2008年7月25日 (金)

きんたまをつめわりて死ぬる・・・

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昨日、朝イチで、京都国立博物館へ。「坂本龍馬 その手紙のおもしろさ」展へ行ってきました。まっことおもしろいきの・・・まあ・・・こんな調子です。
 「そもそも人間の世は合点の行かぬがもとよりの事。うんのわるいものは、ふろよりいでんとして、きんたまをつめわりて死ぬるものもあり。それとくらべては、わたしなどは、運がつよく、なにほど死ぬる場でも死なれず。自分で死のうと思うても、又、生きねばならん事になり。今にては、日本第一の人物、勝憐(原文のまま)太郎殿という人に弟子になり、日々、兼ね思いつくところを精といたしおり申し候」・・・ちょっとは読みやすくしたりしましたが、まあ・・原文です。
 どうですか???1000円はちょっと高いけど館内は涼しいし、常設の展示物はいつ見てもあきません。


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2008年7月23日 (水)

「スエーデンの歳月」 小野寺百合子

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 スエーデンの社会福祉、特に老人福祉についての55年間をわかりやすく書いてくれていますので、その要約を・・・この本は1993年までです。作家が亡くなられたのは1998年3月のことだそうですから情報としては古いですけれど。

ヨーロッパの老人救済には中世以来のキリスト教の「救貧院」の伝統がある・・・そう。映画「ジェーン・エア」や「オリヴァー・ツイスト」なんかは救貧院の偽善を暴いていましたね。もっとも、これらの舞台はイギリスでしたけど・・・
 第2次世界大戦時下、家族から離れた老人は、悲惨な状態でした。戦争中、多くの苦難の中、敢然と中立を守ったスエーデンは、中立に使っていた予算を社会福祉に当てました。多くの周辺国が戦後復興を急ぐ中、急に豊かになったのです。国が全てを受け入れる福祉が進められ、全ての老人が年金で生活できるようにはなりましたが、かつて華やかな生活をしていた指導者層が不自由な生活を強いられていることに同情しています。1980年代から、お仕着せから資産に応じた有料化の動きに変換
基礎年金の30パーセントを個人のお小遣いに。 70パーセントをホームの料金に。そして、 他の全ての収入の80パ-セントを徴収しています。資産や所得によって徴収される料金はまちまちですけれど、処遇はほぼ同じ・・・ウ・ウーン・・・これが理想ってモンやろか???

ところが1992年、経済危機。住宅補助金削減、社会保障や社会福祉の減額の方針が立てられます。同時に老人ホームに引き取るより、派遣ヘルパーによる介護、自立への政策変換。
1993年には先に民営化した日本の在宅老人ケアや公的老人住宅を研究し始めています。給付率の引き下げは、生命保険や貯蓄への関心を高めている・・・・ウ・ウーン・・・やっぱり、どこへ行っても問題は多いようです

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2008年7月22日 (火)

「バルト海のほとりにて」 小野寺百合子

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 北欧の知識と言っては「バルト海のほとりにて」と言う本以外には、殆どゼロのももりでした。この本を買ったのはもう、20年くらい前でしょうか。新聞で推薦していたのですけれど、大変新鮮な衝撃を受けました。第2次世界大戦時下の北欧の武官の生活。ラトビアから、スエーデンから・・・発信され続けた「ドイツは敗れる」という情報は大本営には無視され続けました。やがて、夫、小野寺信は中国へ。日中戦争は早期解決すべしとの信念をもって奔走しましたが、それも報われることなく日本は敗戦。この本に興味を持ったのは、作家が、当時、夢中になっていた司馬遼太郎の「坂の上の雲」に登場する津軽の一戸兵衛(いちのへひょうえ)の孫娘と、新聞の紹介にあったからでした。
 お固い軍人の娘が、いきなりヨーロッパの駐在武官の生活。連日のパーテーの席でも、着物の帯の下には暗号情報を隠し持つ。夜は暗号解読・・・やがてドイツは破れ、あわてふためいた大本営の扱い。そして、敗戦。中立国スエーデンに取り残されてしまいます。半年後、日本に残した3人の子供の消息も知れない敗戦の日本へ帰国。
 戦後、日本とスエーデンの架け橋となった小野寺百合子の著書を、今、図書館から借りてきてセッセと読んでいます。その中でも、初めて知り合ったムーミン。トーベ・ヤンソン・・・こんな奔放な空想力、深い人間観察・・・とても、面白くって、本ありてこそと、楽しいです。北欧の社会福祉にも触れていますが、ももりの頭では、イマイチ、納得できていません。写真は買ってきたスナフキン。スナフキンはムーミンの親友


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2008年7月21日 (月)

ビニール袋は60円

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デンマークの夜、お部屋には冷蔵庫もないし、お料理が辛かったせいか、やたら喉が渇く。ビールとお水を買いにスーパーへ。例によってスケッチブックを片手に持ってるもんだから、ビールとお水は持てない。「買い物袋を下さい」っていうと、・・・これが60円。ウ・ウーン・・・大体5000円で、200クローネくれましたから、・・・ももりの頭では、イマイチ、ピンとこないんですけど、とりあえず「何もかも高いっ!!!」スケッチはノルウエーの古都ベルゲン
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 先日、TVで聞きかじったのですが「自分の国に住めて幸せと感じる人のパーセンテージは・・・世界で1位がデンマーク。日本は、確か48位くらいだったような・・・・しっかり確かめていなくてスミマセン・・・税金として所得の50パーセントを国に預け、25パーセントを消費税に取られて・・・日本人なら幸せって感じられるでしょうか。それだけ国に対する信頼感が強いと言う事でしょうか。政治家は自分のポッポに、不正にナイナイしないのでしょうか。情報公開は???選挙は???
 北欧4カ国は第2次大戦には参戦しませんでした。しかし、デンマーク、ノルウエーは、あっという間にドイツに占領され、スエーデンだけは、からくも自力で不戦を貫き、ハンガリーは被害を受け、国内にも内戦状態があったようです。デンマークはヨーロッパで最も古い王室だとか・・・・どうして、デンマークの人々は、こうも安らかに国家を信頼できるのか???色々知ってみたい事ばかり・・・スケッチはストックホルムの古い建物。戦争が無かったから、木の家も残っているのでしょう。
 

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2008年7月18日 (金)

彼の国の香り

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この石鹸みたいなものは何でしょう???スッゴイ物価高で、買い物をしようとは思えない北欧4か国でしたが、ノルウエーのスーパーで買ったチーズとチョコレート。ホテルで食卓に並んでいて、「ン???これは日本には無いし、案外イケル」と思って、たまたまいた日本人スタッフに「これは何???何て言うの。スーパーで売ってる??」って聞くと「どこでも売ってますよ」という返事。早速買いに走って、ゲット。帰国して、みんなに食べてもらったのですが「おいしい・・・」とは言ってくれるものの、「持って帰る??」っていうと、首を振る人ばかり。酪農国で、どこでもチーズやハムはおいしかったけれど、このチーズは山羊と牛乳とのミックスのチーズなんだそうです。チョコレートも買っといたのですが、うれしい事に南極探検のアムンゼンのスケッチ入り。アムンゼンのスケッチはとても正確ですよ。
 このチーズは、やっぱり、あの独特の羊臭が、後口に少し残る。向こうでは気がつかなかったけど・・・・ホント、お買い物って、やっぱり難しい。それに、日本へ帰ると途端に臭いに敏感になるのかもしれないなあ
 やっとHPにアックできました。お時間あればゼヒゼヒ

http://www.geocities.jp/wgwxw444/

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2008年7月16日 (水)

ホヤホヤとうれしいことども

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 先日、比叡山延暦寺のミニコミ誌「きらめき」の表紙にももりの絵が採用されました。まだアップの許可が出ないので・・・もう一つ「美術の窓」17日発売8月号にももりの絵が載るって言ってきています。美術誌は一杯あって、東京の展覧会に出品するやいなや、電話がかかってきます。
「もしもし、ももりさんですか???先日東京都美術館でお作品を拝見しました。すばらしくて・・・・・」
「????はぁー??」
「つきましては、先生のお作品を当社で、取り上げたいのですが」
「ホラ来た!!(お腹の中で) それって有料なんですか」
「そうなんです。1ージですと××円・・・・・」延々と・・・
「わかりました。私は経済的に余裕がなく、お金は出せません。絵を続けられるかどうかっていうせとぎわなんです」それで、ポンっと切れる。
 でも「美術の窓」のこの掲載は「美術の窓」が選んで取りあげてくれるもの。たとえ、小さくても???まだ見てないので・・・うれしいものです。今までに2度取りあげてもらいました。もっとも、「美術の窓」にもお金で買うページもあります。
上は旅行で、アップできなかった「日本水彩会友会員展」京都府立文化芸術会館・・に出品したもの。タイトルはやっぱり「ソドムの街」展覧会は先日終わってしまいました。

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2008年7月15日 (火)

我が家のトロール

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 スカンジナヴィアの妖精にトロールって言うのがいるんですって。そんなに悪者ではないらしいけど、人間にいたずらをするらしい。そういえば、我が家にも絶対トロールがいる。姿は見たことがないけど、しょっちゅう、いたずらするし、時には、とんでもなく困らせることもある妖精が。
 たとえば、「あの本は??? ここに置いた本は???あれぇ・・・確かにさっきここで見てた???」
「あれ???お財布が・・・エ・エ・エイ・・・又、探してる。どこに置いたんや・・」
 白い、ちょっと気をつけないといけない服を着てお出かけ「こぼさないように・・・」って飲もうと思ったら、口元で「コロン!!」と軽い音がして氷がクルリ。ピシャッと、服にアイスコーヒーが懸かった・・・とか・・・ スケッチの右下は展望台にいるももり達
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 スケッチはトロルシュティーゲンの展望台と、そこにあったノルウエーの、草を生やした屋根の小屋。表に木彫りのトロールが2匹???二人っていうの???ちょっと気持ち悪い姿形だから、お土産に買うって気にはならないなあ。

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2008年7月14日 (月)

ヴァイキング ロシアのケース

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 皆様コメント戴きまして嬉しく拝読しています。「海賊」って言う言葉からは、悪者、強者、酷薄、勇者、ロマン・・・色んなイメージが膨らみますが、どれも、みんな当てはまっているでしょう。ヴァイキングの頃の世界は切り取り自由な力の世界だったでしょうから、海賊も山賊も、寸土を争って命がけです。中国なんか今日でも・・・・上は、とてもお高い物価に驚きながら買ってきた本です。でも、とっても面白い!!!
 ロシアもスエーデンバイキング、オレーグがキエフ公国を打ち立てたのが882年。これが、ロシア初の国家なんだそうです。キエフ・ルスと言ったのが今のロシアって言う国名のそもそもの元なんですって。「ルス」というのはスカンジナヴィアの人を指すそうです。
 ヴァイキングは舟を西へ向け、アイスランド、グリーンランドに住み着きました。そして、更に西へ・・・なんと、ボストンの辺りまで行き、ヴィンランドと名付けました。甘い草の意味なんだそうです。このヴァイキングたちは現地人のインディアンに追い返されましたが、コロンブスよりも500年も前に北極海を乗り越えてアメリカに行っていたのですぞ!!!南へ下ったものはシチリアにまで行き、ナポリ、シチリアを占領し、「両シチリア王国」を建国しました。どうですか・・・ローマ人も凄いけど、ヴァイキングも凄い!!!その後、ヴァイキングはその土地に溶け込んで、民族的な独自性は失いました。下は今日のヴァイキング。フィヨルドクルーズ舟の操舵室。

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2008年7月12日 (土)

ヴァイキング イギリスのケース

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 アルフレッド大王が、パンを焦がしてしまって老婆に殴られたお話はご存知でしょうか。英語の教科書にも載っていて有名な話です。傷つき、戦いに敗れ、持病の発作にも苦しんで山中をさまよっていたアルフレッド大王は、やっと1軒の小屋を見つけて倒れこみました。少し、元気を回復したアルフレッド大王に、ある日、老婆が言います。
「ちょっと出かけるからね。パンを焦がさないように見ているんだよ」
 アルフレッド大王は、これから先の戦さを考え、パンのことを忘れてしまっていました。いきなり背後からどやしつけられた時、パンは、もう、真っ黒でした。
「お前には目も鼻もないのかい。どうしてくれるんだ。粉はもうないんだよ」
アルフレッド大王は、ひたすら謝って「後から必ずお返しをする」と言います。そして王の姿が小屋から消えて10日ほど後、老婆の小屋に美味しそうなパンが沢山届きました。そして、そのパンを食べたら、中から金貨が出てきたのです。その金貨を見た老婆は腰が抜けるほど驚きました。金貨に鋳られていたのは、先日殴りつけてしたたかに打ちのめした男だったからです。「あ・あ・あ・の・方が・・・王様とは・・・」
 当時、イギリスは七つの国に分かれ、南部のウェセックス以外は殆どもうバイキングに席巻されていました。アルフレッド王はウェセックスの王で、戦った相手はデンマークのバイキング、グトルム。グトルムの呼びかけに応えて、各地のバイキングがケンブリッジに集結します。余りの大軍に、しかし、アルフレッドは「この大群では必ず食料が不足する」と読み、食料挑発隊を各個撃破する作戦にでました。戦いはアルフレッド大王の勝利で終わり、グトルム達30人ほどをキリスト教に改宗させます。アルフレッド王がイギリス王となったのが871年。901年に亡くなるまで、国内は平和でした。しかし死後、再び荒れ、結局、イギリス全土の王となったのは、フランスへ上陸したノルウエーバイキング、ロロの子孫、6代目、ウイリアムでした。スケッチはノルウエー、ロムのスターブバイキング教会。下はそこで買った冊子。59クローネ。こんなに小さいのに1500円ほど・・・ウ・ウーン・・・高い

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2008年7月11日 (金)

一番クリエイトなことは・・・・

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 今回、北欧をウロついていて感じたことは、バギーを押した母親や親子連れが多いこと。もう、7月から夏休みに入っているそうです。国を上げて、育児に取り組んでいるそうで、実に穏やかな親子の表情が心に残りました。社会福祉の中でも、子供の教育は最優先ということで、両親の休暇も実に充実しているそうです。ちょっと、現地の人の話を聞きかじったくらいでは、しっかりした事はいえないので、宿題として調べてみましょう。老人介護よりも、真にクリエートなこと、それが子育てです。
 最近の日本の子育ての現状は、横から見ていても、異様です。子供は社会の宝。社会全体が心をこめて育てたいものですが、たった一人の子を大切に思う余り、何かあったら大変と、子育てに協力するのも怖いのが現状です。「可愛いのねえ」と声をかけるのすらはばかってしまうような・・・酷い犯罪がマスコミで喧伝されるせいもあるでしょう。
 スケッチはゲイランゲルフィヨールド。朝一番に舟に乗ったので、光線が低く、実に見事な虹が、いたるところに流れ落ちる滝にかかり、それは美しいものでした。下は、船の航路に描かれた波紋。絵では表現できないなあ。写真家なら・・・垂涎のチャンス!!!!

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少しづつHPにもアップしていきますので・・・よろしく・・・

http://www.geocities.jp/wgwxw444/

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2008年7月10日 (木)

海の勇者 バイキング

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 突然、海の彼方からやってきて、ほしいままの殺戮と略奪を繰り返し、追っかけても、サッと海へ逃げてしまう・・・バイキングの脅威が、記録に残された最初は、793年、6月8日、イギリス東北部の小島の修道院、リンディスファーン修道院の記録だといいます。ヨーロッパ各地は異教徒のヴァイキングを畏れ、多額の代貨を払って、お引き取り願っていましたが、やがてヴァイキングは内陸部まで進出し、居座ってしまいました。ヴァイキング舟は喫水線が低く、浅瀬でも航行可能で、川沿いに入り込んだのです。パリもロンドンも一時は占領されたといいます。
 ノルマンジー地方に居座ったのバイキングはフランス王から、伯爵の位をもらい、ノルマンジー地方を領有します。そして、その孫がイギリスへ攻め込んで行って、打ち立てたのがイギリス最初の王朝、ノルマン王朝だって言うんだから歴史は面白い。ヴァイキングはデンマーク、ノルウエー、スェーデンなどのバイキングがそれぞれ暴れまわったらしいけど、自国では、長男相続の習慣があって、次男、三男は外海へ出て、ひと稼ぎという風潮だったようです。スケッチは氷河が削ったU字谷、ノルウエー、トロルスティーゲンの展望台への渓谷
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コロンブスより500年も速くアメリカへ行っていたという、勇敢なバイキングの子孫達の国へ行ってきたって言うのがうれしいのよねえ。スケッチはオスロのヴァイキング博物館

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2008年7月 9日 (水)

北欧から 帰りました

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 日本からは遠いイメージの北欧ですが、案外近い!!!10時間でフィンランド、ヘルシンキへ。そこから乗り継いで40分でデンマーク、コペンハーゲンに入りました。デンマークで1日、ノルウエーに6日、スエーデンのストックホルムに2日、ヘルシンキで1日と忙しいパック旅行でしたが、改めて地球の奥深さに感じ入りました。北欧の充実した福祉など、知りたいことは山ほどありましたが、とても、とても、そんなそんな余裕はなく、これから宿題にしましょう。又、スケッチを一杯してきました。これから少しづつアップしていきたいと思います。HPにもアップしたいと思います。スケッチはゲイランゲル・フィヨールド
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北欧4カ国、デンマーク、ノルウエー、スエーデン、フィンランドを駆け足で回りましたが、やっぱり一番素晴らしかったのはノルウエー。石油は世界第2位の北海油田の産出量を誇り、、そのお金を未来に向けて蓄えて、老人福祉を完備、子供の教育は無料だといいます。しかし、物価は日本に比べてはるかに高い。2,5倍くらいになるのでしょうか。ちょっと、ビールやワインを飲んだら1500円から2000円くらいはかかってしまいます。平均的な月給は40万円くらい、消費税は25パーセント、税金は50パーセントですって。しかし、未来に備えているのだからとみんな喜んで払っているのだとか・・・・どうも、納得できないなあ。もう少し、調べてみたくなりました。スケッチは北欧のどこにでも見られた日光浴風景。惜しげもなく、マン丸いオッパイを出して、赤ちゃんにオッパイを上げています。美しくこそあれ、ちっともいやらしくなんか感じないんですよねえ。
(No629)

  

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2008年6月25日 (水)

模写と創作

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 この写真は、朝日新聞社発行 アサヒグラフ増刊 昭和43年8月1日発刊に拠っています。ももりは若い頃、二条城の壁画模写の作業場を見たことがあります。日本美術史の権威で、大学時代の恩師の土井次義に連れて行っていただきました。「これは・・・とんでもない。腰が・・すぐにいかれてしまうう・・・」絶望的な光景でした。下に置いた原画の写真を見ながら、チビチビと5ミリほどものカケラを絵の具で再現していく作業は、創作でないだけに、つらい。全く自分をゼロにして、ニセモノを造るのですけれども、画材から技法まで、古い技術の再現には限りない知識も必要です。
 火災は、電気座布団から出たのですが、「画家たちがヌクヌクと電気座布団なんか敷いて仕事をしているから・・・」という非難は、つらいものだったに違いありません。当時、法隆寺は、終戦前、昭和15年、空襲から守るための解体の途中で、屋根は仮のトタン屋根。周りは隙間だらけで、よしず張りの囲いがしてあるだけ。冷たい風がびゅうびゅう吹き込み、雪の日には手元にハラハラと雪がかかるという状態だったといいます。しかも、薄給でした。損得を忘れ、この壁画を、真実愛するものだけが残って模写を続けていたのです。途中で見切りをつけて去っていった絵描きたちが、模写に携わっていた絵描きたちを非難したのは、残酷な事でした。仕上がりかけていた労作も、この火災で焼失してしまったのです。しかし、15年も放置されていた白壁に模写の仕事がはめ込まれたのは、模写が再開されてほとんど1年後、昭和43年です。他の一切の仕事をなげうち、精魂込めての再現でした。火事を出してしまった絵描きたちの痛恨の心根と再現への責任感がしのばれます。

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 奈良国立博物館を出て、元興寺へ足を伸ばしました。かつては興福寺より大きなお寺だったそうです。曽我入鹿が飛鳥の地に建てた飛鳥寺が平城京とともにここに来た、と、解説にはありました。若い頃訪れて、「荒廃した感じ」って言う印象を抱いていたのですが、落ち着いたケレン味のない素朴なお寺は国宝です。曽我入鹿が渡来人の工人に作らせたという創建時のままの瓦が、やわらかい色調で梅雨空に溶け込んでいました。オヤオヤ???どうしても、下線が退いてくれません。ももりはしばらくブログ、お休みします。

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2008年6月20日 (金)

法隆寺金堂が燃えた日

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 「国宝 法隆寺金堂展」 見て来ました。感動しました。今では、法隆寺金堂が火災により、その貴重な壁画の殆どが焼失してしまったことを知らない人が殆どでしょう。昭和24年1月26日朝。しかも、火災の原因は壁画模写に携わっていた絵描きが使っていた電気座布団のスイッチの切り忘れが原因でした。
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 絵描きたちに浴びせられた冷たい世間の非難の中、法隆寺は解体修理され、修理は29年まで続きましたが、金堂内部の、絵があった壁面は真っ白のままで、十数年の歳月が過ぎていきました。ようやく、「このままではいけない。我々が失ったものは我々の手で再現しよう」と、昭和39年壁画再現の企画が持ち上がり、焼失時、模写に従事していた絵描きたちが集まりました。前田青邨、安田靱彦、橋本明治、吉岡堅二・・・匆々たる顔ぶれです。若い絵描きも集められ、平山郁夫、守屋多々志、近藤千尋、岩橋英遠、吉田善彦、羽石光志、野島青じ 大山忠作の顔が見られます。

 朝日グラフ増刊「壁画再現」は、ももりが、昭和43年に京都市美術館で開催された「法隆寺展」で買ったもの。なんと280円です。下のチケットは、左、今日行ってきた奈良国立博物館のもの。右、昭和43年京都市美術館で開催された「法隆寺展」のチケットです。たまたま、本にはさんでいました。Houryuuji_003

 「自分達の不注意から、貴重な文化財を焼失した」この思いは、どれほど重いくびきであった事でしょう。再現模写された壁画はその画家たちの魂魄のにじみでるような迫力に満ちています。緻密な作業に加えて、これほどまでに描けるかと技量の真髄を思い知らされました。焼失前に模写をしていた絵描きたちに、新しく若い力が加わって、再現された模写は昭和美術の傑作に違いありません。(No627)>「法隆寺展」は7月21日まで。(No627)

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2008年6月19日 (木)

六波羅蜜寺と地獄

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 今朝の毎日新聞「六波羅蜜寺で十王図 数十年ぶりに発見」と出ています。昨日、六波羅蜜寺のスケッチをアップしたばかり。空也上人が創建したといわれるこのお寺で、行方不明になっていた「十王図」が、 お倉を整理したら出てきたそうで、今、宝物館で展示中とか。「十王図」って、面妖な図柄です。上半分は冥界の十王、下半分は地獄が描れているそうです。地獄って、バチカンの天井画にもあるし、ボッスとかも描いていて、洋の東西を問いません。ホント、最近も地獄から這い上がった男が秋葉原に現れました。

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 六波羅密寺のすぐ近くにある「六道珍皇寺」の境内に、地獄の入り口といわれている井戸があります。通称「冥土通いの井戸」。小野篁が昼は嵯峨天皇に仕え、夜は地獄の閻魔大王に仕えたといいます。先日、行ったのですが、井戸には近づけませんでした。地獄に引っ張り込まれなくって良かった!!!荒んだ感じのお寺で拝観料もいりません。ほの暗いお堂があって、閻魔大王と小野篁の像が、じっとこちらを凝視していました。
 この辺りは死者を、鳥辺野の火葬場へ送ったところです。鳥辺野は、今の大谷廟の北の端、コンクリート舗装されてはいますが、ヒイヤリと寒い細道を登っていきますと、清水寺の境内に出ます。お墓ばっかりですが年代なんかを見ながら行くと、すっごく古い。頂上からは京都が一望。その日は飛行船がぽっかりと浮かんでいました。

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2008年6月18日 (水)

心にも あらで憂き世に ながらえば

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 百人一首 三条院のお歌

心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな 

百人一首で知っていたものの、今回、源氏物語に興味を持ったおかげで、この歌が急に身近な歌になりました。「日本の歴史 5」 土田直鎮 中央公論社によりますと
三条天皇は藤原道長によって、攻め立てられ・・・勿論、武力に寄らず政治的にですが、皇太子期25年で天皇に即位、たった4年半で退位。翌年、崩御されています。三条天皇は冷泉天皇の第2皇子で、2人の皇后を持ちました。一人は、バックに力を持たない故大納言藤原済時の娘、せい子。もう一人は道長の次女、けん子。けん子は道長の横槍によって、強引に送り込まれた18歳の娘で、子もいません。一方、せい子は6人の皇子皇女があり、敦明という跡取りの親王までいました。1012年4月27日、けん子とせい子の二人の立后は同じ日に行なわれることになり、時の堂上人の殆どが道長の娘、けん子のほうに出席し、せい子はとり残されたといいます。おまけに、不幸な事に1014年2月、翌年11月と続けて内裏は炎上。当時、火事は、祟りと考えられ、道長は三条帝に退位を迫まります。次第に片目、片耳が聞こえなくなり・・・なんの病気だったのでしょうか。42才で崩御。跡取りの敦明親王は三条上皇崩御の後、たった3ヶ月で道長の外孫、敦成に次期天皇の座をかすめ盗られてしまいました・・・・ですって。スケッチは六波羅蜜寺と、そこにある平清盛像。運慶作と伝えているそうです。以前、なぁんにも知らずにスケッチしてました。それにしても、目が見えなくなっていく上皇にとって、夜半の月を見ることも、もう、なくなるかと思えば・・恋しかるべき夜半の月・・・・おいたわしい。(No625)

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2008年6月17日 (火)

平安京の住人

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 上はももりの家から、最寄のJR、「丹波口」駅構内にある「平安京朱雀大路」の石。もう一つは、市バスの最寄の駅「四条中新道」の曲がり角にある「朱雀院跡」の石碑。今ある京都御苑、御所はずーっと東ですけど、平安時代はももりのお隣組に建っていたらしい。京都アスニーには、大きな平安京の模型があります。確か1/1000でした。この模型は左半分は平安初期、右半分は平安後期を再現しているそうです。一条と二条の間、御前通りと堀川の間に内裏はあったようです。ももりが今住む四条と五条の中間の高辻通り、南北を走る御前通りはその頃???・・・ももりの家は???畑らしい横に小さな家が建ち並んでいます。へ・え・え・・・・なあぁんて面白い!!!
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2008年6月16日 (月)

食べ物の話

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 自分のブログを振り返ってみて、全く食べ物の話をしていませんね。たまに釣りキチのお料理の話くらい・・・どうやら、ももりはやっぱり食べ物には殆ど興味が無いらしい。料理人がこんな事では、家族は可哀そうなような気もするけど、相棒は食べ物にはうるさい。時々ムカついて、腹を立てているのがこういうケース。
 
 ちょっと張り込ンで鮎を焼いたとしましょう。
「たで酢は????」これってムカつくのよねえ。
美味しいおソバだから天ぷらをあげた。
「これは蕎麦だしやろ。天つゆはどれや????」これって、ムカツクのよねえ。

 料理屋やプロの料理人じゃなし、家庭料理って、ホント、素朴なものでよいはずです。今にサツマイモのふかしたのしか、お膳の上の上には出せないっていう日がくるかもしれないよ。それに・・・餓えてる人たちだって世界にはいっぱいいるやないの???スケッチは1890年って書いてる天童市 

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2008年6月15日 (日)

地震被害者の方へ お見舞い申し上げます

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 大変な地震が発生しました。被災された方々には心よりお見舞いを申し上げます。あのような断層って日本には一杯あるそうです。本当にコ・ワ・イです。何人かのブログ上の友人のブログを開けましたが、どなたもブログどころではないようです。心より、心よりお見舞い申しあげます。スケッチは中尊寺

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2008年6月13日 (金)

追われる者、追う者

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 酷い。酷すぎる・・・そんな事件が多すぎます。ウ・ウーン・・・ももりは一人思ってるんですけど・・・
 
私達、普通、怖い映画とか、TVとか見るとき、たまらずスイッチを切ったり、目をそむけたり・・・これって、自分が追われるって言う立場で見てると思うのです。もし、追う立場で見ていれば、ゾクゾクと肌に泡立つ快感っていうことなのじゃないでしょうか???人間にとって、「怖がる」ことは身を守る根源的な感覚です。ところが、怖がる事を、攻撃する欲望にすり替えてしまったツールがあるんじゃないか???例えば、ゲーム、たとえば、TV。ももりの年齢ではゲームなんか、実際の所は知らないのですけれど、攻撃して追いつめるっていうのが多いにちがいありません。スイッチ一つで、毎日、敵を殺していたら、オカシくもなるでしょう。
 昨日、中校生くらいが信号待ちで、道路をはさんで大声で、やり合ってる「コロッソー・・・{殺すぞーらしい}彼らは笑ってはいましたけれど・・・スケッチは古い画帳から

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2008年6月12日 (木)

パソコンの初仕事

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 HPとかブログとか、好きでやってますけど、これはみんな自分の楽しみのため。写真が少々狂ってたって「気にしなぁーい!!」
 でも、今回、京都水彩画会のHPにアップする絵を、パソコンのデータ化するようにとのこと、「誰か、パソコン使えますか」そこで、会員みんなが一斉に「も・も・りさぁーん」ですって。
 「ちょっと待ってよ。そりゃあ、自分のはやってるけど・・・」トタンに自信はグラグラ。やっぱり、仕事というと緊張します。
 初日、写真を撮りました。会場にセットされた絵はみんなアクリルでカヴァーされていて、天井照明や、対面の絵が映ります、ひどい時には自分の影がクッキリ。スタッフに助けてもらって、絵を傾けたり、外して場所を変えたりして撮影し、小さなデジカメの画面を確認して帰宅。・・・ところがアップしてみたら・・・なんと、なんと・・・お向かいの壁の絵が小さくズラリと並んで映るってるじゃないの。又、自転車をこいで会場へ。撮り直しました。「まあ・・・素人なんだから・・・私の腕はこの程度・・」やっと、昨日届けました。真実「ホッ」  
 パソコンだけで、画集を作ったこともあるももりですが、それらはあくまで自分だけのおアソビ。会の仕事というと「エライコッチャ。失敗せんとできるやろか???」って、心配でした。間もなく京都水彩画会のHPにアップされるはずです。京都水彩画会のHPは

http://www.kyotosuisai.com/09_news.html
スケッチは古い画集から「月山」って???東北でしたか(No620)

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2008年6月 9日 (月)

京都水彩会員会友展 明日から

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6月10日(火)~15日(日)  京都水彩会員会友展
   京都市美術館別館1F  9:00~5:00(最終日4:00)

「いたちの最後っ屁」???見たいなドギツイ文を出しっぱなしにして失礼致しました。今日はこの展覧会の飾りつけです。京都水彩のHPは
http://www.kyotosuisai.com/09_news.html

 上はももりの出品作「ソドムの街」
ソドムは実在の町ではありません。旧訳聖書に登場する悪徳の町。人間は、思いあがって神に届け、と、バベルの塔を建て、悪徳の限りを尽くしました。ソドミーとは男色の事だとか???ある日、神の怒りの火が降りそそぎ・・・
 現代文明も、もう、神の領域を侵していませんか。人間が、全く自分の意思とは関係なく、この世に生まれ出たことすら忘れ、なんでも出来そうに思いあがっていませんか???ある日、神の怒りの火が・・・・そう、漠然とした不安、そんなものを描きたいと思っているのですが・・・。

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2008年6月 6日 (金)

うば捨て山へ行きましょう

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 毎日新聞、今朝の朝刊「発信箱」中村秀明さん・・・この人が好きで、何度かブログに取りあげました。今回、「そうよ。もっと、もっと言いなさい。若い人!!!しっかりしなさい!!!」って応援します。以下、概略

 後期高齢者医療制度への批判に戸惑う事がある。
「これじゃあ、うば捨て山だよ」「さっさと死ねっていうのか」「戦後の復興を支えてきた世代にひどい仕打ちだ」と声を荒げる年寄りを目にすると、つらい。父親や母親に向かって、ののしられている気分になる・・・・ 

 
 ももりは67才。もう、年寄りです。でも、確かに声を荒げる老人を直視するのは不愉快です。不愉快とは言わないまでも、「年寄りにも覚悟ってモノがいるわなあ。エエカゲンにせえよ」って思うのです。ももりの相棒は間もなく70才。未だ働いてくれています。年金を需給して働く老人への課税というのは大変なもので、若い息子とははるかに差があるようです。生涯を通じて人の2倍や3倍は働いた人で、黙々と高額の税金や保険料を納めてきました。今も、黙々と・・・・
  しかし、一方、今、不足を言ってる人達は、納める税金も、保険料も少なかった人たちが殆どでしょう。「さっさと死ねって言うのか」ですって???老人の長生きこそが保険料負担の全ての元凶です。全く、心臓マッサージで生き返った人をチューブで生かすなんて・・・お話にならない。限りある地球の資源をナニサマと思ってる!!!決して、若い人のことをいっているのではありませんよ。

 ももりにも多くの年老いた友人がいます。このパソコンを読まないでほしいとは思いますが、若い人達に負担にならないように、老人だって、もっともっとつつましく我慢をすべきです。若い人のスネをこれ以上かじるのは、本当につらい。ことあるごとに救急車を呼ぶ人も知っています。病院では、老人より、優先的に赤ちゃんや子供や、働く若い人を先に診察してほしい。時間がたっぷりある老人は後回しにすべきです。そりゃあ・・・待たされたらつらいよ・・・
 うば捨て山があれば、姥捨て山へ行きましょう。戦後の復興が自然を破壊した面もある・・・・でも、でも、・・・ここで、中村秀明さん!!!マスコミの取り上げ方こそは、お涙頂戴で健康的ではないのよ。今の若い人はやさしい。でも、優しさは共倒れの覚悟も求められるのです(No618)

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2008年6月 5日 (木)

源氏の生きた京の都

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源氏物語にゾッコンとなれないわけは・・・???どうも、読むほどに義憤にかられる。「一国のトップともあろうものが・・ナンのザマじゃいっ!!!」素直に源氏の女遍歴を追えないような気になる現実家のももりです。
 以前に読もうとしたことはあります。与謝野晶子・・・本棚にあったのを出してきましたら上巻1/3ほど読んだ形跡がありました。今、パラパラ読みして・・・やっぱり主語がわからなくて・・・チンプンカンプン。読解力がありません。
 源氏物語の時代・・・京の町は加茂の河原には死体が散乱・・・放火、強盗、官吏の腐敗、加えて疫病がはびこって、庶民は大変だったはず・・・
 
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1011年、12月8日、9日・・・1017年5月27日・・・道長の家に押し込み強盗
1014年、正月13日、三条辺りの民火が火事、14日には検非違使トップの屋敷が焼失・・・29日群盗が親王家の屋敷を襲い、3月、御所内で放火、17日には御所の倉が焼失・・・連日のように放火・・・これらは「放免」の仕業という・・・「放免」とは検非違使の一番下の手下で、彼らは前科者と通じていた・・・といいます。
1017年7月、加茂川が氾濫。京の町一帯は大海の如くになったとあります。
 一方、疫病もすごい。定子、彰子の夫、一条天皇も、993年にほうそうにかかっています。都の街路は死者、病人であふれ、犬や鳥が死体を食い荒らしていたといいます。その他、はしか、流感、マラリア、おたふく風邪・・・これは「福来病」といわれたんですって。

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 どうじゃいっ!!!源氏さん!!!世の中こんなに乱れてるのに、女遊びなんかしてええのんか???スケッチは葵祭りと御所の建礼門

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2008年6月 4日 (水)

源氏物語 今は昔

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写真は「夕顔の墳」・・ア・レ・レ・・・夕顔って架空の人じゃなかったの???源氏の親友、頭中将の恋人、既に子もいる夕顔。正妻に叱られて、おとなしく引き下がった夕顔の隠れ家に忍び込んだ源氏・・・明け方、お隣さんの男の声がする・・・
 下々の民家が建てこんだ五条の家々にはさまれた乳母の家。そのお隣のまがきにひっそりと咲く夕顔の花・・・なあんて・・・乳母を見舞ったその足で忍び込んだのが夕顔の几帳の中・・・・この碑は河原町筋から少し西へ、五条の北にあります。ももりの住まいは中京、四条と五条の中間。高辻通りです。何だかうれしいなあ。
 

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 ももりの好きな六条御息所って、この辺りに住まいしたお方でしょうか。16才で東宮に上がり、娘を生んだが、20才で東宮と死別。源氏より7才年上。美しく、格式ばった誇り高さは、源氏の他の愛人に嫉妬となって降りかかる。後には死霊となって祟ったってんだから怖い。夕顔も物の怪に襲われて急死。

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 源氏物語の主人公、源氏のモデルは・・・何人かの男性を一緒くたに捏ね上げた???紫式部の創作のようです。