっかじゃなかったけ???それにしても、やっぱり絵は本物には負けるねえ・・・トホホ・・・(No185)

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2005年12月 9日 (金)

ベルリン ペルガモン博物館

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今回の旅、一番行きたかったのがここ。一番見たかったのがコ・レ・・・ネブカドネザル2Cの建てたバビロンの城門を復元したもの。ネブカドネザルといえば、旧約聖書の最大級の悪者だ。ユダ国の都、エルサレムを囲み、恐ろしい戦いがあった。エルサレムの町は、石に上に建つ石も無いほど粉々に打ち砕かれ、宮殿もあっけなく焼き払われた。ユダヤの王は捕らえられ、王の目の前で王子たちは皆殺しにされた。最後には、王の目をえぐり、見えなくしたという。国中の人が捕らえられバビロンの都へ引かれていった。そして、ユダ国は亡んだ。この捕らわれの頃からイスラエル人は、ユダヤ人と呼ばれ、又、ディアスポラ、さすらい人と呼ばれるようになった・・・と、わたしの本には書いてある。BC587年のことだそうだ。2003年、アメリカ軍とイラクのフセインの軍がチグリス川を奪い合って戦っていたが、イラク軍の名前がネブカドネザル師団だとTVで言っていて、それを聞いた瞬間、耳がピンと立った。たしかに耳がピーンと。バビロン、スーサ、ニネベ、ペリセポリス・・・メソポタミアとは、「河と河の間」という意味らしい。チグリス、ユーフラテスの2つの大河にはさまれたこの地の6000年も前からの、文明と戦いの歴史の大きさになんとも引きつけられる。アッシリア、シュメール、ヒッタイト・・・美術も工芸もレリーフも・・・厳しい造詣、残酷なテーマ・・・甘さなんかかけらもないその人間の獣性がわたしをひきつけるのかも・・・??ちょっとこわい・・・しれない。(No184)

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2005年12月 8日 (木)

モーツアルト君とツーショット

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オーストリアはザルツブルグの街角でかの有名なモーツアルト君とばったり出会って、なあんちゃって。P1112632
旅は楽しい。こんないたずらもできる。モーツアルトと言えば、映画「アマデウス」あの陰険なサリエリのいじめにモーツアルトは、生きている間は、結局負けたと言えるかもしれない。けれど、素晴らしい曲を残して歴史的には圧勝した。宮廷からは結局サリエリに追い出され、貧困にもひ弱な体質にも苦しんで35才で死んでいる。あの映画の子供時代のモーツアルトはえらくはしゃぎすぎで、神童というより多動性の疾患があるようにすら見えたけれど、子供時代には大人、成人してからは子供だったという彼の性格は、幼い頃から神童と売り込む父親との旅ばっかりの落ちつかない生活のせいだったのかもしれない。東欧へこんな時期に行くなんて、どんなもんだろうと心配して行ったけれど、シューベルトの「冬の旅」っていう気分ではなかった。クリスマスの飾りつけの町々はホント夢そのものでした。スケッチはシューベルトの生家 (No183)

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2005年12月 7日 (水)

16人の子持ちの女帝 マリア・テレジア

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もう一度生まれなおして、もしお金や人手を心配しなくて良かったとしたら、16人も子供を生んでみたかったなあ。スケッチは、ウイーン。マリア・テレジアの住いだったシェーンブルン宮殿の大広間。この大広間で、彼女は君主としてお客に会い、国の行方を決めながら次々と16人も子供を生んだたというんだから凄い。尤も、ももりは女王というのはちょっと・・・??ご亭主のフランツ・シュテファンとは、当時王家としては珍しい恋愛結婚であったらしいし、彼は中々の財政通でもあったらしいけどやっぱりハプスブルグは彼女の国。23歳で王家を継いだとたん、当時新興のプロイセンにシュレージェン地方をかすめ盗られ、その後もすきあらばとねらう周辺国の悪巧みや国事の多難に果敢に立ち向かったというからエ・ラ・イ!!。いつだってお腹には子供がいて、産後だってちっとも気を抜けなかったと思う。このシュレージェン泥棒のフードリッヒ2C、プロイセン王の城が4日前に見学したポツダムのサンスーシ宮殿だったんだというんだから、やっぱり旅って面白い。いくら本で読んだってチンプンカンプンだったけど、ここまでバスで走った大平原を、プロイセンの大軍が馬で攻めてくる、そんな情景が目に浮かぶようだ。16人の内、6人は幼くして欠けた他は立派に成人した。最後の末娘がフランス革命でギロチンにかけられたマリー・アントワネット。長年の敵対関係を改善するために送り込まれた政略結婚だったのに、この不肖娘は贅沢すぎた。娘に当てて切々と女王としての心構えを説いた手紙がたくさん残っているという。(No182)

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2005年12月 5日 (月)

ただ今戻りました

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しばらくご無沙汰しておりましたが、今日、旅から戻りました。今回、長年あこがれていたベルリン、ドレスデンやザルツカンマーグトのハルシュタット湖など、見てきました。明日から鋭意整理してHPとブログは暫くは、もう、そればっかり・・・と言うことに・な・り・そ・う・・・とりあえず、今日はベルリンの壁。今は取り去られていますが一部を残しています。高い壁の右側は今は公園になっていますが、ナチスの拷問室があった所、左の壁の向こうは共産圏で、その間はサーチライトで照らして監視していたと言いますから人間のすることって恐ろしい。(No181)

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