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2005年8月31日 (水)

秋・・・あ・あ・あ・

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昨日、半日草むしり。丹波の山奥に130坪のどうしようもない土地を衝動買いしたももり夫婦。片道400円の高速を2区間、800円かけて畑仕事に行っています。帰路は節約して一般道。もう11年目に入りました。キュウリも終ったし、すいかも今年はカラスにしてやられちゃた。買った頃は元気で、山小屋でも建てようとハリ切っていたんだけど・・・とてもとても。もうそんなバリキは・・・ないなあ。横に可愛い小川が流れ、見事な山桜が向こう岸に・・・でも、そこは今、笹やぶ状態。今度行ったら 又刈らなくっちゃ。行くたんびに脇目もふらず草むしり。抜いても抜いても、なんて野生の強いこと。今年、なぜか八重桜が枯れました。理由って??さあ??去年の出水では大きくなっていた桜が一本流されてしまったし。もう10年もしたら私たちの力ではムリになるでしょうネ。今はとうがらしと、間もなくさつまいも、これを無水パンで焼くとおいしくって・・・それに今年はとてもおいいしい桃が、5軒もおすそ分けできるほど実りました。やっぱり野良仕事って好き。でも・・ちょっと疲れたももりでした。(No112)

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2005年8月30日 (火)

映画 モディリアーニ

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まず、おことわりを。あの有名な「モンパルナスの灯」ではありません。「モンパルナス」もとても良い映画だったけどこの映画も絵画、映画好きには必見。モディと劇中では呼ばれていますのでここでもそう呼びます。まず、この作はモディ一人でなく、当時のパリの絵描きたちの青春群像になっていることに注目。ピカソ、ユトリロ、スーチン、キスリング、老大家となったルノワールも出てきます。第一次大戦前後のパリ。エディト・ピアフの「ラヴィアンローズ」が流れるモンパルナスの描写が美しい。実際はルーマニアで撮ったらしいけど。エコール・ド・パリと呼ばれる自由でちょっとデカダンスな絵描き達の放埓なまでのエネルギーが、こんなんだったのかなあって感じ。ピカソはもう成功者として、君臨しオルガと一緒に出てきます。モディはユダヤ人。とても、ハンサムでちょっと芝居がかったしぐさがキザな自信家です。画学生であったジャンヌとの恋は厳格なカトリックの父に峻拒され、生まれた娘は孤児院へ。麻薬と酒におぼれ、父親になりきれないモディを盲目的に愛してしまった14歳も年下の未熟なジャンヌ。この映画は母親と同じ名前の、2人の間に生まれた最初の娘、ジャンヌに捧げると後書きがあって、生活破綻者のモディを愛し、疲れ果ててしまった幼な妻の破綻が描かれています。モディーの絵が成功をおさめた日、泥酔して無頼に街角で襲われ、瀕死のモディ。みんなの拍手喝采は聞こえません。そして36歳で終るあっけない人生。残されたジャンヌは2人目の子供を宿したまま身を投げて真っ白な雪の上に。ぜひぜひ見てください。絵は首の長さでは負けないももりのガラス絵「パリ娘」ピカソとモディリアニについては又書きたいと思います(No111)

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2005年8月29日 (月)

映画 河は呼んでいる

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♪♪♪デュランス河のながれのように♪♪っていう歌、ブログから流せないのが残念ですが、きっとどなたも聞いたことがあると思うほどポピュラーな曲、フランス映画です。無料で月イチの古い名画の会で見てきました。南フランスのアルプスの麓、石つくりの古い田舎の村に展開する物語です。毎年のように氾濫するデュランス河、ダムが出来る事になって地主に保証金が下りるのですが地主は急死。残された一人娘が未成年のため、後見人が選ばれる。腹にイチモツある親族たち。金が目当てあれこれ、何とか娘を取り込もうとしますが、一方、肝心の金はどこへ行ったやら・・・大学では美術史も習ったのですが、ゼーンゼン理解できなかった。でも、百聞は一見にしかず、現物をみるとすぐわかる。旅の一番の楽しみは、古建築や古い文化を見る事です。フランスのアルプスの近くには、ロマネスクの古い教会が沢山残っていることで有名です。ロマネスクというと中世。ロマネスクとかロマンチックっていう言葉は、まあ、ローマ的という意味ですが、なんとも可愛らしい教会の内部なんか、もうサイコウ!!!何しろ、悪魔と人間が共存していた時代なんで、悪魔の彫刻の愛嬌のある事と言ったら!!文化は古くなるほど面白い。ヴィーナスといえば、ミロのヴィーナスを思い浮かべますが、ヴィーナスは一杯あります。その中で、おヘソを見ると古さがわかるんですって。大学時代の講義の中で脳の奥にインプットされたのはそのことくらい。つかりおヘソのクリが単純なんだとか。話はそれましたが、映画でダムに沈む古い町の暗く渋い美しさ、アルプスやデュランス河の映像の美しさが物語と相まって何とも魅力。結局、最後はダムに沈む以下室に閉じ込められた娘、水がチョロチョロと地下に満ちていきます。あわやという時、明り取りの窓が水圧で壊れ・・・おっと、あんまり云うと人の楽しみを奪うことに・・・絵はスペイン、サンチアゴ巡礼道の教会(No110)

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2005年8月28日 (日)

山崎豊子さんって凄い

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今、山崎豊子さんのシリーズをじっくり読み返しています、「沈まぬ太陽」終りました。お巣鷹山の520人以上も犠牲者を出した、日航に外部から送り込まれた使命感と正義感に燃えた会長、しかし半官半民の体質は、社長、副社長、官僚OB、はては組合員から集めた巨額の組合費を不正に使う馴れ合い組合。、やがて、話は政界へ。インドネシア開発のために出された巨額のODA,政府開発援助の金に群がる政治家。マダム・テンパーセントと呼ばれる大統領夫人の手から、日本の政治家にキックバックされる。脳梗塞で倒れた田沼前総理の治療がジャジャ馬娘が口出ししてうまくいかない、とか思わず笑ってしまう。誰だかわかるでしょう??うら金はインドネシアのガルーダ銀行から、カリブ海のイギリス領ケーマン島を経てホンコンで、「ワリサン」とよばれる高額の紙切れとなって竹丸の手に。ホラ、金塊が発見されて、後ろに手の回った?丸ってイヤアな政治家がいたでしょう。もう死んじゃったけど。こらから「不毛地帯」「大地の子」「二つの祖国」と大きいヴォリュームですが・・・東京裁判、日本国憲法、ソ連の終戦時の実態など、私でもわかる程度に咀嚼して読ませてくれます。絵はガラス絵、アダムとイヴで山崎氏とは関係ない(No109)

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2005年8月27日 (土)

押し売りってイ・ヤ

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たった今あった一こま。ガラガラと戸が開いて「奥さん、いはりまっか」誰や一体???[どないですやろ?考えてくれはりましたか???」「なんですか??」「XX新聞とってほしいてってご主人に言うといたんでっけど」「エ・エ・エ??いいえ、私は結構です」「ご主人は奥さん次第、自分はなんでもええって言うたはりまっけど」「「いいえ、私は結構です。今の新聞が好きで買ってるんですから」「でも奥さんサービスしまっせ」「いいえ、嫌やね。わたし強要されるのがもう絶対イ・ヤ!!!」「強要してまへんで」「「私は記事が好きでM新なんです。言われたら云われるほど嫌になるタイプなんやから」「そうやな、男と女みたいに・・・」「なんですか??」「云われたら云われるほど」「もうイ・ヤ・・そんな暑苦しいこと、大っ嫌い」「言うたら言うほどあきまへんか。ほんなら奥さん2紙取るいうのはどうです???」「もう、堪忍して!!もうじき選挙やし、政党の新聞も買うてて云うてきはるし・・・もう、もう・・・」プッツン・ア・ア・ア絵はガラス絵(No108)

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2005年8月26日 (金)

懐かしい青春の山々

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        タムさんのメール、懐かしい。一瞬胸にキュンとくるものがあります。信州の山々。私は若い頃,山女で、槍穂高、五竜、鹿島槍、白馬、後立山の北アルプスや、木曽山脈全山縦走、南アルプスの甲斐駒、仙丈、八ガ嶽など、歩きました。今は全く軟弱怠惰なオバサンですが。ワンゲルに所属したこともあり、大学卒業後は社会人の山岳クラブにも2年ほど入っていました。結局、卒業2年目の夏、日ごろの訓練もなくいきなり木曽山脈へ行って体をこわし、それっきり。今では、もうパックツアーのお世話になるのが関の山です。もう、あんなことはできっこないとも思う一方、あんまり登りたくもない。なんだか、人々にさんざん触れられてしまった昔の恋人を、もう見みたくないって感じ。ソッと胸の奥にしまっておきたい。でも、あの頃、環境っていう意識もなく、ゴミはたしか、穴を掘って埋めてました。みんなが・・・もう40年以上前のことで、最小限の素朴な物しか捨てはしなかったとは思うけど。今からでも拾いに行くべきなのでしょう。申し訳ないことをしてました。写真は、大アレッチュ氷河。スイス。アルプスの氷河も凄い勢いで融けていっているそうです。氷河の終わりの方が真っ黒なのはバクテリアのせいだとか。でも、空き缶やゴミはホント、なかったです。(No107)

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2005年8月25日 (木)

ベルン大洪水のニュースを聞いて

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ベルンはスイスの首都。私が訪れたのは2ヶ月前。夕方にホテルに着いて、朝にはもう発つという泊まりだけの滞在でした。早朝、ホテルを出て旧市街を一周。何とも可愛らしくロマンチックな中世のままみたいな街で、橋の上から、日が昇るのを待ったものです。深く切れ込んだ谷に囲まれた城砦の街で守りには好都合だったろうけど、「ひょっとして、洪水にならないかしら」と思うような岸辺にも、美しい庭付きの家や教会が建っていました。もう一度ゆっくり訪れたいと思ったものです。ももりは、よその国を褒めて自分の国の悪口をいうのは、嫌いな方ですが、でもスイスには完全に負けてると思ったのは、自然保護が徹底していること。3000メートル級の山頂のトイレも水洗で、ちっとも匂いませんし、掃除が行き届いています。どこにも、アイスクリームの半分溶けたのが、ベッチャーッと落ちていたりしません。それと、もう一つ、砂防ダムの少ない事、V字谷は、いたるところにありますが崩落し放題、人が住まなければいいっていう感じ。日本が、コンクリートで醜く囲って、素人目にも「人家がこんな所に建ってて危ないじゃないの」と思うようなところを宅地造成して売りまくっているのとは、事情が違いそうです。一方では、コンクリ-トで、岩盤を刳り抜いてエレベーターを通し地中の滝を見せたリ、一気に、頂上へとお客を押し上げたりと荒ワザもやっています。住民の好き放題にはさせてない感じ。それにしても、京都、嵯峨野は荒れたよなあ。詳しくはホームページ、旅のスケッチへどうぞ。スケッチはベルン(No106)

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2005年8月24日 (水)

暴君ネロのお話

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またまた出ました。あの広島のお方のバカみたいな発言「小泉さんのやり方は暴君ネロ・・・」この前は「ヒットラーよりひどい」だった。ちょっとは本を読んでんのかネ。ネロといえばご存知「クオ・ヴァディス」シェンキェヴィチの名作です。映画にもなっています。芸術にあこがれ、トロイ落城の詩をものするために、そして風向きによっては堪らない悪臭を宮殿にまでもたらすため、ローマの貧民窟に火をつける。火はあっという間に広がり、何日も何日も、燃えるもののなくなるまで燃え続ける。ネロの仕業との声があがってきた時、キリスト教徒のしわざだということにしてキリスト教徒を弾圧。現在のローマのコロッセオで、キリスト教徒を猛獣に食わせ、次の日は十字架に磔に、そして、火あぶりにするのだ。弾圧し、処刑した使途ペテロなのだが、ネロの宮殿の跡に、今、建つのはサン・ピエトロ宮殿、つまり使途ペテロがローマを君臨している、というお話。ネロと小泉はんと比べるのも、あまりにも幼稚だけどヒットラーと比べるのも噴飯ものだ。ヒットラーは、ユダヤ人600万をホロコーストし、全世界では4000万以上が死んだ。大体、先の見通しが無さ過ぎる。解散は絶対無いと言い張って若い人を誘い、この期に及んで「あんなひどいことをするなんて思いもしなかった」なんて泣いている。こんなに先の見通しの甘い感覚で、外交なんかやられたら、もうお先真っ暗。今度はスターリンを出してきたら???スターリンはもおっともっとひどいみたいデスヨ。絵はヴェローナのコロッセオ(No105)

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2005年8月23日 (火)

シベリア鉄道の夜

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1986年といえば、まだソ連の時代。旅行社がツアーを企画するような時ではない。さて、きのうの続きです。新潟から、ハバロフスクへ、さらにイルクーツクへと旅は順調だった。当時まだ、ツーリズムっていうのはなく、全旅程を通して世話をしてくれるガイドというのがなくて、現地ガイドがやってくる。そしてまず「パスポート預かります」と言って取り上げてしまうのだ。昨日、ハバロフスクのガイドもそう言って取り上げた。イルクーツクの朝、もう今朝はシベリア鉄道に乗り込むと言う時になって「パスポートが無い」という。昨日のガイドが取り上げたままだという。、今朝は汽車に乗り込むだけだからガイドは来ないらしい、というのだ。この旅は京都商工会議所の社長さん連中の視察旅行なので、わたしも「まあ、ええっか。しっかりした社長さんばっかりなんやから」とのんびり構えていて不安感はない。取りあえず、駅に行かなくっちゃ汽車は出て行ってしまう、ということで、駅へ。どの列車に乗るのやら、と、何とも頼りない。この旅を企画した世話人が、実に頼りないことは後々わかってくるのだが。そこへ、カートが私たちの荷物を乗せてやってきた。「やれやれ、荷物についていけ」っていうことで、汽車には無事にのりこんだ。そこでミーシャとワーリャと同じコンパートメントになった。1等車といっても、外国人は皆1等車で、現地の大衆が乗るのが2等車で、デラックスという意味ではない。シベリア鉄道でモンゴルのウランバートルまで、さあ、旅は佳境といきたいのだが、それが・・・さて続きは明日。早く見たいお方は、ホームページ「山口ももりの旅のスケッチ」へどうぞ 絵はミーシャの描いた女の子とザーヤック(No104)

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2005年8月22日 (月)

絵は万国共通語

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 スケッチブックを手放さないわたしの旅はホントにオマケが多い。ソ連のシベリア鉄道のコンパートメントで3人づれの親子と一緒になった。若いお母親はマリーナ、4~5才くらいの男の子ミーシャ、5~6才くらいの女の子はワ―リャといった。こちらは女2人。イルクーツクからウランバートルへシベリア鉄道の旅は13時間半。結局この旅は、ウランバートルへは行けず、モンゴルとの国境駅で、降ろされてしまったんだけど。8月のシベリア鉄道の窓外は美しい。真っ青に晴れ上がっているかと思えば、窓ガラスに小さな雨粒がかかたかと思うと、サーッとしぐれて、真っ白の霧のトンネル。湖水の中の集落もあるし、山火事の跡のように、焦げた地域もあった。野の花がいっぱい咲いている。タイガってもっと鬱蒼とした密林かとおもってたけど、明るい。バイカル湖のほとりをズーッと行く。所々に集落があるが、車も人影もない。この話は1986年のことで、今はもう変わっているかもしれない。絵を描いていると必ず、どこでも、子供達はのぞきこんでくれる。まず、顔を描いて、目はアスキ、鼻はノーシカ、耳はオハ、髪はウォレス、口はウローチカ・・・パンはリヤプ、イチゴはヴィナゲラ・・・ワーリャはいっぱい女の子の絵を描いてくれた。女の子って、どこの国でも、おんなじ絵を描くのヨ。ザーヤックって、これは、何??アニメの主人公かな??スケッチブックが8ページほども一杯になった。私たちが乗ったのは、1等車,でも、これは外国人向けっていう事で高級って言う意味じゃない。その後、乗る事になる2等車というのはおっそろしく汚かった。きっと良い暮らしの子女なのだろう。その後、この旅はとんでもないことに・・・つづく 詳しくはホームページ山口ももりの旅のスケッチ海外へどうぞ(No103)

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2005年8月21日 (日)

ロシアという国

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私の知識は、小説や映画に寄るものでホントに俗っぽい。でも、もう本がなかったら生きてられないって言うくらい本が好きだけれど、その中でいちばん凄いのがロシア。夢中になって読んだ「静かなドン」四回読み直しました。その周辺もいろいろ読んだけど、素人の目で見ても、もっともっと知らないと恐い国は、ロシアでしょう。2度、シベリア鉄道に乗りました。一度目は1986年、2度目はおととしだったかな??一度目はウランバートルからモンゴル国境のナオーシキっていう駅まで、2度目はモスクワからサンクト・ペテルブルグまで。そりゃあ広大な大地です。ソ連の時代だった一度目の旅は、これはもうもう、ハチャメチャで、それは興味がおありのかたはホームページを見てくださいませ。2度のシベリア鉄道、35時間で感じたことは、大きさ。殆ど手付かずの広大な領土と、その美しい緑です。旅をして思うんだけど、地球ってホント、乾いてる。緑滴る日本が稀な国なんだって思うのです。ロシア、美しいタイガの緑の中を、延々と走る。まるで終わりが無いみたいに・・・シベリアのタイガって明るいんです。うっそうとした原生林ではない。でも、自然はまだ眠ったまま。もう、殆どの国は、地下の底まで調べつくしているっていうのにね。なんとか、平和でいられるには、ロシアの動きが・・・おやおや、またまたドギツクなりそう。絵は、ロシアの娘さん(No103)

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2005年8月20日 (土)

中国っていう国

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中国が、ロシアから、原子力戦艦を買ったというニュース。恐いなあ。いつも思うんだけど、日本人が靖国や、教科書問題で、中国からなんやかんや言われるたびにムキになって、マスコミもワアワア騒ぎ立てているけど、ホントはあれは目くらましなんじゃないの??そっちに目を向けさせておいて、後ろでちゃっかりやることやってる。日本人はマンマとしてやられてるんじやないの??教科書のことだけど、「世界の教科書」というシリーズがあって、日本語に翻訳されたシリーズが出ています。この頃、ちょっと見ていないので、具体的な出版社とか内容はお知らせできませんが、中国史に興味を持ってた時期、図書館でズーッと借りてました。それは、ヒドいモンでしたヨ。素人の私がいっぱしの口をきくのは考え物ですが、「三国史」っていう物語、結局、謀略と裏切りの連続です。劉備玄徳が出ている間だけがちょっと義理人情の入り込む余地があるかなあ。ともかく煮ても焼いても食えないしたたかな国ですよねえ。絵はパソコン落日(No102)

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2005年8月19日 (金)

橋田寿嘉子さんの旅

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 NHKで橋田寿嘉子さんの世界遺産の旅を放映している。もう100回以上行ったって。なんとうらやましい。旅ほど面白いものはない。1996年、ペルーへ行った時、橋田さんと飛行機がご一緒だった。リマに降り立ち、マチュピチュで又バッタリとであった。彼女のほうは勿論私を知らないし、まさか、サインをもらいに行くわけにもいかない。彼女ほどの仕事をこなし、尚且つ旅を断行するっていうのは凄いことだ。わたしと違ってお金には困らないでしょうけれど。私は、NYやマドリッドで個展をしたし、フランスのヴロワではグループ展、マルセイユのジャパンウィークにも参加したこともある。個展は1年半前に決めて、準備にかかったから、いざ個展という時期になって、NYの時は姑が骨粗相症で、マドリッドの時は母が癌で入院中と、やっぱりなんやかやと一筋縄ではいかない。「帰国するまでは生きていてよね」っていう感じだった。この頃は、できるだけ亭主と一緒に行こうと思っている。いつまで行けるか、限られた残り時間なんだもの。飛行機が落ちたら、一瞬のことだし、長く寝ついて死ぬより息子孝行だろう。老後資金を食いつぶしてでも行くという時、むしろ世間の方に「私たちは旅行にお金を使いました。だから死に方はうんと貧相で結構です」って宣言しておきたい。そうでないと息子達に「もっと、ちゃんとしてあげられないの??」なんていう雑音を入れる人もいるかもしれない。それをシャットアウトするために、このブログで言っておきます。「私は、死ぬ時より、旅にお金を継ぎこみます。貧相な死に方を選びます」絵はペルー、マチュピチュ(№101)

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2005年8月18日 (木)

ほんにお前はヘのような・・・

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 わたしのブログ、理屈っぽいでしょう??ちょっとのぞいただけで「ウヘーッ」という感じをお持ちの方もいらっしゃるでしょう。でも、このブログ、わたしの復習の場なのです。わたしは小さな絵画教室を持っています。そこでコーヒーブレイクにミニミニ美術史をやっています。せっかく絵を描きながら、バロックとロマネスクの違いも聞いたこと無いなんて、あまりにも残念だから。人に興味を持って聞いてもらおうとすると、調べなおす。これがわたしの何よりの復習の場になっているんです。旅も美術史をこの眼で確かめたくて行く。美術は時代背景とは切り離せないから映画なんかを参考にして、時代考証を楽しむ。でも、この復習、すればするほど面白く、知的好奇心を満足させてくれます。まあ、結局、自分の楽しみに共感を得ようというのはムリかも???ヘのような理屈かも???絵は琵琶湖、堅田のスケッチ(No100)

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2005年8月17日 (水)

あはれ 今年の夏もいぬめり

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暑いにつけ、寒いにつけ、「早く夏が終わらないかな」とか「早く春になってほしい」とか思わないようにしています。だって、それは、早く年をとりたいっていうことと同意義なんですもの。終戦記念日が過ぎ去るとアッというまに、TVからは戦争関係のテーマが消えます。でも、それは、ホントは良くない。きのうお山で半日草むしり。アブラゼミの合間に、何度かうぐいすの声も聞こえていました。アブラゼミがヒグラシに代ったら、もううぐいすは鳴きません。自然は静かに移り変わっています。昨夜、大文字の送り火。これでもう京都のなつはオ・ワ・リ・・・・
絵はガラス絵 ポルトガルのナザレ落日(No99)

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2005年8月16日 (火)

ダンケルクとA級戦犯

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「ダンケルク」っていう映画。又々古いっていわれそうですが名画です。舞台は第2次世界大戦下のフランス。ドイツ軍は戦車と装甲部隊でフランスへなだれこんだ。フランス軍は完全に崩れ、チャーチルはイギリス軍もベルギー軍も英仏海峡の港に撤退させた。ドイツ軍の猛攻の中、ダンケルクの港からイギリス本土への撤退が始まる。小さな漁船からボートまでを借り出してその時、助けられた兵員は、336427名(チャーチル あかね書房少年少女20世紀の記録)だといわれる。このとき助かった兵士達が、「地上最大の作戦」のノルマンディー海岸へ上陸して、パリへと、ドイツ軍の最後のあがきの止めを刺しに攻め上った。終戦記念日をはさんで日本の戦争が語られるけれど、一番許せないのが敵国民ならぬ自国の兵士を粗末に消耗したことだ。食料も補給せず見殺しにしたり、果ては、自爆テロまで若い兵士にやらせている。兵士になるのは軍事訓練だけではない。赤ん坊の時から育てる16~7年の年月がかかるのに。このことをA級戦犯の罪といってはいけないのだろうか。(No98)さつまいもでも食べられてよかった。

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2005年8月15日 (月)

敗戦とは

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 今年は、敗戦から東京裁判への推移、靖国などがマスコミをにぎわせています。私は、ノンポリ。でも、あの戦争、もし勝ってたらもっともっと日本は苦労してたと思うし、占領したのがアメリカでなく、ソ連だったらもっともっとこわいことになってたと思う。戦後のナショナリズムで独立運動なんかが占領した国で起こったりしていたら、と考えるだけで恐ろしい。敗戦の国民がほとんど奴隷状態に置かれた過去の戦争に比べ、アメリカの占領はリッチだったと、これは、感謝していいだろう。幼稚園で「ノンノンノミも、シンシンシラミ、みんな退治てしまいます。撒いてくださいD・D・T D・D・T♪♪」なんて歌を習ったのを妙に鮮明に覚えている。みんな真っ白の頭にされて、回虫退治の「まくり」とかいうのを飲まされてしばらくしたら・・・・思い出したくもない。発ガン物質なんてだれも言わなかった。今、この静かな生活があることは、長い人類の歴史の中でも稀有なことでしょう。絵は、1986年、ソ連、ハバロフスクの戦没者記念碑。少年、少女が銃を持って守っていた。私はといえば、少年少女がささげ砲で銃を持っていると、いうことだけでも充分ショックなヤワな日本人だった。ソ連の旅については、ホームページ「山口ももりの旅のスケッチ」へどうぞ。まだツーリズムもなくて大変な旅でした。この旅で、ノモンハンの跡も訪れたけどあのころは、軍事的なところは、写真はおろか、スケッチも禁止でピリピリしていて、もう記憶にないのが残念です(No98)

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2005年8月14日 (日)

平和

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 戦争の始まる年に生まれ、4歳で終戦。戦後の食べ物がないという時代は親の口からは聞いているけどひもじかったという記憶を知らずに64歳まで生きられたことは、本当に幸せだ。でも、防空頭巾を被せられて父と母の間で、飛行機が空のかなたへ遠ざかっていくのを眺めていた記憶がしっかりある。とても恐かった。わたしの住んだ園部は、田舎だけど軍需工場があったそうだ。そこに爆撃があった。ごくごく最近まで雲の中を飛ぶ飛行機の音を聞くのが恐かった。長い歴史の上で戦争を知らないで生きられるっていうことは稀有なことだし、貧しい中で成長したから、ちっともぜいたくしようとは思わない。何を食べてもおいしすぎるほうだし、今のところ健康らしい。何より、うれしいのは、自分の意思で仕事を選び、結婚し、今も絵を描いている。いや、描けている。皆様に感謝します。絵はパソコン、今夜のサラダ(No98)

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2005年8月13日 (土)

フランスっていう国-2

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 京都市美術館の「ルーブル展」を見てきました。展覧会も面白かったけどフランスのしたたかな戦略を感じて一人合点した。パリは何回かに分けてだけど、トータルとしては2週間くらいいたから、ルーブルもゆっくり見ている。でも、今回面白いと思ったのは、パリというと日本人がすぐ思い出す印象派やエコール・ド・パリ(パリ派と呼ばれたモジリアニやボナール、日本人では佐伯佑三など、1910年から20年にかけてパリで自由な画風を作った画家たち)と、コロリと視点を変えて、古典派、バロックなどに焦点を合わせたところです。印象派以前、とくに、ナポレオンの戴冠式などで有名なダヴィッド、労働者、農民などに焦点を当てたクールベや、ミレーなど、学校ではしっかり習ったはずなのに、今まであまり強調されていなかった、印象派のちょっと前の時代、1800年から1900年に大体期間を設定してゆっくり見せてくれる。フランスに言わせれば「印象派なんかより、もっとすごい芸術がなんぼでもあるんやでえ」って言われた感じ。ルーブルは大きすぎて、どれもこれも立派でかえって印象が散漫になってしまうけど、今回、しっかり見せてもらった。フランス革命で、狂信的な少女に風呂場で暗殺されたマーラーなんか、「オッ、こんなのもルーブルにあったのか」って感激。ルイ14世は古いローマやギリシャの絵画や彫刻を買いあさって「これでは、財政が破綻します」と言われたそうだし、国王がそんなだから貴族も負けじと買いあさった。それが、いまのルーブル美術館の宝物なんだから、やっぱりフランスってすごいよねえ。フランスについてはホームページ旅のスケッチを見てくださればわたしの「なんてしたたかな国なんだろう」っていう思いをもう少し詳しく書いています。お時間のあるお方はぜひどうぞ!!絵はスケッチルーブル宮殿、ちょっと古いからもう変わっているかも??(No97)

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2005年8月12日 (金)

小泉はんのひとにらみ

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昨日、若い人たちと話をしていてへえーっと意外に思ったこと「小泉はん、どない思う??」て聞いたら「ええのんちゃう、わかりやすいし」ですって。若い人は、みんな自民党は嫌いなのかと思っていた。私はノンポリだけど、小泉さんは勝つでしょう。それはいいけど、ホントに大切なのは、勝った後、ガッチリ小泉はんにつかまれて、小泉はんののひとにらみでみんながすくんでしまうこと。ヒットラーだって、敗戦記念日に選挙して、ヴェルサイユ条約のあまりな締め付けに青息吐息だった民衆の圧倒的な支持を得て権力の座についたそうじゃない??でも利権まみれでなさそうに見えるのが、私としては・・・??絵はガラス絵(No96)

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2005年8月11日 (木)

あっつーい絵

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この絵はもう15年ほど前に描いたガラス絵です。暑い絵やなあ。やっぱり若かったなあ。絵がこころのあり様を映す、というより、描いた絵で自分の心の状態を自分で再確認することも多い。例えば、昨日のブログの絵、「宇宙たち」は最近の心理状態だけど、15年ほど前はわたしもこんなに暑かった。例えば、赤。暑い色だよねえ。ちょっとそれがうっとおしくなってきた。人の絵を見るのでも好みが変わってきた。これは、どうも女で無くなったことと無関係ではないようだ。「見て見て」って媚びるとまではいかなくてもアッピールしようとは全く思わなくなった。勿論きれいな色は好きだし、描いていても楽しい。でも、今、好きな絵は、荻須高徳ですね。(この字違ったかな??)シブーイ。明日はルーブル展を見ての思いを書くツモリです。(No95)

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2005年8月10日 (水)

宇宙たち

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 宇宙から野口さんが帰ってきました。漆黒の宇宙に浮かぶ地球を取り巻く大気の色は素晴らしく美しく、って言うことでした。うらやましいなあ。実験的に64歳の怠惰な軟弱オバサンを乗せてみてくれないかしら。どんな結果が出るか・・を実験テーマにして。宇宙へ出て、あまりの神秘体験に神の意志を懐い、宗教的になる宇宙飛行士もいたそうだ。神の創りたもうた宇宙の奇跡、地球。その美しい地球の表面に群がって戦争したりしてる人間てなんて、なんて勿体ない、恩知らずなんだろう。一時、わたしの絵のタイトルはずーっと「宇宙たち」だった。大きな大銀河系から、ほんの小さな植物の種まで、いいえ、細胞の1つまで宇宙なんですもの。絵は宇宙たち(No94)

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2005年8月 9日 (火)

展覧会お知らせ

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ここ数日パソコンのご機嫌が悪く、突然プッツンと切れてしまいます。もう寿命なのかも。ウインドウズMeなのですが。そこで取りあえずももりの展覧会の出品予定をお知らせしておきます。
   
   8月8日(月)~13日(土)新芸術選抜展 東京銀座文芸春秋画廊  11:00~7:00
   9月6日(火)~11日(日)日本水彩関西支部展  京都市美術館別館2F 最終日4:00
   9月27日(火)~10月2日(日)四明展  京都工芸繊維大学OB会  (大学が比叡山のふもとにあるので四                      明嶽から命名したグループ展)  ギャラリー「カト」11:00~6:00
   10月18日(火)~23日(土)日本水彩京都支部小品展  木屋町画廊 四条木屋町上がる 11:00~6:00
いやあ、しんどいねえ。ホントなら、この9月に個展の予定も入れていた。2年おきにやっていたから。でも、パソコンが面白くて、絵の方手抜き、早めにキャンセルしといて心底ホッとしています。これらに出す作品をデッチあげなければならないし、勿論、会期中はいろいろ仕事もある。それに、11月の新芸術展にだす予定の絵、100号を2つ、3つ描かなければなりません。新芸術展は東京都美術館です。でも、今日、朝からお山で桃の収穫。100袋かけして、まあ、そこそこのが50個くらい。みめよい娘は全部、知人やご近所にあげて、痛んだのを、これから毎日いっぱい食べましょう。これが又、おいしいんですよ。ホ・ン・トそれに桃ってなんて美しいんでしょう・・・絵はスイスの氷河。せめて涼しいものを(93)

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2005年8月 8日 (月)

ヒットラーの死

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 どうもパソコン調子が悪い。何度も文を入れたのに保存の段階でプッツン。これも入らないかも??
オ・オ・オ。つながった。ところで映画「ヒットラー」の話ですが、興味深く見た場面。600万人ものユダヤ人を残虐に殺したヒットラーにいよいよ最後の時が迫る。核シェルターもかくやと思うほどの頑丈な地下要塞も連日の砲弾には、もうどうしようもない。そんな時、ヒットラーは医者に、楽に、確実に死ねる方法をたずねるのだ。愛人、エヴァ・ブラウンにも渡された小さな金色のカプセル。あれほどのユダヤ人をジェノサイドしたくせに自分は苦しまないで死にたいなんて。実際、死ぬことよりも苦しむ事のほうがつらい。一方、そんな差し迫った日々、ナチスの宣伝相ゲッペルスの妻が6人の子供を連れて転がり込んでくる。「総統のいらっしゃらない私達なんか考えられない」って言う。6人の幼い子供達のよく訓練された美しいコーラスが、すさんだ地下壕に一瞬の静謐のときを演出する。そして、眠り薬だろうか、グラスに入った液体を、6人のわが子に飲ませる。最初の女の子は「苦いっ」と吐き出すのを、「こんなジメジメしたところが気持ち良くなるのよ」と飲ませる。後の4人は素直に飲んだ。最後の長女、小学6年くらいだろうか。何かを感じて飲もうとしないのを押さえつけて飲ませる。やがて、みんなが寝入った頃、母親が現れ、安らかに眠っている子供達の口に、金色のカプセルから取り出したもっと小さなアンプルを歯の間に落とすのだ。そしてあごと頭を押さえるとカクンと首が落ちる。あんなに簡単に安らかに死ねるなんて。子供にはなんの罪もないけれど、生きていたらもっとつらいこともあったかもしれない。重いテーマなのでこのへんでやめましょう。絵はガラス絵 フランス カオール(No92)

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2005年8月 7日 (日)

戦争の思い出

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私は1941年生まれ、戦争の始まった年に生まれています。1月に生まれ、その12月、真珠湾攻撃で開戦だから、親は本当に苦労したようです。母の思い出の中の一つ。私が、小学2年か、3年の頃、作文の宿題があった。タイトルは「私が病気になった時」いつまでもぐずぐず考えている私を見て母が言った。「おかあちゃんが言うように書き」って。母はもと小学校の先生をしてた人で以下は作文の内容です。「わたしが赤ちゃんの時、小児結核という大変恐い病気になりました。毎日、お医者さんに通い、注射をしてもらいました。半年ほど経ったある日、お医者さんが「もう、これで大丈夫、助かりました。えらかったねえ。子供もえらかったけどお母さんもえらかった。もし、もう半年、この病気が遅かったら、この子は助からなかったでしょう。お薬も医者も続々前線に送り込まれて、お薬はもう手に入りません」とおっしゃいました。母が、後日、お礼に伺ったときには、もうそのお医者さまは戦争に行かれていらっしゃらなかったのです。「あの、お医者さまは今、どうしていはるのでしょう、と書いとき」って母は言いました。「いつも美しくキリッと着物を着て受付にいはって、そらあ、きれいな奥様やったなあ」って母は一瞬、遠い所を見る目になり、ウッと涙ぐみました。私たち一家が、京都から空気の良い、園部の田舎に引っ込んだのはそのすぐ後です。母が逝ってもう10年、そのお医者さまの名前は知ることはできません。学校で、先生が「良い作文があった」と言って読んでくれました。先生も一瞬ウッとつまったのを覚えています。絵は戦争とは関係ないピーマンのツ・モ・リ・(No91)

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2005年8月 6日 (土)

原爆を落としたアメリカ人

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 昨日の4チャンネル、原爆を落とし、それを撮影したアメリカ人に被爆者2人が対面するっていう番組。考えさせられることが多い番組だった。日本人は一言謝ってほしい。しかしアメリカ人は、悪いのは戦争で、自分が謝る事はない、と轟然と言い放った。そして「Remenmber Pearl Harbour!」ときめた。このことは多くの日本人に気を悪くさせるだろう。でも、私はアメリカ人ならそう言うだろうと、むしろ当然と受け取った。あの戦争を仕掛けたのは、日本、真珠湾攻撃だって。売られた喧嘩は買うのがアメリカだ。だって西部劇の国だもの。アメリカの正義は先住民のインディアンを追い出すのが正義なんだもの(必ずしもそうではない映画もあるけど)買ったけんかは勝つのがアメリカだ。それにしてもあのソ連に、あの火事場泥棒のソ連に終戦の仲介を心頼みにしていた日本の中枢のアマさこそが、攻められるべきなのだ。ヒットラーだって、正規の選挙をして、ドイツ国民の圧倒的な支持をうけて政権の座についた。一旦、独裁を許すと制御は不可能なのだ。だから結局、国民がしっかり判断しなければというところに帰着する。そして、国民はマスコミや政治家をたよりに判断するしかないということなんだから、責任はマスコミにしっかりとってもらわなくては、ネ。大衆迎合の甘さがピシャリとⅠ発食らった気がした番組でした。絵は夏バテの鶏頭(No90)

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2005年8月 5日 (金)

タムさんへの返信

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タムさんのメール。子供達が原爆のことも戦争のこともあまり知らないっていうこと。わたしの方は、昨日の続き、阿川尚之氏の毎日新聞の「透視点」の文章から。「広島は父の故郷であり、祖父母は原爆で家を焼かれ、伯母と従兄弟が一人づつ被爆」しかし、にもかかわらず、記念日の行事に違和感を覚えるというエッセイ。歴史は、悲惨の連なり(この言葉はももりのことば)第2次大戦では、全世界でおよそ5千万人が殺された。スターリンや毛沢東は1千万単位で自国民を殺したといわれる。原爆の死を記念行事化する正義感への当惑。マスコミも画一的に声高に押し付けないでほしい。静かに鎮魂したい、と氏は言っている。ちょっとこのエッセイをこの時期、発表するのは勇気がいるんじゃない??特に式典の途中、小学生が人工的な口調で平和への近いを述べるとき氏はやりきれない。私個人としては、歴史を今日に近いところからしっかり教えるべきだとは思うけれど、よほど大きい視点が必要と思う。歴史が政治的に解釈されることほどおそろしいものはないから。ヒットラーだって結局合法的に、ドイツ国民の圧倒的な賛美を得て、独裁者になることを許してしまった経過が大切だと思う。先の第一次大戦とヴェルサイユ条約に苦しむドイツ国民に、先の歴史を上手に宣伝したからだ。うまく思っていることを言い表せないのが残念です。でも、阿川氏の気持ち、よくわかります。絵は3年ほど前、新芸術展に出品したソドムの街・・これは東京都知事賞をもらいました・・近代文明の恐ろしさ、大都市の不安感など描いたツ・モ・リ(No89)

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2005年8月 4日 (木)

ガラス絵 祈り

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 タムさんが「アンネの日記」のこと書き込んでくださいました。アンネの住んでいた小さな細長いアパ-トを、実は見ています。1988年、イタリアへ行ったときのこと、ローマ空港ストライキということで急遽、オランダのスキポール空港に降りてしまったことがありました。その時、一日だけアムステルダム観光。ぎっしり並んだ細長いビル群、取り立てて特徴のない4階建てのビルの、隠し階段を上って屋根裏部屋に出ました。こんな小さな部屋で、8人も、まあよく・・・って感じを覚えています。確か、王宮のすぐ近くでした。スケッチがなくて残念。もう一度ゆっくり行ってみたいです。あと1か月も生きていたら戦争は終ってお家に帰れたのに。8月3日の毎日新聞、阿川尚之氏の透視点というコラム、考える事多く、明日そのこと書きましょう。(No88)

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2005年8月 3日 (水)

老婆心から

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NHKのシルクロードシリーズを見る。わたしが行ったのは1987年。毎日新聞のツアーに参加した。広州から飛行機でウルムチに飛び、トルファン、敦煌、蘭州へ。たわわに実る葡萄の街路樹はあの日も素晴らしかった。街角で羊の首を切ったのを逆さにぶら下げて血抜きをしている。その下が真っ黒だ。そこへマーチョ(馬車)が通りかかるとドッバーッと舞い上がって、それが銀バエだったって知る。ぶどう棚の下では、羊の皮をはがしていたりして全く異次元の世界だ。旅は大好きだし、どんな環境だって殆ど文句を言わず、面白い体験と受け止めるほうだけど、お腹の方はそうはいかない。一番恐いのが下痢。スタッフも楽しそうに話しをしているけど実際は、話の合間にトイレへ駆け込んでるんじゃないかしら。その前にキューーと刺し込んでくるのが痛くつらい。熱もでないし、大して悪性ではないんだろうけれど苦しい。上からも下からも出してしまうのが一番。あの葡萄だって食べてはダメ。大体、水の無い砂漠へ行くんですから、水で洗って、なんて甘くないんです。びろうなお話ですが、ついつい老婆心から・・お気をお付けア・ソ・バ・セ(No87)

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2005年8月 2日 (火)

映画ヒットラーを見てきました

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 若い秘書が見た、ヒットラーの爆死の前2週間という設定で、難しい国際関係とかより、追い詰められた人間ヒットラーを描いて良い映画です。俳優がヒットラーとそっくり。真面目な、商業主義のにおいのない映画で、ウソを言ってるようではありません。エヴァ・ブラウンが魅力的に描かれている。今、本を読み直しています。と言っても家にあった子供向きの本ですが。「少年少女20世紀の記録 第二次大戦とヒットラー(あかね書房)」と、「物語世界史 第2次世界大戦 (学研)」です。息子達のために買った本ですが私がもっとも読み込んだシリーズです。それぞれ戦後20年と作者が前書きで書いています。改めて、ソ連の火事場泥棒的なズルさ、つまり、ドイツがポーランドへ侵入した時、ちゃっかりポーランド半分をいただき、(それは密約があったらしいけど)。バルト3国を盗み、フィンランドへ侵入し、ルーマニアからベッサラビア地方を奪い・・・そして戦後、満州へ侵入、今も北方領土を返さないのは周知のこと。フランスは負けてばっかり、結局イギリスのチャーチルがガンとして引かなかった。いくらでもお金をかけて武器を作れるアメリカを味方につけてからの勝負は早い。あんな戦争ばっかりしてきた国々のタフさ、ズルさに比べて島国日本はまるでアマチャンだよねえ。また当分読みたい本が増えた。ブログに書こうと思うと確かめるし、それがわたしの復習になる。どうぞ間違いは教えてください。絵は、ちょっとネタ切れで映画とは関係なし(No86)

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