2018年7月18日 (水)

暑い暑いと、もう言わないで

06122055  




TVでは、毎日、毎日、毎日、気温が38度を超えるとかいっています。我が家には寒暖計もないので、クーラーをきかせた家の中でゴロゴロ。ほとんど、本をよんでいます。でも・・・結構お出かけもある。しんどいもんです。


 昨日17日、祇園祭の巡行の日。相棒はデイケアーで出かけ、自分のお医者様にカンカン照りの中、ママチャリで。薬局もすませ、郵便局の用事もすませ、鉾の巡行の方向へハンドルをまわしたのですが、ヤ・メ。汗だらけで帰宅。そのまま、カット(髪の毛)に行って、買い物もすませて、しばし休憩。


 3時半には相棒帰宅。そのまま、家に入らず予約の眼科へ。これが・・・・・アツイ!!!燃え立つようなアスファルトの上を車いすを押して・・病院までは約10分あまり???息も絶えだえ・・も・・お・お・・・・・薬局も寄って帰宅は6時。



 くたびれました。TVも、もう・・・タ・ク・サ・ン
暑い暑いって言わないでよ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2018年7月16日 (月)

プール中毒

京都は今、祇園祭一色。久しぶりに東京から帰宅した長男も、祇園祭を見てくると言って出かけましたが…ももりは・・も・お・お・・・クーラーをきかせた家でゴロゴロが至福。



Dscn1832_2



Dscn1831_2




Dscn1821_2



 最近のももり。プール中毒???ともかくプールへ行かないと禁断症状がでます。プールに行ったって、立派に泳げるわけじゃありません。ともかく授業料というものを払ったおぼえがないので我流。我流といえば、聞こえが悪いから、ワイルドと言っておきましょう。結構達者に泳ぎます。いえいえ泳いでいるつもり。



 最近ハマっているのがババフライ。もうだいぶ前、下手な人が4人ほど、上手な人にバタフライを教えてもらってるのを眺めてたら「あなたもやったら??」って言われて、いきなり「えいっ」とやってみましたら「あれれ???いけるかも」ってんで、25メートルいきました。それから急に、人に知られて???は・あは・は。おかいしいよねえ。77才のバタフライ、ババフライです。




 ともかく楽しいのよねえ。地上ではヨチヨチしてるのにプールでは自由自在。達者なもんですよお。


 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018年7月 9日 (月)

日本水彩「巡回展」「関西地区合同展」

 
Dscn4782



日本水彩「巡回展」「関西地区合同展」 今年は京都市美術館改装中で神戸原田の森ギャラリーでおこなわれます。7月11日から。


 
 ちょっと気恥しいけど…ここに自分のうれしい記録を残しておきましょう。



Dscn4780

 今年、3月、京都文化博物館で行われた[京都水彩展」で、この、ももり、文部科学大臣賞をいただきました。そのことが記事になっています。ももりのコメントはあと回しにして、絵を批評してくださった千代田会長の文章がす・ご・い!!!

 
 「あてどない旅」
 北アフリカの乾燥しきった街がある。一歩町を出ればそこは砂漠地帯である。男たちはこの音も風もない無機質な街にいる。やがて灼熱の太陽に眩 暈(げんうん)した彼等は虚無の坩堝の中をムルソー化して彷徨い、あの、アルチュール・ランボーのように砂漠に粛然として消えていくのであろうか。一人消え、二人消えて、また一人駆け出して行く。沈黙が町全体を、すなわち画面全体を覆っているようだ。画面を分割して上1/3を茶褐色で街並み、その左1/3を暗緑色でオアシスの象徴、2/3の緋色は街路か、そこを斜め方向に横切る黒のストライプ模様は右1/4で朱に反転して、最後の男を映す。男は砂漠の中へ消えていく己の運命を呪う。救いは、ただ祈ることではなかろうか。
 注  ムルソー…フランスの小説家、劇作家、評論家カミュ(1913~1960)の小説「異邦人」の主人公。不条理な人間を描いた。
     アルチュール・ランボー(1854~1891)フランスの象徴派大詩人。文学と絶縁、ヨーロッパ・アフリカを貿易商人として点々とし、最後は行方不明となった。



 どうですかぁあああ・・・!!!すばらしい!!!この批評は絵よりよっぽどすごい!!!先生はもう80才を超えてらっしゃるはず。それで、カミュやランボーですって。ももりの本棚にも、たしか、まだカミュはあったはず。う・う・・・・ん。読み直してみましょう。もう一度、青春の日々が戻るかもしれないから。


Dscn4781



3月30日と19日、当ブログに、ももりの気持ちは書いていますが、記事になった文ももう一度ここに残しておきましょう。

受賞者のことば
文部科学大臣賞をいただいて 
 なんてうれしいことでしょう。また、生きる気力がわいてきました。
 ずーっと、「あなたの絵、わからない」って言われてきました。私の絵は心象風景です。頭の中だけで創り上げる自分の宇宙、その中に生きる人間。力もないのに大それた壮大なテーマがすきでした。タイトルに想いを込めて描いてきました。 
 まず、「宇宙たち」律動する天体も宇宙ならこの爪のアカも宇宙。このタイトルはひとりよがりで自分は大好きでしたが、タイトル倒れでした。尤も、以前このタイトルで知事賞をもらっています。その次は「ソドムの街」旧約聖書に登場する街です。おごり高ぶった人間たちが神の領域まで侵そうとする。ついに神の怒りに触れ、ある日突然、火が降り崩れおちる。現代文明のソラおそろしさをえがきたかったのですが、これはサッパリでした。「君、原稿用紙2、3枚も説明がいるような絵なんてダメなんだ。第一、絵描きなんてそんなに頭よくないんだよ」ですって。ヒドイ!!
 ぞの次が、「生きる」旧約聖書の町、シリア、ヨルダン、エジプトを旅して、旅先で見た子供たち。粗末な布をひろげておそまつなものを売っています。学校にも行ってないでしょう。彼らは生きるために働いています。
 抜け目のない鋭い目つきは、スキあらばかっぱらいでも、売春でもなんでもする。でも、彼らは働いている。乞食ではない。その力を描きたかった。
 これも、「ユニセフのTVみたい」と言われてヤメ。悩んでいたころ、自分も病気をし、次いで主人が倒れ、何とか耐えている中、次男を亡くしました。当時の絵は暗く、病的で、みるからにイヤらしい!!!「あてどない旅」は次男を探しまわる自分です。
 今回の受賞作を見てくれた友人が、「明るくなったねえ」って言ってくれました。この一言で救われました。45才で亡くなった次男は、もう、何の心配もいらない明るい光の中にいるのです。もう何も心配することはない。
 さいわい、私の病気もすっかり快復しました。「もう、絵は描けない」と悩んだ日々から抜け出せた今回の受賞でした。
 77才でこんなうれしい幸せがいただけるんですもの。皆様、大いに希望を持ち続け、描き続けてください。


| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年7月 8日 (日)

やっと今朝は青空

 疲れました。今朝は三日ぶりのきれいな青空。真っ白な雲。お日様もキラキラ輝いてなんともきれいな空気感。でも…大雨疲れで、朝日を見たとたん、家族みんな安心して、今は眠っています。  



 静かな朝ってなんていいもんでしょう。無事こそが幸せです。
各地に多くの被災者がでましたこと、心痛みます。一刻も速い回復を祈るばかりです。
 木曜日の夜は、5分おきに入る警戒情報で眠られず。激しい雨の音、TVに刻々と映し出される桂川、鴨川、高瀬川の水位上昇・・・・でも、我が家は何とか、避難勧告からは外れていました。



 友人たちもそれぞれ大変なだったようです。消防に来てもらった人もいました。普段は涸れてしまっている川が満水で材木も流れ込んで大変だったとか・・・・。でも、浸水も怪我人もなかったようです。自然って、本当に怖い。被災地で頑張っておられる方々に感謝です。



 ご心配をかけました。静かな朝。安心して、今から少し眠ります。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2018年7月 2日 (月)

茅の輪くぐり

 

 ちょっとの時間をみつけて、梅宮大社へ。帰路、斎宮神社へとおりかかりますと、おやおや!!!茅の輪が用意されています。厄落としをしていきましょう。茅の輪は葦でしょうか???丸く輪にされてその中をS字状に、なんだか呪文をとなえながら3回まわります。そしたら、去年の厄が落ちて今年が無事なんだそうです。




Dscn4771


 あちこちの神社で茅の輪くぐりという行事はあるようですが、京都以外にもあるのでしょうか???下は、ご近所の若いお嬢さんが「自分でつくってきた」と小さな茅の輪をくれました。玄関に飾ると厄払いにご利益があるといいます。





Dscn4777



 下は梅宮大社。ここは橘美千代が建てたといいますから古い。ご存知、藤原不比等の後妻に入り、光明皇后を生みまいらせた女傑です。フラフラしていますと、庭師のお方が二人。お昼休みです。
 「ここ、大好き。雑草がいっぱい生えてるのが好きなんです」

「はあ・あ・・・草ぼうぼうでは、さぼってると言われそうですけど、そういう人もいはるんですなあ」

「だって、雑草ってかわいいんですもの。中京のコンクリートのすき間だって、たんぽぽやスミレが咲くんです」お二人を後にして進みます。奥に入ろうとすると竹の棒で通せんぼ。

「通れへんよ。私この奥のお庭が大好きなんやもん」

「ほんなら、入りいな。誰かがなんか言いよったら、頭の禿げたおじいがええて言いよったて、言い」ですって。その道はいつもの道とちがう森の中へ入りこめて、これが感激!!!うっそうと大木の生い茂った原始の森???外はブンブントラックがはしっています。下はお茶室周辺。アジサイがみごとでした。

Dscn4772








Dscn4773_2




Dscn4774

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2018年6月25日 (月)

「血脈」の御陵めぐり

 このところ、人様にはわかってもらえないような行動ばかり。
 そ・れ・・がぁ・・、天皇方の血脈・・・を追って御陵めぐり。というか御陵さがし。 「平家物語」の主人公…清盛よりよっぽど面白い天皇の方々??面白いっていっては不敬罪???かもしれないけど・・・天皇方々すごくヘンテコリン・・というにはあまりにもおかしく悲しい。幼いころから女官たち、女ばかりに囲まれて育ちます。女たちは一門の勢力安定や地位獲得のためにさしだされているんですから、よりどりみどり。やりたい放題!!!



 今読んでいます「宮尾本 平家物語」は、平安末期の天皇家の血脈を興味深くくわしく描いています。それが・・・・・佐藤愛子さんの「血脈」よりもはるかに、はるかに・・・人間的というか???動物的というか???退嬰的というか???小説よりもはるかに奇!!



Dscn4766




 後白河天皇は29才で即位。たった3年で、16才の第一皇子二条天皇に位を譲り、上皇となります。この方、7年在位して23才で死。あとを継いだのが六条天皇、2才・・・満年齢では7か月???六条天皇も後白河の第二皇子です。六条は、たった3年在位。5才(満年齢では??才)で譲位し、継いだのが高倉天皇8才。高倉天皇11才、18才の平徳子・・・・おそばには手あたり次第にものになる女房どもにかこまれて、なかなかお子ができません。8後にやっと生まれた第一皇子が安徳天皇。




 周りの大人どもの都合で好き放題される幼帝もあわれですが、この後白河というお方の生きておわす間に、「保元の乱」「平時の乱」「鹿が谷の陰謀」「以仁王の反乱」「源平の戦い」とひどい殺し合いが続き、結局、平家は義経に壇ノ浦で亡ぼされ、義経は兄、頼朝に亡ぼされ・・・・
 1192年(いい国つくろう鎌倉時代」後白河が死んで、鎌倉時代に入ります。




 梅雨の晴れ間に「二条天皇陵」をさがしにババチャリででかけました。
何気なく地図をながめていたら「二条天皇陵」というマークが・・・・これは・・・行かなくっちゃ。西大路通りをひたすら上り、平野神社から北西西あたり????


 近くを歩いていますお人に聞きますと・・・「確かに近くに、なんやあったねえ」という返事。二条天皇というお方、人には知られていないようですが、平家物語では非常に興味深いお方です。
 その1・・・先帝の后、(多子)まさるこ)をどうしても・・・と聞かずに、自分の后にしてしまった。すでに皇后はいましたのに。
 その2・・・父親、後白河は自分が好き放題をしたくてたった3年で譲位したものの、息子二条天皇は独自の政治路線を打ち出し、父子の仲は険悪に。「三十三間堂」(蓮華王院)の建立祝いに、頑として出席しなかったとか。
「三十三間堂」は、平清盛が後白河のために建てたお寺です。


 
 目指すあたり???大きな塀に囲まれた木立がありますが、住宅に囲まれて入口がわかりません。ババチャリでよかった!!!歩いては、ももりの足ではも・お・お・・・確かに二条天皇陵がありました。
 

 

 

先日行きました「清閑寺」 門のすぐ横が高倉天皇陵と六条天皇陵。



 高倉天皇もすごい。21才でなくなられますが、すでにお子が7人。高倉天皇と清盛の娘徳子の間に生まれたのが第一皇子で安徳天皇ですが、安徳天皇が壇ノ浦でおばあ様に抱かれて、海へ身を投げたあと残された皇子は3人。後白河が、御前に呼び出して会います。「おいで」と言われて、逃げたのはバツ。チョコンと膝に乗ったのを次の天皇にした・・それが後鳥羽天皇ですって・・・・宮尾本「平家物語」にはあります。




 これで、白川、鳥羽、二条、六条、高倉天皇、後白河天皇陵にはお参りができました。おそばには愛された女性方、待賢門院や上西門院の御陵もあります。清閑寺には高倉天皇に愛されて宮廷を追われた小督の局のお墓もあって、今は静かに仲良く眠ってらっしゃいます。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年6月18日 (月)

地震・・・・今のところ無事です

今のところ・・・なんて…これが余震で、もしかしたら???本震が来たら???っていう意味です。
 朝8時過ぎでしょうか。ももりは玄関でゴミ出しの整理をしていました。突然「グワラグワラ」と大きな音。地震か???それとも突風か???戸を開けて表を見ますと電線が大揺れ。地面が揺れている感じはあまりわからなかったのですが、あの大きな音はなんやった???
  とっさに相棒の部屋にかけつけましたら、良妻なんでしょうけれど、まずは自分が表にでました。どこの家からも人は出てこず、地震は収まりました。

 

 

 

 やれやれ・・・この後、本震が…なんてことがないようにいのります。電話は通じなくなりましたので、この場にてご報告いたします。
 「大きな音やったでえ、何か落ちたんとちがうか???」って相棒も言いますので2階へ。床から天井までの長いふすまが2枚、ふくれて敷居をはみ出しています。上に積んでいたぶ厚いアルバムが落ちた模様。被害はそれだけ。まずまず、今のところ、電気もついて無事です。




 今日は忙しい一日でした。朝イチ、地震、直後・・・8時40分にマッサージ師さんが見え、約20分。10時には、相棒の歯科の予約。歯科の先生が地震でお休みになった小学生の子供さんをむかえに学校へということでしたが治療はしてもらえて、11時には次の眼科の予約。京都市立病院には異常の様子はなく、みてもらえました。病院でお昼を済ませて、1時ころ帰宅。午後4時には、ももりの膝治療の予約ですので、その間にプールへ。「まあ…時間もないけど歩くだけでも」と出かけましたら。プールは閉館。あ・あ・あ・・・・・
 今のところ、家も周辺も静まり返っています。被害の様子はありません。相棒もお昼寝。4時に膝注射に行くまでには薬局とスーパーへ。やれやれ・・・ももりも休憩します。


| | コメント (11) | トラックバック (0)

2018年6月15日 (金)

ほのぼの  うれし

 先日、ほのぼの、ほんのり、うれしいことがありました。


 今かよっています京都アスニーの古文書教室。月一回ですがとても面白い。サークルの講師の万波寿子先生は西本願寺の古文書を研究なさっている若い龍谷大学の講師でらっしゃいますが、「西本願寺36人歌集」のお話にふれられまして、おっしゃいました。


Dscn4752




Dscn4754




Dscn4753


 「この歌集はほとんど出版印刷されていません。西本願寺が許可しないから」というお話しでした。「????ワタシ・・・ 持ってる」・・・・もうずっと以前ですがももり自身が買った本。2万8000円。家にかえって本棚を見ますと、ありました。おまけに、もう1冊。父親からうけついだ「西本願寺36人歌集」もでてきました。次の勉強の会(先日)にもっていきまして「よかったら、皆さんに見てもらってください」といいました。ついでにももり自身が作った臨書「ま・あ・あ・・・レプリカです」も、お見せしました。下





Dscn4751




なんて嬉しいことでしょう!!!授業の前に、先生はももりのレプリカを皆さんに見せて「本当にこんな美しいものが平安か鎌倉時代に作られていて、本阿弥光悦なんかはまねしたものを残しているのですが、現代にもこんなのを作っていられる方がいると知って、大変うれしいです」とのお言葉。

 

 

 長年、押し入れにつっこんだままだった小さな切れ端に、こんな出幕があるなんて!!

 

 古文書の勉強には何度か参加したのですが、扱うテーマに興味がないと、まるで楽しくありません。今のサークルは藤本孝一先生と万波寿子先生のお二人が講師ですが、ともかく、とてつもなくおもしろい。文化庁で、古物を「国宝にするか、それとも重要文化財にするか」を決定するための資料をまとめるという仕事をなさってらしたという、もう90ン才の藤本先生ですが、続々出てくる古文書には限りがないらしく、毎回新しく解読された文書のお話をしてくださいます。




 もしできたら・・・・ももりのレプリカ、先生にもらってもらえたらなあ。そして西本願寺の文書を研究なさっている先生のお部屋の片隅にでもおいてもらえたらなあ!!!
 なあんて・・・あつかましいかな???
下は父の残した「本願寺36人歌集」の写真です。貴重なものかもしれませんよっ!!!





Dscn4762



Dscn4757




Dscn4755




Dscn4763




Dscn4759




Dscn4758




Dscn4760





Dscn4764 Dscn4756

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2018年6月13日 (水)

高倉天皇と清閑寺

Dscn4743

 高倉天皇といえば、清盛の娘、徳子と結婚。やがて素晴らしい日々は終わり、平家は西へ逃亡。源義経によって壇ノ浦に追いつめられます。お二人の子、安徳天皇は祖母にいだかれて海に身をなげます。おんとし5才・・・あわれあわれ・・・・



 高倉天皇陵に隣接するのが清閑寺。清閑寺は今、西郷隆盛で話題になっている倒幕密議のお寺です。ここへ行きたい・・・でも・・・・・山の中、小松谷ということです。



 以前、妙法院のお庭の中の小さな看板に「小松谷、平重盛屋敷跡」という小さな立て看板があり、これはぜひぜひ・・・・一度ゆっくり、このあたりを歩いてみたいとおもいました。ある日・・・




 ババチャリで家を出て、五条坂をまっすぐ東へ。渋谷街道っていう、響きも古そうな街道をババチャリを押してエンヤラコヤラ・・・・向こうに古そうなお寺が見えて、あれかいな???と思って近づきましたが違いました。でも・・・「小松谷御所遺跡」という石柱があります。ババチャリを道端の草むらにすてて
坂道を登り始めました。ネズミ捕りのおまわりさんたちに地図をみせて「清閑寺へ行きたい」っていいますと・・・まだまだだいぶ・・・遠い。しかもややこしい説明。もう・・・「いやっ」になって、ちょうど来たバスに乗って一駅戻り、チャリを拾ってその日は帰宅。


 後日、友人と龍谷大学の「釈迦展」を見たついでに、タクシーで清閑寺へ。

 とりあえず、思いはとげました。京都が一望に見張らせるポイントもありいいお寺です。昔は清水寺より広い敷地を誇ってたんですって







| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年6月 6日 (水)

山科の勸修寺

Dscn4745



 梅雨いり・・・したか???山科の勸修寺へやってきました。ここは、「かんじゅじ」と読むそうです。今はハスとスイレンとあやめ???ももりには「いずれを あやめ かきつばた」よくわかりません。でも・・・静かでとても美しい!!!のおーんびり。このところ相棒とは・・・ケッコー・・・???

Dscn4744_2



| | コメント (4) | トラックバック (0)

妙法院門跡寺院

ちょっと古いお話です。5月14日…この日にかぎり門跡寺院「妙法院」は五月会として開放されます。いつもは非公開の豪快な桃山建築や仏様たちが無料で拝見できます。ということで…やってきました。


Dscn4730



 近くに豊臣秀吉が建てた方向寺大仏殿。秀頼が継いで完成、大仏の開眼供養のために1000人の僧侶をあつめ、その供御を奉ったという大きな台所。豪快な木組みがすごい!!!

Dscn4733 

Dscn4732

 ここは、元、後醍醐天皇の院政の地、法住寺殿のあった土地です。平清盛が後白河のために建てた三十三間堂(蓮華大院)はじめ、塔や殿社が建ち並んでいたといいます。戦火に焼け、再建された蓮華王院を管理してきたのがこの門跡寺院だそうです。小松谷・・・平重盛(清盛の長男)の屋敷跡という石碑もあって、なんともうれしいです。




 小松谷は平家物語ではよく聞く地名です。一度ゆっくり歩いてみたい・・・と、後日改めて挑戦したのですが・・・・後日まとめますね。






 

 

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2018年5月21日 (月)

平安京のお祭り 嵐山

 5月20日、快晴!!!肌に快い春風を受けてババチャリをぶっとばして嵐山へ。今日は、車ざき神社(車折神社)の三船まつりです。清少納言の生家、清原氏が神々をまつったのが元々だそうで、行列は嵐山へやってきて、平安貴族が楽しんだ舟遊びを再現します。お、お、お  清少納言がやってきました。




Dscn4734


 車折神社といえば…芸能の神様。
タレントたちも車折神社へよく訪れるそうです。なにしろ・・・ご祭神はあめのうずめのみこと(天宇受売命)ですって。
 あめのうずめといえば・・・あまてらす大みかみ(天照大神)が岩屋におかくれになって、天下は真っ暗に!!!何とかして、岩屋から出ていただこうと、岩屋の前に神々があつまり、首をならべて議論百出。あめのうずめに踊っていただこうということになり・・・・踊りは最高の盛り上がり!!おっぱいも腰の布ももうあやしくなり???神々は、もう、やんやの大喝さい。大笑い。岩屋の中のあまてらすは、なにごとぞ???と顔をのぞかせたところを大力持ちのたじからおが、ひっぱり出して、天下に光は戻った…という、あの有名な初代ダンサー、あめのうずめのみことがご祭神といいます。





Dscn4736



 11時頃、家を出ましたが、何しろ、平安時代のテンポはユーッタリ。かんかん照りの初夏の日差しはお肌ピリピリ。でも、がんばりました。樽酒のお開き。お酒が供されます。おいしくいただきました。




Dscn4735




 
 天皇が行幸されての舟遊び・・・ま・あ・あ・・・・貴族の優雅のきわみですが、今日の庶民も十分楽しみました。




  

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年5月15日 (火)

八十路の恋こころ

八十路きて なおしきりなる 恋ごころ   ぐちぐち



どうですか!!!相棒の川柳ですぞ   
こぉ れぇ はぁ・・・す・ば・ら・し・い!!!

 「ぐちぐち」ってのは俳号です。本名が山口なんですよ。
 相棒はデイケアーに行って川柳をはじめました。長い期間の結婚相手ですが、まったく抒情的???というか、詩的な情緒には関心がなかったように見受けますが、最近は、何かと,5 7 5で考えているようです。デイケアーのおばあちゃんたちの話はよく聞いていますが、おばあちゃんになったってかわいい人はかわいいし、今更若さはもうしんどいかも。恋こころに年令には関係ありません。お相手は???それは…聞かない!!!




Dscn4727_2




Dscn4726

アラ探し 
だけしてゴマを する野党
セクハラを されたと自慢 喜寿のばば

 

 

これは、ももりぐちぐち



Dscn4729



Dscn4728


 植物園はバラ園がすばらしい!!!我が家の周囲は雑草がすばらしい!!!雑草をひ引っこぬかないんです。だって、かわいい花もさく。80才のじじいだって??雑草だって・・・ね。






 

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年5月 7日 (月)

おっかけ 古都の祭り   Ⅱ

 連休は相棒のデイケアーもなし、ももりの書道教室もお休みです。やーっぱり、ゆっくり気分はうれしい!!!



 まずは、好きになって3年目の千本閻魔堂の狂言へ。壬生狂言には、嵯峨釈迦堂、千本閻魔堂、壬生寺、神泉苑などの狂言が知られていますが、ももりのイチ押しは千本閻魔堂の狂言です。ここの狂言はセリフつき。しかも演者のアドリブも許されているとかで、とても面白い。観客と演者が一緒になって大笑い。言葉っていいものです。



Dscn4723 



Dscn4724



 
 六斎念仏は、平安時代、空也上人が六斎の日(毎月8,14,15,23,29,30)の6日、都の各所で鉦や太鼓をたたきながら踊ったのが起源とか。今年のお正月には、六波羅蜜寺の念仏踊りを見ましたが、ここ、千本閻魔堂の六斎念仏は、お念仏だけでなく獅子舞いや、おさない子供たちが、お猿のしっぽをふりふりひょこひょこ踊るさまなどもあって本当にかわいらしく楽しいでした。



 下は「紅葉狩り」ご存知、平惟持が信州戸隠へ怪物退治に行くお話です。お酒に酔ってねてしまった惟持におそいかかる妖怪・・・・豪華な衣装は、さすがっ!!!西陣!!!すばらしい!!!

Dscn4721




 下は「二人大名」良いお天気につられてお花見に出かけたお大名ふたり。荷物になる大小の刀を行きがかりの町民をみつけて荷物持ちを無理強い。ところが、刀を持ってしまった町民はお大名をからかいます。猫のまねやらにわとりのまね、はては馬子と馬のまねまで゙・・・ッタクー。刀さえ取り上げたらお大名なんかちーっとも怖くないって・・・今も同じですよねえ。

・・・・Dscn4722

 一日おいて、貴船寺へ。ここは・・・ちょっと見込み違い。菖蒲の神事があるとかで、きれいな巫女さんやらがみられるのかと期待していったのですが、若い観光客だらけ。長い行列の後ろに並んでたら、なあんだ・・・スタンプの行列!!!遠くから拝むのは自由だったのに・・・中宮と奥宮も足を引きずりながらお参りしました。 

Dscn4720_2

Dscn4719

 東京に出す絵も送ってもらったし、ホッ・・・・あらあら、絵の写真は撮りわすれました。



| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年5月 2日 (水)

おっかけ 古都の祭り

 

5月の京都はどこもかもお祭りだらけ。ここは、ウーンとがんばってお祭り追っかけをいたしましょう。
下は神泉苑。平安時代ってファッショナブルなんやねえ。



Dscn4710




4月30日はご近所の春日さんへ。ここは藤原氏が一番の格式を誇る神社です。藤原氏を表す藤の神事があるということで行きましたら、今年、藤の花はもうすっかり終わってですって・・・ト・ホ・ホ


Dscn4708

次は神泉苑・・・一番上のスケッチがそれ。こんな‘にょしょう‘に会いました。ママチャリで春日さんから神泉苑へまわりました。



Dscn4709


 あけて、5月1日(火)はママチャリで上加茂神社へ。今日は「くらべ馬」の神事です。実は長らく京都に住んで、見るのは初めて・・・いわば平安のみやこの競馬です。神様に捧げる神事ですって。吉川英二の「新平家物語」の場面を思い起こしてウーットリ



Dscn4714

 

 300円で椅子席へ。目の前をきれいな馬にのった武者がとおりすぎます。中には、まだ子供みたいな武者もいます。「あの子…6年生くらいかなあ???」
 白旗が振られて、大声が聞こえると、一騎づつが全速力でかけぬけます。迫力は満点!!大声は神様に報告してるんですって。12
騎???そのあとも行事は続くのですが、帰宅。相棒がデイケアから帰ります。ザーンネン。その上、帰途、迷子になって少しおくれました。考えれば・・京都も都大路より外の道は東西南北になってなんかないんやねえ。


Dscn4713


 下300年たったというスダジイの古木。人間のあさはかな営みをじいーっと見てきたんやねえ。


Dscn4711



Dscn4712



雲ひとつないカンカン照り・・・

あ あ あ・・・マーックロ!!!日焼け…だけは怖い。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018年4月25日 (水)

きらら坂

 きらら坂…京都から滋賀への古道です。この素敵な名前は平家物語によく登場します。   

 きらら坂へやってきました。東山のふもと、詩仙堂、曼殊院の近くです。そもそも降りたバス停は一乗寺下り松・・・・吉川英治描く「宮本武蔵」吉岡一門との決闘の場???じゃなかったっけ???

 下はきらら漬けで知られるお店、僧兵が一服したお店ですって。お店の中はおもしろいものが雑然とならんでいます。僧兵のみの傘、お公家さんのみの傘・・・へ・え・え・・・




Dscn4700

 
 比叡山は最澄が開いた天台宗の本山です。あらがいがたい自然や戦争にうちひしがれた人間どもが、仏にすがろうとしたのでしょうか。しかし・・・平安時代…平家物語のころ、力を持った比叡山には無法な法師ばらが棲みつき、神輿をかかげてしばしば都へ無法な強訴をしたといいます。白川天皇も「思いどおりにならないものは、一にさいの目、二に加茂の水、三に僧兵」と言ったといいます。一度、そのきらら坂を歩いてみましょう。
 


 お天気はバッチリ。お漬物も買ってスケッチをさせてもらいました。このお漬物が…ホント、おいしかったのよお。後ろはくだんのみの傘

Dscn4701_2


Dscn4696_2



Dscn4699_2


Dscn4698

そこから金福寺へ。ここは初めてです。それがぁあ・・・よかったのよお!!

Dscn4702_2


Dscn4703_2




 与謝野蕪村が芭蕉をしたって建てたという芭蕉庵 。現代の俳人たちもここに集まって句会などがやっているとか。 俳句かぁあ・・・いいなあ!!!

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2018年4月22日 (日)

応仁の乱ここから始まる  上御霊神社

♪♪  みどりのそよ風  いい日だね

     ちょうちょは  ヒラヒラ  豆の花

     七色ばたけに いもうとの

     つまみ菜 する手が かわいいな  ♪♪


緑のそよ風・・いい気持ち!!!さ・あ・あ・・・ママチャリで、はな歌うたって・・・どこへ行こうか



 ここは 上御霊神社。応仁の乱はここから始まったといいます。今、イチハツの花がまっさかり!!!・・・11年も続いた応仁の乱は、京都の町を何度も何度も丸焼けにしました。為政者の自堕落、無責任。鴨川が死体で埋まったという戦乱は11年も続いたといいます。今は御霊・・・多くのゆえなく命を奪われた方々を祀っています。

Dscn4705







Dscn4706



Dscn4704



上御霊神社を出て鴨川へ。比叡山から大文字山までゼーエンブ独りじめ気分。

Dscn4707


政治が堕落すると・・乱はおこる。何度もくりかえした歴史の真実です。

あ・あ・あ・・・・・しっかりしてよねえ。マスコミもええ加減にせえよ。



| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年4月13日 (金)

夢のまた夢

 脳溢血の病後というものは、案外おだやかなもんやなあ・・・と思うこのごろです。相棒の右半身マヒの後遺症は改善しませんが、不自由ななりに安定しておだやかに過ごしてくれています。あんなに頑張って働いた人ですもの、残された日々を穏やかに過ごしてほしいと思います。このフラチな介護人は今では遠慮なく病人に留守をさせて、こまめに出歩きます。春はやっぱり出歩きたい。
 
 
 先日、丹波高原の大野町を訪れました。大野ダムの桜は有名です。今年の桜は早すぎたけど、八重桜や、山桜、まだレンギョウ、つつじ…農家のお庭も花いっぱい!!!うれしいなあ!!!



Dscn4693

 大野ダムは由良川を大きくせき止め地域を守っています。山陰線、園部より西はまだ単線です。由良川は日本海へそそぐ川ですが、その激しさにおどろきます。切り立った崖にへばりついたように走る汽車は大きく深く切れ込んだ谷底をのぞきながら、鉄橋を渡り、平地をすぎます。以前、宮津でバスが台風の洪水に立ち往生して、乗客はバスの屋根で一晩をあかし救助されたということもありました。その時、せい一杯水をせき止めて頑張ったのがこの大野ダムなんだそうです。


 大野小学校は父が校長として赴任した土地です。柔らかな山並みにつつまれた草深い大野はどこか母の胎内に守られてあるような安心感につつまれています。大野ダムの建設や土地の文化を守ってこられた「府立京北ゼミナールハウス」の所長さんであられる東氏が車で案内してくださり、この地の深い文化の解説を独り占めするもったいない時間を楽しみました。



 小学校跡では校長室に案内され・・・・お・お・お…!!!父がいました。三段に並べられた歴代の校長先生の一番上の左端・・・古い歴史をもつ大きな小学校でした。若い!!!父でした。




Dscn4694

 ダムの底に沈んだという滝神社の観音堂。大きな滝の横にあったお宮さんを移転したそうで、今でもダムの水の少ないとき は滝が現れるといいます。大きな古民家、池田家も見ました。この土地に営々と生きた人々がしのばれます。それにしても、なんと美しい。穏やかで甘い自然。花々に包まれて起伏する静かな山並み。日本古来の田舎のよさを堪能する夢のような一日でした。とち餅、納豆餅、おかき、蕗の佃煮やらいっぱい買ったお土産もおいしかったのよお!!


 

 又、その前の日は比叡山。今回は大津、坂本からケーブルカーにのって。根本中堂は修理中。下はケーブルカーの駅で、文化財ですって。かわいいなあ!!!



Dscn4691 

 
 今年の桜はアッというまに行ってしまったって感じです。でも、遅咲きの八重桜やら、つつじやら、シャクナゲ…レンギョウ、シャガ・・・春の野山は花で一杯です。




Dscn4692


 

 今日は、又、長講堂へ行ってきました。




Dscn4695 

 4月13日は後白河法皇の命日で、この日だけ拝観できるという後白河法皇のお像があるのですが、残念ながら、法要は午後2時からということで、ももりがママチャリで訪れたのは午前。お布施だけさせていただいてお庭を拝観。お釈迦様に、甘茶をかけさせてもらってスケッチを一枚だけしました。又、来年を楽しみにいたしましょう。



 

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2018年4月 4日 (水)

夢のあとさき

春!!!桜を追いかけて鞍馬山へやってきました。中京の桜はもう花吹雪ですがこちらは今、満開です。うれしいなあ!!!周囲の山には紫がかったピンクの山つつじが点々。77才の人生も春???爛漫???



Dscn4689


 上は鞍馬駅。釣りキチと一緒にのぼったのは???そうか…彼は確かまだ小学生だったっけ。だいぶ変わっています。でも人影もボチボチで静かなのが何より。



Dscn4688



山門をくぐり、ケーブルへ。ト・ホ・ホ・・・今までだったら、さっさとこのくらいはヘーッチャラだったのに・・・ネ。




Dscn4687





Dscn4686



霊宝鑑で、国宝の毘沙門様を拝観。最近は平安朝の穏やかな仏様のほうがなつかしいなあ!!!ケーブルでまた下りました。相棒のデイケア帰宅には間に合いました。やれやれ

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年3月30日 (金)

今日から 「京都水彩展」

Dscn4684

 
   どうでうすかぁあ  うれしいじゃありませんか!!!77才ですよお!!!生きててよかった!!!



今年は京都市美術館は改装中で、会場は京都文化博物館5Fです。スペースの都合で作品も小さいです。ももりは、今日(30日)2:00からと、日曜日、2:00からと会場にいる予定です。お会いできたらうれしいです。




Dscn4685


 今日はたまたま相棒と結婚した日。53年前、3月30日結婚しました。53年・・よくもったよねえ。







| | コメント (7) | トラックバック (0)

2018年3月19日 (月)

喜びの時  「文部科学大臣賞」

Dscn4669




Dscn4677


Dscn4618




 このたび、「京都水彩展」にて文部科学大臣賞をいただきました.。「あてどない旅」です。なんてうれしいことでしょう。


 公募展に参加するようになって、はや20ン年たちました。好きなように描いていますが、公募展出品作は、抽象です。「わからない・・・」って言われ続けてきました。



 タイトルに思いを込めて…まずは「宇宙たち」いいタイトルでしょう???よすぎます。
宇宙の律動から小さな細胞まで‥すべては宇宙たち…これはタイトル負けですねえ。


 次は「ソドムの街」おごり高ぶった人間が神の領域にまで踏み込む・・・そらおそろしい現代文明・・・はははは…これもダメ。「これはどこの国の街???」とか聞かれて「旧約聖書の・・・」なんて説明し始めましたら「キミねえ。そんな原稿用紙2~3枚も説明のいるようなのはダメだ。絵描きなんて、そんな頭ないんだから」ですってサ。ひどいのよねえ。



 次は「生きる」・・・旅をして出会うまずしい子供たち、わかい母親と赤ん坊・・・生きるためには、かんかん照りの中だってひねもす、広げた敷物の上に貧しいものを並べて売っている。生きるためには、かっぱらいだって、売春だってなんでもやる・・・そんな激しい力を描きたかったのですが・・・「ユニセフの写真みたい・・・」ケチョン・・・クックーン



今回は「あてどない旅」…死んだ息子をさがして・・・よろよろと・・・わかってくれたんかなあ

 



 この4年ほどの間に、大きな悲しみが続きました。4年前、自分の大腸癌。ついで相棒の病気。更に1年後に次男をなくしました。


 そんな状況の下でしたが、展覧会の期日が迫るたびに、なんとか描こうと画面に向かうのですが、私の絵は、写実でも風景画でもありません。まあ、言えば、心象風景みたいなものを描いてきましたので、心の状態がモロに画面にでて、現れてくる画面は何ともいやらしく、暗く、不気味…到底、描き続けられるシロモノでなく、結局、以前の描きさしを仕上げて出品だけは続けていました。




 私は手が早い方です。そしてタッチも荒い方が好き。タッチは息使い。キチキチ描く込むより、息使いが聞こえるようなのが好き。というわけで、絵を作るのは早いです。描きかけたら次々とわいてくる次の絵のイメージを残しておこうとするものですから、一枚の絵を描いているうちに3枚くらいは描きさしができます。つまり未完成の絵はたくさんあるわけで、その中から、何とか仕上げたもので出品をつづけていました。




 何というか・・・・人にはわかってもらえない世界・・・茫洋とした空間、奥行き、広がりを描きたい。でも…その中にポイントととして何かを描き込む…レモンとか???小さいものはダメ。せっかくの空間が狭くなってしまいます。ふと…うかんだのが、死んだ子をさがして・・トボトボ・・・・



 旅は続きそう・・・描きさしならいっぱいあるんですから???




 

| | コメント (17) | トラックバック (0)

2018年3月10日 (土)

春を訪ねて・・・醍醐寺

 先日醍醐寺へ行ってきました。霊宝館に展示されるという宋時代のお経を見てきました。散逸を免れて、今日まで、ようまあ、無事に!!!古文書・・・これはちょっとむつかしすぎました。




Dscn4661



 しきりにうぐいすが鳴いています。今年初めてのうぐいす・・・


Dscn4662


 ももりが目をむいたのは、ルート
マップの上、平重衡の墓。ここへはぜひ、また来ましょう。



平重衡・・・美しい、華のような若者…この若者は南都(奈良)焼き討ちという汚名に耐え、そして殺されました。


 1180年(治承4年)12月28日。南都(奈良)の都では、東大寺、興福寺炎上・・・堂塔、仏像、貴重な経典,が全て消え失せました。平重衡を総大将にいただく平家の軍勢は般若寺近くに陣をおきます。まっ暗闇に火を…ということで近くの民家に放火。おりからの風にあおらられて火はアッというまに広がり、大仏殿はじめ一切を灰にしてしまったのです。大仏殿の2階に逃げ込んだ僧俗3500人が焼け死んだといいます。なんという・・・・バチあたりな・・・東大寺は聖武天皇が大仏を建立して建てられた皇室のお寺、興福寺は藤原氏の氏寺です。僧兵を養って好き放題だ…とはいうものの・・・


 同じこの年、9月には、富士川で、源氏との戦い。鳥の羽音に驚いて戦う前に全員逃げてしまうという恥多い敗北を喫し、平家はもはや落ち目です。後白河は平家追討の令をだしたと知って怒った清盛は、後白河法皇を六波羅に幽閉してしまいます。追い詰められていく平家に、いよいよ後白河の厚顔な手際がさえてきます。



 清盛は、翌治承5年2月に死。1月に亡くなった高倉帝の後、後白河の院政再開。この年前後、未曾有の飢饉で餓死者が加茂河原を埋めたといいます。後白河は東大寺再建の令を出して、清盛の後をついだ宗盛は法王の幽閉をといて、法住寺にもどします。

 

梁塵秘抄は後白河が選した今様を集めたものといいます。その中に


見るに心の澄むものは

社毀れて 禰宜もなく

野中の堂の また破れたる

子生まぬ式部の 老いの果て



波も聞け

小磯も語れ 松も見よ

我を我という風 吹いたらば

いずれの浦へも 靡きなむ



どうですか・・・・後白河というお方・・・・かなわんなあ

 
 

 

 

 


 

 

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2018年3月 4日 (日)

口には蜜を

 相棒の車いす生活も4年目に入りました。息子のお葬式の時、また、その年のうちにもう一度お葬式を出すようなことになったら・・・と、思ったことを思い出します。



至って強がりだった相棒も最近はすっかり柔らかくかわいくなってきました。最近の会話から・・・



「2代にわたって世話かけるなあ」ですって。姑という人はすっごくすごく怖い人で、死のまぎわまで何ともつらい思いをしましたけど・・・こう・・・いわれると・・・も・お・お・・・帳消しやなあ



 

「結婚したこと後悔してへん???」
「なにゆうてんのん。自分が決めてしたことや。一回も後悔なんかしてない」
「そうでもなさそうやったでえ」
「まあ・・・はじめのころは・・・・(姑、小姑とのこと…これは胸の中だけ)でも、子供が生まれたら、それどころやあらへん。ま・あ・あ・・自分の巣を守ることだけで一杯やったなあ」



「あなたのこと尊敬してるでえ」
「・・・・・」
「だって、、、一人でじいっと耐えてるから。八つ当たりする人かってあるやろ????」「そら、あるある!!!」




会話って・・・口って大事なものです。え???口だけではありませんよ。

 

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年3月 2日 (金)

崇道神社・・・魂しずめのお宮さん

 春!!!春うらら!!!ちょっとマイナーかもしれないけれど、崇道神社へいってきました。



 崇道天皇・・・さま・・・この方、桓武天皇を長年苦しめた怨霊・・・になられたお方。桓武天皇とは、同じ母から生まれた弟君、早良親王様です。
政権奪取をはかったとして、とらえられ、抗議の絶食。むなしく憤死。当時の天皇様にとっては、雷も地震も洪水も干でりも、疫病すら、怨霊のたたりと思われようです。自身の犯した罪、それが自身の治める世の乱れを引き起こす…庶民のたたりとはちょっと違った次元の苦しみであったと思われます。





Dscn4656    

 


 794 うぐいす 平安京・・・。京都に都が造られるまえ、10年間、長岡に都は建設されました。遷都には反対派も多くいたようです。



 758年、桓武天皇の皇女が伊勢へ斎宮として下ることになり、天皇は奈良へ。その留守の間、長岡京建設の長官、藤原種継が暗殺されました。調べていくと・・・なんと、弟の早良親王を天皇にいただこうという陰謀が露見しました。首都移転の反対派でしょうか。




 親王は無実を主張しますが、容れられず淡路へ送られます。その途中、食を絶ってなくなりました。長岡京の乙訓寺には早良親王が監禁されていたというお堂があり、亡くなった次男が連れて行ってくれたのは、まだほんの3??4???年ほど前のことです。
早良親王の怨霊鎮めのため、崇道天皇とおくりなされて祀られました。



 高野川にそって、琵琶湖へ抜ける道すがらに崇道神社はありますが、位置は知りませんでした。たまたま、三宅八幡さんへ行こうかと思って嵐電にのりますと、ゲットしたパンフに崇道神社とあるじゃありませんか。さっそく、トボトボと頼りない足で・・・・たどりつきました。その日、奉仕の方々がたき火をたいて、お掃除をなさってました。お昼ちかいけど、「うどん屋さんも何もない」のこと。何しろ、コンビニもタクシーもありません。「今日はご奉仕やから人がいますけど、普段は一人でおまいりするのはちょっと怖いですわ」ということでした。


 そのあと、三宅八幡三へおまいり。誰かがトランペットの練習をしています。ええとこやなあ!!!



Dscn4657_2




 

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2018年2月19日 (月)

はや2年。次男の忌

 次男の三回忌。心配していたお天気も、この日だけは穏やかで無風。きさらぎのまぶしい光いっぱいでした。無事、ベーンブ終わってお食事。も・お・お。・・久しぶりの熱燗。こってりいただきました。まったく…相棒が元気な間はよくやってましたが、今では相棒もちょっと口をつける程度です。おいしいものを用意して熱燗で・・・なああんて、まったく…自分で燗して台所をうろうろしながら・・・なんて飲む気にもならないから・・・なんだか即物的にビールを流し込むのが日常です。



 長男、三男、もちろんお嫁さんとご両親も一緒でしたけど、羽を伸ばしてしまいました。

 

 
 あまりにもあっけなく逝ってしまった次男・・・・もお…言いますまい。優しいいい子でした。ふしぎと幼い頃ばかりが思いだされます。
 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2018年2月14日 (水)

きさらぎの寂光院

 大原、寂光院へやってきました。バスは1時間に1本。時間待ちもスケッチブックがあればヘーッチャラ。空の青さと冬木立をたのしみます。この日、冬空は真っ青。雲は真っ白・・なんてすがすがしい!!!



Dscn4650


 今日、大原を訪ねたのは、壇ノ浦でほろんだ平家の悲劇のヒロイン、建礼門院をしのびたかったからです。まずは、建礼門院の御陵へお参り



Dscn4651




 日陰はまだ雪が凍てついて滑ります。ゆっくりゆっくり歩きます。如月の陽光が目に痛い。近くの山々はまだ雪!!!お・お・お・・・・ここはまだ冬!!!ちらほらと人影が・・・静かです。



Dscn4652


 建礼門院徳子…平家物語の悲劇のヒロインです。清盛の全盛期、2姫として生まれ、高倉天皇に后にあがったのが17才。高倉は6才年下でした。高倉をとりまく女房は多く、徳子が皇児を生むのは6年後。その前後、他の女房2人に3人の子があったといいます。中宮とはいっても、多くの女房に取り囲まれ、女心はやすらかではなかったでしょう。待ちに待たれた皇子誕生。このお方が、後、壇ノ浦で二位の尼にだかれて入水。海の藻屑と消えられた安徳天皇です。しかし、皇子が4才の時、高倉天皇はなくなりました。徳子は建礼門院とよばれます。



 宮尾登美子版「平家」では、別の女房の生んだ皇子とすりかえた・・・となっています。あとを追って身を投げた徳子、その長い黒髪を熊手でからめとられ、引き上げられます。恥多く、あまりにも無力な身。都に送られるまでの屈辱と悲しみはいかなるものだったか。悲劇です。
 その後、28才で剃髪、尼になり草深い大原に庵をかまえ、7年、ここ大原ですごしてなくなられました。庵のには石碑が一本。杉木立の中、陽もささない山中です。当時はもっともっと鄙びてたんやろなあ・・・あわれ・・・


Dscn4654


大原、寂光院です。




Dscn4653


 茶室「孤雲」池はまだ凍っています。
帰るころには、もう雪が顔に痛いほどふきつけます。あんなに真っ青な空やったのになあ。まだ、如月やなあ

 

| | コメント (7) | トラックバック (0)

こいつぁあ  春から 縁起がいいわい

Dscn4646

どうですか!!!美人ぞろいでしょう???遅ればせの書道の新年会です。今年は娘さんに赤ちゃんができるとか、インフルエンザとかで何人かへりました。下の壁画も素敵でしょう。イタリアンです。ワインはシチリア・・・モチ!!!おいしかったですよお。


Dscn4647


どうですかぁあ・・・お正月の年賀はがきが大当たり!!!切手が9枚と2等賞!!!今年、出すほうはだいぶ減らしたんですけど・・・


Dscn4648 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年2月12日 (月)

都がもえた日

Dscn4621  



 古典平家・・・琵琶法師が語ったという平家物語は鎌倉時代に成立したもの。平家と戦って天下を取った鎌倉の勝者の歴史です。だから・・・清盛を徹底的に愚かしく悪者に仕立てている…ということのようです。


 京都に都がうつって、平安時代…鳴くよ うぐいす 平安京・・・794年です。それから、このお方が皇位につかれるまで380年近く、都には大きな戦いはなかったといいます。
このお方こそは、後白河天皇。このお方が26才で天皇になられたのは1156年。途端に、保元の乱。2年後には平治の乱。そのあと、鹿が谷の陰謀、以仁王のクーデター、敗者はようしゃなく、首をうたれました。やがて全国に源氏が興り、木曽義仲が都へはいるのが1183年。そして義仲を討った義経が入京、平家は都落ち、壇ノ浦で滅びます。そのあとも、各地に戦は続き、1192年、このお方、後白河がなくなられるまで、都は戦火にさらされました。どうですか…上は南都焼き討ち、平家が奈良、東大寺、興福寺を焼きました。下の絵は平治の乱。都大路を信西の首をかかげた兵が行進しています。あ・れれ???信西は坊主頭のはず???何でぶらさげてんのやろ???




Dscn4620



一方、天皇は仏教に帰依すること深く、また、怨霊をも恐れ加持祈祷もやったといいます。でも…この方、今様狂い。「梁塵秘抄」なる本に今様をまとめました。{遊びをせんとやうまれけん} …何度も、幽閉されたり、一人で脱出したり、人を利用したり捨てたり・・・裏切ったり、だましたり・・・それでも・・・このお方を担がないと天下に号令できなかったというのが日本の歴史の不思議です。このお方…どんな時もひやひやと冷静です。第三者的に自分の状況を把握、分析、一人で動きます。つまり???ゼエーンブ、おアソビやったんかも???清盛も義経も…遊ばれて滅ぼされた???




 
Dscn4611 



上は三十三間堂。清盛が後白河法皇のために建てました。




Dscn4612 

 

鹿ケ谷の陰謀-・・・1177年。京都東山、ノートルダム女学校の北にある細い道を上がっていくと山荘跡があるといいますが、行ったことはありません。ここで、清盛、平家打倒の計略がねられましたが未然に発覚。一味の一人が垂れ込んだのです。清盛は怒って、首謀者、僧、俊寛と他二人を鬼海が島(今の硫黄島???)へ流罪。しかし・・・清盛は法皇に手を出すことはしませんでした。


 以仁王の陰謀。1180年。平家が力を誇示し、摂関家や天皇家を圧迫。後白川の第四皇子、以仁王がひそかに全国の源氏に平家追討の令旨をとどけました。このクーデター計画は失敗しましたが、これをきっかけに、各地に反平家勢力が勃興。平家滅亡につながります。

 下は平家納経。平家が当時jの技の粋を駆使して、厳島神社に奉納した写経です。平家の女たちの手になるといわれています。これが、また…なんともロマンチックですばらしいのよねえ。平家の男たちは徹底的にほろぼされましたが、女たちは、なんとか生きのびたようです。

Dscn4622




政治ってこわいものですねえ。後白河が死んで頼朝が鎌倉に幕府をたて、鎌倉時代になります。この後白河というお方、皇位についてたった3年で幼帝に位をゆずり、院政をしきます。この方が66才でしぬまで、なんと5代の幼帝が位につきました。二条、六条、高倉、安徳、後鳥羽・・・みんな幼い天皇です。政治は・・・そりゃあ・・・むちゃくちゃですよねえ。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2018年2月 6日 (火)

天平の顔と今の人の顔

 先日行った東大寺戒壇院と法華堂(三月堂)の仏様たち。スケッチは禁止なので画集からここにアップしました。そのお顔が・・・なんともおもしろいのよねえ。




Dscn4635



「うわ・あ・あ・・・モ・お・お・・・怒ってるでえ!!!」




Dscn4643



「ふん・・・お前は一体何考えてんじゃ」




Dscn4644





この賢いお顔は絶対、藤原不比等さん。このお方、歴史上で最高の知恵者です。今、平清盛を読んでますけど、この方には負け。だって清盛の死と同時に平家はあっという間に没落。全滅…ま・あ・あ・この時代、女たちは生き残ります。建礼門院(清盛の4女、安徳天皇の母)大原寂光院で一門の菩提を弔ってひそやかに生きました。ところが、ところが・・・藤原家はしたたかです。平安時代は摂関政治で天皇を牛耳り、現代まで営々と生きています。天皇家に娘を嫁入りさせて、ま・あ・あ・・・・うまくやったのよねえ。




Dscn4640




怒りの形相ものすごく・・・は・は・は・・・・でもねえ…なんとなくおかしくもある。特に…このふんづけられているガキの顔ときたら・・・・



ももりはいつも、まず思うんです。「モデルは誰???」ひょっとしてガキは自分???? 



昨今の人々の顔、TVなんかでみる偉そうなこと言ってる顔、これほど魅力がないと思いませんか。日本人、「赤ちゃん返り」してませんか???ほら、下に弟とかが生まれると、お兄ちゃんが甘えるために赤ちゃん返りするってあの態度です。何か人におもねってる。平和とか人権って言う言葉のまえには、卑屈に頭をさげています。天平時代、今より大きな大仏を造り上げた時代のお顔、最近の日本人の顔よりは、よっぽど、まっすぐで一心な顔をしてます。ガキだってね

像を刻む作家は必ず頭のなかにモデルをもっています。そのモデルはかならず、身近にいる人。絵描きが描く人物の顔は、自分か奥さんに似ているっていいますよ。




 


| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年2月 4日 (日)

77才・・・・よう生きた!!!

Dscn4634



 実はももり・・・1月9日がお誕生日。でも…その日、癌のアフターケアの検査でひっかかりました。なんともないって言われていたのに・・・ちょっと・・めげて・・・ケーキ買って帰る気にもなえらず帰宅。そのあと、胃カメラ。
 それが・あ・あ…このももり、口からカメラを飲むのはおっそろしくヘ・タ。ゴーゴーゲーゲー悶絶状態です。それが、前、一度鼻からやってもらったらウソみたいに楽だったもんですから、先生には鼻からお願いしますと言っておいたはず・・・なのに・・・口から突っ込まれて…ショックのあまり立ち上がろうとして押さえつけられ、も・お・お・・・・観念して・・・なんとか終わりましたけど・・・



 結果を聞きにいきまして、とりあえず、薬も治療もなし。説明はしてくださったんですけど・・・理解がム・リ。友人に言わせると、とりあえず、今は何ともないんやから上々。その年になったら探したらなんかある…んですってサ。




 というわけで、小さなかわいいケーキを相棒と釣りキチでいただきました。
おいしかったですよお。


 先日、京都が凍り付いた日、ももりは検査で9時予約です。相棒はいつもなら8時半ころにデイケアーがお迎えにきてくれますから、相棒を送り出してすぐ家をでる予定が・・・バスが遅れるという電話です。道路がツルッツルで・・・
 仕方なく先に家をでました。相棒はそのまま、寒い玄関先で40分ほども待ったのですって。ま・あ・あ・お熱を出すこともなく風邪もひいたようにもなく・・・・「やっぱり、私がいなあかん」やろ???

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2018年2月 1日 (木)

天平人と会いたい   Ⅱ

Dscn4630



天平人と会いたいと・・・奈良へやってきました。今日は珍しく風もない冬晴れ。奈良のお空は真っ青です。東大寺、戒壇院と三月堂が目的です。



東大寺はかなりの観光客です。日本語は聞こえません。スケッチをしていると鹿が厚かましくバッグの中に顔を突っ込もうとします。「イヤッ!!!何にも持ってへん!!!」

早々に戒壇院へ。ここには四天王様がいらっしゃいます。

Dscn4631


このお像のモデルはきっと藤原不比等さん。ももりのほかにはお客は老夫婦一組だけ。ゆっくりお目もじしてきました。これらの天平仏は塑像です。粘土なので造形は自由ですが、やっぱり、もろい。ここまで完璧に保存されてきたということは、人々がいかに心を込めてお守りしてきたか…胸が熱くなります。

Dscn4624

Dscn4625



次は法華寺(三月堂)へ。ここも、ももり一人。撮影、スケッチは禁止ですって。でも・・・ゆーっくりお目もじ・・・いいなあ!!!うれしい!!!奈良って暖かい!!!

Dscn4632



Dscn4633

さあ…相棒がデイケアから帰る時間!!!急いで帰りましょう!!!




 



| | コメント (5) | トラックバック (0)

2018年1月23日 (火)

あの日 京の都では

Dscn4619  



何人かの作家の「平家物語」を読み進めてきて、やっぱり一番つっこんでみたいのは後白河天皇というお方。何度も、御所に火をかけられたり、幽閉されたり、絶体絶命という立場におちいります。ところが、この天皇様、誰もが思わぬような対処で逃げ切ります。嘘はつくわ、裏切るわ…都合が悪くなるとスリスリ泣き落とし、どうしようもなくなると、人のせいにする。武器を持たぬ身のつらさ。取り巻き公家衆は屁のような小理屈ばかり・・・え・ええ・・・い!!!どいつもこいつも役には立たん!!!もうアカン!!!というピンチを実に4回、(ももりの知るところだけでも)おちいっています。一度それを年代順に整理してみたくなりました。多分どなたも興味はおもちにはなれないでしょうけれど、パソコンは挿入したり、付け足したり、順序を入れ替えたりはお手のものなんです。ももりの頭よりは、はるかに賢いですからここは‥‥自分のために・・・





1159年12月9日 (平治の乱) 藤原信範と源義朝がおこしたクーデター。後白河法王と二条天皇のお住まい三条殿を襲撃、お二人を軟禁。二条天皇は六波羅へ脱出。法王は真夜中、単独で仁和寺へ逃亡。12月26日の午後、六条河原にて戦い、あっという間にクーデター側は敗北。このとき活躍したのが平清盛。ここから平家の繁栄がはじまります。都大路には60あまりの首がさらされました。平安初期、薬子の乱以来、宮廷の廷臣が処刑されることは300年余りなかったことでした。




1176年(安元1年〉 平清盛との蜜月は終わりました。清盛は福原(今の神戸)に港を構築。宋船との貿易を開始。その大工事は、はじめは清盛の自費でしたが、毎年の台風、大風により清盛、後白河に協力を取り付けます。ところがところが・・・清盛は福原に軍隊を中屯させる腹と、悪く注進するものもあり、法王は言を左右にして認めません。おまけに後白河をとりまく摂関家や、古い勢力は平家を快く思わないやからばかり・・・・当時、もう平家の力は強くなりすぎて、法王だけでなく摂関家や地方の土豪たちも、平家に反感をつのらせていました。

 

1177年 鹿ヶ谷事件(治承1年) 後白河法王を含む取り巻きたちが反清盛を画策。これは未然にもれて、多数の寵臣を処分することになりましたが、法皇を処分することはありませんでした。法王も企てに一枚かんでいたことは確かでしたが・・・



 1179年(治承3年) 11月14日 清盛、突如福原より京へ。後白川法王を
鳥羽殿に幽閉。法王陳謝。後白河法皇の院政は一度停止。平家の軍事独裁です。
1180年(治承4年) 清盛の娘と後白河の息子高倉天皇の間に皇子誕生。後の悲劇のお方、海の藻屑と消えた安徳天皇。6月、清盛は後白河、高倉、安徳を連れて福原へ遷都。ところがところが・・・・


11180年(治承4年)  以仁王、各地の源氏に「平家追討」令を発する。これに応じて続々と源氏立ち上がる…源頼朝、木曽義仲、新宮幸家、武田・・・・平家、風前のともし火・・・
10月、平家は富士川の戦いで、戦いもせず頼朝の軍にやぶれます。も・お・お・・・このあたりから後白河は平家をはっきり見限った???10月の南都の戦いで、東大寺、興福寺を焼いたことは、たまたま延焼したとしても、かえすがえすも大きな失策、ももりだって腹だたしい!!!



1181年(治承5年 
養和1年) 1月15日 高倉天皇死。後白河院政再開。2月4日清盛死・・・



1183年(寿永2年) 法住寺合戦 木曽義仲5万騎は7月28日、京都へ乱入。そこは、ここ3年来の大飢饉。軍隊は略奪、放火、規律のない群盗です。後白河は平家追討の令を出し義仲の軍を西へ追いやり、留守中に無頼の徒や法師を法住寺に集めます。それを聞いた義仲、京都へとって返し、法住寺御所を襲撃。法王を守るはずの無頼の徒はてんでに逃げ散り、火に追われた法王は一人の従者のみ連れて逃げる。義仲追いついて、そのまま五条東洞院の内裏に幽閉21時間。後白河自身が戦ったのはこの戦いだけだけど、これは散々・・・ところが・ところが・・・法王に追いついた義仲は、よろい、かぶとを脱いで、法王を保護・・・・ってんだから日本史はおかしい!!!


なにしろ、今日の味方が明日の敵。反復つねなきドライな自己保身。義理も人情もありません。
 治承4年 11月17日  頼朝追討の宣旨を平家にくだす
 平氏に木曽義仲追討の宣旨をくだす
 木曽義仲に頼朝追討の宣旨をくだす
 頼朝に木曽義仲追討の宣旨をくだす

 

1181年(養和1年) 自然災害で年号を代える  干ばつ、洪水。
仁和寺の僧侶による       と餓死者は42300人・・・
      
1182年(養和2年) 「道路ニ餓死者充満セルホカ 他事ナシ」・・・公卿日記から
寿永1年 5月27日改元          9月14日 源氏追討令


1183年(養和3年)平家が幼い安徳天皇をつれて
西ににげたので、後白河は故高倉天皇の四の宮を天皇にたてます。後鳥羽天皇6才・・・




 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

「京都水彩展」にむけて

Dscn4618



  日曜日、京都水彩画会の作品研究会・・・・久しぶりに指導をおおせつかりまして、なんだかぐったりくたびれてバスで帰宅。ボーンヤリしていましたら聞いたことがないバス停が続きます。「あ・れ・れ・・・・乗り間違えた」もう一度戻って、乗りなおす気力もなくタクシーで帰宅。



 でも、なんだか描けそう・・・描き始めました。「お・お・お・・・・なあんて色って美しい!!!」久しぶりです。


 展覧会のたびに新しいのを描こうとはするのですが、心象風景を描いているせいか、出てくる絵はなんとも暗く、イヤラしい。病的です。結局、古い描きさしに手を入れて出品だけは続けていました。



 自分の病気が4年前、相棒の病気が1年後、そして次男の死・・・やっぱり打ちひしがれてたのか????おヘソもつむじも曲がっていて、泣き言をいうのは大嫌い、そしらぬふうに装っていたけど…やっぱりこの4年間は絵は描けなかった・・・ら・し・い・・・・


 久しぶりの高揚感!!!さ・あ・あ・・・・・又、描けるようになれるか???
 



| | コメント (1) | トラックバック (0)

2018年1月 4日 (木)

六波羅いまむかし

Dscn4603

 初もうでは六波羅蜜寺へ。初穂をいただいて皇福茶もいただきました。祇園に近いのですが、案外ひっそりとしています。


 六波羅といえば、平清盛のころ、平家一族が豪華な甍を並べていたといいます。そもそも、このあたりは公家や貴族が住む土地ではなかったのです。処刑地に近く、
鳥辺野の墓地の地で、検非違使の平家は、場末の取り締まりにも手近なこの土地を開いたようです。六波羅蜜寺はお正月の今はテントや人波でスケッチはできません。



Dscn4617

ここの宝物館には、清盛の姿を映した像があります。口から「南無阿弥陀仏」と唱えていらっしゃる空也上人のお姿もあります。



Dscn4613


Dscn4614


 平清盛が体を焼きつくすような高熱にころげまわって苦しみながら死んだ年、京都は大飢饉。加茂の河原には死体が累々。鎌倉や九州、木曽、越後、各地に反平家の旗をかかげた源氏が京都にせまります。いよいよ平家が都おちするというその夜、たった一人の家来を連れて法王は逐電。あわててかけつけた清盛の跡継ぎ、宗盛は必死に探し回りますが女官たちすら誰もゆくえを知らない。このあたり、この法皇様の真骨頂やなあ。徒歩で鞍馬山から比叡山へ。やむなく平氏は幼帝、安徳(8才)と母、建礼門院をようして、西へとおちていきます。



 昨日、平家に源氏の義仲を討てと命令を出したと思えば、今日は、平家を討てと命じる。1年4か月も清盛に幽閉されていた法王は「これみたことか」って快哉をさけんだやろうなあ!!!



木曽義仲が都に入ってきた・・・京都には、もう食料はない!!!地獄やねえ。

 六波羅蜜寺から10分ほどで、「六道珍皇寺」へ。ここには地獄とこの世をつなぐという井戸があります。小野篁は夜な夜な。冥途とこの世を行き来したといいます。こわあいお顔の閻魔さまにもお会いして、初もうでは無事でした。




| | コメント (12) | トラックバック (0)

2018年1月 2日 (火)

あけましておめでとうございます

Dscn4598_3




 あけましておめでとうございます。
本年も相変わりませずよろしくお願いいたします。
 旧年中はいろいろコメントいただきながらお返事もせず、本当にいたしました。穏やかな去年でした。自分の大腸がんも、もう3年9か月、無事。相棒は倒れて3年、無事。次男が突然死して、まもなく3回忌・・・いろいろのりこえました。今年もなんとか・・・老いてからの新たな出会いというのは、結構、つらいことも多いようです。うれしい出会いはブログで・・・なあんて、祈っています。
 旅…旅こそは・・・無念!!!海外どころか国内旅行もままなりません。でも・・・最近はもっぱら日本の歴史の本を読んでいますが、これが楽しくって。今は平家物語。何人かの作家さんの「平家」を読み比べて、興味はますばかり。京都に住んで、かつては物語の舞台であったところなど・・・今はすっかり栄花の跡形もない・・・無常・・・そんなところうろついて喜んでいます。


 
 ここ数年、古文書教室に参加しているのですが、京都には摂関家のお倉があり、平安時代の公家の日記とか手紙とかがとても大事に保存されてあります。歴史に直接迫れるっていうのはすごいこと!!!ここへきて書道をやってきたことは、なんとうれしいことであったかと思うことしきりです。

今年も楽しくやりましょう。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2017年12月26日 (火)

ばばのバタバタフライ

 お料理じゃありません。最近、プールに熱心にかよっています。そして・・・は・は・は…バタフライ・らしきもの・やっています。


 先日、下手な人が3人、うまい人にバタフライを教えてもらってました。横で眺めていますと「あなたもおやり」って、すすめてくれるじゃありませんか。「エッ!!!」と思ったけど、「エイヤッ」とやってみました。25メートル・・・は・は・は・・・・
「え・え・え・・・???初めて???ホント???できてるやないの」って言われて、うれしくなってそれ以来、最後に25メートルを一回やって帰ることにしています。そしたら・・・いろんな人に声をかけられるようになりました。上級コースの、今まで話をしたこともなかった人からも「あなたでしょ???いきなりバタフライを泳いだ人って???」ですって。


 知らなかったよそのおっちゃんにもよく声をかけられます。「はよやりや」とか「えらいこっちゃなあ。どないなってんねん」とか・・は・は・は・・・


 
 プールでは、1時間しっかり歩くのをメインにしていますが、つづいてクロールらしきもの…なにしろ授業料を出して習ったことは一度もない・・・・と、ビート板でバタ足を交代で1時間ちかく泳いで3年。おとなりのコースで子供たちの練習があるときはとても興味をもって観察しています。つまりぃ・・・イメージトレーニングはやってたわけ。は・は・は・・・・

 

 「あの方、教室もはいらんと、いきなりバタフライオ泳がはった」ってコーチに告げ口した人もいるらしく「たまにはそんな人もいますよ」って言ってらしたんですって。

 相棒も、今はおちぶれてますけど、高校では京都を代表して明治神宮のプールで泳いだといいます。水球で、一回戦で敗退。は・は・は・・・私も海は大好きで病気をするまでは毎年、海水浴に行っていました。ま・あ・あ…ももりの師匠といえば・・・相棒です。
プールから帰宅して、お日様ピカピカしてると、またまたウズウズ。先日は府立植物園の温室へいってきました。バオバブの実を見に・・・ね。



Dscn4600



Dscn4602




Dscn4601

こおんなお元気ばばでいられて・・・うれしいなあ!!!

 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2017年12月20日 (水)

冬のはじめ  吉田山

あわれ今年の 秋も いぬめり・・・・12月6日

 落ち葉道を歩きたいと…今年最後かもしれない山あるき・・・真如堂から吉田山へ。人影もほとんどなくなったしずかな初冬のお散歩を楽しみました

 

Yosidayama

上、スケッチは真如堂。下は吉田神社。その下は吉田山から前に大文字山を見る

Yosidayama3
Yosidayama_2

 穏やかな介護生活も、早や3年が過ぎようとしています。相棒もすっかカドが取れてなんだかがんぜないおさなごが、母親ばっかり追っているような感じすらあってかわいいです。赤んぼうやった長男の世話してたような気分・・・・最後に許された、自分の一生の愛を確信できるときかもしれません。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2017年12月15日 (金)

おぼえ書き・・・冬ごもりの前に Ⅱ

 釣りキチが琵琶湖北岸、近江今津にドライブに連れ出してくれました。この日、寒くもなく、空は真っ青、風もありません。「お父さんもつれてどこか行きたい」とおねだり。
 行先は釣りキチ任せということで、いざっ!!シュッパーツ!!!このときになって相棒が「行かない」と言い出しました。「寒いし・・・肺炎になったらかなん」・・・とか…ぐずぐず
 「行こ 行こ」ということで出かけましたが、あれれ・・・相棒のお昼の準備を忘れてしまいました。いっしょに出かけて食べようと思っていたんですもの。あわてて携帯「もしもし・・・」「生きてるんやなあ。机の上のおやつがあるから」でも・・・帰宅したらふくれてました。いやいや・・・どうも・・・



 もう12月3日・・・・秋もおしまいやねえ。

Imazu




あれは伊吹山・・・山頂には雪

Oomiimazu2




Oomiimazu3



釣りキチはちょこっとの間、ギル釣り。ももりは港周辺の村をうろうろ。この地、古くから裏日本へ抜ける街道の分岐点。さすがに格調高い感じのお寺や古いお屋敷があって、とても静かでいいとこやなあ!!!

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2017年12月13日 (水)

おぼえ書き・・冬ごもりの前に ⒈

 11月27日はノートルダム女学院和中庵の特別公開へ。明治時代、近江商人藤井彦四郎が鹿ヶ谷の山すその山林を切り開いてを造った広大な庭園が有名。彦四郎は藤井有鄰館を創設した第四代藤井善助(1873年-1956年)の三才違いの弟で、スキー毛糸で財をなした・・・といいます。この邸宅への入り口すぐ横に、「鹿ヶ谷の陰謀事件の山荘跡」への道標がありますますが、山荘は、今は山頂付近に道標があるのみなんだそうで、足と相談して断念。ワカクナアーイ!!!

Dscn4547




 帰りに立ち寄ったのが「白沙邨荘」橋本関雪の屋敷跡です。筆一本で、これほどの財をなしえた・・・ってすごい!!!なんとなくすさんだ感じです。50代のころエッセー教室に参加していて、ここでよく新宴会や忘年会がありましたから、ここは本当に久しぶりですが、なんとなくすさんだ感じ・・・それがまた・・・大好きです。


 Dscn4553

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2017年12月12日 (火)

ゆく秋を惜しんで Ⅱ 八幡の松花堂美術館     

この秋も、けっこうチョコチョコ出かけました。自分の病気の後もしっかり回復した充実感がありますし、相棒の体調も落ち着いていて、かしこくお留守番をしてくれます。




 ということで・・・11月26日(日)、八幡市の「松花堂照乗美術館」へ、書のお仲間とでかけました。まずは、八幡駅前の観光案内所で、レンタサイクルとマップをゲット。スタート!!!お仲間3人はみな若ああーい!!ちょっと坂になると、一人遅れます。やっとおいついて・・・フーッ。差つけられた!!!風もなく穏やかないい日です。


Syoukadou2



特別拝観で、市もひとしおの熱心さで、丁寧の説明してくれます。

松花堂昭乗は寛永の三筆。本阿弥光悦、近衛弘忠とならぶ書の名家です。お茶人としても有名で、松花堂弁当は彼が農家で使っていた器を懐石料理のお弁当にしたとか。上と下、スケッチはお茶室

Dscn4548

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年12月 5日 (火)

平家物語・・・・東山七条あたり

 法住寺へ行ってみたい。この頃、平家物語の舞台を歩いています。京都ならばこそ・・・昔の栄華は跡形もない。それがまた一層、ゆく秋の切なさを思わせます。

 法住寺・・・今は昔・・・ここには、かの有名な後白河法皇の宮があった・・・とはいうものの・・・。今はその法住寺は、すっかり普通のちょっと俗っぽいお寺になっていました。


 国立博物館の南、三十三間堂の東に法住寺はありました。でも…スケッチをする気にもならない。でも、デモ・・・驚きました。お寺の裏には後白河天皇陵があったのです。平清盛を存分に利用し、そして捨てた・・・頼朝に討たせた・・・どうも、本を読んでいると、にっくきは後白河殿こそ・・・下は人影もない後白河法皇(法住寺殿)の眠るお墓



Heike



 なんとも、ひどい!!!乱脈な天皇たち・・・多くは短命ですが、上皇となって長生きしたのが、白川天皇77才、鳥羽天皇54才、後白河天皇66才。この天皇方が煩わしいしきたりを嫌がって、幼帝に位を譲り、上皇となり、法王ともなって、「院宣」という名目でほしいままな政治、院政をおこないました。保元の乱、平治の乱がおこります。どちらも。ま・あ・あ・・・・・クーデターですね。


 ちなみに、ちょっと当時の天皇方のこと書いておきます。何しろ・・・ももり自身が本を読むのに、どなたがどの上皇か、天皇かわけがわからなくなって、調べたものですけど・・・・おもしろいんやなあ!!!これがぁ・・・
白川天皇    在位14年のち死ぬまで・・・つまりぃ・・・・堀川、鳥羽、崇徳天皇まで生きて院政…相当酷い!!!


堀川天皇   8才で即位、25年在位で、死

鳥羽天皇   5才で即位、15年で譲位、のち54才で死ぬまで院政。無視された天皇は崇徳、近衛。この方の跡取りでもめたのが保元の乱

崇徳天皇  5才で即位、18年23才の時、保元の乱でやぶれ、讃岐に流されその地で客死46才

近衛天皇  3才で即位、14年在位17才で死

後白河天皇  29才で即位、たった3年で譲位・・・ところがところが・・・66才で死ぬまで・・・好き放題・・・

二条天皇 16才で即位、7年在位23才で死

六条天皇   2才(満年齢では7か月)で即位 、5才で譲位

高倉天皇  8才で即位、12年在位で死

安徳天皇  この方、壇ノ浦で「海の底にも都はそうろうず」と祖母の尼にいだかれて海の藻屑と「消えられた・・・・清盛の孫。死は8才(まんで6才)結局このあとも、後白河は生きて清盛の死をよいことに平家を討った。義経に調停の位をあげ、頼朝の怒りをかった義経がころされたのは有名なおはなし。
あとは・・・後鳥羽天皇・・・・へと鎌倉、武家の時代になります。



 結局・・・平和な時代は武器の暴力には勝てなかった・・ということ。現代も…空恐ろしいなあ。下はおとなりの養源院。ここは家康の家来、鳥居元忠の血天井で有名…人間って生き物は・・・・どうしようもない・・・・

 

Heike2

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2017年12月 4日 (月)

生野銀山・・・ゼミナールハウスのお仲間たちと

 11月30日…晩秋の一日を京都府立ゼミナールハウスの「生野銀山見学」に参加してきました。この京都府立ゼミナールハウスは、特に丹波地方の歴史に深く、いつも会誌をよんで、行きたいなあ、参加したいなあと思いつつ、膝もイマイチ、相棒の介護もあり、「無理やなあ」ってあきらめていました。 今回、「行きたいっ!!!」といいましたら相棒が「行ってこい」ですって。行きたい、行きたいと言われながら行けないとこぼされるのは、何よりつらい・・・ということらしいです。
 お天気は、曇多く霧もでて、はや初冬。紅葉は派手さをうしない、しっとりと落ち着いた綾錦でかえって豪華です。なんとも穏やかな田舎道をバスは兵庫県と鳥取の、もう、県境、生野町につきました。まずは、銀山まち回廊と鍛冶屋町通りの時空旅。人影も少なく、しっとりと落ち着いて古い城下町の雰囲気がよく残っています。下は旧生野警察所。



Dscn4559


 下スケッチは・・・たしかぁあ・・・鉱山職員宿舎だっけ???今美しい後ろの山は、鉱山の煙突があったころは、はげ山だったとか。

Dscn4560


 いよいよ、坑道の中へ。江戸時代には、人力で掘られたという、狸穴という横穴が先が見えないほど奥深く続いています。銀は層になって出るらしく、深く壁をなして彫られ、ところどころに人形が今も掘ってくれています。以前、誰だったかの本で読んだ佐渡のお話。佐渡の金山へは、江戸幕府の無宿狩りでつかまった罪もない若者が、一日3交代の過酷な坑内の仕事で、ほとんどが30代半ばで死んだ…ということを読んだ記憶があったのですが、ここはそんなことはなく、高給取りの仕事場だったというお話でした。
 下は夫婦で掘っているお人形。

 

Dscn4561



 坑道を出ました。高い滝があります。膝も無事。ヤレヤレ

Dscn4562



 お昼は創作手巻き寿司・・・芒種(Boesch)にて。きれいなお庭とあまりのおいしさ、それにおしゃべりに忙しく、カメラもわすれ、写真はなし。でも・・・日々のお料理のヒントいっぱいで、主婦には面白い体験でした。
 ほんとうに、夢のように時空をこえたうっとり旅でした。お世話になりました皆様に深く感謝しております。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年11月28日 (火)

ゆく秋を惜しんで


Dscn4543



 干し柿は大好き。丹波のお山に柿の木を植えてもう30年。秋も終わり、木の葉がすっかり落ちたころでも、いっぱい花がさいたように、真っ赤な実の残っている渋柿!!!その風景が好きで渋柿をうえました。最近はよくなります。



小さなお出かけを楽しんでいます。京都に住んでるからこそと思える秋です。



Dscn4544




Dscn4545

 まずは今読んでいる「平家物語」鳥羽天皇が営まれた鳥羽離宮あと。今は見る影もありません。空には高速道路がうなりを上げ、地には国道が交差しています。でも・・・行かなければなっとくできないんですから。いろいろあったお三方、近衛天皇陵、鳥羽天皇陵、白川天皇陵・・・・今は静かです。



Dscn4534



何人かの作家の書かれた「平家」を読みくらべていますが、どうも・・・・平清盛は憎めません。むしろ腹立たしいのは、白川法王、、後鳥羽上皇、後白川法王こそ・・・・



白川へも行ってきました。当時貴族の別荘地であったといいます。観光地でもなく、静かですが驚くほど山が近く美しいです。


Dscn4554





Dscn4555



下、スケッチは法然院。このお寺の裏山で鹿ケ谷の陰謀が企てられました。福原(今の神戸らしい)へ隠居した清盛をたおすべく、後白河法皇もまじえての陰謀はあっけなく露見しました。首謀者は厳罰にしたものの、法王ご自身には危害を加えず、保護します。う・う・・ん・・・まあ・・・あ・あ・・結局…頼朝の力を使って平家を全滅させてしまうんですから・・・・なんとも・・・腹黒いお方よ。

Dscn4546



 

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2017年11月20日 (月)

花園へ・・法金剛院

 法金剛院を尋ねました。JR花園駅からすぐ・・・・紅葉の名所です。



Dscn4529


 法金剛院は、待賢門院璋子(たまこ)が再興したお寺です。
待賢門院璋子は、白川天皇に育てられ、鳥羽天皇の中宮にあがりましたが、白川天皇の子を生んだといわれる女性です。そのお子が崇徳天皇。「叔父子」と呼ばれ父は愛しませんでした。後、ここで落飾し・・・つまりいい・・・尼になり、ここで死んだというお寺です。

 今、読んでいるのが平家物語・・・宮尾登美子、吉川英治、井上靖、漫画日本史やらいろいろ読み比べています。平清盛のお話よりよっぽどすごいのが当時の宮廷史です。


Dscn4522

 白川天皇は、幼い時から育て上げた璋子・・・懐に足を入れさせて眠らせ、ねこっかわいがりします。大臣が急用でやってきても取り次がなかったというほど・・・好き放題で、好色な天皇でした。
璋子は美しく成長、性的にも奔放で、様々なひそひそ話の好餌になりましたが、鳥羽天皇の妃にあげられました。そして生まれた子は、崇徳天皇。この人は「叔父子」・・・つまりおじいの子であるとして、うとまれ、鳥羽は策を弄して美福門院との間に生まれたまだ三才の近衛を皇位につけます。しかし、鳥羽天皇の死後、もう一度皇位に戻れるかと思った期待は大きくうらぎられ、あとを継いだのが後白河。天皇、上皇の取り巻きの勢力争いもからんで、崇徳上皇は謀反…平治の乱の勃発です。
 平治の乱は、鴨川の東、二条あたり・・・今の京都大学農学部のあたりで、夜明け前からはじまり、お昼にはあっけなく、崇徳天皇は敗れました


Dscn4531


このあたりの歴史、登場人物の姻戚関係が非常に複雑でや名前も似ていてなかなかすっきり系統だてることがむつかしいです。でも・・・・・同時代の書き物にすら批判された天皇家の内情は・・・・・・

まず・・・・
白川天皇…後三条天皇崩じられたのち、天下の政をとること57年、意にまかせ、法にかかわらず、人事をおこなった・・・・ウンヌン


堀川   このお方のみは悪く言われないけど、8才で即位され、13才で皇后を迎えたとき、皇后は32才ですって。
病弱で29才で没。まだ東宮は5才。白川法王、重祚しようとしたが、出家していたので、鳥羽に・・・・

鳥羽   法王の朝廷に臨みたまうこと17年、その政、多く道ならず、上は天心にたがい、下は人望にそむく・・・・・ウンヌン


 崇徳   このおん方こそは、悲劇の人。鳥羽天皇死後、武士や側近の公家にかつがれてご謀反。それが「保元の乱」あっという間に敗れて、讃岐に流され、後々長く世に祟ることになるお方。


近衛    美福門院の子で17才で死。頼長の呪いによると主張した美福門院によって、平治の乱がおこります。


後鳥羽   当今は日本、中国を通じて類の少ない暗君、暗愚・・・・ウンヌン

Dscn4530


 お寺の裏山に
待賢門院璋子の御陵があると聞いてたずねました。今はひっそり人影もありません。そのあと、後白河の中宮になった統子内親王の御陵にもまいり、うっとりと静謐をたのしみました。紅葉は今が盛り!!!嵯峨菊もはかなげに咲いています。


長く死刑のなかった平安の世は、武士の時代にはいり、戦後処理は過酷をきわめます。都は焼かれ、大水、ひでり、つむじ風、疫病・・・・盗賊も横行し、京の都は、死臭ふんぷん・・・・怨霊の祟りをおそれ、仏教にひたすら救いをもとめる・・・・う・う・・・・・ん。やがて、平治の乱へ・・・無官の詩人、鴨長明がため息とともに世の無常を語っています。



Dscn4528

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年11月 6日 (月)

天平人に会いたい・・・・奈良、新薬師寺

素晴らしい秋晴れ…雲一つなし。
相棒をデイケアーに送り出してすぐシュッパーツ。近鉄で奈良へ。観光案内所で自転車を借りようとしたら、「新薬師寺と百毫寺なら登り坂ばっかりですよ。バスのほうがよい」ということで、さっそく市内循環バスで、まずは新薬師寺へ。
このお寺は、聖武天皇の病気回復を願った光明皇后がたてたといいます。このお堂の中の12神将は一体を除いて国宝。まさに天平彫刻の極みです。ゆっくり・・・ゆーっくり



Dscn4520



 
Dscn4524
Dscn4525
Dscn4523



新薬師寺の外の神社・・・鏡神社ですって。



Dscn4521_2
新薬師寺を出てポコポコ。ヒザはイマイチですが、なんとも穏やかな静かな田舎道です。快晴、雲一つなし。
百毫寺につきました。なるほど…・自転車ではつらい上り坂です。でも・・・お寺からは奈良市内が一望!!!遠く葛城山、二上山・・・はるかむこうは摂津、富田ですって・・・すばらしい!!!!


急いで帰宅…相棒の帰宅とほぼ同時!!!やれやれ

 

 

このところ、聖武天皇、藤原不比等、孝謙女帝とか・・・藤原仲麻呂とかばっかり本で読んでいましたから、改めて身近に天平人の激しさ、命の強さ、思いの深さに感動しました。す・・ば・・ら・・し・・い・・
像は塑像といいます。つまりは粘土。雨に打たれたらひとたまりもない。翻る衣には芯は入っているそうですけど…それでも…ポロリとかけたら???像も素晴らしいけど、これらがきちっと守られて、今もこうして怒りの形相ものすごく、人をにらんで立っているということが信じられない奇跡のような気がします。下スケッチは百毫寺

Dscn4519




| | コメント (11) | トラックバック (0)

2017年10月 5日 (木)

♪♪ 今は  もう  秋  Ⅱ ♪♪

いろいろチョコマカ動きまわっています。
 下は相棒のリクエストでお出かけ。龍谷大学ミュージアム「地獄ミュージアム」展



Dscn4512



おお・お・お・・・・いやですねえ。地獄・・・悪いことをしたら地獄へ堕ちる・・・
でも・お・お・・・・・こんなこと考える人間って、ホント、本性 残酷。そういえば・・・堕ちそうな人間も???ま・あ・あ・・・・この後、おいしいステーキをペロリと食べた二人でした。




Dscn4512_2



国立博物館「国宝」展。こちらは…も・お・お…すっごい人で開館に合わせて行ったのが8分前、行列して会場へはいれたのが20分くらいあと。人人人・・・・すっかり疲れました。いいもの見られましたか❓??ですって???書の名品だけはしっかり見ました。相棒には???ちょっと無理みたい。




Dscn4512_3



こちら、いつもお散歩に行く梅小路公園内にある、自然のままの森を再現したスペース。秋の草花、ついこの間まで身近に見慣れていた草たち・・・可憐な山野草がダーイスキ。それにぃいい・・・・もう4時半ごろで、入り口には誰もいなかったし、入り方がわからなくて棒をおしたらスッとっ入れちゃった。200円払わず…申し訳ない・・・でも・・・秋の夕ぐれの一人ボッチを心から堪能しました。



Dscn4514




上と下は梅宮大社・・・ここは何度も来たくなるちょっとすさんだお庭。草ぼうぼう・・・とまではいかないけど、雑草がいっぱい。これが好き。ツルッツルにみがきあげて草一本生えてないお庭なんて・・・・京都の観光寺院にはそんなのが多いけど…ちょっとすさんだ・・・・夕顔でもひょこっと顔をだしそうな、そんなお庭がももりは大好きです。下は茶室。
・・・夕されば  かどたの稲田  おとずれて
   秋のまろやに 秋風ぞ吹く…って百人一首のお歌のお庭ですって。





Dscn4515


 桂川から愛宕山をのぞむ。真っ青な空が水に映って、そりゃあ美しい!!!




Dscn4516




 


| | コメント (10) | トラックバック (0)

2017年9月29日 (金)

中宮寺へいってきました

秋!!!お日様ピッカピカ。こうなりゃじっとしてはいられません。気になっていた、斑鳩、中宮寺へ!!Go!!!
 相棒をデイケアーに送り出して、すぐに京都駅。近鉄は特急(510円)を張り込んで、筒井駅まで。そこからバス。近鉄特急って・・・大昔???ももりがまだ20才代くらいのころはおしぼりにコーヒーがついてたんですよお。こんなこと知ってるって??ももりの奈良通いもけっこう古い。でも・お・・・静かなお席でノノオーンビリ。窓外をボーーンヤリ国見。たわわに、黄金色に実った田んぼとあぜ道のひがん花・・・「この秋は、民も豊かであろうなあう・・・・」なあんてネ。最近読んでた、古代の女帝気分、しあわせです。

 

 

 

 

Dscn4507



Dscn4508





Dscn4506



ここ。夢殿  八角円堂は聖徳太子の死後、母君が供養に建てたとか???…それにしても優しいお顔の如意輪観音様・・・いいなあ!!!かすかに泣きました・・・ね。




Dscn4509



Dscn4511

このところ読んでた本によりますと…聖徳太子というのは、後世のでっちあげ・・・若造にそんな力があったはずはないとか???とか、当時使われているはずのない地位や状態を示す言葉が使われているとか・・・おおよそは蘇我馬子・・・実際は権力をすべてにぎっていた???とか・・・・ま・あ・あ・・・・そんなことはももりにとってはどうでもよろしい。

Dscn4510


も・お・お・・・奈良へ行きたあーい。今日は相棒のご希望で大谷大学博物館へ。地獄絵図???を見に…ももりは興味なあーい!!!

 



Dscn4511_2

 

 

 

 

 

 

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年9月23日 (土)

 縄文時代に行きたいなあ

Dscn4491

 

京大博物館の展示から、もう少し・・・今回の展示は主に信濃川流域の遺物でした。

相棒が見たかったのは秋田県ですって。秋田県…行きたいなあ!!!

Dscn4493 Dscn4495

マタマタ・・・フルーイお話。相棒と秋田県の三内丸山遺跡を訪ねたことがありましたっけ。

 

Dscn4499_2

     Dscn4500

Dscn4502

Dscn4503

展示場にて、縄文人の貫頭着。縄文人にみえますか???

 

Dscn4501

Yosinogarib_002

トットットー・・・下、2枚は,九州、吉野ケ里遺跡で時代は下って弥生時代ですって。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2017年9月22日 (金)

♪♪ 今は  もう  秋  ♪♪

すっかり、ブログおさぼり。失礼いたしました。どうも・・よる年波???には勝てない???エネルギー不足です。
 穏やかに静かに元気にくらしております。今、頑張ってるのはプール。毎日のように出かけています。3年前の手術後「白血球が減って、抵抗力がないから」とプールは禁止。6か月の抗がん剤治療を終えて、こわごわ、復活。
 最初、15分、次は半時間・・・少しづつ距離を伸ばして今では1時間歩き、1時間およぎます。ゆっくり…というより、我流なので速くはおよげないのです。1時間でちょうど1,5キロ
 これで、帰宅後は思いっきりごろごろタイダになれる・・・体外,ねころんで本を読んでいます。最近、これといって夢中になれる本がないのが悩みです。
 昨日、相棒の希望で京都大学総合博物館へ行ってきました。
 
Dscn4491_3
 
信州、信濃川流域の火炎土器・・・・まだ、鉄も青銅も持たなかった古代人が手びねりで火に焼いてつくりあげた土器は、すごいエネルギーで「バンバンザーイ」と歌い、踊っていましたよ。すばらしい展示でした。
「帰りにはステーキ食べに行きたい」と言っていた相棒、タクシーにのりこんだとたん、「もう、うちに帰る」ですって。やっぱりなあ???クシュン・・・ 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年8月31日 (木)

不安・・どうしようもなく

 間もなく、「日本水彩巡回展」と「日本水彩関西支部展」が岡崎の京都市美術館別館であります。ももりは関西支部展に出品。

Dscn4487

Dscn4488

 大腸がん手術から3年半。相棒の脳溢血から2年半、次男の死から1年半・・ごく最近になって絵を描こうかと思うようになれました。あれほど旅にのめりこんでたのに、車椅子の相棒のこともあって、全部ダメ。国内旅行すらダメ。でも…絵を描こうとは思えませんでした。あり合わせの絵で何とか出品をつづけてきたというのが正直なところです。

 どうしようもなく不安。ももりは本が大好き。特に歴史には興味があります。人間の歴史・・・歴史はどうしようもない人間の本性の羅列です。どんな人間にも人権というものがあって、存在そのものに価値と権利がある…しかも平等に・・・こんな夢みたいな理想を口にしてきたけど・・・・かの国の将軍様は、そんなもの全く鼻にもひっかけない・・・人間の英知と果しえない夢・・・の宣言を頭から面白半分に裏切った・・・かの将軍様は確かに歴史に残るでしょう。過去の人類の辛苦の果ての人権と平和が、どれほどたよりないものであることか・・・を大口をたたいてバカにしてるんですから。

 どうしようもない・・・・かと言って、うそらしい、そらぞらしい平和という念仏を口にする気にもならない。でも・・・平凡な、一市民は無力。笑っていたその一瞬後には死んでるかも・・・ももりの次男の死もそんなあっけない死でしたから。存在の頼りなさ・・・・・絵にはできないなあ。タイトルは「あてどない旅」

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2017年8月25日 (金)

真夏の夜の夢

 どうも…・胸苦しい目覚め・・・・暑いから???

 ここはどこ???私は・・・相棒と旅しています。ふと・・思い出しました。幼い息子二人に食費を渡してくるのを忘れてる・・・・あ・あ・あ・・・・・どないしてるやろ・・・

 目がさめました。40歳を過ぎた釣りキチが朝食の支度をしています。いつのまにか、息子より遅く起きる生活になっています。釣りキチは一人で朝食を食べて仕事に出かける…その横で、のんびりと起きるというパターン。時には親の分の目玉焼きも作ってくれます。
 
 そんな・・・もう、十分おっさんになった息子たちの心配をしてるなんて・・・これじゃあ・・・胃に悪い・・・・


 中京の我が家の近く・・・民泊の家があるらしく、朝、道の両側にたむろした旅行者らしき男女が大声でやりあっっています。タバコをすったり、しゃがみこんだり・・・傍若無人・・・ジロジロ・・・通り抜けるのも怖い。

   


 ひょっとして、日本中には、もうかの国に買い取られてしまった古家や空き地がいっぱいある???いつの間にか占領されてる???このやさしい日本の自然…もちろん天災は随一ですけど、どんなすき間からも雑草がはびこってるような旺盛な生命力に満ちた日本の自然。ももりは結構たくさんの国を旅しましたが、地球は案外乾燥しています。こんなに、町から一歩出ると雑草が地を覆っている、清らかな水がサラサラ流れてるような土地ってあまりないと思います。

 パレスチナ、ガザ地区・・・アラブ人が住んでいた土地は、合法的にユダヤ人が買い取った、というじゃありませんか。ももりだって、もっと年老いて、その後、この土地は???外国人には売りたくないったって、窓口が日本人なら、どうしようもない。

 夢はさめるけど・・・・国土は戻らないってこと???


戦前生まれのももりは、国土は日本人自身で命をかけて守らなければならないと思っています。ザルカゴやカケなんかで国会を空転させていたヤツ・・・・ひょっとして、あんた???回し者???

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2017年8月12日 (土)

「遥かなる身延への道」  死と対峙した安永の旅

Dscn4477


 京都府立京北ゼミナールハウス・・・・自然とのふれあいや生涯学習、研修の施設です。京都市内、ももりの家からは、ちょっと行きにくい。車が運転できないときてるんですから。そこの催しがとても興味深くて、いつも参加したいとは思いつつ…膝もダメ、相棒は車いすで、一泊旅行すらおぼつかない状態になって、「もう・・・ムリやなあ」と、すっかりご無沙汰していました。

 でも、先日いただいた友の会のパンフレットに強く興味を惹かれた記事がありました。


 「遥かなる身延への道」  死と対峙した安永の旅・・・という記事です。

Dscn4477_2

 草深い丹波・・・その山奥の小さな村「大野」からはるばると身延山へ参詣の旅 とは???


Dscn4485

 「大野村」から庄屋、文字佐太七以下8名がはるばる、勿論、徒歩・・・馬や籠で山梨県の身延山参詣した・・・というのです。一同、女二人を交えた8人は、安永2年(1773年)大野を発し、周山、京都三条から東海道へ・・・鈴鹿を越えて桑名・・・途中、女二人は当時のはやり病、疱瘡を発病、43日を経て、大野に帰った時には二人が欠けていた・・・というのです。

 「大野」・・・「大野」という地名は、ももりにとって忘れることのできない地名です。つらい家族の思い出でもあります。も・お・お・・・・65年ほども前のこと・・・ももりは、未だホンの子供で、小学生でした。父はももりの通う園部小学校の教頭でした。あれは・・・・5年生の時???園部小学校に火災があり、火元責任者であった父は、警察の取り調べを受けたようです。子供心に家族に突然降りかかった異常事態はショックでした。あまり、子供たちが心配するような会話が交わされたという記憶はありませんが、やり場のない義憤に家族は耐えていたというべきでしょう。


 結局、・・・左遷・・・・その言葉を鮮明に覚えています。誰が言ったか???草深い田舎の小学校に、一応、校長として、栄転するという話でした。一度も行ったことのない大野ですが、短歌を作っていた父の・・・はるばる遠しと聴けば悲し・・・・と言う歌の一部を記憶しています。


 何とも奇妙な抑えられない気持ちのままに、ゼミナールハウスに手紙を書き、作家の東彗(あずまあきら)氏に電話にておはなしする機会を得ました。そして送られてきました本には、先年、統合によって閉校になったという大野小学校の記念誌と、作家をとりまく京北の歴史がつづられている冊子が同封されていました。


Dscn4478

その冊子にはしっかりと生徒たちの前列の真ん中にすわっている父がいました。5年間も在籍していたようです。まだ若い父・・・42才くらい???父は57才で死にました。ももり、27才・・・まだ大人の会話ができなかったのが悔やまれます。


 「大野」という土地・・・なにも知らずに、ただ草深い田舎とおもいこんでいたその地が、東彗(あずまあきら)氏の「ふるさとの風音」という冊子によって、突然あこがれの土地にかわりました。悲しい伝説や子守歌など・・・少し涼風がたったら、ぜひたずねてみようと思います。


 なぜか???文字が拡大できません。読みつらいでしょうがお許しください。

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2017年8月 6日 (日)

日本水彩 「京都支部展」 火曜日から

Dscn4469_2


Dscn4468_2


 展覧会は火曜日からです。「衰えたり ももり」の日常ですが、出品は続けています。大体、病気の間も、展覧会となると新しい絵を描こうと思って制作をはじめたものですが、ももりの場合、心象風景を絵にするという進めかたなものですから・・・も・お・お・・・・自分でも見たくない病的な画面になってしまって、見るのもイ・ヤ!!!になりました。結局、以前の未完成に手を入れて、何とか仕上げて出品にこぎつけるという状態です。死んでしまった息子をさがしてる???のかも???

 会場のお当番は???なかなか多用で・・・・できるか???

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2017年7月23日 (日)

嫮生(こせい)さんの朝顔

Dscn4457_2


Dscn4462


嫮生さん・・・・福永嫮生さん・・・と言えば、最後の満州国皇帝、愛新覚羅溥儀の弟、溥傑に嫁いだ嵯峨家の令嬢、浩さんの次女です。
 「流転の王妃」には、浩の一生が描かれて、TVでも、素晴らしい評判をとりました。侯爵嵯峨家の長女として育った、母堂・嵯峨浩は、第二次世界大戦に至る、日本の国策、満州国建国の一環として政略結婚。政略結婚ではありましたが二人の愛は深く、変わることなく生涯続きました。皇帝の弟の妻としての日常から一転、日本の敗戦で敵中に「とり残された女たち数人。幼い二人の娘をつれて命がけの脱出、帰国するまでが描かれていました。


 溥傑氏が戦犯として拘束されている間も絶えることのなかった深い愛の書簡集を出版したのが、嫮生さん。両親の生涯をみつめた本「流転の王妃 愛の書簡」それも読みました。嵯峨家のお墓は、嵯峨野の二尊院にあって、ももりも何度か手を合わせました。

嫮生(こせい)さんはその次女。姉は天城山心中で大騒ぎになった愛新覚羅慧生です。姉の死は不幸のどん底でしたが妹の嫮生さんは、福永家に嫁いで5人の子福をえました。その嫮生さんの講演会に参加した友人がもらってきた「日中友好の朝顔」の種、そのおすそ分けがわが家で美しく咲きました。

この中京の猫の額にオハグロ蝶が来てくれています。中々近くには来てくれなくて・・・でも・・・うれしいなあ!!!どこに????見えないでしょう???中央右より、少し下・・・ね


Dscn4463

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2017年7月22日 (土)

大和川に沿って、河内から奈良明日香へ

 先日、大阪狭山にて仏事。釣りキチの車で出かけました。深刻な仏事に、いささか不謹慎ですが、狭山池博物館の案内板を見つけ、「帰りに、入りたい!!!」帰途、「入りたい」と強弁。「狭山池博物館」に立ち寄ってもらいました。



 狭山池・・・日本最古のダム湖だそうです。博物館の建物は、かの有名な安藤忠雄先生の設計。何ともアプローチの不可解な建物ですが、内部は凄い!!!。狭山池の堰堤をカンカンの夏空の下を歩き、舌をだらりと垂れてハアハア・・・犬みたい・・・

 狭山台地から流れ込む水を溜めて、稲昨を確かなものにしたのは、かの「行基」。 聖武天皇時代の仏僧です。しっかり見たつもり・・・ですが、なかなか難解です。

 そのあと、釣りキチに「大和川を見たい」とおねだり。長年、夢に描いていた大和川の堤を走ってくれました


 何しろ、その日は、お葬式。スケッチブックも鉛筆ももっていません。でも・・・深く感じるところがありました。

 大和川・・・・九州から瀬戸内海をへて、河内へたどりついた古代、邪馬台国のひとたち。ももりの頭には、小さな手つくりのいかだに所帯道具全部をのせて、夫と妻と、やや大きな子供が引いている・・・それに続いてノタノタあるいているのは、幼いはだしの子供二人・・・・
 大和川は、何しろ高低差を感じさせない平面をノタノタと流れています。京都とは、すごく違う平原・・・だだっ広い平野感。「この川なら、さかのぼれる」前には、くっきりと浮かぶ二上山・・・・そりゃあ・・・そこへ行ってみたいよねえ!!!川にそって歩いて、やがて出たところが、飛鳥の地???畝傍山、橿原へとたどり着くはず・・・上つ飛鳥から、下つ飛鳥へ・・・ね。

 古代史に興味を持ったといっても、まだホンの初心者。でも・・・長く一度は見てみたいと思っていた大和川をこの目でゆっくり見られたこの一日は、ほんと、ウレシイ日でした。不謹慎で、すみません。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2017年7月18日 (火)

ママチャリで祇園祭

 若い方のお話を聞いていて思ったこと「祇園祭のこと・・・ワタシ・・・ちっともしらない!!!」
何しろ暑い!!!むし暑いさかりのお祭りですから・・・・「もう、TVで見ましょう」ということになってしまっています。


 でも・・・ちょっとだけ出かけました。ママチャリで。

Dscn4453_2


Dscn4451_2

 も・お・お・・・・やっぱり暑い!!!それにスローテンポで・・・・ママチャリで先回りしましたら、お稚児さんが鉾から降りて、タクシー3台に乗って美しいお母さまたちもいっしょに、帰って行かれるところでした。ほんと・・・大役!!!ごくろうさまでいした。あれは・・・お池室町あたり???ももりもやっぱり帰ってしまいました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

高麗美術館へ広開土王碑の拓本を見に

Dscn4454

 
>Dscn4449_2


 堀川通りを北へ。北大路通も北山通もこえてしばらくいきますと、しの竹が密生した大きなお屋敷があります。ここが「高麗美術館」。一度は行ってみたいと思っていましたが、書のお仲間と行ってきました。


 好太王碑・・・広開土王碑・・・とも言います。4C末から5C初の高句麗19代の王。392年から413年まで在位。広開土王の偉大なる業績を記録した巨大な石碑で、所在地は中国吉林省集安。満州族発祥の地といいます。この拓本が展示されたということすら、ももりには初耳でした。
 まず、驚いたのはその碑の巨大さです。4面に1700余文字が刻されているそうですが、1文字は10センチ以上、篆書ではなく、扁平な楷書で、まああ・・・読みやすい????ももりにはムリですが・・・文字です。


 


Dscn4449_2_2


 この碑には倭という文字が多くあり、古代日本とのかかわりに関心をもたれました。その中に書かれている問題点は・・・

 391年、辛卯 倭人 海を渡り、百済、加羅、新羅を破り・・・・・とあるところだそうです。つまりぃ・・・日本がはるばる朝鮮の国土へやってきて激しい戦いがあった・・・どうやら・・・相当・・???後は、ウィキペディアへどうぞ。学問的に説明するには、いろいろむつかしいらしく、しかも歴史観には非常に神経をとがらせている国が相手でもありますので。

 下は、今読んでいる本です。平安時代、遣唐使を中止して以来、日本が積極的に 海外派遣を試みたという記憶は、日本側から見たら秀吉の朝鮮出兵や倭寇ですが、もっと古代にさかのぼると、朝鮮半島と日本には、もっともっと激しい人間の移動があった・・・つまり、日本にやってきた百済人や新羅は多かった・・・・つまりぃ・・・・蘇我氏は巨大な勢力をえて、朝鮮半島も日本をもひっくるめた「日本」という国をたてるべく構想していた・・・と、いうお話です。


 ま・あ・あ・・・天智天皇称制の頃の「白村江の戦い」・・・時代は200年近くくだりますが、唐と新羅の連合軍に、二コッテンパネクソにやられて幽霊のようになって破船が日本にただよいついた…一体???なぜ・・・わざわざ海を渡って朝鮮半島まで出ていった???

Dscn4450_2

 
 高麗美術館  在日朝鮮人1世・故鄭詔文氏が創設。主として高麗、朝鮮王朝時代の美術品を収蔵。陶磁器、絵画、金工品、石造美術品のほかに家具、民具類もあり、所蔵品は約1700点。年に3回展示替を行う。朝鮮半島で育った「美」を専門に・・・とあります。


| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年7月11日 (火)

日々これ無事

 最後ときめたグループ展を無事終えて。心底ホッ!!!
実にいいタイミングでした。と言うのは・・・頭がどうも・・・お・か・し・い???よく忘れます。焦点が定まらないみたいに。


 夜は熟睡。昼間、ちょっと横になったらいつのまにか寝てる。それでも、夜も平気で熟睡。一時、不眠に悩んでいたことなんぞすっかり忘れてしまいました。死んだ次男がニコニコしてあの世で待っていてくれると思うと、死ぬのもうれしいような気がします。


 相棒との残された時間を、落ち着いて静かに守りたい・・・と思います。


 ブログ・・・・書くほどのことも起きず・・・です。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2017年7月 1日 (土)

「アトリエ 桃源」展 会場便り

 昨日・・・お天気は梅雨。でも、たくさんの方々にご来場いただきました。深く感謝いたします。
あと2日・・・今回でこの展覧会はお終いにするつもりなので、心底、ホットする部分があります。寂しいとか・・・ちっとも感じないなあ。相棒の古い友人もいらしてくださいました。やっぱり、みんな病気の話

 下、豪快で大胆な描きっぷり。超多忙なお方で、絵にも旺盛な活力があふれています。仕事でも絵でも・・・神って二物どころか・・・何物もを与えるという見本のようなお方です。


Dscn4440


 この方、もうスケッチは完璧!!!大胆で描写力もいうことなし。ここから・・・どう展開するか。楽しみです。


Dscn4443


 やさしくて、きりっとしています。京都のわらべうたを書きました。書道も長いお方。本当に、ももりの書道教室は、生徒さん方の方が師匠より、みんな上手という状態になってきました。「絵をやっておいて、書道をやっておいて良かった」と最後には言ってほしいものです。こんなうれしいことはありません。


Dscn4436


| | コメント (5) | トラックバック (0)

2017年6月29日 (木)

桃源展 会場便り

 桃源展・・・快調にすすんでいます。古いお友達がたくさん来てくださいます。いろんな人生・・・この年になって何も問題のなかった人生なんて・・・ないのかもしれません。みんなそれなりに悩みをかかえて懸命に黙々と生きてる・・・素晴らしいなあ!!!


 下は、若い方の作品。自分で編み出した新しいテクニック。独特のリズム、色彩、応用範囲の広い創作ですよね。これからの展開が楽しみです。


Dscn4442

 どうですか・・・彼女は音楽家。音楽って究極の抽象ですよね。形、象ってものはないのに、限りない奥行を持つ空間、永遠へと続く時間的な広がりを・・・絵具に託すとこうなるのでしょうかねえ。間もなく北欧へと旅たつという彼女、又、新しい空間を紙上に再現してくれるでしょう。

Dscn4439


Dscn4441

 たくさんのお友達が来てくれます。まず、エッセーのお仲間・・・・もう・・・30年くらい前???ももりも朝日カルチャーセンターのエッセー教室に5年間在籍。10年間「京都エッセー」年2回・・・に参加していました。


 若かった私は、怖い姑や小姑との戦いの日々。も・お・お・お・・不足で不足で、体中がパンパンにふくれていましたっけ。その毒抜きをしてくれたのがエッセー。口にも出せないような不足不満を文章にすると???スーッと他人事になるのです。ある意味、客観するっていうか???傍観者になれたのでしょうか。今でもイヤなことがあっても、どこか傍観者的???になれるのはエッセー教室のおかげかも???カメラももっていたのに、撮ることも忘れておしゃべり・・・は・は・は・・・・あ・り・が・と・ね。


 すごいお方もいらしてくださいました。日本人が世界で初めてヒマラヤのマナスルに登頂した、というニュース。もう、古い話ですが、日本山岳会会長であられた小西壽夫氏は、余りにも有名です。、その方のDNAを濃厚に受け継いだ、さすらいのカメラマン???お許しを得てないので、あえてお名前はだしませんが。アフガニスタンやパキスタン、トルクメニスタン・・・麻薬の三角地帯とか・・・へき地、危険地帯???で、素晴らしい写真を撮られます。山の写真が凄い!!!当然、へき地の旅のお話に・・・・ももりも旅は好きでしたが、下痢には悩まされました。シルクロード、エジプト、ペルー、メキシコ・・・旅はある意味、下痢との戦いでもありました。つらいんですよね。キューっと差し込んでくる下腹の痛み。トイレで出すとずいぶん楽になるけど、そんな土地に限ってトイレってもんがないんですから・・・
 ところが・・・・彼「コップの中を何気なく見たら何かがうごめいている・・・ボーフラなんですよ。外の馬が飲んでる水をバケツでザーッと汲んできてる・・・それでも、お腹は下さない」・・・やっぱり!!!チ・ガ・ウ!!!巨人はチガイマス。とてもとても面白いお話に時を忘れました。



 祇園の舞子ちゃんみたいなべっぴんさんやった彼女・・・・今、もう80才近いというのに、ものすごく美しい!!!ご主人をみとった壮絶の介護、息子の同級生の母親同士・・・お互いに・・・3人の息子、娘の話・・・・呉服屋の社長夫人で何不自由なかった彼女もいろいろ苦労したんやねえ。それにしても???その美しさは???

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年6月26日 (月)

アトリエ桃源展会場便り  1

Dscn4445_2


 「アトリエ桃源展」会場を作ってきました。明日から6日間。参加の皆様、ご苦労様です。

 
 どうですか・・・美人そろい!!!美人で、その上、絵も大好きときてるんですから・・・素晴らしいことですよね。会場から何点かをご紹介します。

Dscn4438


 いいでしょう。新しい表現です。色も美しい!!!さ・あ・あ・・・・秋の野山へ・・・ごいっしょに!!!

Dscn4437

 何しろ7人の孫を世話しているというおばあちゃんの作です。孫ちゃんの小さい子は双子ちゃん。みんなのお好み焼きパーティの準備をしている間に小さい子は眠ってしまいました。この子たちが目をさましたら、どんなことに、なるでしょう。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年6月23日 (金)

大腸癌  3年目の検査

 今日は、内視鏡カメラの検査。術後3年です。
この検査、結構イタイッ!!!ま・あ・あ・・・・まな板の上の鯉。するならさっさとやっちゃって。そして早く終わらせて。もう・・・ふてくされていしたが、無事クリアー。


 この検査、手術前より術後の方が痛いようです。主治医の先生に言いますと
「そういうこともあるでしょうねえ。手術で変形があったり、癒着があったり、せまくなってる場合もあるかもしれませんから」ということでした。今回「まだまだぁ・・・ここからがガマンのしどころ」と思ってる間に、すっと痛みが遠のき、なんだか中でゴチョゴチョ動いてる感じ。TV画面を見る余裕もでてきました。きれいな腸の内面を映し出しています。


 なんとか、無事に最後のアトリエ桃源展を準備できそうです。
それにしても…幼子二人を残して逝ってしまった麻央さん。まだ34才ですって・・・かわいそう・・・

Dscn4431_3_2

 お話かえます。日本 ええ国。   ちっとも文句は言ってない???と思うももりですが・・・・


 はがきにはる切手。今62円になっています。でも、こちらは50円切手をたくさん持っています。
「差額の切手、12円切手ある???」・・・ないんですって。「10円切手と2円切手ならあります」って言います。ハガキ、ももりの場合、たいがい裏面は絵で、表の上半分に宛名を、下半分に文章を書きます。当然余白は少ない。そこに、大きな62円切手???もしくは、50円切手に10円切手、おまけに2円切手をはれっていうの???

 以前から、キティちゃんやムーミンの小さな50円切手を愛してました。花やお寺の50円切手は大きすぎます。「その内に出ます」ですってサ。当然、利用者より先に気づくべきじゃない???strong>



 ガスを腸内に入れて検査するらしく、「残ってるガスが出ます」って言われてましたが・・・ま・あ・あ・・・何ともしまりのない音を立てて出てくれます。ところかまわず・・・靴を脱ごうと体をかがめると「ブブースブウウースウウ」トイレでしゃがむと、またまたぁあ・・・「お隣の人に聞こえた???んじゃない???」

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2017年6月21日 (水)

アトリエ桃源展   第9回

>Dscn4434_2_2


 京都、寺町三条上がる  ギャラリー「カト」にて、ももりたちのグループ展です。

 この展覧会は第9回ですが、2年ごとですので、もう20年近いお付き合いです。メンバーも高齢化。チョット・・ボ・ケてない???と心配する方やら、足腰不自由やら・・・かついで展覧会をする当方も、気力不足。
 ということで今回限りといたします。若いメンバーは続けたいと言っていますが、それは、又、再編を考えましょう。

 会場の様子は、又、おいおいアップしましょう。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年6月13日 (火)

つゆ空の淡い虹


 
Dscn4422


Dscn4423

Dscn4424


 病人との生活は朗らかなものではありません。穏やかに過ぎていってはいるものの・・・・ウツウツとたまるものがあります。
 相棒は、わたしが誰かとしゃべることをとても嫌がります。タクシーに乗って、運転手さんに話しかけるだけで、イヤなんです。「なんであんなことを言う」これって、ずーっと以前からですけど。今、週イチでマッサージ師が、来てくださってるんですけど、最初と最後のごあいさつだけ。いやですよねえ。朗らかに楽しくごあいさつくらいしたい!!!でも・・・聞き耳をたててて・・・もう・・まるで恥ずかしいものを見せるみたいな感じ!!!


 ところが、ところが・・・お友達が言いました。
「それって、あなたが大好き過ぎて、人としゃべってほしくないんちがう???」
「へっ???・・・???」ものも考えようやなあ。すっかりラクになりました


 ずーっと、もう・・・57年くらいも前の話・・・・ももりがセッセとラブレターを書いた男性がいました。大学の一年先輩で、彼の方から先に何度かラブレターをもらい・・・・時代ですねえ・・・・その時は、ももり自身は、山に夢中であまりピンと来てなかったのですが、彼が、東京へ就職して行ってしまってから急に寂しくなりました。
 きっと就職して仕事に向き合って大変だったのでしょうけど・・・あまり返事がこなくなり・・・ももりは飢えましたね。誰でもよかった。いつもそばにいてくれる人がよかった。ま・あ・あ・・・・この変人のももりを好きと言ってくれる人はちょっとづつおかしな人でしたが、相棒におちついたのでした。


 その彼・・・たしか・・・奥様をなくされてとか・・・・から、やさしい手紙がきました。そうか・・・うれしいのよねえ。東京で個展をしたときは花束が届きました。翌日会いましたよ。エエ・・・ステキでした。
 で・・も・・・もう、あいたくはありません。80才過ぎて、ややこしい老人があらわれたら・・・・もうええわ。



 プールで、よそのおっちゃんに「べっぴんさんやから、若う見えるでえ 」ですって。やっぱりニヤつくなあ!!!

でも・・・梅雨空・・・・に、ちょっと弱ぁい、あまぁい太陽が・・・・さした???かも???

Dscn4421


| | コメント (8) | トラックバック (0)

2017年6月 7日 (水)

パメン ペレオラさんのすごいキャリア

 パメン ペレイラさんから本が送られてきました。添えられたお手紙には
「私は今、Museo de Arte Contemporaneo de Castilla y Leon(カスティージャとレオンの近代美術館)のコーディネーターおよびキューレーターとして、この本を送っています」と、書かれています。

Dscn4414


 彼女が日本にきて、ももりの家に泊まっていたのは・・・さ・あ・あ・・・・多分・・・1997年か1996年・・・
と、言いますのは、パメンさんに会いにバレンシアの火祭りに行ったのが1998年ですから

 彼女は、当時、新進気鋭の若い作家でした。大きなコンペティションで、ろうそくの煙で絵を描いた作品で、最優秀賞を取り、その奨学金で日本へきていたのです。当時は、私もまだ頑張ってたから、友人から、京都にしばらくとどまりたいという希望を聞いて、わが家に受け入れたのです。


 その当時がももりが一番テリ???かがやいて???いた時期かも????
お正月には、ご主人も来日。相棒の車で、雪の京都を案内しましたっけ。三十三間堂、伏見稲荷、琵琶湖・・・当時はスペイン語もかなりの線いってて、楽しいひと時を過ごしました。


 彼女が帰国して、何度かスペインへ行きました。特に、バレンシアの火祭りの日程に合わせて、スペインを訪ね、彼女の家族と一日を楽しく過ごしました。お母さんの手料理も凄くおいしかったし、お祭りは夢みたいにステキで、闘牛も見ましたっけ。町ではかわいい娘さんたちや子供たちが着飾ってパレードします。娘さんたちは、その日はキリストの花嫁なんですって。


Dscn4409_6


Dscn4410

Dscn4407


Dscn4411_3


 そうかぁあ・・・彼女は、たしか、その時、お腹が大きかったなあ。そういえば、「息子はとてもやんちゃです」って言う手紙ももらってました。その息子さんも、もう・・・20才くらい???
 あ・あ・あ・・・・・行って会いたいなあ!!!レオンといえば、スペインで一番好きな町かも。レオンのカテドラル、なんて魅力的なこと!!!



Dscn4407_2


 下はパメンさんの作品です。コンテンポラリー(今日的とでも訳しますか??)で少し難解かもしれませんが、哲学的で宗教的、深いです。


Dscn4415_2

Dscn4416

Dscn4417_4

 そうそう・・・バレンシアの火祭りといえば・・・町中に一杯作られている木の人形。大きなものですよお。深夜に小さい順から火をつけて燃やします。石造りの町ならではの催しです。身動きもできない人混みの中、消防車がやってきて、建物にも人間にも水をぶっかけます。肩も腰もぬけそうで息も絶えだえ、人の背中の中で揺れてるばかり。その内にボッと火が灯って、バアァーッと燃え上がります。終わるのは日が変わってから。深夜、燃えカスがあちこちにいぶっている道をホテルへ。いいお祭りやったなあ!!!
 

Dscn4412

Dscn4419


| | コメント (9) | トラックバック (0)

2017年5月24日 (水)

76才のやぶこぎ

「やぶこぎ」って言葉・・・古いかも???山のぼりで、道に迷ってヤブの中を歩く。まるで船を漕ぐこぐみたいに・・・・



 今日、76才のももり、やぶを漕いできました。本物の竹やぶです。ちょっと、出かけましょう。さ・あ・あ・・・どこへ???一度「お土居」を歩いてみたい・・・と、地図と共にシュッパーツ!!!


Dscn4401

 豊臣秀吉が京都の周囲にお土居を築いて、京都のまもり、水害への備えにしたことは知っています。ももりの住む中京にも、「壬生土居の内」って言う地名もあるくらいです。

 その朝、相棒を送り出して、コチョコチョしてたらもう11:00.3時には戻らなくてななりません。まず、JR二条駅にママチャリを預けてバス。


 史跡お土居公園②は無事・・・にぎり飯で昼食も快適。史跡お土居2⃣から③まではエッチラオッチラ。ま・あ・あ・・・ただの小山なのでスケッチはなし。さ・あ・あ・・・これから④へ・・・ここで道を間違えました。



 このあたりのお方に道を聞きまして、確かに・・・左へ行って・・・と言われたました。「行けんことはないんですよ。私たちが通行路として造った道がありますよ。もう少し先に、左へ行く道があります」と言ってくれました。でも、もっと先に左へ???と思って、前進!!!おやおや・・・・しっかり藪の中、やぶ漕ぎです。道はもうありません。後戻り???でも・・・歩くのはいややし・・・・先には木々が途切れた明るい空間も見えてる・・・「ええい!!!行け」

 先にあったのはしっかりしたフェンス。さいわい、有刺鉄線ではありません。高さは、おへそくらい。う・う・・・・・・ん
 でも・・・「ええい」荷物を向こうに投げて、フェンスをまたぎました。しかし・・フェンスの網目は細かくて、くつを押し込めません。でも・・・荷物はもうフェンスの外「ええ・・・い!!!」なんとかなるやろ・・・・ブ・ジ・・・・公園の中へズルリと落ち込めました。ひっそりした公園は、犬を連れた若い女性一人。「なんか、音がしてびっくりしました」ですって


 その後も、大きな墓地へ出てしまって、何とかクリア。招善寺。このお寺は地図にあります。やれやれ。静かな大きないいお寺です。ウグイスが鋭いほどの声で鳴きかわしています。何とかバス停に出て帰宅。2時過ぎでした。やれやれ・・・この年で、やぶ漕ぎするとは思わなかったし、何より、この西賀茂の町中にやぶ漕ぎするような竹やぶが残ってるなんて・・・・京都!!!面白いなあ!!!


 スケッチは招善寺

Dscn4402


 今ほど運動量が多い生活は今までなかったくらいです。みっともないくらい下手クソの限りの泳ぎを臆面もなく1時間、プールで歩き1時間。帰宅して相棒の食事を用意して2時間ほどグータラ・・・それから、それから、又、ママチャリでフーラフラ。実際、体のあちこちは衰えを訴えていますから、じっとしてるとダメになりそうな気がして、追いかけられてるのかもしれません。グータラしてるとついつい口の運動するし・・・でも・・・???それがぁあ・・・夜の熟睡で消えるのです。疲れは、充足した眠りで消すのがイッチバン!!!


今からみると・・・・トイレマークのあたりの藪の中をうろついて、招善寺の墓地へと出たんやねえ。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2017年5月23日 (火)

全山燃えるつつじ  葛城山

Dscn4398


 先日、葛城山に登ってきました。って、モチ・・ロープウエー。でも京都からはアプローチが長い。奈良の南部です。

 ということで、やってきました。葛城山。すばらしい!全山、つつじで燃えるようです。
    

Dscn4396_2

実は  ジツハ・・・この朝のこと。ママチャリで、JR丹波口駅へ。はっと思い出しました。「相棒のお昼の用意忘れてた!!!」一度くらい食べなくったって死なない・・・手を伸ばせば届くところにパンがあるけど・・・・携帯は通じません。「エイッ」考える間もなくひき返し全力疾走。途中のコンビニでパンと握り飯をゲット。相棒の机に置いて、再び全力疾走。後ろから「気ぃつけや」相棒の声。ママチャリで・・・・妹に携帯☎。「今どこにいる???」「へ・え・え・・・???電車の中」「何輌目???」「さ・あ・あ・・・2両目くらい」 滑り込んだ丹波口の汽車の窓に妹の顔が見えました。やれやれ・・・。

 ま・あ・あ・・・相棒がたおれて2年半。初めて食事の用意、忘れました。ま・あ・あ・・・相棒の体調もそれなりに落ち付いてるということかも・・・なあんてね・・・タ・ル・ン・ド・ル!!!
 


 頂上からは、畝傍、耳成、香久山がくっきり。平城京はあそこやったんやねえ。
それにしても・・・・日焼けがひどい!!!

Dscn4400_2


| | コメント (4) | トラックバック (0)

2017年5月17日 (水)

東奔西走  ママチャリで古都を

Dscn4393_5


何度か行こうとして、たどりつけなかった「蛇塚古墳」京都嵯峨野の近く。行き方を説明しろっていわれても、ちょっと・・・ともかく、積年の想い果たしました。



 「へ・え・え・・・・」まずはその大きさにびっくり。玄室の大きさで言えば、飛鳥石舞台古墳より大きいそうです。この、京都西部には、古来、渡来系の豪族、秦氏が大きな力をもっていたといいます。「こんな大きな石を、どないして積みあげたんやろ??」

Dscn4392_5

Dscn4391_5

 上は、3本足の鳥居で有名な蚕の社。ここも古い。701年、大宝元年、創立といいます。ここは大好き。この春来た時は鶯が盛んに鳴きかわしていましたが、今は違う鳥・・・なんて言う鳥やろ???

 先日もママチャリで上賀茂神社へ。神社は先日じっくり拝観したばかりなので門前をスルー。太田神社のカキツバタ群生へ。カキツバタは半分くらい…そのまま道なりに、深泥池へ。「みぞろがいけ」って地元では言います。この池は太古のままの水なんだとか。自然保護区で貴重な植物や生物がいるそうですが・・・ちょっと・・・ももりにはむつかし過ぎ。でも・・・ここは白いアヤメがたくさん咲いて・・・何とも穏やかで静かです。


Dscn4395_5

 下スケッチは、上賀茂神社の社家住宅・・・・古い名家なんでしょうね。

Dscn4394_5

 まああ・・・酷い状態のママチャリですが、快調???に走ります。ここから下賀茂神社へ下れば、イチオシなんですけど、帰路の長いのがイヤになって、植物園へ。ここで、ユーックリ、一人お茶。アイスクリームとアイスコーヒー。入園はタダ。これも、うれしい。さ・あ・あ・・・帰らなくっちゃ・。帰路は下りばっかりでラークチン!!!

 何しろ、朝からプールで泳いで、昼からはママチャリ。今までの人生で、今ほど運動量の多い生活したことなかったんじゃない???相棒は、相変わらず外へ出たがりませんから・・・・では・・・又ぁ・・・。今度は・・ど・こへ???

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2017年5月 8日 (月)

古知谷の阿弥陀寺

 大原の里から、もっと奥。若狭への道すがらにあるという阿弥陀寺。バスの便も少なく、ももりの力ではちょっと・・・ム・リ・・・と、連休の一日、釣りキチが、「連れたげよか」って言ってくれるじゃありませんか。



 「特別拝観の今しか、見られないし・・・お天気は快晴!!!」  釣りキチは「行くのやったら今、すぐ、出発!!!」ということで、早朝家を出て、阿弥陀寺についたのは、未だ8時前。案の定、まだ門は閉じています。
 「ほな、後回しにしよ」ということで琵琶湖へ。北小松には行きたかったポイントが・・・それが揚梅の滝。大昔・・・まだはたちでした。山好きの友人と二人で、谷筋を歩いた記憶があります。その時、八雲が原にテントで一泊。翌日、八つ淵の滝とか、寒風峠、涼み峠とかをこえて、降りてきたのが北小松。たしか・・・その中に揚梅の滝があったのでした。たかが・・・180メートルの高度差をヒーフー。下りは釣りキチの背中を支えにしてエッチラオッチラ。うれしかったなあ!!!滝、スケッチはなし。スケッチは琵琶湖、白髭神社


Dscn4376_2

Dscn4377_2



 大昔・・・はたち。山好きのお仲間と二人、比良山、奥の深谷道を歩きました。比良連峰は岩山で滝が多いのです。八雲が原にテントで一泊。翌日、八つ淵の滝とか、寒風峠、涼み峠とかをこえて、降りてきたのが北小松。たしか・・・その中に揚梅の滝という大きな滝があった!!!もう一度、行ってみたい!!!あの滝へ!!!やっと来ました。滝への高度差は180メートル。エッチラオッチラ。下りは、釣りキチの背中を支えにして、エッチラオッチラ

>Dscn4388_2

Dscn4387_2


Dscn4386_2


 車をかえして、古谷寺へ。座臥のまま往生されたという岩窟を拝観。素人の手つくりという素朴なご本尊さまです。八瀬で手つくりのお酢と相棒の昼食をゲット。お昼には帰宅。やっぱり車って速い!!!うれしい連休でした!!!

Dscn4378

Dscn4375_2


 こちらは、140メートルの標高差。登りはわりとしっかり歩けます。下り、例によって釣りキチの背中をつかんでエッチラオッチラ。そばから「やさしいなあ」って声かけあり。「は・あ・あ・・・母がこんな年になって、こんなとこ行きたい言うもんですから」ですってさ。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2017年5月 7日 (日)

ゑんま様 ダーイ好き

 
 お・お・お・・・・なあんてうれしい!!!みなさま 前のブログにお優しいお言葉をありがとうございました。相棒にお留守番してもらってのお出かけ!!!「行け行けっ」って言ってもらった感じ。うれしいなあ!!!

 今年、念を入れて見たのが、千本ゑんま堂の狂言。連日見に行きました。
ももりの住む壬生、壬生寺の狂言は、とても有名ですが無言劇です。何度もお友達を案内して見ているのですが、内容の解説抜きではちょっと…テンポが遅いこともあって、ついついウトウトしてしまいます。素晴らしいとはわかっているのですけど。
 こちら、千本ゑんま堂の狂言は言葉あり。言葉ってなんと魅力的なものでしょう。セリフに吹きだしたり、二ンマリしたり、居眠りしてる暇なんてありません。おまけに、こちらは無料。保存会の方々が、ボランティアで続けてくださっています。ゑんま堂は、えんま様がご本尊の尼寺です。穏やかな尼様に会う時もあります。
 おそ咲きのさくらの花びらが、ひらひらとふりかかって、もう、夢心地。

Dscn4383


 

 下は「与平狐」これは平成28年5月お披露目された新作だそうです。人間の娘「お幸」に惚れた与平狐。お幸は狐が大嫌い。いつも顔を隠して会っていたのですが、いよいよ今宵は顔を見せろとせがまれています。さ・あ・あ・・・・与平・・・どうする???赤い玉、白い玉・・・不思議でこわい力のある玉を使えと智慧をもらうのですが・・・

>


Dscn4385_2


 「鬼の念仏」 鬼の待つ六道の辻に、亡者がトボトボやってっきます。この亡者、鉦をたたきながら念仏をとなえます。念仏には弱い鬼さん。ちょっと人の良い鬼さんは・・・さてさて・・・


Dscn4384


 「芋汁」とろろをするように言いつかった小僧。仕事がイヤで仕方がありません。色っぽいおかみにもちょっと世話をやいてほしい。あるじとおかみが酒盛りをはじめ、いい心地で寝入ってしまいます。小僧もちょっと失敬したお酒で同じくいねむり。そこへ・・・泥棒が・・・・最後、ぬるぬるの芋汁の中を泳ぐように全員が退場する頃には客席は爆笑です。


Dscn4372_2


 


 「もみじ狩り」これは・・・もう有名ですから・・・説明は省きます・


Dscn4374_2


 「二人大名」お大名は二人・・・ここちよい春風にお出かけ。しかし、腰の刀が面倒くさくて重い。そこで通りかかった町人に荷物持ちをさせます。はじめはビクついていた町人は、刀の威力を知り、逆にお大名を脅しにかかります。やれ、「猫のマネをしろ」「鶏のマネをしろ」「馬になれ」馬になったお大名に、馬子をおおせつかったお大名の馬子うたが、何とも美しく、ろうろうと、春風の中にひびきわたります。いいのよねえ・・・言葉って、歌って・・・・ウーットリ!!!

Dscn4373_2

 去年の同じ頃、他の演目もアップしています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 風を追いかけて・・・五月