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2005年7月31日 (日)

起きろ パソコン

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昨日のブログ、何時頃に読んでいただいたのでしょうか。ひょっとして夕方以前なら・・・ごめんなさい。まちがったこと書きました。エゴン・シーレはユダヤ系、パリに逃れて・・のくだり、あれはシャガールでした。エゴン・シーレはオーストリアで死んでいる。しかも、1918年で、ヒットラーのユダヤ人狩りの大分以前に死んでいました。いい加減のウロ覚えで書いて、後から気になって調べてみたら間違ってるとわかって大慌て。訂正しようとしたらパソコンのヤツが又、お昼寝。気になりながら何度もアクセスしようとしたけどプッスン。やっと、夕方には繋がり、訂正しました。ホント、私のパソコンだけなのでしょうか。気に入らないとふてくされて寝てしまうんです。いろいろ面白いコメント有難うございました。ヒットラーを描いた映画は結構あります。「パリは燃えているか」とか、ウーン、又、いい加減なこと書いたらいけないから調べてから・・・ネ。絵はプラハのカレル橋、プラハから車で1時間のところにはテレジンユダヤ人収容所があった。アウシュビッツに送られる前の段階の収容所だったそうです。私はプラハだけしか見ていないけれど(No85)

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2005年7月30日 (土)

ヒットラーとエゴン・シーレ

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「ヒットラー」という映画が封切りになったらしい。あの稀代の詐欺師、悪者の最後の2週間を側近は見たって感じで作った映画らしい。見てみようと思う。ヒットラーといえば、オーストリアの伍長。若い頃は画家志望だったそうな。ウイーン美術学校に、1907年、8年と続けて受験に失敗している。丁度その時期、エゴン・シーレは1906年に一発で合格。ヒットラーの描いた絵というのも、写真で見たことがあるが、いかにも陳腐な硬い教条主義的な絵だったと記憶している。もしヒットラーが絵描きになれてたら、第二次世界大戦もユダヤ人虐殺もなかったにちがいない。エゴン・シーレはオーストリアの表現派、1918年には28歳の若さで死んでいる。神経のギリギリと尖った絵はsexに捉われる自己を描いて強烈だ。ユダヤ人600万、ロシア人2060万。ドイツ670万、日本200万(原爆死を含む)おそろしく大ざっぱだけど、これほどの戦死者を出したヒットラーと小泉首相を比較して、小泉の方が悪いだって・・・言ってた脳タリンの日本の政治家がいたっけ。こんな単純な比較をされて納得する日本人がいるって思われてるとするとなめられたもんだ。おっと、こわいことは書かない主義のこのページ??絵はオーストリア、ウイーンの王宮(84)

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2005年7月29日 (金)

長崎屋かく子の青春日記

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 わたしの友人の書いた「長崎屋かく子の青春日記」が自己出版文化賞の特別賞を受賞しました。明治半ばから25年間を、雪深い長岡で精一杯生きた女性の日記を、孫にあたる作者が読み解いた労作です。まず、著者は変体仮名に苦労したと言ってます。23歳で嫁ぎ、たった3年間の結婚生活で残された著者の父に渡された、一冊の古びたおばあちゃんの旅日記を読み始めたところから話は始まる。かく子が歩いた道を実際に歩いてみて、その健脚に驚いたりしている内に、次第にのめりこんでいく。古い呉服屋の先妻の娘、家業の芯となってもくもくと誠実に働くけなげな可愛らしさ、明治っていう時代の素朴な正義感と社会観も好感が持てて、抱きしめて助けてあげたくなるような共感を持ってしまいます。間にドライな現代っ子の著者の合いの手が入っていて、これが又面白い。そして、何故この日記が書かれたかということを考える推理へと導かれて、一気に読んでしまう。著者のところには残部多数だそうです。ももりのおすすめの一冊、いかがですか???読みたい方はももりまで(No83)

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2005年7月28日 (木)

ゆめのおうち

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 暑い。京都の暑さは格別です。パソコンで遊びました。こんなお家があったらなあ。海の波にゆられながら朝日、夕日を眺め、夜は星座の研究。もちろん、暑くないのよ。おっと、家の中で泳ぐ事ないっか??(82)

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2005年7月27日 (水)

フランスっていう国

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 TVでフランスっていう国のしたたかさを言っていた。「文化の国とか言ってるけど、武器輸出してる。平和な時に戦争しかけて、そのくせ、戦争となったら負けてばっかり」だって。ホント。印象派だってうまくブランド銘柄にしてどれほど世界に売ったか。日本人は特に印象派が好き。でも、描く立場から言えば、あれらは素人画法なんデス。ヴィトンやシャネルみたいに、ゴッホや、モネや、ルノワール・・・ちょっとやっかみに聞こえるでしょうけれど、ほんと油絵の具やキャンバスの普及と改良で素人でも描けるようになって展開した世界。上手く世界に売り込めば日本にだって素人画家はゴマンといる。んじゃない???(No81)

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2005年7月26日 (火)

夏バテ・・・それとも???

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 どうもパソコンの調子も悪いし、こちらの頭も調子ダウン。夏バテ??誰ですか「年のせい」だなんて。ホント、もう元気でいつまでいられるかというより、長生きしたらどうしようって不安です。息子や家族のお弁当を作れなくなったらもう・・・こんなこと思うのは夏バテのせいでしょうか。今日も朝から気張って荷造り、東京銀座文春画廊に出品する絵を送るため不器用ながらやっとひもをかけて荷造りを終ったとたん、写真をとるのを忘れていたことを思い出しました。もう一度ほどいて写真をとる気力がわきません。というわけで、新芸術選抜展は、8月8日(月)~13日(土)まで行われ、私も出品します。絵はパソコン少女(No80)

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2005年7月25日 (月)

ちょっと失礼

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 今、バタバタ,今日は絵だけで失礼します。(No79)

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2005年7月24日 (日)

怒りの葡萄2

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 昨日、京都アスニーの映画会は「怒りの葡萄」でした。この映画、1939年ジョン・スタインベックが書いたものを3年後にジョンフォードが映画化したといいます。1929年はウォール街から世界恐慌へ突入した年。そして、わたしの大好きな「大草原の小さな家」を著したローラ・インガルス・ワイルダーは確か1900年に33歳だったはず。大草原のシリーズは原文で読み込んだので、その後のアメリカの開拓農民の生活の延長の物語としてこの映画を見てしまった。アメリカ内部の経済難民の惨状、砂漠化という自然災害と、一部資本家による搾取という人的災害が、ひたすら働いて営々と築き上げた農場に襲いかかる。ホンの70年ほど前のアメリカの、飢えと社会の不平等を告発する映画だ。それにしても、この生一本な真面目な作画はどうだ。この頃のハリウッドの映画と来たら、ガラガラガッシャーンとビルが壊れたりバンバン撃ち合ったり、安っぽい人道主義を押し付けたりして、ホント堕落している。見始めたとたん、「カネカエセーッ」て叫びたくなる。ともかく暗く、重く、しんどい映画だったけど心に残る名作だ。ところで、大草原の小さな・・・ってしゃべり始めると「見た、見た、TVで」っていわれるけれど、映画と原作、似ても似つかないしろものですよ。この原作には相当な思い入れがあるので又、イ・ズ・レ・・・・絵はパソコン(78)

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2005年7月23日 (土)

怒りの葡萄

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今日、これから京都アスニーの無料映画の会に出かけます。クラシックばかりで、今日は「怒りの葡萄」オ・オ・オなんてうれしい。ヘンリー。フォンダでしたよねえ。デハデハ 後ほど・・絵はニースの海岸にて(No76)

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2005年7月22日 (金)

京都のMY WAY

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ももりの家はとても便利な所にあって、桜、紅葉の季節はむやみやたらと、やみくもに歩き回ります。私のお薦め京都歩きはこの無目的さにあります。迷子になって帰れないという土地柄ではないので、ギリギリの境界線沿いに歩いてみてください。これ以上は「進入禁止」の看板沿いに歩くのです。例えば、嵐山、まず渡月橋の左岸を遡ります。振り返ると京都の町が渡月橋越にまさに浮世絵の風景。行き止りの料亭で軽く腹こしらえをして再び渡月橋を渡り、今度は右岸を遡ります。進入禁止の看板まで行ったら階段をかなりしんどいけど上がる。一本道を上へ上へ。展望台からは桂川が真下です。お船が下ってくるのがみえます。塀の中で「うわあ、いい景色」なんて聞こえますが、中は大河内山荘。ただではありません。こっちのほうが景色は良い。この塀にそって、進入禁止の看板で右へ。ちょっとけもの道みたいな細い道を下り終わるとそこはもう嵯峨野、すぐに落柿舎や常寂光院や祇王寺です。ともかく嵯峨野もなんだか荒れました。どこにでもある安っぽいコロッケ屋やもやげもの屋が多すぎます。でも進入禁止の看板沿いはマーダマダ田舎。絵は桂川の左岸。ビールを飲もうとコップに入れたとたん、うっかり筆をビールの方のコップで洗っちゃった。グ・ヤ・ジ・イ!!!まあ おいでやす(No75)

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2005年7月21日 (木)

絵のお話なら

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最近ズラズラっとなんかメールが入ってるなと思ったら、変な勧誘だったりしてイヤ。押し売りってホント嫌ですよね。サッと削除することも多く、ひょっとして大切な人のだったらと後で心配したりしています。当方、色気、金儲け関心なし。もちろん、それは、色気も金儲けも才能がないし欲もない。絵や文学、旅、歴史のお話がしたいのです。絵はガラス絵(74)

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2005年7月20日 (水)

ピンクの便器「泉」

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7月5日に旅から帰って、展覧会も2つなんとか無事おっつけ、これからちょっとゆっくりジェットラグ気分。やっぱり大したことしてなくても11日間いないと前後の仕事はギッチリつまります。さあ、又、9月の展覧会の絵を、そして11月の展覧会の100号を2点なんとかでっちあげなくっちゃ。若い娘だった日々、絵を描こうとして行きづまった。丁度、抽象画全盛に向かう時代、美術館では時代の先端としてピンクの便器がライトを浴びていた。タイトルがふるっている。「泉」だって。もう作家の名前も忘れちゃった。既存の概念を破棄して、新しいものをという時代、天井からぶら下がって絵の具の入ったバケツを蹴っ飛ばしたり、身体に絵の具を塗りたくってキャンバスの上をゴロゴロ「おお、ゲイジュツテキ!!!」だって。あのゲイジュツカ達は今、どこにいるのでしょう。それにしても、全く売れもしない絵を描き続けるエネルギーってどこから出てくるのでしょう。ホント、自分がフ・シ・ギ・(73)

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2005年7月19日 (火)

けし

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けしの花って麻薬の原料なんでしょう???植物のことはちっとも知らないけど。このスケッチは植物園でしたもの。この花をスイスのアチコチのおうちの庭で栽培していましたよ。激しく存在を主張して、美しいけど、ちょっと毒々しい。見ているとクラクラしそう。(72)


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2005年7月18日 (月)

お祭りすんで日がくれてどこかで・・・

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昨日、祇園祭、大変な人出だったようです。私は2つの展覧会の掛け持ちで・・・と言っていますが、あの人波と厚さにはもう耐えられないっていう感じで・・・申し訳ない。でも2時ごろ自転車で御池通りを走っていたら道に一杯ゴミが散乱していて悲しい風景でした。ところであの鉾、巡行の後どうなるんでしょう??鉾は疫病封じのために町内をねり歩くもの。本来は燃やすものだったらしいのですが、勿体ないからできるだけ早く解体するんですって。あっという間に終わるって亭主の話。何しろ悪がきだったらしい彼はマメに見ています。四条通りのおたびにあるおみこしも、彼が子供の頃は鴨川を渡って水をかけてみそぎをしたそうです。こうしてブログに書くとなると改めて何にも知らない事がわかりました。子供達を連れて鉾から投げてくれるちまきを受け止めて喜んだ日もあったのにネ。今ではもう鉾からちまきも撒きません。危ないからですって。来年はもう少し調べてレポートしましょう。(71)

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2005年7月17日 (日)

祇園祭ご当地事情2

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今日はいよいよ山鉾巡行の日です。ちょっと夕立するかもしれないって。絵は5日前に描いた準備中の長刀鉾。四条通りの一番賑やかな所にある代表的な鉾で、私がスケッチしていた時には、ちょうちんを上げていました。京都って知れば知るほど面白い土地です。丹波の山の中で亭主と畑を始める前、よくやった事、日曜日の朝まだ暗いうち、目が覚めたらそのままバス停へ、スッピンです。誰も知った人はいない。そして来たバスの終点まで乗って、終点周辺を歩き回ってから小さな喫茶店でモーニングを食べて、帰りはもう歩き疲れてるからバスで帰宅という、朝のお散歩です。小高い丘から朝日が上り、霧が晴れていく。気に入ったら午前中散策。ホント、京都って郊外の方が美しく、静かで、そして「わあ、こんな所にあのお寺があったのか」っていうようなお寺や、新しい発見があるのです。例えば、一乗寺修学院っていうバス停、修学院は事前に申し込まないと入れません。でも一乗寺、そう宮本武蔵が吉岡清十郎と決闘した??んじゃあなかったけ??一乗寺をさがしたんですが見つからない。土地の人に聞いてみると、そう、地名だけが残っていてお寺はもうないんですって。そんなことを知って喜んでいる私がちょっとおかしい??でも、ちょっとバス停の名前を見るだけでもう好奇心がウズウズ。どうぞ おいでやす(No70)

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2005年7月16日 (土)

祇園祭ご当地事情

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今年の巡行は晴れそうです。祇園祭りの時は京都は一番蒸し暑い時期です。京都に生まれ、京都の田舎で子供時代を過ごし、また結婚して中京に住んで、京都以外の土地を知りませんが、今では、こんなに住み易いところは無いと信じています。ある種のドライさがあるのです。でも、一種のスタイルがあってそれがわからないと悩みます。例えば、結婚してからのこと、どこかへ出かけようとすると「どこいきえ?」って聞かれるのです。若い私はその問いにどれほどイライラと悩まされたことでしょう。「どこ行ったってええやないの。なんでそんなプライヴァシーに踏み込むの」って。でも、これは、京都の挨拶なのです。相手は私の行き先なんてちっとも知りたがっていません。ホンのおアイソなんです。そのことを知らないもんだから「ええっと、今日は神戸から、大阪へ出て・・・」なんてムカムカを隠して答えていました。でも今では「ちょっとそこまで」 そう、それで全てOKなのですヨ。絵は鉾を管理しているお家から即製のはしごをかけて飾りつけ。おっと車が出てきました。実に大きいんです。(69)

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2005年7月15日 (金)

京都は祇園祭の準備中

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ほんまにわたしのデジカメ言う事聞かへん。やっと出ました。一昨日準備中の鉾をスケッチしてきたものです。黒主山と言って小さい鉾ですがこれから組み立てていきます。道に長く縄を伸ばして長さを調べています。祇園祭は疫病封じの祈願がもともとですが、応仁の乱で京都がすっかり焼け野原になった時、町衆が自分達のエネルギーを復活に向けて結集して、より華やかなものになったと言います。町内毎に元気を競ったのでしょう。鉾は現在32基あり17日に巡行されます。歴史についてはいっぱい書いているホームページがありますのでそちらをどうぞ(68)

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2005年7月14日 (木)

祇園祭り

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又、リムーバブルディスクがでません。昨日、せっかく祇園祭の鉾をスケッチしてきたのに。今、京都では面白い光景がアチコチで展開しています。祇園祭の鉾を組み立てているのです。そろいの半纏の若い男衆(おとこし)が、鉾を組み立てていきます。出来上がった鉾は、もういっぱい飾り立てていて素顔は何にも見えませんが、この行程も面白いものです。鉾を管理しているお家の2階から鉾へ、大きな窓から即製の廊下が付けられ、いろんな飾り物が付けられていきます。あっちもこっちもコンチキチ。道に縄を伸ばして縄の長さを調べていたり、こちらでは車を組み立てていたり。どうぞおいでやす。京都へ。絵は又、カメラが上手く作動したら祇園祭のスケッチに入れ替えますが、とりあえず・・・(67)

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2005年7月13日 (水)

自然か人間か

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 絵はイタリア、コリチナダンペッツォのカテドラル。今回、亭主とスイスへはパックツアーで行ってきたんだけど、この目的地の好みが全く合わない。大体、私たち2人、結婚する前から、全然趣味が合わなくて、例えば、映画。私は夢心地の洋画、亭主は寅さん。めん太こだって私は生、亭主は焼いたの。いわしの丸干しだって、亭主はカリカリに干したの、私は、ドバーッと油のにじみだすような生っぽいものが好き。昔、京都では美松という映画館があった。一方は洋画、もう一方は邦画だった。入り口で別れ、それぞれお好みを見てそれから一緒に帰ったものだ。旅行の行き先で意見が合わない。私は、歴史や小説、亭主は「そんな人間が作ったものなんて・・そら、自然の方が・・・」って言う。でもね、絵を描きたくていく私。絵で地中海と琵琶湖って描き分けられないんです。その点、建物は絵になる。このカテドラルの素晴らしい甘さはどうでしょう。これがルネサンス様式かロマネスクかなんて知りたいんです。でも、ずーっと私が行くのを横目で見ながら、仕事仕事で我慢してきた亭主。当分、私が譲歩しましょう。(66)

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2005年7月12日 (火)

京都は祇園祭の準備中

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一昨日、新芸術展の飾り行けの最中に祇園祭の先触れの行列がギャラリーの前を通りました。馬に乗った神主さんが、寺町通りをポッコポッコ。昨日は、日本水彩の飾りつけの帰り道、バスから鉾を立てているのを見ました。釘を一本も使わず、縄だけで組み立てるのです。整然と巻いた縄がとてもきれいでした。世の中、祇園祭ばっかりなのに、わたしはやたらバタバタ。2つの展覧会を掛け持ちです。ちっとも実入りのないのがつらいところ。日本水彩展に出している絵は今日、会場で写真を取って来て、またブログに載せましょう。キュウリの食べ方、いろいろご教示いただいて、ありがとうございました。キュウリ臭くなるほど、きゅうりを毎食たべています。ひょっとしブログからにおうかも??絵は祇園祭とは関係なくイタリアで、去る7月4日、コルチナダンペッツォの朝やけの山々。詳しくはホームページで見てくださいませネ。(65)

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2005年7月11日 (月)

きゅーりの食べ方教えてーッ!!

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 昨夜、展覧会の飾りつけをしてきました。
新芸術関西作家展 7月12日(火)~17日(日)京都寺町三条上る、ギャラリーカト
同じ会期で、日本水彩京都支部展 京都府立文化芸術会館です。
スイスから帰って、ジェットラグ(時差ボケ)の暇もありません。今日は又、後者の飾りつけにいかなくっちゃ。それより何よりの大問題がきゅうり、6月24日、明日からスイスへっていう日、小指の先ほどの大きさのキュウリも、もいでおきました。後は、息子に、留守中に採りに行ってねって頼んでおいたのです。7月5日帰ってきたら、直径6センチほどのキューリがドーンと2山置いてありました。聞いてみると土曜日に採ったという。3日前です。それから我が家はキューリばっかり。きゅーりもみ、サラダ、煮物、ドボ漬けくらいしか知りません。ごく親しい人にはもらってもらったけどちょっと、3日もたってるしなあ。昨日、またまたドーンと収穫。でもちょっと木がもう草臥れました。どなたか食べ方教えてください。きゅうちゃん漬けも、御願いします。きのう又、じゃが芋の収穫、ピーマンもたくさん採れてなんてうれしいことでしょう。でもとりあえず、キュウリ。御願い、どなたかおいしいメニューをご教示ください。捨てることは出来ない年齢なんですから。(No64)絵は、新芸術展の方のガラス絵10F「サンシルク・ラポピーの町 フランス」です。

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2005年7月10日 (日)

地中の滝 スイス

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トルンメルバッハの滝は、圧倒的な迫力だった。アルプスの巨大な氷河が融けて、地中で巨大な滝となって流れ落ちている。岩盤の弱いところをほしいままにえぐって、轟音を響かせて流れ下る。私たちが大地の表面しか見ていないことを思わされる。地中ではこんなに激しいエネルギーが存在するのだ。絵の所々黄色いところがライトアップされて、ひとが覗ける穴である。上のポッチリ青いのは空で、下の薄緑は水、なあんて言葉で説明しないとわかってもらえないなんて技量不足。今日はオマケでももりさん(63)DSCF0691

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2005年7月 9日 (土)

天国にいたわたし スイス

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 今、井沢元彦著「ユダヤ・キリスト・イスラム集中講座」と言う本を読んでいる。まことに読みやすい本で、こんな平易な言葉で、難解な問題を扱えるのかというのがまず驚き。わたしはむしろ無神論者。ええかげん人間。バチを当てられるのが恐いから、程ほどに付き合っているええかげん人間。でも旧約聖書をとても興味深く読んでいる。この言い方も正確ではないなあ。難解な聖書の言葉は私の脳ミソではムリ。でも、セントポール寺院で買って帰った子供向きの聖書なんか読むととても面白い。美しい絵入り大冊でもちろん英語なのでちょっと時間はかかる。アダムとイヴがそれぞれ8百?才までだったか生きて子供を?人だったか生み、その頃の人は?才くらいまで生きたからその2人から人間が増えた、とか、今ちょっと調べなおしてみないことをお許しください。かぐや姫が竹から生まれて、月へ帰って行ったお話を、うっとりと楽しむ感覚で読んでいるから、深刻なキリスト教信者の友人にはいつもうしろめてさを感じている。おりしもロンドンのテロ、宗教の対立とはもはや言えないし深刻な、人間の原罪の部分。今、井沢氏の本を半分位まで読んだのでもう少し読んでから又、書きましょう。私は先日天国にいってきました。絵は天国、マッターホルンの映るルッフェル湖(No62)

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2005年7月 8日 (金)

恐ろしいテロ ロンドン

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こんなニュースの時に絵を出すのはどうなんでしょう。テロも戦争も犯罪も、顔も知らぬ相手の悪意にさらされてしまっては、何の身に憶えのない人々をも巻き込んでしまいます。ホントに不安。未来も・・・

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2005年7月 7日 (木)

マッターホルン 神々の山 スイス

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 2005年6月29日(木)マッターホルンに膝まづいてきました。今回のツアーは11日。フランスのシャモニーからスイスアルプスを見て、西へ、ベルニーナ山脈からさらにイタリアへ、コルチナ・ダンペツオへ抜けるという大きく動く旅で本当に見ごたえがありました。私は若い頃は山女。北アルプスのメーンロードは殆ど歩いているし、中央アルプスは全山縦走した。南アルプスは甲斐駒と仙丈岳ともう一つは忘れちゃった。今では、お気楽で安価なパック旅行ばっかり。それにしてもスイスの山々の神々しさよ。本当に感動して手を合わせて拝みました。今回、100枚のスケッチブックを持っていったけど足りなくて、2冊目を10枚くらい。尤も、これは、絵日記でメモ、走り書きの類で絵と言って人に見せるものではない。でもハードなんです。わたしの旅は。ホテルに着いたら早速色付け。水彩だから乾かないと次へいけないから、スーツケースを開けて一枚、おふろのお湯をはりながら2枚。荷物の整理をしながら3枚・・・夜中に目を覚ましてン枚。その日の分はその日の内にが鉄則。後から手を入れると全部同じ調子にしてしまいます。ふしぎなものでその日の天候や、気分まで絵に出ていて思い出せます。でもあ・あ・あ・あの神々しさは描けない。(60)

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2005年7月 6日 (水)

ユングフラウ 神々の山

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 2005年6月28日(水)ユングフラウ(4158)の肩、ユングフラウ ヨッホ(3454)まではアイガーの北壁をくりぬいた登山電車にのって登る。絵は、クライネシャイデック駅から見たユングフラウ。お花畑が今一番美しい時。このトンネルの凄さは4分の3が岩盤を刳り貫いたトンネルという、その工事の凄さもだが、実に、1893年(明治26年)に開通したというその古さにも脱帽。私達が降り立ったこのヨッホ駅は、1912年(大正3年)8月1日に開通したというから古い。途中、アイガーの壁に穴を開けて窓をうがった、アイガーヴァント駅(アイガーの壁の意)とアイスメーア駅(氷の壁の意)からは、氷河がまぶしくすぐ目の前に圧倒的な大きさで輝いている。終点ヨッホ駅から、更に、エレベーターで、3475まで上がる。とそこはもう360度のスイスアルプスが開けている。浮田典良氏の本によれば、1912年に、「東京高等師範学校地理学ヲ修ムル者、大関久五郎」がホテルのサイン帳に記名しているそうだ。開通2ヵ月後の9月24日のことである。私より93年前に登ったお方。お話聞きたいものです。そこから20人ほどに粗製のスケッチを日本に投函した。それにしてもスイスのユングフラウ=若い娘は毅然と気高い。おいおいホームページの旅のスケッチに入れていきますのでまたお出かけくださいませ(No59)

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