ナポレオン2世
上は、2009年4月1日にアップした当ブログの写真からコピーしたもの。
ナポレオンはご存知コルシカ島の出身です。アジャクシオは、コルシカ島の州都でした。ナポレオンの得意の絶頂期に、叔父フェッシュと母、レティツィアが金にあかせて収集した美術品が今、アジャクシオ美術館となっています。上の絵はボッティチェルリ「聖母子と天使」
ナポレオンの母、レティツィアは立派な女丈夫でした。ナポレオンの父、カルロとは、コルシカ独立のために戦った同志でした。当時、コルシカ島はジェノヴァの統治下にあり、ジェノヴァが島をフランスに売り渡したといいます。
教会で産気づいたレティツィアは、自宅に帰り、入り口から3階の寝室へ行く途中で男の子を生みました。元気な赤ん坊で、自分から飛び出したといいます。ナポレオンは荒野のライオン。父カルロが命名しました。
ナポレオンは35才でフランス皇帝になり、妻ジョセフィーヌも思いがけなく皇后ということになりました。
ところが、レティツィアは、このお気楽嫁が気にいらなかったのです。よく言われるように、ジョセフィーヌには先夫との間に2人の娘があり、浮気もするというお気楽な女性でしたから、レティツィアは戴冠式にも出席しなかったそうです。有名なダヴィッドが描いた戴冠式の絵に描かれているのはウソなんですって。
さてナポレオンはエルバ島に流されますが、エルバ島でのナポレオンの生活は決して不快なものではなかったようです。母レティツィアが蓄えていた財力で宮殿に住み家来も多く、料理人もいました。
しかし、ナポレオンは100日天下の後、今度は絶海の孤島セント・ヘレナ島に流され、結局は胃がん???で52才で死にました。母レティツィアはローマに移って84才まで長生きしたそうです。
ところで、ナポレオンの息子「ライヒシュタット公」はナポレオン退位の直後、6月22日から7月7日までは、ナポレオン2世だったんですって。ナポレオン失脚を受けて、弟、ブロケッシュが議会にかけ、採択されたといいます。勿論、彼はフランスにはいないわけだし彼は10才、名目だけです。
フランスはナポレオンの死後3年で、ルイの弟を再び王にいただくこととなる。しかし・・・それは、おそるべき反動・・粛清の始まり・・・やっぱり、歴史って面白い。
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