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2005年8月 7日 (日)

戦争の思い出

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私は1941年生まれ、戦争の始まった年に生まれています。1月に生まれ、その12月、真珠湾攻撃で開戦だから、親は本当に苦労したようです。母の思い出の中の一つ。私が、小学2年か、3年の頃、作文の宿題があった。タイトルは「私が病気になった時」いつまでもぐずぐず考えている私を見て母が言った。「おかあちゃんが言うように書き」って。母はもと小学校の先生をしてた人で以下は作文の内容です。「わたしが赤ちゃんの時、小児結核という大変恐い病気になりました。毎日、お医者さんに通い、注射をしてもらいました。半年ほど経ったある日、お医者さんが「もう、これで大丈夫、助かりました。えらかったねえ。子供もえらかったけどお母さんもえらかった。もし、もう半年、この病気が遅かったら、この子は助からなかったでしょう。お薬も医者も続々前線に送り込まれて、お薬はもう手に入りません」とおっしゃいました。母が、後日、お礼に伺ったときには、もうそのお医者さまは戦争に行かれていらっしゃらなかったのです。「あの、お医者さまは今、どうしていはるのでしょう、と書いとき」って母は言いました。「いつも美しくキリッと着物を着て受付にいはって、そらあ、きれいな奥様やったなあ」って母は一瞬、遠い所を見る目になり、ウッと涙ぐみました。私たち一家が、京都から空気の良い、園部の田舎に引っ込んだのはそのすぐ後です。母が逝ってもう10年、そのお医者さまの名前は知ることはできません。学校で、先生が「良い作文があった」と言って読んでくれました。先生も一瞬ウッとつまったのを覚えています。絵は戦争とは関係ないピーマンのツ・モ・リ・(No91)

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コメント

速水さんの米寿の個展で、お茶を出して下さったのが、ももりさんと聞いて、もどって挨拶させてもらった光です。今回初めて、京水に出してみて、美術館では、50号って小さいなあ。丁寧に批評していただけるのも、有難かったし、会の雰囲気があったかくていいな。50号以上は無理だけど、速水さんやももりさんに倣って、描き続けようって勇気が出ました。私の夢は、お二人のように、心象の絵を描きたいのです。自分でブログが作れたらいいなあ。これからもおよろしく。光

投稿: 光 | 2010年3月22日 (月) 12時48分

良いおかあさんですね。

投稿: 加奈 | 2008年8月12日 (火) 11時22分

優しい しっかりとした
お母様だったのですね。
何時の時代も 夏休みの宿題に
親が 借り出されますね。
それがなくなり ちょっぴりと
寂しさを感ずる 今日この頃。

投稿: のらリンの姉さん | 2005年8月 7日 (日) 23時53分

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