2012年5月26日 (土)

純情男

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 高島屋の月間グラフ誌に相棒登場!!!


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 一途にわが道を求め続けた相棒が高島屋の月間誌に登場・・・・なんてうれしいことでしょう

 え???もっとはっきり見せて・・・ですって???

 まあ・・・それは、高島屋へどうぞ。


 先日の屋久島の縄文杉探訪。やっと疲れがとれました。今回、バテたのは結局、ももりでした。ほとんど食べずに一日歩いた相棒、最後のほうは息も絶え絶えって感じで声も裏返っていましたが、ホテルに入るととたんに元気。夕食もモリモリ。翌日は、もうケロリとしていました。


 一方、タフが売りだったはずの、このももりメ、ベッドに倒れこんでしばらくするとガタガタふるえがきて止まりません。一日雨にぬれて歩いたのですから。着替えはしっかり持っていましたが着替える場所がまるでありません。一服のときだって、屋根がないんですから、雨の中、ぬれた木の根に腰掛けです。冷えきってたんでしょうね。
 夕食時にはセーターにホテルの丹前を重ねて食堂へ。でも、ここは鍋で、ゆっくりお汁を2~3杯いただいたら、今度は大汗!!!しかし翌日は終日ウツラウツラ。本を読んでるはずがいつの間にかウツラウツラ。どうやら、もう登山は限界と悟りました。

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2012年5月22日 (火)

年寄りのひや水

   
 「どうやら登山は、もう、ムリ」そう悟った今回の屋久島でした。


 相棒は心臓に、ももりは軟骨がすりへった膝に心配が。口だけは両人とも至って達者です。


 やっぱり、雨・・・何しろ、この島では、4日のうち3日は雨なんだそうですから。
しっかり梱包した着替えを2回分リュックに詰めています。朝、4時45分にガイド氏がホテルに来てくれます。朝食と昼共に弁当。朝飯は部屋で。ももりはしっかり全部食べましたが相棒はにぎりめし一つが全部入りません。あ・あ・あ・・・これやから・・・

 バスで、島の中心部へ。5時47分、軽く体操をして出発。これからトロッコ道を2時間43分歩く・・・これが、実は、帰りにバテたのよねえ。

 トロッコ道を終えて、9時、いよいよ急峻な山道に入ります。約1時間20分、大王杉の手前、前にリタイヤした地点を確認。そこからも、相当急な悪路で、「これでは、前のとき、戻っといたのは正解やったなあ」と、相棒は申しました。

 12時少し前、縄文杉に到着。昼弁当。相棒、にぎりめし半分しか食べられません。「これ以上食べたらムカつく」あ・あ・あ・・・・「そういう人が戦争で一番先に死ぬんやでえ。何でも、どんな時でも、食べられる人だけが生還できるんやから」でもねえ・・・云ったって、どうしようもありませんから

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 ほとんどゆっくりせず、下山にかかります。
道が良ければ、下りは楽なはずですが、ここは悪路。岩が複雑に張り出して、足をグネったら、目も当てられません。手で岩を支えながら黙々と下ります。若かったらヒョイヒョイてなもんやのになあ!!!下、写真は有名なハート形の空が見える切り株、ウイルソン株。続く


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2012年5月18日 (金)

145才の屋久島

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 ももり達夫婦、二人合わせて145才。無事、縄文杉にご挨拶をすませました。


 生涯を木とかかわって生きた相棒です。如何しても縄文杉のご挨拶申し上げしたいというので、3年前、パック旅行で参加しました。往復10時間、かなり健脚向きのコースです。

 前回の旅、急な登りで相棒の心臓がパクパク。ももりが「大丈夫かなあ」と振り返りましたら、しゃがみ込んでいます。大粒の汗をタラタラ流して、ぬぐってもぬぐっても、滝のような大汗で、服もズクズクです。
 「ニトログリセリン持ってたんとちがう???」って云って、やく30分。ももりはずうっと鳥の声を聞いていました。そしたらふらーっと立ち上がり・・・まあ、そこからは、ゆっくりゆっくり下山したのです。


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  今回は、リベンジ。ももりは介護です。
朝、4時45分にホテルを出て、終日、降りみ降らずみ、雨中を難行苦行し、正午、縄文杉にお会いし、夕方6時、ホテルに帰りベッドに倒れこむまで・・・・

 まだ、データが整理できていないので、後ほど・・・のちほど・・・とりあえず無事、介護登山は終了しました。皆様、ご心配をおかけしましたが無事、家でパソコンに向かっています。

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2012年5月 9日 (水)

保元の乱と美福門院

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 先日も、書いたのですが、保元の乱の黒幕は美福門院・・・ももりが小説家なら彼女を主人公におきたいなあ。先妻待賢門院の勢力を排除すべく、実子、近衛を天皇位につけたものの近衛は17才で死んでしまいます。死期せまる鳥羽上皇と藤原清西を取り込んだ美福門院は・・・次の天皇に、自分の思惑通りに動かせそうな後白河を帝位に・・・ところが、どっこい後白河と言うヤツは・・・失礼・・・昔なら不敬罪で首がチョンですねえ。


 二条城の南西角の「美福どおり」の道路標識です。東西は押小路。その下にはこんな標識が・・・美福門院こそは鳥羽の愛を独占し権力を握った保元の乱の黒幕・・・と云うのがももりの推理です。

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京都、丸太町七本松の府立図書館のお隣り、「平安京創生館」に平安京の1/1000模型が作られています。

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 写真ではちょっと見にくいですが、ドラマ清盛の頃、「勝」と云う字がつくお寺が6つ、今の京都市動物園、美術館あたりにあったといいます。今は何もない。

 法勝寺  建てた人、白川天皇
 尊勝寺  堀川天皇 
 最勝寺  鳥羽天皇
 円勝寺  鳥羽の妃、待賢門院
 成勝寺  崇徳天皇 
 延勝寺  近衛天皇

 どうですか・・・・どんなに願っても得られなかった成仏、どんなに権力に執着しても、結局は・・・はかないですよねえ。

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2012年5月 8日 (火)

「わが母の記」と井上靖

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映画「わが母の記」を見てきました。井上靖と耄碌した母・・・映画はかなり実情に近いようです。

 井上靖は大好きです。「敦煌」「天平の甍」「オロシャ国酔夢譚」などなど・・・「西域物語」の短編。「天目山の雪」に収録された短編など・・・ももりの持ってるこれ等の本の表紙が、又、実にいい!!!「夏草冬濤」はなんと松本俊介です。「ある偽作家の生涯」は平山郁夫。「詩集」は加山又造。「幼き日のこと 青春放浪」は小野竹喬。「猟銃 闘牛」は角浩です。みんな、まだ生きてらしたんですよねえ。先日アップした「後白河院」は上村松篁篁でした。 
 

 そこに登場する男達の純情。一途に求めずにいられない学問や芸術への情熱。人には理解してもらえなくても、身をすり減らしてしまうまで、黙々と求め続ける直情の男達の何人かを、どれほどももりは愛したことでしょう。


井上靖は大好き、と、普段よく言っていますし、本当です。本棚にも結構沢山の井上靖の本が並んでいます。でも、今回、この映画を見て、改めて本棚を見て、案外、読んでいない本がたくさんあることに気づきました。読もうと思って買ったのにそのままにしたり、あるいは途中で止めてしまった・・・という本たちです。


改めて、手に取って読み始めますと、今回は、案外すらすらと読みすすめられます。ということで1日2冊のペースですすみ、図書館でも借りてきました。


 映画「わが母の記」はいい作品でした。どの本かで知っていた井上靖の子供時代、青春時代・・・作家と母の関係など。改めて映画では、売れっ子作家の日常生活をのぞいたような気分もあって「大変なんやなあ」とも、思いました。

 でもね・え・え・・・、映画と、井上靖が創出した男達とは別物ですねえ。やっぱり、彼が生み出した男達の方がはるかに男らしくてシブクて・・・かわいくて・・・いいのよねえ。大好きなんです
 
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2012年5月 6日 (日)

初瀬の観音様

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 昨日、ピッカピカのお日さまがお出かけ心をくすぐります。さあて・・・初瀬寺へでも行くか


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 結構、坂や石段がきつい!!!最近頑張って泳いでるけど・・・やっぱり膝がイマイチ。
まあ・・・一人なんだから・・・のおんびり


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 初瀬寺は、なんと天武天皇様のために朱鳥元年に建てられた・・・ですって。
朱鳥元年とか白雉元年とか・・・小説の書き出しにチョクチョクありますよねえ。なんともロマンチックな響きです。

 何度も燃えています。今の大仏様は1538年ものですって。人間の情念って凄いなあ

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2012年5月 4日 (金)

倉敷と大原美術館へ

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 倉敷へ行ってきました。一度は行きたいものと思いながら・・・初めてです。

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 大原美術館・・・内容が充実。いいなあ!!!いろんな画集に取られているのは、この美術館の所蔵品やったんやねえ。上スケッチの作り酒屋さんでお酒を買いました。「萬年雪」・・・いい名前やねえ。試飲ではおいしい!!!


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 阿智神社では藤まつり。衣冠束帯の貴公子が笛を吹いていましたよ。

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2012年4月27日 (金)

「王朝文化の華 陽明文庫明宝」展 見て来ました

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 陽明文庫・・・何度か見学したことがあります。

 今回、まるでNHK「平清盛」にポイントを当てたかのような内容で、とても興味深く見て来ました。


 下は「兵範記」 藤原信範の日記です。読み下し文はないのですが、正しく、保元の乱のあった1156年7月11日。何人もの作家が、この日記を資料に使っているのは間違いないでしょう。それにしても、当時の摂関家の記録への執念は職業意識でもあるでしょうが凄いものです。「議事録がない」なんて騒いでいるイマドキの日本の政治家、見習えっ、つうの。

 保元の乱は、7月11日、未明、東山のふもとで始まり、白川殿に火がかけられてあっけなく勝敗が決まりました。山本耕史クンの頼雅どのは、流れ矢に当たって死。崇徳上皇は比叡山に逃れ、仁和寺へ。後、讃岐へ流罪。讃岐の閉所で狂死。 
 平安時代、落雷や地震、日蝕など、天候不安は崇徳の怨霊の祟りと長く信じられたということです。

    
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 スケッチは三十三間堂。平忠盛、清盛父子が白川法皇のために建てたといわれるこのお堂。これほどの仏様を祀っても・・・仏心は体得できなかったということでしょうか。

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2012年4月22日 (日)

保元の乱・・・ももり考

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 NHKの「平清盛」サッパリ人物の関係がつかめません。ということで取り出したももりの本。上、吉川英次「新・平家物語」下「後白河院」井上靖


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 今の平成の今上天皇様、にこにこと好々爺で、誰一人憎む人はいないでしょう。
しかし、清盛の生きたこの時代の天皇様ときたら・・・・


 まず、  天皇・・・・白川、鳥羽、崇徳、近衛、後白河・・・・
      上皇・・・それぞれ、退位させられ、あるいは退位して後も天皇と対立する。おまけに出家したら法王・・・出家して、まだ自分の好きなようにしたがる・・・


 このややこしさ・・・でも、結局、退位した後も好きにするから、現役とモメるのよねえ。


先ずは白川天皇・・・この方のことは、先日のブログでふれました。白川が幼い頃から、掌中の珠といつくしんで育てた璋子・・・待賢門院・・・を息子、鳥羽の嫁にします。しかし、鳥羽は生まれた子を、父親の胤と信じて憎みます。「叔父子 おじご」というのです。
 一方、白川死んで、鳥羽は、あらたに美福門院を内裏に入れて、この方との子が生まれます。だって鳥羽はまだ39才、この年出家して法王にはなりますが、このお方の横槍が「保元の乱」の原因となります。鳥羽は自分と美福の赤子をたった3ヶ月で立太子、3才で天皇にします。崇徳に退位を強要して。3才で天皇になった鳥羽と美福門院の子、近衛天皇ですが、体は弱く、目を病み、17才で死んでしまいました。
 「さてこそは・・・誰かが呪詛したものぞ」美福門院は悲しみのやり場をさがし、呪詛の犯人を悪左府、頼長に・・・あの、山本耕史さん???・・・TV では、これからでしょうか


 さてこそは、自分の世になるか、と思った崇徳は、自分の長男を天皇にと望みますが、陰険な父は崇徳の弟、しかも崇徳の4番目の弟を天皇にしてしまいます。その天皇が後白河・・・
 間にいた子はもう出家させていたり・・・???ナンヤカヤとあった???らしい
 鳥羽死んで涙もかれぬ間に、崇徳挙兵・・・保元の乱です。


 さ・あ・あ、先を急ぎましょう。ももりの頭ではこの程度がやっとです。


 崇徳に力を持たせたくないというのは、璋子の他に鳥羽が愛した美福門院。まあ・・・先妻の子に力を持たせたくないと云う・・・この美福門院こそは「保元の乱」の元凶・・・と・・・ももりが小説家なら・・・描きたいところです。

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2012年4月21日 (土)

勝手に・・・する するっ!!!

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 朝ドラ「うめちゃん先生」のお父さん、どうも好きになれません。
実は、あのお父さん、ももりの父にとてもよく似ていると、当初から思っていたのです。もうちょっとシャープにした感じですけど・・・・丁度、あんな黒ブチの目がねをかけて、丸刈り頭でした。
 大体、あの当時の人はみんなひどく瘠せて、あんなに緊張感なくプックリしてはいませんよ。

 ももりの父は、決して「お前にそんな事なんか出来るか」なんて、言いませんでしたねえ。

 ドラマの中で「勝手にせえ」と言いはなつ場面がありました。ももりなら「勝手にする、するっ!!」と答えますねえ。

 一番初めの海外旅行は中国、なま身で書道史に触れたいと、毎日新聞の「三国志の旅」と云うのに一人参加しました。その時、相棒は「行ってきたらええやん」って言うことでした。


 その何年か後、次はソ連からモンゴルへ・・・その旅は友人にたのんで押しかけ参加。相棒は
「あのセンセが行かはるんやったら、行ったらええやん」ですって

 その次の旅???何処だっけ???相棒は「勝手にせえ」って言いました。寸発いれず「勝手にするするっ」と応えて参加。

 次の旅・・どこだっけ???

 相棒は「勝手にせえって言わへんでえ」って言いました。でもねえ。「行きたい。行きたい。行きたい」と繰り返し・・・他の事は言わない。けんかになるから。
 相棒がご飯食べてる横で、ひたすら「行きたい。行きたい。行きたい」って言ってる・・・相棒が働いている間は一人旅。パックツアーにも一人参加でした。スケッチは、先日の奈良、崇峻天皇陵

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2012年4月20日 (金)

聖林寺の11面観音さま

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 談山神社からひたすら下り坂を川沿いにあるきます。のぼりよりも、膝にこたえます。
聖林寺に着いたらゆっくり休もうと、黙々・・・黙々・・・黙々

 やっと着きました。お堂の回廊から見る景色が素晴らしい!!!スケッチ、手前はもくれん。さくら、桃、レンギョウ、こぶし、もくれん、ゆきやなぎ・・・野には水仙、たんぽぽ、すみれ、ホトケノザ、イヌフグリ・・・春爛漫とは正しく・・・天国もかくやとは思いました。

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 以前から一度は行きたいものと思っていました聖林寺。国宝11面観音様にお目どおりがかないました。お腰のくびれがマッチョで、引き締まった肉体美です。お顔も男性的???ヒョットして観音様は女性だっけ???そんなの・・・関係ないでしょっ。

 さるお方のブログには、この仏様が廃仏毀釈で三輪(大神神社)で捨てられ、大八車に載せられて聖林寺までいらした、とありました。 


 さ・あ・あ・・・これは又・・・好奇心がメラメラ・・・

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2012年4月19日 (木)

談山神社から聖林寺へ  さくらさくら♪♪

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昨日、朝からお日様ピッカピカ!!!
こうなると、もう、じっとしていられなくて、念願の談山神社から桜井駅へのハイキングに挑戦です。
近鉄桜井駅から、先ずはバスにて談山神社へ。以前、行ったときは紅葉の真っ盛りで、それはそれで、素晴らしくきれいでしたが、今回は桜。今を盛りと咲き誇っていました。薄墨桜も満開です。

 ふうわりと薄ピンクの布をおおいかぶせたような・・・さくら・さくら・さくら・・・♪♪
薄ずみさくらも満開です。


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 この前来たのは秋のくれ。お山は早くに暮れ急ぎ、山道が怖かったので断念したお破裂山へのぼります。今日は明るくて、時折人が登ってきます。スケッチはお破裂山頂上展望台から見た大和三山。世の中に不正がまかり通ると、このお山は破裂するとか・・・今、ももりの足元で破列しないかしら???

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2012年4月14日 (土)

平 清盛

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 大河ドラマ「平 清盛」イマイチ評判がよろしくないとか・・・スケッチは六波羅密寺の平清盛

 ももりも、何度か見ようとしましたが、サッパリわからない。話の進展がバラバラで理解できない。
そんな事を言いましたら、昨日友人が色々教えてくれましてやっと、多少はわかり始めました。


 つまりぃ・・・ももりの頭には、吉川英次の「新平家物語」がガッチリと鎮座していて、こんがらがっているのです。例えば・・・


 白川天皇が祇園八坂に棲まいする「祇園女御」をお忍びでお尋ねになった・・・久しぶりで・・・その時、侘び住いの屋敷から、飛び出した男が一人・・・八坂神社の神官くずれか・・・はては・・・???


 その後、白川法王が平忠盛に下げ渡された「祇園女御」が生んだのが清盛・・・はて・・・父は法王か??それとも無頼の神官くずれか???それとも、やっぱり忠盛の子か???清盛は悶々とします


 TVでは、殺されたのは「祇園女御」の妹。白川のお胤を宿し、そして白川の命で殺された・・その赤子を憐れに思った忠盛が引き取った、となっているんですってね。


 どうですか・・・吉川英次・・・皇国史観、戦争に加担すべく天皇制を慫慂したとして、戦後は、あまりふるわなかった吉川英次ですが・・・今、もう一度、読んでいます。なんとも・・・文体がトローリと・・・魅力的です。下、スケッチは清盛が住いしたという六波羅に残る六波羅密寺


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2012年4月13日 (金)

満座の中でかいた赤恥

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 かわいそうなのは国民。あの3世様の着任祝いになるはずだったミサイル発射は失敗・・・

 先日訪れたカンボジアとも仲が良かったという北朝鮮ですが、為政者が本当に国民の為に身を挺して働いてくれる日が何時くるのでしょうか。


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 スケッチは以前に行った時の、カタクリの花とショウジョウバカマ

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2012年4月 9日 (月)

天晴れなる万葉遠足

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  平均年齢、ナント・・27.1才の万葉遠足。71歳のももりがいないと、ぐっと若くなります。柿本人麻呂麻呂さんはかえりみ・・しています。

  奈良は榛原、万葉公園や人麻呂公園、又兵衛桜・・・そこからカタクリの花の群生を見に松山町の森野旧薬園へ・・

 雲ひとつない春・・・天晴れ  あっぱれ・・・でした。


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2012年4月 7日 (土)

年寄りの冷や水

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最近、我が家夫婦は急に体力作りに目覚めたようです。
相棒は先日愛宕山に登ってきました。5月に屋久島の縄文杉に会いに行くのにむけて、足の鍛錬というところです。時間が許すかぎ、朝、暗い内からモゾモゾと起き出して、周辺を歩き回っています。

 ももりのほうは、専らプール。最初800メートルくらいであごを出していましたが、今では2・5キロです。と、言っても歩くのが1000、泳ぐのが1500くらいです。一週に3回くらい行けたらいいのですが、なかなか・・・と云うことで、行ったら最後、頑張ってしまいます。 

 というのも、、つまりは身をもってソクソクと筋力の衰えを知ったからなんでしょう。膝が痛みます。わが身に降りかかる老いを自覚するまではノオーンビリと構えていましたが・・・

 昨日は御所の一般公開、そのちょっと前は京都府庁の一般公開・・・さあ・・・桜もアチコチで誘っています。出かけましょう!!!上スケッチ京都府庁 下が京都御所  そして・・老婆心ながら、皆様、筋力アップはお早めから・・・

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2012年4月 6日 (金)

「平和へのかけ橋」 国連事務次長 明石康

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 カンボジアの大地に600万もの地雷を埋めたのは誰か

 「平和へのかけ橋」 国連事務次長 明石康   
この本は図書館の子供部屋でたまたま見つけました。最近、図書館に行ってもほとんど子供部屋で過しているももりです。

 1991年、12月31日、NYの自宅に突然の電話。国連の時期事務総長ガリからでした。元旦から国連事務総長になる人です。「明石君、カンボジアへ行ってくれないか」明石康、60才でした。


 カンボジアは1970年代からクーデターがあいつぎ、20年に及ぶ内戦状態が続いていました。国内は4つの党派に分裂し、国は疲弊しきっています。
  1・・・プノンペン政権(フン・セン)  隣国ベトナムが支援
  2・・・ポル・ポト
  3・・・クメール・ルージュ人民解放政権  
  4・・シアヌーク(以前の国王 クーデターで中国に逃避)  今は息子、ラナリット


1991年 国連の和平調停を4派が受け入れ、パリにて和平協定に調印


 しかし・・・こんなにすんなり行くはずがないと思っていたとおり、4派は日がたつにつれて、それぞれのエゴをむき出しにし険悪になってきました。
 ともかく、1993年5月の総選挙を実施する為の命がけの交渉が始まりました。ところが、世論は武力を持ちながら行使しない国連を軟弱だと嘲笑するしまつです。そういえば、日本でもそんな話をTVでよく聞いていましたね。


 日本からも、自衛隊が到着し、世界中の市民レベルの協力体制、NGOの会員が15万人。カンボジアの人口900万。いかに多くの市民達が協力したことでしょう。


 5月の選挙予定。その2月前、ポルポト派は牙を剥きました。カンボジア各地で襲撃があいつぎ、相当の被害をだしたのです。日本人、中田厚仁さんが殺されました。そのあと、文民警察官である高田晴行さんも殺害されます。明石氏自身にも暗殺計画がある・・・やるならやってみろ!!! 


ポルポト派を除く3派の武装解除は進み、ラジオやポスターで民衆の政治参加を呼びかけ、選挙はカンボジア大衆の多くの参加をもたらしました。ポルポト派心配していたほど選挙を妨害する事はしなかったようです。むしろ、200人の若い兵士が選挙にやってきたのです。その時の感激は、この本の圧巻です。

 選挙の投票率は89・56パーセント。大衆は心から平和を望んでいたのでした。
こうしてカンボジアは民主政治を取り戻しました。


 明石氏はその後、旧ユーゴスラビアへ、求められて、同じ和平工作に奔走しますが・・・これは成功とは言えなかった・・・と言っています。


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2012年4月 4日 (水)

自然と・・・人間

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 下の写真の真ん中には神様のお顔が隠れています。

 カンボジアの一番の悲劇は国土にばらまかれた地雷。その地雷をまいたのは、一体、誰か???製造者は大半が中国、残りはソ連・・・自己責任で取りのぞけっつうの!!!
 それは内戦の時、カンボジア人自身によって埋められたといいますから、埋めたのはカンボジア人・・・???そのことを知りたくて買ってって来た本ですが・・・難解です。ポルポト側にいて虐殺にかかわった元兵士と一般人の、今の関係はどうなってる???


 先日買って来た本を、今、読んでいますが、米ソの対立からベトナム戦争、アメリカと中国の介入など・・・難解で、ももりの頭ではナーーカナカ・・・
 しかし・・・政治が機能しないと、政治家がしっかりしないと、国はこんな悲劇的な状況になってしまう。12世紀頃、3世紀にわたってこの半島全域を支配した大国であったこの国がたどった悲劇はよそ事とは思えません。


 今は自然に、征服されそうな遺跡郡。しかし、そのままにしようと云う意見もあるそうです。カンボジア遺跡は石作りの神殿です。木造の王宮や大臣たちの家が建ち並んでいたであろう当時の殷賑を思わせるものは何もありません。密林が食べてしまった・・・・人間の営みのはかなさ・・・ですねえ。

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2012年4月 3日 (火)

泥の海 トンレサップ湖

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 カンボジアでは、平均月収月5000円。まあ、15000円から2万円あればいい生活が出来ると、若いガイド氏が言いました。自分は観光ガイド以外に畑を持っているし、お嫁さんも働いているから、家には電気も自分で引いたし、TVもある。映画をやる時は劇場みたいに近所の人が見に来るっていいます。

 子供は3才の女の子が一人 「その子の教育はどうするの」って聞いたももりの質問に、彼は「国際学校へ入れる。子供はもう作らない。お金がかかるから」と云うことでした。夫婦で働いているから田舎の親戚の女の子に手伝いに来てもらっているが、その子に月50ドル。「その子に、ナンボ、電化製品の使い方を説明しても理解できない。自分の3才の娘の方が、さっさとテープを入れてゲームなんかやってますよ」


 隣地との境界でもめるようになったのは最近のこと。昔は境界線なんてなかった。でも、最近、土地を囲い込む人間が出てきて常にもめてる・・・

 貧しい暮らしで、ほぼ自給自足だが、税金ってものはない。政治をキチンとして税金や社会保険のお金を集めると言うことになったら誰も政治を望まないだろう・・・


 「地雷がいたるところに埋められていて、畑が出来なかったから、酷い飢饉の時代が続きました。食べられる物は何でも食べた。犬もネコも・・・ヘビもかえるも」


「お家には犬を飼っているの」って聞きますと「飼ってますよ。今度の犬は、よく吠えるから大事にしてるけど、前の犬は吠えないから・・・」「「え・え・え・・・・?どうしたんですか」
「泥棒除けにならないから食べてしまった」ですって。
 一般の人々は泥棒なんかをまるで気にしない、つまり盗られるようなものは何も無いあけっぴろげの小屋ですが、貯金のシステムは稼動してなくて、貴金属にしてお米の中に生めておくんだそうです。


 草葺きの小屋は、貧しい。トタン屋根になってランクアップ。タイルの屋根になってお金持ち。TVがつくと大金持ち。高床式の草屋根の小屋は開けっ放し。高床の床下にハンモックで眠るのが涼しいそうです。

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 やっとホームページにアップしました。お暇があれば・・・どうぞ・・・

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2012年4月 2日 (月)

気球フワフワ

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 実をもうせば・・・このももり・・・気球に乗るってのが、少々怖かったんです。熱気球でフワフワと飛んでいくのかと思っていましたから。

 ところが、これは、早く言えば風船にぶら下げたドーナツ状に囲いの中に人を乗せてぶら下げる、まあ、ロープで上げ下ろしするってしろもの。フランス製ですって。やっぱりフランス人って商売上手やなあ。


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 と云うわけでご機嫌です。高見の見物とはよく言ったもの。部外者として、遺跡を見るだけのももりです。結局、カンボジア国民にとって大切なことは自立、自律でしょうね。援助はある意味、自律自序を送らせているのかもしれません。憤懣やるかたないという若いガイド氏に、カンボジアの明るい未来をかいま見ました

 カンボジア、ちょっとのぞいた外国人のももりから見たら、農業国として豊かにやっていけそうにみえます。ところが、まだ農村部には地雷が200万。以前は600万あったとか。部分的には、もう、きれいに捕縄整備されています。人間のすることほど酷い事はありません。地雷はほとんどが中国製。他はロシア製だということでした。


 所々に「井戸を掘ってください」と云う看板が日本語で書かれていました。一年の半分は雨季というこの国だから、地下には滔々ときれいな水が蓄えられていそうに思えるけど・・知らなさ過ぎるのか???

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2012年3月31日 (土)

素晴らしい壁面彫刻

 下は相棒撮影のアンコール・トム遺跡の中の壁面彫刻。伸びやかで実に楽しい。案外残酷なシーンがないのがうれしい。ヴェトナムとの関係は歴史上、常に険悪であったようで、チャンカとよばれたベトナム人との戦いの風景だそうです。王様はいつも象に乗っています


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  上は パンテ・アイスレイ遺跡。「東洋のモナリザ」と呼ばれて有名。フランス文化相、アンドレ・マルローが持ち帰り、逮捕されたとか。その後、返還され、現在はプノンペンに。ここのはレプリカだそうです。同じパンテ・アイスレイ遺跡の仏像のお顔が、私達が見学する朝、一つ切れとられて盗難。複製だそうですが・・・


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2012年3月30日 (金)

サッチャンとイトちゃん

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 「カーネーション」岸和田の豪傑オバちゃん、イトちゃん、ついに大往生。
昨日見てきた映画「The Iron Lady]  イギリスのサッチャー前首相、87才。

 サッチャー前首相、ご存知「鉄の女」長いイギリス病、組合の専横によるストライキ、職場放棄で荒れに荒れた国民生活に敢然と立ち向かい、フォークランド紛争ではガンとして、イギリス植民地を守りぬいた「鉄の女」サッチャー。

 とても良い映画でした。最近映画館から足は遠ざかっていたのですが、これは見なくっちゃ・・・と思っていました。映画は予想以上!!!最近、珍しく深いところで感動し、いろいろ考えさせられるテーマを持った多面的な映画です。皆様、ゼヒゼヒ

 映画はまだら呆けか・・・過去と現在・・・もう、とっくに死んでしまっている夫との老夫婦の単調な生活・・・パンを焼き、夫がバターをたくさんつけすぎると文句を言い・・・実は、もう死んでしまっている「デニス」・・・老いたサッチャーの孤独。現実と過去が交錯し判然としない。映画を見る側も、過去と現実がこんがらがって今なのか過去なのか・・・???と思ううちにドラマは進んでいきます。
 メークが凄い!!!一面にチリメンじわがよった顔はアップしてもその無残な頬の肉の垂れ下がりがリアルで痴呆の進んだ表情も凄い。さすが、メリルループさん

 ユーロにもガンとして反対したサッチャー。そこにはフランスの思惑通りになってたまるかというイギリス人ならではの気概を感じました。大英帝国!!!という誇りです。
 日本人の政治家にも見てもらいたい。敢然と男性社会に乗り込み、自己の信念を頑固に貫き・・・それに、何より演説がうまい!!!説得力は天性のものでしょう。レーガンも登場して・・・かっこいい!!!レーガンってやっぱりアメリカ的な大統領やったよねえ。


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 イギリス、何しろ物価が高かったなあ!!!どうしても「マダム・タッソー蝋人形館」を見たいと行った博物館の入場料が・・・確か???7000円くらい??ショーモナイラーメンが2500円・・・スケッチは「マダム・タッソー」
 でも、大英博物館とか自然史博物館は無料でしたね。

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2012年3月29日 (木)

マンゴー雨

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 カンボジアって国は暑い!!!11月から5月までが乾季。6月から10月は雨季なんだそうです。ももり達が滞在したときは丁度マンゴー雨の季節と言うことで、マンゴーの花が咲く季節、時々雨がふるようです。

 気温は37度。これでも涼しいほうなんですって。朝の間に雨が降ったから・・・

 アンコールワットの朝日を見に、暗い大通りをバスは走ります。道端に長い行列が見えました。スイス政府の無償の子供病院の順番とりなんんだそうです。


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 この国の経済はODAに依存している(2国間援助により援助総額はカンボジアの国家予算の4割。つい最近まで日本が拠出国の一番であったが、今は中国とのこと)国民からの所得税がなく税収入は国家予算の9パーセント)  上の本より


 韓国が、毎朝食事を提供していて、とても人気があるそうです。日本の援助はドーンと道路をつけたり橋をかけたりしているけど、民衆に訴える力は弱いということでした。

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2012年3月28日 (水)

つらすぎる歴史  カンボジア

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12世紀・・・200年ほどの間、ラオス、タイも含め マレー半島の中心は、ここカンボシア、アンコール・トムにあったといいます。尤も、ヴェトナムとはいつも仲が悪いらしい。写真はアンコールトム遺跡の中の壁面彫刻。ベトナム(チャンパと呼ばれていた)との戦い。これらの彫刻群の素晴らしさに目をみはります。撮影は相棒

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 手元の資料によりますと、

1970年 ロン・ノル内閣成立 クメール・ルージュ台頭。4年後、ロン・ノルはシアヌークを追放 アメリカ軍カンボジアへ侵攻。ロン・ノルを支持する
1975年  ヴェトナム戦争終決  ロン・ノル親米勢力崩壊  クメール・ルージュが首都を制圧
1976年  ポルポト(親米)ヴェトナム系住民を圧迫  ヴェトナムと国交断絶
1979年  ヴェトナム軍 カンボジアへ侵攻 ポルポト地方へ ポルポトの大虐殺 3年間で200万
1979年  中国軍ヴェトナム侵攻  中越戦争
1982年  民主カンボジア連合政府発足  中国、ASEAN諸国支援による
1989年  ヴェトナム軍撤退  国名をカンボジア国と改称

1993年  総選挙  ところが少しのわいろでコロリっと買収されるとか 


現地を見て「日本も戦後は、あんなもんやったでえ」と云う人もいますが、決定的に違うと思うのは教育に対するあつい懐いであったでしょう。

 ポルポトは徹底的に知識人を抹殺。学校の先生や、めがねをかけている人、文字の読める人を抹殺したといいます。その数、推定200万人  教育の大切さを知る人々をこの世から消してしまったのです。文字が読めないことは、世の中の規範もないに等しいのでしょう

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2012年3月27日 (火)

赤信号にも意味がある

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 小型トラックに人を満載しているのがタクシー。山盛りの荷物の上に人が乗っています。路線バスはありません。タクシーは人が一杯になったら動くんですって。バイクには一家全員が乗っています。子供が3人、大人も2人。まあ・・・落ちるまで乗るわけです。
 これでは、交通事故になったら目も当てられないなあ。車検もないから走行中にタイヤがはずれたり・・・お・お・お・・・こわ!!!!スケッチはアンコールワットのご来光


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 現地の人のお話です。ももり達の滞在するシェムリアップは遺跡の街です。ここから首都プノンペンまで車でざっと6時間。信号が途中5ヵ所あるといいます。識字率は67パーセント(10年前)のこの国で交通法規は機能しない。赤信号で止まっていると、後ろの人が怒るんですって。「何で止まってる???」「赤信号じやないか」「赤が一体なんだというんだ???」。交通法規を読むことで出来ない人が運転しているというのです。ウソであって欲しい話ですが・・・・スケッチは遺跡の落日


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2012年3月26日 (月)

カンボジアという国

 ももりのカンボジアへの予備知識といえば・・・ポルポト・・・シアヌーク・・・どうもイメージが暗くて・・・


 行ってみてきたカンボジア・・・天国と地獄

 ももり達が滞在したホテルは、きれいなプールを備えた冷房完備の天国。
しかし一歩、シェムリアップから離れて、田舎へ行くと・・・そこでははだしの子供が「イチドル・・テンドル・・・」と観光客の周囲から離れない。小学校も完備してない。文字も読めない。文字が読めないから交通ルールもないにひとしい。死亡率の一位は交通事故、その次がエイズ、次は地雷・・・いまだに200万の地雷が埋まっている、以前は600万個だったが・・・地雷はほとんどが中国製。その次がロシア製


 政治が機能していない。税金無し 社会保障険無し  保険無し  ・・・火山なし、地震なし 台風なし・・・


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 これほどの観光客を集めるアンコールワット。そこはホテルのオーナーの私有で、膨大な観光収入は何処へ消えているのか???誰も知らない。


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2012年3月23日 (金)

なかった予知能力

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 しばらくご無沙汰してしまいました。
カンボジアから無事に帰宅しました。気球も落ちず・・相棒の予知能力はどうやらなかったようです。
ご心配してくださった方々には、ほんと、もうしわけないです。


我が家には、どうもイタズラ妖精が住み着いるようです。時々、物を隠したりイタズラをしたりします。
 今回、パソコン画面が真っ白に!!!以前習っていたパソコン教室の校長先生が来てくださって・・・さ・あ・あ・・・2分???で、もう、チャアンと解決。書き込めるようになりました。

 カンボジアから無事に帰宅したのはおととい、水曜日の朝。その日、ガチガチになった体をちょっとほぐそうと、プールへ。1キロ歩いて1・5キロ泳ぎました。快調!!!

 翌朝、6時半に家を出て愛宕山へ。嵐山駅から歩いてトンネルをぬけて、清滝へ。愛宕山の7合目まで登り、水尾へ・・・これは相棒の介護登山。は・は・は・・・相棒が又々、屋久島へ登ろうというので、体を慣らしているんです。ちょうど屋久島の登山道と同じくらいのきつさと長さなんですってさ。スケッチは初春の清滝

 カンボジアについては、後ほど・・・遺跡って絵にはしにくいなあ。
 

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2012年3月16日 (金)

「カーネーション」

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 「カーネーション」まあ・・・最近、これほどはまったドラマはないくらいに夢中でした。朝が楽しみです。
寝る前に「さあ・・・明日の朝は・・・」と思いながら夢路に・・・てな具合

 まあぁ・・・今も楽しみではありますけど・・・・どうも・・・・主人公のあの細い鼻骨が気に入らないなあ。あの鼻相は、大あねご肌の世話好き、勝負師の鼻梁ではないわなあ。

 それにぃ・・・ももり71才。糸ちゃん、72才。あんなに、年寄りくさないわぁああ。尤も、ヒアルロン酸の膝注射やらプールで泳いだりしてない時代の人やから・・・・ももりもあんなもんなんかなあ


 それにしても、戦争の始まった年に生まれたももりにとっては、戦後の貧しさ、食糧難、パンパン、闇市・・・はやっていた流行歌・・・ゼエーンブ、全部、なつかしく、切なくて。まろやかな、でも端切れのいい河内弁のたんかにうっとり夢みてたのです。
 

 あんまりTVを見ないももりですけど、今日は「徹子の部屋」を見なくっちゃ。メリル・ストリープさんが昨日に続いて出演されます。
 昨日はサッチャー前首相が「徹子の部屋」に出られたときの映像もあって、ずっしりと重い内容でした。女性としての首相の地位の重さ・・・チャーチルは、実はよく泣いた・・・しかし、サッチャーは女であるゆえに泣けなかった・・・・う・う・・・ん。やっぱりエライッ!!!

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2012年3月15日 (木)

予知能力はあるか

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先日真夜中、相棒が大きな声で叫びました。「ケッタイな夢見た」
何でも私が死んで棺おけに入ってる。「あ・あ・あ・・死んだか」と思って見てたら、眼を開いた
「ところがおかしいことに、もう一人死んでんねん。二人も葬式出さんなんとは大変やなあ」と思ったとこで目が覚めた・・・

 間もなくカンボジアへいくんですけど、気球に乗って上空から遺跡を見るとか???ひょっとして、これ相棒の予知能力やろか???としたら二人とは??? 

相棒に予知能力があるとして???誰も知ってくれる人はいないわけで・・・というわけで、ここに書いておきましょう。 


 気球には別々に乗らなくっちゃ

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「スピリットベアーに触れた旅」

間もなく旅。カンボジアへ。これは相棒の好みです。ももりはアジアは苦手です。こっぴどくおなかをこわして以来、どうもアジアは怖い。なんと言ったってヨーロッパが好きなんですが、これは子供の時に読みふけった王様やお姫様の物語の延長なんでしょうね。


 お話が変わりますが、下の本、図書館で借りて読みました。毎日新聞児童読書感想文のコンクールの受賞作文から興味を持ちました。


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 あなたは行きかう人が、すれちがいざま、突然キレて怒り出すのではないかとか、ふっと想像することはありませんか?

 最近、怒りに満ちてパンパンになった人が大勢いるような気がしませんか?


 カッとなると自分を抑えられない。理由もない攻撃欲。親から受けた暴力のせいかもしれないが・・・

 


 本はアラスカの無人島に送り込まれた少年。今まで、何度も暴力沙汰を繰り返しています。制御できない怒りはクラスメートに重い障害を残してしまいました。更正の可能性を信じて、少年をこの無人島へ送り込んだ監察官2人。

 アメリカにはこんな活動があるのでしょうか。
ももりはどこか運命論者で、人間の性格や能力は育て方で余り変わらないような気がするのですが・・・・最近、ゾッとするような事件があまりに多いです。無人島へ送り込めるものなら、どんどん送り込みたいくらいです。

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2012年3月14日 (水)

「マリー・アントワネットの宮廷画家」こぼれ話

 この本の面白い所は、他の本にない数々のこぼれ話でした。まああ・・・ご存知の方の多いと思いますが・・・書いてみましょう。


マリー・アントワネット・・・15才でオーストリアの宮廷からフランスへお興し入れします。母親は、かのオーストリアの国母、マリア・テレジア

 フランスは長い外国との戦いや、アメリカ独立戦争への肩入れなどから、財政は破綻状態です。マリ-アントワネットは、賭け事やお洒落が大好き。決して賢母でも良妻でもありませんでした。しかし、夫ルイ16世の包茎手術の後に、4人の子供を生んだころから、遊びは影をひそめ、静かな家庭夫人に変貌していきます。しかし、あまりにも贅沢なヴェルサイユ宮殿や貴族の生活の下の大衆の飢餓は、せっぱつまっていて、革命が迫っています。マリー・アントワネットは「赤字夫人」とおおっぴらに影口を叩かれています。下は次男ルイと長女テレーズ。この無心な二人のおさな子にも苛酷な運命がせまっています。


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 23才   第一子 マリー・テレーズ王女誕生
 26才   第ニ子 ルイ・ジョセフ皇太子誕生
 30才   第三子 ルイ・シャルル誕生
 36才   第四子 ソフィー王女誕生するが夭逝
 絵はマリー・テレーズとルイシャルル


 マリー・アントワネットの宮廷に画家として招かれたマリー・ルイーズも又、25才で娘を生んでいます。若き母親同士、二人は、本当に親密だったことでしょう。


 第二子ジョセフは脊椎カリエス・・・・王位を継ぐはずの子です。自分が子供を顧みず遊んでいたと激し く後悔して苦しみます。この皇子は革命の年、1789年に死亡。革命のほんの一月前でした。暖かいお布団の中で死ねてかえって幸せだったでしょう。

 第三子は、ルイ・シャルル。革命で王が処刑されてのち、タンプル塔で引き離され、同じ塔の別の階で革命軍の 靴屋に育てられています。「大きな声で、あの”ばいた”・・・とか、教えられたままに大声で自分をののしってい稚い子の声を王妃はどんな気持ちで聞いたか。
 第一子ルイーズ王女は、両親の国王夫妻処刑のあと忘れられ、タンプル塔に取り残されます。革命政府が倒 れた後、18才で塔から出されたときは言葉も忘れていたという悲劇の王女。後、皇太后となるが、笑ったことはなかったといわれます。王政復古下の苛酷な復讐で多くの人間がろくな裁判もなく殺されました。
 第四子ソフィー王女は出産後に死亡か???王妃も産後のからだを酷くこわしています。先日アップした王妃と子供達の写真、空のベッドを指差しているのはソフィーのことのようです


 革命に継ぐ諸外国との戦いで、あの時、ナポレオンが現れなかったらフランスは今のようにあったか???どうも、好きになれないナポレオン。金の為なら老婦人の愛人にもなる・・・しかし・・・ア・ア・ア・・・フランスに行きたい!!!
 

 ルイーズは革命からナポレオンの帝政、王政復古を生き抜いて82才で静かに世を去りました。死の直前まで絵筆を放さなかったというから、やっぱりエライッ!!!

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2012年3月12日 (月)

売れる絵描きとその悲劇「ルイーズ・ヴィジェ・ルブランの生涯」

 ルイ16世の一家に気に入られたルイーズは、王と王弟、アルトワ伯以外の王家の家族の肖像画を描きました。当代一の売れっ子、美貌の女流画家、ルイーズがその生涯に描いた肖像画は660点以上。風景画は200点以上ですって。ももりには、これほどの多作はピカソくらいしか思い浮かびません。

 しかし・・・彼女は同じ世代のゴヤのようには、歴史に残らなかった。
顧客の貴族がたとえ豚のように太って醜くても、そこそこには描く必要があったから・・・これってつらいよねえ。


 ボーボワールなんかは「ナルシズム」と決めつけて貶めているようですが・・・・絵描きだって霞を食って生きてるわけじゃないんだから・・・ももりは同情します。


 1789年7月14日、革命勃発に日の真夜中、ルイーズは命がけのパリ脱出を果たします。しかし、王妃一家を見捨てるようにパリを去ったことは、後々、彼女を深く苦しめることになります。限りなく優しかったマリー・ナントワネット王妃・・・。
 落ち延びた各地の貴族からの依頼を受けて描き続け、描くことによって生きていきます。なんと・・・エカテリーナにも会いますし、ナポレオンにすら会って、彼の妹の肖像画も描いています


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 上はマリー・アントワネット・・・この絵はルイーズの自信作でしたが、サロンに展示されるや「赤字夫人にご注意」というビラをはりつけられて、ショックのあまり寝込んでしまいます。

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2012年3月 8日 (木)

京都水彩展  京都市美術館

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 「京都水彩展」は京都市美術館2F  3月11日まで
お仲間も出品しています。おついでがありましたらゼヒゼヒ

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2012年3月 7日 (水)

「マリー・アントワネットの宮廷画家 ルイーズ・ルブランの生涯」

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 ご存知マリーアントワネット。ももりはこの王妃をちっとも好きではありませんけれど、図書館でふと目にした本です。こんな絵描きが、彼女を描いていた!!!

 マリー・アントワネット      1755年11月2日生まれ
 ルイーズ・ヴィジェ・ルブラン   1755年4月2日生まれ

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 ルイーズは絵描きの父にならって、16才では、もう、名の知られた肖像画絵描きでした。21才で王妃の絵の模写をして宮廷に招かれ、王家一家と近しく付き合うことになります。上の絵は、マリー・アントワネットに関する本には必ず出てきますが、この絵を描いたのが彼女です。王妃が三人の子と一緒にいますから、二人は31才でしょう。

 本は決して読みやすくありません。研究論文のように作品目録が次々と出てきて、膨大な人物像にはつきあいきれませんし、年代も錯綜します。が、画家の記憶にある王妃の思い出は優しく甘い。息子の死から革命へと悲劇がせまる中、何点か製作していきます。絵描き自身も大変な美貌だったようで下が自画像です。

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 藤本ひとみさんあたりが書いてくれたら、そっりゃあ・・・もう・・・面白い本になりそうですが・・・明日から少しももりが要約して書いてみましょうか。できるかな???

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京都水彩展  昨日から 京都市美術館

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 昨日から京都市美術館にて「第29回京都水彩展」を開催しています。ももりをはじめ、お仲間も出品しています。お近くへお出での際はぜひぜひ・・・

 会場の写真でも載せたいと思いつつ・・・明日にでも写真を撮ってきましょう。


 最近、どうも気分が晴れやかでなく、絵も暗い・・・ンですよ・・・見てくださる方には申し訳ないんですけど・・・

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2012年3月 2日 (金)

春 春 春・・・

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今日は雨、やっと少しあたたかでホッとします。暖かい空気と冷たい空気が入れかわる季節なんでしょうね。寒いのはイ・ヤ。春の息吹きのなんてうれしいことでしょう。

 最近ブログ、サボリがちです。一応、絵日記なので絵がないとアップできない。あれほど描きまくる、マクル・・・「この、マ・ク・ル・って言う部分だけが自分の良いところ」なんて言ってたのに・・・・絵がないなんて・・・スケッチは古い画帳からのもの・・・・こういう状態は始めてかもしれないなあ

 皆様、コメントにお返事してなくて本当に申し訳ありません。

 旅にでも・・・・・・ネ

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2012年2月22日 (水)

哲学ばあちゃん

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 絵はある意味、自分自身を投影しているのでしょうね。まもなく出品しようとしている「生きる」

 まだまだ若い、女になりきっていないような母親・・・庇護もなく、子供と路上に座り込む。旅をしていると、しばしば目にする貧しさ・・・日本とは、違う貧しさ・・・しかし、彼女は歯をむいて自力で生きています。売春だってなんだって、生きるためには・・・

更年期症状も、40肩も、ぎっくり腰も、アレルギーも花粉症も知らないももりでしたが、最近、「老年期鬱」???気味でした。

 71才・・もう、ケラケラしてられない年なのでしょう。何事も笑って受け入れるなんて、大らかさを期待されてもねえ・・・本に囲まれて、独り、ボンヤリ、哲学してる気難しいばあちゃん・・・そんなばあちゃんに私はなりたい。

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2012年2月20日 (月)

新雪に輝く伏見稲荷大社

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去る16日、京都は珍しく雪。朝5時過ぎ、モゾモゾしていた相棒が「行ってくるでぇえ」と言いました。暖かい布団の中でオボロゲに聞いた声です。相棒は最近、朝に歩いているのです。「このクソ寒いのにぃ・・・」と思いましたが、何故か「わたしもぉ・・・」と答えてしまいました。

 外は真っ暗、細かい雪が街灯に照らされているところだけ降っているようにみえます。道は凍てついてツルッツル。


 「ドッチ行くのん???」
「さあ・・・伏見稲荷へでも・・・」

 キャッ!!!冗談じゃないの???「伏見稲荷までなんか歩けるの???」からだはまだ半分眠っています。「龍馬なんか、毎日歩いて往復してるんやでえ」

 家を出て2時間、伏見稲荷に着いた頃は、白々と夜が明けかけて、真っ白な新雪をかぶった山々や屋根の雪に、真っ赤な鳥居と緑の窓枠が生えてなんとも素晴らしい光景に目を見張りました

 残念ながらスケッチブックもカメラもない。ツルッツルの道をコンビにまで。インスタントカメラで撮影しました。朝日がさしたら、もっと素晴らしい写真が取れたでしょうにねえ。

 京都駅で、ホットケーキの朝食。おいしかったですよぉおお・・・

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2012年2月17日 (金)

うれしいお勉強会

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 先日は、遅ればせながらの新年会。そのあと、ももりの家で「万葉集のお勉強会」

 なんて嬉しかったことでしょう。お相手はほとんど、ももりの書の教室の生徒さん。小さな頃から付き合ってくれてる若い方々です。適宜な質問も出て、会は、本当にホントに嬉しかったです。

実は、もう一方の絵のサークルのほうは、最近、もう、さんざん・・・・
あまりにも好きなこと言われて・・・老人性鬱???になりそう・・・
 

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2012年2月15日 (水)

「日本水彩会員小品展」   銀座2丁目 東京セントラル美術館

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 ただ今、「日本水彩会員小品展」  銀座2丁目貿易センタービル5F「東京セントラル美術館」にてやっています。おついでがおありのお方はゼヒゼヒ・・・3点出品しています。


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 会場から歩いて宮城へ。ずーっと以前に、子供達が小さかった頃、小さな日の丸の旗を新聞社からもらって、「バンザーイ!!」って叫びに行ったことがあったっけ。あれは・・・八丈島からの帰りでした。この橋を渡って門の中に入ったんでしたね。


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 ここが、かの有名な「桜田門」井伊直弼の首が落ちたとこなんやねえ。

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  坂下門ってのも、ナンか聞き覚えがあったけど・・・思い出せなかったなあ

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スカイツリー見てきました

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スカイツリー見てきました。今、有楽町、貿易センタービル5F セントラル美術館にて開催中の「日本水彩展」に出品中なもんですから。ちょっと足を伸ばして見て来ました。

 会場で、「スカイツリーって何処へ行けば見られるんですか」って聞きましたら、「浅草ならね」っていうことでした。先ずは徒歩にて宮城へ。二重橋など雨の中で軽くスケッチ。東京は苦手です。でも、ここからは歩いては行けないんですから、なんとかしないと・・・有楽町から浅草橋へ。
 でも浅草橋の駅員さんは「すぐそこの地下鉄で5つ先の押上まで行くと橋の上から見える」って言うじゃありませんか。無事、スカイツリーの足元まで行けました。生憎の雨・・・でも、やっと納得・・・


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  上は出品中の小品2点。下は20号「生きる」会場内ではガラスに反射してちゃんとした写真がとれませんでした。ス・ミ・マ・セ・ン

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2012年2月10日 (金)

研究発表 万葉と山の辺の道

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 去年の秋、山之辺の道を歩いたお仲間と、明日は新年会。
と、いうことで、中学生の研究発表みたいな資料を作りました。これが・・・楽しくってねえ


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 絵の会のお仲間には「絵画史」の研究発表を計画してかなり長く我慢強くやってたんですけど・・・それがぁああ・・・ゼーンゼンお話にならなかった。興味がないとなると、大きな声で私語「あんた、あそこで会うたなあ!!!」って感じ。結局止めてしまったなあ!!あ・あ・あ・・・あんなに、面白いのにぃ。つぅまぁりぃ・・・自分の思い入れの押し付けだったか???

 明日は・・・???まあ・・・楽しみましょ。

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2012年2月 8日 (水)

マルカの長い旅

 下は、毎日新聞青少年読書感想文コンクールで興味を持った本です。

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 ナチスのユダヤ人狩り・・・いろんな映画や本で触れてはいましたが、この本は、たった一人になってしまった7才の女の子、マルカ・・・美しい金髪の可愛いマルカ・・・が、ドイツ占領下のハンガリーでどうやって生きのびたかを描いて息もつかせません。

 ハンガリーとウクライナ(当時はロシア支配下のポーランド)の国境に近い、ムンカチュの町に住む、ユダヤ人でシングルマザーの医師、ハンナ一家は、姉のミンナ、16才とマルカ。何人かのお手伝いをおいて診療所を開いています。医師ハンナは農民と違って文字も読め、ムンカカチュではなくてはならない存在であり、ドイツ人将校も患者です。ユダヤ人が片っ端から捕らえられて収容所送りにされていることは耳にしていますが、切迫感が持てないでいます。

 そんな、日常が急展開しました。ユダヤ人狩りがはじまったのです。ドイツ人将校は「今すぐお逃げなさい」と教えてくれます。着のみ着のままの逃避行が突然始まりました。

 7才のマルカはカルパチア山脈の山越えで靴擦れから化膿し、高熱を出してしまいます。殺気だつ仲間たち。ハンナは国境近い村で密かに難民の世話をしているユダヤ人一家にマルカをあずけて、一先ず先にハンガリーにむかいます。

 密かに難民を助ける・・と言っても正義なんかではない、袖に下めあての・・・密輸業者みたいな・・・・一家にかくまってもらうことになったマルカは、高熱の中、母の状況を認識します。彼女が目覚めた時は、母も姉もいませでした。

 かくまってもらうはずの家に、捜索の手が伸びるということで、見知らぬ町に連れて行かれ、置いてきぼりにされてしまったマルカ。おなかがすいて目が回りそうなマルカの前では、ご馳走や音楽が一杯の楽しげな結婚式が。フラフラと入りこんだマルカに、人々は美味しいお皿をくれましたが、警察へつきだされてしまいました。そして、牢屋からゲットーへ。そしてゲットーのユダヤ人狩り。無人となったゲットーには、それでも何人かの生きのびた子供達がいました。

 時に登場する優しい人、半分腐ったリンゴをくれた人、刑務所の隣のおばさん、パンを半切れ恵んでくれた人、ダウン症の子供をもつ農家の人。畑のにんじん・・・袋の底にこびりついていた小麦粉・・・


 ウンチをしたら、体がっぺっしゃんこになって死んでしまうと心配するマルカ。食べられるものは何でも食べ、野生動物の嗅覚をもってドイツ人の魔手から逃れ、独りで生きていきますが、やがてチフスに・・


 しかし、マルカは生きのびました。


 ユダヤ人であることを否定し、医師として誇り高く生きようとしたハンナでした。しかし、マルカの行方がわからなくなった時、全てが母であることに集中します。マルカを探しに危険をかえりみず出て行くハンナ。しかし・・・・マルカは・・・

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2012年2月 2日 (木)

ナポレオン2世

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 上は、2009年4月1日にアップした当ブログの写真からコピーしたもの。
ナポレオンはご存知コルシカ島の出身です。アジャクシオは、コルシカ島の州都でした。ナポレオンの得意の絶頂期に、叔父フェッシュと母、レティツィアが金にあかせて収集した美術品が今、アジャクシオ美術館となっています。上の絵はボッティチェルリ「聖母子と天使」

 ナポレオンの母、レティツィアは立派な女丈夫でした。ナポレオンの父、カルロとは、コルシカ独立のために戦った同志でした。当時、コルシカ島はジェノヴァの統治下にあり、ジェノヴァが島をフランスに売り渡したといいます。

 教会で産気づいたレティツィアは、自宅に帰り、入り口から3階の寝室へ行く途中で男の子を生みました。元気な赤ん坊で、自分から飛び出したといいます。ナポレオンは荒野のライオン。父カルロが命名しました。

 
 ナポレオンは35才でフランス皇帝になり、妻ジョセフィーヌも思いがけなく皇后ということになりました。
ところが、レティツィアは、このお気楽嫁が気にいらなかったのです。よく言われるように、ジョセフィーヌには先夫との間に2人の娘があり、浮気もするというお気楽な女性でしたから、レティツィアは戴冠式にも出席しなかったそうです。有名なダヴィッドが描いた戴冠式の絵に描かれているのはウソなんですって。


 さてナポレオンはエルバ島に流されますが、エルバ島でのナポレオンの生活は決して不快なものではなかったようです。母レティツィアが蓄えていた財力で宮殿に住み家来も多く、料理人もいました。

 しかし、ナポレオンは100日天下の後、今度は絶海の孤島セント・ヘレナ島に流され、結局は胃がん???で52才で死にました。母レティツィアはローマに移って84才まで長生きしたそうです。    

 ところで、ナポレオンの息子「ライヒシュタット公」はナポレオン退位の直後、6月22日から7月7日までは、ナポレオン2世だったんですって。ナポレオン失脚を受けて、弟、ブロケッシュが議会にかけ、採択されたといいます。勿論、彼はフランスにはいないわけだし彼は10才、名目だけです。
 フランスはナポレオンの死後3年で、ルイの弟を再び王にいただくこととなる。しかし・・・それは、おそるべき反動・・粛清の始まり・・・やっぱり、歴史って面白い。

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2012年1月31日 (火)

ナポレオンの孫

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上はマネ「マクシミリアンの処刑」1866年の事件の絵です。中野京子「ハプスブルグ家12の物語」光文社新書から。このブログは「ナポレオンの落とし胤・・・1」の続きです。


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 この時、メキシコで革命に巻き込まれて銃殺されたがこのお方。マクシミリアン。ナポレオンの孫・・らしい・・・です。


 先日のブログ、「ナポレオンの落とし胤・・・1」で書いた、ナポレオンの長男、ライヒシュタット公は、成長するにつれ、父、英雄ナポレオンに憧れ軍人になります。しかし、生来、虚弱であったため、無理がたたり、肺結核になってしまいました。肺結核は当時「白いペスト」と呼ばれたと、本にはあります。喀血を繰り返し、病いが重篤になっても、母は会いにも来てくれません。このマクシミリアンに同情したのが、皇帝の次男坊、カール大公のところへ嫁に来ていたゾフィー大公妃。カールはマリールイーズの弟で、つまりぃ、叔父の嫁ですよね。死の床にあるライヒシュタット公を献身的に看病したといいます。病室の二人に何があったか???

 ライヒシュタット公の死の10日ほど前、ゾフィーは2人目の子、マクシミリアンを生んだ。二人の仲は親密で、半ば公然と、マクシミリアンはライヒシュタット公の子だささやかれていたと言いますから・・・


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 「ナポレオンの孫」かもしれない・・・確かではない・・・マクシミリアンはナポレオン3世の口車にのって、革命、内戦のメキシコへやってきて・・・35才で銃殺されます。 

 ここに登場する、ナポレオオン3世。彼に関して、もう少し知りたくなってきました。現在のパリ市街を整備したとか、十余万の将兵と共にビスマルク率いるドイツ軍の捕虜になったとか・・・断片的なことしかしりませんが、相当あこぎな男だったようで・・・興味がムラムラ・・沸いてきました。読みやすくて、絵が一杯入った本がないかしら。このページの写真は、中野京子「ハプスブルグ家12の物語」光文社新書から拝借しています。

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2012年1月26日 (木)

ナポレオンのご落胤・・・1

まだ、半年も先なんですけど、チロル地方へ行こうと思います。というわけで、またゾロ、ハプスブルグ家の本を読み始めました。ウイーンは、もう3回目になりますから、ケッコウうるさいももりです。でも、改めて、読み始めると、これが、実に面白い。 


平清盛が白川法王のご落胤であったと・・・今、TVで進行中ですが・・・

 こちらは、もっと確実なナポレオンのご落胤のおはなしです。

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 ご存知ナポレオンは、フランスの皇帝になったあと、男児の跡継ぎが欲しいと、ジョセフィーヌを袖にして、ハプスブルグ家のマリー・ルイーズと結婚します。18才のマリー・ルイーズは40才の中年太りのナポレオンのもとにいやいや輿入れしました。しかし、ナポレオンの、中年男のあしらい上手にトロかされて、翌年、息子を生みます。しかし、4年後にはナポレオンは没落し、エルバ島に流されます。写真はナポレオンの息子「ちびナポレオン」後のライヒシュタット公

 エルバ島では、小さいながらもいい生活を送っていたナポレオンから、島へ来るようにと散々せっつかれても、かの女は、「近い内に参ります」と云う調子のよい返事を書きながら、さっさと実家のウイーンに息子を連れて戻ってしまいます。写真はマリー・ルイーズ

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 オーストリア皇帝フランツ2世は、この出戻り娘を受け入れ、ハプスブルグ領パルマ公国の統治者に任じます。政治は臣下のナイベルク伯爵が行ないますが。その地に出向いた彼女は二人の不義の子を生みます。お相手はナイベルク。当時カトリックでは不義の子供は認められず、秘密にされました。

 3才でウイーンにつれてこられたナポレオンの息子は「ちび・ナポレオン」とよばれ、母親には興味を示されず、乳母任せで育ちました。ナポレオンといえば、ウイーンの宮廷にとっては、伝統ある神聖ローマ帝国の王冠を奪ってしまった憎むべき天敵です。「ちび・ナポレオン」は天敵の血をくむ孫息子です。さりとて、どこぞの野心家に利用されてかつぎだされても、またまた、ナポレオン党再来の可能性もあるという厄介な存在です。「ちび・ナポレオン」は「ハプスブルグの高貴な囚人」でした。

 父、ナポレオンはセントヘレナで死に、不義の息子が公然のこととなった時、ウイーンでそれを知った「ちびナポレオン」は非常に悩みます。「ちび・ナポレオン」は成長するにつれて、父、英雄ナポレオンへに憧れます。10才のときにセントヘレナ島で死んだと聞いた「ちび・ナポレオン」は声をあげて泣いた、といいます。写真は「名画で読み解くハプスブルグ家 12の物語」光文社新書 中野京子からお借りしました。


 つづく・・・

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2012年1月21日 (土)

ワインのお値段

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 先日、相棒が招待してくれたホテルのディナー。勿論おいしかったけど・・・日本のワインって何でアンナに高いんやろ???

 グルメって「気難しい」っていう意味なんだそうですね。ももりはワインは大好きですが、気難しいわけではありません。食膳にキリッと冷えた白ワイン、いよいよ佳境に入って赤ワイン。これは、もうサイッコーです。まあ・・・しいて言えばジュースに近いようなのはうれしくない。

 先日のホテル、グラス一杯900円。しかも半分も入ってないくらい???お味は???まあ・・・「軽いよなあ」って感じ。ヨーロッパならお安いのは250円くらいからあって、しかもなみなみとついでくれます。でも、その夜は、瓶では5000円から。これ???一体、どうなってんの???

 以前、1000円のワインと1万円だったかの高級ワインを飲み比べて、どちらが高級かを当てるってTV番組がありました。たまたま見てた時、石原義純さんが出ていて「絶対これが高い。なんたって、うちは親父がワインにはうるさくって、間違えることなんか絶対ありっこない」って言いながら、安いほうをしっかり美味しいって意ってました。でも、そんなもんだろうとももりは思います。


 一本、1000円のワインで、充分のももりです。ヨーロッパに旅行したら、1~3本位はトランクに入れて密輸します。勿論、はずれなんかあったことない。


 円高でもあるんやし・・・海外で1000円も出したら、先ずはずれなしなのに・・・なんで、こう、お高くなってるの???

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2012年1月20日 (金)

愛すべき干し柿やろう

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 どうですか・・・我が家特製干し柿!!!これが・・・甘くって美味しいのよ・・・

 ももりはカラッカラに乾燥した干し柿よりも、ちょっと、モチョモチョッとしたやわらかさを残した干し柿が好きです。暮れの大忙しの日に、丹波のお山から、あい棒がどっさり渋柿を摘んで帰りました。欲につられて夜なべに皮むき。そして物干しにぶら下げて3週間。今、食べごろです。

 まはだかの 子をうらがえし 天花粉

 歳時記にあった句で、作者は知りませんが、ももりが若い母親であったころ、幼い3人の息子達にも、湯上りには、全身真っ白けに天花粉をぬりました。ポンポンって言ってましたねえ。可愛い小さなおチンコをちょっと摘まみ上げて、その後もチョンチョン

 そう・・・その後のヤツの柔らかさの時の干し柿が一番おいしい!!!

 もう、アラフォーの3人のヤロウドモはそんな事は知る由もないが・・・でもねえ・・・母親時代しっかり味わってたんですよ。そのやわらかさを・・・ネ。食べられなくってよかったねえ。

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2012年1月19日 (木)

毛糸のパッチ

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「お母さん、何か欲しいものありますか??」

「さ・あ・あ・・・別に、これといって何も欲しいものはないなあ」

「???」 

「アッ・・・そうそう、毛糸のパッチが欲しいわ。ほら、こんな黒いタイツみたいなのは、いつもはいてるけど、もっと、かわいらしいて・・・友達がこの前、はいてたんよ。ピンクやら緑のかわいらしいの・・・」

 「?・・・???あるかなあ???探してみます」

 そしてもらった71才のお誕生祝いの毛糸のパッチ。それ以来、もう、手離せません。あったかいし、かわいらしい。いくつになっても可愛らしいのってうれしいもんですねえ。写真は、もう、着る人間の体型に慣れてしまった愛情一杯のパッチ

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2012年1月18日 (水)

山の辺の道と万葉集

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 去年の秋、書道仲間と歩いた「山の辺の道」。この時のテーマは「万葉集」でした。
でも、歩くのに精一杯で、万葉集までは・・・とてもとても・・・

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 今まで、漫然と読んでいた万葉関係の本を、あらためて読み直し、たった一枚のこのパンフレットに・つめこみました。


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 新年会の後のおしゃべりタイムに・・・さ・あ・あ・・・みんな、聞いてくれるかなあ???

 まだ、出来上がっていないけど・・・。
聞いてくれても聞いてくれなくても、結局、自分が一番楽しんでます。
さ・あ・あ・・今から、もう一回、図書館へ、。

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2012年1月12日 (木)

世界三大料理・・・4大料理・・・

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 世界三大料理といえば、フランス、中国、トルコ・・・
 世界4大料理といえば・・・三大料理にプラスすることイタリア?・・又はレバノン?・・・ひょっとして韓国???あ・れ・れ・・・日本料理は???入ってない。

 ももりの感じでは、日本料理は素材がおいしすぎて、料理といえるほどの工夫がない???のかもしれません。中国料理なんかは4本足で食べないのは椅子だけっていうらしい。つぅまぁりぃ・・・食べるってことが日本よりはるかに困難な状態で、口に入るものなら何でも食べるっていう工夫が、とんでもなく手のかかる工夫を編み出したのではないかしら。熊の足だって燕の巣だって・・・なんだって食べる・・・飢えとの戦いの激しさ・・・が背景にありそう・・・

 旅が好きなももりですが、食については淡白です。でも、最近は日本料理にはテンと興味がありません。魚料理は釣りキチのがイッチおいしい。お肉は、これは、もう、お店次第。肉次第です。

 シリア、ヨルダンの旅、ももりはとても美味しいと感じました。正しく文明の十字路と云う感じです。
 「あ、れ、れ???アフリカか???クスクスがある」「あ、これはインド???ちょっとカレーみたいな味がする」「あ、これは、もう、しっかり地中海。オリーブオイルとニンニク」「これは・・・ヨーロッパ、チーズとバター・・・」工夫の奥の手は限りないって感じでした。


 思うに、料理には理解力も必要です。無い物ねだりはいけません。総じて男性は頑固なようで、「日本料理と日本酒以外は・・ヘッ」と云う面々が多いようです。我が家の相棒も頑固な国粋主義者です。


 どんな環境にあっても、そこにある素材を使って、それぞれにおいしいものを創造する・・・人間の智恵こそが料理なんでしょうねえ。

 ということで、ももりは冷蔵庫の残り物で・・・・さ・あ・あ・・何か・・・創造できるか???

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2012年1月11日 (水)

無事で・・・なにより

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 先日10年ぶりくらいでドックを受け、胃カメラで細胞診されてしまいました。
「さては・・・おいでなすったか??」といやな気分。我が家はガン家系といえるでしょう。そうじて短命です。父は胃がん。兄二人もなくなり、次はももりの番・・・あ・あ・あ・・・・
 

 「まあ・・・胃炎はありますが、今の処、心配ありません」ですって。
あ・あ・あ・・・良かった。まだ当分、憎まれ口がきけそうですぞ。

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2012年1月 9日 (月)

釣りキチの「漢(おとこ)のぉお・・・釣り料理」

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さ・あ・あ・・・釣りキチの「おとこのぉおお・・・釣り料理」全開です。
左はまいたけのアンチョビソースをかけたサンノジ。右はサンノジのカルパッチョ


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 サンノジはちょっとクセがあるって釣りキチはトマトソースのあんかけ。おいしかったのよねえ。右は姫鯛のお刺身。おいしすぎて、うっかり写真撮る前に食べちゃったんです。

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 今夜は、兄達を招待して鍋。お酒が凄い!!!越の寒梅と雪中梅・・・ときますよ。


 さ・ア・ア・・・まだチルドに残ってるのが少し。釣りキチ特性干物。イカゲソの塩焼きもいいなあ。

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2012年1月 7日 (土)

我が家の大漁旗

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 釣りキチがご機嫌で帰還しました。土佐まではるばる出かけて・・・ここまで来ると、もう、立派な釣り「キチ」でしょう。母親としてはお嫁さんを釣ってほしいんですけど・・・

 ヒメダイ、赤イサギ、あおりいか、サンノジ グレ・・・他小物・・・
目は暗いところでとったもんですから光を反射していますが、そりゃあ・・・実物はキラキラですよ。

  

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 釣りキチいわく・・・ヒメダイは高級魚なんだそうで、43センチですって。
さ・あ・あ・・これから釣りキチの料理の腕の見せ所です。
 

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2012年1月 5日 (木)

さあ・・・新年は始動する

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 皆様、お年賀状やご挨拶を有難うございました。今年も宜しくお願い致します。

 相棒は仕事にでました。ももりも今日は初けいこ。
 釣りキチは有給休暇とかで、足摺攻略。1日の夜から高知県に出かけ、「今、中浜万次郎の生まれた浜で釣ってるでエ」とか、「こっちも雪や」とか気楽な電話が時々入ります。もう、40近い男なんですから、いらん心配はしないことに決めて、まあ・・・初志貫徹してもらいましょう。先ほどは「もう、エエ加減飽きた」ですってサ。こうして、又、苦しい激務に戻るのですね。


 久しぶりの一人ぼっちの家。これって、ホント、なんてうれしい!!!


 最近、ブログさぼりガチ。というのがスケッチがないからなんです。と、いうことで、この松は古い画集からの埋めぐさです。

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2011年12月31日 (土)

あけましておめでとうございます。

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 皆様、あけましておめでとうございます。本年が良い年でありますように祈ります。
あ・あ・あ・・あ・・・天は高すぎるけど・・・のぼり続ける努力はいたしましょう。

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2011年12月22日 (木)

溶けたクレヨン

 今朝の朝ドラ「カーネーション」・・・


「生まれたときから戦争で、きれいなもんやら楽しいもんを ちいーっとも知らん子なんやもんなあ」主人公、糸子のセリフです。なんて名前だったか???

 

 ももりは1941年1月生まれ。その年の12月に戦争は始まりましたので戦前生まれです。糸子が、絵が好きな娘に買い与えた、当時は貴重なお絵描き帳と色えんぴつに・・・思わず、胸キュン!!!ホーラ、こんないにきれいな色いっぱい!!!


 ももりも小さい時から絵が好きで、よくクレヨンを買ってもらっていたことを思い出します。しまい忘れて縁側におきっぱなしにしたら、クレヨンは日に溶けて、一体になってしまっていた・・・貴重なクレヨン。そんな粗悪品???色も、たしか、9色だったか8色だったか???大きくなっても、8色あればどんな色も出せるんだと思い込んでいました。


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 今、こうして、絵を楽しんで、自由に描けるってどんなに贅沢でうれしいことか・・・
そして、今はなき両親に・・・そして、相棒にも・・ひたすら感謝・・・です。

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2011年12月21日 (水)

もう、悪口は言わないピカソ

 あれは・・・1992年か???マドリッドで個展をする打ち合わせのための旅・・・ルカの事件が起きた旅でした。道を尋ねながら行ったピカソ美術館。その日は休館で、なんのへんてつもない粗末な扉が、ガンと閉っていてガッカリ。でも・・・やっぱり、ピカソ一家は貧しかったんやって、納得したものでしたが・・・


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 今回、中に入って、その充実ぶりにあらためて驚き、「ピカソ・・・す・ば・ら・し・い・・・!!」って叫びました。ピカソ一家がバルセロナにやってきたのはピカソが14才の年。ももりの読んだ本には14才でピカソは売春宿に入りびたっていたとありました。上、スケッチは美術館の中庭から


 ももりはどちらかと云うとピカソは嫌いでした。と、言うより・・・今も好きではない。女性の敵ですから。ピカソの性欲の対象としての女性の中で不幸にならなかったのは、二人の子を生んで上手くピカソから逃げおおせたジャックリーヌだけ。ジャックリーヌは、後に再婚して健康な生涯を送っています。

 しかし、少なくとも、6人、公けに恋人といわれながら、ピカソの身勝手さのために泣いた女性がいます。ちょっかいを出した女性は数え切れない 


ピカソは19才でパリに出て極貧生活。しかし、その間の「青の時代」の絵には画商が付いて、すぐに金には不自由の無い生活になります。
 「薔薇色の時代」を経てキュビスム・・・若い画檀の超売れっ子です。第一人者となった得意の時代のピカソの作品にプンプンとにおいたつ、あつかましさ、傲慢・・・人もなげな投げやり・・・


 悲しみ、ためらい・・・自己の中へと回帰する内省的な悲しみや、それに耐える鬱が全く無い。描きっぱなしです。画商が隣の部屋に待っていて、なんだって喜んで、お世辞を言って、争って持って帰る・・・ももりごときが嫌うのは、ヘでもないけどねえ。


 しかし、今回バルセロナで見たのは、もっと若い時代の作品。父親が絵描きで美術教師でもあったピカソはいくつかの模写や身近な人物を残しています。
 そこに描きだされた人物の呵責のない性格描写。とても14才の少年とは思えません。
下は20年前。この時は閉館でした。時間が出来たらピカソのこと書きたいです。だって、分厚い英語の本を辞書引きながらよんだのですから・・・/strong>

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2011年12月17日 (土)

バレンシアの火祭り

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 この写真は、1998年、ここバレンシアのサン・バレンチンの春祭りの映像です。この日は、女の子はみんなキリストの花嫁になるんですって。
 我が家に1週間ほど滞在したアーティストのパメンさんが案内してくれました。この日、家庭料理をご馳走になり夜は闘牛を見ましたねえ。

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 町中に、大きな人形が飾られています。その数、なんと、200体とか・・・。それを、このサン・バレンチンの祭りの夜、火をつけて燃やす祭り「ファジャ」と呼ばれるスペイン三大祭りの一つです。
 人形はとても大きいもので木造家屋が密集する日本では考えられない、石造りの町ならではの行事です。でも、さすがに防水布が大きく掛けられてはいます。私達が陣度ったのは2番目に大きな人形の前、確か???市役所広場だったような???

 夜、12時頃でしょうか。みっちり詰まった群集の真ん中に私は埋もれています。何しろ こちらの人たちは体が大きい。ももりも日本人にしては大きなほうでしょうけど、まったく、ぎゅうぎゅう詰めで身動きすらなりません。消防車がやってきて建物に水をかけ、冗談じゃない!!!群集にも水をかけます。後ずさりする群集の中で、もう、息も絶えだえ・・・・「アッ・・・肩が抜けた。イタタタッ」


 人形が燃え落ち、サッと人なみがウソのように消えうせ、気がついたら肩は無事でした。
そこここに燃え残りがくすぶる深夜の町をホテルに帰りついたのは、2時を回っていましたっけ。翌朝の飛行機は朝早く、5時にはホテルを出るという・・・マジョルカ島へ。楽しいばっかりの旅でした。旅ってつくづく楽しい!!!


 あの広場は何処やったんやろ???
マア・・・スケッチなんて、ホント 無力です。


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2011年12月16日 (金)

シエラネバダ山 見えた!!!

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 シエラネバダ・・・・スペイン語では「ラ」をきつく巻き舌でいいます。この山にはあこがれていましたねえ。なってたってひびきがいい!!!

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ローマ世界の頃のグラナダは、やはりローマ人の町でしたが、7世紀ごろ、アラブ人がやってきて定着し、1013年にはここを首都としました。アンダルシアは部族闘争に明け暮れ、セビリアやコルドバも首都でした。この頃のイスラム文化は華やかに燦然と輝いていて、しかも、当時のイスラム文化は今のイメージとは大きく違っていたようです。他の宗教にも民族にも寛容だったといいます。アルコールとかアルジブラとか・・・アルで始まる単語はイスラムに起源をもつそうです。 


 下スケッチはアルハンブラ宮殿とアルバイシンの丘。この丘の洞窟にはジプシーが住み、洞窟のフラメンコは有名ですが、私達が見たのは、町中のフラメンコでした。
 フラメンコは抑圧された民族の魂の踊り。以前、スペイン語を習っていた時、教室で、古いフラメンコの白黒映画を見たのですが、そこには、争い、殺され、怒っては踊り、死んでは踊り、泣いては踊り、喜んでは踊る・・・ジプシーたちははだしで、土煙を上げて踊っていました。エクスタシーっていうんでしょうか。


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2011年12月15日 (木)

グラナダのアルハンブラ宮殿

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 人間が進歩する???そんなことホンマかいな???。ここの古い文化は本当に凄い!!!これは、もう、魔術の領域です。木彫やタイル、、はるかに高い天井にどうして???下は相棒撮影。高い天井の木彫


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 グラナダ陥落は1492年。11年間の長い戦いでした。イサベル女王は「敵の都を落とすまでは下着を替えない」と宣言したそうで、フランスのカフェ・オ・レの薄茶色を「イサベル色」っていうそうですよ。

 イスラム教のグラナダの若き王、ボアブディル。ライオンの心を持つと言われた王の猛母、アイーサ。二人は跡目争いで長くアルハンブラ宮殿のコマレスの塔に幽閉されていたが、逃亡に成功。アイーサは気弱な息子をはげまして戦っていましたが結局敗れます。
 城の鍵がイサベル、フェルナンド両王に渡される日、両方の王達は着飾って式にのぞんだそうで、当日の絵が残っています。

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 「涙の丘」と、今も呼ばれる小高い丘があるそうで、敗者としてアフリカに渡るボアブディルに、猛母アイーサは言ったそうです。「お前は男らしく守れなかったことを女のように泣くがいい」・・・怖いおっかあやなあ。
    
 


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2011年12月14日 (水)

真っ白な町 ミハス

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 相棒はジブラルタル海峡を見たいと言っています。でもねえ・・・ジブラルタル海峡はイギリス領なんですって。やっぱり大英帝国はまだここでは頑張ってるんですねえ。
 ここミハスは、まあ・・・ジブラルタル海峡よりは少し東ですけど・・・コートダジュール(蒼い海岸)の村です。スケッチはサン・セバスチャン教会。ここはビールを頼んでゆっくりスケッチできました。


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 スケッチはよく写真集に登場する白い階段とコートダジュール


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2011年12月13日 (火)

異端審問所とスペインの暗部

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 グアダルキビル川は大西洋から内陸へと物品を運び、ここセビージャを交易の拠点として発展させました。スケッチはグアダルキビル川と以前は黄金が張られていたという黄金の塔

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 スケッチは買い物の為に立ち寄ったお店の前から見るヒラルダの塔。買い物よりも早くあそこに行きたい!!!

 大聖堂とヒラルダの塔はスケッチする時間なし。この塔のてっぺんまでの傾斜を100メートル登りました。そっりゃあ!!!展望のすばらしかったこと!!!

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  あ・あ・あ・・・・登ってきた以上は降りなあかん・・・膝には下りがつらいのよねえ。 

1480年にセビリアに異端審問所が作られて、1516年までに6000人から7000人が火刑にあい、1492年のユダヤ人追放令では約25万人のユダヤ人がスペインを離れたといいます。その大半は現在のイラン、イラクへいったとか。一部はベルギー、ギリシャへ。このユダヤ人追放が経済を失墜させる原因となります。
 スペインがヨーロッパでも最も激しかったというこの異端審問。魔女ときめつけられて何人が火あぶりにされた???魔女なんて・・・そんんなのいるか・あ・・・・サンチアゴ巡礼道のホントに鄙びた小さな村でも、村の中心には柱があって、そこを通る時、いつも「ア・ア・ア・・・ここで火あぶりされた女の人がいたんやろなあ」って思ったものでした。今なら・・・さしずめ???ももりも・・・マジョ???結局、憎むべきは、それを許したバチカンです。


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 スケッチは万博のために造られたスペイン広場で、これはまだ新しい

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2011年12月12日 (月)

コルドバにて

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 曲がりくねった細い道、真っ白な壁に一杯お花をかざったユダヤ人街は今はおみやげ屋さんでにぎわっています。前は、もっと家の中庭までのぞけたような記憶があるけど・・・


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 まったく・・・ローマ人てのは土木工事技術の天才!!!。今でも大型トラックが通っているローマ橋とグワダルキビル川

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2011年12月11日 (日)

コルドバのメスキータ

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 ここは以前にも来ていますが、なんとしても描けないこの美しさ。アラブ人の作った教会。メスキータとはモスクのことです。
 「ひと夜 明ければ 国が 見え」・・・1492年、レコンキスタ、つまりぃ、Re conquesut 再征服・・・がなりました。イサベルとフェルナンド両王がスペインからイスラム教徒を追い出してキリスト教国に統一したのです。
 でも、当時のイスラム教は今日とイメージが全然違っていたようで、他の宗教にも寛容であり、学問、文化ははるかにキリスト教世界より進んでいたそうです。
 どうですか・・・・この甘い色彩と美しい列柱・・・素晴らしい木彫、色タイル・・・


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  モスクの上に造られたキリスト教の礼拝所。ここはキンキラです。


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 上はメスキータの入口を入った所。オレンジが街路樹としても庭木としてもたわわに実のっています。

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2011年12月10日 (土)

霧の中の風車・・・コンスエグラ

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 ここ、ラ・マンチャ地方・・・以前、TVで見たのですが、サフランで有名な土地です。地面にへばりついて咲く小さな白い花。その花のほんの3~4本のめしべ??おしべかも??を乾燥させたのが高価なサフランです。ブイヤベースやパエージャとかの黄色はこのサフランです。
 一年に一度の収穫時期には、家族全員がテーブルに山と盛り上げたサフランの花から、小さなしべをとる作業にあたります。花が咲いた間、しかも、その花は1日で枯れるんですから、その日の内に作業しなくてはいけない。1日中、中腰で花を取るのもつらい仕事ですし、この花のしべ取りも大変な仕事でしょう。乾燥した大地に生えるたった一つの産物。
 この地がこんなに深い朝霧に覆われるってのは、イメージと凄くちがいまいた。


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 上は、一服した小さなお土産屋さん。この土地の土は赤味がかっています。鉄分が強いのでしょうか。そのせいでしょう。屋根も壁の色もなんともいえない甘いピンクです。こたえられないなあ!!!


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 上は霧の中の小さな村

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2011年12月 9日 (金)

夕焼けと朝やけ・・・トレド

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 ここ、カスティージャの高地、トレドは、海抜500メートルを越えます。さすが・・・夕陽も朝焼けも素晴らしい!!!
 トレドのお宿はパラドール。パラドールとは昔のお城や教会などを、今、国営宿舎にして一般人を泊まらせるというすぐれもので、なかなか予約が取れないと聞いています。サンチアゴの巡礼道ではレオンとか、サンチアゴ・デ・コンポステラとか、素晴らしいパラドールに泊まったものでした。
 ここ、トレドのパラドールは、ちょっと山小屋て感じで素朴です。仰々しい感じはありません。スケッチはパラドールの朝。霧が深い朝です。


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 上スケッチは朝もやの中のタホ川とめがね橋

 トレドはBC2世紀にはローマ人の町であったそうですが、イスラムの支配下に入り、レコンキスタで再びキリスト教世界にもどりました。572年には西ゴートの首都でした。大体マドリッドが首都となったのは新しく、4つの国に別れていたりもして、セビリアもコルドバも首都であった古い都です。それに、スペインは第二次世界大戦も第一次世界大戦も不参加で、ゲルニカは別として大規模な爆撃から逃れて、いたるところに中世が息づいています。そこが、なんともいえないスペインの魅力だと確信します。

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2011年12月 8日 (木)

マドリッドの引ったくり

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 上、スケッチはスペイン広場。ここで、以前、友人がみごとにかばんを引ったくられた!!!

 あれは、個展の下調べに行った旅でした。今回とよく似たコースで、マドリッドに3泊するというツアーに参加した時です。
 友人と朝早く、スペイン広場へ行こうとして、友人がバッグをひったくられました。それはもう・・・見事というほかない腕前で・・・友人が「ギャッ」と叫んで走り出した時、私には何が起こったかまるでわからず、ブッタマゲただけ。ヒラヒラと何かが散りました。

 前から楽しげな身振りでおしゃべりしてきていた若者二人が走っていくのが見えたのは一瞬のこと。二人は階段を上がって、あっという間もなく消えました。私も友人を追っかけて階段を上がったら、友人はしゃがみこんでいました。パスポートも現金も、トランクの鍵すらスックリ引ったくられたのです。ヒラヒラと落ちたのはバッグの紐。3重になって付いていた紐でした。友人の腕にはひどいかすり傷が・・・血がにじんでいます。

 この話は、ももりのホームページ「マドリッドのルカ」に書いています。お時間ありましたらゼヒゼヒ。
左端「山口ももりのホームページ」からお入りください。下の方ですけど。書いたことは全て事実です。

 それ以来、マドリッドは怖い。でも・・・3週間も下宿して地下鉄で個展会場に通っていたんですから。若かったんやなあ。おばさんの勇敢なのは・・・ホント・・・やることが怖い。

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 いよいよ個展をするためにやって来た時、一体どこでやられたんやろ、と、ここへ来ました。そしたら、なんと、なんと、あんな地下道を横切らなくても見事な道が王宮へと続いているのです。
 あ・あ・あ・・・「道を聞いたヤツもグルやったんや」と納得・・・う・う・・・ん。怖い!!!おのおのがた、くれぐれも ご油断めさるな!!!

 結局、その時も、スペイン広場へ行く勇気はなく、王宮を見学して終わり。今回始めてセルバンテスの像と、ドンキホーテとサンチョ・パンサに会えました。やれやれ・・・

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2011年12月 7日 (水)

優秀なる記憶忘却装置

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マドリッドはあまり大きな街でもないし、以前、セッセと歩き回ったクセに、なんと、なんと、始めて歩くように新鮮です。忘れるって、ええことやんか!!

 プラド美術館・・・これがやっぱり凄かった。最近横着になって余り美術館を訪れないももりですが、あらためて圧倒されました。
 特に、行く前に読んでいた、小西章子「スペイン女王イサベル」の登場人物たちとのご対面が、ひたすらうれしかった。一途に国のために働いたカステージャの女王イサベル。結婚のお相手のアラゴンの王子、フェルナンド・・・狂ってしまった次女ファーナ・・・誰にも相手にされなかったコロンブスの航海の資金援助を決断したのがこのイサベル女王です。

この二人の王が、レコンキスタとよばれる国内統一をなしとげました。長年、4つの国に分かれ争っていたスペインを統一、コロンブスの新大陸発見の後の富・・・世界帝国にのぼりつめるはじめでした。


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  写真は美男王フィリップの女性関係に狂い、その死後、棺おけをかついで国中をさすらったという女王、ファーナ。しかし彼女の孫カルロスが神聖ローマ帝国皇帝となり???たしか・・・記憶忘却装置が働いてたらお許しを??後ほど、ゆっくり調べなおしてご報告しましょう 


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 上スケッチはサン・フェロニモス教会。スペイン王家は近親結婚による悪影響が強く出て、フェリーペ3世、4世、そしてカルロス2世と精神的にも肉体的にも虚弱な王が続いたそうで、その頼りなげ狂った王達にも対面してきました。栄光と悲劇って常に同居してるのよねえ。
 ここ、マドリッドはフェリーペ2世によって、首都とされた、とあります。

 少し前、7月24日です。ゴヤのことを取りあげたカルロス4世の家族、あの強欲なイサベルにも会ってきましたし、アホのカルロス4世も見てきました。同じくゴヤのナポレオンの侵略で虐殺される民衆の絵も見ました。 案内してくれたガイド氏は、もっぱらエル・グレコ・・・でした。 

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2011年12月 6日 (火)

チリモヤとスペイン

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 上、スケッチはチリモヤ。ももりはマドリッドで個展をしたことがあり、その時、3週間ほど下宿をしました。生涯、サイッコーの思い出ですが、その時食べたのがチリモヤ。今回、又、見つけて食べました。ちょっとヨーグルトみたいなお味。黒い1センチほどの種がいくつもあります。日本ではあまり見ないなあ。

 スペインは、7回目???8回目かも???友人の企画したマルセイユでのジャパンウイークの旅は、バルセロナからコートダジュールをフランスへ。ももりのマドリッドの個展の下調べには今回とほぼ同じコースのツアーに参加しました。でも、相棒はこのコースは始めてです。
 マヨルカ島とバレンシアの火祭りにも行ったし、2000年にはキリスト生誕記念とて5日間巡礼道を歩きました。今年7月にもピレネーを越えてサンチアゴへ、バスで旅しています。

 スペイン・・・何度行っても素晴らしい国!!!重い歴史、そのわりに人なつっこく、陽気なスペイン人。経済不安なんぞ何処にあるかって感じのクリスマスイルミネーションも見てきました。あ・あ・あ・・・もっといたいけど・・・

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 スペイン広場。手前はドン・キホーテとサンチョ・パンサの像。後セルバンテス。この近くで、20年前、友人がバッグをスッパリと引ったくられました。そのことは、又、後ほど・・・後ほど・・

 チリモヤについて、kazuyoo様から、ページの紹介を頂きました。興味があるお方はゼヒゼヒ
    http://www.botanic.jp/class/banrei.htm

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