2017年3月26日 (日)

おおみえを きったザルカゴ

 人を売り 嘘も平気の 教育者


  100万円 くれた恩人 売りわたし

  アッキーも 野党も カゴにだまされる

  かつぎあげ 金を集めた ひとを売る

  

  ザルカゴの 校舎破れて  春寒し


空からミサイルが降ってくるかも???というのに バカバカしい!!!教育者が聞いてあきれるウソツキ!!!ザルカゴ。学校を作るってんだから・・・
 

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2017年3月21日 (火)

今日から 「京都水彩展」

 昨日は展示作業。京都市美術館は、間もなく改装にはいるということで、毎年よりも一室少なく、すし詰め展示です。昨日、カメラは不調。写真はありません。絵は美術館にてどうぞ・・・申し訳ない!!!スミマセン。

普段なら美術館の常設展とか、特別展とかのお部屋で、ももりの絵はガラスケースの中。もう二度と、ガラスケースの中に入るなんてことはないでしょう。ガラスケースの部屋は作品保護のため、照明がすくなくて、派手な作品はなんとか・・・地味で深刻な色調の絵はちょっと不利です。ももりは????

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2017年3月19日 (日)

火曜日から・・「京都水彩展」

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 明日は美術館へ、展示作業です。あさってから「京都水彩展」ももりの会場当番は日曜日、2時からです。
おついでがあればゼヒゼヒ。

 先日来、もお・お・・・、取り返しのつかない大チョンボをしておちこんでいました。



 この3月で、19年間続けたことになる、月2回の絵の教室。会場の園部公民館が耐震工事に入るということで、教室をやめることにきめました。実際、年齢的にも家庭的にもかなりな無理を感じていたのです。
 そこで・・・皆さまがお別れ会をしてくださることになり・・・それを失念。ちょっとした相棒とのイザコザに気をとられて・・・・なんと、なんと・・・いうことでしょう。行き忘れたのです。大腸癌の術後も、抗がん剤治療でシンドイ時も、相棒の脳溢血にも、次男の死にすら、黙々と行っていた教室を、最後の土壇場で・・・・


 も・お・お・・・かえすがえすも口惜しく・・・
すっかり落ち込んでいました。でも・・・押し入れにある何枚かの絵をもらっていただこうと、額に入れて謝罪のしるしにすることに決めて、昨日、額屋に依頼。ホッとして、商店街をママチャリでボーッと。そしたら・・・・この超ド派手な服を人形が着ていたのです。6900円・・・エイッ。


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 どうですか・・・・ちょっと勇気がいりますけど・・・「オッ!!!」って笑ってくれるかしら???

 落ち込んでも支えてくれるのは、やっぱり本!!!そして・・・このド派手な服???

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2017年3月 6日 (月)

新米歴女

 ももりがえらそうな口をきいて、古代史をウンヌンするようになったのは、実はホンの、この2か~3年のことなんです。相棒が脳溢血で、車いす生活になり、海外旅行はおろか国内旅行すら思うにまかせなくなってから、ってのが正直なところです。


 それまでの、ももりの関心はもっぱら西洋美術史・・・大学時代の授業で「これは本物を見ないとわからない」と思った時から旅は生活の一部でした。ともかく現物を見たいと、時間、お金のゆるすかぎり旅もしてきたつもりです。ま・あ・あ・・・・日本史よりは西洋史の方がラクって感じでした。

 その中で、興味をもちつづけたのは万葉集。これはむつかしすぎます。


  今の関心は、藤原不比等。持統、文武、元明、元正・・・この時期、全くといっていいほど表に立たない「黒子」役者・・・藤原不比等。彼を知らなければ・・・・天皇を神にしたてたのは彼。
 彼は凄い!!!古事記の編纂も、日本書記も、大宝律令も・・・すべてに彼の影がさしながら、自らはおもてには出ない。天皇を神にしたてたのは、彼の他にはいない・・・というのが新米歴女ももりの見解です。息子たちになると、もう、目立ちたがりの権力欲の強いいばりたがり。


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 少し暖かくなるとお尻がムズムズ。鳥羽離宮跡をたずねてみました。今は広い公園だけ。そのあと、城南宮へ。ここの枝垂れ梅は有名です。


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 下は大好きな梅宮大社

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2017年2月21日 (火)

対決 光明子

これは一体????
ちょっとめんどうなお話なので、興味のないお方はスルー、スルー お願いいたします。

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 橘諸兄・・・彼は美努王(みぬのおう)と県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)の子のはず・・・・
ところが・・・・・「聖武天皇」中西進には・・・・
 諸兄は美努王の妻であった県犬養三千代の子、いわゆる5世の王であって(王家の子孫)天平8年11月に橘の姓を賜って臣籍に降下する以前は、葛城王と呼ばれていた。藤原不比等との間の子供である????ですって????


 そのあとも何度も、諸兄は不比等の子とあって!!!え?え?え???れはおかしい!!!んじゃない???それじゃあ、光明子と兄弟ってことになるじゃないの。確かに義兄弟ではある。母は同じ県犬養三千代、後、橘姓をたまわって、橘三千代と名のった人物。先夫、美努王を左遷させた上で、不比等が近づいて、光明子を生んだはず。営々と続いた藤原氏の基盤を、周到に王家にまつわりつかせた曲者中の大曲者、不比等。だから諸兄は先夫の子。光明子とは父が違うはず。
 最先端の売れっ子学者先生、中西先生・・・あ・あ・あ・・・・聞きたいなあ???


 作家によって、いろいろ解釈ができる程度に古代史は不明瞭な部分を残してるから、かえって創造・・想像力で補えて、スト-リーを作れるってことですよね。


 でも・・・葉室麟「緋の天空」 これはひどい!!!唐鬼という鬼が呪(しゅ)をかけて光明子と対決。これは光明子の圧勝・・・てんですから、非科学的でありすぎる。

 ア・ア・ア・・・・・・自分で小説が書けたらなあ!!!!な・あ・ん・て・ね。

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 スケッチは梅宮大社。橘諸兄と橘三千代母子によって発願された神社です。もちろん・・・大昔のままのではないでしょうけど…家からはママチャリで25分。ちょっと寒いけど・・・行こうか???
 梅はもっちろん!!!素晴らしいにちがいないんです。

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2017年2月14日 (火)

「キサキの大仏」奥山景布子(きょうこ)

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 「キサキの大仏」も・お・お・・・・おもしろいのよねえ。昨日借りてきて、一晩でほとんど読了。
正倉院、天平時代・・・学者先生方の書かれたものは、いくらやさしくわかりやすく書いていただいてても、コチトラの頭には、なっかなかぁ・・・ね。

 ついに、ついに…小説仕立ての天平時代を図書館でさがしました。 今は・・・もう、ももりのイメージはすっかりふくらんで、できることなら、自分で小説を書きたいくらいです。
 聖武天皇、光明皇后、二人の娘、阿部内親王、後の孝謙女帝。藤原仲麻呂・・・複雑な血脈の流れや、時代の区切りが、大丈夫!!!頭に入っています。

 あらためて・・・ふうーん・・・・よっく調べてあるなあ。こんなやったやろなあ!!!

 こういう世界がある限り・・ももりは大丈夫。冬の寒さも、相棒の介護も・・・・いろいろ・・・負けない!!!
「風土記」は児童図書館から。早く読みたぁあい!!!


 今日はバレンタインデーとか???相棒が元気だったころ、お嬢さんがたからチョコチョコもらってたものですが・・・実は、私も食べてました・・今では誰もくれないから…かわいそうですから・・・私があげます。

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2017年2月13日 (月)

お教室の新年会

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 どうですか・・・みなさん美しいでしょう???ももりのささやかな書道教室の新年会です。
「センセ 顔見て生徒さん決めてるのちがう???」って言われるくらい若くて美人ぞろいなんですよぉおお!!!
勿論、書道においてもすばらしい方々です。


 お食事は京都御所の近く。「予約のとれないお店」ティアレです。お料理は、それは、もう、おいしかったのですが、食べるのとおしゃべりに夢中で、カメラを思い出しませんでした。


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2017年2月 9日 (木)

大きなおおきな淡雪

 こおぉんな 大きな ぼたんゆき
見たこともないほど 大きな ぼたんゆき   あわゆき
      お昼 1時ころ   
      今はもう止みました


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  バケツに黒い布をかぶせて撮りました。黄色い鉛筆と比べてみてください。


 3年近く前、メキシコ旅行のあいだに、急に具合が悪くなって、帰国後、すぐ手術。大腸癌でした。やっと、半年、抗がん剤治療が終わったと思ったら、入れちがいに主人の脳溢血。びっくりして、なんとか介護しているうちに去年の次男の死・・・パソコンは、もうほったらかし。じっくりページを整えなくっちゃと思いながらもほったらかし。久しぶりに昨日いろいろ触って、かえって変になってしまいました。みなさまのページとかも・・・たどりつきにくくなって・・・ごめんなさいね。

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2017年2月 7日 (火)

光かがやいたか 光明子

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ッタクーー、全く・・・本って面白い!!!。先日書いたももりの記事をどうやら訂正しなくてはならなくなりました。光明子について・・・
・・・・確かに頭がいいとは言っているが、美人とは一言も書いてない。法華寺の十一面観音は、光明子を写したと言われるが、これは嵯峨天皇の妻の檀林皇后と混同されて生まれたのであろう・・・・と手きびしい・・・日本の歴史ーー奈良の都ーー青木和夫より

 ももりも思います。光明子は、ともかく深く仏教に帰依して、全国に国分寺、国分尼寺をたて、多くの写経をさせ、仏教に夢中でした。でもねえ・・・彼女が皇后になるためにはれっきとした皇位継承者であった長屋王の粛清がありました。王の息子4人、奥方も後をおいました。奥方は天智天皇の後裔ですのに。おなじ、長屋王の子供4人、不比等の娘、光明子の妹から生まれた4子は、おとがめなし。
 しかし・・・その後、恐れていたことが起こります。彼女を聖武の妃の座に送り込んだ藤原不比等の息子、4兄弟。あの鎌足の孫が次々と天然痘にねらい撃ちされて死んでいったのです。4月17日、次男房前、7月12日、4男麻呂、7月24日、長男武智麻呂、8月5日、三男宇合(うまかい)
 そりゃあ・・・仏教にでもすがらなくっちゃ、心の平安はえられない!!!

 

4兄弟の死んだ737年(天平9年)は5月11日、日触。この夏は旱(ひでり)で田植え時に水もなかった。
そして・・・聖武天皇の朝廷では病魔は朝廷の重臣たちにも次々にもおそいかかりました。
 おそろしい!!!

 光明子と聖武の間に阿部内親王がうまれたのは二人が18才の時。二人は同い年で、光明子をどうしても皇后の座に確定しなければならなかったのは、聖武の別の妃が同じころ、皇子を生んだからです。どうしても一族から次期天皇を出すためには、光明子を皇后にしておかなければならなかったのです。


下の「宜」の字、聖武天皇と光明子、二人とも19才、の時に生まれた第一子。阿部内親王、後の孝謙女帝のサインです。「薬が必要。もう買うこともできないから正倉院から持ちだします」「よろし!!!」とサインしてますよ。

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 長屋王は天武天皇の第一子、高市皇子の息子です。もっとも皇位に近かった人物でした。朝廷では左大臣でもありました。729年、2月10日、左道をした・・・という・・・のろいのまじないをかけたから、光明子の第一子が死んだのだ、といういいがかりをつけられて、誣告のあった翌日に殺されました。尋問したのは舎人親王と新田部親王。この二人、後の皇位継承争いに登場しますから、どうして身内をおとしめたのか??という事情もおいおいわかってきます。 
 

 光明子は、聖武天皇が死んだあと、紫微中台という部局を作ります。皇后、皇太后つきの権力基盤を確立し、それにのったのが藤原の仲麻呂。孝謙女帝の跡をついだ淳仁天皇の時、恵美押勝の名をたまわり、権力を確立しますが、あっというまに、淳仁天皇は皇座をおろされ、孝謙女帝は称徳女帝として再び玉座にもどりました。やがて、女帝の寵愛は道鏡にうつり、仲麻呂は叛旗をひるがえしますが、敗れました。
 下は道鏡、一切経を請うているようです。

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 長屋王の住まい跡は、奈良そごう百貨店ができた場所で、発掘当時、多くの木簡がでています。それらは、平城宮跡の博物館に展示保存されているそうで、ずーっと前から行きたくてたまらないのです。もう少し暖かくなったら、相棒をほったらかして、行くことに決めました。


 ももりが子供だった頃、父は毎夜、黙々と書の臨書をしていました。その前の墨だらけの真っ黒な机で、宿題などをするのが毎日でした。ある日「それ、なんて書いてあるのん???」ってききましたら「さ・あ・あ・わからん」というような返事。「わからんでもええのん???」ってききますと「ええ」って言う返事でした。
 以来、ずーっと、わからなくても読めなくてもいいと思ってやってきたのは、実に、実に、もったいないことでした。読むべきでした。お・そ・か・り・しぃ・い・い・・・

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2017年2月 3日 (金)

トップに立つ人

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トップに立つ人って・・・何より大事ですよねえ。上のは???困ります。
あまりに寒くて、お外にも出られず、パソコンをいじっていましたらこんな写真がありました。たしか・・・・バルセロナの蠟人形館だったか???お隣はブッシュさんとブレアさんみたい???トランプ氏でないのが残念です。


 
 
こう寒くてはスケッチにも出る気にもならず、おまけにカメラの調子も絶不調。修理から戻ってきましたら、なんとか???今日は節分。京都の町をフラフラしていたら、鬼に出会えるかもしれないなあ。あちこちで、鬼が出没する京都の町です。



 「きさらぎ」って言う言葉が大好き。ひびきが好き。イメージが好き。キラキラと輝きゆらぐお日さま、かすかな風のうごきが、き・さ・ら・ぎ・・です。
 

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2017年1月31日 (火)

聖武天皇と光明皇后

 

 正倉院のお宝は、光明皇后が納めた当時は740点。現在まで残っているのは、150点ほどなんだそうです。勿論、後の時代にも、多くの天皇や貴族が宝物を追納し、あるいは持ち出し、現在の正倉院のお宝の点数は一万点余・・・破損した、かけらも大切に保存され、正確な数はあげられないんだそうです。

  下は光明子「楽毅論」王羲之の臨書。光明子44才の書です。何しろ日付けがある!!!

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 下は、聖武天皇「雑記」拡大・・・どうですか!!!31才にしてこの書を書かれたというのです。この天皇の行動は破天荒で、常人ではないようですが、31才でこの書をモノする・・・凄い!!!取り巻いた周囲の人間のレベルの高さをおもいますと、驚異的です。

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光明皇后、光明子。光かがやくように美しく利発だったといいます。ご存じ、聖武天皇の奥方です。仏教に深く帰依し、施薬院を作り、孤児や病人を世話した。病人のうみを、自ら吸い取ったといわれ、これ以上慈悲深い方はいないと、ももりもどこかで聞いていました。今までの知識では、どちらかと言うと神経質で気の弱い夫、聖武、対するに、おしかけ女房のこの強い奥方。尻の下に敷かれていた???イメージでしたが、この書を見ると常人ではありません。天才!!!しかも、非常に強靭な、粘着質な、あるいは強靭すぎる???意志を感じます。その、夫の死に際しては、「これらを見ているとつらく悲しくて、耐えられないから、遺愛に品々を東大寺の献納する」と書き添えています。それらの品々を収めたのが正倉院というのです。

 しかし、一方、彼女は皇族以外から皇后になった、それまでとはちがう出自です。臣下であった藤原不比等の孫娘です。母親は県犬養美千代(あがたのいぬかいのみちよ、後の橘三千代)。皇族以外の血、藤原の血が持ち込まれました。聖武天皇の母親、宮子も、不比等の娘ですから、血は非常に濃いのです。この光明子の皇后位には強力な反対者がありました。長屋王です。長屋王は天武の息子、奥方は天智の娘です。皇位に一番近い存在であった長屋王は、突然の謀反の疑いでうむをいわさず詰問され、2日後に自害します。4人の息子も奥方も自害して果てました。そ・・し・・て・・・10年後・・・不比等の息子4人・・・次々に疱瘡でなくなりました。

 光明皇后と聖武天皇の間に11年目にしてやっと生まれた待望の第一王子、基王(名前もひょっとしたら某・・・なにがし王であったかも???)は、1歳にもみたぬ間になくなり、皇太子は娘、安倍内親王に.、後の孝謙女帝です。聖武が死んだ時はすでに、もう、この一人娘が皇位についていましたが、母娘して自分たちの身近に権力を引き付け、権力もたせたのが、藤原仲麻呂・・・・サインを見てください。この男、やがて自分の押した天皇、淳仁天皇から恵美押勝という名前をもらいます。この男が正倉院遺物の謎を握るキーポイントの人物・・・というのが、「正倉院の謎」の主張するところです。

 聖武天皇は、奈良の都から信楽宮、  恭仁宮、難波津の宮をさまよう歩くこと5年。あげくの果てに、再び奈良に大仏を造ることを実行しました。さまよう間に天皇の玉璽・・・天皇の認め印、権力の象徴・・・がどこに保持されていたのか???聖武天皇の命令によって。、信楽宮にでかけた皇位を継ぐべき安積親王のなぞの死、17才・・・聖武の一生は、実は藤原氏との戦いの生涯・・・というのが、「聖武天皇」中西進です。
 尻にしかれてた天皇様なんて、ももりは不敬罪ですよね。

 

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 結局、民衆の大変な負担の上に大仏は完成し、全国に、国分寺、国分尼寺がつくられました。


 ♪♪♪   そとは 木枯らし きたの風
 さあさ みなさん なつかしい
 おとぎ話の  冬がきた  ♪♪♪

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2017年1月29日 (日)

いつ???誰が???

 
 ちょっと、人様に読んでもらうにはトンがった中味ですが、自分のためにメモします。
どうぞ・・・興味のないお方は、どうぞ、スルー・・・・スルー・・・してくださいませ。

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 どうですか・・・・しっかり「大小王真蹟書一巻」とあるでしょう???大小王とは、王羲之と王献之父子のことです。その後ろには・・・先帝之玩好遺在・・・とあります。先帝が愛玩してたというのですね。下は左端・・王羲之・・・・の文字が見えます。

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 二十才代から書道をやって来て、なんで今まで・・・と、悔しい思いをしているのが、こういう文書を読んでみようとしなかったこと。残りの人生では時間がたりない大きなテーマが目の前に広がった感じです。


 むつかしいですけど、上の写真は東大寺献物帳5巻のうち、国歌珍宝帳とよばれる記録です。こうはっきり記録に残されているのですから、王羲之の真蹟は日本に確かにあったでしょう。日付まで「天平宝字6月1日」とあり、光明皇后の「奕世の伝珍」・・・・と書きこみがあり、藤原の署名、サイン入りです。他に、王羲之書法20巻、屏風、歐陽詢の真蹟とかもあったといいます。


 しかし・・・この正倉院に献納された、お宝の数々は、書だけでは勿論ない。政権の象徴である天皇玉璽から駅鈴、他に膨大な武器も一切収められた、そのうらには、とんでもない謀略が渦巻いていた・・・というのが「正倉院の謎」の主張です。
 読めばよむほどナットクーー!!!

 つまり・・・大仏開眼をまたずになくなった聖武天皇が、5年間にわたって、紫香楽に大仏を造ろうと民衆を狩りだし、その後、恭仁宮、難波宮へとさまよい、病を発して平城宮に戻ったあいだの政治のみだれ、民衆の苦難。叛乱もおこりました。そして、聖武天皇の死後の混沌とともに、表舞台に躍り出たのが、藤原仲麻呂・・・のちの恵美押勝・・・・しっかりとサインがあります。

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 聖武の跡をついだ孝謙女帝の側近として権力簒奪をはかり・・・しかし・・・女帝の寵愛は、やがて道教にうつり・・・果ては、叛乱・・・敗死・・・・・・当分、ドキドキが続きそうです。

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2017年1月25日 (水)

久しぶり  ゾッコンな本「正倉院の謎」

 ご存じ、奈良の正倉院。世界遺産。奈良の都に唐王朝の文化をもたらした、聖武天皇と光明皇后の天平時代。聖武天皇の死後77日に、なき天皇の遺愛の品を光明皇后が、追善供養とて、東大寺に寄進したお宝、絶品の数々を収めたお倉です。 


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 ちょっとオカターイ本ですが、そっりゃあ!!!お・も・し・ろ・い!!!

 以前アップした「書と漢字」魚住和晃をよんでいまして、「あれれ???」と思ったこと。それは正倉院の宝物、元は700点以上あったのが、現在は百数十点に減っているというのです。天皇の勅許が無ければ持ちだせないおタカラを持ちだして、返さなかったヤツがいっぱいいる。一体!!!???どこのドイツが???

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 正倉院・・そもそも、正倉院というのは、一つの建物ではなく、正倉、薬倉、油倉、経蔵とか、いくつかあって「院」とは、境内のことといいます。
 正倉院の宝物は、聖武天皇が死に(756年5月)、悲しみの光明皇后が、生前の天皇が身近において愛した品々を77忌に東大寺に奉納したおたからから始まります。同年、6月21日に一回目、2年後の7月、6月、10月と続いて、その数、700点以上あった、というのです。奉られた品々にはキチンと目録があり、「東大寺献物帳」(国歌珍宝帳)が、見事な筆跡で記録しています。その中には、もう、本家中国にはとっくになくなり、日本に何点も残った王羲之の書があった・・・といいます。

 ももりは、これでも、20才代から書道を続けてきた人間です。改めて、聖武天皇や光明皇后のお書きになった遺品を見ますと、本当にその力に驚きます。しかも、30才代で書かれたものといいますから、書いた本人も凄いですが、指導した取り巻きのレベルが凄いにちがいない!!!

 これらの書や遺品から、天平から平安への当時の精神風景が生き生きと伝わります。唐帝国がもっとも栄えた時代、日本と唐を行き来した知識人たちは、最高級の文化や学問、芸術を日本にもちこみ、日本人も必死に学んだという時代です。


 


それを・・・なんとも安易に持ち出して、ある時は安く売り払い、またはどうしたのか、ネコババして???返さなかった者が凄く多いというのです。中でも、書の絶品をなくしてしまった張本人は、嵯峨天皇!!!というじゃありませんか。・嵯峨天皇といえば京都の人間にはとてもしたしいお方です。奥嵯峨には御陵があり、ももりも何度もお会いに行った天皇様です


 嵯峨天皇、平安の三筆、空海、橘逸勢(たちばなのはやなり)とならぶ三筆の一人で、超一級の書の書き手として名を残した人ですが・・・このズボラさは、許せなぁーい!!!


夢中になる本が身のまわりにないときって・・・何ともうつろでさびしいです。多少依存症の傾向あり。この2~3日、寒さがこたえたのか久しぶりにダウン。3日程食べずに寝ていましたら、何とか、昨夜はビールをのみたくなり、ちょっと食べたくもなってきました。やっぱり、ももりはビールを飲んで、プールに行ってなくっちゃ・・・ね。


 もうちょっと書きたいけど・・・書くのも読むのもむつかしい!!!一番右の大きな本は父が所蔵していた本。ほとんどかえりみることなく本棚に死蔵してたのをひっぱりだして観察。すごい!!!それにしても、56才でなくなった父のレベルには到底至らないわが身のフ・・ト・・ク・・・

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2017年1月24日 (火)

可愛いお仲間

 サッムーイお外ですが・・・窓からこんなお客様が来てるのが見えます。雀よりはちょっと小さいみたいで、目の周りが白いから・・・メジロ???さん???

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  ホラ  向こうにもう一羽見えてます。


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 仲良く 二羽並んでおやつタイム。 こんなせまっ苦しい中京ですのに、よおくいらっしゃいました。

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2017年1月12日 (木)

おカアさん おばちゃん おばあちゃん・・

 穏やかなお正月でした。家族もそれぞれの日常に戻りました。


新年は頑張ってプールへ。
「おカアさん ようがんばるなあ!!!」って声をかけてくれたのがイケメンのおっちゃん。お隣の上級者用コースでよく見かける方です。 これがぁあ・・・もし「おばちゃん・・・」とか、勿論「おばさん」「おばはん」とか、モッチロン!!!「おばあちゃん」ならいややねえ。「おカアさん」ならいいっか???生んだ覚えはないけどね。「アリガトネ」


 お誕生日。ももり、76才。お習字の生徒さん二人姉弟、5年生と3年生からこんなかわいいプレゼントをいただきました。えりまきとストッキング。やっぱり、モダン!!!今風!!!感覚が違うってのか、ももりの身の周りのダサイのとは、まるでセンスがちがうのよねえ。うれしい!!!アリガトね。
 

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 先日、スーパーで前の人から、ハラハラと・・・???あれ・れ???5000円札じゃないの!!!
「だれかぁ!!!大きなお金落としましたよ」
 前にいた二人が何やらゴチョゴチョ。え・え・え・・???ケンカしないでよ!!!
小柄な男性とスラッとした長身のべっぴんさんの女性・・・この二人、カップルだったらしく「メッチャ ア・リ・ガ・ト」って穏やかにいきました。よかった、よかった!!!
 下は今読んでる本です。


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2017年1月 2日 (月)

あけまして

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 新年が 皆さまのすばらしい年でありますように 祈っております。

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2016年12月29日 (木)

古代ギリシャ展 神戸市立博物館

 暮れも押し詰まっていますが、やっぱり外が好き。昨日は映画「海賊と呼ばれた男」をみてきましたし、今日もマタマタ・・・・相棒を送り出してすぐに神戸へ。3時には帰っていなくてはなりません。
 実にすごい展覧会でした。地味な展示ですが、内容は濃い!!!これだけのものをよく日本へもってきてくれました。


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 ギリシャ文明の最盛期、あのパルテノン神殿が建てられたのは、実に紀元前500年代。しかし、それよりも3000年も前に栄えたミノア文明。クレタ島です。どうしてもこの島を訪ねたいとクレタ島を訪ねたのは6年年前。まだ元気でまるまる太っています。

 

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 スケッチは朝のクレタ島。イラクリオン考古学博物館こそ・・・世界で最高の博物館と信じます。小さな地方の美術館ですが、5000年も前の人間達の健やかさ、豊かさ、あふれる健康美、文化。日本ではまだ石器時代でしょうか。エーゲ海を船で縦横無尽にのりまわした海洋民族は、やがてギリシャ本土からやってきた青銅器や鉄の武器をもつミュケナイ人に滅ぼされました。

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 明日はもう少し、ももりのうんちくを・・・いえいえ・・・夢の世界をつぶやきたいなあ。
今年、食いしん坊の次男はもういないし、次男の家のおせちも必要ない。長男は大晦日に帰宅。2日にはお嫁さんの家に。釣りキチはできるだけ早く四国へ釣りに・・・今から気もそぞろです。
 二人だけのお正月には、たいしていらないしなあ!!!

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2016年12月27日 (火)

中島敦「父から子への南洋便り」

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「死者の書」の中島敦が、これは又、まるでちがった一面をみせます。彼は、南洋・・・サイパン、グアム、ロタ島などに太平洋戦争開戦の直前に派遣されますが、健康不安により帰国。南洋からせっせと妻と幼い二人の息子に送った手紙集が「父から子への南洋便り」です。
 



 これは、心洗われる一冊でした。中島敦、33才にて逝った若き天才。「李陵」「山月記」は随分前に読んでいまして、本棚から又引っぱりだしました。もう一度ゆっくり読み直しましょう。


 原文は、現地人のことを「土人」と呼んだり、「日本海軍は強いなあ」と飛行機の絵ハガキに書きそえたりしていて、戦後、出版がばかられたものとみられ、まとまって未発表で残っていた、とありました。全く、差別用語なんて・・・誰が考え出したのやら????妙にへりつくをこじつけて言葉を曲解して、多感で多彩な表現の邪魔しています。



 やっと文字が読めるようになった息子に、懇切に南国の食べ物や景色を伝えています。妻へもせっせと、実に筆マメです。中々教育パパで、そろそろ音楽を聞かせないと、とか、文字が読めるようになった兄ばっかりではかわいそうと、弟にも書いています。


 東大卒のエリートの中島敦の任務は、現地の教科書の実情と改善のため・・・のハズですが、彼は教科書うんぬんには、もはや絶望していると書いています。
 いばりちらしている日本人教育者におじけづく子供たち。はだしで食べ物にも困る子供たちには、教科書の改善どころか、もっともっと必要なものがいっぱいある・・・・と、妻に吐露しています。下スケッチは、先日植物園の温室にて


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2016年12月24日 (土)

大津皇子が死の瞬に感じたこと

原文のまま・・・・其瞬間、肉体と一つに、己の心は、急に締めあげられるような刹那を通った気がした。そうして、ほんの暫らく、ふーっとそう考えたきりで・・・・空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も去った・・・・おれ自分すら、おれが何だかちっとも決(わか)らぬのものになってしまったのだ。
  ああ、其時きり、おれ自身、このおれをわすれてしまって・・・・折口信夫「死者の書」より(原文のまま)



 人が死ぬ瞬間,、命があの世へと移る瞬間を描いた文学を、ももりは他に知りません。
折口信夫は33才で妻と二人の子を残して喘息の発作でなくなりますが、苦しい発作をくりかえし、何度も死と遭遇したのでしょうか・・・死とは…一体、本人にとっては、どんな感覚でやってくるものか???

 ももりの次男は、今年2月26日、突然に死にました。心臓が急に動かなくなったらしい。苦しんだ後もないちょっと笑ったような口元には少し歯がのぞいていました。
 息子が死の瞬間、どんなことを感じ、何を思ったのでしょうか???お嫁さんのこと???ちょっとはももりのことも???

 急に締めあげられるような刹那を通った・・・・のでしょうか???


 「死者の書」が描く、この死のあるじは、大津の皇子。かの持統女帝に死を賜った・・・さ・あ・あ・・・打ち首なのでしょうね。もっとも死を給うのは、殺されるよりは名誉ある死だったというから???あまり考えたくない話です。


 春過ぎて 夏きたるらし 白妙の 衣干したり 天の香久山

  
 どうですか!!!この実に堂々たるおおらかなお歌・・・あまりにも有名な持統女帝のこのお歌からは、自分の息子、草壁皇子を後継にするために、無実???事実か???罪によって死を命ずる激しさも秘めているのですねえ。しかも、みずからの同腹の姉と、あれほど愛した夫のあいだに生まれた甥です。


 優秀で人望も高かった大津皇子のお歌は万葉集につとに有名です。その弟をいたむ姉のお歌も肺腑をえぐります。ここでは、もう説明はやめましょう。
 その二上山・・・・奈良と河内の県境です。


 スケッチは京都…船岡山   ちょうど京都の町をお多福さんの顔になぞらえたら・・・おたやんの低い鼻・・・標高102メートル

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 下は嵯峨野、野々宮神社・・・もう観光客も少ない・・・・冬です。


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2016年12月20日 (火)

当麻寺と中将姫

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 折口信夫「死者の書」難解と言われるお話ですが、ももりは理解しようとは思わないなあ。イメージを温めながら、この一風変わった文章を味わう、なぞる・・・・歴史の背景に空想を飛躍させたいものです。

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中将姫とよばれたやんごとなき姫君・・かの皇極女帝の目の前で蘇我入鹿を殺した若き中大兄皇子と藤原鎌足。その鎌足を曾祖父にもつ、さとくうるわしい女性です。天性の政治家、藤原不比等は祖父、その長男、豊成の娘がこの物語の芯になる、中将姫・・・


 大和、葛城の里にそびえる二上山、雄岳、女岳の真ん中に夕日が沈むのは春分秋分の日とか。二上山雄岳の頂上に大津の皇子の御陵があると聞いて、ももりが一人、二上山に皇子に会いにのぼったのはいつだっけ???、当時、大津皇子にあこがれて、一人で登りにいきました。あの山はけっこう、キツイ。今の足ではもう無理です。


 
 深窓に育てられた高貴な中将姫は二上山にあらわれた大津皇子の霊にまみえ、誰にもみとがめられることなく、一人、この当麻の地へと出奔します。かの昔、非業の死をとげた大津の皇子の魂が・・・死者がよみがえる時・・・・



 
 

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 国宝「当麻曼荼羅」は天平宝字7年(763)、中将姫が蓮糸を5色に染め上げ、綴れ織りで織り上げたといわれています。

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2016年12月14日 (水)

今年の漢字  「耐」

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 大掃除・・と、いうか・・・たたみを新しくするついでに、本棚の整理。百科事典をゴミにだしました。なんとなく罪悪感。「ごめんね」時代がすっかりかわりました。今では、パソコンでポイッ!!!


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 上の4冊は、先日あっというまに読了。すごい!!!素晴らしかった!!!今日は朝から冬の雨。もうスケッチブックを持って出かけという楽しみもムリ。冬ごもりですかねえ。

 新しく借りてきた本。これが・・・・すっきりしない本ばかり。本依存症みたいなももりですのに、うれしい本がないと・・・干だるいような感じ。何日か食べてない時みたいに魂に力が入りません。


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 高峰秀子さん・・・これは一晩で読了。以前ハマったこともあって、スンナリ。次は「死者の書」折口忍・・・これは・・・難解です。じーっくり、とりくまなくっちゃムリみたい。


火曜日はプールも図書館もなし。たたみ屋も来る。外は冷たい雨。林扶美子でも読みましょう、とゴロゴロ。これが良くなかった!!!「パリの恋」林扶美子の日記です。


  林扶美子「パリの恋」・・・・実に、うっとおしい!!!も・お・お・・・・イヤッ、と思いながら、読んでいますが、こちらもウツになりそう。「放浪記」で入ったお金を懐に、単身パリへ。しかし・・・日々の生活はたちまちひっぱく。「書かなくっちゃ、書かなくっちゃ。金のため、金のため」脅迫観念のように、文を書き、満足できないながら日本へ送ります。友人たちとの交流も決して楽しいものではない。イヤナヤツ・・・という言葉がひんぱんに出て来ます。誤字だらけ

 


 夜、眠れないままに読み継ぎます。隣室はしつっこく相棒がTVでなんかスポーツの実況を見てる。耳の底にこびりつくようにとぎれなくつづくTVの音。消そうと起き上がってコントローラーをさがしますが、どうしても見つかりません。も・お・お・・・・キーッ!!!
 え???ここはどこ???パリ???はっと目が覚めて、ここは中京のわが家でした。目がさえてしまって、又読み継ぎます。そういう朝は目覚めからぐったり疲れています。
  眠ってる時の方が起きてる時よりくたびれるなんて・・・こ・れ・は・・・つらいなあ!!!


 ももりが一番うれしくフカフカしてられる時は、なんといっても、スケッチをして歩きまわれる時。さ・あ・あ・・・これから・・・次の桜の時まで・・・・う・う・・・・今年の漢字は「耐」です。

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2016年12月 9日 (金)

シンムケゲムケゲコ・・・

のめりこめる本がない時の寂しさは・・・なんとも・・・たよりない。 


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本来、あまり宗教的でないももりですが、次男が死んでから般若心経をあげています。勿論、訳はわからないんです。 ふと、立松和平「仏と自然」が目に留まり、借りてきました。仏教の解説書らしい。他の3冊のエッセー集は簡単に読みましたが、どうも好きにはなれない感じ。なんか・・・・聞きなれたお説教みたい。自己肯定というか・・・自己撞着っていうか???安易な感じ。一方、般若心経は全然わかりません。仏教の奥義なんて、ももりの脳ミソにはむり???
 それまで読みふけっていたボナッティーや、植村直美、野口健(これらはアップし忘れて図書館に返却してしまいましたが)・・・命がけの冒険、激しい生命の充足。生と死との一瞬を分ける理性と強固な意志。許してはくれない過酷な自然、しかし、その美しさ、神々しさ!!!感動します。その緊迫感が強すぎたからか???


 シンムケゲムケゲコ・・・って・・・ッタクー・・・なんの意味やろ???

 人間だけの命が大切なわけではない・・・そう思っています。
結局・・・今、ももりたちの暮らしって、結構修行かもしれないなあ。相棒は病気をうけとめて、我慢強くおだやかにしています。と、いうか・・・最近穏やかになってきました。結構激しかったようでしたけど。一方、ももり・・・一日の休みもなく3食を枕元に運び・・・イエイエ、デイケアーの日は昼食はいらない・・・でも、本当に大変になるのはもっと先???逃げることはできず、日々の無事を感謝して平穏に過ごします。これって、禁欲的な修行生活じゃあない???

  


  1年、3500円で無料の市バスのパスを使ってフラフラ。相棒がデイケアの日は3時には帰宅。在宅の日は昼食後。短い時間ですが小マメに出歩きました。相棒はもうあまり出たがりません。「行っといで」って言います。いない方が気楽らしい。


 今日はもう冬の風。スケッチがいっぱいできた幸せな秋でした!!!。冬の間は、又、プール。セッセと泳ぎましょう。やがて、又、めぐってくる春!!!京都の桜は、そりゃあ!!!すばらしいんですから。

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2016年12月 6日 (火)

吉田山登山 標高105,12メートル

 紅葉もそろそろ終わり。お外を歩きまわりスケッチをするにはちょっと寒い。でも、キラキラきらめく陽光を見れば外に出ずにはいられまんせん。ということで、今日は又々・・・吉田山へ。標高は、たかが105,12メートル。京都大学の裏山です。山頂からは大文字が真正面。登ってる人も見えます。

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 有名な三高(現京都大学)寮歌がひとりでにでてきます。人影もない落ち葉道。。不思議なことに登りは案外平気です。下りが・・・ねえ。


 
♪♪♪紅もゆる 岡の花
 さみどりにおう きしのいろ
 みやこ花に うそぶけば
 月こそかかれ  吉田山♪♪♪


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 一人だけ、この学校へ受かってくれた子がいます。一生の内で一番うれしかった日やったなあ!!!

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2016年12月 3日 (土)

ぶっ飛んでた江戸時代の女流画家 玉蘭

 この日も又、フラフラ。相棒をデイケアーに送り出してフラフラ。無料パスで「真如堂」下車。いつもは正門から入っていましたが、今回は裏門から。急な階段を登ります。

 真如堂をゆっくり拝観して、人けのない墓地をのーんびり。もう、足がダメで、急ぐこともできませんから、お墓の方が近道。おや??おンや???

 「おンや????」草仮名で「池玉蘭の者可」とあるような???「へ???あの玉蘭のお墓???」
 玉蘭はたしか・・・池大雅と共に住んで、祇園石段下で絵を売ってたという奔放な女流の文人画家のはず。でも・・・江戸時代でも亭主の姓を上につけるのかしら???それにぃ・・・ひとりぼっちで、道端に石碑が傾いてあるのはやっぱりお墓???ちょっと疑問に思って、スケッチもせず、帰宅してパソコンに聞きますと、やっぱり「池玉蘭」でバッチリ出てきました。

 玉蘭、池玉蘭(1727~1784)祖母、母ともに、歌人。池大雅29才、玉蘭25才で結婚。祇園石段下に扇子屋をひらき、絵を売った・・・とあります。「亭主の墓になんか入るもんか」と言ってたとか・・・いつか何かで読んだ覚えがあります。亭主の池大雅も旅が大好き。家はほったらかして遊んでた・・・というか・・・当時って、行く先々で豪農とか、商人の家とかお寺とかに泊まって一宿一飯のお礼は絵で残した・・と言う時代だったようで、旅先の各地で絵を残しています。ある意味、庶民にも豊かな文化に手が届く時代やったんやねえ。真如堂の墓地に、亭主と離れてほおむられてる。噂にたがわぬ、しっかり独立した女性やったんやなあ!!!、

 

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 ひっそりした境内は、紅葉は少しさかりをすぎて、でも、まだ十分に美しいです。
もう一つ。面白い石碑をみつけました
 

 
 「多天可波さ九朗」・・・草かなで、「たてかわさくら」です。

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 横の解説板によりますと、春日局が、父、斎藤利三の供養のために植えた桜で、幹は1メートルほどもあったが枯れて、今のは新しく植えられた木だとあります。春日局はおなじみ、徳川3代家光の乳母。父、斎藤利三は明智光秀の重臣。山崎の合戦で秀吉に敗れ、近江堅田で斬首。母親は稲葉一鉄。
 楷書や篆書で書かれた墓碑は、見過ごしてしまいますが、かな文字のお墓となると、ついつい読もうとおもいます。ええもんやなあ。

 

  これはこれは・・・・楽しいなあ!!!もう海外も、国内旅行すらできなくなったももりですが、京都中京に住まう限り、ほとんどお金も使わずに、楽しみは無限にありそうです<

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2016年11月30日 (水)

古都初冬 鹿ケ谷 (ししがだに)

 今日は、又、鹿ケ谷へ。鹿ケ谷ときいて、ピンとくる方は、歴女??? そう、後白河上皇は、力を持ち過ぎた平清盛を一気に追いおとそうと、鹿ケ谷山荘で平家打倒の謀議をこらします。ところが、クーデター計画はあっけなく発覚。一味はことごとく打ち首、配流・・・ところが、これには、清盛の陰謀だという説もあるそうです。


 下、スケッチは、霊鑑院。画面、右はしの石柱には「此奥俊寛山荘地」との文字があります。僧都俊寛はこのクーデターの黒幕。鬼界が島に流され、都を恨んで悶死します。のちのち怨霊となって、たたりました。
 ゆーっくり上っていきました、それは、もお・・・美しい晩秋、というよりは初冬の谷の景色です。落ち葉をはいていた方にたずねますと、「山荘跡はこの山の頂上にあって、道もなく、一時間ほどかかる」と気の毒そうに、私の足をながめました。も・お・お・・・あきらめましょう。でも・・・何とも寂れた荒谷は、はや冬のけはい。お隣はノートルダム女学院の修道院。

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 その後、安楽寺院と霊鑑寺を見学。


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 まだ少し時間があったので、泉屋博古館へ。それは次回


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2016年11月28日 (月)

I am an appo-(アッポー=阿呆)

  I am an アッポー♪♪♪

 なんだか・・・ピンとこないし、うれしくもなし感動的でもないなあ!!!
どうやら、年くって、世の中とは随分ずれてしまったか???子供たちが小さいころは、よく「アッポー」って言ったものです。そう「アホー  阿呆」って言う意味。


 先日、哲学の小道から法然院へ。偶然やっていたコンサートを聞きました。


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 東北大震災へのチャリティーコンサートということでした。身近に生音楽に触れるのは久しぶりです。秋深く、心にしみます。バルト三国、クロアチアなどの、旧共産圏の民族楽器とか。弓みたいに反った木に、貝がらみたいなのがひらひらついていて、落ちながらシャラシャラとひそやかな音がする。尺八みたいな笛との競演は、ものがなしく、お寺の庫裏にひびきわたります。ちょうど「ゴーーン」と鐘の音。じゃまにならないのがおかしい。最後、「うさぎ おいし かのやま  小鮒 つりし かの川♪♪~~・・・・」と全員で歌うということでしたけど、泣いてしまいました。


 なんだか、自然に泣けるようになってきた感じ。息子の死以来、めったに人様に泣き顔もみせなかったし、見せたくなかったけど・・・・泣いたら傷口が、又口をあけそうな気がしましたから。無理な突っ張りがほどけて、素直に泣けるようになったというか・・・泣くことで、自分がやわらかくなれる感じ。そうやなあ!!!いい子やったけど・・・最後に親不孝しよったなあ。

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2016年11月24日 (木)

この年で・・・新しい喜び見つけた!!!

 きのう、休日の釣りキチにおねだりして4時間の紅葉ドライブ。堀川通りをずーっと北へ。街路樹は今が一番きれいでしょう。そこから柊野へ、雲ケ畑から静原、八瀬、大原を越えて、琵琶湖・・・琵琶湖大橋を越えて、比良連邦がみえるマイアミビーチへ・・・鮎屋で相棒にお土産を買い、瀬田のあらい堰・・・観光名所よりも落ち付いた山々は色調に品格があって、とても感動です。北山に入るとサーッとしぐれて・・・も・お・お・・・晩秋。ほら!!!虹が・・・

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 何年も絵を描いてきました。でも、ももりの旅先のスケッチは、バカチョンカメラでバシャバシャやる、まあいえばメモ。メモ魔、記録魔で、それらのスケッチを絵に仕上げて、発表することはありませんでした。展覧会の出品作品は、ももりの場合、心象風景です。旅のスケッチはパソコン以外に人にみせたことはありませんでした。

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 でも・・・・、もう、旅もできなくなって、メモする必要もなくなりましたので、改めて、スケッチを丁寧にやってみようかと思い、パステルを併用してみました。こぉれぇがぁ・・・けっこう、面白い!!!


 え・え・え・・・??だれですか???「たいして変わらへんやん」ですって???


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2016年11月23日 (水)

錦秋の古都 京都  Ⅲ

 チマチマとヒマを見つけて近くの紅葉をまわっています。昨日は相棒をデイケアに送り出して、歯科へ。治療が終わったのは、もう12時過ぎ。さ・あ・あ・・ママチャリで、しかも3時には、家で相棒を迎えなければ・・・ということで、チマチマと近くを回りました。お昼はアジアンテイストタイ焼きそば・・・おいしい!!!なんてったけ???相棒は、こんなの絶対食べないから・・・ね。

 先ずは、御所から少し下がった聖ハリストス教会へ。ここはギリシャ正教教会だといいます。内部は今特別公開。でも・・その日はペケ。ザンネン!!!

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 次は御所へ。イチョウの古木がいっせいに落ち葉して、黄金色の絨毯をあちこちに豪勢に広げています。とっても・ウ・ツ・ク・シ・イ!!!!
 下は平清盛が寄進したという唐破風の鳥居がある神社・・・あ・あ・あ・・・・もう…時間がない!!!
と、いうことで神社の名前は又、次回に。スミマセン

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 その前日は、3時に相棒が帰宅してから、お出かけ。下、妙心寺大法院。特別公開の露地庭です。紅葉は今がサイッコウ!!!

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 その茶室、有隣庵。秋の日はつるべ落とし・・・目がねえ・・・暗くなると怖いから早めに帰りました。


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2016年11月21日 (月)

ボナッティー・・・自然への陶酔

 2013年10月の旅・・・・遠い夢のようですが、ボナッティーの本に出会って 「ああ・・・彼と同じ道を歩いたかもしれないなあ」なあんて・・・もちろん、ももりは岩も登れませんし、安易な展望台やトレッキング道をほんのちょっぴりのぞいただけ。でも・・・・ともかく、その自然の神々しさの端っこだけでも、のぞけたことは幸せでした。


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 アウロンソ小屋は本に登場します。「あれれ???聞いた名前やなあ」って、確かめてみました。下、スケッチはアウロンソ小屋。ドロミテ山系です。この日は、その年初めての新雪で・・・そりゃあ・・・も・お・お・・・素晴らしく神々しかったです。

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2016年11月20日 (日)

ボナッティー「わが生涯の山々」

膝がグラグラして、もう地上すらさっさと歩けないというのに、読む本は山のぼりやロッククライミング。冒険の本ばかり。・・・ッタク・ウ・ウー・・・我ながらおかしいけど・・・


 ボナッティー・・・・孤高の天才クライマー。名前だけは知っていましたけれど、図書館で見つけて借りてきました。凄い!!!!

 ボナッティー・・・モンブランのイタリア側ふもとの村、クール・マイヨールで、幼い日々を過ごします。岩壁にいどむクライマーにあこがれて、終日ながめては、周辺の5メートルほどの岩をよじ登って遊ぶ幼い日々でした。第二次大戦に従軍、山岳部隊に配属になり、山に熟達していきます。やがて敗戦。ムッソリーニが逆さつりになり、つらい日々が続きます。19才、偶然声をかけてくれた山男にすすめられ、未踏の岩稜のピークへ初登頂。その後は、ひたすら岩のぼりに熱中。鉄工所に勤めていた彼の登攀用具は手作りのハーケンだけ。下、スケッチはクール・マイヨール。ももりが行った日はモンブランは雲の中・・・・・クックゥウー・・・こんな日、岩にとりついているクライマーはひどい嵐の中で凍え、絶望してるんやねえ。

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ボナッティーと、かのロッサナ・ボデスタ・・・・ ロッサナ・ボデスタ、と聞いて、パッと反応する方は、・・・・もお、大分お年で、映画好きでしょう。
 映画「トロイのヘレン」のヒロイン、ヘレンを演じたのがロッサナ・ボデスタ。絶世の美女、トロイのヘレン・・・あの木馬で有名なトロヤ戦争、今なら、ギリシャとトルコ、の古代戦争のきっかけとなった美女です。美貌の王妃、ヘレンのにのとりこになったトロイの王子が王女を略奪したことから古代の大戦争が始まります。そのヘレンを演じたのが、かのロッサナ・ボデスタ。

 


ある日、大女優、ロッサナ・ボデスタに記者が質問します。
「あなたが、もし、絶海の孤島でたった二人で過ごすとしたら誰を選びますか」
「そっりゃあ、ボナッティーよ」それを聞いたボナッティーは、ロッサナ・ボデスタに電話します。「来年、ローマに行くので会いましょう」しばらくして、電話がありました。ボナッティーからです。「来月、○×で会いましょう」又、しばらくして電話がありました。「あす、○○で会いましょう」それ以来、二人は死ぬまで、永遠の恋人同志でした。パソコンにあるボデスタは、かつてのきゃしゃな美女ではなく、すっかりイタリアのマンマミーヤです。がっしりと太って頑として実に堂々としています。横にいるボナッティーもすっかり年老いて、でも、とてもステキです。


 日本にも来られたようです。すばらしいカップルやなあ!!!

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2016年11月15日 (火)

錦秋の京都 八瀬 瑠璃光院

 日曜日は素晴らしい快晴。特別公開の「瑠璃光院」。久しぶりの叡電で八瀬へ。
下、瑠璃光院と山露路

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3人の子供達が小さい時、八瀬遊園へよく行ったものでした。はや・・40年ほども前のこと。
 ある時、八瀬遊園のプールへ。さあ・・泳ごうかと見ますと、長男がいません。びっくりして、溝とか必死に探していましたら、いきなり相棒がプールへドブン。長男をひっぱりあげてきました。プールのすべり台へいきなり突進したのでした。まだ・・・・幼稚園へ行ってたころ???母親のももりは、まだヨチヨチ歩きの末っ子をつれてましたから・・・上は6才・・・か???5才??オッソロシ・・・よう・・・まあ・・・無事に成人させられたものでした。
 下スケッチは、緑やオレンジに染まってしまいそうな庭園


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 近く「平八茶屋」・・・かま風呂で有名でしたが、今はどうやら・・・半分廃墟。

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 ふと、やってきたバスで大原へ。でも、もう帰路のことも考えてあまり動かず・・・早い目に帰りました。スケッチは三千院への道よりの展望台から


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2016年11月14日 (月)

明日から「日本水彩京都支部小品展」

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 今から、飾りつけに出かけます小品も実に良いものです。
ももり「あてどない旅」・・・子をさがして・・・
 お供達の絵は素晴らしいので、おついでがあればゼヒゼヒ


 昨日は素晴らしい快晴。特別公開の「瑠璃光院」。叡電で八瀬へ。
スケッチは後ほど・・・・

 

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2016年11月11日 (金)

錦秋の古都 京都

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 上 2枚は国宝、銀閣寺東求堂、秋の特別公開を見てきました。お天気はバツグン。相棒はデイケアーです。

 銀閣寺、ご存じ足利義政の別邸です。この人物、室町時代、7代将軍、東山文化を作り上げた人物ということですが、京都の民にとっては、実につらい為政者でした。11年とも、いや、もっとぐずぐずと長く続いた戦いの中の民・・・飢饉、疫病、つむじ風、火災・・・実に京都の1/3は燃えたといいます。何度も何度もの火災の後、焼け残った寺院は、今の千本釈迦堂だけだったといいますから・・・・賀茂川は数知れぬ死体で流れもとどこおり、腐臭はたえがたかった・・と、言います。


 将軍を取り巻く野心家達の対立は、遠い治行地の兵をよびよせて京都で戦います。他国者同志の戦いが京の都を舞台に繰り返されました。都は凌辱をほしいままにされたのです。その中で鬱勃と起こった町民の力が、祇園祭を復活し、今に至っています。


 日野富子・・・この高利貸しは義政の妻。敵味方を問わず高利で金を貸し付け、米を買占めました。そもそも・・・義政が将軍に位を譲ろうと、高野山で僧になっていた弟、義尚を還俗させます。そのとたん、日野富子が男児を出産・・・つむじをまげた義尚は、さっさと敵方へ・・・も・お・お・・・・自分の利害しか考えていない足利将軍家の優柔不断、日和見が戦いを増幅させていったのです。

 今の、日本人の生活は、ほぼこの室町時代にでき上ったといいます。一日3度の食事、お茶の文化、書院つくり、障壁画、たたみの生活・・・・特別公開の東求堂は、美しい銀閣寺山のふもとに端然とたたずんでいます。しかし・・・完成を見る前に義政はなくなったそうです。



  下、2点は旧三井家別邸・・・ホラ、あの「あさが来た」の、あささんの三井家の別邸です。あささんの手紙もショーケースの中に展示されていました。これがぁあ・・・読めないのよねえ。


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 この、屋上の3階で、三井家の人々は大文字を楽しんだのですって。

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2016年11月 6日 (日)

泣いてしまったこと

 先日は、卒業60年、中学校3年のクラス会・・・最後のカラオケで泣いてしまった・・・というのは・・・・ 
ご存じ、岩崎宏美さんの歌「マドンナのララバイ」
   

 ♪♪♪・・・そう・・・眠りなさい  つかれきった体を投げ出して
 青いそのまぶたを  唇で  そっとふさぎましょう

 ♪♪♪・・・そう・・・できるのなら  生まれかわり
 あなたの  母になって  私の命さえ  さし出してあなたを  守りたいのです



 ♪♪♪・・・・このまちは戦場だから  おとこは みんな 傷を負った戦士
 今は 心の痛みをぬぐって  小さな子供の昔にかえって・・・・・あつい胸にあまえて・・・

 ♪♪♪・・・そう    わたしにだけ  みせてくれた   あなたのその涙
 あの日から決めたの  その夢を支えて  生きていこうと・・・・
    


 ♪♪♪・・・・恋ならば  いつかは消える  けれども  もっと深い愛があるの・・・♪♪♪


 これって、まさしく今の私の歌・・・傷を負った激しい戦士であった相棒は・・・・今、車椅子・・・
次男の死・・・人前ではあまり泣かなかったのに・・・フ・カ・ク・・・下、スケッチは、先日ちょっくら足を伸ばした嵯峨野

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 そうそう・・・エジプト展も見てきましたよ。今、秋たけなわ・・・特別公開のお寺とか、行事とか・・・行きましょう。

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2016年10月31日 (月)

又々 夢は山へ

 先日、小林一彦氏の写真展に行ってきて以来、マタマタ山の本に逆戻りしています。

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 小林一彦氏の一言「マナスルに初登頂した小西壽夫は、ぼくの叔父なんです」って。さ・あ・あ・・・・早速「マナスル登頂物語」を借りてきました。「少年少女20世紀の記録8」です。
 実はこのシリーズ、息子たちのために全部買ってそろっていたのですが、子供たちが大きくなっって、本棚を大きく占領するので、特に残したい5~6冊を残して処分してしまった本の一冊でした。やっぱり・・・本って捨てたら、あ・か・ん!!!

 新田次郎「栄光の岸壁」上下・・・どうも・・・新田次郎氏の山シリーズは、好きになれません。かつて、山大好きだった私にとって山行は、心おどる朗らかで楽い時間でした。会話はユーモアに満ち、朗らかで、思いやりや、友情でいっぱいでした。そりゃあ・・・・私の行った山とは、スイスアルプスの岸壁とは程度が違うといわれそうですが・・・
 同じ、アルプス三大北壁に挑んだ今井通子さんを主人公にした新田次郎「銀嶺の人」上下でも、あまりにも緊張感と攻撃欲ばかりが強調されてやりきれません。でも、ご本人の今井通子氏ご自身が書かれたご「私の北壁」やヒマラヤ山行の「私のヒマラヤ」は感動です。危険で、困難な局面になればになるほど、仲間のために行動し、いたわり、友情にあふれています。危険な局面になればなるほどユーモラスな会話で緊張感をほぐします。エゴをおさえ、仲間をいたわり、登頂に向かう仲間愛こそが、山行の素晴らしさなのです。勿論、刻々に変わる山の美しさ、その神業は…も・お・お・・・言葉にも絵にも写真にもできないほど大きな物です。

 も・お・お・・・・今の私は、膝はガタガタ、山はムリ。相棒は車いす。長い移動もいやがります。私の夢は・・・本の中・・・・それと・・・・おお・・・思い出の中のスケッチブック・・・

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2016年10月26日 (水)

「四明展」今日から

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 昨日、飾りつけ・・・・大学の同窓生。ももりも古株になってきました。
お近くへ来られましたら、ゼヒゼヒ・・・・ももりは、会場には日曜日の終わり頃までいけません。トホホ・・・申し訳ない・・・、


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2016年10月23日 (日)

偉大なる先達

 


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 先日、老大家、松永暘石先生のご葬儀に久しぶりに大阪へ。先生の膝下をはなれ、もう20年ほどもなります。なつかしい!!!フルーイお仲間との再会・・・とてもうれしかったです。

 思えば・・・・奥山に迷い込むように、未だに道を探し続け、迷い続けている書の道ですが・・・もう・・・何人もの先生に先立たれました。
 


 まずは・・・田中香雲   私の父です。日展作家でしたが、私が27才の時に亡くなりました。なくなる6年前、胃癌ということで、「後・・・5年は大丈夫やろ」って言われました。それまで絵を描いていた自分から180度転換。改めて書を見つめますと・・・・これが…すごい!!!
 たまたま、当時は、NYの、いわゆるコンテンポラリー絵画が鬱勃とおこって来る時期で、絵として書をみると・・・これぞ!!!まさしく・・・・アート・・・白黒だけですべてを表す・・・アートにみえたものです。


 父は27才の時になくなりました。、すぐ、父の師でいらした谷邊橘南先生のもとへ。谷邊先生は、戦時中、園部のももりの母の実家の2階に疎開しておられまして、ホンの幼い私をよくご存じでしたせいか、いつも、おかしな生き物をみるようなお顔でクスクスクスクス笑っておられたものです。奥様にも、大変可愛がっていただきました。谷邊橘南先生は、当時は日比野吾鳳と並ぶトップクラスの大家です。

 5年ほどお習いする間に、私も二人子供を授かりました。谷邊橘南先生は中風で倒れられて、お稽古がお休みになりました。そのころ「仮名だけではどうしても書道はわからない。根本の漢字にもっとせまりたい」と切望しておりました。谷邊橘南が出しておられる「書窗誌」の漢字部門には、毎号、小坂奇石先生が漢字手本を揮毫されていたのです。早速行きたかったのですが、丁度、3男も生まれ、あまりにややこしく、「しばらく休もう」と腰をおろして、6か月。


 相棒が「エエ加減に再開セナあかんのとちがうか」ということで、誰の紹介もなく、初めて新京極、錦のお天神さんをたずねました。父の元で書いていた臨書を何点か見せましたら、小坂奇石先生は、「誰になろた???」ってお聞きになりましたので、私は、谷辺先生のお名前を出すのは、はばかられましたので、「田中香雲という人です」と答えました。そしたら、「ああ、京展で大賞取ったセンセやなあ」と言われた方がおられまして、その場で、入門がかないました。
 


 それからは、もう、あけても暮れても書ばかり。小坂奇石先生は、京都、錦のお天神さんに、月、一度いらしてまして、キラ星の如く居並ぶ、日展作家の高弟たちに囲まれて、先生の前に。大きな硯が2面。墨を2時間ばかりするのが私の役目になりました。なんと・・・なんと・・・えがたい貴重な時間であったことでしょう。目の前を先生の息づかい、筆が走り、打ち込み、躍動するのです。


 谷邊橘南先生はお亡くなりになりましたが書道界は残り、漢字とかなの二足のわらじで、ひたすら勉強に励む毎日でした。幼い息子たちが眠るのを待って、臨書。明け方の空があじさいい色に染まるころまで、勉強したものです。

 その内、小坂奇石先生の膝下から独立したいと、三谷治山先生と松永暘石先生が、お二人で一派をたてられることになり、どちらにも師事し続けたかったのですが「どうしてもどちらかを選べ」ということで、泣く泣く小坂奇石先生の元を離れました。やがて、小坂奇石先生も鬼籍にはいられ、三谷治山先生ともお別れの時がやってきました。

 どうしても書の良さがわからないと、どれほど悩んだことでしょう。でも、「あの父が、あれほど言ってた。書ほど素晴らしいものはない!!!」という言葉を信じて60年。今日、真実、書道の素晴らしさに浸っております。


 長期にわたって、私のもとに通って下さる生徒さんたち!!!この方々への感謝を書かずにはいられません。教えるということ、次々とわき起こる疑問点・・・何とか答えたいと・・・・それが私の独学でした。この方々がいらっしゃらなかったら、私はもう、書をやめてしまっていたかもしれません。そして、先生がずーっと生きてらしたら、自分一人で調べものをすることも、もっともっと少なかったにちがいありません。

 書道展で競うということはもう止めて久しいです。先生のお手本をマネしたり、会場で競うようなものでもないとも思えましたから・・・そのくせ・・・・絵の出品は、今もつづけてるんですから・・・勝手ですよねえ。スケッチは先日の植物園

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2016年10月21日 (金)

モノも言いよう

 
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昨日曜日、ある会議に出席。同年代の第一線で活躍中の女性たち、みんな元気なのよねえ。同じくらいの年齢のはず・・・
 「みんな元気やねえ。私だけやんか・・ヨボヨボしてるのん・・・・」素直なお相手の方のお返事は「そうやねえ」
これってショック。当分、立ちがれそうにない!!!心の中では「そんなことないよぉ。あなた、元気よ」って言ってほしかったのよ・・・

 又、別の方「最近はプールへよく行くの。1.5キロ泳ぐわ」「それってやりすぎはダメよ。私の行ってるプールで、この間、沈んでた人がいた。達者に泳ぐ人だったのよ」
 お・お・お・・・・2重ノック。カウンターパンチってのか。も・お・お・・・・ノックアウト・・・ダウン・・・ぐったりして帰宅。
 スケッチは先日ママチャリで行った植物園と温室の花

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 又の日、今度は超大家の書家のお葬式で大阪へ。もう先生のお膝元から離れて20年くらい。たくさんの古いお仲間に会いました。 
 「いやア・・・元気やねえ。ももりさぁんん・・ん・・・ちっとも変わってないやん!!!」
 「いやあ・・・もう・・ヨボヨボ・・・や」
 「そんなことない!!!相変わらず独特なオーラやでえ。やっぱり絵描いてる人はちがうわ」
なあんて、うれしい!!!!先日来のウツはどこかへ飛んでいきました!!!
 他人様の言葉一つでウツにもソウにもなるんですよお。

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2016年10月15日 (土)

なかぎょ ええとこ  一度はおいで ♪♪♪

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屋根の上で咲き誇る、ルコウソウ


 先日、木曜日、癌の術後の3か月ごとの検査です。血液を採血してお医者様診断まで1時間。このすき間に近所のスーパーで買い物をしようと・・・例によってママチャリで・・・ ところが・・・
 パタンとこけました。「あれれ・・・なんで???こけたん????」後頭部をまっすぐ打ちました。テニスのラケットでバーンとやられた感じ。鋭角的ではありません。しばらくして、立ちあがったら、立てます。歩いてみたら・・・歩けました。買い物は、もう、止めて病院の待合室へ。別にむかつきもなく眠くもなりません。間もなく先生の診察だったんですが癌の後の採血では問題はなし。「センセ、さっき、こけたんです。頭打ちました」・・・と言いますと・・・「検査しますか???」「いいえ・・・ちょっと様子を見て、おかしかったらで結構です」


 段差のデコボコも何にもない、真っ平な歩道の真ん中です。前から人がきたわけでも、車が来てるわけでもない。「なんで???なんでこけたん・・・・???」その時、それを見てたのは、たった一人。筋向いの元ラーメンやさんのおばさん。「どうえ???何ともないか???なんでこけたん」「さ・あ・あ・あ・・・???」


 頭は8時間なんともなかったら、もう大丈夫とのこと・・・なんともない。自転車もしらべたけど、異常があるようにない。なんで・・・なんで???こけたんやろ???


 
 次の日、どこか打ったのか、あちこち痛い。でも、主人にいうと・・・又、心配しすぎるかと黙ってたんですけど・・・もうええか???と、思って「ちょっと見て。どこか大きなあざできてへん???」ってセーターを大きくめくりました。
 相棒一言・・・「まあ・あ・あ・・・・は・は・は・・・そんだけ肉がついてたら大丈夫やわ。肉布団や」


  それが昨日のこと。今日・・・6人にたずねられました。「大丈夫か???病院入院してるのとちがうかって、みんなで心配してたんえ」ですって。あの時、こけた私を見てたのは、たった一人・・・・

 これは、今夜のこと、お好み焼きをしようと材料を出したら卵がありません。「あ・あ・あ・・・・・」おとなりさんの窓をコンコン。「卵三つ貸してえな。もう、暗いし、自転車こわいねん」「ああ・・・返さんかてええよ」 うれしいなあ!!!これが中京!!!
 

 京都は住みにくい。京都人は「お茶漬け食べて行かへん???」って聞かれて「アリガト」って食べたら、後が怖いとか・・・誰か、落語家が言ったらしいけど・・・・そんなことありませんよぉ。
 ご飯がなかったら、誘わないし、誘ったらどうぞ、いらして・・・・


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 サンチアゴ・デ・コンポステラで買って、抱いてかえったわが家の妖精。守ってくれるんですって。花はわが家の・・・よめな???丹波のお山から引っこ抜いてきて、毎年、けなげに咲いてくれます。壺???絵描きの友人がくれたもの。かわいいでしょ 

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2016年10月12日 (水)

秋は・・・さびしい

 秋・・・・寂しい!!!あいつがいない・・・
大食漢やったし・・・なに作っても喜んでいーっぱい食べた・・・・
巻きずし、鯖すし すき焼き まつたけ・・・・あいつを思い出すのがつらい。・・・もう作らない・・・・


 秋!!!美術の秋!!!友人たちの個展や展覧会めぐりに忙しいです。
昨日、国立近代美術館へ。「メアリー・カサット展」昨日行ったら閉館。前日が祝日だったからの振替休館。ということで、今朝行きなおしました。スケッチは普段素通りしてる高瀬川、一の舟入

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 先日読んでいた「とびきり屋」7シリーズ、山本兼一描く舞台がこの周辺。幕末の京都三条の、このあたり・・・竜馬や勝海舟、壬生浪や、桂小五郎などが徘徊したところを、このももりも徘徊・・・・うれしいなあ!!!はっはっはっ!!!

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2016年10月11日 (火)

秋日和・・・ママチャリでGO

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やっと 秋!!!風がすずしいからぁ・・・さわやかやからぁ!!!。ちょっとお出かけ!!!
まずは、上、ご近所の春日神社へ・・・・昨日は秋まつりやったけど、今日は人影もなし。春日神社は、平安初期の天皇家の病祓いの神社です。ママチャリでさらに斎宮神社へ。スケッチ下。ここは、今はもう何もない。天然記念物の大クスの木とさざれ石だけ。その昔、天照皇太神を祀ってここに別荘を営んだ倭姫命の跡と言いますから古い。

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 嵯峨野へ・・・・気の向くまま・・・ルンルン


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  上は、鹿王院・・・・長い間、京都に住んで、というか・・・京都以外に住んだことないももりが・・・気になりながら、・・初めてやってきました。山門から本堂へのアプローチがすばらしい!!!足利三代将軍、義満が24才の時に建てた禅寺といいます。ここも、ももり一人。400円の拝見料に500円プラスして、おうす・・・・これが又・・・・・大きな雲竜・・・羊羹みたいな、つぶあんの小豆を巻いた和菓子、に大きな栗・・・・うれしいなあ。一人お庭を眺めながらゆっくりさせていただきました。


 夜は、本の中にドップリ・・・相棒は???勿論、ちゃんと介護してます・・・つもり・・・です。

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2016年10月 4日 (火)

「総理の夫」   原田マハ

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 昨日、病院の本棚に婦人画報を発見。そしたら・・・そしたら・・・なんと、ナント・・・原田マハ氏をく写真に大きく取り上げていました。彼女の描く小説の主人公は、多く、現代社会の最先端、刺激的な職場の第一線でひたすら働き、信念を貫く男前の女性が多いようです。しかも・・・年齢はアラサーからアラフォー

 ももりの年代とはまるでちがう女性たち、生活感、価値観、セックス・・・・結婚も別れも・・・多分にご本人の投影と思って、興味を持っています。そして、登場する心やさしき夫・・・・こういう時代なんかなあ!!!

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 「一分間だけ」  能力ギリギリ、イッパイ、イイッパーイに働く女性週刊誌の編集者。しかし・・・ふと飼い始めた「リラ]ラブラドールレトリバ-・・・・この上なく可愛いけど!!!その子が病気になる・・・・仕事も一段と過酷な時なのに!!!そんな時、あなたなら???どうしますか???・・・・調子の良いイケメンにふと心がゆらぎ、限りなくやさしい夫とも別れ・・・しんどいなあ!!!

 結局・・・ももりの一生って・・・・与えられた運命の中でできることをだけやっただけやったんやなあ。冒険は???大した冒険はしなかった???ま・あ・あ・・・若い男性にモテルというツラでもなかったし・・・・スタイルもモッサリで、能力もたいしてなかったから・・・・今、こうして平穏な日々・・・これはしあわせなのか????

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2016年9月28日 (水)

ひょっとして???新種???

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 今年からわが家のざくろの木に住まいするこの赤い花。ひょっとして???新種でしょうか。はじめ、一つ二つ咲いている間は「可憐な花やなあ」と思っていましたが、秋と共に旺盛な生命力は全開。狭い中京のお隣との境に激しく命を燃やしています。別のところには、天を向いてカッカッと笑っています。切り花にしましても、花は一日ですが、少しづつ小さくなりながらより可憐に咲きます。ルコウソウ???かと思っているのですが・・・どうも・・・よそのお方のとは葉っぱの形状がちがうみたい。


 旅行もできなくなって、急に花に水やり。全くの初心者ですので・・・ハッハッハッ。これからこれから・・・なにとぞよろしくお願いします。

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2016年9月23日 (金)

種が島と鉄砲伝来

 今、山本兼一・・・・・面白い!!!


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 種が島に鉄砲がもたらされて2年。イエズス会宣教師ザビエルは日本にやってきた。しかし、やってきたのはザビエルだけではない。日本の銀山をのっとろうと虎視眈眈の策士もいた。
 薩摩藩藩士、アンジロウ・・・・性格破綻者である父を殺し、ポルトガル船で日本を脱出。ゴア、インド、中国・・・・流浪の末、クリスチャンになった。ザビエルにつかえ、彼の命ずるままに、日本へ帰ってきた彼の目に映った、日本の為政者達???大内、陶、尼子、大友・・・それぞれの領土への私欲の間にひそむ列島の亀裂。ここにくさびを打ち込み、銀山のポルトガル領有をたくらむ悪党・・・・・虚々実々・・・・おもしろい!!!


 銀の島・・・日本はかって豊富な金や銀を産出したんですから。


  ・・・・シャビエル神父ハ ウソツキナレバ 夫ノコトバヲ 信ズルベカラズ・・・略・・・サビエルガ 日本ニモタラシタモノハ 厄災デアッタ・・・


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 下、3冊は原田マハさん。「狼藉のゲルニカ」最初、図書館で借りようとしたら、待っている人が224人。「一冊の本をみんなで待ってるの??」「いいえ、8冊あります。まだ購入する予定もあります」ということでしたが、先日図書館で聞きましたら、「まだまだ・・・やっと164人待っています」ですってさ。さっさと読んでよ!!!

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2016年9月20日 (火)

はたちになったぼくへ

 最近、何やかやと整理。むつかしいのがアルバム。たっくさんの写真やから・・・も・お・お・・・何冊ものアルバムは大変!!!。

 面白いものが出てきました。下写真

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 釣りキチ、6年生の時のものです。


 はたちのぼくへ

 僕の今のしゅ味は、つり、読書などです。
また、今の性かくは、少しとろいめです。
あなたはどうですか?
今、住んでいるところは、京都市中京区・・・略・・・
将来のゆめは、漁師、又は天文学者です。
あなたはどうですか?また、かなえられましたか?

手紙を出したのは、1986年、3月15日です。
あっ、そうそう。この年のエピソ-ドは、
 ボイジャー2号が天王星に接近した!(1月27日ごろ)
 ハレーすい星が76年ぶりにもどってきた!!!(今)
 これは天体のエピソードです。
 では、バイチャ!

今の読書   インガルス一家の物語
 大きな森の小さな家
 大草原の小さな家
 プラムクリークの土手で
 シルバーレイクの岸辺で
 農場の少年 
 長い冬
 この楽しき日々


  いいなあ!!!釣りキチ・・・ホント、ちょっとトロイけど、40才をすぎた今でも、釣りばっかりしてるし、マ・ア・ア・・・天文学者ってのはムリやったなあ!!!
 大草原のシリーズは、この母親が大好きで子供たちのために買ったもの。今も、ももりの本棚にしっかりいすわってダーイスキです。写真は屋久島。そういえば・・・屋久島と種子島へ相棒(父親)と釣り道具持参でお正月ってのに、旅してたよなあ。

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2016年9月10日 (土)

あさがおの木

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は・は・は・・・・朝顔の乱れ咲き。ももりの家の朝顔の木です・・・ってね。お手入れしない、できないももりですが、とてもこの朝顔を愛しています。中京のセマセマした所にたくましくはびこってる・・・いじらしいです。
 大体、あまり雑草とか抜きません。雑草だって愛してるし、花も咲く…マ・ア・ア・・・無精なだけ???ですよね。


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 引きこもってしまった若者が八が岳、南アルプス、富士山がみえる田んぼで昔ながらの米つくりを通じて、自然の力を取り戻していくおはなし。右「ラブコメ」は、たまたま作家がこの本を書くときに、一年間、自然の中で昔ながらの米作りをした時のエッセー。作家ってこういう風に作品を作っていくんやねえ。

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2016年9月 7日 (水)

つくも茄子

スッゴク面白い作家と思って、「どんな顔してはるんやろ???」とパソコンへ。なんと・・・・作家は2014年3月12日に57才で死んでしまってはりました。


 「火天の城」・・・映画は見てました。信長の建てた安土城・・・城を請け負った大工の棟梁は西田敏行。その原作が山本兼一でした。図書館でたまたま借りてきて、はまって何冊かすでに読んでいます。「利休にたずねよ」は直木賞だとか。
 ももりが、特に好きなのが、「とびきり屋 見立て帳」シリーズ。4冊。先日アップした「赤絵そうめん」これは、シリーズとは知らずに読んでました。




 駆け落ち婚というか、略奪婚というか・・・惚れ合って結ばれ古道具屋を始めた二人。場所は京都三条小橋西です。登場人物と一緒に、かって知った京の町を、ももりもうろうろ。なにしろ、古物のうんちく帳です。「平蜘蛛の釜」やら「つくも茄子」「利休の茶杓」・・・果ては「虎徹」・・・そう・・・今宵、虎徹は血に飢えておるわぁ・・・近藤勇ですよね。
 茶道の家元や、新門前通りの古物屋、御所、祇園、木屋町、先斗町・・・・土地勘はバツグン。そこへ竜馬や三条実美、壬生浪など、聞きなれた人物がからんで面白い娯楽作です。やわらかい京都弁にも抵抗ありません。


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 狩野永徳や名刀正行・・・一途に己が道を究めた芸術家を描いて良くもまあ・・・調べてます。
もっともっと、うんちくを書いてほしかったなあ。


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下は、父が愛用していた水差し。わが家のつくも茄子です。父は56才で死にましたけど、日展作家でした。


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2016年8月30日 (火)

日本水彩 巡回展と関西支部展

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 昨日、展示作業してきました。ジャンジャン降り、往復タクシーでした。
ももりの絵は東京に展示したものです。お友達の力作がならんでいます。ゼヒゼヒ・・・・

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2016年8月26日 (金)

本の読み過ぎ???

 ももりの推理・・・


 

 今騒がれている事件、高畑淳子さんの息子・・・バカ息子・・は、きっとこうなる

 弁護士がでてきて事件はすっかり変わるにちいがいない。真相は???二人しか知らない。ビル・クリントンを思い出します。真相はどうあれ・・・・あれは強姦ではなく、和姦・・・・そして示談金・・・ねらい、とまではいかなくても、警察に通知した男性とは、なにもの???どんな人間???美心局・・・つつもたせ・・・???二人の関係は???
 とことんまで裁判で女性が追及されるのを避けて・・・示談・・・・示談金は??? 

 今、まだ会見前・・・・さ・あ・あ・・・・・・

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 上2冊、原田マハ。どちらも面白い!!!
「太陽の棘(とげ)」アメリカ軍占領下の沖縄。軍人たちのおみやげ用の絵を描いた絵描きたちの村があった。いえいえい・・・・おみやげではない!!!素晴らしい絵を描く芸術家集団の住む「ニシムイ」とよばれるコロニー。 絵描きをめざしていたが、両親の希望とおり精神科医になった若きアメリカ兵との交流。沖縄の民衆にとっても、アメリ兵にとっても、残酷な心身の破壊があった。その中で・・・絵画を通じて、お互いの尊厳に満ちた交流が始まります。

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 こちらは、以前アップした「負けんとき  ヴォーリズ満喜子の種まく日々」と同じ作家で興味をもちました。
青森 津軽・・・本州最北端の片村に、人に知られることなく発表することもなく、一生絵を描き続けた作家がいた。
 銀座の画廊のあと取り娘がその絵に出合ったのは、パリに住む恋人との恋の破たんの進行の中だった。
実存した画家、常田健・・・土蔵の美術館は本当にあるそうで、相棒が元気なら・・・今すぐにでも飛んでいきたいけどなあ!!!

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2016年8月21日 (日)

台所 リニューアル

 随分前から治してほしかった台所。やっとリニューアル。なにしろ、わが家は相棒が中学生の時に建ったという、戦後の安普請。台所の改修は3度目です。半日で壊して、次の一日で新しくしてもらえました。こんなに簡単なら、もっと早くやったらよかった。なあぁんてね。


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 中京のコセコセしたところに住まいするももり。この一間の東向きの窓をとても愛しています。窓を開けるとさざんかと椿。夏でも、香取線香をたててでも、窓をあけて食器洗いしています。


 主婦って、台所で過ごす時間を通算したら、相当なもんですよね。
これなら、わが家に来られるお客さんや、生徒さんたちが、自由にお茶を入れたり、レンジチンしてお昼を食べたりできます。うれしいなあ!!!


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 「赤絵そうめん」山本兼一。とても面白く、読みやすく、サッと一気に読めました。明るいし、お茶に関して、興味深い知識がいっぱい。先に読んだ「利休にたずねよ」も思いだします。最近の小説って、随分変わってきてるんやねえ。ももりが愛読した司馬遼太郎や井上靖、吉村明なんかは、まっ正面から取り組んで描いていく。でも、最近の作家は、切り口が、斜め角度で、鋭く切り込んだような、視点の鮮やかさに才能を感じます。


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 「キネマの神様」原田マハ。ギャンブル依存、映画に依存しつづけてきた80近い老人・・・・と、40才、独身、パリパリキャリアを失った娘・・・・ももりも古い名画にハマった時期がありました・・・映画館で見るのとDVで見るちがい・・・こよなく映画を愛するちょっと前の世代と現代のシネコンの時代のギャップ。この小説も新しい切り口が新鮮で、作者を彷彿させるのが、又面白いです。

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2016年8月16日 (火)

初盆もすぎ・・・・

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 初盆もしずかに終わりました。今夜は大文字。たいまつの灯りに導かれて、魂はあの世へ帰っていくのです。

 

 原田マハ氏の作品は中京図書館のはもう読んでしまって、よその図書館から借りてもらっています。その間に借りてきたのが上の2冊。とても力作です。特に、「ジパング島 発見記」山本兼一・・・おもしろかった!!!
 1543年に種子島へ鉄砲を持ってやってきたポルトガル人、それ以後の7人。こぼれ話という体裁ですが、7人の正史にはのらない人物の目を通して、当時の日本を描いています。

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 昨日の15日は終戦記念日。ももりは1941年1月生まれです。ももりが生まれたその年の12月に真珠湾攻撃、戦争が始まりました。終戦時、4才。記憶はありません。兄たちは本当にかわいそうだったようです。何しろ、育ちざかり、食べさかりに食糧不足。そのももりでも、今でも、雲の中に鈍い飛行機のグルングルンという爆音を聞くと不安におそわれます。


 ももりは、政治的な発言はしないと決めています。でも・・・・今の戦争を知らない若い世代の方々には「戦争に負けるということは、どういう状態のことを言うのか」というイメージ教育が決定的に不足していると思います。


 ももりは、右翼でもありませんし、ましてや左翼では絶対にありません。戦後のヒダリマキ???いいえ、ヒダリヨリの知識人が教育に及ぼした偏見と害毒には恐ろしいものがあるとおもいます。

 「戦争は始まってしまったら負けることはできない」のです。先の大戦に、無条件降伏して終戦。日本を占領したのが、アメリカでなく、もし、ソ連や中国だったとしたら、今頃、日本人は、この甘やかな国を追われ、シベリアや砂漠で苦しんでいたでしょう。


 「平和」が大切」なことは、勿論です。でも・・・・平和を侵す無慈悲な力がやってきたら・・・・国は守らなければならないのです。スケッチは、先日釣りキチが連れてくれた紀伊半島東岸の紀伊長島港

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2016年8月 9日 (火)

大空と夏雲とパリ

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今、私は外国どころか国内旅行もちょっとムリ。でも、かと言って、そうそうイラついてるわけでもありません。
できるだけ、プールへ。プールの東一面にひらいた窓から大きく広がる空を見ながらウオーキング。その後、1・5キロ泳ぎます。自由自在に形を変えて動く雲をながめて、「あ・あ・あ・・・若き日はもうかえらない」なあんてね。
 今、オリンピックで水泳の場面が多いでしょう。なんてきれいなんでしょう。泳ぎももちろん、腰がキュッとしまった三角形の体形も・・・ス・バ・ラ・シ・イ・イ・・・・!!!「私そっくり!!!」とか叫んで喜んでいます。


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 「ロマンシエ」・・・・おもしろかった!!!も・お・お・・・才能にまかせて書きまくったって感じです。何より若い!!!

 主人公は女の子になりたくてたまらないのになぜか、男の子として生きている。同級生のカッコイイ男の子に恋してる・・・・美術大学の卒業制作で第一席を獲得してパリ留学。「アトリエ・デ・ボザール」賞を獲得。ところが・・・有名な「エコール・ド・ボザール」ではなく個人経営の画塾でした。でもでもォオ・・・せっかく来たパリ。落ち付いたのが、サン・ジェルマン・デ・プレ・・・・お・お・お・・・・ここって、相棒とふたり、足を棒にして歩きまわったのが、ついこの間のことみたい・・・いろんな出会いがあって、有名な歴史ある、リトグラフの制作工場を仕事場にすることに・・・・なぞめいた人気作家がからんで・・・・若い留学生の切なくもうらやましい青春が展開します。ポン・デ・ザール(芸術橋)は、あの、鍵をいっぱいくっつけてることで有名なセーヌ河にかかる橋。右岸はルーブルです


 サンジェルマン・デ・プレといえば・・・・シテ島とサン・ルイ島に的をしぼって・・・ま・あ・あ・・・マリー・アントワネットの足跡をたどって、ひたすら歩いたのは2012年12月でした。あ・あ・あ・・・・幸せってこういうのをいうのやったんやねえ。
 久しぶりに、パリを歩いた気分でうれしい!!!でも、今パリは外務省の危険度情報5・・・つまり不要不急の旅行はやめて下さいランクなんですって。

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2016年8月 4日 (木)

無事

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平穏無事・・・静かな生活をおくれています。相棒も、まずまず・・・ももりも・・・まああまああ・・・・

 マタマタ・・・文字が大きくなりません。すみませんねえ・・・・


 朝顔を玄関に。壺は丹波。下の陶板は、制作してくださったのは日展作家、ももりは字を書いて値打ちを下げちゃった・・・は・は・は・・・・短冊はももり・・・・こういうの、もう書かなくなったなあ。

 相棒をデイケアー二送り出して「ダリ展」に。作品にクッタクタに振り回されてくたびれてはてて帰宅したら、すぐ追いかけて、激しい夕立。よかった・・・

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2016年7月26日 (火)

日本水彩京都支部展  京都府立文化芸術会館

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 今日は、会場当番です。間もなく出かけましょう。


 癌2年目の検査で、異常なしと言われて、急に元気になりました。でも、中々、創作の余裕がなく、新しい展開ができません。それでも、今まで、一枚しか出品できない展覧会のために、2~3枚は描いてきたものですから、未完の絵がたくさんあります。当分は、それらを仕上げるつもりです。日本水彩京都支部とは言っても、大阪、滋賀、奈良、香川、徳島と広い地域の作家たちが出品しています。

 本は、今、原田マハ氏にハマっています。
「暗幕のゲルニカ」は今、図書館で82人待ちですって。
「一冊の本を82人が予約してるの??」って聞きましたら「本は14冊あります。まだ、これから買い入れる予定です」ということで予約しました。書架に並んだ作品をとりあえずかりてきています。売れっ子なんですねえ。

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 肩が張らず、本がぐいぐい引っ張ってくれます。文体は、全く今風というんでしょうか、少々面くらいます。でも・・・発想の飛躍が、さっすが・・・少女漫画、アニメ世代。今まで読んでた作家とはちがう風を感じています。


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 「翼をください」は、太平洋戦争が始まる2年前・・・って、つまり、ももりの生まれる2年前jのお話。なんだか身近なお話です。毎日新聞社が国産飛行機で世界一周をなしとげました。その2年前、アメリカの国民的英雄女性パイロット、アメリア・イアハート・・・彼女は太平洋上でなぞの失踪をしたのですが、・・・実は・・・というお話。周りは全部事実でかためて、肝心のところを意外な想定をして物語を作りだしています。飛行機、全く無知のももりでも、ぐいぐい引っ張られて読みあげてしまいました。


 「永遠をさがしに」これも、実在のコンサートや演奏家や、楽曲をふんだんに盛り込んだおしゃれな一品。若い人達独特の言葉使いなど・・・フムフム・・・・あっという間に読了。音楽ファンには一読おすすめ!!です。


 以前、アップしました「楽園のカンヴァス」も、NY近代美術館が所有するアンリ・ルッソーの絵が、実は、もう一点、スイスの偏屈な収集家の収蔵品の中にある・・・というお話・・・・世紀末のパリ、売れない絵描きの描いた古キャンバスは新品のキャンバスより安く買えたから・・・その上に新しい絵を描くことは十分にありえます。ももりだって、何度も何度も、上から描きくわえたり、変えていくんですから・・・・実は、この絵の下にはブルーピカソ・・・青の時代のピカソの作品で、現代もっとも高価な価格で取引されているもの・・・・だって???なきに・・・しも・・・あらず・・・ックー・・・何でもありの発想に脱帽!!!です。

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2016年7月19日 (火)

てこね寿司

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お友達がきてくれるっていうので・・・朝顔を生けました。
この壺が・・・ももりのご自慢の壺です。お手製。丹波の陶芸家のところへ遊びに行って土をもらってコネコネ。焼いてくれました。何しろ竹の灰釉なんですって。「サグラダ・ファミリアみたい!!!」って言ってくれた人もいて、ご機嫌です。


 ともかく、よそにはないってのがいいのよねえ。一人自慢のホメテなしですって???は・は・は
お昼は、てこね寿司と釣りキチのお魚のカルパッチョ。写真はなし。


 相棒は車椅子で、もう遠い外国にも行けなくなったし、国内すらなかなか・・・です。だぁかぁらぁ・・・絵を描きましょう。ももりは一枚出品作をつくるのに、途中で気が変わったりして2~3枚描いてきたものですから、描きさしの絵はいいっぱいあります。それを・・・当分、なんとか仕上げましょうか。

 


 なんだか、もう、立ち直りました。癌からも、息子の死からも・・・息子はもう私の子宮の中に戻りました

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2016年7月17日 (日)

いのちみょうが

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 今朝、久しぶりに釣りキチが車で出かけましたら・・・なんとなんと・・・茗荷がビッシリ。
いつ、植えたのか。いつから食べ始めたのか・・・もう記憶にありません。いつの間にか、こんな狭くておいしくもない地にたくましくはびこり、ひそやかに花を咲かせ・・・・めだたない、クセの強い花・・・でも、なしではいられない・・・・なんだか、自分自身みたい気がしてきて、一人、ニーンマリ

 がん手術、2年目の検査も「悪いところはないですねえ」って主治医の先生に言ってもらえました。ウッレシイ!!!あきれたことに、3週間前、肛門からの内視鏡検査・・・これが、前回2回とても痛かったのですっかりおびえていまして・・・夜もよく眠れないほどで、しっかり前夜からの投薬、当日朝からの薬も指示とおり、ちゃんと飲んで準備万端でしたのに、2週間前のCTスキャンは痛みが全然ないものですからウッカリ・・・朝から絶食・・・これを忘れて朝食を食べちゃった!!!なんと、エエカゲンな・・・でも、半時間後に検査してもらえました。そして今週の主治医の先生のウレシイお言葉!!!さっすがっ・・・中京のみょうが女です。


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 間もなく、京都府立文化幻術会館で「日本水彩 京都支部展」


 さ・あ・あ・・・・・どれにしようかな???カミサマノイウトオリ・・・プットコイテ プットコイテ プットコイテ プップッ

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上は「古代との交歓」  下はまだまだこれから。なくなった息子をさがす旅にでる・・・うろうろ・・うろうろ・・・

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2016年7月15日 (金)

フッルーイお話

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 昔・むかし・・・・ももりはカルセンババーとよばれるカルチャーセンターの生徒でした。教室は「エッセー教室」10年ほど在籍し、その間、5年ほど「京都エッセー」の同人でしたっけ。
 ちょうどNYで個展をしたころで、当時のエッセー(15号)から・・・


 天国と地獄

 月のかけらがポトリと懐に飛び込んだような、現実離れしたラッキーな経験。去年の私は、まさしくそんな幸運の中にあった。
 11月4日、4~5日前から腰が痛むと寝込んだ姑が悲鳴をあげて痛がるようになり、亭主と息子二人がかりで病院へ運ぶべく、1時間あまりもやっさもっさしたあげく、とても無理と救急車をよんだ。若い屈強の看護人3人がかりで、痛い痛いと泣きわめく姑を担架に乗せて、救急車は出て行った。
 幸運はその直後に始まったのである。
「もしもし、こちらNYのSですが8月にもって来られた作品を、この12月に展示することになりました」 
 この8月、NYで個展をしないかという以前からの話の下調べに、私はNYへ行った。その時、ふすま10枚分くらいの作品を抱えて行ったのである。その作品が画廊のオーナーの目にとまり、今回、急に展示されるのだという。
 「つきましては、お手持ちの作品をできるだけ多く送ってください。そして、もうちょっと小さい作品を急いで作ってください。ムリでしょうか」
 「勿論つくりますよ。何とかしますよ。べストをつくします。」

 茫然としていた私は飛び上がった。目の前には姑の残していった汚物や下着が散乱している。
「さあ、片づけなくっちゃ。あの様子では、姑は二度とこの家には帰れまい」 汚物を片づけ、洗濯ものを洗濯機に放りこみ、まくらもとの食べ散らかしを全部ゴミ袋に押し込んだ。熱い湯で畳まですっかりふきあげた。この4~5日、なれない病人と看護人は、何度となく畳におしっこをこぼしたものだったから。冷蔵庫のいつからあるかわからないものを捨て、カーペットをはがし、仏壇まで磨き上げた。25年間、姑はこの部屋から餓鬼のごとく小さな目を光らせて、私を見てきたのだ。


  結婚当時は、まだインテリアデザイナーという言葉が脚光を浴び始めたころだった。国立大学を出たてのデザオナ-の卵から、心貧しく、到底誇りの持てない下町の嫁の生活へ。この中でアートは私のたった一つの敗者復活戦だったのだ。全く異なった環境だった。誰が選んだのでもない。私一人が喜んでした結婚だったが、つらかった。何よりも夢と誇りのないのが我慢できなかった。経済的にも、何とかかせぐのが急務だった。子供相手の書道教室、そして、古筆の勉強、次々に生まれた子供たちが寝静まってから明けがたの空があじさいい色に染まるまで、私は一生懸命勉強した。若さは苦しみすらも滋養にしてしまうものらしい。 子供達の手が離れたころ、私は作品を発表するようになった。姑の存在が小さくなり、アートは私を満たした。そして、今、NYで個展というときになって、姑は再び、私の前に立ちふさがろうというのか。


 外は木枯らしがふき荒れている。激しい思いに突き動かされて、姑の匂いすら出て行けと、窓を開け放った私の耳に、電話のベルがなった。「今から帰るから、上着を持って迎えに来てくれ」


 背骨がつぶれていく病気には、治療法らしきものはない。痛いだけの病気にはベッドはないのだそうだ。潰れた骨が固まって、痛みが治まると少しはよくなる。三度の食事からしもの世話までしながら、私は必死でNYへの作品作りに取り組んだ。何ものかにつかれたように何点かの作品ができていった。
 同時に、実に奇妙な変化は私の中におこった。あれほど嫌がっていた姑の世話ができるのである。自分はきっと鬼嫁になると思っていた。あんな人に哀れみをかけるなんてできっこないと思っていた、。しかし、この歯のない間の抜けた口を開けるだけの哀れっぽい存在にかゆを流し込み、15分おきに、三種類の目薬を落とし、小便をとる。大便をとる。私にこのことをさせるのは何か。愛情というようなきれいなものではない。私は天使にはなれない。一家の主婦としての責任感かもしれない。火の粉のふりかかった家には水をかけなければいられないようなものかもしれない。愛とは、愛を与えるものの方に生ずるものなのかもしれない。
 しかし、それにしても、何と醜い。大便だって若くないしりからは、すっとでやしない。20分余もかかってチビチビでるし、その間、前からは小便がずっともれているのだ。
 


 「いたあい、いたあい、いたたたたああっ」 
階下で姑は地獄の痛みに泣き、2階で私は作品をつくる。アートにはエクスタシーがある。この人の生涯が不幸なものだったとは思えない。姑の不幸とは、満足することが無かっただけなのだ。内なる充足のない魂を、人は外から救えない。「いあたあい、いたい、いたいいっ」



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 どうですか????ももりの正体

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2016年7月 9日 (土)

1990年 12月9日

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 ももり49才。若かった!!!は・は・は・・・・こんな日もあった。in NY SOHO 1990 12月9日
頑張ってくれたタアシスタントの佐伯君と???お名前は???忘れちゃった。ゴ・メ・ン。今も元気にNYで活躍してるんやろか


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 なんかやってる!!!すっかり記憶にない!!!


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 有名にもならず、お金持ちにもならなかった。今にして思えば・・・やっぱり、家族を捨てる気なら???夫を捨てる気なら???やれたチャンスは確かに何度かあった!!!。もっとも・・・結果は惨憺たるものになったと思います。ももりの性根ではね。そこまで根性はなかったし、ないなら、ないなりに、静かな落ちついた人生がありました・・・のさ・・は・は・は・・・

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2016年7月 7日 (木)

MoMA ニューヨーク近代美術館

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 う・・う・・・・ん・・・読んでいる間にクラクラしてきました。なんだか若かったももりが事件にまきこまれているような・・・・臨場感に引っぱられて一晩で読了。


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 そう・・・場面は1990年8月・・・ももりはNY「MoMA]にいたのです。


 MoMA????聞いたような???なになに??? ニューヨーク近代美術館。「THE MEUZUM  OF  MODERN  ART    NEW  YORK」・・・・この本を読み初めて途中まで、NY近代美術館だと気がつかないうかつさで・・・は・は・は・・・遠い記憶はもうすっかり霧の中でした。でも・・・・わかった瞬間、目が覚める思いで一気によみ進めました。

 


 「NYで個展をぜひやりなさい]と言って下さる方がありまして・・・・当時バブルでお気楽に浮かれていたももりは「いっちょう やったろか」と、のったのです。

 下は・・・ハ・ズ・カ・シ・・・・ながら・・・・その時のDM。ま・あ・あ・・・向こう様が作ってくれたんですから・・・


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若かったし・・・・面白いチャンスで…月のかけらがポットンと手の平に落ちたような・・・マ・ア・ア・・・・主人公のように、あっけなく一線をしりぞいて、田舎にひっそく・・・・って言うのもなんだか似てる・・・・




 もう少し、この事件???は・は・は・・・若かりし日の一戦を報告しましょう・・・次回に・・・・
モッチロンロン・・・・ももりが個展をしたのはMoMAではありません。念のため・・・・は・は・は・・・・


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2016年7月 1日 (金)

爆睡  3日

 これで、なんとなんと・・・・爆睡3日です。


 気持ちの良い目覚めから遠ざかってしまっていましたが、。このところ3日、充分に満ち足りた熟睡の後の目ざめの快感を味わっています。

 東京の審査、その直後の相棒の手術、息子の100か日・・・・・審査の結果報告の責任と、何より、手術2年目の検査への不安。ゴッ・ゴ・メ・ン・・・品がなくて・・・ノミのキンタマ???・・・みたいな小っちゃな心臓なんやろねえ???    

 肛門からの大腸の検査のカメラ。これが・・・結構痛いんです。特に、前回2回は、とても痛くて、ね。

 火曜日の検査「悪いところはないようですね」って言われたとたん!!!もっ・もお・お・・・・あ・あ・あ・・ウ・レ・ピーツ!!!


 検査だけで草臥れはてて、帰宅後、昼寝。なのに、夜も熟睡・・・・2日目も・・・・


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 原田マハの本2冊「ユニコーン」と「風のマジム」
う・う・・・・ン・・・・若い人の文章???なんとなく舌ったらずで、マンガ的???文学も変わってるんやろねえ。

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2016年6月28日 (火)

モネ 大人の恋

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 「ジベルニーの食卓」原田マハ、をやっと図書館から借りてきました。待っていた人が2人・・・人気あるのかしら。

 ご存じ、モネ・・・モネを知らない人はいないでしょう。印象派そのもののような画家です。日本にも多くの作品があり、展覧会も何度も開かれています。「印象派」という言葉のもとになった絵を描いた絵描きです。

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 上は自画像、43才。男前ですよねえ。


 1740年生まれで、若いころには、カリカチュアで、けっこう知られていたようです。

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 しかし、「ジベルニーの食卓」を読んで初めて知った彼の恋。モネ、38才。6人の子持ちの他家の奥方との恋を貫いた・・・とあります。知らなかった!!!



 1786年(モネ36才)シャトー・ド・モンジェロンに実業家エルネスト・オシュデに招かれて、一家7人の住むロッテンブール城にやってきます。城は妻、アリスが実家から相続したばかりで、見晴るかす草原に花々が咲き乱れる小道の奥にありました。オシュデは、彼の作品を買ってくれるパトロンでした。その当時、モネには病身の妻と子供がひとり、貧しい絵描きでした。下はその年齢の頃の絵

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 ところが、ところが・・・・2年後、オシュデは事業に失敗。なんと、妻アリスと6人の子供を残して失踪してしまいます。しかも、末の子は生まれたばかり。城は人手にわたり、すべての財産を処分して、7人はモネのアルジャントゥイーユの家に転がり込みました。モネの妻、カミーユ自身も2人目の子供を生んだばかり。以前から病弱だったカミーユは、翌年にはも死んでしまいます。この状況の中で、描かれた絵が・・・下



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アカデミックな絵画こそ貴いという風潮の中、貧しさと戦いながらも貫いた、光の画家。彼がすこしづつ、豊かになっていくのはやっと45才ころから。そして、6人の子持ちのアリスと正式に結婚した時、モネ52才、アリスは48才になっていました。失踪した夫との確執もあったようですが、家族みんなが、モネを愛したようにえがかれています。

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 ももりの画集には貧しかった彼を助けたセザンヌや政治家クレマンソーの名が出てきます。


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 おやおや、ゴッホの弟テオの画廊で個展をしたともありますよ。

43才でジベルニーの土地を借り、7年後には買い取ります。6人の庭師が手入れをしたようで、晩年のモネは、アリスの次女に懇切なお世話をしてもらって、リューマチと戦いながらも絵を描き続けた・・・のでした。

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2016年6月19日 (日)

作らないサバ寿司

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 ももりは、実は・・・サバ寿司や巻きすしが大好き。勿論つくるのも、食べるのも.
でも・・・・次男が、もういないとなると、どうも、作れないんです。

 逝ってしまった次男。犬年・・・・まったく、犬でした。
子供の頃から、ももりの作るものは大好き。「できたよお」って声をかけたら、お膳の前に飛んできてチョコン。うれしそうな顔をして座ってました。「お手」って言ったら、」お手もしたかも???「おすわり」といったらいつまでも座ってたような・・・
 一番寂しいのは、食べ物をつくるとき。飛んできて喜んで食べる子がいないということは・・・・グ・グ・グ・・・

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 今日は父の日。長男は素晴らしいステーキ肉をおくってくれました。釣りキチは、昨夜釣ってきたお魚で、今、ごちそうを作ってくれています。あの子さえ、ここに・・・・もう・・・言ってはいけないのです。

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2016年6月14日 (火)

喜びというものは

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 「お友達のくつと帽子」夏ですねえ。まあ・・そのまえに梅雨・・・ということですけど・・・・


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 図書館へ本を返しに行きました。ちょっと・・・しんどい。井上靖はまじめやし、スッゴク勉強家やから大好きやけど・・・ちょっとくたびれました。というときに、チョロッと目にはいった本。これはおもしろい!!!

 5月、忙しかった。東京での審査、帰宅直後には相棒の緊急手術。相棒抜きで息子の100か日。そのあと、又批評を書けということで東京へ。この時は、相棒が入院していたからかえって安心で、夜の懇親会パーティーにもチャッカリ参加しました。


 喜びっていうものは自自身が意識して大事に喜ばなくっちゃ・・・ね。どれもこれも、喜びなんです。
75才・・・大きな会場に、晴れやかに展示してもらえるっていうことだけで、十分にうれしいことなんです。大きな展覧会に参加できて多くの人とおしゃべり、笑い・・・・大いに楽しみました。ア・リ・ガ・ト・・・ね

さ・あ・あ・・・相棒をデイケアーに送り出して、今日はこれから奈良へ。何しろ100才のお祝いをするという猛女のところへ・・ね。は・は・は・・・

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2016年6月10日 (金)

エッセー 井上靖

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 相棒、2週間で退院。また、自宅介護の生活にもどりました。静かな平穏・・・とはいえ、三度三度の食事を枕元に運ぶのは・・・結構・・・シ・ゴ・トです。


 楽しみは「本」。もう少し井上靖に近づきたくて、エッセーをさがして借りてきました。不眠の苦しみ、親の死など・・・身近な文章で、井上という男の体臭???がにおうようです。井上靖の父親は81才、母親はその5年後、認知症の末、85才まで生きました。彼は長男…当時はアフガニスタンやトルクメニスタン、など、西域への激しい旅をしている時期で、実際介護に携わったのは、彼の姉妹のようです。

 しかし…高齢の親が生きているということ、その現実は自分自身や周辺の者が自分のこととして死を考えるということから遠ざける、と、書いています。そう・・・親は、長生きすることは、無言のうちに、子供達を勇気つけてるんですねえ。
 ももりは、相棒や自分自身が死ぬことは怖くありません。でも、息子が死ぬのは怖い。
先日、お昼ころになっても、2階の釣りキチの部屋からコソッとも音がしないもんですから「死んでるノンちがうか」ってのぞきにあがりました。日曜日だったのにねえ・・・・「エエ加減にしいや」ですってサ。


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2016年6月 6日 (月)

京都と東京で

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東京上野の東京都美術館における「日本水彩展」に出品しています。
次男が急逝し、絵を描く気力も失っていましたが、何とか出品は続けたいと、古い絵を取り出しました。一度の出品に2~3点は描くものですから、出品しなかった絵はたくさんあります。その中の一つから。


 空間だけは描いているのですが、どうしても、ポイントになる‘何か‘を思いつきませんでした。ふみつぶされたビールの空き缶???なんてチンプな!!!おもちゃの飛行機の墜落したの???枯れたバラ????いえいえ、小さなものを描いたら空間も小さくなります・・・・ふと・・・・逝ってしまった息子を探してさすらうような・・・・フラフラした人間を描きこもうとおもいました。下「目的のない旅」


 

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いつもながら・・・・ショーモナイ・・・

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 京都市美術館で開催中の「京都水彩展」やっぱりここでも・・・フラフラと・・・・「あてどない旅」


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2016年5月31日 (火)

多事多難

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 ももりは東京へ行くとき、新幹線から富士山が見えたら、「きっとうまく行く」と信じます。ずーっと、これはもうジンクスで、信仰でもあります。その日は、ぼーんやりした晴れ。
 でもでも・・・・富士川のうえには、くっきり・・・???とはいかないものの富士山の全貌が見えてるじゃありませんか。

 相棒をショートステイの送りだしたら、もう用事はありません。東京でゆっくりしようかと家を出ました。2時過ぎにはホテルにチェックイン。不忍の池、水上音楽堂の前の静かなホテルです。のおおんびりと周辺を散策。その後、息子の家と、事務所を訪問。お嫁さんのお手間入りのごちそうもいただいて。うーっとり。
 明日からは、緊張の3日間です。


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 3日間、何とか至らないままにつとめまして、できるだけ早く帰宅。相棒を迎えたのは、午後4時過ぎだったでしょうか。
 機嫌よく、あちこちに電話したりして、夕食の準備にかかった時、相棒が急に激しい痛みを訴え、車いすですぐに病院へ。そのまま緊急入院、手術となりました。

 あんまり、楽しい話でもないし・・・・でも・・・手術は無事におわり、後は傷口がふさがるのを待つばかりです。ご心配かけてまして、すみません。

 東京であまりよく眠れなかったから、今夜こそはと帰ってきたその夜、真夜中の12時から手術は始まりました。
待合室で待つ時間はのろのろ。「何にも言ってこないということは生きてるってこと。相棒のために、こんな真夜中に、何人もの先生が、頑張ってくださってる」と思いながら待ちました。2時間半くらい???「手術は無事、終わりました。あとは管を抜いたり事後処理です」との先生のお言葉です。

 相棒ときたら、気がついて最初に言った言葉 「又、死にぞこのおた」ですって。憎まれ口は死ぬまで・・・でしょうかねえ。皆さまにこれだけやっていただいてるのに、まああ・・・

 その、後一日おいて、息子の100か日。お骨も土に・・・・みいんな無事に終わりました。あ・あ・あ・・・・・

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 病院の待合室にあった本。これが・・・・面白かったのよねえ。
芥川龍之介の自殺前後の、昭和初期の有名な作家たちとの風景。三島由紀夫、志賀直哉、菊池寛、佐藤春夫・・・・。井上靖は・・・まだ出てこないなあ。ちょっと年代的に新しいのかしら。


 どうしても、文字を拡大できません。どうもどうも・・・

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2016年5月18日 (水)

井上靖の絶筆「孔子」

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 「孔子」井上靖の最後の長編です。絶筆といえるでしょう。やさしい語り口ですが・・・どうも場面描写が説得力にかけ、夢中になって読み進められません。しかし・・・孔子にとっての弟子との別れ・・・いやおうなくやってくる別れ・・・・時は流れ…すべては・・・歴史の中に韜晦されていく・・・・う・う・・・・・ん



 はやい・・・もう、100日・・・・突然やってきた次男の死


 ももりは、間もなく東京出張です。絵の会のお仕事で、責任ある立場です。
ともすれば感情におぼれそうな私を支えたもの・・・これは、案外、「この大役を何とか果たさなければ」という思いだったのかもしれません。


 あえて・・・・息子の話にはふれないできました。触れられるとブレーキがゆるむから。優しいお言葉すら、拒否・・・かわいくない母親です

 ももりは、バブルの頃、人様に言われるままに展覧会をしまくった時期がありました。やがてやってきたバブル崩壊。次々に展開していく展覧会の準備にお金を使っていましたから、収支はトントン。有名にもならず。お金持ちにもなりませんでした。


 押入れにたまるだけの絵を描く気力もなく、日々を過ごしてきましたももりを拾ってくれたのが今の絵の会です。もう、年老いて、人様の前に出たくないという思いは強いのですが、絵を発表できる場があることが、今のももりの活力源であることは間違いありません。
 息子の死で、もう絵をやめようと思いました。でも・・・・・以前に描いた絵、大きな空間だけは描けているのですが、どうしても焦点になる「なにか」を描きこむことのできない、未完成の絵が何枚もありました。その空間に・・・・見つからない、あてどない旅をするような人を描きこもうと・・・・ふと、おもいついて・・・・絵がももりにもどってきたのです。次回の出品作は、もう東京に送ってしまって手元にはなく、写真をアップするような気にもなれませんが・・・


 

 3日間は相棒をショートステイにあずけます。久しぶりの一人です。でもなあ・・・・・人混みは苦手やし・・・
 さ・あ・あ・・・・不忍の池の周りでも歩きましょうか。夜は久しぶりでTVでも・・・・朝はゆっくりとホテル食・・・・これすら久しぶりやもんなあ。

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2016年5月16日 (月)

フラフラフラ・・・・と・・・・

 京都・・・改めていいなあ!!!
「どこへも行けへんようになったら、日本を旅行するわ」なんて、生意気言って外国ばかり行きたがったももりですが、今はもう・・・・国内旅行もままなりません。 と、なると・・・・改めて見回しましたら、京の都・・・・いいのよねえ
 お天気がいいと、ママチャリでフラフラ。「へえ・・・こんなところに」という発見がいっぱい。


 今まで、どうにもわからなかったのが「応仁の乱」や南北朝の時代。応仁の乱では、京都の1/3が焼けた、といいます。御所の場所は転々とし・・・つまり・・天皇は都から逃げ出し、足利将軍家も地方を転々・・・京都は無法地帯だったのでしょう。

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 真面目にお勉強もしています。先日はお仲間と大阪天王寺美術館へ。素晴らしい密度の濃い展覧会でした。

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 井上靖・・・娘から見た父親、井上靖
改めて、読んでみたい本が何冊も・・・又また図書館へ・・・・お・お・お・・・忙しいこっちゃ。

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2016年5月 6日 (金)

千本閻魔堂の狂言見てきました

 春風駘蕩・・・・
♪♪   たのしや5月  草木は萌え、
      小川の岸に すみれにおう
      やさしき花を 見つつゆけば  
      こころもかろし   そぞろ歩き   ♪♪


 京都では、いにしえの名残をとどめる素朴な仏教の行事があちこちであります。今日は千本えんま堂の狂言を見ましょう。さああ ママチャリで。


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 狂言は室町時代、仏教のおしえを民衆につたえるために始まったとか。ももりのご近所の壬生狂言は無言劇ですが、こちらはセリフつきで、わかりやすい。下は、地獄へ送られる亡者と三途の川のてまえの鬼のかけひき。だれも地獄へ行きたくないから一生懸命ゴマかそうとする・・・は・は・は・・・・おもしろいなあ!!!


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下は「にせ地蔵」 どうも、最近いいことがない凡俗二人、お供え物がたっぷり手に入るとみこんで、地蔵に化けることをおもいつきます。紫の頭巾をかぶり、着物を後ろ前にきて、錫杖と宝珠をもって、・・・ハイ・・・うらがえすとお地蔵さま・・・はっはっは。そこへやって来る善男善女の素朴ないのり・・・いつの世も、人々の願いはかわいらしい。



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 土蜘蛛・・・源の頼光とその家来、渡辺の綱と平井なにがし・・・・と土蜘蛛の戦い蜘蛛の糸を飛ばすのがとてもダイナミックです。サ・ア・あ・・拾った糸を家にもって帰ります。いいことがあるんですよ。


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2016年5月 4日 (水)

スサノオノミコトに会いに

素晴らしい旅をしてきました。思えばフルーイお付き合いの友人の生家へ連れてもらったのです。ももりは彼女が、実は和歌山の古いもっとも格式の高い神社の娘さんだということを、つい最近まで知りませんでした。ことのはじまりは、古事記に興味を持ってのおしゃべりから・・・・
 「私の生家は、和歌山の神社え」
 「へえ・・・なんていう神社???ご神体は????」
 「須佐神社、ご神体はスサノオノミコトやで」
え・え・え・・・・・スサノオノミコトですって!!!彼こそは古事記の主人公!!!
どこかおかしく、聞き分けもなく、でも、めっぽう強い!!!



 和歌山といえば・・・京都よりはるかに古い。京都がまだやましろ(山背・・・山のうしろ)と呼ばれていたころのおはなし。ヤマトタケルは瀬戸内海を東へ東へとせめのぼり、難波へやってきます。更に攻め上ろうとしますがどうしてもうまくいきません。ナガスネヒコがたけだけしくて苦戦続きです。そもそも、太陽神をまつるタケルが太陽の方向、東へ攻めるのはムリというものがあって、南に方向を変え、海路、和歌山へやってきます。そこから北へ攻め上り、大和橿原に行きついた・・と、ももりの幼い知識は解釈しています。


 

 「スサノオノミコト・・・須佐乃男命・・・和歌山!!!」一瞬でのめりこみました。しかも、兄君であるご当主は考古学者だというじゃありませんか!!!
 「行きたあーい」というわけで・・・あつかましくも・・・実現・・・・も・お・お・・・感動でした。お天気もサイッコー!!!

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 スサノオノミコトは、今更ももりが説明するまでもないでしょうけど・・・腕白悪ガキみたいな神です。日本神話ならではのキャラクターでしょうか。


 親神様から、「アマテラスオオミカミ(天照大神)」は地上を治め、ツクヨミ(月読)は冥界を、スサノオは海をつかさどれ」と命じられますが、死んだ母親の棲む根の国に行きたいとゴーゴーと大声で無くわめくばかり。その声に応じて悪い神々も、怪しくうごめき始めます。それではならじと、アマテラスは、弟に天に上ってくることを許します。すざまじい馬力で登ってくる弟、スサノオを見て、自分の国を乗っとろうとやってきたのではないかと恐れたアマテラス。
 なんとか、害心はないと認められて天の国にいついたスサノオ、田んぼの溝はこわすわ、ウンチはするわ、神聖な織姫の仕事場の天井から皮をむいた馬を天井から放りこむわ・・・織女がひとり犠牲に・・とうとう困りはてたアマテラスは天の岩屋にかくれ、世の中は真っ暗に・・・・

 それに、当主の考古学者の先生にも直にお話しがきけて、こんなに楽しいことはありません。何しろ、ももりの古代史は小説仕込み。あることないことごっちゃまぜで、品のないことおびただしい。
あ・あ・あ・・・・こんな歴史講座が近くにあったらなあ・・・でも・・・妙な質問を遠慮せずにはさむなんてことはできないし・・・

 それに・・・その神社は先の朝ドラ「朝が来た」のロケ地になったみかん畑の持主のご親戚でもあります。そこへも連れていってもらいました。右の方へ歩いていくのは???宮崎葵さん???みかんの花の香りにつつまれて・・・海も美しく・・・感動でした。


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