いよいよ コロナ接近か???

 昨日、プールへ。スタッフが入り口の前で数人「臨時休館」の看板を掲げて立っていました。

「出たん???」

「そうなんです。今、消毒しています」ですって。なんだか・・・会員の夫婦二人に感染が確認されて、スタッフが一人自宅退避ですって。あ・あ・あ・・・・・いや!!!ついに、身近にせまってきたか??

 最近の楽しみはプール。プールでニコニコ笑って、少しはお話もして楽しむ時間が本当に大事になっています。もちろん下手クソなれども泳ぎます。ババフライだってするのよ。

 先ほど、TELあり。

「プールやってるそうやで」お・お・お・・・・うれしい!!!

とりあえず今日は火曜日で定休日。明日、直接行って確かめてみましょう。



 先日、久しぶりで楽しい夢をみました。なんだかお友達と映画の話を盛り上がっています。そこへ、ちょっとおなかの出た神父さん・・・英語でおしゃべり・・・あ・あ・あ・・・英語も話さなくなって久しい!!!


 すっかり過去になってしまった楽しかった若い日々。英語もスペイン語もカンカンになってやってたなあ。映画や本や旅に夢中だった日々・・・


 今の楽しみはもっぱら本。今永井路子さんの歴史全集をよんでいます。秀吉の妻おねねの生涯。文章読みやすく説得力があります。それに・・・秀吉の手紙がよく登場します。これがぁ・・・・私も本をもってるのよねえ。まったくひどく読みづらい手紙・・・古文書を勉強してる身となれば・・・・読まなくっちゃ・・・読んでみれば読めないこともない!!!


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 でもまあ・・・こんな手紙をもらった人は読めたのかねえ???


 書道もやって60年以上・・・やっぱりすごい世界でしたねえ。まさしく歴史に肉薄するって感じが得られます。

 

  

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2020年6月17日 (水)

主よ いずこへ 行きたもう

「クオ ヴァディス」ローマ史劇の大著です。若い日に何度も読んだ大好きな本です。作者はシェケヴィッチ

「クオ ヴァディス」ラテン語で、邦題は「主よ いずこへ 行きたもう」

 ローマの暴君、ネロの時代。狂った帝王、暴君ネロ。残酷なキリスト教徒迫害の中、舞台はヴェスヴィオス火山の大爆発。音もなく降り継ぐ火山灰・・・逃げ惑う人々・・・主よ いずこへ 行きたもう

 救いようのない深い絶望  助けを求めても・・神は・・・いずこへ行ってしまわれたのか???

下の絵のタイトル・・・なんとしようか???考えて考えて・・・「主よ いずこへ 行きたもう」
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 老いてきました。深い絶望・・・口にすることもないけど・・・耐えています。逃げ場のない老々介護の日です。下は最近読んでいた本です。いいなあ!!!


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 図書館が閉まっている間に何冊か本を買いました。ところが・・・どうも・・・好きになれません。最後まで読んだ本がない。やっぱり…時代というか・・・今の世の本についていけないのです。


 新しい趣向をこらしてなんでもあり・・でも・・・そこににじみでる愛というか・・・深刻な悩みというか思索の深刻さが感じられないのです。少女漫画・・・なんでもあり。思いつきにまかせて勝手になんだって創作する・・・上の本はフルーイ…でも、引き込まれて読みました。


 詩仙堂へ行ってきました。宮本武蔵が吉岡道場の門人たちと戦ったという一条寺下がり松。

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詩仙堂・・・人影もまばらで静かです。しばし・・・絶望も忘れますDscn5528 Dscn5533 Dscn5534 Dscn5535 Dscn5530 Dscn5529 Dscn5532

後々考えるにどうやら「クオ ヴァディス」と「ポンペイ最後の日」と二つの作品をいっしょに記憶してるみたい。もう確かめる気もありません


 最近睡眠障害に悩んでいます。薬を飲まないと厭な夢を見ることが多いのです。

 先日、自分が悪魔になった夢をみました。夢の中で、何やら急激な怒りとりつかれエイッ、と空にとび上がり、ものすごい勢いで飛んでいますが、人々に追いかけられて、すぐ逃げるのに疲れました。も・お・お…しんどくて...目が覚めました。


相当プストレスがたまっています。相棒は勝気で憎まれ口をきくのが生きがいです。クシャッと私をやっつけたいのですよお。我慢も・・・お・お・お・・・主よ いずこへ 行きたもう・・・






 

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2020年5月26日 (火)

コロナ解除・・・でも

 やっとお出かけできるようになりました。でも・プールはまだ。図書館は開いたけど、イメージが暗い。なんだ容疑者か保菌者みたいな扱いやねえ。スタッフの方が数が多くて各自パソコンで操作しろって感じ。ま・あ・あ・しょうないっか???


 なんだかみんな疑いぶかくなったみたい。先日も相棒の眼科で。なんだかちょっとのどにひっかかって、「コン」と咳したら、たまたま相棒も「コホン」パッとお隣の人が席をかえました。あ・あ・あ・・・・みんなで肩をくんで歌うなんてことは遠い昔の夢の日のことか。


 植物園はバラ真っ盛り。すばらしい。でも土日は入場禁止。もったいなああい!!!


 そうそう、先日、チャリで植物園へ行きました。駐輪場でよそのおっさんが大きな声で「ああしんど」っていってるから、二ッと笑ってあげたら・・・「奥さん、年は80くらいか??」ですって。

 

 プン!!!せめて75才くらいかって言えよ!!!ま・あ・あ・・・もう半年で80才ですけど・・・若い目に言えよ!!!


 チャリで走り回っています。昨日は金閣寺、今日は大覚寺。妙心寺も光悦寺も南禅寺も。チャリではけっこうきついですよお。80前のおばあちゃんが頑張ってるっておかしい光景です。歩道をいっぱいになって歩いてる若い子に「チリン」とならしたらよけてくれた。「アリガトね」って通りぬけたら「おばあちゃん、がんばれ。オイッチニィ オイッチニィ」ですって。は・は・は・・・バイバーイ。

下は東寺。閉まってる。
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西寺跡。礎石。今は公園。

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西大路八条 平清盛の屋敷跡。


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 嵐山も奥嵯峨も東山も・・・プールが始まるまでの運動です。南禅寺も詩仙堂もや法金剛院も閉まってるけど・・・きれい!!!

 人がいない京都はホント、ひっそり閑。静かできれいです。

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2020年5月18日 (月)

コロナ解禁

外出・・・できるようになりました。尤もお買い物もしたしママチャリでやたら走り回ってはいましたけど。ま・あ・あ・・・運動のために・・・ね。


人影のない嵐山


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誰もいない渡月橋

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だあれも歩いてない嵯峨野の竹林
 

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いつもは人だらけ。何にも感じられない野々宮神社・・・やーっぱり・・・いいなあ!!!
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梅宮大社はいつ来てもひーっそり


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誰にも会わないし、何にもさわらないけど・・・京都・・・人がいない京都ってホーント・う・つ・く・し・い!!!


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2020年4月19日 (日)

ボーケーッ!!!

 何にもすることがないって生活が…こんなものなのかって・・・ボーケーッとしています。

 一昨日、プールは閉館になりました。水彩会の展覧会も、同窓の展覧会もスケッチ会もデッサン会もぜーんぶなし。自分の子供たちの書道教室ももう2月おやすみ。再開する見込みなし。大好きだった古文書教室なし。図書館も閉館・・・・こんなボーッとした生活って・・・ひょっとして生まれて初めて???かもしれません。


 もっとも、介護は続きます。今のところデイケアはやってくださっています。

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 久しぶりで本を買ってきました。なんだか・・・・今の書き物って・・・ずいぶん変わってるんやねえ。
「源氏姉妹」・・・なんとまあ!!!アッケラカンというか、ドライっていうか・・・・品がないっていうか・・・でもアッという間に読ませた筆力はたいしたもの!!!
 源氏物語は・・・・どうも好きになれません。源氏という男が嫌い!!!複雑にからみあった人脈は何とか理解しているつもり・・・そのていどの読み方しかしていませんが、一条天皇の時代、中宮「定子」皇后「彰子」…周囲を取り巻いた才媛たち・・・紫式部、清少納言、和泉式部・・・道綱の母・・・・すごい文芸の華の頃・・・の周囲を描いた真面目な小説はいろんな作家で読みくらべましたが・・・ま・あ・あ・・・・なんというか・・・現代って味もそっけもないんやなあ!!!でも・・・面白く一気に読めました。


 先日はチャリで「法金剛院」へ。此処の丈六の仏様が国宝になられました。ここは大好きなお寺で何度も何度も来ていますが閉館。帰途・・・こんなお宮さんをみつけました。太秦広隆寺の東すぐです。


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 つまりぃ・・・秦川勝は聖徳太子のお気に入りの渡来人ですが、それをさかのぼる6代前のご先祖をまつってるんですって。太秦の広隆寺は秦川勝が聖徳生太子の命令で建てたんじゃあなかったっけ???


 プールではあれほど自由に動けるのに地上ではヨボヨボ。転ばぬ先の杖・・・をもって歩くようにしています。何とか運動も続けなくっちゃ・・ね。きのうは西京極へチャリで。往復しグランド一周して約1時間。夕方に梅小路公園で約40分。杖をもってトボトボ・・・あ・あ・あ・・・・なさけなや・・・



 最近。どうも世情についていけません。あまりにも好き放題を言い合ってる・・・偉そうに言う人が好きになれません。私が黙って粛々と相棒の介護をしているのだって…すべてを受け入れて黙っているだけ。言いたい放題の文句なんか言ってませんよ。これは・・・意志の問題です。愛情とかやさしさとかそんな…ちょろいものではないと思います。これをさせているのは・・・「教育」です。きっと。
 まったく・・・今の教育は悪い!!!ちーっとは黙って我慢もせえ!!!




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2020年4月11日 (土)

早く戻って  平穏な日々

我が家は今、花盛り。お庭もないし大した自慢の花もないけど・・・かわいいです。

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中京の狭いコンクリートの隙間に・・・ようまあ!!!えらいッ!!!懸命に咲いてます。
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チューリップもヒヤシンスも、もう終わり。ダラシナアーイ。持ち主みたい・・・
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椿も終わり、まもなく、さつきとうの花、紫蘭がさきます。
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 日曜日、釣りキチが京北町の常照皇寺へつれてくれました。道の駅でわらび、わけぎ、菜の花やねぎ、草餅、納豆餅などいっぱい買い込んで、食べきれない。菜の花はもう超満開!!!台所でお花として楽しんでいます。観光バスも来るほどの有名なしだれ桜の名所ですがひっーそり閑。広い境内も本堂の中も風通し万全。窓は全開。

「わあ!!!きれい!!!来たよ、来たよおお。桜もいらっしゃあーいって迎えてくれてる!!!」って歓声をあげましたら「さ・あ・あ・・はしゃぐのはもうそれくらい」ですってサ。いつのまにやらこちらが子供あつかいされてるみたいな気がしました。

 今、頑張ってるのはプール。でも「コスパ」の施設も大阪は全部クローズ。京都も今日か明日かって感じ。もし、相棒のデイケアがなくなってプールもなくなったら、こっちの神経がいかれそうです。


 なんだか、TVみてても不愉快。言いたいこと言い放題。教育が悪いよねえ。ちょっとは上に立つ人の言うことも聞かなくっちゃ…って古い人間ですか?もらうもんだけはもらいたいって・・全く・・教育が悪い!!!


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2020年3月30日 (月)

結婚記念日

 うきうきした気分なし。大してうれしくもない。
それでもケーキを買ってきました。一番ちいさなのです。

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 相変わらずの老々介護。不十分なのは承知の上で・・・でも、もうこんなもんやなあ。

 世の中、病気の話ばっかり。お教室もやめたので絵を広げっぱなし。何回かの出品作はメドがつきました。沈みゆく夕陽にむかってトボトボ…でも、まだ二人で…てのが救いか???タイトルは未定。Dscn5433

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上は「残照」

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 我が家、今、花盛りです。お庭もないし大した花もないけど・・・とりあえず、いーっぱい!!!
椿、れんぎょう、ぼけ、チューリップ、ヒヤシンス、コリウスだっけ???しゃが、菜の花…まだまだいーっぱい。車を3台置いてたガレージが、今一台だけになったので、「ちょっとお金かけてお庭にしようか」っていったら、「やめとき。そのうちに水もようやらんようになるでえ」って相棒が言ったので、植木鉢やらなんやらの、草花をいろいろ買っては花を楽しんでます。だめになったらさっさと変えて・・・結構これでよかったかも???花ってかわいいのよねえ。そうそう…雑草も・・・だーい好き

 

 

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2020年2月28日 (金)

角みえた

 相棒の白内障の手術後は順調に経過しているようです。

「ようみえるか???しわだらけやろ???」って言いましたら、大目をあけて「ウワッ!!!角みえる」ですって、サ。

ッタクー!!!体は不自由なのに口だけは冴えてる。ま・あ・あ・「言わへんようになったらおしまいや」って言ってくれる人もいるから・・・ね。残り少ない楽しみと思いましょうか・・・


 先日は確定申告へ。集団感染の現場はかくある…って程の集団。濃厚接触。おっそろし!!!2時間かんずめで帰宅。6万円ほど返ります。

 でも、今、もっと深刻なのは3月の「京都水彩展」どうなるんやろ???オリンピックも・・・ね。


 私の書道教室は3月お休みにしました。さ・あ・あ・・・寂しいか???うれしいか???

🎵🎵
  春は名のみの 風の寒さや
  谷のうぐいす 歌は思えど
  時にあらずと 声もたてず
  時にあらずと 声もたてず    


  こおりとけさり 葦はつのぐむ
  さては時ぞと 思うあやにく
  今日も昨日も雪の空 今日も昨日も雪の空

  春ときかねば 知らでありしを
  聞けばせかるる 胸のおもいを
  いかにせよとのこのころか

  いかにせよとのこのころか

母の大好きだった歌です。亡くなった次男も待ってるから・・・私はちっとも死ぬのはこわくないなあ!!!

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2020年2月16日 (日)

鬼のいぬまに

 鬼のいぬ間に大洗濯をしようと思っていますのにお天気はサッパリ。
相棒は今、入院中。白内障の手術で先の木曜日に左をおえました。明日は右目・・・

 それにしても・・・・家の中はシーンと静かで明るい!!!南の大きな窓はいつもは閉めたままにしてました。開けるとTV に光が反射するっていうもんですから・・・朝一番にサーっとカーテンをひく快感!!!白内障の手術は失敗したって聞いたことないし、命に別状もなさそう。久しぶりの息抜きです。


 「老いる」ってこんなことか・・・と思うのは深い疲労感。生きるって、重い。しんどいなあ。

 そこで不思議なのはプール。プールでだけは年を忘れます。ババフライでマドンナ???は・は・は・・・

 相棒はプライドが高いせか、憎まれ口が達者で大好き。よそのおじいちゃんに遊んでもらってる方がずーっと楽しい!!!は・は・は・・・・

 先ほども病室をのぞいて「鬼のいぬまに大洗濯と思ってるのに、お天気がさっぱり!!」って言いましたら・ネ!!!
「鬼が家にいるんやから」ですってサ。達者やろ???何しろ、ちょっと着てはポイってかごに入れてるいっぱいの服!!一度に洗いたいって言ってるのも、あなたの服やぞう!!!

 

 2月恒例の書道の新年会も楽しく終わりアップする記事はあったはずなんですけど・・・どうも・・・気力がわかない・・・どうぞ皆様、私がブログに書かなくなっても、年のせいでズボラかましてる…って…心配はなさらないでくださいね。

 

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2020年1月20日 (月)

朗々介護

 長らくご無沙汰していました。失礼お許しください。
久しぶりにパソコンをいじってたら、老々介護と打ち込んだら、「朗々介護」ですって。パソコンヤツ、なかなかやるわい!!!
  
 1月9日に、79才になりました。昔なら縁側で日向ぼっこして過ごす年ですよねえ。でもでも…プールではババフラでマドンナに。おじいちゃんたちの・・・???

 なんとなんとなくムーッとしています。「つわりやろか???」って言ったら「へ・ええ・???相手誰???」ですってサ。アレかなあ???こいつかなあ???

 老々介護も6年目に入りました。我が家の老人、頭ははっきりしています。昔から頭のいいのを自慢にしています。憎まれ口をたたきたいほうで、今でも、けなげな介護者の私に、すぐ「頭悪いなあ!!悪い頭やなあ」って言います。だから・・・「この程度の頭やからこんなとこにいられるのんよ」って言い返してやりました。


 プールでのよそのおじいちゃんたちとの会話の話をしますと、「イヤなババア」っていつも言います。自分はせっせとデイケアのおばあちゃんたちにサービスしてる??くせに???   そんなこんなで、ムーッチョ…いえいえ、ムーッと・・・やっぱり、つわり???

 2月になったら、相棒は白内障の手術で一週間入院。「付き添わなあきませんか」って聞きましたら「いえいえ」ですって。思わず「ちょっと楽さしてもらお」って言ってしまいました。2月は、東京、銀座で「日本水彩選抜展」に選ばれて、その手配も終わりました。3月の「京都水彩展」にも何とか向き合わなくっちゃ

 

  それやこれや・・・・日向ぼっことはいきません。

バスで大覚寺へ。1月4日。だあれもいません。広沢の池へはお寺に入らなければ料金はいりません。ホラホラ…この青空!!!これが大好き。一人もダーイスキ。あああ・・うれし!!!

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 この竹林は、嵯峨野の竹林なんかよりよっぽど好き。もう少しすると鶯も鳴きますが今朝は、人影もなくシーン!!!ホッ

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なこそながれて、なお聞こえけり…誰だっけ???百人一首の滝の跡

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 ひにさらされた野仏さま・・・なむあみだぶつ
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1月1日は地元の春日さんへおまいり。お札をもらってスットコトンのスットントン・・・いい年でありますように・・・
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金箔入りのお酒もいただいて・・・・ね。

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2020年1月 2日 (木)

あけましておめでとうございます

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 穏やかに元日を過ごしました。お雑煮を家族で食べて、長男はお嫁さんのお家に、釣りキチは早々と土佐へ釣りに。家はいつもと変りなくシーン。孫もいないし静かなものです。次男が欠けて・・・・お料理を作る時が一番寂しい。大食漢だった次男家のも作ってましたね・・・でもでも・・・少しづつはおせちも作りました。釣りキチのにらみ鯛、カルパッチョもあってまずまず・・・


 昼からはババチャリで嵯峨野でもフロフロしましょうか。どのお宮さんにおまいりするかなあ???


 プールは4日までお休み。あ・あ・あ・・・・去年一番楽しんだのはプール。ババフライで人気者ですよ。は・は・は・・・間もなく79才。この穏やかさがいつまでもつか???世界の平和も祈ります。


 みなさまのおしあわせまの祈ります。

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2019年12月18日 (水)

うそのようなお話

 今読んでいる本はもっぱら平安時代。まだまだ荒々しく激しい時代です。うそのような本当にあったお話をひとつ・・・

 986年6月23日、午前2時頃・・・天皇様のお住まい、清涼殿からふっと天皇のお姿が消えました。お名は花山天皇。身近な側近や家来が必死になって探しましたが、行方はようとし てしれません。


 その少し前、天皇をひそかに連れ出して御所を出て、山科の元慶寺へと連れ出した公達、藤原道隆。
お気に入りの女房を8か月の身重のまま母子ともに亡くした18才の花山天皇は「もう、自分は出家したい」と漏らすようになりました。このお方の父、冷泉天皇というお方は狂疾・・・廃されて16才の花山天皇に譲位されましたが、お子様の花山天皇も多分に偏執的な方だったようです。「うちおとりのそとめでた」見かけは誠に立派できれいな皇子ですのに、奇矯な行いがめだちました。そこで・・・自分の孫を次の天皇に、と野心を抱いた男、藤原兼家、一家をあげての謀略です。


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下、御落飾とは髪を下ろして出家すること、ここ、このお寺で花山天皇はむざむざとだまされて髪をおろしました。

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 自分の孫を次の天皇にと謀った腹黒い豪傑、藤原兼家。3人の息子(多妻ですので、他には何人いたか正式には???)と悪だくみ。まんまと成功です。御所を出た天皇は、鴨川をわたりまっすぐ東、山科へ。侍が護衛して、ここへ・・・元慶寺へ・・・来たといいます。

 一度、来てみたかった山科の元慶寺へやってきました。古風ののこる穏やかな土地です。渋谷街道は京都から続く古道。今でも街道筋の風情です。


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近くには僧正遍照のお墓もあるはず。僧正遍照は

 あまつ風 雲の通い路 吹き閉じよ
乙女のすがた  しばし とどめん(百人一首12番)


 さ・あ・あ・・僧正遍照のお墓をさがして、エッチラオッチラ。みつかりません。もう、あきらめて帰ろうとの戻り道。立ち話の主婦らしいお二人に聞きました。
 「え??これ???目の前の小さな鳥居??」
「ちがう ちがう」ほんの少し先の1メートルもないような細い道のすぐ先にお墓はありました。


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 小さな円墳です。宮内庁管理らしく綺麗にお掃除はされていますけど、道標もなにもなし。民家にかくれてひっそりと静もっていました。帰宅するころには細い雨・・・あ・あ・あ・・・行けてよかった!!!
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元慶寺にあった僧正遍照の「天津風・・」のお歌の碑です。

 

ちなみに、この豪傑、藤原兼家の妻が「かげろう日記」をのこした道綱の母です。このしたたかな男と渡り合った平安美人・・・たいしたもんやなあ!!!
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2019年12月16日 (月)

敷きもみじ

 おやおや・・・もみじの前は桜です。冬を耐えて・・・桜を・・・待つ身はちょっとつらいなあ。松尾大社にて



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 秋の終わりを確かめに・・・真如堂から吉田山へ行こうと出かけましたが・・・も・お・お・・・足がいけません。真如堂だけにして帰宅。散り紅葉敷きもみじ・・・キレイです。


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途中、国立近代美術館のテラスでランチ。春なら桜の花びらがお皿の中にヒラヒラと・・・でも、もう疎水は冬の静もりです。アサリ風味のスープパスタ。今、美術館改装中で行ったのは久しぶり。あっつあつ・・・おいしいのよお。




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2019年12月 9日 (月)

一年365日は長い

  一年365日・・・ながあーい !!!先日お昼、相棒が怒鳴りました。「なんや このうどん!!!」 じぃつぅはぁ・・・ひどい手抜き。お出しがなかったのでインスタントお吸い物にお湯をいれて麺をいれてお肉も入れてネギもぶっこんで・・・は・は・は…自分は食べなああい。


 でもねえ・・・一年365日は長い。朝晩は必ず、週3日のデイケアの日だけはお昼なし。相棒の食事つくりです。結構・・365日・・・・なぁがぁいぃのよお。イヤになる日もあるよ。相棒の方も、食べ物には口うるさいほうだったけど、最近、じっと、ながあくしんぼうしてたけど・・・ついに、ブチギレってとこか???


 デイケアですきを見つけてチャリで秋探訪。お出かけのお昼は一番楽しみ。相棒はデイケアでごちそう(実はひどい!!!とか言ってる)食べてるからももりは一人、のおんびりと、どなたかが作ってくれるものを食べます!!!ミニコミ誌なんかでみつけた明るく楽しいお店もいくつか覚えました。



 先日、嵯峨釈迦堂で。お店の名前はわすれましたけど、境内にあるお店の「茶そばの芋かけ」がおいしかった覚えがあるので、1500円・・・入りました。とろっとした芋は自然薯。いつもは椅子席なのに「お座敷にはいりますか」って聞かれて「へ・え・え・・何度か来てるけど、中へいれてもろたことない」って中へ。小さいけれどきれいな仏様が3体。お庭の紅葉もとてもサイッコー。ところが・・・「蕎麦は夏だけ」なんですって。「今は湯豆腐だけ」「まっ、じゃ、それ」3800円



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ももりはなんとなく湯豆腐には偏見をもっています。おいしい!!!でも!!!高すぎる!!!

日頃のおばんざいの残りをちょこちょこつまんで一皿に・・・おいしいって自慢のゴマ豆腐・・・何よ!これ!!!・・・いつも食べてる1/6じゃないの???生湯葉だって、いつももっとたくさん口いっぱいほおばってるよっ!!・・・でも・・・ま・あ・あ・・・??お薄もなかったような???もう忘れました。なんだかケチくさいっ!!!



 下は松尾大社・ここでタケノコの粕漬をみつけました。おいしかったのよお!!!

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下は蚕の社。周辺は秦氏が古く勢力を誇った土地柄で酒の神で知られています。

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桂川と愛宕山

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2019年12月 2日 (月)

錦秋古都…無鄰菴

 

手をかざしたら切れそうな透き通ったブルー。この空の下をママチャリはゆく。エッチラオッチラ・・ホイホイ ホイ。  疎水公園と動物園を横目に、奥は比叡山。やっぱり…文句なく綺麗!!!

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無鄰菴へ。入り口は勝手口よりも小さなくぐり戸。へ・え・え…明治の元勲、山形有朋卿が財をそそぎこんで造った別邸です。東山を借景にして疎水を引き込み・・・



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大ぶくのお茶と栗饅頭とお庭は・・・もおお・・・ゆーっくり
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茶室・・・こんな茶室でお茶事におよばれしたらなんて???うーっとり・夢想
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ここは洋館。お金持ちって世の中には要るのよねえ。数寄の極みをつくすなんて・・・小金持ちではできんこっちゃなあ。


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外は有名な瓢亭。長く京都に住みながらまだ入ったことなし。生きてる間に一度は入るように・・・は・は・は・・・ねらいましょうか。たしかぁ…松花堂弁当ぁなら一万円で少しはおつりが???いえいえ、きっとお酒も欲しくなりそうやから・・・う・う‥‥ん…パトロンがいるか???80前の婆あではムリ???無鄰菴は高齢者パスで無料!!!


外はDscn5325 Dscn5326

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2019年11月26日 (火)

はや晩秋  

 相棒をデイケアーに送り出して、岩倉へ。岩倉実相院や岩倉具視が隠れ住んだ家とかは有名ですが…ここに岩倉神社があるっていうじゃありませんか。岩倉・・磐座・・・古代の人々が、神いますところとして祀った神聖な土地だとか。大きな巖、いわおが・・・そそりたってる???そんな古代の人々の心にあこがれて出かけました。ひんやり…もはや晩秋です。



 宝が池はももりが4年間在籍した大学に近く、なじみの土地です。もっとも、国際会議場もなかったし、宝ヶ池街道とかいう大路もなくて、本当に田舎でした。もう・・・60年ほども昔やねえ。いちょう並木が美しく周囲の山も錦秋、真っ盛り。


岩倉神社・・・いわおは???昔、動座されたとかで、静かでひっそり・・・でも、いいなあ。巖はなくてもいい!!!


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近くには冷泉天皇の内親王様の御陵もありました。今読んでいる杉本苑子「檀林皇后私譜」の頃のお方・・・手を合わせました。
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岩倉実相院・・・少しもみじは散ったか???でもきれい。


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 岩倉具視が危険をさけてひっそりと隠棲した百姓家にも。おやおや・・・ここは高齢者はタダですって。「え???実相院もタダやったん???」「いいえ。ここ京都市の所轄なんで」ですってサ。バスも地下鉄もタダ。へ・え・え・・・うれしいねえ。

相棒の帰宅にも間に合って・・・あはれ今年の秋もいぬめり・・・



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2019年11月18日 (月)

日本水彩京都小品展

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明日から・・・今から会場作りにでかけます。なんとか・・・やっつけて・・・これではいかんなあ!!!


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タイトルは…未定???何もかも未定・・・明日だって???未定って感じですね。

 


昨日、釣りキチがドライブに連れだしてくれました。相棒はお留守番。比叡山を越えて旧街道・・・秋まっさかり。きれいやなあ!!!和邇で、少し釣り。ももりはスケッチ…久しぶり


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 先日行った花園の法金剛院の嵯峨菊と仏手柑。法金剛院は大好きなお寺です。待賢門院璋子の御寺…璋子は白河天皇に、幼いころから猫かわいがりされて宮廷でそだちました。わがままいっぱいだったでしょう。幼い璋子の足をふところに入れて温めて寝かしつけたといいます。長じては男女の関係。おなかにお胤をやどした璋子を息子の鳥羽天皇に嫁にやり、生まれたのが崇徳天皇。嫁いり後も白川天皇との関係が続いたといいます。「おじご」とよんで父親らしい愛情を示さなかったという鳥羽天皇と崇徳天皇の対立は、白河の死後、表面化。保元の乱となりました。この戦いは、現、京都大学農学部のあたり。実際は明け方から始まって、お昼にはもう終わっていたといいます。ここで平清盛、デビュー。清盛はお昼にはお湯を浴びて昼飯を食べて寝てたとか???って日記を書いているお方がいるんです。
 しかし、璋子は5人だったか???子を生み、のちの後白河も璋子の子です。生まれた子にすぐ乳をやり、ヘソの緒まで切ったとか???でも鳥羽の愛は後妻、美福門院に移り、晩年は寂しく・・・ここで・・・住まったのだそうです。きれいないいお庭です。仏様が又、すばらしいのよねえ。個性的な王家の面々を、現代ではいろんな作家が描いていて、とても面白いですよ。

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ママチャリを押して坂をエッチラオッチラ。おやおや・・・こんなところに、吉田兼好の住まい跡ですって。へ・え・え・・・ここで「つれづれ草」は書かれたんやねえ。京都は深い!!!

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妙心寺…なんていう塔頭だっけ???わすれましたけどおいしくお薄をおいただいてゆっくり・帰宅しました。秋の嵯峨野やっぱり深い!!!


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2019年11月 8日 (金)

秋の非公開文化財特別公開 大忙し

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 このところ大忙しです。普段は非公開の文化財の秋の特別公開です。今年は令和の改元にちなんで皇室関係の建物が選ばれていますが・・・撮影は禁止なので・・・報告だけです。


 まずは冷泉家…ここは古文書の師、藤本孝雄先生が研究員をなさっていまして、いつもお話をうかがっていて絶対見過ごせません。御所の北、お隣は同志社大学です。まずは同志社にママチャリをあずけて冷泉家へ。案外、狭い!!!きっと鎌倉時代、藤原定家の頃はもっともっと広大なお屋敷だったでしょう。でも御文庫も外観は拝見。当主以外は通風孔からしか入れないとのことでした。上皇様お二人がおいでになった時、高貴なお方は、お靴はお脱ぎにならない…でも…ここは畳…といって当主の奥方冷泉喜美子氏は、お靴を脱がせちゃったとか・・ブラタモリ取材の時の現場のお話とか・・・とても身近にイメージできてうれしいこと限りなし!!!幸せでした。


お近くの光照院・・・1356年・・・・・・鎌倉時代、後伏見天皇皇女が建立された尼門跡寺院で、もちろん初めて伺いました。

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 そこから、少し離れた三時知恩寺・・・ここも尼門跡寺院ですって。初めてです。
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 2日目は上賀茂神社…ここはもちろん何度も来ています。一番の楽しみは春の競馬。今回はパスしようかと思ったけれど、やっぱり・・・入りました。ま・あ・あ・・・見たようなものばかり・・・そこから、カキツバタで有名な大田神社を通り過ぎ深泥池…京都ではなぜか「みぞろがいけ」ってよんでいます。鴨川はきれい!!!雲一つなく澄み切った空!!!バーンザアーーイ!!!


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向こうに見えてるのは大文字山
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大田神社は横目で素通り
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みぞろがいけ・・・まだ紅葉は・・・

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鴨川・・・澄み切ってる!!!ウワァアーーイ!!!

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そこから梅辻家…上賀茂神社の社家なんですって。古いっていいなあ!!!

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3日目は東福寺。三門の二階は極楽浄土。16羅漢に囲まれた観音様に極彩色の天国の再現ですって。なんとも・・・人間のすること、考えること・・す・ご・い!!!
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すぐ南側に正覚庵(しょうがくあん)ここは、白洲次郎の祖父、文平の屋敷だったものを伊丹から移築したんだそうで、なんとも・・・粋!!斬新!!綿を扱って巨万の富をえた文平が凝ったのは建築。こだわりのない思い切った茶室や座敷・・・日本ならではの贅沢です。昭和3年、破産・・・そのお屋敷を移築したのがここなんだそうです。大金持ちって新しい創造には必要なんやねえ。小金持ちや中金持ちでは・・・あ・か・ん・・・
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古いお屋敷・・・古いって悪いことやないねえ・・・ももりの家も相当古い・・・ま・あ・あ・・・次元が違うか???


さすがに4日目はダウン!!!10日まででほとんどは終わり・・まだ???行けるか???






 

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2019年10月29日 (火)

貴蝶・・・アサギマダラさま

 昨日は素晴らしい秋晴れ。今朝は一転、しとしと雨。お出かけもねえ。プールはなし。図書館もお休み。ゆーっくり本でも読みましょう。


 昨日、お空は真っ青!!!嵯峨野「檀林寺」へ。祇王寺の門前にあって以前に訪れた時は閉門。火曜日はお休みですって。このお寺、嵯峨天皇の皇后「嘉智子様・檀林皇后」を祀る御寺で菊のご紋です。檀林とは学問所のこと。学問や貧民救済に力をそそぎ、死後は鳥葬に・・・絶世の美女が屍となって土にかえるままに・・・と望まれたとか???
 そこで・・・思いがけない出会いがありました!!! 

 

 フジバカマに遊ぶ、アサギマダラ。お姫様みたい。ひらひらと無心に遊んで、下々なんかちっとも気になさらない。あどけなく美しくユーッタリ。悠揚迫らない高貴な貴人???貴蝶です。それがぁ・あ・・・カメラをもっていなかったのです。ま・あ・あ・下々にカメラを向けられるなんて・・・と思われたか???


 相棒・・・あまり食事がすすみません。「しっかり食べな、オリンピック見られへんでえ」といいますと「食えるもん作ってくれ」って久しぶりの憎まれ口です。

 30年ほど前、姑が病みつきました。何かにつけて、とてもむつかしい人で、本当に介護する私がしっかり胃潰瘍になっていました。程度は4。5段階で、4は傷が深いのです。気難しい姑が寝ついて、わがままは言い放題です。食事もとれなくなりました。入院させてくれる病院をさがして、ご近所のお医者様を回りました。「あそこやったら見てくれはるかもしれんでえ」って言ってくれた人があり、そこへ。お医者様がおっしゃいました、「奥さん、どんな様子ですか」「もう3日もご飯食べやあらしません。私の手の中で死んでもらうのはイヤです」顔もひきつっていたことでしょう。先生は静かにおっしゃいました。「人間ってなにも食べなくても2週間くらいは死にませんよ。火曜日になったらベッドがひとつあきますから迎えに行ってあげましょう」


 結局、8か月私が看て、8か月病院で看てもらって姑はなくなりました。


 その時、主人が言ったのです。「人間食べられへん様になって死ぬのは自然なことや!!!」
自分の親ですよお!!!。


 でも・・・今、食が細くなった主人をみても、動揺しなくなっています。弱っていく人を見守るのはしんどいことです。でも・・・私がやらな誰がするねん???



 私の胃潰瘍は、姑がなくなって、1年で注射がなくなり、2年で薬がなくなり、3年目で胃がどこにあるか忘れました。胃の存在を忘れたのです。今でも検査があるたびに痕はあるといわれます。
 相棒はじっと我慢強く病に耐えています。私はそんな主人を尊敬します。まああ「1年で注射がなくなって、2年で薬が・・・」なんていわれたから???辛抱してるのかしら。

 

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2019年10月21日 (月)

新たな国宝

 涼しくなってちょっと元気回復???自分でも不思議な気力が出てきたみたい。京都アスニー名画鑑賞会で「オズの魔法使い」を見てきました。アスニーまではママチャリで約半時間。結構登りです。月イチの古文書教室が、今一番楽しみなお勉強ですけど、名画鑑賞会はもう見に行かなくなっていました。以前は熱心な観客でしたが、自然と足が遠ざかっていました。それがあ!!!又「行こう!!!」という気になってきたのが不思議です。オズの魔法で「若返った!!!???」来週は「地獄門」長谷川和夫、京マチ子・・・・たのしみ・・・!!!下は本棚にあった「オズの魔法使い」英語で読もうとしてた若い日もあったなんて・・・ねえ。

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「京都アスニー」の古文書教室の講師、藤本浩一先生は、今、「時の人」です。5番目の「源氏物語」を鑑定して国宝に指定させました。



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 そもそも…源氏物語…紫式部自身はきれいにお清書した本を作り、どなたかに見せた…これは面白いということになって、次の読者に・・印刷術のない時代、物語は美しい高価な紙に毛筆で書き写されて広がっていったでしょう。当時の名家と呼ばれる人に書かせて、家の宝ともしたと思われます。藤原定家という人は、京都の冷泉家の当主で、平安末期から鎌倉まで歌の名手として第一の文化人でした。紫式部の書いた原書???そんなのはとっくに散逸。冷泉家が使命感にもえて散逸しかけている「源氏物語」を書き写したことでした。それも長い年月の間に散逸。現在4冊だけが国宝として大切にされていました。それが今回、大河内家から…出てきた!!!5冊目!!!です。鑑定を依頼されたのがわが藤本先生!!!紙漉きの技術とか、チェックした青墨のあととか・・・間違いない!!!っていうことで新たに国宝「源氏物語」の出現です。



 プラスアルファ・・・最近の楽しみはランチ。「京都案内」の本を参考に一人ちょこちょこ。相棒はデイケア。その日は、紹介されてた「スケロク」ステーキハウスへ。

 さくらで有名な平野神社をめあてに「スケロク」へ。おやおや11:30からですって。ではでは・・・平野神社へ逆戻り。昨年の台風で倒壊した拝殿が痛々しい。下は被災前の写真


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被災直後



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奥の本殿とご神木は無事だった。

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最近は、食い気が先ばしり。次の日曜日に友人たちといく博物館のお昼の下調べ???1500円プラス税

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2019年10月14日 (月)

台風災害お見舞い申し上げます。

大変な災害にあわれた多くの方々にお見舞いを申し上げます。京都もあちこちに大きな木の切り株が残されて、去年の台風ての傷をみせています。穏やかな日々にただ感謝です。

 

 昨日は又々、ママチャリで京都散策。観光客も、イエイエ・・・ずーっと京都以外に住んだことのないももりにもはじめてのポイントがまだまだいくつも・・・今日は大通寺と六王孫神社へ。東寺の西北あたりと目安をつけてエッチラオッチラ。


 大通寺には悲しい物語が伝えられています。
鎌倉に幕府を開いた頼朝。あっけない彼の死の後を継いだ息子、二代将軍頼家。若さゆえか、奇矯な横紙破りで重臣どもや政子から廃され、修善寺に幽閉されたあげく刺客に殺されます。23才。三代将軍を継いだのが実朝。北条政子と頼朝の次男です。

 13才の実朝のところへ京のから姫君がお輿入れ。坊門家の四女信子、同い年の13才でした。実朝は京風文化に強くあこがれ、藤原定家の指南をうけて和歌への情熱を燃やし、「金槐和歌集」を編んだことで文学史に輝く名前を残します。
 しかし、鎌倉の鶴岡八幡宮で先代頼家の遺児、公暁によって殺されたことはあまりにも有名です。28才でした。残された信子は尼となって京にもどり、この大通寺にすんだといいます。政子の助力もあり当時は六塔をそなえた大寺院でした。


 今の大通寺は門を閉じて、東寺の南にひっそり。下は東寺。

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この大通寺が
昔あったままのところに残されているのが、この六孫王神社。明日はお祭りですって。おみこしの用意も整っています。


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夕陽でハレーション!!!

 




 

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すぐ後ろは国鉄。ホラ、今!!!新幹線が!!!
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何しろこの国鉄の線路、昔のお土居の上を走ってるんだとか???お土居は秀吉が築いた都を護る土塀ですが、今はほとんど残っていません。平安、鎌倉、室町・・・えいえいと歴史をきざんで今ここにあることに感動します。


 午前にプール。食事をして一服。三時に家を出て、帰宅は四時半。京都に住んでていいなあ!!! 



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2019年10月 8日 (火)

雨も又うれし

 今日は雨・・・相棒はデイケアー。プールもお休み。家はしんと静かで何事もなし…これはしあわせやねえ。
最近の楽しみは、もっぱらプールと読書。プールではババフライ!!!おじいちゃんたちにわらわれながらおめず臆せず。人気者です。80前のおばあちゃんのババフライは滑稽で哀切なんでしょう???


 最近「京の穴場」関係の本を何冊か読んで、近場へチョコチョコでかけます。それが…結構・・深い!!!
 
 昨日行ったのが「若一神社」なんとなんと・・・西大路八条。我が家からはママチャリで、さ・あ・あ・・14分くらい???にゃくいち神社と読むそうです。平清盛の屋敷跡とかで、西大路通りの大きな道の片側が森になっています。このあたり・・・なぜか・・・来たことなかったのよねえ。清盛像がにらんでいます。


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何しろ、この大きな通りを造るとき、ご神木としてあがめてきた木を切ると祟りがあるって住民が大反対。ということで道の片側にその一角を残したのだそうです。


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 ここは西大路。すぐ横を車がゴーゴー走ってる!!!清盛公もうるさかろうなあ!!! 


 さて、神社の中へ。まずは清盛公にごあいさつ。下は六波羅蜜寺の清盛公

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さて、中へ。いくつかの社は古びてどこか荒れた感じ…このすさびがいいのよねえ。お賽銭を挙げて拝みます




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 へ・え・え・・・なんて面白い!!!ありがたく拝んでいたのですが蚊の襲撃に耐えかねて退散。スカートじゃあダメやねえ 

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帰宅した相棒に報告しますと「あの木切ったら祟りがあるって、そんなこと、このへんのもんなら誰でも知ってるでえ」ですって、サ


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2019年9月25日 (水)

すっかり 遠ざかり

随分、パソコンから遠ざかっています。ま・あ・あ…つつがなくくらしています。


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ようやく秋らしい空気感!!!そろそろお出かけでも…とはいうものの足、膝がいけません。ママチャリならなんとか・・・というわけで・・・


此処は蘆山寺・・・御所の寺町通りをはさんだ東側です。紫式部のすまいだったそうです。ひっそりして人影もなし。桔梗はもう・・・終わりです。

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 ママチャリでいけるところだけ・・・日をかえて・・・下は仲源寺・・・ここは・・・ももりも、つい最近まで知らなかった穴場です。祇園石段下のバス停から四条通りを西へ約150メートル…まったくさわがしい四条通りの人ごみの中、今まで見落としていた小さなお寺の入り口があります。ひっそりしているのが驚き!!大きな仏様がいらっしゃいます。平安時代後期の作とか???でも写真はガラスが反射して撮れませんでした。

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すぐ近いので建仁寺へ。2002年に完成した雙龍の天井画が公開されていました。う・う・・・・ん・・・


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 写真!!!マッ黒ケ!!!

 

 

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2019年8月26日 (月)

和泉式部のその後は??ひょっとして??極道の妻???

 恋多き歌人・・和泉式部・・・いろんな作家が小説にしています。夫も娘も捨てて家をおいだされながら、為尊親王と恋におち、やがてその親王に死なれます(親王26才 式部24才)。悲しみを同じくした弟の敦道親王と燃え上がり、人目をはばかるというより、誇示するような派手なおこない・・・弟親王の妻は怒って家を出ていく・・・それでも…やがて…早くも弟親王も死にます(親王27才 式部30才)。…ここからが・・・ももりが興味を持ったところです。


 和泉式部は歌人としては、在世中からとても高名で、かの辛口の紫式部も「型にははまらないけど新鮮な言葉がピタリと決まる」・・・ま・あ・あ・・ももりが解釈するところ
、そんな風に言っています。


  あらざらむ この世のほかの おもいでに

  今ひとたびの 逢うこともがな・・・・ご存じ、百人一首です。

娘の子式部の内侍の歌は


  大江山 いく野の道の 遠ければ

  まだ踏みもみぬ 天の橋立


 この歌は、「お母さんの和泉式部の指導があってこその実力なのに、お母さんがいなくても歌はできるの???」ってからかわれた時の即興の応えなんだそうで、「お母さんは丹波の大江山に行ったわ。助けてもらうったって、天の橋立にいるんだから、私はまだ土を踏んだこともないし、文だって来たこともないわ」ですって。


 ところで、ももりが面白いとおもったのは、34才で早々と再婚。そのお相手は藤原保昌・・・この男について丹後へ行ったのです。保昌は藤原道長のお気に入り。ところが、ところが・・・弟は「はかまだれ」と呼ばれたギャングの親分。「はかまだれ」は今昔物語に登場します。

 

 当時、みやこは強盗、放火 追いはぎが跳梁して、御殿にはいりこんで、女官を丸裸にしたり、暴力沙汰は日常茶飯。頻々と放火。追捕にあたった検非違使を逃れて、藤原顕光の屋敷に逃げ込む・・・この顕光というのは、保昌の兄・・・当時、今のやくざ組織みたいなのが複雑に入り組んで存在した…というのはお堅い本「王朝の貴族」土田直鎮・・・土田氏は東京大学の資料編纂所所長とあります。


 東大の資料編纂所というのは、ももりが、今、一番楽しみにしている古文書の授業でもちょくちょく耳にするお堅い学問所のはず。


 宮中深く内親王の女官を母として、幼い日々から宮中奥深く、皆に愛されて育ちます。(まああ・諸説あるらしいけど)当時の宮中って、天皇にお情けをいただいて皇子をあげるべく、貴族たちの野心のもとに送り出される複数の女性たち。御簾やすだれをちょいとあげれば卑猥???いえいえ。
仲睦まじい営みを目にしたはず。ま・あ・あ・・・・ね。結婚して丹波に下ってからはどうした???ひょっとして、極道の妻???岩下志麻みたい???今、それが??おもしろいのよねえ


 もう、暑いんですから・・・お出かけはやめ。もっぱら本ばっかりがももりの夢の世界です。
でも間、もなく神戸で水彩会の展覧会です。


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2019年8月23日 (金)

無節操・

 私は無宗教・・・は・は・は・・どうなるやら???私は一時旧約聖書が大好きで、クリスチャンになろうかとも思ったほどでした。でも…最近、仏様のお像を見るのが大好きになってきました。何度も何度も同じ仏様のお顔を見に行く・・・、かわりましたやろ???京都はそれには一番良い環境です。我が家のお墓、次男は甘えたやったから私が行くのを待ってるやろなあ???って思っています。親は別のところにいますけど。ま・あ・あ・・そのうちに主人が入り、長男も三男もこのお墓に入ってくるとおもうと。。。わが世の春はここにこそある???かも。









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2019年8月19日 (月)

夏の終わり

 地蔵盆も終わりました。これで今年の夏も終わり。釣りキチの1週間は釣り三昧。お料理もしてくれましたけど…やっぱり今日からは出勤。平常の生活パターンに戻ってホッ。


 お盆16日に京都国立博物館へ。70歳以上タダ。バスもタダで久しぶり博物館のレストランでおひとりランチ。のおんびりもいいなあ!!!相棒のお昼は釣りキチたのみ。博物館に寄託された宝物のそれぞれはすばらしく、心にしみました。



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 今、特に平安時代ばかりを読んでいますので、とても臨場感があります。藤原道長の経筒とか・・・
世は末法。1052年が末法初年とか???貴族文化華やかとはいうものの、御所を一歩出れば、追いはぎ、強盗、放火、旱が続くかと思うと豪雨、疫病、すべてこれ天子の不徳のいたすところ・・・政治は全く機能していません。貴族も地方を収める受領たち私利を追うばかり。鴨川は死体があふれ、流れをうながすように検非違使がでるさわぎ。都は腐臭にみちていましたとか???
 為政者、道長・・・望月の欠けたるるところがないと詠嘆したけれど・・・盛りの頂上を過ぎて、娘たちを嫁入りさせた天皇やその子たちは短命です。そんな貴族達が心のよりどころにしたのは仏教。道長の経筒は末法の時代に高野山の頂上に埋められ、本来は????年やったかに世に出るはずだったのが、
江戸、元禄の頃、工事に際して掘りだされてしまったとか???


 ほかにも書道では見逃すことのできない藤原行成とか、空海の灌頂記(かんじょうき・・・空海が最澄に戒律を与えた書付)とか・・・書道には必見…とはいうものの、ほとんど見ることはできない逸品が目を洗ってくれました。


 大文字のおくり火を見ようとママチャリででかけたのに、眼鏡を忘れ・・・ハ・ハ・ハ・・・モーロクした。

 おひとりご詠歌もスピードアップで、なあんとか・・・

 京の町に今も続く地蔵盆。子供たちのしあわせを祈る心は1000年以上も前とおなじやなあ。

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2019年8月15日 (木)

あはれ 今年の夏も・・・

 10日には坊さんが参ってくれまして、14日は釣りキチとお墓参りのはしご。あとは、18日の地蔵盆を何とか過ごせたら今年の猛夏も何とか乗り越えられそう・・・今年は町内のお役なので地蔵盆は逃げられません。


 13日は奈良国立博物館へ。猛暑の中、出かけました。すばらしかったなあ!!!学習意欲を充分に満喫させてもらったのは久しぶりです。

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最近読んでいるのは、もっぱら平安朝をテーマにした女流作家の作品群。永井路子、田辺聖子、杉本苑子、新しくは瀬戸内晴美・・・


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 平安朝の女流文学はやっぱりすごい世界です。それぞれの現代の作家たちがは、平安の美女たちを物語に仕立ています。それぞれ面白く個性的ですが、やっぱり作家その人を濃厚にうかびあがらせるのが面白い。最近は瀬戸内寂聴氏…今まで何冊か本棚にあったのに完読したことがなかったのを何とかへどもどしながら完読。「中世炎上」「祇園女御」う・う・・・・ん???


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 うまいのかまずいのかわからない素材のごった煮にエロ調味料をふんだんにふりかけて「なんやこりゃ???」しつっこい。理不尽???永井路子さんはきりっと真面目。田辺聖子さんは一番説得力があって、明朗快活。ぐいぐい引っぱってくれます。


 奈良国立博物館では、物語に登場するお面「納曽利」「蘭陵王」のお面とか…清盛の息子たちがこんなのをつけて踊ったのよねえ。結構重たかったやろなあ!!!


 一番感動したのは「明月記」断簡。ご存じ藤原定家の日記。茶掛けに仕立てられた断簡です。定家といえば・・・藤原俊成の息子、嵯峨野の厭離庵に住まいしたとかしないとか・・・今多く残っている平安時代の物語はそのほとんどが定家が書き写したもの・・と、いいます。もちろん定家一人ではできない。ブレーンの仕事でしょう。古筆を守る家柄の冷泉家は、今出川通り、御所の北に今もしっかり守られています。書道史的にも有名ですが…美というものは主観ですから・・・文字の好き嫌いは言いません。でも…耳元でその呼吸が聞こえるような、、1000年も昔の人の書蹟をじかに目にするのは初めてで、本当に感動!!!



 今日は台風・・・どうしようか???京都国立博物館へでも???行こうか


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2019年8月 2日 (金)

はかなすぎた命

 源氏物語・・・田辺聖子さんがあんまり「ええ、ええ」って言うもんやから、このところズーッとその周辺をウロウロ読み歩いていましたが…ま・あ・あ・・田辺聖子さんの源氏もしっかり読んだつもりですが・・・でも・・・やっぱり・・・好きにはなれませんでした。不健康・・・の一語につきます。


 下の朝顔。去年の種からとってまいたもの。育ちません。小さな苗に花が・・・お話はまったく違いますが私の源氏物語の読後感はこんな感じです。きれいですけど・・・不健康!!!たくましい蔓は全く育たず花だけが…咲いています。



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 源氏物語はフィクションの世界で、耽美的で異様な世界を創作しているということは頭ではしっかりわかっているつもりですが・・・
 ちょっとポイントを代えて実際の歴史上の当時の天皇様たちの死の年齢の若さをみてみます。ロシア、ロマノフ王朝は近親結婚が続いた結果、血友病でほろんだとか聞いたこともあります。源氏物語のモデルとされた可能性のあるあたりから、代々の天皇様の死の年齢です。

   53代  文徳天皇   32才死
   56代  清和天皇   56才死
   57代  陽成天皇   87才死
   58代  光孝天皇   58才死
   59代  宇陀天皇   65才死
   60代  醍醐天皇   46才死
   61代  朱雀天皇   30才死
   62代  村上天皇   42才死
   63代  冷泉天皇   62才死
   64代  円融天皇   33才死
   65代  花山天皇   41才死
   66代  一条天皇   32才死・・・この天皇様の時紫式部、清少納言が宮仕えしています
                      67代  三条天皇   42才死
   68代  後三条天皇   29才

 まだまだ調べましたが、かの和泉式部の恋人、二人の親王も20才代で死んでいます。さらにつらいのが出産にともなう女性の若い死が多いこと。

 

 豪華な着物を十二枚も重ねて、装っているいとけなき娘、そこへカッコつけた天皇が精子を振りまきにおとずれます・・おぞましい!!不敬罪で処罰されそうですが・・・そんなイメージ。右大臣、左大臣、摂政、関白、実力をもった野心家が娘を皇位に送り込みます。もし男子が生まれれば、そのおさな子は次期天皇。さすれば自分もまたまた辣腕をふるえる・・・驚くべきことですが、天皇に娘を入内させ。生まれた皇子に又、娘を嫁入りさせ、さらに孫に娘を・・・藤原道長がしたことですが、過去には藤原不比等もやっています。血が濃すぎる???ま・あ・あ・朝顔とはちがうわなあ!!!


 今朝、癌手術5年の検査結果、問題なし。頑張って相棒の介護をいたしましょう。


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さ・あ・あ・・来週は又、展覧会です。「生きる」生きるのはシンプルが一番。源氏物語の正反対が私の好みです。


 

 

 



  

 



 

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2019年7月22日 (月)

まな板の上の鯉

 金曜日、大腸がん検査。ブチュッ!!!肛門からの内視鏡カメラ。朝から塩辛い水を2リットルのみ、これが下剤。トイレに10回ほど駆け込んで、腸をからぽにしてカメラを・・・これで、大腸がん手術から5年経過。結果は2週間先です。痛いのよお!!!いやなのよお!!!デモデモ・・・エエーイ。もうまな板の上の鯉や!!!さっさと好きにせえよ。何とかクリア。疲れました。生きるってしんどい!!!

 翌日、疲労感が残っていますが祇園祭の後祭りを見にママチャリで。例年なら我慢できないくらいの蒸し暑さが、今年はまだよっぽどまし。なんとか耐えます。でも、お昼までには帰りましょう。相棒のお昼が待ってるから。


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大船鉾に上がらせてもらいました。ふと、人工的な風かと思うような涼しい風!!!今年は確かに涼しいなあ!!!


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 普段、ママチャリで走り回ってるエリヤですが、旧来の豪邸の中ってやっぱりすごいんやなあ!!由緒ある緞帳や、左甚五郎の鯉、弁慶と牛若丸、浄妙山のアクロバット人形などを拝観。


 この浄妙山には、親しい物語が語られています。かの、源平の戦いのきっかけになった宇治川の戦い。

 時は1180年(治承4年)後白河の皇子、以仁王(もちひとおう)の令旨が全国に伝えられ、各地の源氏ゆかりの勢力が胎動し始めます。当時、京の都をわがもの顔におう歌していた平氏に対し、ついに立ち上がりました。まずは宇治川の戦い。源三位頼政が老いの身をおして立ち上がった時、世間はアッと驚きました。清盛とは親しかったからです。宇治川は都に入るにはどうしても通らなければならない大事な関門。宇治川の戦いは源平の合戦の端緒で、結果、平家は壇ノ浦で亡びます。


 三井寺の僧兵、浄妙坊は宇治橋の上で大活躍。そこへ「負けじ」と浄妙亡の頭に手をかけて「エイヤッ」と前に躍り出たのが同じ僧兵の一来法師。頭に手をかけて「ヤッ」と飛び越えた瞬間の像2体がアクロバットとして知られています。今はまだ仲良くならんで飾られていました。


 863年(貞観5年)、神泉苑での御霊会が始まりといわれる祇園祭、確か…貞観といえば…貞観の治・・・天皇がしっかりしてた、宇陀??ひょっとして醍醐??天皇の時代のはず。確認する根気のないのは年のせいにしますね。





 


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2019年7月16日 (火)

祇園祭り

 明日は鉾の巡行。毎年のように行ってるのに、どうもしっかりつかめない感じ。相棒を送り出したらママチャリで出かけました。今日は薄雲で、耐えられないほど暑くもない。今年はマイナーな鉾を見ましょう。

 

 まずは太子山。聖徳太子を祭っています。四天王寺をお建てになった時、良材を求めて杉の大木を見つけられた16才のお姿なんだそうです。拝ませてもらいスケッチ。でも太子様のお姿はカメラシャット。

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岩戸山では神攻皇后はカメラ禁止。龍神さまと鹿島明神はゲット

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船鉾は中まで登って見学

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綾傘鉾・・・こんなのあったんやなあ!!!
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長江家住宅と、太子山の資料館を見学。今年は後祭りも見に行きましょう。

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2019年7月10日 (水)

嫌いな男

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「新源氏物語」田辺聖子版…読んでいます。かなりのスピードで読んでいまいすが・・・何しろ…主人公の男性がダイッキライと来てる・・・

 でも・・・田辺聖子さんの博学ぶりに感動。書道をもう60年以上もやってきたももりにとって、平安時代…印刷術のなかった当時、物語やお歌がどのような紙にどのように書かれ、大切に人から人へと伝わってきたか・・・納得できる筆力には首ったけ!!!


 今日は月イチの「古文書」の日。これが、今一番の楽しみです。今日は、源氏物語の「わかむらさき」の巻が新しく発見されたというお話・・・なんとも・・・日本には底知れぬ文化がまだ眠っているんですねえ。60年以上書道をやってきて、仮名文字や草書がツールとして、そこそこ自分の力として使える、そして、使って当時の人々の残した古文書に直接肉薄できる・・当時の人々の声を聞ける・・・なんて・・・なんて・・なんてすごいことを勉強してきたのかって・・・今頃気がつくなんて・・・残りの年月では足りないなあ。


今、「四明展」やっています。14日まで。大学の同窓のメンバーのグループ展です。下は「楽園追放」と「R-1」


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2019年7月 2日 (火)

嫌いやけど

 過去、何度か読もうとしたけど、いつも途中でやめてしまった源氏物語。今回は・・・田辺聖子さんがあんまり「ええ・・ええ」っていうもんやから・・・田辺源氏・・・さ・あ・あ・終わりまでいけるやろか。


時は梅雨・・・外は雨・・・お出かけもあまり気がすすまないから・・・じーっくり

 

 ともかく・・・この物語に登場する男たち・・マスキングしてお尻からにおいのする液体をだして、行くとこ、行くとこに吹き付けて自分のテリトリーを主張する…あのねこ科動物の行動みたい・・・いたるところで女にちょっかい。父親の後妻、継母や息子の嫁、親友の恋人まで・・・人妻から美女、ブス、幼女、バカ??賢いのも見さかいなし…嫌いなんやねえ。こういうの。オトコは一途で純情でなくっちゃ。


 こうこうとライトをあびて、粋がって!!!シナをつくって歩くパリコレのモデルのような女たち。それぞれ、せいいっぱい個性を強調して歩く女たちにライトを浴びせる。そのライトみたいなのが源氏の君、夕霧、薫、匂いの宮。男たちが大嫌いやけど・・・は・は・は・・・きれいだとかうっとりするとかいってるけど、いい加減なご機嫌取り男は大嫌い!!!


 ともかく入り組んだ人間関係は、もうすでに頭には入っています。さ・あ・あ・・はじめ!!!

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大きな全集も2冊借りてきました。


 世の中、なんか不安。先々や、今すぐもにもそこにありそうなきな臭さ。でも・・・もう無力な老女。物語の世界に遊ばしてもらいます。京都に住めば…イメージと現実はそのまますぐそこにあるのですから。

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2019年6月14日 (金)

相棒  81才

相棒は無事81才のお誕生日を迎えました。脳溢血で倒れて5年。最近は本当におだやかな日々です。


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最近デイケアで将棋をしてるんだそうです。

「最近将棋してるね」って言いますから「どっちが強い??」って聞きますと「連敗!!!」ですって。でも30年以上やってなかったんですもん。「なんか本を買うて来てくれ」っていうことで、詰め将棋の本を買ってきました。それから…も・お・お…!!!カンカン!!!頑張っています。


先日には5連勝とか、昨日は完敗って言ってました。ももりがプールに出掛ける時「行ってくるでえ」って言っても知らん顔。夢中です。帰ったら、まだやってる!!!は・は・は・・・おもりがラクです。


大体、なんでも一生懸命やる人で、夜間の学校で勉強して一級建築士も一度でパスという頑張り屋さんです。子供たちよりよっぽど育てるのは楽やったなあ!!!

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 は・は・は・・・こんな男前の時もあったのかあ???釣りキチはまだ生まれてません。






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2019年6月11日 (火)

太陽のような人

「原始女性は太陽であった」とか・・・田辺聖子さんこそ太陽のような人でした。
近作「残花亭日歴」この本はあまり面白かったので友人に押し貸し。今、手元にありません。


 田辺聖子さんが
なくなられました。今、彼女の本ばかり読んでいますのに。
お聖さん・・・幼年期、豊かな家庭に育ちました。祖父の代からの写真館、時代の先端を行くハイカラな写真館は使用人も多く、大人は子供にかまっていられません。大らかなものです。せっせとお芝居にもいくし、買い食いもします。一方、文学少女で、物語を作っては友達に読んできかせます。「次はどうなるの」とか言われてご機嫌な人気者でした。
 やがて戦争…大阪を焼野原にした米軍の度重なる空襲で写真館は燃え、終戦の年に父親は病気でなくなります。岡山の師範学校を出た母は残された3人の子供のために必死に働きます。「学校だけは出す」
ということで松陰学女学校をでます。学校の先生にもなれたのですが、もっとお給料の良いという鋳物関係の会社に就職。品のない???ガラッパチの大阪弁をみっちり身につけます。


 昼は工場で働き、夜はせっせと懸賞小説に応募します。そのうちに文学仲間のサークルにも入り、ひたすら、がんばります。修業時代ですねえ。文学の女性仲間の友人が3人の子供を残して死にました。聖子さん・・・ここがえ・ら・い!!!4人の子持ちの旦那さん、奄美大島出身の開業医・・・後、せんど話のネタのされるカモカのおっちゃんと結婚します。三人の子供たちには「あなたたちのおかあさんはこの人・・・きっと写真を示しながら・・・私のことは「おばちゃん」って呼んで」って、お弁当作りから一切母親役をつとめます。



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 残花亭日歴は介護の日々を書いています。カモカのおっちゃんは包容力のある大きな男性ですが、70才くらいで下半身不随になりました。それでも車椅子で作家仲間と飲み会にも出ますし旅行にも行きます。しかし・・・5年ほど後、あご??癌がみつかりました。苦しい闘病生活ですが、聖子さんは講演会や原稿書きの手をぬくことはありません。そして・・・カモカのおっちゃんのほかに、もう一人、気難しい老婦人、94才のお母さんのお世話もあったのです。えらいなあ!!!



 人のために頑張れるって本当にえらいことです。それも陰々滅々でなくカラッと朗らか。ふらふらになりながらもやりとげます。太陽…周囲のすべてを育て、自らは燃え尽きることのないエネルギー、女性ならではの太陽力です。



 今頃、ほっと「楽になったなあ」ってい自らは言ってらっしゃるでしょう。合掌。

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2019年6月 5日 (水)

極楽浄土めぐり

 最近、大体平安時代にまつわる読み物ばかり読んでいます。でも・・・おかしいでしょ???「源氏物語」は手付かずです。どうも・・好きになれない。男と女のどろどろは・・・い・や!!!

 貴族たちは栄耀栄華、ぜいたくをきわめていたようですが、一歩、宮門を出るとそこは魔界。民衆は飢え、追いはぎ、強盗ともなります。ひでり、大水、雷…はやり病・・死臭ふんぷんだったようです。それに、当時の仏教は剣呑で、怨敵退散、怨霊のぞく護摩祈祷・・・陰陽道という不気味なものも大手を振ってまかりとおっています。そんな中、人を押しのけ権力に執着。 そのくせ、死ぬときは、いえ、だからこそ、死ぬときは観音様のお慈悲の御手に救われたいとキンキラキンの仏様や仏塔を建てました。

 

 度重なる戦乱で大方を失ったとはいえ、やっぱり京都。平安の仏様はまだたくさんいらっしゃいます。

 先日行ったのが即成院。ここは泉涌寺の塔頭です。ずらーりとならんだ二十五菩薩。平安以来の御開帳???って書いてます。どういう意味か知らないけどこんな身近にこんな素晴らしい仏様たちがいらしたんです。この25菩薩は、図録には絶対乗っている仏様たちですが、こんな身近にいらしたなんて知らなかったなあ!!即成院は藤原道長の孫、が建てたお寺にあった仏さまをいろんな厄災を避けて、今、ここにひっそりと守られているの
です。



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浄土からのお迎えはオーケストラつき。かわいいお顔の音楽家たち。

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 死後は極楽浄土へ・・・ですって。極楽浄土を再現したのが平等院、道長の息子頼道が建てました。「この世は望月のかけたところがないような・・・」といったあの道長。スゴ腕のわざ師です。地位のためには汚い手も平然と使う。運もよかった。最高位について政治を壟断、そのあとを継いだのが頼道。頼道は宇治の平等院を建てました。
 そこの仏様たちはあまりにも有名ですが、只今は修復のため内部には入れません。宝物館とお庭だけゆっくり見てきました。

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蓮の花が咲いています。ここのお庭はコンクリート??でかためられツルッツルです。ももりはもっと雑草が生えているような自然なお庭がいいなあ!!!
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 下は三十三間堂。三十三間堂は少し時代が下がって、もう平安の終わりです。かの後白河法皇に平忠盛、清盛父子がご機嫌うかがいに寄進した仏様たち。

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スケッチは今は禁止。古いものです。


 平安時代の人々にとって仏教って、哲学というより、もっとおどろおどろしいみたい。安産を願ったり、恨みをこめたり、怨敵退散の調伏やら…健康的ではありません。これらの自らのおかしている罪の意識もまた、仏さまのお助けにすがる・・・う・う・・・・ん。目もくらむような極色彩の法相華の模様の柱や壁。建物を聾するお経とお香の煙の中で、浄土からの仏さまのお迎えを待つなんて・・・ねえ???

 今、仏様たちは長年の煤に往年の金ピカ色を失いしずかに瞑目してらっしゃいます。

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2019年5月28日 (火)

後白河法皇というお方

 この頃、読んでる本はもっぱら平安時代。平安の世をひっくり返して鎌倉の世、つまり、武力の世にしちゃったっていうお方、後白河法皇。なあんともユニークっていうか、ハチャメチャというか・・図太いというか、ズーズーしいというか・・・300年ほど続いていた京の都の平安を突如乱した兵乱は、みな後白河が後ろで汚い手を使っています。

 このお方、何しろ自分に力になる時だけうまく取り込んで利用し、相手が力を持ちすぎそうになるとさっと手の平をかえして、平然と敵にまわす。義理とか信義とかはクソもないっていうお方です。そもそも、

 

保元の乱
平治の乱
鹿ケ谷の陰謀
以仁王の令旨
木曽義仲の挙兵と敗北
義経と頼朝を両天秤にかけて平家と戦わせ、平家敗れて都おち  壇ノ浦で安徳天皇死
海から引き上げられて都へ帰った建礼門院を大原に尋ね・・・大原御幸
そして・・ゼエ―ンブうまくやり過ごして死んだ年  1192(いい国)作ろう)鎌倉幕府―がはじまったのです。

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 先日、即上院へ行ったとき帰りのバス停の時間待ちで今熊野神社に入りました。以前きた時は熊野道は台風のあとで封鎖されていましたが、今回は行けそうです。興味津々。熊野道といっても、さ・あ・あ・・高々50メートルほどの小道でしたが、その真ん中にガラスケース入りの後白河法皇のお像がありました。イメージでは皿の張った四角い頭、聞かん気のごうつくばり・・・・・・だったですけど・・・ちょとお・・??

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は・は・は  これが、熊野道  は・は・は

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おやおや、三本足の八咫烏ですって。小さな滝のもけいもあって・・・ふ・ふ・ふ・・・
京都って面白いなあ

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2019年5月26日 (日)

老いの楽しみ・・・笠置寺・・へ

 笠置寺へ行こう・・・と、ずーっと思ってました。どんなところやろ???後醍醐天皇が鎌倉幕府に叛旗をひるがえしてあっけなく敗れ、笠置山に逃れたとか・・・。平安時代の摩崖仏さんもいらっしゃるとか・・・行きにくそう!!でも・・関西本線には一度も乗ったことがないから、この際・・・ネ。去年は草津線にターゲットをしぼって何度か行きました。電車にポトポトゆられるのも、ホント、楽しい。


 JR奈良線で木津へ。木津からのりかえ大和路線で賀茂へ。乗り換えて笠置へ。トーロトロ。賀茂では一時間近く待ち時間。その間にコンビニでお昼。若いみどりに包まれた山間を木津川にそって電車はのんのんと走ります。


 今日は相棒のデイサービスはなし。快晴、快風!!!「ゆっくり行ってきたらええで」ってうれしいお言葉!!
さすが・・それにしても・・・笠置下車は一人。

 笠置駅は駅員さんも一人。ICOCAも通じない。「笠置山はあれですわ。あの山のてっぺんにお寺はあります」う・う・・・ん。「駅より徒歩40分」とは書いてあったのですが、タクシーにでも乗ろうと思ってました。でも・・・駅にはタクシーもないんですって。「タクシーは賀茂から呼んで来てもらわなここにはない」という返事。え・え・え・・・・賀茂から電車で来たところをまたまたタクシーにきてもらうって???目の前の小山は、若かったらちょいと走ってもいけそうですけど、今、足はまるでダメ。それに・・・帰りはどうするての???ム・リ・・・か???
も・お・お…帰ろ。

 
 さ・あ・あ・・帰りの電車も待つこと久し・・・ベンチにおばあさんがひとり、巻きずしをたべています。その方となんとも素朴なおしゃべり。いつまで待っても電車はみえません。駅員さんに「電車はホントにくるの???」って聞きましたら、「間もなく来ます」ですって。そのおばあさんは「ここに生まれて、ここしか知らん。買い物は賀茂へでるけど・・。生協も週一来てくれる」とか。トトロの世界やねえ。電車がきました。「おばあさんも賀茂へ??」って聞きますと、「私は、その山のあの辺にすんでるんやけど、森林組合の会合があるんで、ここでお昼をしてたんや」ですって。なんとも穏やかで静か、かわいい!!!

    

 みかのはら わきて 流るる  泉川
いつみきとてか 恋しかるべき


 百人一首のお歌です。泉川って木津川のことなんだそうです。たった一輛の電車で来た道を帰りました。

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又、釣りキチにでもつれていってもらお。

 2時半帰宅。相棒は詰め将棋をしてました。最近、デイケアで将棋好きの人とやっては負けてばかり。相手が強い・・・は・は・は・・・引き立て役ばっかりつとめてるんだそうです。もう一人将棋好きもいるらしいんですけど、その人は、負けそうになったら「ちょっと待って!!ひと手戻って、とか言うもんですから、怒ってしまって、結局、相棒がお相手役。は・は・は・・・詰め将棋の本を買ってきてくれというので、買ってきた本も「もう何題とけた???」って聞きますと「今日は33問まで」昨日は、たしか・・・58問までとけたとか。のこんなに熱心に勉強するのは久しぶりです。私のお守りがすっかり楽になりました。

老いにはそれなりの老いの過ごし方もありそうです。

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2019年5月11日 (土)

花山天皇と彰子

 先日、ご近所の春日神社へ。春日さんは藤原氏のお寺です。ということで、ここの藤の花は有名です。藤花祭は、行きそびれましたが、今、やってきました。そして・・・なんとなんと・・・面白いものを見つけました。


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花山院家」という藤の花の鉢植えです。九条家とか鷹司家とか、藤原名門の家から奉納された藤が展示されている中に、「花山院家」という鉢を見つけました。ん???花山天皇というお方…?ん???歴史では何度も騒がれる有名人です。以前少し書いたこともありますが、もう一度書きますね。

 

 花山天皇は17才で即位。何人かの女御も取りまきましたが、その中の一人、一番愛したお方が妊娠8か月で亡くなられました。天皇はたいそう悲しんで、「出家して、亡き人をとぶらいたい」ともらされるようになります。大体、この方のお父上の冷泉天皇という方も狂気、激しい喜怒哀楽のお方だったそうで、多少はお血筋かもしれません。それを聞いての悪だくみ・・・藤原兼家…この方の奥方が、かの「蜻蛉日記」の作者です・・・の一族。息子3人とグルになって花山天皇を清涼殿から連れ出します。


 月の明るい、6月23日。清涼殿の天皇のもとにはべっていた兼家の次男、道兼、は「私も一緒に出家します。今こそ人知れず御所をぬけだせます」といいます。いざとなると天皇は、ためらわれて「女房の手紙を取りに帰りたいとか」「明るすぎて人にみつかる」とか、何とか言われましたが、泣くようにして朔平門から外へつれだします。そこにはもう、牛車が待ち構え、いつのまにやら武装した家人どもが取り囲み、山科のさる寺へと一目散。その間に、3種の神器は場所を遷され、天皇は落飾しました。道兼は「最後に父に、今の姿を見せてまいります」とドロン。「たぶらかされた」とすぐには気が付かれなかったか???どうかは知りませんが、この法皇様は、初めの間こそ仏道修行もされましたが、終生荒れた生活をされたようです。

 さすが剛の者、兼家も病には勝てず、62才で病死。そのあと、長男、道隆、次男道兼、道長が、しのぎをけずる権力闘争。(ほかにも男兄弟はいます。なにしろ妻は何人もいるんですから)


 もう一度この方が、歴史を動かすのが、かの定子中宮…清少納言がおつかえした、才色兼備の女性。一条天皇の中宮です。兼家が死に、あとをついだ摂政は兼家の長男道隆。次男道兼は不平不満の塊でした。アル中でもあったようで、早死に。この道兼の娘が定子皇后です。飲水病???糖尿病でしょうか??道兼が死ぬと、末子、道長の活躍がはじまります。道長の娘、掌中の玉・・・彰子が入内。彰子皇后の出現です。かわいそうな定子は、道長にいじめられ、すっかり落ちぶれ、死んでしまいます。


 この定子、失脚の原因は道兼の長男と花山院の女性問題。思慮の足りない道兼の長男は、花山院に矢をいかけ、矢は花山院の、着物の袖を寛通。なんといったって先の天皇です。一族は遠流。定子も落飾・・・・たあーいへん!!!!このあたりのももりの知識は、今読んでる田辺聖子「むかし あけぼの」から・・・です。お・も・し・ろ・い!!!


 恥ずかしながら・・このももり。本名を「彰子」ともうします。幼い時、母に「なんで弟の名前は卓男なん??」って聞きましたら「卓っていうのは人より優れるっていう意味やでえ」ということでしたが、次に「彰子は???」って聞きましたら、確かに、たぁしぃかぁに「彰子っていうすっごく賢くてきれいなお后さんがいはってん」という答えでした。母は明治生まれですが、師範学校出ですから、当時、国文学は割としっかり身についていたかと思います。そんなあ・・・おそれ多い名前・・・なんですよお。

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2019年5月 6日 (月)

京都に住むと忙しい

 5月6日。今日一日をもって連休は終わり。京都って土地に住むと、まったく・・・いそがしい!!!
お祭りだらけ・・・ということで三日、四日は千本焔魔堂の狂言。五日は上賀茂神社の比べ馬、つまり競馬です。3日間、カンカン照りでひどい日焼けです。でも…狂言は素晴らしく面白いし‥比べ馬も見過ごせない・・・ということでママチャリを飛ばすことに・・・


 5月5日、賀茂の比べ馬から。堀川天皇の御代からだっていいますから・・・白川、堀川、鳥羽崇徳、後白河・・・そう…古い!!!


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審判のおじ様…落ちないでね。

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やっぱり、今日は子供の日・・・ももりも・・・

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 2頭ずつの競馬ですけど、目の前をあっというまに走り抜ける競馬の写真はももりのうででは、ム・リ。それにカメラをのぞいていたら本物は見られないんですから・・・ね


カキツバタで有名な大田神社へ。盛りにはちょっと早いか。でも、木陰でやきもちとお茶をいただいて一服。


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 帰路…これこそ京都!!!大宮通りをやたらママチャリで急いでいたら、お祭りの行列。ここは牛車と御所車まででるんやなあ!!!


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今日は、研究会。東京の日本水彩に出品手続きを終えたら・・・・も・お・お・・・・ゆーっくりしましょう。



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2019年5月 5日 (日)

令和の次第 Ⅰ

令和元年・・・我が家の連休の次第を報告します。


  釣りキチが「好きなとこ連れたげる
って言ってくれましたから京都南部・・木津川沿いには素晴らしい国宝の仏さまがいらっしゃいます。でも、山のてっぺんとか、バスでは近づけないところポツンポツンと散らばっていらして、なかなか個人では行きにくい・・・うれしいなあ!!相棒を送り出してすぐシュッパーツ!!!

 まずは、西念寺・・ここは工事中でした。でもお庭には入れてうれしかったです。すぐ外に「かんばら神社」お掃除のご近所の方もご祭神はご存じない・・・こういうのがうれしいのよねえ。素朴な山奥にも神様は守られていらっしゃ

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 次は「蟹満寺」ここは面白いお話がつたわっています。「今昔物語」にしっかりと残されたお話

  ある日、美しい娘が歩いておりますと、村人たちが蟹をつかまえてぞんざいに扱っていました。娘は蟹をかわいそうに思い自分の夜の食べ物を与え、離してやりました。家に帰って親にいいますと「それはいいことをした」と3人で喜びました。その次の日、父親が道を歩いていますと、蛇が蝦蟇を呑み込もうとしています。父親は思わず「かわいそうに。離しておやり。美しい私の娘を嫁にあげるから」といいますと、蛇はすぐきえました。その夜、厭なにおいがして公達がホトホトと扉をたたきます。蛇が公達に化けて迎えにきたのでした。親と娘は必死にお念仏をとなえ、「しばらく支度の日が欲しい」といいますと、公達は次を約束して消えました。約束の日・・・蛇はもう、公達に化けることもせずやってききています。父と娘は必死にいのります。「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」外ではなんだかガサガサ音がしていましたが、そのうちに静かになりました、。夜があけて、おそるおそる外をみますと、たくさんの蟹の死骸とばらばらになった蛇・・・
 蟹満寺はその蟹を供養して建てられたのですって。いいなあ!!!うーっとり!!!白鳳の仏さまは国宝

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次は、浄瑠璃寺。このお寺、実は4回目。でも、今回初めて秘仏の仏様たちにの会いできました。も・お・お・・・感動!!!頃は平安時代

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 歴史を読んでいまして、ドラマよりはるかに面白い史実にのめりこみ状態なのですが、藤原道長が京都に建てたという法成寺…今は跡形もありません。そのお寺にあった同じような9体の丈六の仏様たち同じと様子といわれる9体の佛様におあいできました。それに・・・写真でばっかり、一度も拝顔していなかった秘仏吉祥天女像にもおめもじ。長い年月、人目を避けていらして彩色も美しく、まるで生身のような温かな。あ・あ・あ・・・・うれしい!!!

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 そこから、「海龍山寺」ここも山の上で、釣りキチが泣き声をあげそうな急な坂道。ここも以前次男が連れてきてくれたんですけど、その時はもう夕暮れ。ひどくわびしい冬の夕暮れでした。今は燃え立つ若葉につつまれて五重の塔が迎えてくれました。それに・・・秘仏も公開!!!うれしい一日でした。相棒の帰宅には間に合いました。


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2019年5月 4日 (土)

令和元年の連休の次第 一番しんどかった日

その日は5月5日。雲一つない五月晴れ。相棒がかねて行きたいと言っていましたご近所の「イオン」へ。服が買いたいんですって。ご近所の家々もお花をきれいに咲かせてますし、タクシーに来てもらうほどの距離でもない。車いすを押して出かけました。

 服売り場、眼鏡売り場でハズキルーペ…これは売っていなかった・・・本屋、食堂街、結局とろ鉄火を買ってトイレ。万歩計をみますと・・・なんと・・98歩   [???  ん
  ついに壊れたか???」
 考えてみますと、車いすを押す手にバッグをかけていました。「ひょっとして???そのせい???一足ごとのショックがつたわらない???」スカートポケットに入れなおしました。
よぼよぼと帰宅。帰路だけで2300歩ほど・・・フーッ・・・連休中一番疲れた日でした。



 
 でも、そこからがももり!!!・・・お寿司をたべて、千本閻魔堂の狂言を見に行きました。いつもは二条駅にママチャリを置くんですけど、駐輪場は満杯。ええーい!!!ママチャリで焔魔堂まで。軽いけどずーっと上り坂。半時間。まったく・・・よくやるよ!!!。この日はプールなしでも十分に運動できました。連休で一番しんどい日になりそうです。おまけに。次の日も焔魔堂へ。うれしいのよねえ。日に焼けてまっかっかですけど。


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 じつは・・・・カメラがどこかへ行っちゃって、ブログにアップできなくてイライラしてたんですけど…釣りキチに「カメラ知らん???」ってききましたら、「車の中にあったでえ」ですって、そうか。。。釣りキチが連れてくれた日に、助手席に座ってたっけ。そこに置き忘れたってこと。あ・あ・あ・・・・何とか無事に連休も乗り越えました。

 

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2019年4月11日 (木)

どちらをむいても さくら  さくら  さくら

今日は醍醐寺へ (4月9日)

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地下鉄で無料パス。なんとも豪華絢爛!!!

でも・・・・こんな年古りたさくらの老木…痛々しい・・けど…なんだか自分を見るみたいやなあ!!!


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ゆっくり五重塔をスケッチ。そのあと奥の弁天堂へ・・・



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三宝院の豊臣秀吉の作庭というお庭とお茶室

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桜  さくら さくら

どちらをむいても 桜 さくら  さくら


今日は嵯峨釈迦堂の大念仏狂言を見にママチャリで・・・ルンルン(4月7日)

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下は船弁慶   静ご前と別れを惜しむ義経…しかし・・船は大会へ漕ぎ出だす・・そこへあらわれたるは平知盛の亡霊!!!大立ち回り・・・あとから役者さんたちがサービス。うれしいなあ!!!


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下は「釈迦如来」ありがたいお釈迦様をおまつりしましたのに・・・美しい女しょうには如来様もよわいか!!!ってお話。釈迦堂のは無言劇。5月になったら又見たいのは千本焔魔堂の大念仏狂言。こちらは言葉がアドリブ入り。言葉ってなんとも魅力的なんですよお。

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2019年4月 5日 (金)

都ぞ 春の錦なりける

京都は今、どっちを向いても花盛り。忙しいこと!!!

まずは、嵐山。ママチャリでGO!!おやおや…大変な観光客です。


 


大好きな梅宮大社へ。ここのお庭はダーイスキ!!!大きなお庭には人影もチラホラ。ここのお庭、自然なのが好き・・・つまり、雑草も大好き。今日も落ち椿道をのおんびり。 

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有名なお庭とお茶室。一度中でお茶をよばれてみたいなあ。


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下は御所。近衛邸の枝垂れ桜。先日、皇后陛下もいらしたみたいですけど、その日は、まだ少しつぼみがかたかったかも??


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嵯峨釈迦堂の仏さまも拝み、図書館も回って、無事相棒より先に帰宅しました。


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2019年3月31日 (日)

いうことをきかないパソコン

パソコン不調のあいだに、アップしぞこなった記事をのせておきます。
 
下は千本釈迦堂。応仁の乱に燃えなかったほとんど唯一の建物。ここの仏さまは、しょっちゅう、出張なさっていてお留守なのですが、この日はいらしたのでゆっくり拝ませていただきました。宝物館も国宝本堂も公開中です。有名なおかめ桜はまだ3分咲きくらい。

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 下は、明治天皇の思い入れによって建立されたといいます白峰神社。かの崇徳天皇がまつられています。いつもは何となく素通りしていましたが、今日は中へ。

 崇徳天皇は白河天皇…この天皇様、史上傑出した独裁権力をふるったお方です。「自分の意のままにならないのは、賽の目、賀茂の水、比叡山の山法師」といわれたとか。この方が溺愛されたたま子様(王へんに文章の章)を息子鳥羽天皇のお后に入内させました。ところが・・おなかにはもはや、白川さまのお子が・・・のちの崇徳天皇です。鳥羽天皇は叔父子(おじいの子)と呼んで)、心を許しませんでした。白川天皇崩御、鳥羽天皇は今は退位して鳥羽上皇でしたが、自分の子を次期天皇にしたいと望み、崇徳天皇と対立。保元の乱です。戦に敗れた崇徳様は隠岐へ流され、狂ったようにその処置を恨んで亡くなられます。都は異変続き、天災、疫病、崇徳様の祟りだということで・・・実はこの崇徳という名も死後に贈られた名前ですが・・・

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下は「蚕の社」太秦にあります。鳥居が三本足なので有名です。左にちょっと見える鳥居の奥に三本足の鳥居があります。ここは好きなところで、こんな町中にありながらうぐいすの鳴き声が聞こえる…というので行きましたが雨が3粒・・・かえりました。鶯はまだ聞かずです。

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 下の鳥居のおくに、3本足の鳥居があります。


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2019年3月30日 (土)

豊穣のひととき

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 今日は3月30日。結婚記念日です。54回目。相棒は今、デイケアーに行っています。帰ったら・・・ね。

 

 相棒が出かけた後のほんのひと時、ゆっくりお茶。そして・・・最近は「更級日記」を少しづつ音読しています。これが・・・なんとも優雅で響きがうつくしいのよねえ。そのうちにテープにふきこみましょう。


 ももりが古典文学に興味をもったのは、まだほんの最近です。まだ歴女とはとても言えません。5年前に癌手術をして、外国どころか国内旅行すら行けなくなってしまってから。ついで相棒も脳溢血。麻痺が残り、外出もままならなくなって、楽しみはもっぱら本。少し歴史を知りたいと、まずは、漫画や児童書で古事記から奈良時代…そして今は平安時代です。


 ともかくは、図書館で児童書にできるだけ多くあたりました。


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 今は更級日記。作者は菅原孝標の娘。面白いことに作家の父親、菅原孝標は、醍醐天皇の御代、左大臣藤原時平の讒言によって、太宰府に流された、かの右大臣、菅原道真・・・の、5代あとの人。菅原家は学問の家柄です。その家のむすめ・・・ですって。そして、作家の母の姉はかの嫉妬のかたまり、ドフトエフスキーも敬礼しそうな「蜻蛉日記」の作家、道綱の母で・・・つぅまぁりぃ、作家の叔母にあたります。さらに、作家の育て親の弟の妻は紫式部のむすめ・・・ですって。頭の整理が必要ですけど。

 

 父の任地、千葉で彼女はひたすら物語の世界にあこがれます。やっと、13才の時に京の都に帰りました。つてをもとめて物語をさがしますが、なかなか・・・やっと手に入れた物語を、夢中でよみふけります。この物語あれば、貴人の妻になることなんぞなんのその・・昼も夜も、ひたすら読みます。



 さて、ここからはももりのイメージの世界です。
源氏物語は紫式部によって、さしずめ、今の月刊誌の人気シリーズのように、読者に待たれながら発表されていきます。読者は、争って、手の込んだ高価な紙に書き写し、家の宝にと集めていきます。多くの物語、詩集が今日こうして残ったことは世界史上でも、けうなことだったでしょう。

 さて、ある日、源氏物語15巻とその当時の物語…今は失われています・・をそっくり貸してくれた女性…この人こそ母の姉…蜻蛉日記の作家ではなかったか???

 

 知る限りの歴史のなかに、作家をあてはめていくジグソーパズルのような楽しみです。そして…読んでいるのは児童書、きれいな絵やイラストがいっぱい。というわけで、ももりのあたまは、まるで色彩豊かな平安朝の宮廷にまよいこんでいるのです。

 当時、政治がみだれ、一歩、宮から外に出ると、追いはぎ、強盗、旱、水害、風害、はやり病い・・何しろ抜刀した賊が御所の東から西の門までかけぬけた、とか、女の叫び声でかけつけたら、女官が二人丸裸で震えていたとか・・・御所の中ですらそんなありさまだったと、当時の日記は書いているのです。危険きわまりない真っ暗な夜、怨霊やもののけが動き回り、一方では十二単の女性たちが夢の世界がひろげていた・・・んですねえ。

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2019年3月25日 (月)

へんなパソコン!!!

も・お・お・・・・うまく動いてくれません。プンプン!!!


時代にとりおかれそうで、何とか続けているパソコンですが・・・そろそろ???

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古都の春

京都、古都も春。一条戻り橋の早咲き桜はもう満開!!!


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西本願寺前の「井筒ビル5F]風俗博物館へ。知らなかった!!!長く京都に住みながら、こんなすごい展示館があるなんて…改めて京都の奥深さに驚き!!!今は源氏物語をセットアップ中



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パソコン絶不調。勝手に人のパソコンの中までかきまわしてシステムを変えるなんて…ひどいよお!!!パソコン教室の校長先生にきてもらって・・・さ・あ・あ・・・アップできるか・・・エイッ







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2019年3月12日 (火)

蜻蛉日記のヒーローは

「蜻蛉日記」・・・・平安中期、藤原兼家・・・当時26才くらい・・にプロポーズされて不安ながらも結婚した19才の作家…彼女は菅原孝標の娘と呼ばれていますが名前はわかりません。というよりも、皇后とかになるまで女性には名前の記録が残されていなかった。清少納言も紫式部も名前ではありません。職名です。兼家との間に生まれた息子道綱が右大将になったので、作家は「右大将道綱の母」とよばれています。


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上はちょっと違うけど「落窪物語」岩崎書店の挿絵 沙月ゆうさん 葵祭のようす

 

 何人もの妻をもつこの時代の妻にとって一番の苦しみは嫉妬です。兼家は、直接親に結婚を申し込み、下手クソな字で品のない紙に歌を書いてよこします。当時はまだ位もたかくない、ぺーぺーですのに。その押しの強さに負けて結婚。

 最初は熱心に通ってきますが、浮気なやり手・・結局、9人の妻がいた???ともいいますよ。も・お・お…腹が立って腹が立って!!!たまに来てくれたら来てくれたで、腹立ちまぎれで怒りまくり???夫は不機嫌に帰ってしまう。またまた悲しい。そんな自分に嫌悪感を抱いて苦しみます。同じ屋敷の姉のもとにはせっせと律儀に男が通ってきているのに。欲求不満、イライラは募るばかり。

 ある時で、そわそわと上の空でかえっていった夫のあとを下男にあとを尾行させます。とある町中の女の家に入っていき、その夜は泊まったという報告。そのうちに子供もできたと世間の噂のたねに・・・も・お・お・・・自我とプライドのがかたまりの女主人公は爆発しそう。そりゃあそうでしょう。本朝三美人といわれたほどの美人で、歌もよむ才女はプライド高く強情です。ドフトエフスキーを思い出すほど、その鬱屈に徹底的に執着する心理描写がなんだか近代的、文学的???と思えてしまいます。


 なげきつつ 一人なげぬる世の あくる間は
   いかに久しき  ものとかは知る



 やがて町の女は出産。子供が死んだときいて喜びます。暗いけど・・・わかる・・・そのうち兼家の女への関心もうすれ、赤ん坊も実は父親は別の男だったのだとか・・・世間の口は・・・どうしようもない。 幼い道綱が、父親が帰ろうとすると、まとわりついて「いつ来る」と問う切なさ・・・・20年ほどでフッツリと日記はおわりますが、作家はその後20年ほどは生きたということです。



 でもねえ…この兼家という男、女が一人で立ち向かえるほど単純なタ・マではなかった。ゆく末は太政大臣ともなり、かの藤原道長の父親ともなった男です。もっとも、道長は時子と呼ばれる他の妻の子ですが。


 天皇花山天皇という人・・・父親の冷泉天皇は狂疾・・・時に常規を逸した行動をなさる・・・そして退位。そのあとを継いだ花山天皇も同じ血をもっていました。
16才で即位、お気に入りの女房に死なれて出家したいともらすようになります。そこに付け込んだのが兼家一家。真っ暗な紫宸殿から夢月の夜に天皇をこっそり連れ出し、門を出たところで車にのせ、前後をとりかこんで寺へ・・・ためらう天皇に「自分もすぐ後を追い、髪をおろします」といって、まんまと出家させてしまいます。天皇がいなくなった御所は大さわぎ。その時にはもう3種の神器は皇太子の手元に・・・うかうかと謀略のってしまった花山天皇は、そのあとどんなに悔しがったことか・・・・



 さて、そのやり手男の兼家、後に続く、一家の兄との権力争いにも結局は勝利し、東三条邸と呼ばれる大きな屋敷を構え、天皇には娘を嫁入りさせ、摂政となって権力を独占するという超ド級の怪物。異腹の妻からは道長がでます。下はマンガ「日本の歴史」中央公論社 石ノ森章太郎から。この物語の本当の主人公はこの兼家???じゃないか???しらね。



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 当時は男が女の家に通うのが普通だったようで、むしろ娘は生まれた家で大事に育てられ、夫や子も娘の実家で世話をし、家を継いでいったようです。

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2019年3月 4日 (月)

天国からの贈り物

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 このかわいらしいお花は???一体どなたが下さったのでしょう。もう一週間たちましたが、さて???どなたが下さったのかわからないのです。

 
 2月26日は次男の命日。ちょうど3年たったのですね。外から帰宅しましたら、鍵をかけた玄関の前にお花がおいてありました。
 はて???どなたから???あちこち電話をかけました。お嫁さんにも・・・いつも優しくしてくれている書道教室のかたにも・・・でも…まだわからないのです。


 お花は元気です。確かに歩いて持ってきてくださったことは確かです。遠くに住む人が送ってくれたものではありません。一体誰やろ???

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 死んだ子は年をとりません。ブサカワだったこの彼は???まだ、30前後ですかねえ。優しいだけの彼でしたけど、愛してくれた方々がいらしたんですねえ。


 はて・・・最近の面白い会話・・・子供の書道教室から


その日、いつもは遅い三男が5時頃帰宅しました。しばらくして顔を出し
「台所のもん見たらカレーやな。なんか見つくろうて作ろか」って言いました。
「ありがと。うれしいわ」って答えましたら私の前にいた小学3年生のカホちゃん
「センセ  あの人だれ???」
「う・う・・・ん。私の大好きな人」ってこたえましたら、妙な顔をして
「ふ・り・ん??」っていうんです。
「ふりんって何???」
「ふりんって、お父さんとお母さんがいるのに、他に好きな人がいること」
「う・う・・・・ん」いつまでもごまかすこともできず、
「あの人はなあ。私が32才の時に生んだ子やねん」
何とかなっとくしてくれました。


 又、ある日、5才のアラタちゃん、おしっこにトイレへ行ってベッドにいる主人をみたのです。
「センセ、あんな‘じいじ‘と結婚したん???」ですって。は・は・は・・・・もう涙が出るほど笑いました。


 又、ある時、おしっこに行ってきた小学4年生のオウ君。指でむこうを指さし、小さな声でいいました。
「センセ・・・あの人死んだはらへん???」
「え・え・え・・???死んだはったらターイヘン。なんで???」って言いますと、オウ君、大きな口をポカンとあけて眠るまね・・・も・お・お・・・笑って笑って…でも確かめにはいきましたよ。



 昨日展覧会も終わり、平穏な日々にもどりました。最近は平安時代の文学に児童書でアプローチ。適当にむつかしくおもしろく、不眠症も治ってきました。


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2019年2月28日 (木)

京都水彩展  京都市立美術館別館

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 火曜日から日曜日まで。(日曜日は4:00まで)

今日は温かくてうれしい。午前中、会場へ。


 昨日はポカポカ陽気・・北野天神様へ梅見に行ってきました。相棒はデイケア。梅は、今一番いいころでしょう。鶯の声はなし。以前はテープを流してましたけど・・・こうもすっきり整理してしまっては、鶯も住みづらいよねえ。


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 お天神さまの境内にあるこの鳥居、たぁしぃかぁ・・・日本三変わり鳥居のうちの一つ。鳥居の台座のハスの花が上下逆さなんだとか???誰が言い出したのかねえ。案内板によりますと…菅氏は元大伴氏・・・大友の御子の時だったか???名前が一緒でははばかられるとかで・・・伴氏と改名したんだっけ???どこかで読んだ記憶あるけど・・・ちなみにあと二つの変わり鳥居は、蚕ノ社の3本鳥居、もう一つは、御所の唐破風、鳥居とか・・・???

 案内遅くなりました。なにかと遅れがち・・・申し訳ありません。

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2019年2月12日 (火)

2月26日

 

2月26日・・次男がなくなって3年。


 昨日は今年の寒さの底だったでしょうか。日、月と絵の会の審査。今年は審査員です。審査員になると賞は一切もらえません。ももりは去年、文部科学大臣賞をもらっており、これで上がり・・・もう、賞はありません。



 自分が病気をし、相棒が倒れ、次男をなくし・・・・も・お・お・・・人前へ出たくないと思っていました。顔や言葉でつらさを表すことは拒否してきました。自分の感情をつっつくことにもなるから。素知らぬ顔をしてやりすごしたかったのです。やっと、思い出してホロホロしたり、事実として人にも言えるようになったという感じです。



 ヘソ曲がりな所もあって、賞とか、地位とかに拘泥したくない、と思ってきたのですが、去年の賞はたしかに元気をくれました。絵を描く意欲というより、生きる意欲をもらったといってもいいとおもいます。

 相棒は半身不随、彼はもう覚悟がきまったらしく、一切???・・・いえ、ほとんど・・・愚痴は言いません。じっと我慢をして「いい子」してくれています。やっぱり不自由な身になってすら、私を守りたい、と思ってくれているんでしょう。夫はかわいいけど介護は大変。どこか、自分自身も半身不自由になっています。



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 絵は「旅の終わり」・・・人生も…お・わ・り・・・に近づいてるから???は・は・は・・・

 

 お正月2日・・長男、三男はそれぞれ好きに出かけ、老夫婦二人っきりの家ですることもない。「ええーいっ」とやっつけ仕事でしたが、ほとんど手をいれず、出品しました。
はてしない旅路も間もなく終わる。安らかなわが家にたどりつけるでしょう・・・それは???もう・・・西方浄土・・・かも

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2019年2月 4日 (月)

七十八 年も自慢の ババフライ

  七十八 年も自慢の ババフライ


 どうですか・・・・今日もいつものごとくプールへ。今日、なんだか川柳を募集してるっていうんです。早速一首浮かびました。



 応募箱にいれてチン。祈ります。一等は5000円ですって???2等は3000円だといいます。は・は・は…楽しみやなあ!!!


 昨日は節分。以前は方角を気にして丸かぶりなんかしなくても平気だったのに、なんだか食べないといけないような気になって、スーパーで買った巻きずしを丸かぶりして厄除け。


 ご近所には節分で有名な壬生もあるんですけど、ヘソまがりのももりは春日神社へ。境内はたった一人。白梅がよっく咲いていい香りもひとりじめ。200円のお豆さんも買って帰宅。大きな声で「鬼はそとーーー福はうちーーー」なんだか空虚な家に響いて異様な感じ。相棒は興味もなし。あ・あ・あ・・・・にぎやかに子供たちと豆まきを楽しんだ日々もあったのに・・・



 子供の頃、節分は怖い日でした。豆に追い出された鬼が便所に逃げ込んで隠れてるって・・・トイレに入ったら、下から手を伸ばしてお尻をコチョコチョ。便所なんて、家とは離れた暗い宅地の隅にあったから・・・もう暗いだけでもいやなのに、便所・・・トイレってなもんじゃない・・・に行くのすら怖い・・・



 節分の巻きずし・・・なんだか売れ残りをたくさん捨てるんですって・・・そんなこと…考えられない・・バチが当たる…子供の頃から、食べ物を粗末にするとバチがあたるって言われてて、今でも信じています。買ってきたスーパーの巻きずし・・・一度食べてみようとお高いのを買ったのですが、やたらいろんなものを詰め込んでて味が混ざってしまって・・・イ・ヤ

 巻きずしは自分の好きな料理です。やっぱり自分でまた作りましょう。甘い大きな卵焼き、キュウリなんか入れなくて、三つ葉・・・クッタクタにたいたかんぴょう、高野豆腐かまぼこ、シイタケも甘口で・・・あ・あ・あ・・・いっぱい食べた次男がいないから・・・でも、やっぱり作りましょう。



あたたかき プールはうれし 外吹雪

前世は 魚だったか  プール好き

大窓の 雲に四季見る プールかな

バタフライ? いえババフライ バカフライ


は・は・は・・・・楽しみやなあ!!!







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2019年1月29日 (火)

金ピカの大仏

 先日に行った興福寺、中金堂の落成記念展示を見学。そ・し・た・ら・・・中央にまっさらみたいな金ピかの仏様が鎮座しています。激しい群青色の髪の毛なんかも、なんだか、観光地のプラスチック大仏みたい…なぁんとも薄っぺら!!!

 「あの仏様は今のものなの???」
 「いいえ、国宝ではないので、新しく金箔を貼りなおして修復したものです」ですって。


 へ・え・え・・・・仏さまは…やっぱり古色蒼然の方がありがたいなあ!!!


 でも、天平人にとっては、金ピカでこそありがたかったのかも??? 


 新しい年号は???
今、読んでいます杉本苑子さん「穢土荘厳 上下」「檀林皇后私譜」いろんな作家の同時代史をよみましたが、今のところこの作家さんが、イッチバン!!

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 天平20年に出された聖武天皇のみことのり・・…すべての罪は天皇である自分にある・・・つまりぃい・・・大雨も日照りも地震も疫病もすべては天皇に徳がない???
 天下の富を持つものは自分・・・仏の助けを借りて人民を救いたい・・・・


 天平時代、激しく荒々しい時代です。とてつもない大きさの大仏をつくり、大仏を覆う建物を造る・・・人民はみんな、たとえ一握りの喜捨でもして手伝ってくれ・・・ももり流の解釈ではこうなるのですが・・・


 作業に駆り出されるのは人民。中でも悲惨なのは牛馬よりも安価で売買される奴隷たち・・・金銅を溶かし、鋳型に流しいれ、仕上げは金メッキ・・・水銀中毒でバタバタ倒れる人民たち


 主人公は長屋王家の下っ端の家臣。王侯貴族でなく、下っ端を主人公に仕立てているところも異色です。光明子を皇后にするために長屋王家を抹殺した藤原氏四兄弟。佛罰か???あっという間にもがさ(疱瘡)によってそろって死んでしまった四兄弟。怨霊もこわい!!!さらに苦しみは続きます。娘、孝謙女帝を帝位につけるために殺してしまった異腹の皇子・・・恐怖心から神経症に???平城京を捨て、5年間の放浪の末、結局、又、今の奈良、東大寺の地に大仏を造り始めます。


 主人公の家臣は結局、出家・・・
大仏を造るくらいなら、貧しい行き倒れや容認のための救護施設を造るべきだった・・・と言わせて物語は終わります

 下は、「玉虫の厨子物語」天平よりはちょっと古いかも???でも・・・当時の奈良の都ってきっとこんな感じ???絵は太田大八です。


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2019年1月23日 (水)

「天平」のまち中へ

 昨日、奈良へ。興福寺へ行ってきました。透きとおったぬけるように碧い上空に白と淡いグレーのうす雲が足速に駆けぬける‥でも、地上の風は案外穏やかで、いかにもいにしえをしのぶにはよいおひよりです。
 このところ、いろんな作家でずーっと読み比べている天平から奈良への時代。荒々しい歴史です。ここ、興福寺は藤原不比等が建てたお寺で、代々の藤原氏のお寺でした。五重の塔は、父、不比等の供養のため、光明子が建てたといいます。何度もの火災にも会い、その都度再建されました。平成の去年、中金堂が再建されて、今、落成記念展示がなされているのです。

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 もお・・・かたいお話はやめ・・・どうですかぁあ???
杉本苑子さん描く奈良から平安の時代に下の絵で入りこみましょう。

 お偉いお方のお出ましを見物に行くのに、歩くのを面倒くさがって女物の牛車の乗り込んだ三人の若者。牛追いの子供と大きな強い牛のすごい引っ張りとデコボコ路に、のりもの酔い…御簾を・・あげてゲーゲー・・杉本苑子「今昔物語集」挿絵は太田大八です。
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昔の旅は、ホント大変  でも、景色がよかったらちょっとは一服・・・ね。

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池に住む水の精・・・・力自慢がつかまえますが・・・さ・あ・あ・・・どうする??


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 この太田大八という作家さん、若きももりがずーっとあこがれていた作家さんでした。その話は後日・・・





 

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2019年1月17日 (木)

阪神淡路大災害はいのしし年

 TVを見ていた相棒がふと言いました。

「阪神淡路大地震はいのしし年やったんやでえ」
「へ・え・え…なんで知ってるの」
「あの前の日、あんたのいのしし見に、大丸行ったんや。16日になったら展示替えやっていうてたから」
「???何のはなし???」


 もう、すっかり忘れてました。24年前の猪年のお正月のウィンドウディスプレイ、大丸百貨店だっけ???猪を描いたことがありましたっけ。


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 奥の方のウインドウに猪がチラリ・・・ここはどこ???神戸三宮大丸だと相棒はいいます。


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これは、自分が描いた証拠に撮った写真のはず・・・



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24年前かあ・
・・54才。若かったなあ。
新年の梅宮大社のお札の写真、自分が写ってるのもあったんですけど、見るからの大婆さんなんで、ぞっとしてアップしなかったんです。でも・・・は・は・は・・・いいじゃない。年を取るのはあたりまえ???



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 相棒が倒れたのは5年前の1月16日。真夜中…12時頃???釣りチキがバタバタ2階からおりてきました。「お父さんの様子がおかしい」びっくりして2階へ。実はももり自身が大腸がんで手術していらい、トイレやらもろもろ2階生活がつらくなって1階に寝ていたのです。



 相棒は、もう身動きでず失禁。すぐ110番。意識はしっかりしていて「救急車を呼んで」ということでした。なんとか病院のベッドに落ち着いてももりは帰宅。真夜中・・・3時半ごろ???相棒がその日出発するはずだった沖縄の旅を旅行社に☎してキャンセル。「これ以後の旅の予約は全部キャンセルします」と言いましたら、何しろ、海外は、インド、ネパール、国内は何だっけ???いくつか旅の予約を???入れていました。



 早や、もう5年目に入りました。相棒は「ケーキを買ってきてお祝いして」って言ってます。明日・・・、ね。それにしても、今週は、相棒の歯医者が2回。散髪が一回。自分の医者が2回。こう何度もお医者通いばっかりでは・・・ッタクー・・・


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2019年1月 7日 (月)

余生

 ある方のブログで、ぽっくり様におまいりして・・・という記事をみました。よく、ピンピンコロリ、が理想だっていいますけど・・・我が家・・・相棒脳溢血で倒れて間もなく5年目にはいります。介護生活は確かに大変。でも・・・やっぱり生きていてくれたほうがうれしいと、今思っています。


 ぽっくりでなくって、介護のゆっくりした???期間もあってよいかもしれないと思います。相棒は、ともかく仕事一筋で頑張った人ですので、今、静かに休んでいると思っています。ぽっくりいかれるよりも、二人の愛・・・てれますけど・・・を確実なものとしてるっていう感じ???やり残した仕事を全部し終わって、自分も一生を終わるというのがいいなあと思います。まああ・・・相棒は我慢つよく、、しっかりいい子でいてくれていますからそんなことが言えるのかもしれません。相棒も私一筋でしっかり愛してくれたと信じます。


 絵も一生懸命やった、書道も頑張った、エッセーもやってた、スペイン語も、旅も…結局ゼエーンブ「お・あ・そ・び」にしてしまった。でも、、、主人との生涯だけはやり遂げたって思いたい???のかも



 ぽっくり逝ってしまった次男・・・まだ45才ですよお。これは・・・つ・ら・い・・・・ことでした。

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2019年1月 4日 (金)

にいどしの初絵

 お正月の一日長男夫婦はおぞうにを食べてオーストラリアへ。三男はおせちのあと、四国へ釣りに3日の泊り旅。プールは3日から…だ・・か・・ら・・・梅宮大社へママチャリで初もうで。


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 二日になると、もうなにもすることがないので絵を描きました。なんだかのってきて筆が勝手に動きます。3月の展覧会の絵は何と、何とかこれでいけそう。ついでに6月の展覧会のも手掛けておきましょう。絵のタイトルは「旅路」にしようか???

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 どこかで確かに見た真っ赤な日没。西方浄土への旅???砂漠の夕焼けってのは実にすごかったなあ!!!


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この絵は一体、何???さ・あ・あ・・・こんなのできちゃった・・・???




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[神に捧げる]・・・おかしいでしょう???まったく違った三枚って???ま・あ・あ…まだまだ・・これから、これから・・・

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2019年1月 1日 (火)

良い年でありますように

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  新しい年を迎えまして、皆様おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。


釣りキチは、元旦早々四国へ釣りに。長男夫婦はおぞうにをすませてオーストラリアへ・・・またまた老夫婦だけになりました。大食漢の次男がいないとおせち料理も、ほんのちょっぴり。今年が穏やかでありますように祈ります。

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2018年12月23日 (日)

奈良へ 法華寺と海龍王寺

 これは覚書で11月30日のこと・・・またまた奈良へ。
龍田大社へ行きたいなあ・・・と思って家をでました。・・・百人一首・・「龍田の川のもみじなりけり」・・・・ってあまりに有名でしょ。でも・・・やっぱり、電車の中でかんがえますに、帰宅時間に無理がありそうで、急きょ心がわり。西大寺でレンタサイクルをゲットして、法華寺と海龍王寺へ。




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 法華寺は、聖武天皇、光明皇后が幼い日をすごしたやしき跡です。 海龍王寺はすぐ近く。この周辺、実におもしろいお話がいっぱいあります。聖武天皇没し、光明皇后との子、孝謙女帝が天皇に在位。しかし、実権は藤原仲麻呂がぎっちりにぎって、女帝はお飾り人形。仲麻呂の言うままになっていました。がしかし…病気で寝込んだ女帝の介護をした道鏡…献身的な治療によって回復しましたが、道鏡にすっかり首ったけになってしまい、勝気でわがままいっぱいの女性に目覚めてしまいました。もちろん仲麻呂はおもしろくありません。


 称徳女帝はお気に入りの道鏡をなんとかして位のトップにつけたがっていましたが、旧来の摂関家、藤原一族はこぞって大反対。仲麻呂の下心にやっと気づいた自分の愚かしさよ!!と思ったかどうかは知りませんが、道鏡への愛に目覚めた40才過ぎての初恋は燃え上がります。仲麻呂はクーデター。ここは旧臣たちのおかげで乗り越え、仲麻呂は琵琶湖畔で死にました。
そんなとき・・・766年(天平神護2年)、平城京の北東にあり「隅寺」とよばれてた海龍王寺から仏舎利がでた!!!毘沙門天のお像の中から仏様の骨がでた!!!というんです。出現したありがたい仏舎利とは???誰が仕組んだ????おおげさな儀式をもよおし、即日、道鏡を法王に任じました。



 聖武天皇と光明子の一人娘、孝謙女帝・・・もっとも、弟、安積親王は生後1歳くらいで死。その死に悲しみにおぼれ、長屋王を呪詛と言いがかりをつけ無実の罪で攻め、長屋王一族は自死。そのあとすぐ光明子が聖武天皇の妃になりました・・しくまれたドラマ以上の面白さ・・・面白がってるなんて不遜かもしれませんが・・・歴史は勝者によって書かれるとして、現在では様々な憶測がうまれ、今では、いろんな作家が好き放題を主張しています。読み比べていくと、結局その裏の作家の人間観が見えてくる…それがまた魅力なんですよねえ


 
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 法華寺には光明皇后を写したという等身大の観音様がいらっしゃるのですが、やっぱり会えず…また来春に…なんて・・ね。

 

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2018年12月18日 (火)

「十五の夏」 佐藤優 読みました

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  友人が「すっごく面白かった」と言っていましたので、長いこと図書館で待ってやっと読みました。難関の県立浦和高校に入学した佐藤優君は15才。夏休みに共産圏諸国を一人旅します。しっかり予習もしてお金は父さんにだしてもらう一か月の冒険旅行です。ともかく15歳にしてはしっかりしすぎていて・・・自分とくらべるからか???・・・どこまで本当でどこから虚構なのか、常に??しながら読み終えました。


 エジプト航空でカイロ乗り換えチューリヒ。そこから汽車で東独、ポーランド、チェコ、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、アルバニア、ソ連はモスクワ、キエフ、ブハラを経て、ハバロフスクからナホトカ経由帰国という大旅行です。旅の計画立案から共産主義への予備知識などをしっかり報告していますが、15才にしては完璧すぎる???んじゃない???


 ももりも、この本に登場する国のいくつかを旅しています。尤も、ももりの旅はアマちゃんのパックツアーがほとんどですが、ももりの旅の年代もけっこう古くて、自分の体験と、大いにダブってぐいぐい読み進みます。ももりもソ連からモンゴルへ出る旅では往生しましたっけ。まだ、ツーリズムが十分でなかったので、いたる所で立ち往生。でも、本当の旅のだいご味はそんなハプニングのスリリング感と人々との生の交流です。ルーマニアがひどかったとか、ハンガリーの食事はとてもおいしかったとか…うんうん…ナットク、納得。

 

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 上の写真はハバロフスク。ももり45才。優君の旅の6年後です。ももりの初旅はその6年前の中国。共産圏・・・未開放というか、監視付きの旅はある意味ではほぼほぼ似た印象はあるかもしれません。下はルーマニア。

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 チェコからハンガリーの平原…まっ平らな平原はハンガリーの民族音楽をおもいださせます。

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下はオーストリア。シェーンブルン宮殿です。雨が降ってたんやねえ。


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 優君はハンガリーの文通仲間を訪ねますが、友人は留守。でもいろんな人と知り合って、貴重な時間をすごします。上の写真はハンガリーの王城にて。



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 旅ほど楽しいものはないなあ!!!今では国内旅行すらムリ。でも…この紅葉の秋、ちょいちょい旅はしました。奈良へ3度。草津鉄道に2回、田辺に1回。もう…冬・・冬ごもりの時・・・温かいお部屋で本といっしょ、は、うーんとのおーんびりー。現実離れした夢を見るのがうれしいです。

 もし、ホント???って思われる方は、ももりのホームページへどうぞ。左のお気に入りからいけますよ。尤も、初めのころの共産圏の旅は写真は許されたところ以外は禁止。スケッチまでチェックされたから・・その上、記憶も、も・お・お・、お・ぼ・ろ・げ・・・

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2018年12月13日 (木)

平安でなかった京の都

 

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こんな文をみつけました。「徒然草」より



・・・京極殿、法成寺など見るこそ、志とどまり事変じにけるさまは、あはれなれ・・・・・・大門、金堂など近くまでありしかど、正和のころは南門は焼けぬ。金堂はその形とて残りたる。丈六の仏、九体、いと尊くて並びおわします。行成大納言の額、兼行が書ける扉、鮮やかにみゆるぞあはれなる。法華堂などもいまだいま侍るめり。これもまたいつまでにかあらむ・・・・



解説に・・・
 平安中期から中世にかけて、盗賊による放火や戦災が相次いだ。内裏は平安遷都以来、15度にわたって火災に遭い、1227年、再建中の殿舎が消失して以来、宮城内に内裏は営まれず、代わりに貴族の邸宅を里内裏とした。・・・最大幅84メートルというメインストリートの朱雀大路も、ほぼ畑と化した・・・



 吉田兼好が生きたのは鎌倉・・・1192(いい国)造ろう鎌倉時代…って覚えましたっけ。それから90年ほど後に生まれた人。だから・・・今、影も形もない法住寺、藤原道長の栄華の館は彼のころはまだ残ってたんやなあ。丈六の仏9体も・・・もったいない!!!

 案外京都って古い仏さまはいらっしゃらないんです。やっぱり仏さまは奈良。か、京都周辺のお寺・・・何度もの大火・・放火も多く焼き尽くしてしまったんやねえ。

 そうかぁ・・・ももりの住む中京、朱雀大路より西は特に荒廃がひどかったらしい。狐狸、盗っ人、鬼が住む・・・う・う・・・・ん。内裏は天皇のいます館というくらいの意味になって転々としたらしいなあ




 平安時代、天平時代…・{平}のつく時代。知れば知るほど無秩序っていうか・・・今の感覚の秩序なんてもちろん通じないけど、暴力的で利己的。血なまぐさい政争で、ライバルの命を奪っていきます。一方では狂ったほどの仏教への思い入れ…ま・あ・あ・・・・ひどいことしたからこそ救われたかったんかなあ!!

 平成時代!!!昭和の戦争からあとのももりの生きた時代って歴史上でもまれにみるいい時代やったのかもしれません。

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2018年12月 9日 (日)

最後のきらめき

 

パソコンが3晩入院しました。ブログで記事を書いてたら、突然・・・なんだか勝手に動き出して・・・やがて・・動かなくなりました。またまたぁ、気のいいパソコン教室の校長先生に来てもらいましたら、「ちょっと持って帰ってみてみましょう」ということです。


 ハードもソフトも何もわからず、ブログとホームページだけを楽しんでいるような状態です。校長先生が信頼できなければ、預けるのすら心配。尤も、買い物はしないからお金にかかわることは書いてないとは思うんですけど・・・ 世の中の仕組みの変わりようについていけません。ま・あ・あ・・・なんだか、悪い人が妙なこともするようで、そろそろ素人の手にはおえない??限界なのかも???


 初冬・・・つらい季節です。足元から冷えがはいあがる。サーッとしぐれて透き通ったような碧空がひろがる・・・秋とお別れ・・・ママチャリで嵯峨野へ。落柿舎へ行きました。



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下、厭離庵へ。ここは尼寺。最近こそ特別公開しますけど、普段はひっそり。

  騒人に 
ひたと閉ざして 嵯峨の寺…誰かの句です。いいなあ!!!



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下、大沢の池は水をぬいています。鯉あげするんやろか???


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嵐山もすこしは静かになったかしら??やっぱり横目でみて北へ・・・今年の秋ともお別れです。

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2018年12月 3日 (月)

奈良 般若寺

 次の日(11/29日)は奈良般若寺へ。実は、一度円城寺へ行ってみようと奈良駅まででてきました。ところがおっそろしくバスの便が悪い。もう出てしまった後で、1時間後のバスにのったら???帰りが・・・ということで「じゃあ、般若寺へ」   

 般若寺は大好き。奈良坂をこえて、平城山をこえて・・・という表現は万葉集によくみかけますが、奈良に住む友人たちに聞いても「平城山???そんなん知らんでえ」って言う返事。ここ般若寺の前の道が古の奈良の都と京の都をつなぐ奈良街道でした。


 ここに陣取った平家の若き御曹司、平重衡が南都へ攻め寄せたのは12月29日。真っ暗な夜の般若野に陣をおきます。当時、茅屋に日をつけるのは闘いの定石、ということで、付近の草屋に放火。折りからの冬風にあっというまに東大寺、興福寺、大安寺など、南都をほぼ焼きつくしました。バス停からは般若野が一望に…・歴史の中に身をおいてうっとり。


 やがて平家が衰え、重衡は南都焼き討ちの罪で鎌倉へおくられ、都への帰途、山科で処刑されます。天皇、貴族いならぶ前で「青海波」を踊って当時トップをうたわれた美貌の公達、トップスター。清盛の栄耀栄華のなか、蝶よ花よと育てられ、名目上の将軍として南都焼き討ちの罪を一身にかぶった公達あわれ・・・
この春、重衡の処刑地が公園になっているのを探しに歩きましたっけ。


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 何年か前、一人でフラーリ。そのときは片隅の小さなお堂で200円の入園料を取って寺宝を公開していました。13重の塔の5段目から出土した小さな胎内仏とさらにその胎内からでてきたアクセサリーみたいな小さな仏様だったか???2体。が展示されていてお客は私一人。お坊様がいろいろお話しを聞かせてくれました。天智天皇の息子にはほとんど弟の天武の娘が嫁入り。へ・え・え・・・反対に天武の息子たちには天智の娘が嫁入り・・・へ・え・・え・???そんなこと???「血を守るためです」って。


 後日、TVで、そのお坊様が偉いお方としりました。あの2時間ほどの夢みたいな時間は???般若寺のまぼろしか???門番のお方に聞きますと、老僧は30年ほども前に亡くなられてますとのこと???あのお方は一体???


 私が日本史に近づいたのは、大腸がん以後。相棒も介護が必要になって海外旅行どころか国内旅行も行けなくなってからです。古事記から始まって、目からうろこ・・・へ・絵・絵…なあんて面白い!!!飛鳥、奈良・・・白鳳、天平の仏様たち・・・今は、平安から鎌倉あたりをうろうろ。ちっとも急ぐこともないし、好きで周辺をさまよってるだけ。


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般若寺は一年を通じてお花が咲いているお寺ですが、コスモスももう終わり、さすがに・・荒涼…これがまた好きなのよねえ。大体…は・は・は…「すさび」ってのがいいじゃないの。



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2018年12月 2日 (日)

勧修寺(かじゅうじ)の姫君のおはなし

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 今昔物語にあるお話です。高貴な公家の若君が山科に狩りに行きました。一天にわかにかきくもり、大嵐。夕立です。お供の者たちともはぐれ、一人の郎党と、とある田舎屋に駆け込みました。田舎にしては、ひそやかな優雅なおももちの住まい。あるじがでてきて、やがてひそと茶をささげて出た娘をみますと・・・なんとも…幼いながら美しい。その一夜がすぎ、嵐もおさまって若君は都の家に帰りますと、家中が心配して大騒ぎ。二度と遠出をしてはならんとの言いつけで、久しく娘のことも忘れておりました。そのうちにあるじはなくなり、遠ざけられていた郎党も身近に戻り、気になっていた娘の家に行ってみようと思いたちます。
 その家は昔と変わりなく・・・そして茶をささげて出てきた美しい娘の横には5~6才くらいのいとけなき姫が・・・お・お・お・・・あの一夜のおきみやげ・・・
 と言ったかどうかはわかりませんが、やがてこの公達は立身出世し、姫君は宇多天皇の后に上り、醍醐天皇の母となられました。その屋敷跡が今の勧修寺だといいます。(巻22第7)ここは蓮の時にも来ましてスケッチをしましたっけ。



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 そのあと随心院へ。月イチの古文書の教室は、今、ももりが一番楽しみにしている教室ですが、その教室の藤本先生が先週おっしゃってました。
「私は随心院の古文書の調査を依頼されていまして、京都にきますと、随心院の3畳の部屋に滞在するのですが、最近では洗濯物を自分でコインランドリーにもっていって、洗濯ができるのをぼーっと待ってる…こんなところで自分は何してるんだろう」っておっしゃってました。先生は確か90才+アルファ・・・古女房のもとに洗濯物をおくりつけることもなさらない・・・かわいいなあ!!! 随心院はスケッチなし。

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2018年12月 1日 (土)

お出かけびより 真如堂から吉田山

 風邪はしつこく続いています。咳がとれません。ということでプールはしばらくヤ・メ。プチお出かけを楽しみましょう。


 今日(11/27日)は真如堂から吉田山へ
行きましょう。市バスは真如堂で下車。厳しい階段を手すりにつかまってオッチラエッチラ。裏門です。ここは、京都でおそらく随一。紅葉はただ今真っ盛り!!!燃えたつようです。すばらしい!!!お・お・お・・・すばらしい!!!赤、オレンジ、黄色…いちょうの黄色が紅葉の赤を引きたてます。
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 そこから吉田山へ。目の前に大文字山が広がります。ここまで来るとたった一人。帰り道、神楽坂通りって言う道標が気になりました。どうも気になる???この道はまだ行ったことがありません。足は???ま・あ・あ・100メートルくらいの吉田山、なんとかなるやろと下りていきましたら・・・素晴らしいお屋敷の並ぶ静かな道に出ました。手入れをされたお庭です。ももりの住む中京とはえらい違いやあ!!!
 スケッチをしいていますと上品な奥様が声をかけてくれました。「何描いてはりますのん??」「比叡山があんまりきれいやから」「あの後ろは蓬莱ですよ」へ・え・え・・・・蓬莱山は比良山脈の一番京都よりです。若い頃何度も登りました。息子達ももちろん!!!「きれいですねえ。これだけのお庭のお世話は大変ですねえ。とても一代ではむりですねえ」「住むのは大変ですよ」う・うううん。坂道の上に住むのは大変やろなあ!!


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2018年11月26日 (月)

攪乱

 風邪をひきました。今まで、風邪くらいって思ってきましたが、今回結構しんどいです。相棒にうつしたらあかん!!!でも勝手に咳はでる。ゴンゴンゴホゴホゴホンゴホン!!!


土曜日の夜、ちょっとのどが痛いかな??と思ったのですが、まあ、大したことないやろ。

日曜日、プールに行ったんですが、
ヒヤッと水が冷たい???これは・・・と、歩いただけで帰宅。咳が出始めました。かなり激しい!!!やっぱりプールがいけなかったか???釣りキチが「熱あるのちゃうか???」って。37度でした。

月曜日、熱はありません。この日、小品展の飾りつけ。わたしはキャプション係。お役目だけして早々と帰宅。相棒をお風呂に入れて・・・日常変わりなし。

火曜日はプールはお休み。高雄に出かけました。1時間に一本のバスは乗り込んだ時から満員。終点まで立ったまま。優待席は若い観光客が占領。見てるスマホは中国語・・・


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水曜日。月イチの絵の会。どうしようか・・・風邪をうつしても大変やし・・・でも、若いメンバーたちの顔を思いうかべて、出かけました。みんなすごく喜んでくれました。

木曜日は教室。今若いお弟子さんに助けてもらっていますので、声をあまり出さずに
終わり。

金曜日、一日ゴロゴロ。

土曜日、やっと医者様へ。お薬もらってレントゲンかけてもらって、気管支炎。肺炎の心配はないとのこと・・・・やれやれ・・・医者様は木、金とお休みだったのです。

今日は月曜日。咳も少しはましになったかも???夜、久しぶりによく眠った感じ。相棒も癇癪を起して怒鳴りました。「ごんごん咳して寝られへん」でもねえ・・・出るんですもの、勝手に・・・心の中で「あなたはいいよ、一日中眠てられる・・・それに・・・そのうちに眠たままになる???かも???」ひどいですよねえ。でも、口には出さず・・・

 老々介護、介護する方も無力です。腕力もありません。若かったらなんともなくできたでしょうことができません。共倒れ???
 


 この秋、時々のお出かけは電車のプチ旅。これはメッケものです。京都市内は人だらけ。でも一歩田舎へ出れば日本の田舎の秋はとても美しい!!!ひっそりとした田舎のお寺に思いがけない素晴らしい仏様が待っていて下さる。京都って、案外仏様は少ないみたい。何度もの戦乱に仏様たちは燃え落ちました。特に応仁の乱、11年もつづいた乱は地方からやってきた無法者の集団に徹底的に広範囲に破壊されました。文化にも愛着も尊敬も何もない…ひどい戦争でした。
 

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2018年11月18日 (日)

お出かけびより  Ⅳ 草津鉄道

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 京都からちょっと離れて・・プチ旅。マタマタ草津鉄道にて・・・今日は 甲賀町へやってきました。ご存知、甲賀忍者で知られる町です。‘甲賀‘は‘こうか‘と読むそうです。
 ここにいらっしゃるいちいという木の観音様は33年に一度の御開帳。今年がその年なんですって。駅のパンフで仕入れた情報です。最澄の命で彫られてたといういちいの観音様は座像ですがその大きさは日本一だそうです。平安時代。こんな田舎にしっかりと守られていらした仏様。ほかにも15体もの仏様もいらして東京都博物館でも「甲賀の仏展」というのが開かれたそうです。


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 琵琶湖をはさんで比良連峰があまくかすんでいます。何度も登った山々。息子たちと遭難寸前になったこともあったなあ!!!びっしり実をつけた柿やミカン・・・今はだれもたべないのかしら???花ざかりみたい!!!きれい!!!
 貴生川から南へはおっそろしく電車の連絡が悪いみたい。とりあえず、期間中だけ走ってるというバスにのりこみ、楽野寺に到着。ゆーっくりご尊顔を拝ましていただき、素朴なおむすびとプラスチックによそったお蕎麦でお昼。いいなあ!!!


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下は帰途によった大鳥神社

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 さああ・・帰らなくっちゃ。相棒も気になる・・・でも・・甲賀駅に出ると、汽車は1時間後。???「それなら一度関西線に乗って木津へ出て奈良を回って京都へ帰ってみましょう・・・と草津線終点の柘植駅へ・・・これが・・まままあぁ。柘植から木津への汽車はでたばかり。う・う・・・ん。ということでまた柘植からもう一度草津へ戻り帰宅。相棒はデイケアから帰り無事にベッドにたどり着いてました。なあぁんだ…一人でもなんとかできるんやないの・・・ね。


 
明日はまた、次の展覧会「日本水彩京都支部小品展」です。
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この絵、まだ何か足りない・・どうする???

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2018年11月15日 (木)

お出かけびより Ⅲ  唐招提寺

 奈良へ・・・奈良へ・・・西ノ京‥・唐招提寺へやってきました。11月12日。
このところ永井路子さんの歴史全集にかかりっきりなもんですから、とても気になっていましたが、この日やっと出てきました。井上靖「天平の甍」は鑑真和上が日本へやってくるところでほぼ終わります。しかし、その後の鑑真は??

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 どうやら、それほど華々しいものではなかったらしい。永井路子さんの「氷輪」は、鑑真来日その後を描いています。この小説は仏教の経典の研究に深く、ももりの頭ではついていけません。でも・・・おおよその天平時代の政治史とのからみから推測しますに・・・結局、古い在来の仏教界、特に東大寺の政治勢力に取り込まれ、逼塞・・とまではいかないけれど、華やかな活動はできなかったようです。

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 つまりぃい・・・鑑真和上が5度の嵐を乗り越え日本へたどりつかれたころ、聖武天皇はすっかり心弱くなっておられ、ひたすら仏の恩徳にすがりたかった・・・



749年(天平感応・・この年天平勝宝元年)聖武天皇譲位して出家します。戒を授けたのは東大寺、良弁
753年  鑑真来日
754年(天平勝宝6年)聖武上皇、光明皇太后、孝謙女帝、鑑真により受戒します。ちなみに戒にはいくつも段階がある・・・この時が鑑真のハナだったようです。受戒して安心した聖武天皇は4年後に死にました。東大寺の良弁…東大寺最高の権威者だった良弁は、部下の僧たちに戒をさずけてもらったら、それで終わったとばかりその後の鑑真には・・・冷たかった???永井路子さんは、そんな程度の低い書き方をされてはいませんよ。ももりの少ない脳ミソにはそう思えました。



 でも、ともかく平城京の大極殿を移築したという講堂と金堂、そこにいます天平の仏様たち・・・・素朴ながら、大きな大きな建物と、思いのたけを刻み込んだ仏様たちが現代まで1300年も守られていますことってすごいなあ!!!



 唐招提寺で天平の仏様たちと会い向かいあってゆっくりさせてもらったあと、今まで気にかかっていたもう一か所へ。そこは・・・



 奈良の薬師寺が水面に映る風景。何度か薬師寺は訪れていますが、薬師寺の周りにはお堀も川もなかったような???でも、確かに水面に映る薬師寺の絵や写真はよく見ます。一体このポイントはどこ???
 近鉄西の京の駅で降りたところでお昼。カレーうどんを食べました。そのお店の方に聞きますと、「ここからちょっと上がったところに大池って言う池がありますよ」というお話。ということでタクシーに。運転手さんも「そんな池あったかいな???」ってうどん屋できいてくれて10分ほど・・・ほんに・・・かなり平凡な池につきました。「あ・あ・あ、このあたりやねえ。ちょっとだけ待ててね」。スケッチ一枚。


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 実は・・・右側の塔は解体修理中「へんなビルが建ってる???」と思うほどの大きなかぶせ物の中…というわけで絵はウソかいてます。全く…絵なんて好きなようにつくれるんやから。タクシー代2000円損した気分。は・は・は・・・でも、楽しかった。



 そのあと薬師寺に入りましたが・・1600円。500円ですばらしい唐招提寺を堪能したあとのこの1600円は、なんだか・・・???でも、とてもいい一日でした。







 

 

 

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2018年11月 9日 (金)

お出かけびより  11月6日 (火曜日)

 お天気はサイッコー!!!。お空は真っ青でピッカピカ。相棒はデイケアーに行きました。も・お・お・・・ムズムズ。どこかをフラフラしたぁあーい!!!



 近鉄新田辺駅へやってきました。まずは一休寺へ。乗り合いバスがあります。ここは初めて。よく噂はきくお寺です。昨夜の雨にしっとりぬれた苔の緑があざやか。トンチの一休さんはTVでよく見ていました。天皇家のぼんぼんで、詩人、禅僧、哲学者、旅人・・・



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 一休さんといえば、あの銀閣寺を作った室町時代の将軍義政の御前にて、「このふすまの中の虎を縛れ」とふっかけられ、「すぐやりましょう。まず、虎をふすまから追い出してください」と切り返したとか???「この橋、渡るべからず」という看板にも平然と渡った。「うん、真ん中を渡ったもん」とか・・・頭がいいって言うかやわらかい人だったのでしょう。88才でこのお寺で入滅されたそうです。紅葉は少し早いけどとても澄み切ってきれいでした。

 一休寺でお昼。近くに観音寺という国宝の天平の観音様がいらっしゃるお寺があるはず。お店のかたにききますとバスはないといいます。ここまで来たんやからとタクシーを奮発。やく2000円。このタクシーの運転手さんは失礼ながらハ・ズ・レ。ももりが「ええとこやねえ」って言いますのに、「住んでみたらただの田舎ですよ」ですって???観音寺への行き方も知らない。「ええっ、そんなとんでもないところやったら帰りの足は???でも・・ここまで来たら・・・ええーい。なんとかなる」と思う間に観音寺に到着。



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 観音寺は、天武天皇による創建で、一休寺よりはるかに歴史は古い。古くは33もの堂塔が立ち並んだ豪壮なお寺だったといいます。平重衡の南都焼き討ち後、荒廃するにまかせていましたが、加賀前田家が本堂だけを再建。そこにひっそりと守られていらした観音様は天平仏で国宝。お会いしてきました。


 明日香の聖林寺の聖観音様と同じ時期の天平仏さまだそうで、今、残ってらっしゃるのはこのお二人、二体だけなんだそうです。たった一人で対面させていただきました。それにしても・・・こんなひなびた小さなお寺によくも無事に守られていてくださったと・・・なむあみだぶなんまいだぶー・・・



 帰りに呼んでもらったタクシーの運転手さんは歴史に博学で、とても楽しい時間をすごせました。「平重衡の南都焼き討ちで燃えたって・・・延焼ではないんでしょう???奈良の興福寺や東大寺・・すべてを燃やし尽くしたといわれる南都ですが、この地は離れすぎていますね」「もちろん燃やしに来たんですよ。奈良の都から平安京に遷って、寺勢力と武士には大きな反感があったんです」ですって・・・も・ォ・オ・・・こんな話なら駅までつかないでほしい!!!「この道が大和街道、ここからが平安京、今までが奈良の都です」って。


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 最近、特に好きになってきた仏様たち。京都市内に残る平安時代の仏様のお顔は、ゆーったり。何もかも忘れて身を持たせかけられる…って感じ。ふっくらと緊張感のない穏やかなお顔です。でも…奈良、明日香の仏様たちのおお顔はキリリっと引き締まって意志的。そんなところが大好きです。


 デイケアーから相棒が帰宅する直前に帰宅。ふっくらとうれしい一日でした。紅葉はますます・・少しずつお出かけしましょう。

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