2017年8月12日 (土)

「遥かなる身延への道」  死と対峙した安永の旅

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 京都府立京北ゼミナールハウス・・・・自然とのふれあいや生涯学習、研修の施設です。京都市内、ももりの家からは、ちょっと行きにくい。車が運転できないときてるんですから。そこの催しがとても興味深くて、いつも参加したいとは思いつつ…膝もダメ、相棒は車いすで、一泊旅行すらおぼつかない状態になって、「もう・・・ムリやなあ」と、すっかりご無沙汰していました。

 でも、先日いただいた友の会のパンフレットに強く興味を惹かれた記事がありました。


 「遥かなる身延への道」  死と対峙した安永の旅・・・という記事です。

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 草深い丹波・・・その山奥の小さな村「大野」からはるばると身延山へ参詣の旅 とは???


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 「大野村」から庄屋、文字佐太七以下8名がはるばる、勿論、徒歩・・・馬や籠で山梨県の身延山参詣した・・・というのです。一同、女二人を交えた8人は、安永2年(1773年)大野を発し、周山、京都三条から東海道へ・・・鈴鹿を越えて桑名・・・途中、女二人は当時のはやり病、疱瘡を発病、43日を経て、大野に帰った時には二人が欠けていた・・・というのです。

 「大野」・・・「大野」という地名は、ももりにとって忘れることのできない地名です。つらい家族の思い出でもあります。も・お・お・・・・65年ほども前のこと・・・ももりは、未だホンの子供で、小学生でした。父はももりの通う園部小学校の教頭でした。あれは・・・・5年生の時???園部小学校に火災があり、火元責任者であった父は、警察の取り調べを受けたようです。子供心に家族に突然降りかかった異常事態はショックでした。あまり、子供たちが心配するような会話が交わされたという記憶はありませんが、やり場のない義憤に家族は耐えていたというべきでしょう。


 結局、・・・左遷・・・・その言葉を鮮明に覚えています。誰が言ったか???草深い田舎の小学校に、一応、校長として、栄転するという話でした。一度も行ったことのない大野ですが、短歌を作っていた父の・・・はるばる遠しと聴けば悲し・・・・と言う歌の一部を記憶しています。


 何とも奇妙な抑えられない気持ちのままに、ゼミナールハウスに手紙を書き、作家の東彗(あずまあきら)氏に電話にておはなしする機会を得ました。そして送られてきました本には、先年、統合によって閉校になったという大野小学校の記念誌と、作家をとりまく京北の歴史がつづられている冊子が同封されていました。


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その冊子にはしっかりと生徒たちの前列の真ん中にすわっている父がいました。5年間も在籍していたようです。まだ若い父・・・42才くらい???父は57才で死にました。ももり、27才・・・まだ大人の会話ができなかったのが悔やまれます。


 「大野」という土地・・・なにも知らずに、ただ草深い田舎とおもいこんでいたその地が、東彗(あずまあきら)氏の「ふるさとの風音」という冊子によって、突然あこがれの土地にかわりました。悲しい伝説や子守歌など・・・少し涼風がたったら、ぜひたずねてみようと思います。


 なぜか???文字が拡大できません。読みつらいでしょうがお許しください。

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2017年8月 6日 (日)

日本水彩 「京都支部展」 火曜日から

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 展覧会は火曜日からです。「衰えたり ももり」の日常ですが、出品は続けています。大体、病気の間も、展覧会となると新しい絵を描こうと思って制作をはじめたものですが、ももりの場合、心象風景を絵にするという進めかたなものですから・・・も・お・お・・・・自分でも見たくない病的な画面になってしまって、見るのもイ・ヤ!!!になりました。結局、以前の未完成に手を入れて、何とか仕上げて出品にこぎつけるという状態です。死んでしまった息子をさがしてる???のかも???

 会場のお当番は???なかなか多用で・・・・できるか???

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2017年7月23日 (日)

嫮生(こせい)さんの朝顔

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嫮生さん・・・・福永嫮生さん・・・と言えば、最後の満州国皇帝、愛新覚羅溥儀の弟、溥傑に嫁いだ嵯峨家の令嬢、浩さんの次女です。
 「流転の王妃」には、浩の一生が描かれて、TVでも、素晴らしい評判をとりました。侯爵嵯峨家の長女として育った、母堂・嵯峨浩は、第二次世界大戦に至る、日本の国策、満州国建国の一環として政略結婚。政略結婚ではありましたが二人の愛は深く、変わることなく生涯続きました。皇帝の弟の妻としての日常から一転、日本の敗戦で敵中に「とり残された女たち数人。幼い二人の娘をつれて命がけの脱出、帰国するまでが描かれていました。


 溥傑氏が戦犯として拘束されている間も絶えることのなかった深い愛の書簡集を出版したのが、嫮生さん。両親の生涯をみつめた本「流転の王妃 愛の書簡」それも読みました。嵯峨家のお墓は、嵯峨野の二尊院にあって、ももりも何度か手を合わせました。

嫮生(こせい)さんはその次女。姉は天城山心中で大騒ぎになった愛新覚羅慧生です。姉の死は不幸のどん底でしたが妹の嫮生さんは、福永家に嫁いで5人の子福をえました。その嫮生さんの講演会に参加した友人がもらってきた「日中友好の朝顔」の種、そのおすそ分けがわが家で美しく咲きました。

この中京の猫の額にオハグロ蝶が来てくれています。中々近くには来てくれなくて・・・でも・・・うれしいなあ!!!どこに????見えないでしょう???中央右より、少し下・・・ね


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2017年7月22日 (土)

大和川に沿って、河内から奈良明日香へ

 先日、大阪狭山にて仏事。釣りキチの車で出かけました。深刻な仏事に、いささか不謹慎ですが、狭山池博物館の案内板を見つけ、「帰りに、入りたい!!!」帰途、「入りたい」と強弁。「狭山池博物館」に立ち寄ってもらいました。



 狭山池・・・日本最古のダム湖だそうです。博物館の建物は、かの有名な安藤忠雄先生の設計。何ともアプローチの不可解な建物ですが、内部は凄い!!!。狭山池の堰堤をカンカンの夏空の下を歩き、舌をだらりと垂れてハアハア・・・犬みたい・・・

 狭山台地から流れ込む水を溜めて、稲昨を確かなものにしたのは、かの「行基」。 聖武天皇時代の仏僧です。しっかり見たつもり・・・ですが、なかなか難解です。

 そのあと、釣りキチに「大和川を見たい」とおねだり。長年、夢に描いていた大和川の堤を走ってくれました


 何しろ、その日は、お葬式。スケッチブックも鉛筆ももっていません。でも・・・深く感じるところがありました。

 大和川・・・・九州から瀬戸内海をへて、河内へたどりついた古代、邪馬台国のひとたち。ももりの頭には、小さな手つくりのいかだに所帯道具全部をのせて、夫と妻と、やや大きな子供が引いている・・・それに続いてノタノタあるいているのは、幼いはだしの子供二人・・・・
 大和川は、何しろ高低差を感じさせない平面をノタノタと流れています。京都とは、すごく違う平原・・・だだっ広い平野感。「この川なら、さかのぼれる」前には、くっきりと浮かぶ二上山・・・・そりゃあ・・・そこへ行ってみたいよねえ!!!川にそって歩いて、やがて出たところが、飛鳥の地???畝傍山、橿原へとたどり着くはず・・・上つ飛鳥から、下つ飛鳥へ・・・ね。

 古代史に興味を持ったといっても、まだホンの初心者。でも・・・長く一度は見てみたいと思っていた大和川をこの目でゆっくり見られたこの一日は、ほんと、ウレシイ日でした。不謹慎で、すみません。

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2017年7月18日 (火)

ママチャリで祇園祭

 若い方のお話を聞いていて思ったこと「祇園祭のこと・・・ワタシ・・・ちっともしらない!!!」
何しろ暑い!!!むし暑いさかりのお祭りですから・・・・「もう、TVで見ましょう」ということになってしまっています。


 でも・・・ちょっとだけ出かけました。ママチャリで。

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 も・お・お・・・・やっぱり暑い!!!それにスローテンポで・・・・ママチャリで先回りしましたら、お稚児さんが鉾から降りて、タクシー3台に乗って美しいお母さまたちもいっしょに、帰って行かれるところでした。ほんと・・・大役!!!ごくろうさまでいした。あれは・・・お池室町あたり???ももりもやっぱり帰ってしまいました。

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高麗美術館へ広開土王碑の拓本を見に

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 堀川通りを北へ。北大路通も北山通もこえてしばらくいきますと、しの竹が密生した大きなお屋敷があります。ここが「高麗美術館」。一度は行ってみたいと思っていましたが、書のお仲間と行ってきました。


 好太王碑・・・広開土王碑・・・とも言います。4C末から5C初の高句麗19代の王。392年から413年まで在位。広開土王の偉大なる業績を記録した巨大な石碑で、所在地は中国吉林省集安。満州族発祥の地といいます。この拓本が展示されたということすら、ももりには初耳でした。
 まず、驚いたのはその碑の巨大さです。4面に1700余文字が刻されているそうですが、1文字は10センチ以上、篆書ではなく、扁平な楷書で、まああ・・・読みやすい????ももりにはムリですが・・・文字です。


 


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 この碑には倭という文字が多くあり、古代日本とのかかわりに関心をもたれました。その中に書かれている問題点は・・・

 391年、辛卯 倭人 海を渡り、百済、加羅、新羅を破り・・・・・とあるところだそうです。つまりぃ・・・日本がはるばる朝鮮の国土へやってきて激しい戦いがあった・・・どうやら・・・相当・・???後は、ウィキペディアへどうぞ。学問的に説明するには、いろいろむつかしいらしく、しかも歴史観には非常に神経をとがらせている国が相手でもありますので。

 下は、今読んでいる本です。平安時代、遣唐使を中止して以来、日本が積極的に 海外派遣を試みたという記憶は、日本側から見たら秀吉の朝鮮出兵や倭寇ですが、もっと古代にさかのぼると、朝鮮半島と日本には、もっともっと激しい人間の移動があった・・・つまり、日本にやってきた百済人や新羅は多かった・・・・つまりぃ・・・・蘇我氏は巨大な勢力をえて、朝鮮半島も日本をもひっくるめた「日本」という国をたてるべく構想していた・・・と、いうお話です。


 ま・あ・あ・・・天智天皇称制の頃の「白村江の戦い」・・・時代は200年近くくだりますが、唐と新羅の連合軍に、二コッテンパネクソにやられて幽霊のようになって破船が日本にただよいついた…一体???なぜ・・・わざわざ海を渡って朝鮮半島まで出ていった???

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 高麗美術館  在日朝鮮人1世・故鄭詔文氏が創設。主として高麗、朝鮮王朝時代の美術品を収蔵。陶磁器、絵画、金工品、石造美術品のほかに家具、民具類もあり、所蔵品は約1700点。年に3回展示替を行う。朝鮮半島で育った「美」を専門に・・・とあります。


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2017年7月11日 (火)

日々これ無事

 最後ときめたグループ展を無事終えて。心底ホッ!!!
実にいいタイミングでした。と言うのは・・・頭がどうも・・・お・か・し・い???よく忘れます。焦点が定まらないみたいに。


 夜は熟睡。昼間、ちょっと横になったらいつのまにか寝てる。それでも、夜も平気で熟睡。一時、不眠に悩んでいたことなんぞすっかり忘れてしまいました。死んだ次男がニコニコしてあの世で待っていてくれると思うと、死ぬのもうれしいような気がします。


 相棒との残された時間を、落ち着いて静かに守りたい・・・と思います。


 ブログ・・・・書くほどのことも起きず・・・です。

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2017年7月 1日 (土)

「アトリエ 桃源」展 会場便り

 昨日・・・お天気は梅雨。でも、たくさんの方々にご来場いただきました。深く感謝いたします。
あと2日・・・今回でこの展覧会はお終いにするつもりなので、心底、ホットする部分があります。寂しいとか・・・ちっとも感じないなあ。相棒の古い友人もいらしてくださいました。やっぱり、みんな病気の話

 下、豪快で大胆な描きっぷり。超多忙なお方で、絵にも旺盛な活力があふれています。仕事でも絵でも・・・神って二物どころか・・・何物もを与えるという見本のようなお方です。


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 この方、もうスケッチは完璧!!!大胆で描写力もいうことなし。ここから・・・どう展開するか。楽しみです。


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 やさしくて、きりっとしています。京都のわらべうたを書きました。書道も長いお方。本当に、ももりの書道教室は、生徒さん方の方が師匠より、みんな上手という状態になってきました。「絵をやっておいて、書道をやっておいて良かった」と最後には言ってほしいものです。こんなうれしいことはありません。


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2017年6月29日 (木)

桃源展 会場便り

 桃源展・・・快調にすすんでいます。古いお友達がたくさん来てくださいます。いろんな人生・・・この年になって何も問題のなかった人生なんて・・・ないのかもしれません。みんなそれなりに悩みをかかえて懸命に黙々と生きてる・・・素晴らしいなあ!!!


 下は、若い方の作品。自分で編み出した新しいテクニック。独特のリズム、色彩、応用範囲の広い創作ですよね。これからの展開が楽しみです。


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 どうですか・・・彼女は音楽家。音楽って究極の抽象ですよね。形、象ってものはないのに、限りない奥行を持つ空間、永遠へと続く時間的な広がりを・・・絵具に託すとこうなるのでしょうかねえ。間もなく北欧へと旅たつという彼女、又、新しい空間を紙上に再現してくれるでしょう。

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 たくさんのお友達が来てくれます。まず、エッセーのお仲間・・・・もう・・・30年くらい前???ももりも朝日カルチャーセンターのエッセー教室に5年間在籍。10年間「京都エッセー」年2回・・・に参加していました。


 若かった私は、怖い姑や小姑との戦いの日々。も・お・お・お・・不足で不足で、体中がパンパンにふくれていましたっけ。その毒抜きをしてくれたのがエッセー。口にも出せないような不足不満を文章にすると???スーッと他人事になるのです。ある意味、客観するっていうか???傍観者になれたのでしょうか。今でもイヤなことがあっても、どこか傍観者的???になれるのはエッセー教室のおかげかも???カメラももっていたのに、撮ることも忘れておしゃべり・・・は・は・は・・・・あ・り・が・と・ね。


 すごいお方もいらしてくださいました。日本人が世界で初めてヒマラヤのマナスルに登頂した、というニュース。もう、古い話ですが、日本山岳会会長であられた小西壽夫氏は、余りにも有名です。、その方のDNAを濃厚に受け継いだ、さすらいのカメラマン???お許しを得てないので、あえてお名前はだしませんが。アフガニスタンやパキスタン、トルクメニスタン・・・麻薬の三角地帯とか・・・へき地、危険地帯???で、素晴らしい写真を撮られます。山の写真が凄い!!!当然、へき地の旅のお話に・・・・ももりも旅は好きでしたが、下痢には悩まされました。シルクロード、エジプト、ペルー、メキシコ・・・旅はある意味、下痢との戦いでもありました。つらいんですよね。キューっと差し込んでくる下腹の痛み。トイレで出すとずいぶん楽になるけど、そんな土地に限ってトイレってもんがないんですから・・・
 ところが・・・・彼「コップの中を何気なく見たら何かがうごめいている・・・ボーフラなんですよ。外の馬が飲んでる水をバケツでザーッと汲んできてる・・・それでも、お腹は下さない」・・・やっぱり!!!チ・ガ・ウ!!!巨人はチガイマス。とてもとても面白いお話に時を忘れました。



 祇園の舞子ちゃんみたいなべっぴんさんやった彼女・・・・今、もう80才近いというのに、ものすごく美しい!!!ご主人をみとった壮絶の介護、息子の同級生の母親同士・・・お互いに・・・3人の息子、娘の話・・・・呉服屋の社長夫人で何不自由なかった彼女もいろいろ苦労したんやねえ。それにしても???その美しさは???

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2017年6月26日 (月)

アトリエ桃源展会場便り  1

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 「アトリエ桃源展」会場を作ってきました。明日から6日間。参加の皆様、ご苦労様です。

 
 どうですか・・・美人そろい!!!美人で、その上、絵も大好きときてるんですから・・・素晴らしいことですよね。会場から何点かをご紹介します。

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 いいでしょう。新しい表現です。色も美しい!!!さ・あ・あ・・・・秋の野山へ・・・ごいっしょに!!!

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 何しろ7人の孫を世話しているというおばあちゃんの作です。孫ちゃんの小さい子は双子ちゃん。みんなのお好み焼きパーティの準備をしている間に小さい子は眠ってしまいました。この子たちが目をさましたら、どんなことに、なるでしょう。

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2017年6月23日 (金)

大腸癌  3年目の検査

 今日は、内視鏡カメラの検査。術後3年です。
この検査、結構イタイッ!!!ま・あ・あ・・・・まな板の上の鯉。するならさっさとやっちゃって。そして早く終わらせて。もう・・・ふてくされていしたが、無事クリアー。


 この検査、手術前より術後の方が痛いようです。主治医の先生に言いますと
「そういうこともあるでしょうねえ。手術で変形があったり、癒着があったり、せまくなってる場合もあるかもしれませんから」ということでした。今回「まだまだぁ・・・ここからがガマンのしどころ」と思ってる間に、すっと痛みが遠のき、なんだか中でゴチョゴチョ動いてる感じ。TV画面を見る余裕もでてきました。きれいな腸の内面を映し出しています。


 なんとか、無事に最後のアトリエ桃源展を準備できそうです。
それにしても…幼子二人を残して逝ってしまった麻央さん。まだ34才ですって・・・かわいそう・・・

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 お話かえます。日本 ええ国。   ちっとも文句は言ってない???と思うももりですが・・・・


 はがきにはる切手。今62円になっています。でも、こちらは50円切手をたくさん持っています。
「差額の切手、12円切手ある???」・・・ないんですって。「10円切手と2円切手ならあります」って言います。ハガキ、ももりの場合、たいがい裏面は絵で、表の上半分に宛名を、下半分に文章を書きます。当然余白は少ない。そこに、大きな62円切手???もしくは、50円切手に10円切手、おまけに2円切手をはれっていうの???

 以前から、キティちゃんやムーミンの小さな50円切手を愛してました。花やお寺の50円切手は大きすぎます。「その内に出ます」ですってサ。当然、利用者より先に気づくべきじゃない???strong>



 ガスを腸内に入れて検査するらしく、「残ってるガスが出ます」って言われてましたが・・・ま・あ・あ・・・何ともしまりのない音を立てて出てくれます。ところかまわず・・・靴を脱ごうと体をかがめると「ブブースブウウースウウ」トイレでしゃがむと、またまたぁあ・・・「お隣の人に聞こえた???んじゃない???」

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2017年6月21日 (水)

アトリエ桃源展   第9回

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 京都、寺町三条上がる  ギャラリー「カト」にて、ももりたちのグループ展です。

 この展覧会は第9回ですが、2年ごとですので、もう20年近いお付き合いです。メンバーも高齢化。チョット・・ボ・ケてない???と心配する方やら、足腰不自由やら・・・かついで展覧会をする当方も、気力不足。
 ということで今回限りといたします。若いメンバーは続けたいと言っていますが、それは、又、再編を考えましょう。

 会場の様子は、又、おいおいアップしましょう。

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2017年6月13日 (火)

つゆ空の淡い虹


 
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 病人との生活は朗らかなものではありません。穏やかに過ぎていってはいるものの・・・・ウツウツとたまるものがあります。
 相棒は、わたしが誰かとしゃべることをとても嫌がります。タクシーに乗って、運転手さんに話しかけるだけで、イヤなんです。「なんであんなことを言う」これって、ずーっと以前からですけど。今、週イチでマッサージ師が、来てくださってるんですけど、最初と最後のごあいさつだけ。いやですよねえ。朗らかに楽しくごあいさつくらいしたい!!!でも・・・聞き耳をたててて・・・もう・・まるで恥ずかしいものを見せるみたいな感じ!!!


 ところが、ところが・・・お友達が言いました。
「それって、あなたが大好き過ぎて、人としゃべってほしくないんちがう???」
「へっ???・・・???」ものも考えようやなあ。すっかりラクになりました


 ずーっと、もう・・・57年くらいも前の話・・・・ももりがセッセとラブレターを書いた男性がいました。大学の一年先輩で、彼の方から先に何度かラブレターをもらい・・・・時代ですねえ・・・・その時は、ももり自身は、山に夢中であまりピンと来てなかったのですが、彼が、東京へ就職して行ってしまってから急に寂しくなりました。
 きっと就職して仕事に向き合って大変だったのでしょうけど・・・あまり返事がこなくなり・・・ももりは飢えましたね。誰でもよかった。いつもそばにいてくれる人がよかった。ま・あ・あ・・・・この変人のももりを好きと言ってくれる人はちょっとづつおかしな人でしたが、相棒におちついたのでした。


 その彼・・・たしか・・・奥様をなくされてとか・・・・から、やさしい手紙がきました。そうか・・・うれしいのよねえ。東京で個展をしたときは花束が届きました。翌日会いましたよ。エエ・・・ステキでした。
 で・・も・・・もう、あいたくはありません。80才過ぎて、ややこしい老人があらわれたら・・・・もうええわ。



 プールで、よそのおっちゃんに「べっぴんさんやから、若う見えるでえ 」ですって。やっぱりニヤつくなあ!!!

でも・・・梅雨空・・・・に、ちょっと弱ぁい、あまぁい太陽が・・・・さした???かも???

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2017年6月 7日 (水)

パメン ペレオラさんのすごいキャリア

 パメン ペレイラさんから本が送られてきました。添えられたお手紙には
「私は今、Museo de Arte Contemporaneo de Castilla y Leon(カスティージャとレオンの近代美術館)のコーディネーターおよびキューレーターとして、この本を送っています」と、書かれています。

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 彼女が日本にきて、ももりの家に泊まっていたのは・・・さ・あ・あ・・・・多分・・・1997年か1996年・・・
と、言いますのは、パメンさんに会いにバレンシアの火祭りに行ったのが1998年ですから

 彼女は、当時、新進気鋭の若い作家でした。大きなコンペティションで、ろうそくの煙で絵を描いた作品で、最優秀賞を取り、その奨学金で日本へきていたのです。当時は、私もまだ頑張ってたから、友人から、京都にしばらくとどまりたいという希望を聞いて、わが家に受け入れたのです。


 その当時がももりが一番テリ???かがやいて???いた時期かも????
お正月には、ご主人も来日。相棒の車で、雪の京都を案内しましたっけ。三十三間堂、伏見稲荷、琵琶湖・・・当時はスペイン語もかなりの線いってて、楽しいひと時を過ごしました。


 彼女が帰国して、何度かスペインへ行きました。特に、バレンシアの火祭りの日程に合わせて、スペインを訪ね、彼女の家族と一日を楽しく過ごしました。お母さんの手料理も凄くおいしかったし、お祭りは夢みたいにステキで、闘牛も見ましたっけ。町ではかわいい娘さんたちや子供たちが着飾ってパレードします。娘さんたちは、その日はキリストの花嫁なんですって。


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 そうかぁあ・・・彼女は、たしか、その時、お腹が大きかったなあ。そういえば、「息子はとてもやんちゃです」って言う手紙ももらってました。その息子さんも、もう・・・20才くらい???
 あ・あ・あ・・・・・行って会いたいなあ!!!レオンといえば、スペインで一番好きな町かも。レオンのカテドラル、なんて魅力的なこと!!!



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 下はパメンさんの作品です。コンテンポラリー(今日的とでも訳しますか??)で少し難解かもしれませんが、哲学的で宗教的、深いです。


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 そうそう・・・バレンシアの火祭りといえば・・・町中に一杯作られている木の人形。大きなものですよお。深夜に小さい順から火をつけて燃やします。石造りの町ならではの催しです。身動きもできない人混みの中、消防車がやってきて、建物にも人間にも水をぶっかけます。肩も腰もぬけそうで息も絶えだえ、人の背中の中で揺れてるばかり。その内にボッと火が灯って、バアァーッと燃え上がります。終わるのは日が変わってから。深夜、燃えカスがあちこちにいぶっている道をホテルへ。いいお祭りやったなあ!!!
 

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2017年5月24日 (水)

76才のやぶこぎ

「やぶこぎ」って言葉・・・古いかも???山のぼりで、道に迷ってヤブの中を歩く。まるで船を漕ぐこぐみたいに・・・・



 今日、76才のももり、やぶを漕いできました。本物の竹やぶです。ちょっと、出かけましょう。さ・あ・あ・・・どこへ???一度「お土居」を歩いてみたい・・・と、地図と共にシュッパーツ!!!


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 豊臣秀吉が京都の周囲にお土居を築いて、京都のまもり、水害への備えにしたことは知っています。ももりの住む中京にも、「壬生土居の内」って言う地名もあるくらいです。

 その朝、相棒を送り出して、コチョコチョしてたらもう11:00.3時には戻らなくてななりません。まず、JR二条駅にママチャリを預けてバス。


 史跡お土居公園②は無事・・・にぎり飯で昼食も快適。史跡お土居2⃣から③まではエッチラオッチラ。ま・あ・あ・・・ただの小山なのでスケッチはなし。さ・あ・あ・・・これから④へ・・・ここで道を間違えました。



 このあたりのお方に道を聞きまして、確かに・・・左へ行って・・・と言われたました。「行けんことはないんですよ。私たちが通行路として造った道がありますよ。もう少し先に、左へ行く道があります」と言ってくれました。でも、もっと先に左へ???と思って、前進!!!おやおや・・・・しっかり藪の中、やぶ漕ぎです。道はもうありません。後戻り???でも・・・歩くのはいややし・・・・先には木々が途切れた明るい空間も見えてる・・・「ええい!!!行け」

 先にあったのはしっかりしたフェンス。さいわい、有刺鉄線ではありません。高さは、おへそくらい。う・う・・・・・・ん
 でも・・・「ええい」荷物を向こうに投げて、フェンスをまたぎました。しかし・・フェンスの網目は細かくて、くつを押し込めません。でも・・・荷物はもうフェンスの外「ええ・・・い!!!」なんとかなるやろ・・・・ブ・ジ・・・・公園の中へズルリと落ち込めました。ひっそりした公園は、犬を連れた若い女性一人。「なんか、音がしてびっくりしました」ですって


 その後も、大きな墓地へ出てしまって、何とかクリア。招善寺。このお寺は地図にあります。やれやれ。静かな大きないいお寺です。ウグイスが鋭いほどの声で鳴きかわしています。何とかバス停に出て帰宅。2時過ぎでした。やれやれ・・・この年で、やぶ漕ぎするとは思わなかったし、何より、この西賀茂の町中にやぶ漕ぎするような竹やぶが残ってるなんて・・・・京都!!!面白いなあ!!!


 スケッチは招善寺

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 今ほど運動量が多い生活は今までなかったくらいです。みっともないくらい下手クソの限りの泳ぎを臆面もなく1時間、プールで歩き1時間。帰宅して相棒の食事を用意して2時間ほどグータラ・・・それから、それから、又、ママチャリでフーラフラ。実際、体のあちこちは衰えを訴えていますから、じっとしてるとダメになりそうな気がして、追いかけられてるのかもしれません。グータラしてるとついつい口の運動するし・・・でも・・・???それがぁあ・・・夜の熟睡で消えるのです。疲れは、充足した眠りで消すのがイッチバン!!!


今からみると・・・・トイレマークのあたりの藪の中をうろついて、招善寺の墓地へと出たんやねえ。

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2017年5月23日 (火)

全山燃えるつつじ  葛城山

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 先日、葛城山に登ってきました。って、モチ・・ロープウエー。でも京都からはアプローチが長い。奈良の南部です。

 ということで、やってきました。葛城山。すばらしい!全山、つつじで燃えるようです。
    

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実は  ジツハ・・・この朝のこと。ママチャリで、JR丹波口駅へ。はっと思い出しました。「相棒のお昼の用意忘れてた!!!」一度くらい食べなくったって死なない・・・手を伸ばせば届くところにパンがあるけど・・・・携帯は通じません。「エイッ」考える間もなくひき返し全力疾走。途中のコンビニでパンと握り飯をゲット。相棒の机に置いて、再び全力疾走。後ろから「気ぃつけや」相棒の声。ママチャリで・・・・妹に携帯☎。「今どこにいる???」「へ・え・え・・・???電車の中」「何輌目???」「さ・あ・あ・・・2両目くらい」 滑り込んだ丹波口の汽車の窓に妹の顔が見えました。やれやれ・・・。

 ま・あ・あ・・・相棒がたおれて2年半。初めて食事の用意、忘れました。ま・あ・あ・・・相棒の体調もそれなりに落ち付いてるということかも・・・なあんてね・・・タ・ル・ン・ド・ル!!!
 


 頂上からは、畝傍、耳成、香久山がくっきり。平城京はあそこやったんやねえ。
それにしても・・・・日焼けがひどい!!!

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2017年5月17日 (水)

東奔西走  ママチャリで古都を

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何度か行こうとして、たどりつけなかった「蛇塚古墳」京都嵯峨野の近く。行き方を説明しろっていわれても、ちょっと・・・ともかく、積年の想い果たしました。



 「へ・え・え・・・・」まずはその大きさにびっくり。玄室の大きさで言えば、飛鳥石舞台古墳より大きいそうです。この、京都西部には、古来、渡来系の豪族、秦氏が大きな力をもっていたといいます。「こんな大きな石を、どないして積みあげたんやろ??」

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 上は、3本足の鳥居で有名な蚕の社。ここも古い。701年、大宝元年、創立といいます。ここは大好き。この春来た時は鶯が盛んに鳴きかわしていましたが、今は違う鳥・・・なんて言う鳥やろ???

 先日もママチャリで上賀茂神社へ。神社は先日じっくり拝観したばかりなので門前をスルー。太田神社のカキツバタ群生へ。カキツバタは半分くらい…そのまま道なりに、深泥池へ。「みぞろがいけ」って地元では言います。この池は太古のままの水なんだとか。自然保護区で貴重な植物や生物がいるそうですが・・・ちょっと・・・ももりにはむつかし過ぎ。でも・・・ここは白いアヤメがたくさん咲いて・・・何とも穏やかで静かです。


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 下スケッチは、上賀茂神社の社家住宅・・・・古い名家なんでしょうね。

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 まああ・・・酷い状態のママチャリですが、快調???に走ります。ここから下賀茂神社へ下れば、イチオシなんですけど、帰路の長いのがイヤになって、植物園へ。ここで、ユーックリ、一人お茶。アイスクリームとアイスコーヒー。入園はタダ。これも、うれしい。さ・あ・あ・・・帰らなくっちゃ・。帰路は下りばっかりでラークチン!!!

 何しろ、朝からプールで泳いで、昼からはママチャリ。今までの人生で、今ほど運動量の多い生活したことなかったんじゃない???相棒は、相変わらず外へ出たがりませんから・・・・では・・・又ぁ・・・。今度は・・ど・こへ???

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2017年5月 8日 (月)

古知谷の阿弥陀寺

 大原の里から、もっと奥。若狭への道すがらにあるという阿弥陀寺。バスの便も少なく、ももりの力ではちょっと・・・ム・リ・・・と、連休の一日、釣りキチが、「連れたげよか」って言ってくれるじゃありませんか。



 「特別拝観の今しか、見られないし・・・お天気は快晴!!!」  釣りキチは「行くのやったら今、すぐ、出発!!!」ということで、早朝家を出て、阿弥陀寺についたのは、未だ8時前。案の定、まだ門は閉じています。
 「ほな、後回しにしよ」ということで琵琶湖へ。北小松には行きたかったポイントが・・・それが揚梅の滝。大昔・・・まだはたちでした。山好きの友人と二人で、谷筋を歩いた記憶があります。その時、八雲が原にテントで一泊。翌日、八つ淵の滝とか、寒風峠、涼み峠とかをこえて、降りてきたのが北小松。たしか・・・その中に揚梅の滝があったのでした。たかが・・・180メートルの高度差をヒーフー。下りは釣りキチの背中を支えにしてエッチラオッチラ。うれしかったなあ!!!滝、スケッチはなし。スケッチは琵琶湖、白髭神社


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 大昔・・・はたち。山好きのお仲間と二人、比良山、奥の深谷道を歩きました。比良連峰は岩山で滝が多いのです。八雲が原にテントで一泊。翌日、八つ淵の滝とか、寒風峠、涼み峠とかをこえて、降りてきたのが北小松。たしか・・・その中に揚梅の滝という大きな滝があった!!!もう一度、行ってみたい!!!あの滝へ!!!やっと来ました。滝への高度差は180メートル。エッチラオッチラ。下りは、釣りキチの背中を支えにして、エッチラオッチラ

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 車をかえして、古谷寺へ。座臥のまま往生されたという岩窟を拝観。素人の手つくりという素朴なご本尊さまです。八瀬で手つくりのお酢と相棒の昼食をゲット。お昼には帰宅。やっぱり車って速い!!!うれしい連休でした!!!

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 こちらは、140メートルの標高差。登りはわりとしっかり歩けます。下り、例によって釣りキチの背中をつかんでエッチラオッチラ。そばから「やさしいなあ」って声かけあり。「は・あ・あ・・・母がこんな年になって、こんなとこ行きたい言うもんですから」ですってさ。

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2017年5月 7日 (日)

ゑんま様 ダーイ好き

 
 お・お・お・・・・なあんてうれしい!!!みなさま 前のブログにお優しいお言葉をありがとうございました。相棒にお留守番してもらってのお出かけ!!!「行け行けっ」って言ってもらった感じ。うれしいなあ!!!

 今年、念を入れて見たのが、千本ゑんま堂の狂言。連日見に行きました。
ももりの住む壬生、壬生寺の狂言は、とても有名ですが無言劇です。何度もお友達を案内して見ているのですが、内容の解説抜きではちょっと…テンポが遅いこともあって、ついついウトウトしてしまいます。素晴らしいとはわかっているのですけど。
 こちら、千本ゑんま堂の狂言は言葉あり。言葉ってなんと魅力的なものでしょう。セリフに吹きだしたり、二ンマリしたり、居眠りしてる暇なんてありません。おまけに、こちらは無料。保存会の方々が、ボランティアで続けてくださっています。ゑんま堂は、えんま様がご本尊の尼寺です。穏やかな尼様に会う時もあります。
 おそ咲きのさくらの花びらが、ひらひらとふりかかって、もう、夢心地。

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 下は「与平狐」これは平成28年5月お披露目された新作だそうです。人間の娘「お幸」に惚れた与平狐。お幸は狐が大嫌い。いつも顔を隠して会っていたのですが、いよいよ今宵は顔を見せろとせがまれています。さ・あ・あ・・・・与平・・・どうする???赤い玉、白い玉・・・不思議でこわい力のある玉を使えと智慧をもらうのですが・・・

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 「鬼の念仏」 鬼の待つ六道の辻に、亡者がトボトボやってっきます。この亡者、鉦をたたきながら念仏をとなえます。念仏には弱い鬼さん。ちょっと人の良い鬼さんは・・・さてさて・・・


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 「芋汁」とろろをするように言いつかった小僧。仕事がイヤで仕方がありません。色っぽいおかみにもちょっと世話をやいてほしい。あるじとおかみが酒盛りをはじめ、いい心地で寝入ってしまいます。小僧もちょっと失敬したお酒で同じくいねむり。そこへ・・・泥棒が・・・・最後、ぬるぬるの芋汁の中を泳ぐように全員が退場する頃には客席は爆笑です。


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 「もみじ狩り」これは・・・もう有名ですから・・・説明は省きます・


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 「二人大名」お大名は二人・・・ここちよい春風にお出かけ。しかし、腰の刀が面倒くさくて重い。そこで通りかかった町人に荷物持ちをさせます。はじめはビクついていた町人は、刀の威力を知り、逆にお大名を脅しにかかります。やれ、「猫のマネをしろ」「鶏のマネをしろ」「馬になれ」馬になったお大名に、馬子をおおせつかったお大名の馬子うたが、何とも美しく、ろうろうと、春風の中にひびきわたります。いいのよねえ・・・言葉って、歌って・・・・ウーットリ!!!

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 去年の同じ頃、他の演目もアップしています。

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2017年5月 3日 (水)

 風を追いかけて・・・五月

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 雲一つないすばらしい一日。書道のお仲間と池田にある「逸翁美術館」へ行ってきました。逸翁・・・かの阪急電車や宝塚の創始者、小林一三です。かれの所蔵品で一番素晴らしいのは、古筆の名品。お茶に深かった一三翁は、お茶碗やお道具、古筆の掛け物の収集で天下イチです。かの松岡修造さんのおじい様です。

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 真っ青な空!!!歩いても、お昼も、お仲間といっしょだとサイッコーです。でも・・・・古い記憶の逸翁美術館とは、イメージがすごくちがいました。考えてみれば・・・・ももりがここへ何度か訪れたのは40年以上前。仮名の書道界にいたころでした。仮名書道の大家、谷邊橘南先生が中風で倒れられて、お稽古がなくなり、漢字書道に席を求めました。仮名だけでは、どうしても書はわからないと感じていたからでした。この時は、釣りキチがまだ生まれてなかったはず!!!・・・年とった!!!


 長男、次男と生まれ、それでもお稽古は怠けなかった・・・ハズですが・・・三男、釣りキチが生まれてしばらくお稽古を休みました。谷邊先生が、回復されるのを待つ間にと、漢字書道界の大家、小坂奇石先生の門をたたいたのは、釣りキチ生後6か月。ひたむきに求めた書の道でしたが・・・月日は無惨!!!何物をもものにすることなく、人生すべてを遊びにしてしまったなあ!!!


 6か月、子育てだけの日々の中、「はよ、勉強始めなあかんのとちがうか」って言ってくれたのは相棒。今は車椅子生活です。最近、ももり自身が元気になって、病人との感覚のちがいに、イラつくこともあります。
 相棒が倒れた時は、ももり自身も抗がん剤治療が終わった直後で、ももりも、相棒も二人ながらヘロヘロでした。そのころのほうが、暗黙のうちに、思いやり???というか・・・どうしようもないあきらめ・・・というか・・・いたわり合ったような気がしますが、今、自分の健康な感覚が病人とズレていて、結構つらいです。

 たとえば・・・・素晴らしい青空!!!「外に出よう」・・・相棒はブスッとして「寒い!!!」
この、美しい5月!!!まどのカーテンもガラガラに開けたいももりですが・・・・ね。
ま・あ・あ・・・・・何事も・・・が・ま・ん!!!お互い様に、ですね。 
 「さっさと出かけたらええやん」って言いますから・・・・出かけます。

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2017年5月 1日 (月)

春 惜しむ  Ⅲ

 このところうれしいお出かけが続いています。まずは・・・平城京をでて、恭仁京・・・そこから信楽の宮跡へ・・・かの聖武天皇の足跡をたどるドライブ、奈良に住む弟におねだりです。


 行く前の夜・・・約束していた日なんですけど・・・
「雨降りそうや。あした・・・」
「まあぁ・・・きつうは降らへんやろ」
「でも・・・・」
「こっちかて予定があるんやでえ。行くのんか??行かへんのか???」
「う・う・・・・ん。そんなにかとう考えんかて・・・生きてる間に行けたらええんやから・・・やっぱり止める」
「わかった」


 午前4時、目が覚めて・・・もの音もなし。そーっとカーテンをあけました。雨は降っていません。
「しもたぁ・・・」
 午前6時・・・目が覚めて・・・やっぱり???雨の音???イエイエ、降っていません。
「行きたい!!!行きたああい!!!」


「今日、行ったらあかん???雨、降ってへん」
「ああ・・・ええよ」気のいい弟に深謝深謝!!!
ということで、平城京を出発。恭仁京へ・・・静かな雨が降り始めました。

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 春の雨と恭仁宮はよく似合います。ピンク紫のミツバツツジが山全体に群生しています。資料館へも行きました。弟は平城京から歩いてここへ来たといっています。4時間ですって。ここは、死んだ次男もいつぞや連れて来てくれところです。


 聖武天皇は、九州で反乱を起こした藤原広嗣をほったらかして、平城の宮から逃げ出しました。まず、恭仁京に宮を造ろうと詔します。ところが・・・1年もしないうちに紫香楽の宮へ引っ越しすると言いだします。しかも、紫香楽に大仏を造るというのです。740年のことでした。

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 ここは紫香楽。まばらな林の中に、石碑のみが立っています。雨が少しきつくなってきました。独裁者天皇のきまぐれ???が、未だ許された不思議な時代です。律令は破たん。口分田は払底し、重い税にたえかねた農民は土地を捨てて逃亡。その農民を取りこんで勢力をつけていく土豪、寺院勢力。無力な天皇に、反乱、疫病、天災が襲います。国家の不安を仏の力で何とか解決したい・・・というのでしたが・・・・


 国家財政は当然破たん。その中で大仏を造り、膨大な写経をして、国分寺、国分尼寺に治めます。聖武天皇の彷徨は5年にわたりましたが、結局、平城京に戻り、今ある東大寺に大仏が造られました。2度の炎上を経て、今の大仏様は江戸時代の再建だといいます。



 奈良への帰り道、
「あれ???古墳みたい。誰の古墳やろ???」
「安積(あさか)親王の古墳やて」
 そう、安積親王は、光明子ではない異腹の聖武天皇の息子です。当然、孝謙女帝をさしおいて次期天皇になるべき人物でした。しかし…突然の死。紫香楽の宮でのなぞの死です。当時、紫香楽の宮の留守居番は藤原仲麻呂・・・光明子・・・光明皇后に取り入って天皇位をねらった男・・・不比等の孫です。

 お・お・お・・・・なんてすばらしい一日だったことでしょう。天平の人々のひそやかな、しかし深い咆哮を受け止めたような、夢の一日でした。

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2017年4月27日 (木)

春 惜しむ   Ⅱ

 一度、ロープウエーやケーブルに乗ってみたい!!!子供みたい!!まともに歩けもしないのに、山にあこがれて比叡山にやってきました。比叡山は何度か来ていますが、一番奥にある横川中堂(よかわちゅうどう)はまだ行ったことがありません。八瀬遊園からケーブルカーとロープウエーを乗り継いで山頂へ。山桜がまださかりです。 
 叡電前から山頂往復、山上の乗り降り自由のシャトルバス券を購入。3300円。おやおや・・・かわらけ投げやってますよお。


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 比良連邦が、少しかすんで琵琶湖と一体になってみえます。おや???あの白いのは雪???とすれば・・・蓬莱山のスキー場かしら???竹生島も見えます。


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 横川中堂は真っ赤な柱が若葉に映えて、燃え立つように美しい。時間もないし、膝もイマイチ。ゆっくり歩きます。若かったら、あっちもこっちも行くのに・・・いっぱいお堂があるのです。

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2017年4月25日 (火)

春惜しむ 

 もお・・・さくらも・・お・わ・り・・・この春もゆこうとしています。

  花びらヒラホラ   ももりもヒラホラ・・・
下は、、岩倉山金蔵寺。わが家の菩提寺です。離れて住む長男が、久しぶりに帰宅。お墓参りに行くというので、一緒しました。金蔵寺は距離的に京都から少し離れて静かですが、天台宗の名刹です。創建は、何と、和同年間といいますから、古い!!!奈良時代。紅葉も見事です。仁王門には、かわいいらしいお仁王様が、頑張ってくれています。



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 下は神泉苑。ここは平安時代には、今よりはるかに大きな敷地だったといいます。桓武天皇、平城天皇、嵯峨天皇・・・世の中が乱れる時、飢饉、疫病、風水害、落雷・・・・内乱・・・は怨霊が招くもの・・・自分たちが滅ぼしてきた罪なきもの???ほとんどは政敵の罪をデッチあげて、殺し、島流し・・・いろいろして、結果、その怨霊に苦しんだ・・・怨霊鎮めの祭りが盛大に行われたといいます。


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 ここは、植物園。シャクナゲやチューリップ、ほかいーっぱい、が満開!!!天国もかくやと思う美しさでした。後ろは比叡山。


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2017年4月19日 (水)

相棒を送り出して・・・叡電周辺

 
 8時過ぎ・・・相棒がデイケアに出かけました。さ・あ・あ・・・どこへ行こうか。3時には帰ってなくちゃいけません。

 ということで、やってきました。白龍園・・・・叡山電車終点、鞍馬の二つ手前の駅「二ノ瀬」 ここから徒歩5分。

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 帰りには、妙満寺。佐野藤右衛門が植えたという枝垂れ桜が有名です。周囲は満開時なら素晴らしい桜でしょうが、今はちょっと・・・
 叡電周辺には、三宅八幡や祟道天皇をまつった祟道神社など、見たいところがありますが、時間が・・・ねえ。
下は妙満寺。法華宗の本山ですって。

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 大腸癌の手術から、間もなく3年。相棒がたおれて2年3か月。息子の死から一年。こうして、つつがなく日々おくれていることに感謝、カンシャ・・・カ・ン・シ・ャ!!!です。今日は、月イチの亀岡教室へ。イザイザ!!!

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2017年4月12日 (水)

さくらに雨

桜に・・・無情の雨というけれど・・雨の中の桜ってのも、又、いいものです。
ということで・・・一度は行ってみたいと思っていた平岡八幡宮。特別拝観の記事を見ていざいざ!!!高尾への道すがらにある神社です。今、この神社の「花の天井」が特別公開なんですって。1時間に一本の市バスに乗りこみ、渋滞にも・・・急ぐでもなし。のおんびり。敬老パスでバス代はゼロ。平岡八幡宮で下車したのはももり一人。
なんだか・・・キツネにつままれそうな・・・人かげもない道は雨音ばかり。

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 200メートルの参道は桜、桜・・・さくら・・椿道へ入り込みます。桜の古木と椿が・・・まさに、静かに研をきそっています。雨の中、一人ぼっち。なあんと・・・・幽玄っていうか・・・??
 申し訳ない!!!神主さんがたった一人の参拝者、ももりに解説してくださいました。その内に、若いお嬢さんが二人・・・・それっきり


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 その前日は、嵯峨・・・渡月橋をわたって「十三参り」の虚空蔵法輪寺へ。13才になったらこのお寺にまいって知恵をさずかります。このお寺、わが家の3人の息子たちは連れて行っていません。ももりの妹や弟すら行ったのに・・ゴ・メ・ン。だから・・智慧が??たりないか???当時、ももりは目一杯、自分の世界を広げていたのでした。
 このお寺参りにはジンクスがあって、帰途、渡月橋を渡り切るまではふりむいてはいけません。何しろ、ふりむいたら最後、授かった智慧を落とすといいます。妹はよく「ふりかえってしもて、智慧なくなった」と言ってましたっけ。

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 このお寺には素晴らしい展望台があって、眼下は京都が一望です。渡月橋、嵐山、桂川・・いえいえ・・・左は愛宕山・・・ずーっと、比叡山、大文字・・・東山・・・おやおや、京都タワーも見えています。ももりの家だって視力がよかったら???なあんてね。スケッチ、上は比叡山、下は愛宕山・・・真ん中が渡月橋。桂川が流れています。


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2017年4月 7日 (金)

大吉山と宇治橋断碑

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先日は宇治へ。一度「大吉山」ってのに登ってみたかったのです。何しろ名前が好き!!!それにぃぃ・・・眼下に宇治の町並みがすっかり見えるというじゃありませんか。まずは宇治朝霧橋

 相棒のマッサージが9:00 9:50には相棒の散髪・・・それをすませてお昼を用意して・・・自分のは、もう、大吉山で食べようと・・・シュッパーツ!!!


 すばらしいお天気!!!桜は???今日は交通費をつかわないつもり。地下鉄は京都市のフリーパス。京阪は相棒の株主優待券・・・7/1までにつかわなくっちゃ・・・・地下鉄と京阪をのりついで宇治へ


 大吉山は標高130メートル余り。イマイチな膝ですけど・・・・えっちらおっちら・・のぼります。道はいい。暑くも寒くもないって何とうれしいことでしょう。山上からはスケッチなし。マ・ア・ア・・・漫然として絵にならない。でも・・・おいしくお弁当も食べてゆーっくり



 今日は、もう平等院はパス。平等院の対岸の方の古いお寺や神社をいくつか訪れましょう。


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 宇治上神社はその古さが魅力。飾りっ気なく素朴です。国宝。そのあと、宇治神社・・・足も疲れてきたし…戻り始めますと「橋寺」・・・って???ここも、まあ見ときましょう。
 ところが・・・ところが・・・このお寺にあったものは「宇治橋断碑」。この碑は書道をやる人なら名前くらいは知っているはず。「へ・え・え・・・・こんな所にあったの」


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 宇治橋断碑の説明は省きます。まあ・あ・・・すっかり摩滅して、拓本でも見ないと判読はできません。上1/3ほどが、このお寺の境内から出土。下部は江戸時代に資料にもとずいて復刻されたものといいます。

 このところ、木簡や古文書が面白くなっています。4月からは月イチの古文書教室にも行くつもり。日曜日には京都市美術館別館の「漢字三千年展」も、とても面白く見ましたし、結構年のわりには向学心も旺盛です。

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2017年4月 5日 (水)

桜にせかされて  平城京へ   

 いいお天気。相棒をデイケアに送り出してすぐ奈良へ。今、読んでる光明皇后のお住まいであったという法華寺へ。
 西大寺下車。レンタサイクルで風をきって走ります。爽快!!!桜はまだ少し。でもレンギョウやミモザ・・椿・・・たんぽぽ・・春です。うぐいすも鳴いてる。うれっしい!!!


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 平城京跡を通り越して、まずは法華寺へ。その後、時間があるかぎり平城京資料館で過ごすつもりです。
平城京大極殿前で、奈良に住む弟にTel。全く急なことですけど・・・
「え・え・え・・・???今どこやてえ???・・・うんうん。ほんなら今から握り飯こさえて差し入れるわあ」ですって。



 法華寺は、光明子が生まれ育った屋敷だったと聞いています。父不比等なきあと、そのお屋敷をついでそこに住んだといいます。たしか・・・ここを訪れるのは3度目のはずですけど、知らなかった、知らなかった!!!おおきなお庭を二つ、光明皇后が病人のあかをこすったといわれる湯殿の復元も見て、満足・マンゾク・・・横の井戸は、今もコンコンとわいているそうです。下スケッチはそのお風呂


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 一番見たかった光明子を写したというお像は、「今日法要で本堂には入れません」ということです。又、来ましょう。

 平城宮、大極殿前の芝生で弟と昼食。奥ちゃんお手つくりのおにぎり、サイッコー!!!ア・リ・ガ・ト・ネ
奈良に住む彼は、歴史大好き人間。話しがはずむ・・・けど・・・帰らなくっちゃ!!!
資料館では下の本をゲット

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 相棒の帰宅寸前の3時には帰宅。フーッ

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2017年3月31日 (金)

小さなケーキ

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もおぉ・・・・こんなに長く結婚してたなんて。相棒が元気なあいだは、こんなケーキを用意することもなかったのですけど・・・ホンの10センチ余りのケーキ・・・おいしくいただきましたが、まだ冷蔵庫に1/4ほども残っています。あんなに大食漢の二人だったのにね。

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 先週、美術館に出してたのが帰宅。
病んでるあいだに描いた絵は、もう、見るのも嫌なほどのいやらしさで、結局、以前の描きかけを仕上げて出したもの。息子を探して「あてどない旅」

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2017年3月29日 (水)

ちょっとだけ・・・泣きました

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 昨日、春風にさそわれてママチャリで植物園へ。植物園は、まだ半分眠っています。ゆーっくりゆっくり落ち葉道を歩いて外へ。鴨川の岸部で若者が演奏をしていました。「スケッチしていい???」ってお許しをえて、演奏と歌声を聞きながらゆーっくりスケッチ。うーっとり!!!もう春!!!さむくもない。


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 「ブログにアップしていい???」
「どうぞどうぞ」いかにも育ちのよさそうな優しい若者たちです。
「どこの大学???」
「大谷大学のアメリカ民謡研究会です」

 お・お・お・・・・昨年亡くした次男の卒業校ですよ。
「息子の後輩やねえ。去年死んでしまったんよ。45才で・・・・」
「大先輩なんですねえ」
「東洋史をやっててね。大学院の卒業ゼミ旅行に、‘日韓交流の旅‘ってのがあって、わたしも行きたいって言ったら、つれていってくださったのよ。‘保護者付きの卒業ゼミ旅行は初めてです‘って言われてね。うれしかったわぁあ。」

 

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 観客席は賀茂川のベンチ。ゆっくり聞くフォークローレ
♪ ♪ ♪   In my old Kentacky home for away ♪ ♪ ♪
 なんだかぁ・・・・とてもとても・・・うれしくて・・・
死んだ息子にひょっこり出会えたような・・・みなさぁん 頑張ってね!!!


 植物園は未だ半分眠ってました。


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先週、やっていました「京都水彩展」の、ももりの絵、当ブログの左端、一番下の
ほうきのぶゆき「水彩画と俳句の世界」にアップしてくださっています。ももりのカメラは絶不調・・・持ち主のいうこときかなかったのです。この画面、息子をさがしてあてどない道を・・トボトボ・・・

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2017年3月26日 (日)

おおみえを きったザルカゴ

 人を売り 嘘も平気の 教育者


  100万円 くれた恩人 売りわたし

  アッキーも 野党も カゴにだまされる

  かつぎあげ 金を集めた ひとを売る

  

  ザルカゴの 校舎破れて  春寒し


空からミサイルが降ってくるかも???というのに バカバカしい!!!教育者が聞いてあきれるウソツキ!!!ザルカゴ。学校を作るってんだから・・・
 

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2017年3月21日 (火)

今日から 「京都水彩展」

 昨日は展示作業。京都市美術館は、間もなく改装にはいるということで、毎年よりも一室少なく、すし詰め展示です。昨日、カメラは不調。写真はありません。絵は美術館にてどうぞ・・・申し訳ない!!!スミマセン。

普段なら美術館の常設展とか、特別展とかのお部屋で、ももりの絵はガラスケースの中。もう二度と、ガラスケースの中に入るなんてことはないでしょう。ガラスケースの部屋は作品保護のため、照明がすくなくて、派手な作品はなんとか・・・地味で深刻な色調の絵はちょっと不利です。ももりは????

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2017年3月19日 (日)

火曜日から・・「京都水彩展」

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 明日は美術館へ、展示作業です。あさってから「京都水彩展」ももりの会場当番は日曜日、2時からです。
おついでがあればゼヒゼヒ。

 先日来、もお・お・・・、取り返しのつかない大チョンボをしておちこんでいました。



 この3月で、19年間続けたことになる、月2回の絵の教室。会場の園部公民館が耐震工事に入るということで、教室をやめることにきめました。実際、年齢的にも家庭的にもかなりな無理を感じていたのです。
 そこで・・・皆さまがお別れ会をしてくださることになり・・・それを失念。ちょっとした相棒とのイザコザに気をとられて・・・・なんと、なんと・・・いうことでしょう。行き忘れたのです。大腸癌の術後も、抗がん剤治療でシンドイ時も、相棒の脳溢血にも、次男の死にすら、黙々と行っていた教室を、最後の土壇場で・・・・


 も・お・お・・・かえすがえすも口惜しく・・・
すっかり落ち込んでいました。でも・・・押し入れにある何枚かの絵をもらっていただこうと、額に入れて謝罪のしるしにすることに決めて、昨日、額屋に依頼。ホッとして、商店街をママチャリでボーッと。そしたら・・・・この超ド派手な服を人形が着ていたのです。6900円・・・エイッ。


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 どうですか・・・・ちょっと勇気がいりますけど・・・「オッ!!!」って笑ってくれるかしら???

 落ち込んでも支えてくれるのは、やっぱり本!!!そして・・・このド派手な服???

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2017年3月 6日 (月)

新米歴女

 ももりがえらそうな口をきいて、古代史をウンヌンするようになったのは、実はホンの、この2か~3年のことなんです。相棒が脳溢血で、車いす生活になり、海外旅行はおろか国内旅行すら思うにまかせなくなってから、ってのが正直なところです。


 それまでの、ももりの関心はもっぱら西洋美術史・・・大学時代の授業で「これは本物を見ないとわからない」と思った時から旅は生活の一部でした。ともかく現物を見たいと、時間、お金のゆるすかぎり旅もしてきたつもりです。ま・あ・あ・・・・日本史よりは西洋史の方がラクって感じでした。

 その中で、興味をもちつづけたのは万葉集。これはむつかしすぎます。


  今の関心は、藤原不比等。持統、文武、元明、元正・・・この時期、全くといっていいほど表に立たない「黒子」役者・・・藤原不比等。彼を知らなければ・・・・天皇を神にしたてたのは彼。
 彼は凄い!!!古事記の編纂も、日本書記も、大宝律令も・・・すべてに彼の影がさしながら、自らはおもてには出ない。天皇を神にしたてたのは、彼の他にはいない・・・というのが新米歴女ももりの見解です。息子たちになると、もう、目立ちたがりの権力欲の強いいばりたがり。


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 少し暖かくなるとお尻がムズムズ。鳥羽離宮跡をたずねてみました。今は広い公園だけ。そのあと、城南宮へ。ここの枝垂れ梅は有名です。


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 下は大好きな梅宮大社

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2017年2月21日 (火)

対決 光明子

これは一体????
ちょっとめんどうなお話なので、興味のないお方はスルー、スルー お願いいたします。

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 橘諸兄・・・彼は美努王(みぬのおう)と県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)の子のはず・・・・
ところが・・・・・「聖武天皇」中西進には・・・・
 諸兄は美努王の妻であった県犬養三千代の子、いわゆる5世の王であって(王家の子孫)天平8年11月に橘の姓を賜って臣籍に降下する以前は、葛城王と呼ばれていた。藤原不比等との間の子供である????ですって????


 そのあとも何度も、諸兄は不比等の子とあって!!!え?え?え???れはおかしい!!!んじゃない???それじゃあ、光明子と兄弟ってことになるじゃないの。確かに義兄弟ではある。母は同じ県犬養三千代、後、橘姓をたまわって、橘三千代と名のった人物。先夫、美努王を左遷させた上で、不比等が近づいて、光明子を生んだはず。営々と続いた藤原氏の基盤を、周到に王家にまつわりつかせた曲者中の大曲者、不比等。だから諸兄は先夫の子。光明子とは父が違うはず。
 最先端の売れっ子学者先生、中西先生・・・あ・あ・あ・・・・聞きたいなあ???


 作家によって、いろいろ解釈ができる程度に古代史は不明瞭な部分を残してるから、かえって創造・・想像力で補えて、スト-リーを作れるってことですよね。


 でも・・・葉室麟「緋の天空」 これはひどい!!!唐鬼という鬼が呪(しゅ)をかけて光明子と対決。これは光明子の圧勝・・・てんですから、非科学的でありすぎる。

 ア・ア・ア・・・・・・自分で小説が書けたらなあ!!!!な・あ・ん・て・ね。

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 スケッチは梅宮大社。橘諸兄と橘三千代母子によって発願された神社です。もちろん・・・大昔のままのではないでしょうけど…家からはママチャリで25分。ちょっと寒いけど・・・行こうか???
 梅はもっちろん!!!素晴らしいにちがいないんです。

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2017年2月14日 (火)

「キサキの大仏」奥山景布子(きょうこ)

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 「キサキの大仏」も・お・お・・・・おもしろいのよねえ。昨日借りてきて、一晩でほとんど読了。
正倉院、天平時代・・・学者先生方の書かれたものは、いくらやさしくわかりやすく書いていただいてても、コチトラの頭には、なっかなかぁ・・・ね。

 ついに、ついに…小説仕立ての天平時代を図書館でさがしました。 今は・・・もう、ももりのイメージはすっかりふくらんで、できることなら、自分で小説を書きたいくらいです。
 聖武天皇、光明皇后、二人の娘、阿部内親王、後の孝謙女帝。藤原仲麻呂・・・複雑な血脈の流れや、時代の区切りが、大丈夫!!!頭に入っています。

 あらためて・・・ふうーん・・・・よっく調べてあるなあ。こんなやったやろなあ!!!

 こういう世界がある限り・・ももりは大丈夫。冬の寒さも、相棒の介護も・・・・いろいろ・・・負けない!!!
「風土記」は児童図書館から。早く読みたぁあい!!!


 今日はバレンタインデーとか???相棒が元気だったころ、お嬢さんがたからチョコチョコもらってたものですが・・・実は、私も食べてました・・今では誰もくれないから…かわいそうですから・・・私があげます。

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2017年2月13日 (月)

お教室の新年会

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 どうですか・・・みなさん美しいでしょう???ももりのささやかな書道教室の新年会です。
「センセ 顔見て生徒さん決めてるのちがう???」って言われるくらい若くて美人ぞろいなんですよぉおお!!!
勿論、書道においてもすばらしい方々です。


 お食事は京都御所の近く。「予約のとれないお店」ティアレです。お料理は、それは、もう、おいしかったのですが、食べるのとおしゃべりに夢中で、カメラを思い出しませんでした。


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2017年2月 9日 (木)

大きなおおきな淡雪

 こおぉんな 大きな ぼたんゆき
見たこともないほど 大きな ぼたんゆき   あわゆき
      お昼 1時ころ   
      今はもう止みました


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  バケツに黒い布をかぶせて撮りました。黄色い鉛筆と比べてみてください。


 3年近く前、メキシコ旅行のあいだに、急に具合が悪くなって、帰国後、すぐ手術。大腸癌でした。やっと、半年、抗がん剤治療が終わったと思ったら、入れちがいに主人の脳溢血。びっくりして、なんとか介護しているうちに去年の次男の死・・・パソコンは、もうほったらかし。じっくりページを整えなくっちゃと思いながらもほったらかし。久しぶりに昨日いろいろ触って、かえって変になってしまいました。みなさまのページとかも・・・たどりつきにくくなって・・・ごめんなさいね。

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2017年2月 7日 (火)

光かがやいたか 光明子

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ッタクーー、全く・・・本って面白い!!!。先日書いたももりの記事をどうやら訂正しなくてはならなくなりました。光明子について・・・
・・・・確かに頭がいいとは言っているが、美人とは一言も書いてない。法華寺の十一面観音は、光明子を写したと言われるが、これは嵯峨天皇の妻の檀林皇后と混同されて生まれたのであろう・・・・と手きびしい・・・日本の歴史ーー奈良の都ーー青木和夫より

 ももりも思います。光明子は、ともかく深く仏教に帰依して、全国に国分寺、国分尼寺をたて、多くの写経をさせ、仏教に夢中でした。でもねえ・・・彼女が皇后になるためにはれっきとした皇位継承者であった長屋王の粛清がありました。王の息子4人、奥方も後をおいました。奥方は天智天皇の後裔ですのに。おなじ、長屋王の子供4人、不比等の娘、光明子の妹から生まれた4子は、おとがめなし。
 しかし・・・その後、恐れていたことが起こります。彼女を聖武の妃の座に送り込んだ藤原不比等の息子、4兄弟。あの鎌足の孫が次々と天然痘にねらい撃ちされて死んでいったのです。4月17日、次男房前、7月12日、4男麻呂、7月24日、長男武智麻呂、8月5日、三男宇合(うまかい)
 そりゃあ・・・仏教にでもすがらなくっちゃ、心の平安はえられない!!!

 

4兄弟の死んだ737年(天平9年)は5月11日、日触。この夏は旱(ひでり)で田植え時に水もなかった。
そして・・・聖武天皇の朝廷では病魔は朝廷の重臣たちにも次々にもおそいかかりました。
 おそろしい!!!

 光明子と聖武の間に阿部内親王がうまれたのは二人が18才の時。二人は同い年で、光明子をどうしても皇后の座に確定しなければならなかったのは、聖武の別の妃が同じころ、皇子を生んだからです。どうしても一族から次期天皇を出すためには、光明子を皇后にしておかなければならなかったのです。


下の「宜」の字、聖武天皇と光明子、二人とも19才、の時に生まれた第一子。阿部内親王、後の孝謙女帝のサインです。「薬が必要。もう買うこともできないから正倉院から持ちだします」「よろし!!!」とサインしてますよ。

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 長屋王は天武天皇の第一子、高市皇子の息子です。もっとも皇位に近かった人物でした。朝廷では左大臣でもありました。729年、2月10日、左道をした・・・という・・・のろいのまじないをかけたから、光明子の第一子が死んだのだ、といういいがかりをつけられて、誣告のあった翌日に殺されました。尋問したのは舎人親王と新田部親王。この二人、後の皇位継承争いに登場しますから、どうして身内をおとしめたのか??という事情もおいおいわかってきます。 
 

 光明子は、聖武天皇が死んだあと、紫微中台という部局を作ります。皇后、皇太后つきの権力基盤を確立し、それにのったのが藤原の仲麻呂。孝謙女帝の跡をついだ淳仁天皇の時、恵美押勝の名をたまわり、権力を確立しますが、あっというまに、淳仁天皇は皇座をおろされ、孝謙女帝は称徳女帝として再び玉座にもどりました。やがて、女帝の寵愛は道鏡にうつり、仲麻呂は叛旗をひるがえしますが、敗れました。
 下は道鏡、一切経を請うているようです。

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 長屋王の住まい跡は、奈良そごう百貨店ができた場所で、発掘当時、多くの木簡がでています。それらは、平城宮跡の博物館に展示保存されているそうで、ずーっと前から行きたくてたまらないのです。もう少し暖かくなったら、相棒をほったらかして、行くことに決めました。


 ももりが子供だった頃、父は毎夜、黙々と書の臨書をしていました。その前の墨だらけの真っ黒な机で、宿題などをするのが毎日でした。ある日「それ、なんて書いてあるのん???」ってききましたら「さ・あ・あ・わからん」というような返事。「わからんでもええのん???」ってききますと「ええ」って言う返事でした。
 以来、ずーっと、わからなくても読めなくてもいいと思ってやってきたのは、実に、実に、もったいないことでした。読むべきでした。お・そ・か・り・しぃ・い・い・・・

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2017年2月 3日 (金)

トップに立つ人

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トップに立つ人って・・・何より大事ですよねえ。上のは???困ります。
あまりに寒くて、お外にも出られず、パソコンをいじっていましたらこんな写真がありました。たしか・・・・バルセロナの蠟人形館だったか???お隣はブッシュさんとブレアさんみたい???トランプ氏でないのが残念です。


 
 
こう寒くてはスケッチにも出る気にもならず、おまけにカメラの調子も絶不調。修理から戻ってきましたら、なんとか???今日は節分。京都の町をフラフラしていたら、鬼に出会えるかもしれないなあ。あちこちで、鬼が出没する京都の町です。



 「きさらぎ」って言う言葉が大好き。ひびきが好き。イメージが好き。キラキラと輝きゆらぐお日さま、かすかな風のうごきが、き・さ・ら・ぎ・・です。
 

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2017年1月31日 (火)

聖武天皇と光明皇后

 

 正倉院のお宝は、光明皇后が納めた当時は740点。現在まで残っているのは、150点ほどなんだそうです。勿論、後の時代にも、多くの天皇や貴族が宝物を追納し、あるいは持ち出し、現在の正倉院のお宝の点数は一万点余・・・破損した、かけらも大切に保存され、正確な数はあげられないんだそうです。

  下は光明子「楽毅論」王羲之の臨書。光明子44才の書です。何しろ日付けがある!!!

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 下は、聖武天皇「雑記」拡大・・・どうですか!!!31才にしてこの書を書かれたというのです。この天皇の行動は破天荒で、常人ではないようですが、31才でこの書をモノする・・・凄い!!!取り巻いた周囲の人間のレベルの高さをおもいますと、驚異的です。

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光明皇后、光明子。光かがやくように美しく利発だったといいます。ご存じ、聖武天皇の奥方です。仏教に深く帰依し、施薬院を作り、孤児や病人を世話した。病人のうみを、自ら吸い取ったといわれ、これ以上慈悲深い方はいないと、ももりもどこかで聞いていました。今までの知識では、どちらかと言うと神経質で気の弱い夫、聖武、対するに、おしかけ女房のこの強い奥方。尻の下に敷かれていた???イメージでしたが、この書を見ると常人ではありません。天才!!!しかも、非常に強靭な、粘着質な、あるいは強靭すぎる???意志を感じます。その、夫の死に際しては、「これらを見ているとつらく悲しくて、耐えられないから、遺愛に品々を東大寺の献納する」と書き添えています。それらの品々を収めたのが正倉院というのです。

 しかし、一方、彼女は皇族以外から皇后になった、それまでとはちがう出自です。臣下であった藤原不比等の孫娘です。母親は県犬養美千代(あがたのいぬかいのみちよ、後の橘三千代)。皇族以外の血、藤原の血が持ち込まれました。聖武天皇の母親、宮子も、不比等の娘ですから、血は非常に濃いのです。この光明子の皇后位には強力な反対者がありました。長屋王です。長屋王は天武の息子、奥方は天智の娘です。皇位に一番近い存在であった長屋王は、突然の謀反の疑いでうむをいわさず詰問され、2日後に自害します。4人の息子も奥方も自害して果てました。そ・・し・・て・・・10年後・・・不比等の息子4人・・・次々に疱瘡でなくなりました。

 光明皇后と聖武天皇の間に11年目にしてやっと生まれた待望の第一王子、基王(名前もひょっとしたら某・・・なにがし王であったかも???)は、1歳にもみたぬ間になくなり、皇太子は娘、安倍内親王に.、後の孝謙女帝です。聖武が死んだ時はすでに、もう、この一人娘が皇位についていましたが、母娘して自分たちの身近に権力を引き付け、権力もたせたのが、藤原仲麻呂・・・・サインを見てください。この男、やがて自分の押した天皇、淳仁天皇から恵美押勝という名前をもらいます。この男が正倉院遺物の謎を握るキーポイントの人物・・・というのが、「正倉院の謎」の主張するところです。

 聖武天皇は、奈良の都から信楽宮、  恭仁宮、難波津の宮をさまよう歩くこと5年。あげくの果てに、再び奈良に大仏を造ることを実行しました。さまよう間に天皇の玉璽・・・天皇の認め印、権力の象徴・・・がどこに保持されていたのか???聖武天皇の命令によって。、信楽宮にでかけた皇位を継ぐべき安積親王のなぞの死、17才・・・聖武の一生は、実は藤原氏との戦いの生涯・・・というのが、「聖武天皇」中西進です。
 尻にしかれてた天皇様なんて、ももりは不敬罪ですよね。

 

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 結局、民衆の大変な負担の上に大仏は完成し、全国に、国分寺、国分尼寺がつくられました。


 ♪♪♪   そとは 木枯らし きたの風
 さあさ みなさん なつかしい
 おとぎ話の  冬がきた  ♪♪♪

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2017年1月29日 (日)

いつ???誰が???

 
 ちょっと、人様に読んでもらうにはトンがった中味ですが、自分のためにメモします。
どうぞ・・・興味のないお方は、どうぞ、スルー・・・・スルー・・・してくださいませ。

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 どうですか・・・・しっかり「大小王真蹟書一巻」とあるでしょう???大小王とは、王羲之と王献之父子のことです。その後ろには・・・先帝之玩好遺在・・・とあります。先帝が愛玩してたというのですね。下は左端・・王羲之・・・・の文字が見えます。

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 二十才代から書道をやって来て、なんで今まで・・・と、悔しい思いをしているのが、こういう文書を読んでみようとしなかったこと。残りの人生では時間がたりない大きなテーマが目の前に広がった感じです。


 むつかしいですけど、上の写真は東大寺献物帳5巻のうち、国歌珍宝帳とよばれる記録です。こうはっきり記録に残されているのですから、王羲之の真蹟は日本に確かにあったでしょう。日付まで「天平宝字6月1日」とあり、光明皇后の「奕世の伝珍」・・・・と書きこみがあり、藤原の署名、サイン入りです。他に、王羲之書法20巻、屏風、歐陽詢の真蹟とかもあったといいます。


 しかし・・・この正倉院に献納された、お宝の数々は、書だけでは勿論ない。政権の象徴である天皇玉璽から駅鈴、他に膨大な武器も一切収められた、そのうらには、とんでもない謀略が渦巻いていた・・・というのが「正倉院の謎」の主張です。
 読めばよむほどナットクーー!!!

 つまり・・・大仏開眼をまたずになくなった聖武天皇が、5年間にわたって、紫香楽に大仏を造ろうと民衆を狩りだし、その後、恭仁宮、難波宮へとさまよい、病を発して平城宮に戻ったあいだの政治のみだれ、民衆の苦難。叛乱もおこりました。そして、聖武天皇の死後の混沌とともに、表舞台に躍り出たのが、藤原仲麻呂・・・のちの恵美押勝・・・・しっかりとサインがあります。

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 聖武の跡をついだ孝謙女帝の側近として権力簒奪をはかり・・・しかし・・・女帝の寵愛は、やがて道教にうつり・・・果ては、叛乱・・・敗死・・・・・・当分、ドキドキが続きそうです。

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2017年1月25日 (水)

久しぶり  ゾッコンな本「正倉院の謎」

 ご存じ、奈良の正倉院。世界遺産。奈良の都に唐王朝の文化をもたらした、聖武天皇と光明皇后の天平時代。聖武天皇の死後77日に、なき天皇の遺愛の品を光明皇后が、追善供養とて、東大寺に寄進したお宝、絶品の数々を収めたお倉です。 


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 ちょっとオカターイ本ですが、そっりゃあ!!!お・も・し・ろ・い!!!

 以前アップした「書と漢字」魚住和晃をよんでいまして、「あれれ???」と思ったこと。それは正倉院の宝物、元は700点以上あったのが、現在は百数十点に減っているというのです。天皇の勅許が無ければ持ちだせないおタカラを持ちだして、返さなかったヤツがいっぱいいる。一体!!!???どこのドイツが???

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 正倉院・・そもそも、正倉院というのは、一つの建物ではなく、正倉、薬倉、油倉、経蔵とか、いくつかあって「院」とは、境内のことといいます。
 正倉院の宝物は、聖武天皇が死に(756年5月)、悲しみの光明皇后が、生前の天皇が身近において愛した品々を77忌に東大寺に奉納したおたからから始まります。同年、6月21日に一回目、2年後の7月、6月、10月と続いて、その数、700点以上あった、というのです。奉られた品々にはキチンと目録があり、「東大寺献物帳」(国歌珍宝帳)が、見事な筆跡で記録しています。その中には、もう、本家中国にはとっくになくなり、日本に何点も残った王羲之の書があった・・・といいます。

 ももりは、これでも、20才代から書道を続けてきた人間です。改めて、聖武天皇や光明皇后のお書きになった遺品を見ますと、本当にその力に驚きます。しかも、30才代で書かれたものといいますから、書いた本人も凄いですが、指導した取り巻きのレベルが凄いにちがいない!!!

 これらの書や遺品から、天平から平安への当時の精神風景が生き生きと伝わります。唐帝国がもっとも栄えた時代、日本と唐を行き来した知識人たちは、最高級の文化や学問、芸術を日本にもちこみ、日本人も必死に学んだという時代です。


 


それを・・・なんとも安易に持ち出して、ある時は安く売り払い、またはどうしたのか、ネコババして???返さなかった者が凄く多いというのです。中でも、書の絶品をなくしてしまった張本人は、嵯峨天皇!!!というじゃありませんか。・嵯峨天皇といえば京都の人間にはとてもしたしいお方です。奥嵯峨には御陵があり、ももりも何度もお会いに行った天皇様です


 嵯峨天皇、平安の三筆、空海、橘逸勢(たちばなのはやなり)とならぶ三筆の一人で、超一級の書の書き手として名を残した人ですが・・・このズボラさは、許せなぁーい!!!


夢中になる本が身のまわりにないときって・・・何ともうつろでさびしいです。多少依存症の傾向あり。この2~3日、寒さがこたえたのか久しぶりにダウン。3日程食べずに寝ていましたら、何とか、昨夜はビールをのみたくなり、ちょっと食べたくもなってきました。やっぱり、ももりはビールを飲んで、プールに行ってなくっちゃ・・・ね。


 もうちょっと書きたいけど・・・書くのも読むのもむつかしい!!!一番右の大きな本は父が所蔵していた本。ほとんどかえりみることなく本棚に死蔵してたのをひっぱりだして観察。すごい!!!それにしても、56才でなくなった父のレベルには到底至らないわが身のフ・・ト・・ク・・・

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2017年1月24日 (火)

可愛いお仲間

 サッムーイお外ですが・・・窓からこんなお客様が来てるのが見えます。雀よりはちょっと小さいみたいで、目の周りが白いから・・・メジロ???さん???

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  ホラ  向こうにもう一羽見えてます。


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 仲良く 二羽並んでおやつタイム。 こんなせまっ苦しい中京ですのに、よおくいらっしゃいました。

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2017年1月12日 (木)

おカアさん おばちゃん おばあちゃん・・

 穏やかなお正月でした。家族もそれぞれの日常に戻りました。


新年は頑張ってプールへ。
「おカアさん ようがんばるなあ!!!」って声をかけてくれたのがイケメンのおっちゃん。お隣の上級者用コースでよく見かける方です。 これがぁあ・・・もし「おばちゃん・・・」とか、勿論「おばさん」「おばはん」とか、モッチロン!!!「おばあちゃん」ならいややねえ。「おカアさん」ならいいっか???生んだ覚えはないけどね。「アリガトネ」


 お誕生日。ももり、76才。お習字の生徒さん二人姉弟、5年生と3年生からこんなかわいいプレゼントをいただきました。えりまきとストッキング。やっぱり、モダン!!!今風!!!感覚が違うってのか、ももりの身の周りのダサイのとは、まるでセンスがちがうのよねえ。うれしい!!!アリガトね。
 

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 先日、スーパーで前の人から、ハラハラと・・・???あれ・れ???5000円札じゃないの!!!
「だれかぁ!!!大きなお金落としましたよ」
 前にいた二人が何やらゴチョゴチョ。え・え・え・・???ケンカしないでよ!!!
小柄な男性とスラッとした長身のべっぴんさんの女性・・・この二人、カップルだったらしく「メッチャ ア・リ・ガ・ト」って穏やかにいきました。よかった、よかった!!!
 下は今読んでる本です。


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2017年1月 2日 (月)

あけまして

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 新年が 皆さまのすばらしい年でありますように 祈っております。

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2016年12月29日 (木)

古代ギリシャ展 神戸市立博物館

 暮れも押し詰まっていますが、やっぱり外が好き。昨日は映画「海賊と呼ばれた男」をみてきましたし、今日もマタマタ・・・・相棒を送り出してすぐに神戸へ。3時には帰っていなくてはなりません。
 実にすごい展覧会でした。地味な展示ですが、内容は濃い!!!これだけのものをよく日本へもってきてくれました。


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 ギリシャ文明の最盛期、あのパルテノン神殿が建てられたのは、実に紀元前500年代。しかし、それよりも3000年も前に栄えたミノア文明。クレタ島です。どうしてもこの島を訪ねたいとクレタ島を訪ねたのは6年年前。まだ元気でまるまる太っています。

 

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 スケッチは朝のクレタ島。イラクリオン考古学博物館こそ・・・世界で最高の博物館と信じます。小さな地方の美術館ですが、5000年も前の人間達の健やかさ、豊かさ、あふれる健康美、文化。日本ではまだ石器時代でしょうか。エーゲ海を船で縦横無尽にのりまわした海洋民族は、やがてギリシャ本土からやってきた青銅器や鉄の武器をもつミュケナイ人に滅ぼされました。

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 明日はもう少し、ももりのうんちくを・・・いえいえ・・・夢の世界をつぶやきたいなあ。
今年、食いしん坊の次男はもういないし、次男の家のおせちも必要ない。長男は大晦日に帰宅。2日にはお嫁さんの家に。釣りキチはできるだけ早く四国へ釣りに・・・今から気もそぞろです。
 二人だけのお正月には、たいしていらないしなあ!!!

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2016年12月27日 (火)

中島敦「父から子への南洋便り」

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「死者の書」の中島敦が、これは又、まるでちがった一面をみせます。彼は、南洋・・・サイパン、グアム、ロタ島などに太平洋戦争開戦の直前に派遣されますが、健康不安により帰国。南洋からせっせと妻と幼い二人の息子に送った手紙集が「父から子への南洋便り」です。
 



 これは、心洗われる一冊でした。中島敦、33才にて逝った若き天才。「李陵」「山月記」は随分前に読んでいまして、本棚から又引っぱりだしました。もう一度ゆっくり読み直しましょう。


 原文は、現地人のことを「土人」と呼んだり、「日本海軍は強いなあ」と飛行機の絵ハガキに書きそえたりしていて、戦後、出版がばかられたものとみられ、まとまって未発表で残っていた、とありました。全く、差別用語なんて・・・誰が考え出したのやら????妙にへりつくをこじつけて言葉を曲解して、多感で多彩な表現の邪魔しています。



 やっと文字が読めるようになった息子に、懇切に南国の食べ物や景色を伝えています。妻へもせっせと、実に筆マメです。中々教育パパで、そろそろ音楽を聞かせないと、とか、文字が読めるようになった兄ばっかりではかわいそうと、弟にも書いています。


 東大卒のエリートの中島敦の任務は、現地の教科書の実情と改善のため・・・のハズですが、彼は教科書うんぬんには、もはや絶望していると書いています。
 いばりちらしている日本人教育者におじけづく子供たち。はだしで食べ物にも困る子供たちには、教科書の改善どころか、もっともっと必要なものがいっぱいある・・・・と、妻に吐露しています。下スケッチは、先日植物園の温室にて


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2016年12月24日 (土)

大津皇子が死の瞬に感じたこと

原文のまま・・・・其瞬間、肉体と一つに、己の心は、急に締めあげられるような刹那を通った気がした。そうして、ほんの暫らく、ふーっとそう考えたきりで・・・・空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も去った・・・・おれ自分すら、おれが何だかちっとも決(わか)らぬのものになってしまったのだ。
  ああ、其時きり、おれ自身、このおれをわすれてしまって・・・・折口信夫「死者の書」より(原文のまま)



 人が死ぬ瞬間,、命があの世へと移る瞬間を描いた文学を、ももりは他に知りません。
折口信夫は33才で妻と二人の子を残して喘息の発作でなくなりますが、苦しい発作をくりかえし、何度も死と遭遇したのでしょうか・・・死とは…一体、本人にとっては、どんな感覚でやってくるものか???

 ももりの次男は、今年2月26日、突然に死にました。心臓が急に動かなくなったらしい。苦しんだ後もないちょっと笑ったような口元には少し歯がのぞいていました。
 息子が死の瞬間、どんなことを感じ、何を思ったのでしょうか???お嫁さんのこと???ちょっとはももりのことも???

 急に締めあげられるような刹那を通った・・・・のでしょうか???


 「死者の書」が描く、この死のあるじは、大津の皇子。かの持統女帝に死を賜った・・・さ・あ・あ・・・打ち首なのでしょうね。もっとも死を給うのは、殺されるよりは名誉ある死だったというから???あまり考えたくない話です。


 春過ぎて 夏きたるらし 白妙の 衣干したり 天の香久山

  
 どうですか!!!この実に堂々たるおおらかなお歌・・・あまりにも有名な持統女帝のこのお歌からは、自分の息子、草壁皇子を後継にするために、無実???事実か???罪によって死を命ずる激しさも秘めているのですねえ。しかも、みずからの同腹の姉と、あれほど愛した夫のあいだに生まれた甥です。


 優秀で人望も高かった大津皇子のお歌は万葉集につとに有名です。その弟をいたむ姉のお歌も肺腑をえぐります。ここでは、もう説明はやめましょう。
 その二上山・・・・奈良と河内の県境です。


 スケッチは京都…船岡山   ちょうど京都の町をお多福さんの顔になぞらえたら・・・おたやんの低い鼻・・・標高102メートル

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 下は嵯峨野、野々宮神社・・・もう観光客も少ない・・・・冬です。


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2016年12月20日 (火)

当麻寺と中将姫

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 折口信夫「死者の書」難解と言われるお話ですが、ももりは理解しようとは思わないなあ。イメージを温めながら、この一風変わった文章を味わう、なぞる・・・・歴史の背景に空想を飛躍させたいものです。

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中将姫とよばれたやんごとなき姫君・・かの皇極女帝の目の前で蘇我入鹿を殺した若き中大兄皇子と藤原鎌足。その鎌足を曾祖父にもつ、さとくうるわしい女性です。天性の政治家、藤原不比等は祖父、その長男、豊成の娘がこの物語の芯になる、中将姫・・・


 大和、葛城の里にそびえる二上山、雄岳、女岳の真ん中に夕日が沈むのは春分秋分の日とか。二上山雄岳の頂上に大津の皇子の御陵があると聞いて、ももりが一人、二上山に皇子に会いにのぼったのはいつだっけ???、当時、大津皇子にあこがれて、一人で登りにいきました。あの山はけっこう、キツイ。今の足ではもう無理です。


 
 深窓に育てられた高貴な中将姫は二上山にあらわれた大津皇子の霊にまみえ、誰にもみとがめられることなく、一人、この当麻の地へと出奔します。かの昔、非業の死をとげた大津の皇子の魂が・・・死者がよみがえる時・・・・



 
 

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 国宝「当麻曼荼羅」は天平宝字7年(763)、中将姫が蓮糸を5色に染め上げ、綴れ織りで織り上げたといわれています。

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2016年12月14日 (水)

今年の漢字  「耐」

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 大掃除・・と、いうか・・・たたみを新しくするついでに、本棚の整理。百科事典をゴミにだしました。なんとなく罪悪感。「ごめんね」時代がすっかりかわりました。今では、パソコンでポイッ!!!


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 上の4冊は、先日あっというまに読了。すごい!!!素晴らしかった!!!今日は朝から冬の雨。もうスケッチブックを持って出かけという楽しみもムリ。冬ごもりですかねえ。

 新しく借りてきた本。これが・・・・すっきりしない本ばかり。本依存症みたいなももりですのに、うれしい本がないと・・・干だるいような感じ。何日か食べてない時みたいに魂に力が入りません。


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 高峰秀子さん・・・これは一晩で読了。以前ハマったこともあって、スンナリ。次は「死者の書」折口忍・・・これは・・・難解です。じーっくり、とりくまなくっちゃムリみたい。


火曜日はプールも図書館もなし。たたみ屋も来る。外は冷たい雨。林扶美子でも読みましょう、とゴロゴロ。これが良くなかった!!!「パリの恋」林扶美子の日記です。


  林扶美子「パリの恋」・・・・実に、うっとおしい!!!も・お・お・・・・イヤッ、と思いながら、読んでいますが、こちらもウツになりそう。「放浪記」で入ったお金を懐に、単身パリへ。しかし・・・日々の生活はたちまちひっぱく。「書かなくっちゃ、書かなくっちゃ。金のため、金のため」脅迫観念のように、文を書き、満足できないながら日本へ送ります。友人たちとの交流も決して楽しいものではない。イヤナヤツ・・・という言葉がひんぱんに出て来ます。誤字だらけ

 


 夜、眠れないままに読み継ぎます。隣室はしつっこく相棒がTVでなんかスポーツの実況を見てる。耳の底にこびりつくようにとぎれなくつづくTVの音。消そうと起き上がってコントローラーをさがしますが、どうしても見つかりません。も・お・お・・・・キーッ!!!
 え???ここはどこ???パリ???はっと目が覚めて、ここは中京のわが家でした。目がさえてしまって、又読み継ぎます。そういう朝は目覚めからぐったり疲れています。
  眠ってる時の方が起きてる時よりくたびれるなんて・・・こ・れ・は・・・つらいなあ!!!


 ももりが一番うれしくフカフカしてられる時は、なんといっても、スケッチをして歩きまわれる時。さ・あ・あ・・・これから・・・次の桜の時まで・・・・う・う・・・・今年の漢字は「耐」です。

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2016年12月 9日 (金)

シンムケゲムケゲコ・・・

のめりこめる本がない時の寂しさは・・・なんとも・・・たよりない。 


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本来、あまり宗教的でないももりですが、次男が死んでから般若心経をあげています。勿論、訳はわからないんです。 ふと、立松和平「仏と自然」が目に留まり、借りてきました。仏教の解説書らしい。他の3冊のエッセー集は簡単に読みましたが、どうも好きにはなれない感じ。なんか・・・・聞きなれたお説教みたい。自己肯定というか・・・自己撞着っていうか???安易な感じ。一方、般若心経は全然わかりません。仏教の奥義なんて、ももりの脳ミソにはむり???
 それまで読みふけっていたボナッティーや、植村直美、野口健(これらはアップし忘れて図書館に返却してしまいましたが)・・・命がけの冒険、激しい生命の充足。生と死との一瞬を分ける理性と強固な意志。許してはくれない過酷な自然、しかし、その美しさ、神々しさ!!!感動します。その緊迫感が強すぎたからか???


 シンムケゲムケゲコ・・・って・・・ッタクー・・・なんの意味やろ???

 人間だけの命が大切なわけではない・・・そう思っています。
結局・・・今、ももりたちの暮らしって、結構修行かもしれないなあ。相棒は病気をうけとめて、我慢強くおだやかにしています。と、いうか・・・最近穏やかになってきました。結構激しかったようでしたけど。一方、ももり・・・一日の休みもなく3食を枕元に運び・・・イエイエ、デイケアーの日は昼食はいらない・・・でも、本当に大変になるのはもっと先???逃げることはできず、日々の無事を感謝して平穏に過ごします。これって、禁欲的な修行生活じゃあない???

  


  1年、3500円で無料の市バスのパスを使ってフラフラ。相棒がデイケアの日は3時には帰宅。在宅の日は昼食後。短い時間ですが小マメに出歩きました。相棒はもうあまり出たがりません。「行っといで」って言います。いない方が気楽らしい。


 今日はもう冬の風。スケッチがいっぱいできた幸せな秋でした!!!。冬の間は、又、プール。セッセと泳ぎましょう。やがて、又、めぐってくる春!!!京都の桜は、そりゃあ!!!すばらしいんですから。

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2016年12月 6日 (火)

吉田山登山 標高105,12メートル

 紅葉もそろそろ終わり。お外を歩きまわりスケッチをするにはちょっと寒い。でも、キラキラきらめく陽光を見れば外に出ずにはいられまんせん。ということで、今日は又々・・・吉田山へ。標高は、たかが105,12メートル。京都大学の裏山です。山頂からは大文字が真正面。登ってる人も見えます。

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 有名な三高(現京都大学)寮歌がひとりでにでてきます。人影もない落ち葉道。。不思議なことに登りは案外平気です。下りが・・・ねえ。


 
♪♪♪紅もゆる 岡の花
 さみどりにおう きしのいろ
 みやこ花に うそぶけば
 月こそかかれ  吉田山♪♪♪


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 一人だけ、この学校へ受かってくれた子がいます。一生の内で一番うれしかった日やったなあ!!!

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2016年12月 3日 (土)

ぶっ飛んでた江戸時代の女流画家 玉蘭

 この日も又、フラフラ。相棒をデイケアーに送り出してフラフラ。無料パスで「真如堂」下車。いつもは正門から入っていましたが、今回は裏門から。急な階段を登ります。

 真如堂をゆっくり拝観して、人けのない墓地をのーんびり。もう、足がダメで、急ぐこともできませんから、お墓の方が近道。おや??おンや???

 「おンや????」草仮名で「池玉蘭の者可」とあるような???「へ???あの玉蘭のお墓???」
 玉蘭はたしか・・・池大雅と共に住んで、祇園石段下で絵を売ってたという奔放な女流の文人画家のはず。でも・・・江戸時代でも亭主の姓を上につけるのかしら???それにぃ・・・ひとりぼっちで、道端に石碑が傾いてあるのはやっぱりお墓???ちょっと疑問に思って、スケッチもせず、帰宅してパソコンに聞きますと、やっぱり「池玉蘭」でバッチリ出てきました。

 玉蘭、池玉蘭(1727~1784)祖母、母ともに、歌人。池大雅29才、玉蘭25才で結婚。祇園石段下に扇子屋をひらき、絵を売った・・・とあります。「亭主の墓になんか入るもんか」と言ってたとか・・・いつか何かで読んだ覚えがあります。亭主の池大雅も旅が大好き。家はほったらかして遊んでた・・・というか・・・当時って、行く先々で豪農とか、商人の家とかお寺とかに泊まって一宿一飯のお礼は絵で残した・・と言う時代だったようで、旅先の各地で絵を残しています。ある意味、庶民にも豊かな文化に手が届く時代やったんやねえ。真如堂の墓地に、亭主と離れてほおむられてる。噂にたがわぬ、しっかり独立した女性やったんやなあ!!!、

 

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 ひっそりした境内は、紅葉は少しさかりをすぎて、でも、まだ十分に美しいです。
もう一つ。面白い石碑をみつけました
 

 
 「多天可波さ九朗」・・・草かなで、「たてかわさくら」です。

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 横の解説板によりますと、春日局が、父、斎藤利三の供養のために植えた桜で、幹は1メートルほどもあったが枯れて、今のは新しく植えられた木だとあります。春日局はおなじみ、徳川3代家光の乳母。父、斎藤利三は明智光秀の重臣。山崎の合戦で秀吉に敗れ、近江堅田で斬首。母親は稲葉一鉄。
 楷書や篆書で書かれた墓碑は、見過ごしてしまいますが、かな文字のお墓となると、ついつい読もうとおもいます。ええもんやなあ。

 

  これはこれは・・・・楽しいなあ!!!もう海外も、国内旅行すらできなくなったももりですが、京都中京に住まう限り、ほとんどお金も使わずに、楽しみは無限にありそうです<

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2016年11月30日 (水)

古都初冬 鹿ケ谷 (ししがだに)

 今日は、又、鹿ケ谷へ。鹿ケ谷ときいて、ピンとくる方は、歴女??? そう、後白河上皇は、力を持ち過ぎた平清盛を一気に追いおとそうと、鹿ケ谷山荘で平家打倒の謀議をこらします。ところが、クーデター計画はあっけなく発覚。一味はことごとく打ち首、配流・・・ところが、これには、清盛の陰謀だという説もあるそうです。


 下、スケッチは、霊鑑院。画面、右はしの石柱には「此奥俊寛山荘地」との文字があります。僧都俊寛はこのクーデターの黒幕。鬼界が島に流され、都を恨んで悶死します。のちのち怨霊となって、たたりました。
 ゆーっくり上っていきました、それは、もお・・・美しい晩秋、というよりは初冬の谷の景色です。落ち葉をはいていた方にたずねますと、「山荘跡はこの山の頂上にあって、道もなく、一時間ほどかかる」と気の毒そうに、私の足をながめました。も・お・お・・・あきらめましょう。でも・・・何とも寂れた荒谷は、はや冬のけはい。お隣はノートルダム女学院の修道院。

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 その後、安楽寺院と霊鑑寺を見学。


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 まだ少し時間があったので、泉屋博古館へ。それは次回


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2016年11月28日 (月)

I am an appo-(アッポー=阿呆)

  I am an アッポー♪♪♪

 なんだか・・・ピンとこないし、うれしくもなし感動的でもないなあ!!!
どうやら、年くって、世の中とは随分ずれてしまったか???子供たちが小さいころは、よく「アッポー」って言ったものです。そう「アホー  阿呆」って言う意味。


 先日、哲学の小道から法然院へ。偶然やっていたコンサートを聞きました。


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 東北大震災へのチャリティーコンサートということでした。身近に生音楽に触れるのは久しぶりです。秋深く、心にしみます。バルト三国、クロアチアなどの、旧共産圏の民族楽器とか。弓みたいに反った木に、貝がらみたいなのがひらひらついていて、落ちながらシャラシャラとひそやかな音がする。尺八みたいな笛との競演は、ものがなしく、お寺の庫裏にひびきわたります。ちょうど「ゴーーン」と鐘の音。じゃまにならないのがおかしい。最後、「うさぎ おいし かのやま  小鮒 つりし かの川♪♪~~・・・・」と全員で歌うということでしたけど、泣いてしまいました。


 なんだか、自然に泣けるようになってきた感じ。息子の死以来、めったに人様に泣き顔もみせなかったし、見せたくなかったけど・・・・泣いたら傷口が、又口をあけそうな気がしましたから。無理な突っ張りがほどけて、素直に泣けるようになったというか・・・泣くことで、自分がやわらかくなれる感じ。そうやなあ!!!いい子やったけど・・・最後に親不孝しよったなあ。

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2016年11月24日 (木)

この年で・・・新しい喜び見つけた!!!

 きのう、休日の釣りキチにおねだりして4時間の紅葉ドライブ。堀川通りをずーっと北へ。街路樹は今が一番きれいでしょう。そこから柊野へ、雲ケ畑から静原、八瀬、大原を越えて、琵琶湖・・・琵琶湖大橋を越えて、比良連邦がみえるマイアミビーチへ・・・鮎屋で相棒にお土産を買い、瀬田のあらい堰・・・観光名所よりも落ち付いた山々は色調に品格があって、とても感動です。北山に入るとサーッとしぐれて・・・も・お・お・・・晩秋。ほら!!!虹が・・・

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 何年も絵を描いてきました。でも、ももりの旅先のスケッチは、バカチョンカメラでバシャバシャやる、まあいえばメモ。メモ魔、記録魔で、それらのスケッチを絵に仕上げて、発表することはありませんでした。展覧会の出品作品は、ももりの場合、心象風景です。旅のスケッチはパソコン以外に人にみせたことはありませんでした。

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 でも・・・・、もう、旅もできなくなって、メモする必要もなくなりましたので、改めて、スケッチを丁寧にやってみようかと思い、パステルを併用してみました。こぉれぇがぁ・・・けっこう、面白い!!!


 え・え・え・・・??だれですか???「たいして変わらへんやん」ですって???


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2016年11月23日 (水)

錦秋の古都 京都  Ⅲ

 チマチマとヒマを見つけて近くの紅葉をまわっています。昨日は相棒をデイケアに送り出して、歯科へ。治療が終わったのは、もう12時過ぎ。さ・あ・あ・・ママチャリで、しかも3時には、家で相棒を迎えなければ・・・ということで、チマチマと近くを回りました。お昼はアジアンテイストタイ焼きそば・・・おいしい!!!なんてったけ???相棒は、こんなの絶対食べないから・・・ね。

 先ずは、御所から少し下がった聖ハリストス教会へ。ここはギリシャ正教教会だといいます。内部は今特別公開。でも・・その日はペケ。ザンネン!!!

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 次は御所へ。イチョウの古木がいっせいに落ち葉して、黄金色の絨毯をあちこちに豪勢に広げています。とっても・ウ・ツ・ク・シ・イ!!!!
 下は平清盛が寄進したという唐破風の鳥居がある神社・・・あ・あ・あ・・・・もう…時間がない!!!
と、いうことで神社の名前は又、次回に。スミマセン

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 その前日は、3時に相棒が帰宅してから、お出かけ。下、妙心寺大法院。特別公開の露地庭です。紅葉は今がサイッコウ!!!

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 その茶室、有隣庵。秋の日はつるべ落とし・・・目がねえ・・・暗くなると怖いから早めに帰りました。


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2016年11月21日 (月)

ボナッティー・・・自然への陶酔

 2013年10月の旅・・・・遠い夢のようですが、ボナッティーの本に出会って 「ああ・・・彼と同じ道を歩いたかもしれないなあ」なあんて・・・もちろん、ももりは岩も登れませんし、安易な展望台やトレッキング道をほんのちょっぴりのぞいただけ。でも・・・・ともかく、その自然の神々しさの端っこだけでも、のぞけたことは幸せでした。


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 アウロンソ小屋は本に登場します。「あれれ???聞いた名前やなあ」って、確かめてみました。下、スケッチはアウロンソ小屋。ドロミテ山系です。この日は、その年初めての新雪で・・・そりゃあ・・・も・お・お・・・素晴らしく神々しかったです。

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2016年11月20日 (日)

ボナッティー「わが生涯の山々」

膝がグラグラして、もう地上すらさっさと歩けないというのに、読む本は山のぼりやロッククライミング。冒険の本ばかり。・・・ッタク・ウ・ウー・・・我ながらおかしいけど・・・


 ボナッティー・・・・孤高の天才クライマー。名前だけは知っていましたけれど、図書館で見つけて借りてきました。凄い!!!!

 ボナッティー・・・モンブランのイタリア側ふもとの村、クール・マイヨールで、幼い日々を過ごします。岩壁にいどむクライマーにあこがれて、終日ながめては、周辺の5メートルほどの岩をよじ登って遊ぶ幼い日々でした。第二次大戦に従軍、山岳部隊に配属になり、山に熟達していきます。やがて敗戦。ムッソリーニが逆さつりになり、つらい日々が続きます。19才、偶然声をかけてくれた山男にすすめられ、未踏の岩稜のピークへ初登頂。その後は、ひたすら岩のぼりに熱中。鉄工所に勤めていた彼の登攀用具は手作りのハーケンだけ。下、スケッチはクール・マイヨール。ももりが行った日はモンブランは雲の中・・・・・クックゥウー・・・こんな日、岩にとりついているクライマーはひどい嵐の中で凍え、絶望してるんやねえ。

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ボナッティーと、かのロッサナ・ボデスタ・・・・ ロッサナ・ボデスタ、と聞いて、パッと反応する方は、・・・・もお、大分お年で、映画好きでしょう。
 映画「トロイのヘレン」のヒロイン、ヘレンを演じたのがロッサナ・ボデスタ。絶世の美女、トロイのヘレン・・・あの木馬で有名なトロヤ戦争、今なら、ギリシャとトルコ、の古代戦争のきっかけとなった美女です。美貌の王妃、ヘレンのにのとりこになったトロイの王子が王女を略奪したことから古代の大戦争が始まります。そのヘレンを演じたのが、かのロッサナ・ボデスタ。

 


ある日、大女優、ロッサナ・ボデスタに記者が質問します。
「あなたが、もし、絶海の孤島でたった二人で過ごすとしたら誰を選びますか」
「そっりゃあ、ボナッティーよ」それを聞いたボナッティーは、ロッサナ・ボデスタに電話します。「来年、ローマに行くので会いましょう」しばらくして、電話がありました。ボナッティーからです。「来月、○×で会いましょう」又、しばらくして電話がありました。「あす、○○で会いましょう」それ以来、二人は死ぬまで、永遠の恋人同志でした。パソコンにあるボデスタは、かつてのきゃしゃな美女ではなく、すっかりイタリアのマンマミーヤです。がっしりと太って頑として実に堂々としています。横にいるボナッティーもすっかり年老いて、でも、とてもステキです。


 日本にも来られたようです。すばらしいカップルやなあ!!!

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2016年11月15日 (火)

錦秋の京都 八瀬 瑠璃光院

 日曜日は素晴らしい快晴。特別公開の「瑠璃光院」。久しぶりの叡電で八瀬へ。
下、瑠璃光院と山露路

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3人の子供達が小さい時、八瀬遊園へよく行ったものでした。はや・・40年ほども前のこと。
 ある時、八瀬遊園のプールへ。さあ・・泳ごうかと見ますと、長男がいません。びっくりして、溝とか必死に探していましたら、いきなり相棒がプールへドブン。長男をひっぱりあげてきました。プールのすべり台へいきなり突進したのでした。まだ・・・・幼稚園へ行ってたころ???母親のももりは、まだヨチヨチ歩きの末っ子をつれてましたから・・・上は6才・・・か???5才??オッソロシ・・・よう・・・まあ・・・無事に成人させられたものでした。
 下スケッチは、緑やオレンジに染まってしまいそうな庭園


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 近く「平八茶屋」・・・かま風呂で有名でしたが、今はどうやら・・・半分廃墟。

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 ふと、やってきたバスで大原へ。でも、もう帰路のことも考えてあまり動かず・・・早い目に帰りました。スケッチは三千院への道よりの展望台から


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2016年11月14日 (月)

明日から「日本水彩京都支部小品展」

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 今から、飾りつけに出かけます小品も実に良いものです。
ももり「あてどない旅」・・・子をさがして・・・
 お供達の絵は素晴らしいので、おついでがあればゼヒゼヒ


 昨日は素晴らしい快晴。特別公開の「瑠璃光院」。叡電で八瀬へ。
スケッチは後ほど・・・・

 

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2016年11月11日 (金)

錦秋の古都 京都

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 上 2枚は国宝、銀閣寺東求堂、秋の特別公開を見てきました。お天気はバツグン。相棒はデイケアーです。

 銀閣寺、ご存じ足利義政の別邸です。この人物、室町時代、7代将軍、東山文化を作り上げた人物ということですが、京都の民にとっては、実につらい為政者でした。11年とも、いや、もっとぐずぐずと長く続いた戦いの中の民・・・飢饉、疫病、つむじ風、火災・・・実に京都の1/3は燃えたといいます。何度も何度もの火災の後、焼け残った寺院は、今の千本釈迦堂だけだったといいますから・・・・賀茂川は数知れぬ死体で流れもとどこおり、腐臭はたえがたかった・・と、言います。


 将軍を取り巻く野心家達の対立は、遠い治行地の兵をよびよせて京都で戦います。他国者同志の戦いが京の都を舞台に繰り返されました。都は凌辱をほしいままにされたのです。その中で鬱勃と起こった町民の力が、祇園祭を復活し、今に至っています。


 日野富子・・・この高利貸しは義政の妻。敵味方を問わず高利で金を貸し付け、米を買占めました。そもそも・・・義政が将軍に位を譲ろうと、高野山で僧になっていた弟、義尚を還俗させます。そのとたん、日野富子が男児を出産・・・つむじをまげた義尚は、さっさと敵方へ・・・も・お・お・・・・自分の利害しか考えていない足利将軍家の優柔不断、日和見が戦いを増幅させていったのです。

 今の、日本人の生活は、ほぼこの室町時代にでき上ったといいます。一日3度の食事、お茶の文化、書院つくり、障壁画、たたみの生活・・・・特別公開の東求堂は、美しい銀閣寺山のふもとに端然とたたずんでいます。しかし・・・完成を見る前に義政はなくなったそうです。



  下、2点は旧三井家別邸・・・ホラ、あの「あさが来た」の、あささんの三井家の別邸です。あささんの手紙もショーケースの中に展示されていました。これがぁあ・・・読めないのよねえ。


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 この、屋上の3階で、三井家の人々は大文字を楽しんだのですって。

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2016年11月 6日 (日)

泣いてしまったこと

 先日は、卒業60年、中学校3年のクラス会・・・最後のカラオケで泣いてしまった・・・というのは・・・・ 
ご存じ、岩崎宏美さんの歌「マドンナのララバイ」
   

 ♪♪♪・・・そう・・・眠りなさい  つかれきった体を投げ出して
 青いそのまぶたを  唇で  そっとふさぎましょう

 ♪♪♪・・・そう・・・できるのなら  生まれかわり
 あなたの  母になって  私の命さえ  さし出してあなたを  守りたいのです



 ♪♪♪・・・・このまちは戦場だから  おとこは みんな 傷を負った戦士
 今は 心の痛みをぬぐって  小さな子供の昔にかえって・・・・・あつい胸にあまえて・・・

 ♪♪♪・・・そう    わたしにだけ  みせてくれた   あなたのその涙
 あの日から決めたの  その夢を支えて  生きていこうと・・・・
    


 ♪♪♪・・・・恋ならば  いつかは消える  けれども  もっと深い愛があるの・・・♪♪♪


 これって、まさしく今の私の歌・・・傷を負った激しい戦士であった相棒は・・・・今、車椅子・・・
次男の死・・・人前ではあまり泣かなかったのに・・・フ・カ・ク・・・下、スケッチは、先日ちょっくら足を伸ばした嵯峨野

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 そうそう・・・エジプト展も見てきましたよ。今、秋たけなわ・・・特別公開のお寺とか、行事とか・・・行きましょう。

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2016年10月31日 (月)

又々 夢は山へ

 先日、小林一彦氏の写真展に行ってきて以来、マタマタ山の本に逆戻りしています。

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 小林一彦氏の一言「マナスルに初登頂した小西壽夫は、ぼくの叔父なんです」って。さ・あ・あ・・・・早速「マナスル登頂物語」を借りてきました。「少年少女20世紀の記録8」です。
 実はこのシリーズ、息子たちのために全部買ってそろっていたのですが、子供たちが大きくなっって、本棚を大きく占領するので、特に残したい5~6冊を残して処分してしまった本の一冊でした。やっぱり・・・本って捨てたら、あ・か・ん!!!

 新田次郎「栄光の岸壁」上下・・・どうも・・・新田次郎氏の山シリーズは、好きになれません。かつて、山大好きだった私にとって山行は、心おどる朗らかで楽い時間でした。会話はユーモアに満ち、朗らかで、思いやりや、友情でいっぱいでした。そりゃあ・・・・私の行った山とは、スイスアルプスの岸壁とは程度が違うといわれそうですが・・・
 同じ、アルプス三大北壁に挑んだ今井通子さんを主人公にした新田次郎「銀嶺の人」上下でも、あまりにも緊張感と攻撃欲ばかりが強調されてやりきれません。でも、ご本人の今井通子氏ご自身が書かれたご「私の北壁」やヒマラヤ山行の「私のヒマラヤ」は感動です。危険で、困難な局面になればになるほど、仲間のために行動し、いたわり、友情にあふれています。危険な局面になればなるほどユーモラスな会話で緊張感をほぐします。エゴをおさえ、仲間をいたわり、登頂に向かう仲間愛こそが、山行の素晴らしさなのです。勿論、刻々に変わる山の美しさ、その神業は…も・お・お・・・言葉にも絵にも写真にもできないほど大きな物です。

 も・お・お・・・・今の私は、膝はガタガタ、山はムリ。相棒は車いす。長い移動もいやがります。私の夢は・・・本の中・・・・それと・・・・おお・・・思い出の中のスケッチブック・・・

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2016年10月26日 (水)

「四明展」今日から

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 昨日、飾りつけ・・・・大学の同窓生。ももりも古株になってきました。
お近くへ来られましたら、ゼヒゼヒ・・・・ももりは、会場には日曜日の終わり頃までいけません。トホホ・・・申し訳ない・・・、


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2016年10月23日 (日)

偉大なる先達

 


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 先日、老大家、松永暘石先生のご葬儀に久しぶりに大阪へ。先生の膝下をはなれ、もう20年ほどもなります。なつかしい!!!フルーイお仲間との再会・・・とてもうれしかったです。

 思えば・・・・奥山に迷い込むように、未だに道を探し続け、迷い続けている書の道ですが・・・もう・・・何人もの先生に先立たれました。
 


 まずは・・・田中香雲   私の父です。日展作家でしたが、私が27才の時に亡くなりました。なくなる6年前、胃癌ということで、「後・・・5年は大丈夫やろ」って言われました。それまで絵を描いていた自分から180度転換。改めて書を見つめますと・・・・これが…すごい!!!
 たまたま、当時は、NYの、いわゆるコンテンポラリー絵画が鬱勃とおこって来る時期で、絵として書をみると・・・これぞ!!!まさしく・・・・アート・・・白黒だけですべてを表す・・・アートにみえたものです。


 父は27才の時になくなりました。、すぐ、父の師でいらした谷邊橘南先生のもとへ。谷邊先生は、戦時中、園部のももりの母の実家の2階に疎開しておられまして、ホンの幼い私をよくご存じでしたせいか、いつも、おかしな生き物をみるようなお顔でクスクスクスクス笑っておられたものです。奥様にも、大変可愛がっていただきました。谷邊橘南先生は、当時は日比野吾鳳と並ぶトップクラスの大家です。

 5年ほどお習いする間に、私も二人子供を授かりました。谷邊橘南先生は中風で倒れられて、お稽古がお休みになりました。そのころ「仮名だけではどうしても書道はわからない。根本の漢字にもっとせまりたい」と切望しておりました。谷邊橘南が出しておられる「書窗誌」の漢字部門には、毎号、小坂奇石先生が漢字手本を揮毫されていたのです。早速行きたかったのですが、丁度、3男も生まれ、あまりにややこしく、「しばらく休もう」と腰をおろして、6か月。


 相棒が「エエ加減に再開セナあかんのとちがうか」ということで、誰の紹介もなく、初めて新京極、錦のお天神さんをたずねました。父の元で書いていた臨書を何点か見せましたら、小坂奇石先生は、「誰になろた???」ってお聞きになりましたので、私は、谷辺先生のお名前を出すのは、はばかられましたので、「田中香雲という人です」と答えました。そしたら、「ああ、京展で大賞取ったセンセやなあ」と言われた方がおられまして、その場で、入門がかないました。
 


 それからは、もう、あけても暮れても書ばかり。小坂奇石先生は、京都、錦のお天神さんに、月、一度いらしてまして、キラ星の如く居並ぶ、日展作家の高弟たちに囲まれて、先生の前に。大きな硯が2面。墨を2時間ばかりするのが私の役目になりました。なんと・・・なんと・・・えがたい貴重な時間であったことでしょう。目の前を先生の息づかい、筆が走り、打ち込み、躍動するのです。


 谷邊橘南先生はお亡くなりになりましたが書道界は残り、漢字とかなの二足のわらじで、ひたすら勉強に励む毎日でした。幼い息子たちが眠るのを待って、臨書。明け方の空があじさいい色に染まるころまで、勉強したものです。

 その内、小坂奇石先生の膝下から独立したいと、三谷治山先生と松永暘石先生が、お二人で一派をたてられることになり、どちらにも師事し続けたかったのですが「どうしてもどちらかを選べ」ということで、泣く泣く小坂奇石先生の元を離れました。やがて、小坂奇石先生も鬼籍にはいられ、三谷治山先生ともお別れの時がやってきました。

 どうしても書の良さがわからないと、どれほど悩んだことでしょう。でも、「あの父が、あれほど言ってた。書ほど素晴らしいものはない!!!」という言葉を信じて60年。今日、真実、書道の素晴らしさに浸っております。


 長期にわたって、私のもとに通って下さる生徒さんたち!!!この方々への感謝を書かずにはいられません。教えるということ、次々とわき起こる疑問点・・・何とか答えたいと・・・・それが私の独学でした。この方々がいらっしゃらなかったら、私はもう、書をやめてしまっていたかもしれません。そして、先生がずーっと生きてらしたら、自分一人で調べものをすることも、もっともっと少なかったにちがいありません。

 書道展で競うということはもう止めて久しいです。先生のお手本をマネしたり、会場で競うようなものでもないとも思えましたから・・・そのくせ・・・・絵の出品は、今もつづけてるんですから・・・勝手ですよねえ。スケッチは先日の植物園

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2016年10月21日 (金)

モノも言いよう

 
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昨日曜日、ある会議に出席。同年代の第一線で活躍中の女性たち、みんな元気なのよねえ。同じくらいの年齢のはず・・・
 「みんな元気やねえ。私だけやんか・・ヨボヨボしてるのん・・・・」素直なお相手の方のお返事は「そうやねえ」
これってショック。当分、立ちがれそうにない!!!心の中では「そんなことないよぉ。あなた、元気よ」って言ってほしかったのよ・・・

 又、別の方「最近はプールへよく行くの。1.5キロ泳ぐわ」「それってやりすぎはダメよ。私の行ってるプールで、この間、沈んでた人がいた。達者に泳ぐ人だったのよ」
 お・お・お・・・・2重ノック。カウンターパンチってのか。も・お・お・・・・ノックアウト・・・ダウン・・・ぐったりして帰宅。
 スケッチは先日ママチャリで行った植物園と温室の花

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 又の日、今度は超大家の書家のお葬式で大阪へ。もう先生のお膝元から離れて20年くらい。たくさんの古いお仲間に会いました。 
 「いやア・・・元気やねえ。ももりさぁんん・・ん・・・ちっとも変わってないやん!!!」
 「いやあ・・・もう・・ヨボヨボ・・・や」
 「そんなことない!!!相変わらず独特なオーラやでえ。やっぱり絵描いてる人はちがうわ」
なあんて、うれしい!!!!先日来のウツはどこかへ飛んでいきました!!!
 他人様の言葉一つでウツにもソウにもなるんですよお。

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2016年10月15日 (土)

なかぎょ ええとこ  一度はおいで ♪♪♪

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屋根の上で咲き誇る、ルコウソウ


 先日、木曜日、癌の術後の3か月ごとの検査です。血液を採血してお医者様診断まで1時間。このすき間に近所のスーパーで買い物をしようと・・・例によってママチャリで・・・ ところが・・・
 パタンとこけました。「あれれ・・・なんで???こけたん????」後頭部をまっすぐ打ちました。テニスのラケットでバーンとやられた感じ。鋭角的ではありません。しばらくして、立ちあがったら、立てます。歩いてみたら・・・歩けました。買い物は、もう、止めて病院の待合室へ。別にむかつきもなく眠くもなりません。間もなく先生の診察だったんですが癌の後の採血では問題はなし。「センセ、さっき、こけたんです。頭打ちました」・・・と言いますと・・・「検査しますか???」「いいえ・・・ちょっと様子を見て、おかしかったらで結構です」


 段差のデコボコも何にもない、真っ平な歩道の真ん中です。前から人がきたわけでも、車が来てるわけでもない。「なんで???なんでこけたん・・・・???」その時、それを見てたのは、たった一人。筋向いの元ラーメンやさんのおばさん。「どうえ???何ともないか???なんでこけたん」「さ・あ・あ・あ・・・???」


 頭は8時間なんともなかったら、もう大丈夫とのこと・・・なんともない。自転車もしらべたけど、異常があるようにない。なんで・・・なんで???こけたんやろ???


 
 次の日、どこか打ったのか、あちこち痛い。でも、主人にいうと・・・又、心配しすぎるかと黙ってたんですけど・・・もうええか???と、思って「ちょっと見て。どこか大きなあざできてへん???」ってセーターを大きくめくりました。
 相棒一言・・・「まあ・あ・あ・・・・は・は・は・・・そんだけ肉がついてたら大丈夫やわ。肉布団や」


  それが昨日のこと。今日・・・6人にたずねられました。「大丈夫か???病院入院してるのとちがうかって、みんなで心配してたんえ」ですって。あの時、こけた私を見てたのは、たった一人・・・・

 これは、今夜のこと、お好み焼きをしようと材料を出したら卵がありません。「あ・あ・あ・・・・・」おとなりさんの窓をコンコン。「卵三つ貸してえな。もう、暗いし、自転車こわいねん」「ああ・・・返さんかてええよ」 うれしいなあ!!!これが中京!!!
 

 京都は住みにくい。京都人は「お茶漬け食べて行かへん???」って聞かれて「アリガト」って食べたら、後が怖いとか・・・誰か、落語家が言ったらしいけど・・・・そんなことありませんよぉ。
 ご飯がなかったら、誘わないし、誘ったらどうぞ、いらして・・・・


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 サンチアゴ・デ・コンポステラで買って、抱いてかえったわが家の妖精。守ってくれるんですって。花はわが家の・・・よめな???丹波のお山から引っこ抜いてきて、毎年、けなげに咲いてくれます。壺???絵描きの友人がくれたもの。かわいいでしょ 

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2016年10月12日 (水)

秋は・・・さびしい

 秋・・・・寂しい!!!あいつがいない・・・
大食漢やったし・・・なに作っても喜んでいーっぱい食べた・・・・
巻きずし、鯖すし すき焼き まつたけ・・・・あいつを思い出すのがつらい。・・・もう作らない・・・・


 秋!!!美術の秋!!!友人たちの個展や展覧会めぐりに忙しいです。
昨日、国立近代美術館へ。「メアリー・カサット展」昨日行ったら閉館。前日が祝日だったからの振替休館。ということで、今朝行きなおしました。スケッチは普段素通りしてる高瀬川、一の舟入

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 先日読んでいた「とびきり屋」7シリーズ、山本兼一描く舞台がこの周辺。幕末の京都三条の、このあたり・・・竜馬や勝海舟、壬生浪や、桂小五郎などが徘徊したところを、このももりも徘徊・・・・うれしいなあ!!!はっはっはっ!!!

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2016年10月11日 (火)

秋日和・・・ママチャリでGO

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やっと 秋!!!風がすずしいからぁ・・・さわやかやからぁ!!!。ちょっとお出かけ!!!
まずは、上、ご近所の春日神社へ・・・・昨日は秋まつりやったけど、今日は人影もなし。春日神社は、平安初期の天皇家の病祓いの神社です。ママチャリでさらに斎宮神社へ。スケッチ下。ここは、今はもう何もない。天然記念物の大クスの木とさざれ石だけ。その昔、天照皇太神を祀ってここに別荘を営んだ倭姫命の跡と言いますから古い。

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 嵯峨野へ・・・・気の向くまま・・・ルンルン


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  上は、鹿王院・・・・長い間、京都に住んで、というか・・・京都以外に住んだことないももりが・・・気になりながら、・・初めてやってきました。山門から本堂へのアプローチがすばらしい!!!足利三代将軍、義満が24才の時に建てた禅寺といいます。ここも、ももり一人。400円の拝見料に500円プラスして、おうす・・・・これが又・・・・・大きな雲竜・・・羊羹みたいな、つぶあんの小豆を巻いた和菓子、に大きな栗・・・・うれしいなあ。一人お庭を眺めながらゆっくりさせていただきました。


 夜は、本の中にドップリ・・・相棒は???勿論、ちゃんと介護してます・・・つもり・・・です。

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